見つめる日々

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2010年08月31日(火) 
薬を変えてもらったおかげなのか、久しぶりに眠ることが出来た。夢にも追いかけられず、娘の足蹴りは二度ほどあったけれど、まぁそれはよしとして。やっと頭の芯の傷みが和らいだという感じがする。
起き上がり、窓を開ける。空は薄曇。灰色と水色とがゆっくり混ざり合ったような、そんな色合い。ベランダに出て大きく伸びをする。ぬるい空気が私の体に纏わりつく。何だろう、昨日よりずっと湿気を感じる。それにしても、朝からこの温度、昼には一体どれだけ上がるんだろう。想像したくない。
しゃがみこみ、ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝を解く。解きながらいつも思うのは、うちのラヴェンダーは細く長く伸びるという特徴。もうちょっと太くなってくれれば、上へ上へ伸びるのだろうに、そうならない。横に横に這うように広がる。だからデージーと絡まり合ってしまうのだ。でもそんなデージーももうじき終わり。こうやって解く作業も、やがて終わりになるんだろう。そう思うとちょっと寂しい。
横に横に広がっているパスカリの、長く伸びた枝の先の蕾。本当にまだ小さいけれど確かにそこに在って。まだ新葉の群れの中に埋もれている。あと数日もすれば、多分くいっと枝が伸びて、蕾が一段高いところに見えてくるだろう。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。今朝もまた新芽を開かせている。でも、上から見るととっても不恰好だ。窓側の方がちっとも伸びてこない。やっぱり太陽の光がこちら側にあるせいなんだろうか。多分そうなんだろう。正直者。
友人から頂いたものを挿し木したそれは、今ちょっと一休みらしい。でも、天辺にもう紅い徴を見せている。これが多分新芽になるんだろう。
ミミエデン。紅色の新葉をあちこちで広げている。もうだいぶ緑色に変わってきた。この、紅から緑へ変わる、そのグラデーションの具合に、いつも私は感嘆する。人がもし絵の具でやろうとしても、こんな滑らかにはいかないだろう。
ベビーロマンティカは、萌黄色の新芽を芽吹かせ。あっちこっちからそれは広がっており。まだ花芽は見えないけれど、今回はどうだろう。蕾はあるだろうか。今咲いている一輪の花が終わる頃には、次の蕾が咲いて。その次は、さてどうだろう。
マリリン・モンローも新芽を数箇所から芽吹かせており。赤い縁取りをもったその新芽。開いていくのと同時にその縁取りは消えてゆく。新芽にだけ在る徴。
ホワイトクリスマスは、今ほっと一息ついているところらしく。どこからも新芽の気配は見られない。花を咲かせたばかりだもの。休んでね、と、私は心の中、声を掛ける。
アメリカンブルーは今朝も三つの花を咲かせてくれており。薄い灰色の空の下、その青い花びらは目が覚めるような色合いで。私は小さな声で、おはよう、と声を掛ける。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ふくぎ茶をポットいっぱいに作る。今飲むものには氷を加えて、冷たくして飲むことにする。机に座り、お茶をちびちび飲みながら、煙草に火をつける。ついでに、先日買ってきた檜の香りのお線香にも。
昨日は病院だった。どうですか、といつものように訊かれ、私は、夢見が悪いことを伝える。夢に幾たびも追いかけられるおかげで、全く眠った気がしない。一日が終わらない、ということを伝える。別に薬を増やして欲しいわけじゃなかったのだが、一錠また薬が増えてしまう。私は、処方箋を受け取るとき、まじまじと薬の詰まった大きな袋を見つめてしまった。こんなに大量の薬を、私はいつも飲んでいるわけで。薬の残骸は、一体私の体の何処に溜まっていっているんだろう。十五年という間に、一体何種類の薬を、何錠の薬を私は飲んだんだろう。改めて考えると、ぞっとする。
昨日、HPをアップした。性犯罪被害サポート電話「声を聴かせて」(http://soskoe.sakura.ne.jp)。ようやく始動、というところ。今スタッフは三人。三人とも、性犯罪被害者だ。
何ができるか分からない。何処までできるか分からない。分からないけれど。当事者にしか分からないこと、当事者だからこそできることが、きっとあるはずだ。そう思っている。私もスタッフたちも、それぞれに、いのちの電話や警察の運営する被害者の電話などに電話をかけたことがある。そのたび、二次被害といったら酷い言い方になるかもしれないが、善意の悪意でもって、傷ついた体験を持つ。そういう自分たちだからこそ、できることがあるかもしれない、そんな思いで、今、始める活動。基本、電話でのサポートを行なう。随時メールの相談も受け付ける。そういう形でまず、始めようと思っている。
それにともなって、遠方の友人が、その地方の新聞のとある記事を先日送り届けてくれた。それは、愛知県の新聞の記事で、一つの場所で性犯罪被害者をサポートできるように、と施設ができた、という記事だった。しかしびっくりしたのは、国からの支給は初年度のみで、その後は自治体が丸かかえで引き継がなければならないということ。全国で名乗りを挙げたのが愛知県だけだった上に、一年後には自治体が丸かかえで運営、それは可能なのだろうか。心配になる。そもそも、病院の診察台に乗ること、それ自体に嫌悪感を抱く被害者が多いだろう。この場所へ、どれだけの被害者がSOSを発することができるだろう。できるなら、そういう施設を利用して欲しいが、現実、どうだろう。心配になる。
私が被害に遭った当時より、時代は変化して、いろんなところで小さな被害者の声が上がるようにはなった。実際に裁判で有罪判決が出るようにもなった。しかし。
まだまだだ、と私は思う。こういった犯罪の殆どは、表に出てこない。表に出てくるまでにどれほどの時間を必要とするか。それを思うと胸が痛くなる。
とにもかくにも、声を聴かせてはここから始まる。少しでも、被害者の声を聴けたら、と思う。生きているよ、と、今必死に生きているよ、と、その声が聴けたらと思う。あなたはひとりぼっちじゃないんだよということを、届けられたら、と思う。

今、今年の冬の展覧会、「あの場所から�検廚亮命申犬虜鄒�を行なっている。それにともなって、私自身もテキストを書く。友人たちから届いたテキストを編集しながら、私は今年、何が書けるだろう、と考える。
中には、書くつもりでいたけれども、だんだんあの出来事が遠くなってきて、今は書かない方が自分にとっていいかもしれない、という選択をした人もいた。治療が今うまくいっていて、過去に囚われることなく、前に進めるかもしれない。そんな状態にあるという。それはもう、嬉しいことだ。無理をして、傷を抉って書く必要など何処にもない。
今年は、撮影に参加してくれたのが二人、原稿を書いてくれたのは、それに加えてさらに三人、という具合になった。
彼女たちの「声」に耳を澄ましていると、自分がつい見落としていたかもしれないことに気づかされる。いつもそうだ。同じ被害者であっても、感じること、傷つくところはひとつじゃない。同じというわけではない。
そしてもう一つ、秋に為す展覧会、「花流季」、これも今回は、性犯罪被害およびDV被害を受けながら生き延びている友人にモデルになってもらった。その写真を展示する。
時々問われることがある。どうして彼女たちの傷をもっと写そうとしないのか、と。そうすればもっとよく分かる写真になるんだろうに、と。そう言われることが、多々ある。
でも私は撮らない。それは私が撮る写真じゃぁない。
彼女たちは「今」を懸命に生きている。必死になって「今」を乗り越えようと踏ん張っている。それが分かるからこそ、私は、彼女たちの「今」を、あるいは「未来」をこそ、撮りたいと、そう思っている。たとえそれによって、伝わりづらい写真になったとしても。
展覧会まであと僅か。ラストスパートだ。準備しなければならないことは山ほどある。しっかりやっていかなければ。

じゃぁね、それじゃぁね、また後でね、今日図書館行くんでしょ。うん。じゃぁね! 手を振って別れる。
今朝も玄関を出ると、蝉が二匹、転がっていた。もう一匹は息絶えており。でも。私は二匹とも、手すりの上に乗せた。潰されないよう、せめて、人に踏まれないよう。
階段を駆け下り、自転車に跨る。坂道を下り、信号を渡って公園の前へ。耳を澄ます。蝉の声はだいぶ小さくなってきた。彼らの季節が終わろうとしているのだ。そのことを思ったら、胸がきゅっと鳴った。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木が一段と大きくなってくれたおかげで、ちょうどいい日陰ができている。その日陰を通って、さらに私は走る。
さぁ、今日も一日が始まる。しっかり歩いていかねば。


