2009年02月27日(金) |
朝、友人と話していて改めて気づく。 そうだ、私たちは、 今生きていることが不思議なくらい傷ついて それでも今こうして存在しているのだ、ということに。 それを否定しなくてもいいのだということに。
私は、自分が傷ついていることが罪のように思えることがある。
でも。 もし自分以外の誰かが同じことを言ったら、私は何というだろう。 私は間違いなく、そんなことはない、と言うだろう。そして、 相手に話し続けるんだろう。 どうして罪なことがあるものか、と。 傷ついていて当たり前なのだ、と。 むしろ 今生き残っていることを誇りに思ってよいのだ、と。
私はそれを、私自身に言うことができないだけだった。
いやもちろん、時々は言える。 時々は、生き残ってるだけで十分だし、私は私を恥じる必要なんてないし、むしろ誇りに思ってよいのだと自分に言い聞かせることはできる。そうして深呼吸することもできる。 でもまだ、あの件では、それができない。 それだけのことだ。
私はあの事件の日のことを、映像で覚えている。音声や痛みが欠落したままの、映像だ。朝話をした友人は、ある日その痛みを思い出してしまったのだという。 解離したままでいることの方が楽なのか、思い出してしまう方が次にすすめるのか、どちらなんだろう。 …どちらであっても。 私たちはそれらを、その都度それぞれに受け容れながら、それぞれに歩いていくしかないんだろう。
再び雨の降り出した空を見上げながら思う。 PTSD。それらがもっと、この世の中で受け容れられていきますように。 私たちのような人たちが、もっと生き易い世の中に、なっていきますように。 |
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