2006年08月14日(月) |
ビーチボーイズ来日の記憶 |
なんだかんだ言っても夏はビーチボーイズを聴くのだ。 好きなアルバム? 『フレンズ』って穏やかなサイケって感じで好き。 でも、生まれてはじめて買ったアルバムは、74年に出て全米1位を記録した初期(62年〜65年)のベスト20曲入『エンドレス・サマー』。中学1年の頃、新宿を拠点とする当時最大手の輸入盤ショップ「ディスクロード」でイギリス盤を1380円で買った(アメリカ盤は同じ曲数で2枚組だった)。 79年の8月、江ノ島の浜辺で「ジャパンジャム」というフェスティヴァルが行なわれ、これは「カリフォルニアジャム」の日本版という触れ込みにしてはショボイ企画であった。すでに気持ちはパンク〜ニューウェイブだった15歳の俺であるが、ロック好きな同級生を誘って観に行った。 なんといってもイベントのトリはビーチボーイズなのだ。一応『LA』という最新アルバムが出た時期で「思いでのスマハマ」というインチキ日本語の曲が収録されていたので、その辺りの新曲も聴けたが、60年代ヒットパレードが中心だった。この時期、心身ともに絶不調だったブライアン・ウィルソンは、来日していたことはしていたが、ジャージ姿でステージのピアノに座っていただけで、ほとんど何もしていなかったという話はわりと有名。 で、この時、ビーチボーイズの本番前、俺は食堂みたいなところにいってジュースを飲んでいた。太ったヒゲで短パンの白人が階段から降りて来たと思ったら、サインをもらってる人がいた。ビーチボーイズのメンバー?またはサポートのミュージシャンかもしれないと思ったが、誰だかわからない。自分もレポート用紙とサインペンを出してサインをお願いした。そこにはひとこと「BRIAN」と書かれてあった。あ、この人ブライアンだったんだー。感激だったけど、ステージのブライアンはどこにいるのかさえわからない感じだったので、そのありがたみは後年になり重みを増していくのである(笑)。そのサインは今でも『エンドレス・サマー』のジャケットに挟んであるはず。
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