2010年08月30日(月) 
夢見が悪くて何度も目が覚める。気持ちの悪い、おどろおどろしい夢で、起き上がるたび、体が震える。どうしてこんなにも何度も繰り返し、そんな映像が頭に浮かばなければいけないんだろう。思っても思っても、そこから抜けられない。
ようやっと眠りについたと思った瞬間、娘の足が飛んでくる。ちょうど私の顔面。痛い、と反射的にその足を叩く。叩かれた方はさぞや痛いだろうと思うのだが、娘はびくともしない。ぐーかー眠っている。私は蹴られた顔面をさすりながら、羨ましくなる。
結局明け方、ようやっと二時間ほど眠ることができたが、寝不足は顔に出て、すっかり浮腫んでいる。丹念に顔を洗い、マッサージをし、どうにか見られるようにはなったが、我ながら情けなく思う。
窓を開け、ベランダに出る。アメリカンブルーの三輪の花が出迎えてくれる。なんだかほっとしながらその花を見つめる。青く青く、目の覚めるようなその色。そっと指で花びらに触れてみる。ちょっと間違えたら花びらが折れてしまうんじゃないかと思うほど薄い花びらなのに、ぴんと張って、私の指の腹を押し返す。強いんだ、そのことに訳もなく心が震える。
留守にしていた週末、その間に、ミミエデンがうわっと新芽を芽吹かせた。どこにこんなにたくさんの葉を隠していたのかと思うほど。吸血虫のせいで縮れた葉の上に、さらに覆い被さるようにして開いてきた新芽たち。まるで私を慰めようとしているかのようで。ありがとうね、と小さく呟く。
ベビーロマンティカも、ミミエデンに負けず劣らず、新芽をふき出させている。こちらはミミエデンの紅色の新芽と違って、萌黄色の新芽。その中にもしかしたら花芽も隠れているのかもしれない。そんなベビーロマンティカは、今ひとつの蕾を咲かせようとしているところ。
マリリン・モンローも、これまた新芽を出している。赤い縁取りのある新芽たち。マリリン・モンローは、どう言えばいいんだろう、塊で新芽をぶわりと出してくるところがある。今回もそう。
ホワイトクリスマスは、花が開ききってしまった。留守の間にごめんね、と心の中、謝る。鋏でちょきんと花を切り落とす。長めに切って、その一部を挿し木にしてみる。根付くかどうかは分からないが、とりあえず。
横に横に広がっているパスカリは、その枝の先っちょに小さな花芽をつけた。多分花も小さめだろうけれど嬉しい。花が咲いたら、枝を大きく切り詰めてやろうと思う。
友人から貰ったものを挿し木したそれは、私の留守中にまた新芽を芽吹かせ、すでに紅色から緑色へと葉の色を変化させている。二本在るのだが、その二本、くっつけて挿しすぎた気がする。季節が来たら、植え替えてやろう、私は心にそう、メモをする。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹も、新芽を何枚か開かせた。この週末は、私が留守だというのに、本当に大きな変化がこのプランターたちにあったのだなぁと思う。その変化をじっと見つめることができなくて、本当に残念だ。
そして最後に、ラヴェンダーとデージー。娘が言っていた、ミルクとココアはデージーが好きなんだよ、と。そんなところにハムスターたちを連れてきているとは露知らず。どうも、ここに連れてくると、ミルクとココアは狂喜して、デージーの葉を噛み噛みするのだそうだ。何故なんだろう。そんなデージーはもう、終わりを迎えている。褐色に変化したその枝葉。もうそろそろ抜いてやる時期なんだろうか。そこのところが私はよく分からない。母ならきっと、そういうのがすぱんと分かるのだろうに。それを思うとちょっと悔しい。でも私は何故か、種より枝の方が好きなところがある。理由は自分でもよく分からないのだけれども。絡まり合った枝葉を解きながら、種はいつ取ったらいいのだろうと考える。そういうタイミングさえ、よく分からない。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ふくぎ茶をポットいっぱい作る。最近これをアイスで飲むのが好きになった。アイスにすると、ふくぎ茶の爽やかさがさらに引き立つように感じられる。不思議だ。
机に座り、煙草に火をつける。ゆっくりと吸い込んで、ふぅっと吐き出す。ただそれだけのことなのだが、私はふっと自分の強張った体が緩んでいくのを感じる。窓の外、薄く雲のかかった空。水色と灰色をちょうど半々で混ぜたら、こんな色味になるんだろうか。
娘が夕べ、ぼろぼろ涙をこぼしながら、テレビを見つめていた。一人のタレントが、必死にゴールを目指して走る姿がそこには在った。娘はぼろぼろ涙を零しながら、今どんな気持ちなんだろう、今どんなに体痛いだろう、と繰り返し呟いている。私は、自分が昔、走っていた頃のことを思い出す。私は後半が好きだった。きつくなってきて、きつくてきつくてたまらなくなってきたその直後、ふっとそれが抜ける瞬間があって。それが抜けると、何故か足が勝手に走り出す。体が勝手に反応し始める。そんなところがあった。どんなにきつくても、ゴールする瞬間というのはたまらなく爽快で。でも、ゴールしてもまだ、走れそうな気持ちさえして。よく、しばらく小走りに歩き回っていたのを思い出す。
そのタレントがたまたま、ニューハーフだとかで。そのことをテレビの人がやたらに繰り返す。でも。
見ている私や、そして多分娘にとっても、そんなことどうでもよかった。彼だろうと彼女だろうと、一人の人間が懸命に今走っている。そのことが、胸をかきたてるというだけで、彼だろうと彼女だろうと、そんなこと、関係なかった。何故そんなに、繰り返し、性のことばかりテレビの人は喋っているのだろう。そのことが不思議だった。
見終わった後、顔をぐちゃぐちゃにしながら、すごいねぇと娘が言った。私も、よかったねぇと返事をする。ママ、感動しないの? 娘が尋ねてくる。感動してるよ、でも、なんで男とか女とか、いちいち言うんだろうって思って聴いてた。あ、それ思うよね、どっちでもいいじゃんねぇ、そんなの。娘も首を傾げる。
なんだかふっと、突然ふっと思った。男だからとか、女だから、とか、そういうのってどうして、いろんなところでついて回るんだろう。男だから、女だから、そんなのどうだっていいじゃないか。男が料理して何が悪い。女が走って何が悪い。そんなのどっちだっていいじゃないか。その一人の人間が、懸命に為したことなら、それは性に関係なく正当に評価されるべきで。何故なんだろう。そうならないのは。
娘が突然言う。私、女に生まれてきて、損したの? はい?? な、なんでそんなこと思うの? だって、男より弱いし、男より女はできないってイメージがあるし。私、女に生まれてきて、損したのかなぁ。うーん、ママは、女に生まれてきて損したこと、確かにたくさんあるけど、女に生まれてきて後悔はしていないよ。そうなの? だって女だからあなたを産めたわけだし。それだけじゃん。そ、それだけって、それって大きいことじゃない? 子供産めるだけで、他は全部、男より弱いじゃん、女って。男より、下じゃん。下? 下だよ、下。なんか、男の方が有利じゃん。あぁ、そういうことかぁ。うーん、ママもそれは、おかしいと思うよ。女だろうと男だろうと、いいじゃんねぇ。ママ、私が男に生まれればよかったって、思ったこと、ない? ん? 産む前、男の子が生まれると勝手に信じてたから、女の子が生まれてきてびっくりした、っていうのはあったよ。私がそう言って笑うと、娘も苦笑する。でも、ママは、あなたが女の子でよかった、と今は思ってるよ。どうして? こうやっておしゃべりもできるしね。…そうなの? うん。でもさ、私が男の子だったら、ママを守ってあげられたかもしんないじゃん。はははははは。それは逆でしょ、ママがあなたを守ってあげなくちゃならない立場で。いやいや、違う、私がママを守らなくちゃならないんだよ。なんで? なんでも! ははははは。

友人と話しながら、友人が今、まさに恋の真っ只中にいるのだな、と思う。私と一つしか違わない彼女。その彼女の、燃えるような恋の様子を聴くにつれ、私は一体何をやってるんだろうかと思うことがある。私にとって、恋は、とてもとても、遠い。何故だろう、とてつもなく遠い。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れようとした瞬間、校庭でスプリンクラーが回り始める。うわぁと声をあげ、二人して見入る。東から広がる陽光に輝く水たち。校庭全体に、小さな虹が広がっていく、そんなようにさえ見えた。
私は階段を駆け下り、バス停へ。足を踏み出そうとしたそこに、蝉が転がっていた。こわごわ指で摘む。僅かに抗う蝉。私は、誰にも踏まれない場所へ、蝉を運ぶ。ここなら大丈夫。塀の上に蝉を乗せ、そうして私はちょうどバスがやってきたバス停へ走る。
女性専用車両に滑り込み、ほっと一息。急行は、やがて病院最寄の駅に辿り着き。どっと人が降りる。私はその人ごみに塗れぬよう、一足先に飛び降りて、階段を駆け上がる。
さぁ、今日も一日が始まる。


