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2003年06月28日(土) 報告帰省を終えて。わたしを取り巻く様々な人生の側面。

●二人で実家へと向かう前夜、わたしは緊張して眠れなかった。それは、A氏が両親に迎え入れられるかどうか、といった可愛い純粋な感情ではなく、自分の選んだ道が、どんどん先に進んで、もう元の分かれ道には戻れないところまできていることからくる、不安と緊張なのであった。
 不安の中の読書で、ふと目に付いたチェーホフの「ロスチャイルドとバイオリン」という短篇を、わたしは「聞いて!」と音読する。A氏は煙草を吸いながら、黙って15分ほど聞き続けた。
 これはわたしの愛する短篇で、生きることが、今生きている人にはどんなに無駄に見え、実はどんなに優しさで包まれているかを、淡々と綴ったものだ。その物語を読む自分を見守ってもらうことで、わたしはA氏と、今現在の不安を共有したかったのかもしれない。

●A氏は1時間ばかり、わたしは20分ほどうつらうつらしただけで、新幹線に乗り込む。車内でわたしは爆睡。

 駅に迎えにきてくれた母の車に乗り込む。バックシートに座ったA氏をミラーの中からちらちらとのぞき込んでいた母は、家にたどり着く前にすでにこんな感想を口にする。
「Aさんの顔見て安心した。顔見たら、どんな人か、だいたいのことわかるもんや」

 家に着き。A氏の持参した履歴書に目を通した父は母は、簡単な質問、簡単な挨拶を終えただけで、昼食の支度にバタバタと動き回り、落ち着かない。支度ができて二人が席についたら、ちゃんと挨拶を、と、A氏もきっかけを逃すまじと緊張している。

 そして、その時がくる。わたしをくださいという、挨拶が始まる。A氏は誠実に淡々と話す。父が不安に思っていることをA氏に投げかける。またA氏が落ち着いて、父の不安を解くことばを返す。
 A氏は話を終えたあと、持参した息子の写真を見せる。父と母は、自分の娘が自らの子供として育てることになる男の子の写真に見入る。
 わたしには、何もことばがない。

 「じゃあ、食事を」と、4人が箸を持ったときには、ビールの泡はすっかり消え、湯気をあげていた赤だしは、すっかり冷めていた。

●食事を終え、二人の指輪のサイズを測る。わたしの実家は小さな宝石屋さんだ。お祝いのマリッジリングを、母がプレゼントしてくれるらしい。さらに、母がA家へのおみやげを買いたいと、また車に乗って出かける。
 名産の素麺。東京では売っていない、黒帯結束の上級品、化粧箱入りってやつ。甘いもの好きだというA氏父のために、名産のおまんじゅう。名産のちくわ、名産の穴子。A氏はA氏で、息子のために、関西でしか売っていないインスタントラーメンを買ったりしている。そして最期に母は、「かみむすび」という日本酒を、「記念すべき日に飲んどき」と、かごにいれる。


●父と母から、もう十分に安心したから早めに帰りなさいと薦められ、新幹線に。二人で再び熟睡したあと、名古屋から東京までの2時間を、母が買ってくれたお弁当とビールを囲み、静かな宴会。イベントはあと二つ残っている。わたしがA家を訪れることと、わたしが恋人に結婚のことを話すこと。二人でゆっくりと相談しながら、きれいに弁当を平らげる。


●帰宅して、母にお礼の電話。A氏がデジカメで撮った写真をノートPCに取り込む。父と母の写真のほかに、二人で実家隣接のお宮を参ったとき、写真嫌いのわたしが2度だけフレームにおさまっていた。
 A氏のデスクトップで大写しになったわたしは、驚くほど穏やかな笑顔だった。余り好きではない自分の顔を、なんだか美しいなどと思ってしまった。自分の顔を見て、1日を振り返り、しみじみと、A氏を見る。

●かみむすびを開封し、飲みきるまで静かな宴会。わたしは最近虜になっているフラナリー・オコナーの作品のことを、語りまくる。そして、小腹の空いたA氏のために、いくつかのつまみを作る。自宅用に買ってきた穴子入りかまぼこを開封して食べてみると、これが美味。「甘だれをつければもっと旨いはず」と言うA氏のために、醤油砂糖みりん日本酒を煮きって、氷で冷ましてとろみをつけ、あっという間に食卓へ。残ったたれを薄めて、落とし玉子。昨日の残りのサラダと、ピーマンの佃煮。野沢菜のわさび漬け。
 誰かのために食事を作り、それが喜ばれつつ体におさまっていき、明日への活力に変わっていくという当たり前な幸福を、わたしはA氏のおかげで味わうことができる。
 午前5時頃ベッドへ。
 目覚めたら、A氏はもう支度を終えて仕事に出ていくところ。
 わたしはすぐにベッドを出ず、また本を一冊手にとった。このところ、読むこと、書くことだけで、わたしは自分と世界の距離を近づけようとしている。


●一方。恋人はそうとう体の調子を壊しているらしい。薬嫌いで、ふだん風邪薬さえ飲まない人が、胃の痛み止めを飲み、起きられず、遅刻した。それも、自宅まで心配してやってきた仲間に起こされ、ようかく目覚めたらしい。誰よりも仕事中心に生きている男が、どうしてしまったのだろう?

 かつてわたしが別れを持ち出したとき、彼は、大事な仕事を抱えているというのに、食べず眠らずで憔悴してしまい、大変なことになった。その憔悴ぶりに、わたしはまた心を動かし彼のところに戻ったのだが、今度はそんなわけにはいかない。

 暗澹とした気持ち。

●劇作家の岸田理生さんが亡くなった。わたしは直接仕事をしたことがないが、同じ女性として、その仕事ぶりには大いに影響を受けていた。
 お通夜に誘われたが、行かなかった。相変わらずわたしは様々なことに心が揺れていて、自分のことに精一杯なのだ。


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