2009年08月31日(月) |
雨が降る。窓を開けると一気に風が吹き込む。街路樹の枝葉は斜めになり、ざわざわわと揺れている。 ただそれを見ていた。しばらくの間。あぁ、昨日見た夢とそっくりなのだ、と気がついた。ただそれを、しばらく見つめていた。
駆けつけたはずの馴染みの街角は、いつもと違ってざわめいていた。すべてがスローモーションだった。見なくても多分それは分かっていた。彼女は言葉どおりに飛び降りた後なのだと私の体中が知らせていた。見なくても分かっていたのに。私は見ずにはいられなかった。納得できなかった。 飛び散ったものは白く紅く、アスファルトに散り散りに散っていた。遅かったのだ間に合わなかったのだと自分に言い聞かせる間もなく、それは厳然たる事実だった、現実だった、そこにあるのはただ、死だった。 いつの間にか、雨が降り出していた。私は人垣の消えた街角で、ただ膝を抱えて座っていた。雨は、何の温度もなかった。 ―――夢はそこで、終わっていた。
あの日、家に帰ったのは何時だったろう。今もうその記憶は定かではない。でも、こんな光景をあの日、私は帰り道の何処かで見た。夢の中にそれがあった。
私は窓を開けたまま、台所へ向かった。そして黙々と、娘の今日のお弁当を作り始めた。今日私は病院の日。彼女は午前中で帰宅する。そして私が帰宅する頃には彼女は塾にでかけなければならない。その彼女のために、小さなお弁当を作る。うずら卵を肉で丸く覆ってフライパンへ。その最中に電子レンジでブロッコリーを茹で。ついでだから冷凍シュウマイも解凍して。次々若葉色のお弁当箱に詰めてゆく。最後にミニトマトをブロッコリーの間に入れて終わり。 お弁当の出来上がり。 生きてる証拠。生きてるってことの塊。お弁当。
なんだか急に泣きたくなった。朝だというのに泣きたくなった。だから私は金魚の水槽の前に座って、一本煙草を吸ってみた。水の中、すいすい、ゆらゆらと金魚が泳ぐ。小さい金魚、大きい金魚、決してぶつかることなく水の中。鮮やかな緑の水草が水面に浮かぶ。その水草を避けながら、小さい金魚、大きい金魚、ひたすらに泳ぐ。私の影に気づいて、寄ってくる金魚。餌を求めているのだ。口をぱくぱくさせながら、必死に尾ひれを動かしている。ここにもまた、生の塊。
ベランダで薔薇が揺れている。パスカリが二つ花を開かせている。花びらの縁は細かくひだになり、付け根に向かって今度は一本の美しい曲線が描かれ。一つとして同じ形はなく。真っ白の、生まれたばかりの花。ここにもまた、生の塊。
私の周りには死が溢れ、私の周りには生が溢れ、混沌とそれらは存在し。その只中に私は立っている。 生きているからこそ、ここに立っている。ここに、在る。
見上げると空は濃灰色の雲に覆われ、でもその雲は一時としてとどまることはなく、ぐいぐいと動き。 だから私は手を伸ばしてみる。届くはずのない空へ。ただ真っ直ぐに。
部屋の中に戻ると、娘はまだ寝息を立てている。さぁ私は朝の一仕事を始めなければ。顔を洗って髪をとかして、そして唯一一筋口紅を引いて。 夢はもう過ぎ去った。彼女はもうここにはいない。彼女に再会することがあり得るとしたらそれは、私が死んだ先だ。今ここで彼女をいくら想ってみても、もうどうすることもできない。 私は私の周りに溢れる死をひしひしと感じながらも、同時に生に塗れてここに在ることを、しかと噛み締めなければ。
夜は明けた。朝が始まった。私はただそれだけを貪り、次の一瞬を生きる。 |
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