2010年08月27日(金) 
この二日、連続して娘が、寝ながら九十度回転してくれる。おかげで彼女のでっかい足が、私の腰に命中するという具合で。絶対に目が覚める。布団の一番端っこに逃げて、体を丸めて何とか再び眠ろうと試みるのだが、うまくいかない。どうやったって彼女の体はもうそれなりに大きいのだ。私が多少避けたからって、何とかなるもんじゃぁない。
そんな彼女の体の大きさを思うと、よくまぁここまで無事に育ってるなぁと思う。彼女が泣きながら私の胸に寄りかかってくるとき、私は足を踏ん張らないと、後ろに倒れそうになる。健康優良児、といえばいいのか。まさしく彼女の身長と体重はそういう感じだ。でもそのおかげで、私は楽をさせてもらっているのだから、感謝しなければいけない。
彼女が熱を出す、風邪を引く、おなかがいたくなる、そういったことは、本当に数えるほどしかない。まだ乳飲み子の頃、確かに彼女はよくおなかを壊した。とんでもなく臭いうんちでそれを教えてくれた。でも、いつでも上機嫌で、ふっふと笑って転がっていたのだった。そのまんま大きくなって、私と二人暮しになってからも、彼女は寝込むということがない。子供が寝込まないということが、どれほど親にとって助かることか。そのことを強く思う。私が寝込んでも、彼女は今ではもう、作り置きの冷凍おにぎりを自分で温め、食べてくれる。
昨夜、娘に言われて思い出し、一学期末に渡された「あしあと」というプリントにコメントを書いた。夏休み中に頑張ったことを書くことになっている。私が「読書を特に頑張りました」と書き込むと、娘は嬉しそうににっこり笑った。図書館で借りたもの、じじばばに買ってもらった本、私が子供の頃読んで取っておいた本、いろんな本を彼女は読んだ。その何冊かに感想文までつけてくれた。いい思い出になる気がする。
結局、三度目、彼女に蹴られて、寝るのを諦めて私は起き上がる。空はうっすら雲がかかっているものの、きれいな水色だ。今日もまた暑くなるんだろう。天気予報を最近見たくないと思う。見るほど、暑さを思い知らされてうんざりするからだ。テレビで見るものは、私にとって唯一天気予報といっていいくらいのものだったのに、それさえ見ないとなると、私にとってテレビは、大きな大きな空箱のようなものだ。
昨日、再びHPのことで友人と会う。麦藁帽子を被った彼女は、何枚かの版画とペン画を持ってきてくれた。これを頁に適当にあしらったら、彼女の味がなおさらに出ると思う。それにしても。学校が始まってからもうじき一年。こうやって一気に開業へ向けて走る彼女と、自分との違いを思う。
ベランダにしゃがみこみ、ラヴェンダーとデージーの絡まり合った枝葉を解く。よほどそっとやらないと、デージーがもう切れてしまう。終わりを迎えたデージー。種を母にと思ってはいるものの、草類を育てるのが殆どない私にとって、こうした終わり方は何と言ったらいいんだろう、ちょっと不思議だ。枯れるべくして枯れてゆく、そうした姿を見送るのはまるで、人が自然に死んでゆくのを見守っているかのような気がする。
パスカリの、横に横に広がって行っている一本。棒を立ててやってから、少し楽になったのか、新芽がまた出始めた。花芽はないけれど、それでもあの吸血虫からも解き放たれて、元気になってくれたようだ。ほっとしながら私は、それでも念のため、葉を指で拭う。
もう一本のパスカリは、吸血虫の影響が色濃く出ていて。くっついている葉の大半が、半分茶色くなってしまった。こちらも今は、吸血虫はほとんど残っていないらしい。どういう条件で吸血虫は出てくるんだろう。私は首を傾げる。あの一時期だけ、ということはないと思うのだが、今、こうやって見渡しても、あの頃のように明らかに存在しているという気配はない。
桃色のぼんぼりのような花を咲かせる樹も、新芽を出し始めた。ベビーロマンティカと同じく、これは新芽が赤くもならないから、突然ひょいっと葉が広がっていて、あっと気づく。今回も、三枚もの葉が伸びてから、あら、新芽だ、と気づいた。気づくのが遅くなってごめんね、私は心の中、小さく詫びる。
友人から貰った枝たちは、今日も元気だ。一本は紅い新芽を出している。このままぐいぐい大きくなれよ、私は何となく声を掛ける。それにしてもかわいい。ぺろん、と艶やかな葉を広げ、ちょっとごめんよ、といった具合に伸びてくる。
ミミエデンは、吸血虫にやられた新葉を、それでも懸命に伸ばして広げて。切ないくらい一生懸命だ。こういう樹を見ていると、サバイバーである友人たちの顔がちらほら浮かぶ。何度でも幾度でも、這いずって立ち上がって、生きようとする友人たちの顔が。
ベビーロマンティカはあっちこっちから新葉を萌え出させ。蕾もふたつ。吸血虫は、ベビーロマンティカにも憑依したが、他の種類より被害は少なくて済んだようだ。新芽のひとつが歪んでいるだけにとどまっている。
マリリン・モンローは、花をふたつとも切り落としてやると、今度はひょいっと紅い新芽を出してきた。頑張ってるなぁと思う。こんな暑い強い陽射しの下、懸命に葉を広げ、伸ばし、生きようとする姿。逞しい。
ホワイトクリスマスは、蕾が綻び始めた。予想よりずっと早く綻んできた蕾を、私はまじまじと見つめる。美しい白い花弁が、ひらり、ふわり。鼻をくっつけると、私の大好きなあの、涼やかな香りが漂ってくる。
私の手元に、昨夜遅く、一冊の本が届いた。図書館で見つけ、開いてすぐ、これは手元に置かなければと思った本だ。エレン・バスとローラ・デイビスによる「生きる勇気と癒す勇気」という本。副題は「性暴力の時代を生きる女性のためのガイドブック」とある。子供の頃に性的虐待を受けた人たちに向けて書かれた本だが、内容は、私たちのような人間にもとても役に立つ。「性的虐待の被害が、人が生きる基盤として必要とすることをどんなに手ひどく奪い去るか、また人はそこから自分の力をどのように認め、どのように回復していくのかということをこの本は示している。傷ついた人が一歩を踏み出すのは大変な勇気のいることだ。自分が生きていくためだけでも、大きな勇気を必要とする。頁を捲る勇気までは出てこないときには、本を持っているだけでもいいかもしれない。本はいつでも待っていてくれる」。そんな言葉が、新装版発刊にあたって、書かれている。本当にそうだと思う。本は決して読み手を急かしたりしない。その「時」が来るまで黙って待っていてくれる。そしてこの本には、性犯罪被害者にとって必要なことが、具体的にたくさん書かれている。こんな本があったことに、私は今の今まで気づかなかった。もっと早く気づけていたら、と思うと、ちょっと悔しくなるくらいだ。でも、私にも、「時」が必要だったんだろう。今が出会う「時」だったんだろう。そう思う。

ママは何で本読むの? なんでって、読みたいから読むんだよ。だから何で読みたいの? うーん、そうだなぁ、ママが考えてもみなかったことや、ママが思ってもみなかったことがいっぱい詰まってるから、かな。そういうこと、その本と出会わなければ、ママは知らないまま生きていることになったかもしれない。そう思うと、もっと本読みたい、って思うんだよ。それとね、単純に、活字が好きなのかもしれないな。活字? うん、書き言葉のこと。書かれた文字を辿るっていう作業が、ママは単純に好きなんだと思う。あなたはどうして本を読むの? 面白いから。どういうところが面白いの? うーん、自分がしたい恋愛とか、いいなあって思うこととか書いてあったりして、感動したりもするから。そかそか、それと殆ど同じだよ、ママが本を読むのって。そうなの? ママは勉強のために本読んでるのかと思ってた。ははは、もちろんそういう時もあるよ。勉強のために本を読む。でも気がつけば、本に夢中になってて、勉強することなんて忘れてることも、ある。ふぅーん。変なの。そう? うん。
ねぇねぇママ、どうしてNさんは、お返事くれたんだろう。本もくれたよ。そうだねぇ、それは、あなたが一生懸命感想文書いて、Nさんに届けて、それがNさんの心に通じたからだと思うよ。大人の男の人って、そういうんじゃないと思ってた。どういうのだと思ってたの? うーん、大人の男の人って、もっとつんけんしてて、冷たいのかと思ってた。あら、あなたの周りにいる、HさんやKちゃんは、どう? いっぱい遊んでくれるお友達。あの人たちだって一応大人の男の人だよ。いや、違う。HさんやKちゃんはお友達なんだよ。ははは。そうか。そういう区分けをしてるんだね、あなたは。でも、あなたが誠心誠意尽くしたものを、拒絶するオトナがいるとしたら、それは、大人失格だとママは思うよ。そうなの? 子供が悪いんじゃないの? なんで子供が悪いと思うの? うーん、オトナはエライと思うから。えーーー、オトナは全然偉くなんかないよ。ちっとも偉くない。単に、長く生きてる分だけ、多少、物事を多く体験してるってだけだよ。だってさー、大人の男の人って、電車の中でも、こう、難しい顔して、不機嫌な顔して、ぎゅうぎゅう押してきたりして、感じ悪い人多いもん。ははははは。そういう人たちばっかりじゃないってことだよ。ちゃんとした「オトナ」も、いるんだよ。そうなんだぁ。ふぅーん。

じゃぁね、学校、遅れないようにね。うん、ママも頑張ってね。そっちもね。手を振って別れる。玄関前には、蝉が一匹、ひっくり返っている。私はそっと指で持ち上げ、手すりに蝉を置いておく。これなら間違って足で潰されずに済むだろう。
階段を駆け下り、自転車に跨る。坂を下り、信号を渡って公園の前へ。公園の蝉の声は、徐々に徐々に、小さくなってきている。掠れてきている、とでもいうべきなんだろうか。蝉たちに、最期の時が来ているのだな、と、強く感じさせられる。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木を走って、さらに大通りを渡り、左へ曲がる。ちらほらと人の姿が。誰もが朝から汗を拭っている。
ふと空を見ると、さっきまで水色だった空に、薄く雲がかかっている。あぁ、だから焼け付くような暑さがなくて済んでいるのか、私は改めて気づく。
そのまま真っ直ぐ走り、Y駅方向へ。駐輪場のおじさんたちとはもう顔見知りになっている。おはようございます、おお、おはよう。その声に押されるように、私は自転車を止め、そこから早足で歩き出す。
さぁ、今日も一日が始まる。


