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| 2003年05月23日(金) |
雑味を剥いで、恋をする。 |
●休み中の快楽は、好きなだけ好きな時間帯に本を読めること。「明日は何時起きだから……」という縛りもなく、物語の中に没頭できる。 その快楽を放棄して、とりあえず、今日も部屋の整理、過去の投棄を進める。捨ててしまえば。記憶の中のものを反芻することで、自分の過去の捏造がはじまる。その是非はともかく、自分のかつての時間もフィクションのようにしてしまうことで、わたしは人生半分過ごしてきた。 嘘つきミッチャンとして「全身小説家」(原一男監督)に描かれた井上光晴ほどではないが、いまだに「ありのまま」の自分なんてものがよく分からずに、色んな側面で色んな自分が出てきてしまう。そしてさらには、TPOに合わせて自己演出するのがうまいものだから、自分の正体がどんどん混迷をきたす。この資質は職業的には実に役にたっているのだけれど、精神に破綻をきたすことがあるので、休める時には、「ニュートラル」を心がける。なるべき人と会わないで、リハビリをする。自らがまとう雑味をちょっとずつ剥いでみる。今はそんな時期。
●テレビを流しっぱなしにしていたら、綾戸千絵さんが出ていて、しばし手を休めて見入る。歌しか聴いたことがなく、その人となりは全く知らなかったものだから、ちょっとびっくり。歌ってないと、どこを切っても大阪のおばはんが出てくる金太郎飴のような人。しゃべくりはうまいし、どえらく明るいし、吉本を見て育った根っからの関西人であるわたしは、受けまくり。久しぶりにテレビを見て、大声を出して笑った。 切ないことつらいことを知っている人の強さに敬服しながら、わたしはまた荷物の整理に精を出す。
●A氏が家に来ていて、うちの台所でなんだか脚本を書いている。わたしはわたしで、こうして日誌を書いており、書き終わったら、また整理の続き。 36歳の恋人と46歳のA氏の間で、わたしは「なるしかないか……」と揺れている。恋人と呼ぶ人が妻帯者で、横恋慕してきたA氏が独身で求婚しているというのも、なんだかおかしな話だ。 恋人は長らく別居しているし、一度A氏と結婚しようとしたわたしを必死に止めたのも恋人自身だ。わたしも恋人も、ろくなものじゃない。 恋をするって、幾つになっても、なんて大変なんだろう? いや、歳をとればとるほど、雑味が減って、まっすぐになって、自分が生きることに直結してきて、よけいに難しい。よけいに心がふるえる。若いときにはなかった感覚だ。 それにしても、子供の頃は、自分が40歳を過ぎても恋に身を焦がしているなんて、想像もしなかったなあ。でもまあ、想像もつかないもう半生が待っていると思うと、それはそれで楽しい。 恋人とよく酔って言い合う。 「お互い長生きしようよね」って。 もちろん、老いて一緒にいるかどうかは、想像の外だけれど。
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