|
2008年05月18日(日)
タナトフォビア
こぴぺしてきてすみません。かなり納得感があるので。 ttp://life9.2ch.net/test/read.cgi/utu/1204037109/l50 読んでいると、自分と似ている人沢山いますねー 私は「死にたくない」から死んでしまいたいわけで。 死ぬという状態に耐えられないから、 自分で死んでしまおうという。 コレな感じはあるんでしょうなぁ。 裕福でもなんでもないけど。 ほしいもの全てなんか手元にないけど。 考えすぎってのはあるのかもねぇ。 -------------------------------------- タナトフォビア(死恐怖症) 条件1.裕福で日々の糧を得るためにあくせくする必要がこと。 古来から王侯貴族の心の病として知られる。 毎日、生活のために数多くの問題と格闘しなくては ならない人間の心には、不確かな遠い将来に起きる 死への恐怖などとりつく余裕がない。 欲しいものをすべて手に入れてしまった 人間の虚無感、心の隙こそが危険。 条件2.考えるぎること、『凝視』してしまうこと。 もともと、宇宙の森羅万象に『意味』など 存在するはずもなく、真正面から『凝視』すれば、 どんなものでも意味を失って見えるのは当然のことである。 条件3.科学に対して素朴すぎるほど信頼を抱いていること。 人間の恐怖の総量というのは常にほぼ一定 なのではないかと考えられる。 かつて、夜になれば大都市も漆黒の闇に 包まれた時代には、人々は本気で幽霊を信じ 恐れていた。だが、死後の存在を恐れなくなったとき 恐怖の対象は、現実、そして死そのものへと移る。 人間の想像力が作り出した闇の領域は、 暗くあっても、けっして真空のような『虚無』ではない。 それが、人間の真の暗黒に直面するまでの 緩衝地帯としての役割を担っていた。 それなのに我々は、自らを守ってくれていた 優しい闇を駆逐してしまった。 死恐怖症は、未だに独立した精神障害の範疇とは されずに、単なる鬱病として扱われている。 恐怖の対象が不合理なものではなく、 誰もが恐れて当然の『死』であることと、 それによって明らかな社会的不適合が起こる場合が 稀であるからだろう。だが、死恐怖症にも増して、 深く静かに心を蝕む。やがてそれは、人類の社会を 根本から掘り出していく可能性すらあるのではないか。 今後、特に日本において、死恐怖症が 激増するのではないかと予想される。 昨今かげりの見えるとはいえ、世界有数の 経済的繁栄を達成したこの国では、 生活の心配がない程度に裕福な層が、 ブロイラーのようにひしめき合っている。 しかも、無宗教で内的な規模が軒並み崩壊して しまっている日本人は、いったん死への恐怖に 囚われてしまうと、そこから逃げるすべは ほとんどないのではないか? |