2010年08月26日(木) 
起き上がり、窓を開ける。闇の薄らみ始めた西の空にぽっかり、丸い月が浮かんでいる。見事なほどそれは煌々と輝き。私はしばし見惚れてしまう。
言葉の通じない人っている。たとえば、ありがとうございます、と言いながら、すぐその後に、でも、と続ける。だったらありがとうございますと言わない方がいいんじゃないだろうかと思う。そこではっと気づく。あぁ、ゲームだ、と。交流分析でいうところのゲームだ。私はゲームを仕掛けられてたのか、と。気づいて笑ってしまった。もっと早くに気づくべきだった。そうであれば、私はただ、にっこり傍観していればよかったというのに。ひとつひとつ丁寧に返答しようと努力してしまった。それじゃぁ相手の思う壺だ。さらに、ありがとうございます、でもね、と続けてくるんだろう。決めた、もう下手に返答するのはやめよう。にっこり笑って、黙っていよう。このままいったら、両方でいやな気分になるだけだもの。
サポート電話用の、HPを作っている。作りながらふと、思いついた。貸し出し図書を一緒に為すことはできないんだろうか、と。図書館に行けばもちろんそれで済む。でも、被害者の人たちはそういった場所に出ることさえ難しいことがある。なら、私の手持ちの本を、貸し出すことはできないんだろうか。
それも合わせて、頁を作ることにする。実現可能かどうかまだよく分からないが、思いついたからにはやってみないと。今はもう、そういう勢いで、作る。
だんだん空が水色に変わってきた。私は開け放した窓からベランダへ出、大きく伸びをする。月はまだ煌々と輝いている。こんな時間まで、あんなに鮮やかに輝いているなんて。私はどのくらいぶりでこんなふうに月を眺めるのだろう。すごく久しぶりな気がする。
ベランダの、ラヴェンダーのプランターの脇、しゃがみこむ。ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝葉を解く。解いていて、突然、すっと何かが抜けた。デージーだ。デージーの一枝が、すっと抜けた。それはもうすっかり乾いて褐色になっており。あぁ、終わったのだ、と思った。まだデージーはプランターの中、残っているけれど、でも、デージーの季節は終わったのだ、と。
紅い花を咲かせた枝の横で、もう一本枝が育っている。今また新たに紅く染まった新芽を芽吹かせている。こちらは何色の枝なんだろう。まだ分からない。じきに小さくてもいい、咲いてくれるといい。祈るようにそう思う。
パスカリの、支えの棒を挿した方、葉を下から順番に拭ってゆく。とりあえず、あの吸血虫の襲撃は、一段落ついたようだ。指先には何もつかない。よかった。本当によかった。それにしても、吸血虫は、ずいぶんと私の薔薇を痛めつけてくれた。もう一本のパスカリなど、ついている葉のほとんどが、半分茶色くなってしまった。可哀相に。私の手当てがもうちょっと早ければ、ここまでならなかったかもしれないのに。本当に申し訳なく思う。
ミミエデンの新芽は、どれもこれも吸血虫の影響で、葉が歪んでいる。真っ赤な新芽のはずなのに、歪んだ部分、つまり吸血虫にやられたところだけ、緑色。つまり赤と緑の斑模様になっている。ごめんね、私は呟くように、ミミエデンに言ってみる。
ベビーロマンティカは、吸血虫の影響を多少は受けているが、まだ比較的ましな方で。新芽の一部が歪んでいるだけで、半分は無事。半分開きかけたはずの蕾が、まだそのままで止まっている。もう一個の蕾は、徐々に徐々に膨らんできている。
マリリン・モンローの、二つ目の蕾が、綻んだ。と思って正面に回ってみると、これは綻んだというより、咲いたというべきだと気づく。これも小さな小さな花だった。やっぱり肥料が足りないんだろうか。最初に咲いた花の大きさとは、倍以上に違う。私はそれをそっと切り、一輪挿しに挿す。そして余った枝葉は挿し木にする。
ホワイトクリスマス、花をぴんと天に向けて立っている。白い白い、いや、少しクリーム色がかった白い花びらを、すっと見せて。指で撫でると、ひんやりした感触が伝わってくる。もうじき咲くんだね、私は声を掛けながら、咲いたときのことを想像する。
アメリカンブルーは、ふたつの花を咲かせており。今日の空をぎゅっと凝縮させたら、この青になるんだろうか。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ふくぎ茶をポットいっぱいに作る。これがないともう、一日を過ごせない。そのくらい、今このお茶にはまっている自分がいる。これを紹介してくれた友人にそのことを話したら、大笑いされた。そこまでおいしいお茶だとは思わないけれど、と笑われたが、私には、ハーブと合わせてもおいしいし、そのままのんでもおいしい、貴重なお茶だ。紹介してもらったことを本気で感謝してたりする。
昨日は、娘と一緒に混雑する電車に乗った。最初、私が、娘が潰されないように庇っていたのに、だんだんと娘の様子が変わってくる。私の後ろに立つ人を睨みつけるようにし、そうして私をどんどん庇っていこうとする。どうしたのだろう、と後ろを振り返ろうとして、娘が、やめな、と合図を送ってくる。娘の様子からしか判断できないが、どうも娘から見て、あやしい人らしい。私は、ちょうど駅について人が出入りしている最中に、娘と一緒にさらに奥へ逃げる。
ママ、いっつもこんなに混んでる電車に乗るの? そうだね、学校へ行くときはそうだよ。ママ、電車だけで疲れちゃうでしょ。うん、疲れる。そうだと思った。こんな電車、最悪だよ。娘がぶちぶちと文句を言う。そんな娘に、私は苦笑してしまう。
ようやっと目的の駅に着いて、待っていると、友人がやって来てくれる。やぁやぁ遅れてごめんね、といつものように笑っている。その笑顔に救われたのか、娘が友人めがけて飛んでゆく。これから娘と友人はプールへ、私は学校へ。娘たちと手を振って別れ、私は教室へ駆け込む。
傾聴の授業。何の役もやりたくなかったのだが、何故か、クライエント役とカウンセラー役、両方が回ってきてしまう。でもまぁ、これも勉強勉強と自分に言い聞かせ、何とかこなす。
ようやっと授業を終えて出ると、電話が鳴る。弟からだ。急遽頼みたい仕事があるから、午後、空いてるか、と。じゃぁ急いで帰宅するから、と約束し、私は電車に乗る。帰りの電車は楽だ。座ることさえできるほど空いている。私は朝からの疲れを、座ることでせめて多少でも癒そうと努力してみるのだが、何とも情けないことに、立ち上がるとふらふらしてしまう。これじゃぁあかんと思って、薬屋へ飛び込み、滋養強壮剤をぐい飲みする。こんなの気休めと分かってはいるのだが、分かってはいても、気休めでも何でもいいから縋りたくなるときがある、というもの。
弟との仕事が終わっても、娘たちからは何の連絡もない。結局、夜遅くなって、ご飯食べて帰るよとメールが届く。そのメールに、娘がゲットしたのだろうぬいぐるみが写っており。笑ってしまう。

「あの場所から」の今年の撮影に参加してくれた子から、原稿が届く。これで今年は原稿が出揃った。もう一人書きたいという人がいたのだが、その子は急遽入院が決まってしまった。残念だが、またの機会に、という彼女の言葉を、今は受け取って、ただただ彼女が快方に向かうのを祈るのみ。
さぁ、あとは私の一人の作業だ。写真集、配布プリント、作品作り、全部、一人の作業。DMは注文するだけの状態になっている。まずは配布プリントと写真集をどうにかしてしまおう。
作品は、最後、絞込みが残っているが、これはもう、気持ち次第で何とかなる。
展示は十月から十二月。みんなの思いが詰まった展覧会だ。何とかいい方向に持っていきたい。

ほら、行くよ。わかってるってば、ちょっと待って。何してんの。ココアとキス。ったく、そんなのまたにしなよー。今行くってば! 娘と一緒に玄関を出る。
校庭を見ると。工事現場でよく見るようなショベルカーなどが並んでおり。そして校庭の端には、新しい砂利が山になっている。あ、新しい砂利、敷くんだね。そうみたいだね。色が全然違う。うん、違う。でも、学校、27日からだよ、間に合うのかな? うーん、間に合うんじゃない?
そんなことを話しながら、階段を二人して駆け下りる。自転車に跨り、坂道を下る。信号を渡って公園の前へ。ママ、蝉の声が小さい。うん、小さくなったでしょ。蝉の季節も終わりに近づいてるんだよ。そうなんだ、そっかぁ、寂しいね。そうだね、寂しいね。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木の脇を、ぐいぐいと自転車を漕いで走る。強い陽射しが、容赦なく私たちに突き刺さる。
とりあえず海の公園でサンドウィッチを食べよう。私たちは真っ直ぐに走る。見えてきた海は、紺色を少し明るくさせたような色合いで。何処かで汽笛が鳴った。
さぁ、今日も一日が始まる。


2010年08月24日(火) 
娘と喧嘩した。いや、喧嘩というより、私が彼女を叱った、というべきなのだろうか。怒った、というべきなのだろうか。その辺りがよく分からない。分からないが、間違いなく私は彼女を泣かせた。私は嘘をつかれるのが何より嫌いだ。約束を多少守らなくたって、まったくもう、で済むが、嘘は別だ。そこは譲れない。
叱りつけ、むくれている彼女の頬を軽く叩いた。多分、叩かれた方より、叩いた私の心の痛みの方が強いんじゃないかと思うくらい、情けない叩き方だった。それでも私は彼女を叩いてしまった。それに変わりはない。
一瞬呆然として、それからしばらくしてぼろぼろと涙を零す彼女の顔を、私は見ていられなかった。でも、目を逸らしたらそれは私のずるさだと思って見つめた。彼女がごめんなさいと言い、それでも私は最初、受け付けなかった。受け付けない私を感じたのか、彼女はじっと私の隣に立って、私を見つめている。私も彼女を見つめていた。本当は、すぐさま、ごめんね、と私の方が言いたかった。
半泣きの状態で、彼女を送り出し、私は、彼女の涙の粒が残った部屋の中、ひとり、佇んでいた。そして、あぁ、あの頃の、母の気持ちはこんなんだったのかなぁと思った。あの頃の母にそっと、切ないね、と言った。

起き上がり、窓を開けると、うっすらと雲のかかった空が広がっている。この雲はいつまで広がっているのだろう。水色と薄灰色とが入り混じった空。私はしゃがみこみ、ラヴェンダーとデージーの枝葉を解きにかかる。改めて思うが、デージーというのは本当に強いのだなと。どういう隙間にでも芽を出して、きっと育っていくに違いない。そんな強さがある。それに比べて、うちのラヴェンダーは結構デリケートなのだな、と思う。デージーに遠慮して、デージーの上になるのではなく、下に、枝葉を伸ばす。日が当たらないから、それはすごく細い枝葉になる。だから私はいつも、その細い枝葉を上に上に持ち上げて、日が当たるよう、心を配る。
友人から頂いた花束から挿し木した枝、また新葉を伸ばそうとしている。赤く染まったその芽。何処まで伸びてくれるだろう。
パスカリの、横に広がっていっている枝。さすがに支えをしないと、窓を開け閉めするたび擦ってしまう。私は、棒を一本、枝の後ろに挿す。これで支えになればいいのだが。どうだろう。
ミミエデンから、ちょこちょこと、新芽の気配。まだまだ固い芽だけれども、これは確かに新芽だ。そう思ったら、嬉しくなる。どんどん出ておいで。新しい葉を芽吹かせておいで。私は心の中、そう声を掛ける。
ベビーロマンティカは、私がそう声を掛ける隙間もないほど、もう新芽を次々吹き出させようとしており。ふたつの蕾がそれぞれ、その合間にくっついており。ひとつはだいぶ丸みを帯びてきた。今週中には咲くかもしれない。
マリリン・モンローも、それぞれの蕾を真っ直ぐ空に向けて立っており。綻び始めた一つが、そろそろ切ってやった方がいい頃合なのかもしれない。これは小さめの花だ。でも咲いてくれた。それだけで嬉しい。
ホワイトクリスマスは今朝も凛々とそこに在り。まさに在るという言葉が似合うような佇まいで。まっすぐ天に向かって蕾を伸ばしている。ホワイトクリスマスにまでは、あの吸血虫は広がらなかったらしく。葉を拭っても、何も指にくっついてはこない。よかった。私はほっと一息つく。
アメリカンブルーは今朝二つの花を開かせている。真っ青なその色。うっとりしてしまう。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ふくぎ茶をポットいっぱい作る。今日はふくぎ茶の葉にレモングラスを少し足してみた。口に含むと、ふわりと爽やかなレモングラスの香りが広がる。ペパーミントが好きだったら、それを足して飲むのもいいんだろうなと想像する。私はちょっとペパーミントが苦手だからやめておくが。
机に座り、煙草に火をつける。ついでに檜のお線香にも手を伸ばす。火をつけると、すっと涼しげな香りが机の辺りに漂う。とりあえず朝の一仕事にとりかかろうか。私は口紅を軽く引いて、作業にかかる。

考えてみたら、秋の展示は十月下旬から。その準備にかからなければいけない時期だ。まず、先日届いた、前期の展示「花流季」用の原稿を改めて読む。改行だけ訂正したら、そのまま使えることを確認する。私は写真展示の折、写真集と、もし寄せてもらったテキストがあればそれを配布するようにしている。
まず写真集の編集。できるだけ画を大きく見せられるよう、かといってしつこくならないよう、気をつけて配置する。これのどこにテキストを織り込むか。そしてまた、展示する作品の絞込みもしなければならない。
展示は後期もある。後期は「あの場所から�検廚砲覆襦�この展示に際して配布するテキストは、今年少し多くなったから、準備しなければならない分も多くなるということだ。あぁ、新しく紙を買っておくんだった。一瞬後悔。まぁ明日買い足せばいいといえばいいのだが。
作業していると、あっという間に日が傾いてゆく。気づけば空は茜色に染まっており。私は開け放した窓際に立って、大きく伸びをする。あぁ、これだけじゃない、やらなきゃいけないことはまだまだある。

