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2005年09月22日(木) |
今、自分が在る場所では、ないところに。 |
■大作に関わっていたため、初日を開けるまで人心地のしない日々だった。何の問題もなく仕事しているだけでも大変なのに。ああ。 同僚との不和に悩み、疲れていても酒を飲まねば眠れず。神経と肉体の疲れから仙骨を痛めて立てなくなり、まあ、それでも病院通いしながら仕事を続け。現在を生き悩む恋人はしばしば荒れて、危うく警察沙汰の騒ぎを何度も起こし、それに悉くつきあい。 現場では、大変な仕事であるがゆえに出演者たちが抱え込むストレスを、一手に引き受け、あらゆる口からこぼれる不平不満に耳を傾けた。 眠りを削り、心を削り、まったく、わたしは何人分もの人生を一気に生きてるようだった。体力だけはある女で、本当によかった。まあ、それでも今回は肉体を痛めたけれど。
■現在は本番のランニングをこなす日々。少し本を読む時間も生まれた。 母の闘病の記憶が新しいわたしは、リリー・フランキーの「東京タワー」を落涙しながら読んだ。 村上春樹の新作「東京奇譚集」は、わたしを、「今、自分が在る場所」から「今、自分が在る場所ではないところ」に連れていってくれた。 遠いところで吹いている風に、わたしは知らず知らず動かされている。 今、自分がいる場所ではないところに、世界はある。 風が吹けば吹きだまりが出来、水が流れれば淀みが出来る。じゃあ、人が生きれば? 自分の生きる根拠を、足場を、自分がいる場所ではないところに、ふと見いだすことがある。自分の現在を俯瞰する作業は、意識しても出来るものではなく、自分の場所での現在の積み重ねが飽和に達したとき、自然と訪れるものなのか? こういう本を、仕事が佳境のときのわたしに読ませてやりたかったと思うが、それは無理というもの。 興奮と熱狂からしばし醒めて、仕事を重ねながらも、静かに自分と向き合いたいと思うこのごろ。
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