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2005年01月24日(月)
本能と儀式
今日は、やばかった。って、最近いつもやばいですね。 詳細は書けないんだけど、ぶっちゃけ、やりたくないことを やらなければならなくなった。でもね、事情があって。 決して「やりたくない」わけではなくて、「やるの怖い、できない」の。 わかるかな、この違い・・・。 ワタシが3年前に受けた、大きなトラウマ。 それに関わる話。だからそれに関わることによって、 自分が壊れるのが怖いのです。 今日、その話を持ちかけられて、半ば強制的?に決められて、 何もいえなかった。弱みのようなものを握られていたから。 ワタシは、やるしかない、って思った。覚悟した。 でも葛藤は消えないわけで。電話切ってから 「寂しいなー」「悔しいなー」がエスカレートして 「死にたいなー」。切りたい衝動にもかられた。 何とかせねば、と思った。いつもなら寝逃げしたりするけど、 今日は、大切な友達に電話してみた。 その人は不規則な仕事をしているから、電話が繋がらないことも 覚悟していた。でもね、3コールくらいで出てくれたの。 結局1時間半も話した。その人はユングの勉強しているので、ユング話。 結局ワタシが悩んでた、というか、「何でこんなことしなきゃならんの だよ?」っていうのは、結局人間の”本能”なんだから 避けられないということ。そして、それが”儀式”という意味を持って 現在に至るということ。すごーーーく納得した。 ならさ、”本能”なんだから、そして”儀式”なんだから、 それに同意しない人は賛成しなくてもいいんだよね? 本能は避けられない。だからそれは認める。 でも”儀式”はやりたい人がやるべきであり、強制されるものではない。 だから結局、儀式をやりたい人のペースに合わせればいいんじゃないの? 別に自分がどう思おうと。 ワタシはそう思ったよ。というか自分の中で割り切れないんだから、 そうするしかないと思った。でもこの”本能”と”儀式”という言葉に ぴーんときました。ユングに出てくるそうです。 ワタシはワタシの道を生きる。 一般的に言われている幸せが手に入らなくても、 自分には自分が価値を付けられる幸せがある。 そして、自分の選んだ道がよかったかどうかなんて、 きっと死ぬまでわからない。生きたいように生きればいいじゃん? なんか、悟り開いたな。ははは。 半分ヤケな感じもするけれど、結局自分の中の「腑」に落ちれば それでいいんじゃないかな。 あと。今まで私は自分の意義が見いだせなくて、何とか生きるために 他人のために生きようと思っていた。 でもそれって、他人に求めていること=自分の理想なんだよね。 ということは、結局最終地点は自分を大切にしていることと一緒。 なんかそれも腑に落ちて、他人のために生きようと思っていた 自分を今まで責めていたけど、それは腑に落ちる順序が違っただけで、 全然悪いことじゃないんだな、って思った。 これも今日の収穫。 S、ありがとう。ワタシが「これであと1年は生きられるわ」って 言った時、「そんなこといわないで、ずっといてよ」って 言ってくれたよね。私は君と一緒に試行錯誤して、考えて、 ずっと生きていくよ。死ぬまで。 こんな大切なお友達を持てて、幸せです。 (今日は負け犬論の話も出ました。これはいずれ。) |