突然電話が鳴る。娘かと思ってのんびりした声で出ると、違った。古い友人だった。私は伸びた声を謝り、改めて電話に向かう。
明後日どうする? と言われて思い出した。そうだ、明後日私は学校で留守だからと、娘の遊び相手になってくれると友人が言ってくれていたのだった。すっかり忘れていた。情けない。
プールの無料券がちょうどあるから、プールに連れて行っていいかい? うんうん、楽しみにしてるんだよ、お嬢。それはよかった。じゃぁ朝駅で待ち合わせということで。よろしくね。こちらこそ。
友人の喋り方は、ちょっと特徴がある。角ばった、というか、きちっとした、というか、そういう喋り方なのだ。
いつだったか、友人に、私が性犯罪被害者だと吐露したとき、友人は本気で怒っていた。どうしてそういうことが在るのか、と。でも、在るんだよ、今この瞬間だって、誰かが何処かで襲われているかもしれない。実際、そういうニュースがちょうどさっき流れた。
友人たちみんなで夜通し遊んで、朝、私の部屋にみんなでなだれ込んだときのことだったと思う。みんなが床で眠ってしまっているとき、友人は私につきあって起きていてくれた。そうして言葉少なかったけれど、話をした。
友人とは妙な縁で、私が高校の頃、自主制作の映画に参加した折に知り合った。以来、まるで腐れ縁とでもいうかのように、細く長く続いている。
娘に、Hさんから電話来たよ、と言うと、飛び上がって喜ぶ。で、プール行くって? うん、プールだって。どんなプールだろう? ママ、知らないからなぁ、どういうプールなんだろう。滑り台とかあるかな? 分かんないなぁ、あるかもしれないしないかもしれない。あるといいなぁ! 早く行きたい! 行く前に、ちゃんとドリルやっといてね。はいはい、わかってるってば。
娘は、どうも読書の方にばかり傾いていて、算数の宿題が追いついていっていない。「みんな塾行ってるから、学校の宿題ちゃんとやってくる人なんて、あんまりいないと思うよ」なんて、暢気なことを言ってのける。読書は、目標の冊数を軽く超えたらしい。それと同様、算数も頑張りなよ、と言うのだが、ふんふん、という返事だけで、やる気配がまったくない。まぁ、宿題を忘れて恥をかくのは本人なのだから、と、放って置く手もあるのだが、それはそれ、これはこれ。やらなくちゃならいことはしっかりやってほしい。なので私は彼女の尻を叩く。ほれ、ドリル! わ、わかったってば。
それにしても。私は本当に恵まれていると思う。うちが母子家庭であることを気遣って、あれこれ世話を焼いてくれる友人がこんなにいるのだから。
同時に、父母の世話も、そろそろ考えなければいけないよな、と思う。どうやったら父母とバランスをとってやっていけるだろう。そのことを、そろそろ真剣に考えなくちゃいけない。

じゃぁね、それじゃぁね、今日ママ、昼戻れないからね。わかってる。ハムサンド、冷蔵庫に作ってあるから。うんうん。じゃぁね。手を振って別れる。
いつもと逆方向、坂を上る。上って上って、今度はだぁっと下り。そこからは平坦な道が続く。二つの川を越えていかなければならない。二つ目の川を越える時、鴎と鳩とが入り乱れて、飛び立つのを見た。彼らはこれから何処へ行くのだろう。
さぁ、今日も一日が始まる。しかと歩いていかなければ。


2010年08月23日(月) 
このところ、起き上がってから欠伸の攻撃に遭って参っている。眠い、というわけではない。眠り足りないわけではない。ただ、欠伸がやたらに出る。しかも大欠伸。おかげで折角顔を洗ったにも関わらず、涙が頬を伝ってばかりで困る。なんでこんなに欠伸ばかり出るのだろう。
窓を開け、ベランダに出る。風はぴたりと止んでおり。そのせいで、蒸した空気がべっとり私の肌に纏わりつくかのようだ。空は灰色と水色を混ぜたような色が今広がっている。時間が経てば煌々と光輝き始めるに違いない。
ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝葉を解く。この習慣も、デージーが枯れたら終わりなんだと思うと、何だかちょっと寂しい。枯れ始めたデージー。もうじき終わりになる。この種が無事に摘めたら、半分は母に贈ろうと思う。
アメリカンブルー、今朝は一輪だけ咲いている。真っ青な花びら。溶け出したらきっと涼しいんだろうな、なんて思う。今冷蔵庫の中に入りたい気分。
横に横に広がり続けるパスカリ。ここまで伸びると、窓に当たってしまってかわいそう。どうしよう、切ろうか、それとも鉢をまた前に出すか。切って挿し木にするのもいいかもしれない。しばらく迷って考えよう。
ミミエデン、新芽をちらほら出し始めている。紅い紅い新芽。虫のせいだろう、微妙に歪んだ形も中にはあって。申し訳なくなる。私がもっと手入れをちゃんとしてやっていたら、こんなことにはならなかっただろうに。
ベビーロマンティカ。また新たな蕾を芽吹かせた。そして、よく見ると、奥の方、あちこちから新芽が吹き出している。中にはやっぱり、あの吸血鬼のような虫の影響を受けて、歪んだ葉がちらほら。
マリリン・モンローのひとつの蕾が、綻び始めた。これは小ぶりな花だな、と思う。鼻を近づけると、もうそこにはちゃんとあの香りがあって。芳醇な、それでいて心地よい香り。もうひとつの蕾は、まだまだ固く閉じている。
ホワイトクリスマス、ひとつの蕾をくいっと空に向けて、凛と立っている。じっと見つめていたら、ちょうど東から陽光が伸びてきて。私の目を射る。途端に空の色も、街景の色合いもくわんと変化する。空は明るい水色へ、街は煌々と照らし出されて、輪郭を露わにし。あぁ、朝の儀式だ。
私は部屋に戻り、お湯を沸かす。ポットいっぱいにふくぎ茶を作る。三袋買ったふくぎ茶だが、もうすでに二袋目、半分を過ぎてしまった。どうしよう、また近いうちに購入しないと全く足りていないかもしれない。このあまりの暑さで、私のお茶の消費量は半端じゃない。
昨日届いた、友人からのテキストを、改めて読み直す。この秋から展覧会を催す、その前期に飾る写真の、モデルになってくれた友人だ。性犯罪被害者、そしてDV被害者でもある。その彼女にとって、私に写真を撮られるということはどういうことなのか、といったことを、綴ってもらった。
そのテキストを受け取って、改めて、私と撮られる者との関係性の重要さを思う。この関係性がなければ、私はシャッターを切ることはできないということを、彼女のテキストを読みながら、つくづく思う。
そんな時、ちょうど別の方からメールが届く。「ドキュメンタリーとジャーナリズムはやはり違うものだと思ってます」とその方は書き始めている。そして、「そこに人や動物や植物や自然や水や森羅万象のものに興味を持って近づいていくのがドキュメンタリーだと思ってます」「ドキュメンタリーはいつまでも撮る人間がいるかぎり続いていくものなのではないかと思うんです」「写真を撮ってる人が自分のしてる行為をしっかりと認識してないのがいけないんだと思います・・・カメラは凶器であり向けられた人にとっては異物でしかありません。そのことを写真を撮ってる人が分かってるのかどうか」。書かれた文字をじっと辿りながら、私は、自分にとっても同じだ、と強く感じる。そして何より、その方の「人と人との関係性を保ちながら長い間撮るのがドキュメンタリーではないでしょうか」という言葉に、私は頷く。
ちょうどいいタイミングに、友人からの寄文とこのメールが届いたな、と私は噛み締める。
そして、思う。言葉と同じく、カメラは凶器だ、と。私が携えているカメラは、使い方によってとてつもない凶器になり得るのだ、と。だからこそ、使い方を間違えてはいけない、と。そしてまた、「あの場所から」を撮り続ける限り、私は彼女らとの関係性を第一に、そこに重きをおいて、いかなければいけない、と。
吐き出した煙草の煙が、ゆらゆらと窓の外に流れてゆく。その向こうには、光り輝く空。煌々と。

娘宛に郵便物が届く。差出人の名前を見て、思わず勝手に開けたい衝動に駆られたのだが、ぐっと我慢。娘が帰ってきて、娘が自分で開けることに意味が在る。
帰って来た娘は、机の上の、自分宛の郵便物にまず狂喜する。いつもいつも、郵便ポストにはママ宛のものしか入っていない、と文句を言っている娘。それが、大きな郵便物が自分宛に届いたのだ。そりゃ嬉しいだろう。
開けて、あれ、本しか入ってない、と言い、本をぺらっと捲ったらそこに、封をされた手紙が挟まっていた。ママ、これ、どうやって開けるの? 鋏でそっと切ればいいよ。分かった。なんだか娘は神妙である。
M社のNさんが、娘の書いた感想文に、わざわざお返事を下さったのだ。娘は一度読み終え、再び読み返し、じっと固まっている。
どうしたの? 大人の男の人から手紙を貰うのって初めてだ。あぁ、そうか、そうだね、よかったじゃない。…。娘はじっと、手紙に見入っている。
そして、この本は明日大事に読む、と、机の上にそっと乗せた。M社から出版された、一冊の絵本。
さて、この本を彼女はどう読むのか。ちょっと楽しみだ。私は、本当は、手紙になんて書いてあったの?と訊いてみたかったのだが、あまりに神妙な顔をしている娘に圧倒されて、とうとう訊けなかった。いつか、改めて尋ねてみよう。

