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2005年04月28日(木)
魚は魚じゃないらしい
26日、火曜日。整形に行った。久々に混んでた。連休前だから? その帰りに、その足で従兄弟宅(車で1時間離れたところ)に行き、 従兄弟を乗せて電器屋まわり。2軒行って、2軒目でノートパソコン 購入。うわぁー私が欲しい。NECのLL570だっけかな? 12万強程度でした。ほしぃーーー。 んでそれに付き合って色々アドバイス?したんで、 (てか、私が全部決めたような・・本人はDVDが焼きたい、としか 言わなかった。。)1万もらった。夕方17時くらいから23時過ぎまで 付き合って1万。まぁ悪くないかしら。すげー疲れたけど。 27日、水曜日。 お疲れ日で寝てたかな。夜、友達と話したり。 昼間は、昼寝はしなかったけど、何もしてないような。 なんなんだろう・・・。 28日、木曜日。 朝10時から病院。カウンセ&診察。 朝の時間帯は快速がなくて、直通だと乗り換え1回なんだけど その電車も少なくて、ギリギリの電車に乗ったら、本当に10時 ギリギリになってしまった。いつも20分くらいは余裕もっていくので カウンセラさんに「今日は珍しいですね・・どうしたんですか?」って 言われてしまった。でも私は「いや、ちょうどいい電車が なかったもんで・・」って本当ですよ!! 何も問題のない日々を過ごしていることが、どういうことかについて 話した。「何もしていない」ということが、どういうことなのか。 これには二択しかなくて 「本当に何もしていない=寝ている」か 「何かはしているんだけど、自己評価で何もしないになってしまう」 のどちらかであるわけで。私は、最近昼寝はしてないのに、 何故か時間を無駄に使っているような気がしていたので、 後者、と答えた。=何もしていないということはない、ということだ。 その意味付けが大切なことであって。 その後、カウンセラさんが「今すべきことは何だろう」みたいな話を (確か。)始めたので、それに最初は沿っていたんだけど、 結果的に「持っているものが重過ぎる」という話をした。 会社と連絡を取ったりだとか、今すべきこともできるんだけれども、 でも持っているものが重過ぎる結果、目の前のことを優先させることで いいのかどうか。持っているものが重い、という事実を先に なんとかすべきなのでは、と。 根本原因が、次から次へと不都合を生み出す、という話もした。 それで「偶然」とか「必然」とかいう話になってしまって、 私は双子さんと話した「楽器を14年続けている理由」の話をした。 (あれ、この話ここでしたかしらね。偶然だと思っていることは 実は偶然ではなくて、自分が招いたり、自分の意思であるということ) カウンセラさんは「それで納得するのならそれでいいのではないか」と 言ったけれども、私はそれで、前々回話した「時間の流れ」についての カウンセラさんの意見も聞きたくなった。 ”同じ時間の流れの数年間を生きてきたのに、なぜ結果が違うのか。 数年後死ぬ人だっているし、目標にむかって頑張っている人もいる。” カウンセラさんは、「何の現象だって説明つけることができる、 でも自分がそれを納得するかどうか、受け入れられるかどうか、 自分のいい説明の仕方で納得すればいい」 と言った。そんな前置きだった。 それからは、どんな話の流れだったかよく覚えていないけど、 カウンセ直後にりなざうにかきなぐったモノがあるので、 それを引用して。。 ------------------------------------------- 結果論。 普通は自分で振り返って「あの時はこうだったから」と 思うのが普通であるのに、自死という行為は 後から振り返ることが出来ないのに、 結果として扱われる=その瞬間に自分で結論つけて しまう行為である。それは理不尽だし、納得がいかない。 →確かに。他はみんな後から結論をつけて結果論であるのに、 これだけはモトモト結果が決まってしまっている。 楽器を続けて来た話、起こったことが 偶然ではなく、自分で選んだものだという 話、それを自分の人生に置き換えたらどうか。 考えたくない。 →この話は、できるだけ避けている。今も考えたくない。 なぜなら、今までの理不尽な他人によって起こされた出来事も すべて自分の意思で選んでしまっている、という恐ろしい事実に なるからであり。しかしこう考えるのは自然であって、 この先考えるべきだろうなぁ。 必然に起こることなんてありえない。 例えば魚と鳥に水をあげようとして両者を水につけたら 鳥は死んでしまう、それは魚と鳥という個別のもつものの 違いから結論に結び付く例であるが、 それはいままでのその人の環境や過ごして来た道 それらがすべて影響するものだと思う。 →この例には拍手。 でも魚は生まれた時から魚とは決まっていない、 という。確かに猿だって、人間に育てられれば 人間っぽくなるというし、男として生まれて来ても 後にそれに違和感を持つ人だっている。 →魚が最初から魚だと決まっていたら、 人間がのちに人間になることも決められていたことになる。 もうそれだったら、紀元前、とかそこまでさかのぼらないと。 人間がモトモト猿から進化した、かどうかはわかんないけど、 そういうことまで考えなければならない。 結局だからそれを考えるのはナンセンスであって、 「魚は魚」という自分の中の常識をくつがえすものであり。 しかしながら、それが全て偶然でも必然でもない。 偶然でないならば、自分の意志というものが 必要になるけれども、それが整形されるには なにが必要なのか。なにが影響するのか。 →ちょっと今考えても、謎であるw ということは、元から決まっているものなんて なくて、全てはその人が歩んで来た道、 環境に要因があるのかもしれない。 →けども、環境に全てが起因するのなら 魚は魚だよねぇ・・・・ちょっと謎。 でもそれって運命じゃないの?といえば、 運命ではない、それで結論つけることも できるが、それではつまらないと。 →それは自分の中の理由づけの1つの結論である。 誰しも「全て運命」で片付けられたらラクじゃね? あと自分にとって「いいこと」というのは 自分が納得すれば「いいこと」になりえる。 というのは、今の人生に不満を感じていると いうことは、「自分の精一杯で生きれない」 「自分が納得していない」という点にある。 「自分らしく生きれない」とか 「自分の思いどおりにいかない」とか。 →なので、最初に「説明はいくらでもつけられる」といったのだ。 説明は何だってつけることができる。 人間の心模様だって、何かしら理由や説明を つけることができる。私が「偶然ではなくて 自分で決めたこと」と結論つけたように。 それはどこで折り合いをつけるかの問題であって 自分が納得すればそれでよい=自分がしっくりくる 方法、であるといえよう。 全てに正解なんてないし、それは自分が 決めること。いろいろ考えて、自分がしっくりいく ところで安定することが必要。 運命とか偶然とか必然とか。 全ては土台があって存在することである。 何もないところには、何も生まれない。 割り切ることも大切。 ------------------------------------------- ちょっと私にしかわからないっぽいけど、 こんなメモ書きでした。。 途中まで今考え直してまとめてみたけど、 途中からそのまんまになったので (多分これは自分でも既に納得している事項) なので注釈ナシで。 |