2008年10月21日(火) |
新宿ゲバゲバリサイタル |
報告が遅れてしまったが、10月4日にコマ劇場で開催された「渚ようこ・新宿ゲバゲバリサイタル」にDJで参加させてもらった。というか、コマでDJって(笑)まあBGM担当ってことなのかしら。
リサイタルって言っても、若松孝ニとのトークあり、内藤陳とトリオ・ザ・パンチとの絡みあり(「ハードボイルドだど」をはじめてナマで聴いた)、三上寛の弾き語りコーナーあり(もちろん「夢は夜ひらく」)、「はっぽんさん」こと名優・山谷初男がアルバム『山谷初男の放浪詩集・新宿』から二曲歌ってくれたり。 因みにこの『放浪詩集・新宿』は現在ビクターからCDになっているが、昔、私が「ニューロックの夜明けシリーズ」でドサクサにまぎれて復刻したもので、寺山修司、はちみつぱい、渡辺勝(奇しくも今回のリサイタルのバンマスも勝さんだ)、あがた森魚が制作に参加した、74年当時の新宿の一場面を鮮烈に切り取った大好きなアルバムだ。 それからなんといっても、久しぶりに実現した横山剣とのデュエット「かっこいいブーガルー」。これには血が騒いだ。 この日は、渚ようこのリサイタルだったのだが、実は、渚ようこが演出&プロデュースした新宿へ捧げた一大イベントだった、といえるだろう。 そしてもうすぐ消えてしまうコマ劇場。前日のゲネプロからじっくり裏側も見学したのだけど、壊されてしまうのは本当にもったいない。楽屋の鏡台などの家具ひとつとっても、捨てられるのかどうか気になってしまう。美空ひばりをはじめ、往年のスターが寄贈した鏡などはどうなるんだろうか?。年季の入ったエレベーターの美しさにはみんな惹かれていた。まだまだ元気な、国宝級の建物なのに・・・・
当日の集客も予想以上の大入りで、打ち上げにはちょっとしたライブハウスなら満員くらいの人が集まった(笑)。半田健人君が松石ゲル君を紹介してほしいというので、紹介したら息投合していたようである。なんか一緒にやればいいのにね(笑)。俺は10年ぶりくらいに会った宇川直宏氏(現代美術家)とショーケンや裕也さんの話で盛り上がった。宇川君はリサイタルのポスターのデザインを手がけたのだが、最近エイベックスから出したCDは、自作詞に石野卓球が曲をつけ、なんと!ショーケンが歌っているのだ! 打ち上げニ次会は小人数で朝まで行われたが、若い人は少なくなり、なぜか50歳以上の人たちが元気だった。二次会にいた伝説のジャズ歌手、沖山秀子さんはあまりにも強力だった(笑)。沖山さんは事前に宣伝なんぞ何もしないで突発的にステージをやっているのだというから、今の時代にすごいことである。次回のライブは?と訊ねても教えてもらえず。でもこの人の「サマータイム」はすごいよ。本人いわく、ジャニスとエラ・フィッジェラルドと並ぶ三大「サマータイム」だそう。 コマ劇場で売られたパンフレットに以下の文章を書いた。本人から「CKB、ハプ4、ザ・ヤングとの時代について書いてほしい」と言われたのだけど、渚ようこwithネオンカップスのステージ(カラオケ&女子達)、たまにはやってほしいなーとつくづく思う。
「運命の新世紀」 星の廻りなのかどうなのか?無論本人は意識したことなかったであろうが、渚ようこの活動は21世紀に入った途端と言っていいほど、活発に変化している。 世紀末に何度がイベントで見かけた彼女のステージは、ものすごく音質の悪いカラオケ・テープ(オリジナル曲にもかかわらず)を流し、信じられないほど脱力しながらも愛嬌だけは満点の十代の女の子たちをダンサーにして、淡々と歌っていた…というイメージが強く残っている。そんな時代もあったのだ(笑) 2001年初頭から、渚ようこはクレイジーケンバンドの客演歌手として迎えられ、ツアーやレコ−ディングに参加する。翌年には横山剣プロデュース、CKB演奏のアルバム『ヨーコ・エレガンス』が誕生。なんといっても代表曲「ニュー・トーキョー」は新しい渚ようこの世界が開花した歓喜の歌であったと言える。さらに02年夏、60年代伝説のラウンジ・ロック・グループ「ザ・ハプニングス・フォー」の再結成にゲスト参加。そこでは「べサメムーチョ」のようなスタンダードも歌う。同時期、渚ソロ活動のバッキングには福岡のゴールデン・カップスと呼ばれた「ザ・ヤング」が務めるようになる。ザ・ヤングとの相性は故黒沢進先生が名づけた「1人GS」というコンセプトを絶妙に体現したものだった。このあたりのシーンは、ハプ4のチト河内が編曲した一夜限りのラテン・ロックのライブを収録した『ギーナサドンバ・リサイタル』、深夜のR&Bイベントをパッケージした『渚ようこ&ザ・ヤング/ライブ』で聴くことができる。CKBまたは剣さんとのセットは、各地でイベントに呼ばれることも多かったようで、私もしょっちゅうご一緒させてもらっていた。ちょっぴり懐かしい。 他にも多くのオムニバスへの参加やメディアへの露出なども一気に増え、00年代前半は、カルト歌手から、正統派の歌謡歌手として評価される時期であったと思う。 新宿に都電が走っていた時代、おぼろげな記憶では新宿の空は電線で蜘蛛の巣のようだった。自分も幼少の頃から新宿という街には世話になってきた(南新宿にしか住んだことはないが)。歌舞伎町のシンボルであるコマ劇場の最後の姿、渚ようこの人生をかけたステージで見届ける事が出来て幸せだ。
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