私が大好きな場所のすぐ隣に、ビルが建設され始めた。今、地ならしをしている。大勢の人、たくさんのトラック。とうとうこの場所も埋まってゆくのか。そう思ったら、寂しくて寂しくて仕方がない。
思い返してみれば。私が中学の頃、この辺りはまだ、ただの更地だった。埋め立てられただけの、ただの更地だった。S町駅も、三角屋根の、小さな小さなかわいい駅舎だった。それが、あっという間に変わってゆき。駅舎は建て替えられ、周囲にはこれでもかというほどビルが建ち並び。今ではここは、MMという名前でもって知られている。
中学校の教室、社会科の時間、先生がちょっと自慢げに声を上げた、あの時のことを今も覚えている。MMってものが作られるんだ、先生もちょっと関わったんだぞ。そんなことを先生は言い、黒板に、あれやこれや説明を書いてくれた。私はそれを眺めながら、そんなこと言われたって、全然実感ないや、今あそこはただの土じゃん、なんて、思っていた。暢気な学生だったんだな、と自分を省みて思う。
私はあの、更地だった、がらんどうのような景色が結構好きだった。そのまま海に続いてゆく、そんな景色が好きだった。
私の好きな景色がまたひとつ、またひとつ、失われて。ここはいつのまにか、賑やかな、人の集う場所に変わっていって。
今また、せめてこの場所だけでもと思っていたところも、失われてゆく。
この土地に生きる者として、それは避けようのないことなのだと分かっていても。寂しい。

ママぁ、私友達に置いていかれた。ん? どういうこと? 明日一緒に帰ろうって約束してたのに、その子、さっさと自分だけ帰っちゃった。あらまぁ、どうしたんだろうねぇ。急いでたんじゃないの? でもさ、それならさ、一言言ってくれればいいじゃん。何で突然、約束破るんだろう。あぁ、実はママも最近、約束を放られたってこと、あったよ。え? そうなの? うん、なんかその人、ママの何かが気に喰わなくなったらしくて、一方的に離れていったよ。んー、ママにもそういうことあるのかぁ。ママも、もうどうしていいか分からないから、放置して、見守ることにした。そうなんだぁ。なんか嫌だよね、された方はさ、意味わかんないし。そうだね、意味わからないまんまで待つって、結構しんどいよね。うん、しんどい。ママもねぇ、しんどいなぁと思いながら、傍観してるんだよ。その人、なんで突然ママのこと嫌になったんだろう。わかんない。突然だったからね。でもまぁきっと、ママが何かしたんだろう、と思う。ママが気づかないところで。その人を傷つけたんだろうね。んー。そういうこと、あるよ。ママにはその気がなくても、相手がそう受け取ったら、もうそうなんだよ、ね。こっちの言い分も聞いてくれればいいのにねぇ。ははは、そうだね。そうしてもらえたら楽なんだけどねぇ。それさえさせてもらえないって、苦しいよね。うん、すんごいやだ。私だったら、とっちめたくなる。ははは。でもさ、とっちめても、何も生まれないじゃん。生まれないって? 何のいいことも生まれないってこと。んー。だったらじっと黙って、見つめているのがいいかなぁ、と。ママはそう思うんだ。ママって損な性格だね! はっはっは、そうかもね。

じゃぁね、じゃぁまた後でね。うん、それじゃぁね。手を振って別れる。
自転車に跨り、坂道を下る。信号を渡って公園の前へ。公園の前で耳を澄ます。蝉の声もだいぶ、弱ってきたように感じられる。今朝玄関前には、三匹の蝉が、ひっくり返っていた。まだ生きている蝉たち。でも、疲れ果てたのか、自らは動こうとしない。だから私は、こわごわ彼らを摘み上げ、塀の上に持ち上げた。その途端、飛んでゆく蝉たち。彼らはあれから何処へ飛んでいったのだろう。人の足に踏まれないようなところで休んでいてくれるのならいいのだけれども。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木の緑が、光を受けて輝いている。その脇をさっと走り、左手へ曲がる。信号がちょうど青になって、私はさらに、駅の方へ向かって走る。
大勢の通勤の人たちが、私とすれ違って行く。新しく建ったビルに、彼らは吸い込まれるように消えてゆく。
あと五年もしたら、きっと、この辺りは私の知らない街になってしまっているんだろうな、なんてことをふと思う。多分きっと。
さぁ、今日も一日が始まる。私はペダルを漕ぐ足に、さらに力を込める。


2010年08月22日(日) 
午前三時にぱっちりと目が覚める。一瞬迷うが、そのまま起き上がることにする。まだ外の暗い時間。娘も留守だ、折角だからDVDでも観ようと珍しく思う。短めのもので、さっくり観れるものは何だろう、と思っている間に手が伸びた。そのままそのDVDをプレイヤーにセットする。懐かしい、私が好きな俳優ばかりが出ている映画。しかも撮影されたのは自分の地元といってもいいような場所。ここも、そこも、見覚えのある場所。
そういえば、こうやって自分からDVDを観ようなんて思ったのはどのくらいぶりだろう。いつも娘のセットしたDVDを脇で何となしに眺めながら過ごしていた。というより、テレビという代物は、もはや娘の持ち物のようなもので。私はいつもぼんやり眺めるばかりだった気がする。
ひとしきりDVDを観終えた後、ベランダに出る。風もない、でもそれほど暑さももはや感じない朝。昨夜干した洗濯物が、じっと佇んでいるベランダ。
明るくなり始めた空は、すっと澄んでおり。水色の涼やかな色が広がっている。でも、きっと今日もまた暑くなるに違いない。思いながら、私はしゃがみこむ。ラヴェンダーとデージーの絡まり合った枝葉を解く。昨日からデージーはぐんと葉が黄色く色づいてきた。色づいてきた、というより、もう終わりなのだ。枯れてゆく準備を、始めているのだと気づく。見れば、ついこの間まで盛りだった花たちが、こぞってみんな、茶色く染まり始めている。あぁ、種の準備か。そうだ、この草は種をつけるのだった。さて、種になったらどうしよう。母に譲ろうか。私は、種から育てるというのが正直あまり慣れていない。母の引き出しの中には、あれやこれや、私など名前さえ知らない種がいっぱい入っている。そうやって毎年種を摘み、次の季節、また植える。母はそうやって庭を営んでいる。
パスカリの花が一輪咲いた。小さな花だけれども、美しい白だ。目が覚めるような白。昨日のうちに開いてくれたのだろう。私は、少し迷った挙句、今のうちに切り花にすることに決める。鋏を持ってきて、ぱつん、と切ってやる。ついでに、桃色のぼんぼりのような花も、それから紅い花も、みんな切り花にする。
不思議なことに、紅い花をつけていた枝は、吸血鬼に憑依されていないようで。いくら指で葉を拭っても、何もつかない。よかった、これだけでも無事でいてくれて。私はほっとする。
その隣のパスカリの葉を、指で拭う。まだ何となく、指に纏わりついてくるものが在る。だから私は、すべての、手の届く葉を、指で拭ってやる。
ミミエデンから、新芽の気配が。二箇所、いや、三箇所。真っ赤な先端が見てとれる。祈るように思う、ここにどうか虫がつきませんように。お願いだからつきませんように、と。
ベビーロマンティカからも、新芽が出ている。一箇所は虫に憑依され、葉がすっかり歪んでしまった。いくら拭っても、もう遅いらしい。残りの数箇所の葉を、大事に育てていくしかない。
マリリン・モンローが、ひとつの蕾を綻ばせ始めた。予想よりだいぶ早い。これは思ったより小さめの花なのかもしれない。もうひとつの蕾は、まだまだ固く閉じている。
その向こう、ホワイトクリスマスが、新たな蕾をつけた。根元からぐいと伸びてきた枝葉の先端、蕾がくっついている。それにしてもずいぶん太い枝だ。逞しい。
そしてアメリカンブルー。今朝は二つの花を咲かせてくれている。風もないから、揺れることもなく、しんしんとそこに在る。
改めてベランダの手すりに掴まり、周囲を見やる。街路樹は、昨日の夜の風を受けたままの形で止まっている。葉が裏返り、西に西に、傾いている。あれはどうやって元に戻るんだろう。また逆向きの風が吹いて戻るんだろうか。どうなんだろう。ちょっと不思議。
お湯を沸かし、ポットいっぱいにふくぎ茶を作る。昨日久しぶりに訪れた父母の家に、ふくぎ茶を持っていき入れたのだが、なんだかさっぱりしすぎていてお茶っぽい感じがしない、と言われてしまった。だから、私はハーブティーみたいでおいしいでしょ、と言い返したが、俺はハーブティーはあまり好みじゃない、とやられた。私は密かに苦笑しながら、残りのふくぎ茶を飲み干した。
そう、久しぶりに実家を訪れた。娘が塾に行っている合間に、ひょい、と。バス停から家まで歩く。バスが通って本当によかった。私がいた頃はまだバスもなく。この環状線も通っていなかった。この道路が通って、この辺りはがらりと変わった。
でも、大通りから一本内側へ入ってしまえば、昔と何ら変わりなく。でも、この辺りもずいぶん二世帯住宅が増えた。土地があるからできることかもしれないが。結構大きな家が多い。
公園をすり抜けて、坂道を下り、つきあたりのすぐ横が実家だ。呼び鈴を一応押して、問戸を開けて中に入る。母の庭ではラヴェンダーがこれでもかというほど咲いており。ピンク、白、赤、紫。まさに色とりどり。ブルーベリーの樹には、こんもり、実がくっついている。毎朝ヨーグルトに入れて食べているというブルーベリー。私もひとつ頂く。甘酸っぱい味が、ふわっと口の中、広がってゆく。
あぁ、来たの。母の声がする。うん、と返事をして中に入る。お父さんは? いるわよ。今日は父に用事があって来たのだ。海外赴任を何度もしたことのある父は、英語が得意というか、もはや当たり前に話す。だから、私が今抱えている文章の翻訳も、さらりとやってのけてしまうに違いない。そう思った。しかし。
問題がひとつあった。その文章は、「あの場所から」の紹介の文章で。つまり、この翻訳を読んで確認してもらう、ということは、私が「あの場所から」という活動をしていることを父が嫌でも知るということであり。
父は一体何と反応するんだろう。無言で席を立ってしまうかもしれない。怒鳴られるかもしれない。私は事前に、どうあってもいいように、あれこれ想像をめぐらしてきていた。しかし。
父は何も言わず。翻訳を読み、二箇所を指し示して、ここに訂正を入れてもらうように、と私に言った。私は心の中、酷く驚いていた。父はこの文章を読んでも、何も思わないんだろうか。本当に大丈夫なんだろうか。私がこんな活動をしていることを、父は反対しないんだろうか。今までの父なら、間違いなく反対し、それどころか、私からカメラさえ取り上げてしまいかねない人であったのに。
半ば呆然としながら、でもそれを表情に出してはいけないと、私はちょっと緊張していた。でも父は、そんな私に関係なく、お茶を啜っている。いや、本当は、もしかしたら、心中穏やかではないのかもしれない。私が帰った後、母が責められるかもしれない。でも今は、今は間違いなく、父は私のやっていることを、黙認している。
ほっとしていいのか、どうしていいのか、分からないまま、私は父母の話す話に耳を傾ける。それはこの盆休み、山小屋へ行ったときの話しで。弟夫婦や私の娘のことを、あれこれ話している。多分私に聴かせようとして話してくれているに違いない。私はじっと、ただじっと、耳を傾け、時折笑ったり、相槌を打ったりしている。
こういう穏やかな時間が、我が家には本当になかった。いつでもびくびく緊張した子供たちと、いらいらと肩を怒らせた両親と。食卓に揃っても、みなが、どこか、強張っていた。
時間が、経ったんだな、と思った。それだけの時間が、経ったのだな、と。
一旦家に戻ったものの、何だか落ち着かず、結局外に出る。行きつけの喫茶店へ行き、しばし過ごす。父母の今日の横顔が、ありありと浮かんだ。そうだ、次にお給料が出たら、母にウェブカメラとマイクのセットをプレゼントしよう。そうすれば、お嬢と気軽にテレビ電話することができる。私にとって安い買い物ではないけれど、母とお嬢がそうして楽しく会話することができるなら、それに越したことはない。父だってまんざらじゃぁないかもしれないし。私は、メモ帳に、ウェブカメセット、と大きく書き込む。
夜道を自転車で走るなんて、久しぶりだ。娘と一緒の時にはあり得ない。見上げれば、月がぽっくり浮かんでいる。私はその月を追いかけて、走る。

