2005年04月30日(土) |
夜明け近く。風が鎮まる。薔薇の樹もミヤマホタルカヅラも菫もみな、ぴくりとも動かない。窓から忍び足で流れ込んで来る風は、風という言葉が似合わないほどに密やかだ。街路樹も、電線も、何もかもがしんしんとしている。唯一在るのは、通りを行き交う車の音。空気を伝って振動になって、私の肌に伝わって来る。 朝、私が、ミヤマホタルカヅラの花殻をひとつひとつ摘んでいると、娘が何をしているのかと尋ねてくる。こうやって咲き終わったお花の殻を取ってあげないと、お花が弱っていっちゃうのよ、だからこうして一個一個取ってるの、と説明すると、不思議そうな顔をしていた。でも、空き地に咲いているお花とか、道端に咲いてるお花とかにはそんなことしないでしょう? 確かにそうだ。さて、何と答えようかとしばし沈思する。結局、これはママにとってとっても大事なお花だから、できるだけ元気でいさせてあげたいのよ、と答える。じゃぁママ、外に咲いてるお花は大事じゃないの? …大事じゃない、ってことはないよ。みんな優しげに咲いてるから、そこを通るとき、いつだって心が柔らかくなるでしょう? でも、そうやってお世話したりしないでしょう? そうねぇ、うーんと、蒲公英とかヒメジオンとか、そういったお花はね、このお花よりずっと強いの、だからね…。娘にはなかなか納得がいかない様子。それはそうだろう、答えている私も、どうも納得がいかない。かといって、じゃぁこれから空き地に咲いている花々の手入れをするかといったら、多分しないだろう。こういう時、どんなふうに答えればいいのだろう。娘がこうやって時々私に向ける真っ直ぐな問いには、それがどんな些細なことであっても、いつもどきんとさせられる。私はミヤマホタルカヅラのそばから立ち上がり、朝の空を見上げる。晴れ渡る空。雲の欠片さえ今は見えない。 今日は娘に頼んで、初めて土曜日保育園に行ってもらう。寂しがるんじゃないかという親の心配は何処へやら、娘は喜び勇んで保育園に出掛ける準備をしている。できるだけ早く迎えに行くから待っててね、と言うと、遅くていいよ、できるだけ遅くお迎えに来て、と言われてしまう。どうしてぇ?と尋ねると、だってね、土曜日は誰ちゃんと誰ちゃんと誰ちゃんが来てるから、いっぱい遊べるでしょ? 私は苦笑しながら鞄にお弁当やコップを入れている彼女の後姿を見つめる。情けない母の元だと、こういう逞しい娘が育つのか、などと、思ってみたりする。 何ヶ月ぶりかでその街を訪れると、冬枯れていた木々がみな芽吹き、道端には蒲公英が丸いぽんぽんを作って揺れている。多少の風では綿毛を手放そうとしない蒲公英。もしかして君、風を選んでいるの? そんなことを思わず尋ねてしまいそうになる。誰にでも手放し任せるわけじゃぁないのか、この風だ、と思えた風に向かって、綿毛を手渡すのかもしれない。だとしたら、手放すではなく、手渡す、という言葉が似合う、通い慣れた道をゆっくりと歩きながら、私は街景の変化を眺めるでもなく眺める。眩し過ぎる日差し。額に手をかざす。あれほど寒々しかった通りが、今はこんなにも生き生きとしている。動物も人間も植物も、この季節を楽しんでいるのだろう。風を通して伝わって来るいろんな生き物の鼓動が、私の内奥で音を奏でる。 辿り着いた古いアパートの一室で、施術を受ける。受けながら、こんなに私の体は疲れていたのかと驚いてしまう。確かに昨晩などは、身体中に痛みを感じ、湿布薬をあちこちに貼って堪えていたのだった。施術が進むほど、横になっていることが辛くなって来る。こんなことは、正直初めてで、私は少々自分の体の具合に驚く。丁寧に見てくれる施術師さんの手がいくら身体を解してくれても、どうも私の体が拒絶しているらしい。これではもう、どうしようもない。 「私の友人にもね、とっても前向きに毎日を過ごしている人がいるんだけれども。でもね、昔いろいろ経た経験、それが深傷であればあるほど、身体に残ってしまうのね。心がどんなに前向きになっても、体は勝手に反応しちゃうの。かなしいかな、こればっかりはどうしようもない」 確かに。私は聞きながら苦笑する。窓辺に置かれたお香の煙が、風に乗って窓の外へ流れ出してゆく。煙の作る薄い筋を、私はぼんやりと見送る。
もうじき夜が薄れてゆくだろう。そして東から真っ直ぐに陽光が伸びて来る。闇は光に溶けて、辺りは明るさに包まれるだろう。娘は大の字になって、寝息を立てている。私は椅子から立ち上がり、彼女の寝顔にしばし見入る。子供は三歳までに親孝行を全て終わらせているんだよと誰かが言っていたが、確かにそうだと思う。彼女の寝顔はいつだって、私を綻ばせてくれる。大丈夫、明日だって頑張れる、そう思わせてくれる。 今、私の心の中に小さな変化の芽が頭を持ち上げていることを、私は全身で感じている。それが薬なのか毒なのか、それは分からない。でも、どちらであっても、それを受け止めていこうとする自分がいることを、強く感じる。 そう思うすぐそばから、私は、自分の体を切り刻みたい衝動に駆られ、慌てて横たわる娘のそばから離れる。そんなことしないで済むように、自分を落ち着けようとお湯を沸かす。やがてぐつぐつと音を立ててお湯が沸き、私はそのお湯を使って濃い目のお茶を入れる。そうしている間にも、あれほど濃く辺りを包んでいた闇色が、少しずつ少しずつだけれども緩んでゆく。
先日友人に、ふと漏らしてしまった言葉を思い出す。或る場面に出会うと、私の心の半分が死ぬの、まるであっという間にドライフラワーになってしまう感じ。そしてそのドライフラワーは、掌で握ればくしゃっと潰れて、粉々になるでしょう? そんな現象が、私の中で起きてしまうの。 生き残ってるはずの心半分は、必死に踏ん張るんだけれども、喪失したもう半分に対して嘆くから、私は苦しくなるの。何とか立っていなくてはと足を踏ん張るんだけれども、その足さえ片方が、くしゃくしゃと音を立てて粉々になってしまったりするの。それを止めたいと何度も思うのだけれども、止めようがないの。私の手の届かない奥底で、そういう変化が私の中で起きてしまうの。
だからといって、最初から諦めることだけはしたくない。粉々になって風に飛ばされるなら飛ばされればいい。それでも私は、きっと、残った半分で生き延びようと必死になるだろう。それは分かっている。 できることを、ひとつひとつ、積み重ねてゆくしかない。熱いお茶に口をつけ、一口すすってみる。そういえば、薬をお茶で飲んじゃだめなのよ、と、母が口うるさく言っていたっけ。思い出して苦笑する。私は頓服を口の中に放り込み、熱いお茶で流し込む。 大丈夫。もうほら、夜も明けてきた。私はまたひとつ、夜を越えた。そうやってひとつひとつ、生き延びていけばきっと、いいこともあるさ。後で振り返ったならかけがえのない時間に思える出来事だってきっといっぱいある。 自分を信じよう。あぁ、朝がもうすぐそこにやってきている。 |
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