朝、娘に電話をすると、こそこそした声で、尋ねてくる。ハムたちどう? 元気だよ。そう、ならいいんだ。餌もちゃんとやったし。抱っこはしてないけどね。ママには無理だねー。そう、ママはあなたみたいな遊び方はできないからね。帰ってきたら遊んであげてね。うん、もちろん。
電話を切り、玄関を出、階段を駆け下りる。自転車に跨り、坂道を下り信号を渡って公園の前へ。ふと思う。こんなふうにこの辺りを走っていられるのは、あとどのくらいだろう。早く公団への引越しが決まればいい。引越しができれば、ずいぶん生活も楽になる。
昨日ちょうどこの通りで、盆踊りをやっていた。色とりどりの提灯がぶら下げられ、狭い通りだというのに、これでもかというほどの人が集い。思い思いに踊っていた。
夏ももう、終わりなんだな、と改めて思う。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木がまっすぐに立ち並ぶ通りを通って、モミジフウの横をさらに通り過ぎ、海へ。
濃紺と深緑色を混ぜたような色の海。私はこんな色合いの海が好きだ。優しい色に見える。何もかもを取り込んで、抱いてくれるような、そんな色に。
何処かで汽笛が鳴った。
さぁ、今日も一日が始まる。私は来た道を再び、走り出す。


2010年08月20日(金) 
雲が広がっている。空一面。何処にもその割れ目は見えず。雲を透かして漏れてくる光のみ。それは柔らかい光で。何故だかほっとする。
ベランダに出て一番に目に映ったのは、紅い小さな小さな薔薇の花。あぁ、友人があの日くれた花束の花だ。そう思った。もちろん今目に映る花はそれよりももっと小さな小さな、本当に小さな花だけれど。間違いなくあの日貰った花の色だった。私はそっと指で触れてみる。柔らかな花びらの感触。ひんやり冷たい。よかった、本当に咲いたんだ。私はちょっと信じられない思いでその花を見つめる。こんなに短期間で根付いて、しかも花をつけるなんて。私が今まで育ててきたものの中で多分、一番早い。
改めてしゃがみこみ、ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝葉を解く。風がないから、ラヴェンダーの香りがふわんふわんと私の鼻腔をくすぐってくる。デージーは、もうこれが最後、最後、と言わんばかりに咲き乱れており。でもこれも、じきに、本当に終わりになるんだろう。葉はすっかり黄色くなってきている。
アメリカンブルーは今朝は三つの花をつけており。この灰色の空の下、その青色が鮮やかに映える。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。もうこの花も切ってやった方がいいかもしれない。今日帰ってきたら切ってやろう。私は心に小さくメモする。
パスカリの、葉を拭う。まだ指先に、小さな染みができる。いくらやっても終わらない気がする。でも、それを諦めたらそれこそもう終わりだから、私は飽きずに拭う。私が諦めるということは、虫が勝つということで。そればっかりは赦せない。自分に赦せない。
ミミエデンも、今はしんと静まり返っており。こういうとき、不安になる。次にちゃんと新芽が出てくれるのか、と。特にこのミミエデンは。これまで何度も枯らしてきているからなおのこと。
ベビーロマンティカのひとつの蕾、無事に開いた。何だか遅いと思っていたが、これも天候のせいなのか。分からないけれど。もうひとつの蕾はまだ小さく。私はその蕾も指で拭う。葉も、手が届くところは全部拭う。
マリリン・モンローは二つの蕾を必死に抱いており。きっと立つ母親のような姿をしている。でもまさに今そうなのかもしれない。この厳しい暑さは、マリリン・モンローにとっても思ってみない災難だろう。花をつけるのだって本当は至難の業かもしれない。人間にとって言ってみればそれは、子供を孕むようなものなんじゃなかろうか。だとしたら、毎回毎回、花を開かせるたび、マリリン・モンローはどれだけの労力を払っているのか。
ホワイトクリスマスはしんしんと、そこに在り。沈黙しながらそこに在り。でもその存在感はやはり大きい。凛と立つその姿が、私を励ましてくれる。
部屋に戻り、お湯を沸かす。ふくぎ茶を入れる。先日買って来たポットいっぱいに作っておく。これはお茶というより、ハーブティーなんだろうなと、飲むたびに思う。
机に座り、煙草に火をつける。そういえば昨夜、娘はちょっとおかしかった。やたらに私に絡まってきては、難癖をつける。それを繰り返し、繰り返し、していた。いい加減私が疲れたところで、勘弁してもらったが、するとぷいっと横を向いて、布団をかぶって寝てしまった。もっと相手をしてやらなくちゃならなかったんだろうか。私はしばしひとり、考えたが、もうどうしようもない。今日何処かで埋め合わせをしてやろうとは思っているけれど、あの子は何と言うのだろう、甘えっ子になるときとそうでないときとの差が結構極端で。私は時々、どっちに対応したらいいのか、迷うことがある。まぁそういうのも含めて、かわいいことに変わりはないのだが。
授業で一緒だったメンバーの一人と会う。その人が実際にカウンセラーとして動き出すためのホームページを、作って欲しいということだった。もともと絵描きでもあるその人は、ホームページについて何の知識も持ってはいない。だからかもしれないが、彼女が描いてきてくれたラフデザインは、ホームページで再現するにはちょっと困難なものが多く。でもまぁそれは、これから調整していけばいいかと、話を進める。
その方は、授業の受け方からしてとても積極的な方だった。ただ、何だろう、自分が健常者であることに酷くこだわっていて。その点で、私と違う方向を向いている人だった。たとえば、交流分析の禁止令のところで、私には禁止令はひとつたりともかかっていない、と、断言できるような方で。私はその正反対で。同じグループで分かち合いをしたのだが、互いに顔を見合わせて苦笑するしかなかったのを覚えている。
でも、私は或る意味、彼女のような人を、羨ましいと思う。自分に災難が突如降ってくることなど、これっぽっちも信じていない。思ってもみない。その自信は一体何処から来るのだろうと、いつもぼおっとしながら考えていた。
彼女が突如、あなたって一体どうやって収入を得てるの? と尋ねてくる。あまりに唐突に尋ねられ、私は吹きだしてしまった。いや、私は私なりの伝を辿って、ひとつひとつ仕事を得ているだけの話で。じゃぁどれがメインなの? 別にどれをメインに置いているつもりもなく、できることだったら何でもやるっていういわゆる何でも屋の立場かも。そう言うと、目を丸くして、不思議そうな顔をしていた。私はそれ以上、詳しい説明をするのを省いて、にっと笑って誤魔化すことにした。
実は噂になっていたのよ、あなたって人は一体どういう人なんだろうって。みんなでお昼を食べるとき、たいていそういう話になっていたのよ、と彼女が続ける。私は苦笑してしまった。そんな話、私のいないところでいくらしたって、どうにもならないだろうに、と心の中思ったが、言わなかった。
本当に。いろんな人がいる。授業で一緒にならなかったら、私はきっと彼女との接点は何処にもなかっただろう。確かに彼女は絵を描き、私は写真を撮る。お互い表現する立場ではある。でも、多分そのスタンスは、全く異なるものなんだと、思う。
そんな彼女と夕刻まであれやこれやホームページのことで話し合い、別れる。
家に帰るとまた一仕事。性犯罪被害者サポート電話を始めるにあたって、IP電話を引こうと決めたのだが、この設置が私にはわけがわからず。一度繋がったかと思えば、突然切れる。切れたかと思えばまた繋がる。その繰り返しで、結局仕上がったのは夜になってしまった。これでもまだ、不安は拭えはしないが。とにかく使えるようにはなったらしい。
今のところ、私を含め、三人が立ち上げメンバーになりそうだ。何処までできるかわからないが、やってみるしかない。スタッフの紹介頁を作りながら、三人が三人、切実に、この件に向き合っていることを、確認する。

ママ、何でママは、そんなことしようと思うの? なんでって? だってさぁ、今仕事するだけで手一杯じゃん。なのになんで、そんなことまでしようと思うわけ? うーん、ママが病気になり始めた頃、そういう場所があったらどれだけ救われただろう、って思うから。なんでそういう場所があったら救われるの? なんていったらいいのかなぁ、藁にも縋りたい気持ちの時ってあるんだよ。でも、縋りたいけど怖い。また辛い目に遭うくらいなら、このまま黙って身を縮めている方がいいかもしれないって思う。でもね、本当は吐き出したいことがいっぱいあって、聴いてほしいことがいっぱいあって。だから、同じ被害者にだったら、話せることがあるんじゃないかって思うから。そんなにいっぱい被害者っているの? いるよ。たくさんいる。今この瞬間も、そういう被害に遭っている人は、いるんだよ。なんでそんなことになるの? なんで…人間が人間として在るかぎり、犯罪っていうのはなくならないんだよ。じゃぁ人間って最悪じゃん。うーん、この件に関しては最悪かもしれないけど、でもね、同時に、そうやって人間によって穿たれた穴は、人間によってしか埋められない、そういうものなんじゃないかと、ママは思う。じじに怒られるよ? きっと怒られるよ、おまえは何やってんだ!って。ははは。そうだね。だから秘密にしといて。えーーー。いいじゃん、ママとあなたの秘密にしといて。もう、しょうがないなぁ。じゃ、100円頂戴! えっ?! 100円?! 口止め料。えへ。何よー、まったくもう。いっつもお弁当やらジュースやら用意してる分だけで、ママのお財布、空っぽだよ! 冗談だよ冗談。うそうそ。いいよ、秘密にしといてあげる。うん。

それじゃぁね、じゃぁまた後でね、昼には合流ってことで。うん、わかった。玄関前、手を振って別れる。娘の手には、ミルクがしっかり握られており。ミルクは娘がぶんぶん手をふるたび、きっとぎょっとしていたに違いない。
自転車に跨り、坂道を下って信号を渡って公園へ。今日は何処か、蝉の声も静かに聴こえる。それがちょっと切ない。もうもしかしたら、秋の虫たちが何処かで音色を奏でているのかもしれない。私の耳にはまだ届いていないだけで。
池に映る空は、一面雲に覆われ。薄暗い朝。でも、あの肌を刺すような痛い陽射しよりは、ずっと心地よい。
六月に花盛りだった紫陽花は、すっかりもう色が変わり、くすんだ色のまま、くてん、とくっついている。このまま冬まで、静かに立ち枯れてゆくのだろう。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。変わりかけた信号を思い切ってダッシュで渡り、そのまま真っ直ぐ走る。モミジフウの脇を通って、海の公園へ。
灰色と深緑色を混ぜたような海の色。ばしゃん、ばしゃんと打ち寄せる波。弾ける飛沫。目の前を鴎がすうっと飛んでゆく。
さぁ、今日も一日が始まる。私はくるりと海に背を向け、再び走り出す。


2010年08月19日(木) 
起き上がり、窓を開ける。どんよりと曇った空。久しぶりだ、こんな空は。そう思いながら見上げる。照りつける陽射しに慣れてしまった目に、この曇天がやさしく映る。風も流れていて、なんだか救われた思いがする。
しゃがみこみ、ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝葉を解く。デージーは全体的に黄色味を帯びてきた。そろそろ終わりなのかもしれない。夥しいほどの花をつけながら、黄色くなってゆく姿からは、最後まで必死に生きようとする草の、小さい悲鳴が聴こえてくるかのようだ。もう少し、もうしばらく、と、そう言っているかのよう。私はだから、大事に大事に、一欠片も葉を傷つけぬよう、そおっとそおっと、解いてゆく。
ステレオからCoccoの十三夜がひたすら繰り返し流れている。多分私はしばらくこの曲を聴いて通すのだろう。そんな気がする。
アメリカンブルーは五つの花を咲かせており。ゆらゆらと風に揺れている。本当はこのアメリカンブルーを、吊り下げて飾ってやりたいのだが。うちのベランダではそれができない。ちょっと寂しい。
薔薇たちにとりついた目に見えないほど小さい虫たちは、まるで吸血鬼のようだ。少しずつ少しずつ葉の水分を吸ってゆき、やがて吸い尽くして、枯らしてしまう。これは一体何という虫なのだろう。知りたいようで知りたくもない。私はパスカリの葉を撫でながら、唇を噛む。私が撫でても撫でても、追いつかない気がする。それでも、諦めたら終わりだから、私はひたすら葉を撫でる。
桃色のぼんぼりのようは花を咲かせる樹。ひとつの蕾を開かせた。ぽっとそこに、桃色の小さな小さな灯りが点ったようだ。私はしばし、それに見入る。かわいらしい花。
友人から頂いたものを挿し木したそれは、赤い、いや、紅い花びらをどんどん見せ始め。でもまだ、花開いてはいない。もうしばらくかかるんだろう。花束では、確か小ぶりの花だった。どのくらいの花がここでは咲いてくれるだろう。
もう一本のパスカリ。こちらでも私は葉を撫でてゆく。指先につく、小さな小さな茶色い染み。赦せないという思いがふつふつと沸きあがる。ちょっと私が気を抜いていた間に、こんなにも被害は広がってしまった。赦せないのは、多分、私自身。
ミミエデンの被害は一段落ついたらしく。でもしばらく、新芽は望めそうにない。私は葉を撫でながら、ごめんね、と心の中、ひとりごちる。
ベビーロマンティカの、二つの蕾。ひとつはもう開きかけているのだが。開きかけたところで止まっている。どうしたのだろう。何を躊躇っているのだろう。私は首を傾げる。それにしても。このベビーロマンティカにまで吸血鬼が憑依するとは。私は、とにかく撫でられる葉すべてを撫でてゆく。拭ってゆく。拭うほどに、指に付着する小さな小さな異物。私の指先を染めてゆく、茶色い小さな染みたち。
マリリン・モンローはふたつの蕾をまだ腕に抱いている。少しずつ少しずつ、確実に膨らんでゆくその蕾。その力強さに私はようやくほっと一息つく。でもこのマリリン・モンローにも、吸血鬼の気配はあって。だから私は、棘が指に刺さるのも構わず、とにかく葉を拭ってゆく。
唯一今、被害から遠いのがホワイトクリスマスだ。それでも、念のため、私はホワイトクリスマスの葉を拭う。ようやく花を咲かせ終えたばかりで疲れているのだろうに、ここに吸血鬼になど来られたらたまったものじゃない。
もう一度空を見上げる。この天気は夕方まで変わらないのだろうか。だとしたら、今水を遣ってもいいかもしれない。ほんのちょっとだけ。ちょっとだけでも、水で洗ってやりたい。私は如雨露にたんまり水を汲んでくる。そして、順々に、わざと上から水をかけ、そうしてもう一度、丹念に葉を拭う。
いつもより倍以上時間がかかった。ベランダから戻って、お湯を沸かす。昨日ようやく届いたふくぎ茶を入れる。涼やかな香りがふわんと私の鼻腔をくすぐる。嬉しくなって、一口、一口、私は茶を啜る。
机に座り、煙草に火をつける。まだ私の中に、見なければよかったものの残骸が、残って、燻っている。多分しばらく、燻り続けるんだろう。私はその煙を、手で避けて、後ろを向く。そうしたって煙は、たちまち私を取り囲んでしまうということは分かっていても。
昨日会った友人が、ぽろぽろと零した言葉。私はゲームをしかけてるんだと思う。本当に構って欲しい人に構ってもらえないから、カモになってくれそうな人を見つけて、ゲームを仕掛けて、構ってもらって自分の中の穴を埋めようとしてるんだと思う、と。
彼女はそのことで、自分を責めていた。でも。私は聴きながら、責めることはないんじゃないか、という思いを持った。そういうことも、在る、と。そう思うから。
ゲームを仕掛ける人がいるなら、ゲームを受ける人間もいる。仕掛ける方、受ける方、両方に責任があって。どちらかにだけ責任があるわけじゃない。そもそも、ゲームを仕掛けなければならない原因は外にあって。
別に、そういう時期もあっていいんじゃないの、と私が言うと、彼女はきょとんとした。驚かないの? 何に驚くの? 私がこんなことしてるっていうこと。別に、驚くことはないでしょ。そうなの? そうだよ。
彼女は、この話をしたら私が彼女を軽蔑すると思っていたらしい。私は小さく苦笑した。生きているとさ、思ってもみないことが次々起きて、自分じゃどうしようもないこともあって。そういうものなんじゃないの? …そういうもんなのかな。そういうもんだよ。
あなたが昔受けた被害も、私が受けた被害も、予想してた? してない。予想なんてしないことが、そうやって平然と起こるんだよ。誰も予想なんてしてないことが、さ。だから、ふつう、なんてものは、何処にもないと、私は思ってる。そっか…。
彼女が病気を抱えるようになったのも、私が病気を抱えるようになったのも、別に私たちが望んだわけでもなければ、誰が望んだわけでもないはず。いろんなことが遭って、それが重なって、折り重なって、こうなった、ということであって。それ以上でもそれ以下でも、ない、多分。
とある人が、あなたの作っている作品や扱っているテーマに関心を持っています、と手紙をくれた。それを読み、幾度か読み返して、私は一度、それを閉じる。私は。
私は、それがドキュメンタリーだろうとアートだろうと、そんなのどちらでもいいと思っている。それよりも、私たちに必要だから、私たちの回復の過程に必要だから、私たちの声を届けるのに必要だから、だから作品を作っている。それだけ、といっていい。それがドキュメンタリーにくくられるのか、アートにくくられるのか、そんなこと、正直どうでもいいのだ。私の伝えたいことが、伝わるのであれば、そんなこと。
小難しい話は、正直よく分からない。フォトジャーナリストだとかドキュメンタリストだとか、そういうカタカナ用語は、使いたい人が使えばいいと思う。私はそんなの、どっちだっていい。
私はただ、伝えたいのだ。こんな現実があるよ、と、ここに生き証人がいるよ、と、それでも彼女らは笑って必死に笑って生きているんだよ、と、それをこそ伝えたいのだ。
それだけ、だ。

あなたはこのことに気づいていますか。見落としていませんか。あなたにも今まさにこの時、降りかかるかもしれない現実が、あるんです。それが降りかかってから叫び声を上げようと思ったって、声なんて出ないかもしれません。ただのた打ち回るしかできないかもしれません。そんな現実が、あなたのすぐ隣に、あるんです。
だから気づいて。だから知って。せめてこの現実があるということを受け容れて。私たちはここに在る。

二本目の煙草に火をつける。私の中でぶすぶすと燻るものが、にたっと笑う。私は見たくないから目をそむける。見たら、怒号を発せずにはいられない気がするから。首を絞めて、殺してしまいたいと思ってしまうかもしれないから。でも誰を?!
私は加害者を、加害者たちを殺したいわけじゃない。そんなの、どうだっていい。いや、せめて、彼らがその犯した罪をちゃんと背負っていってくれるなら、もうそれで十分。十分と思うのに。それさえしないで笑って逃げてゆく背中。平然と生きる姿。それが、たまらない。
でも私は、自分で決着をつけるしかないのだ、この思いには。誰も助けてくれない。誰の手も届かない。そういうところに、これは、在る。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。
私はバスに乗り、駅へ向かう。港の方を見やれば、くぐもった空が、どんよりと続いており。どこもかしこも今朝は、灰色。
さぁ、もう気持ちを切り替えて、歩き始めなければ。
もう一日は、始まっている。


2010年08月18日(水) 
何をしても汗が垂れてくる。シャワーを浴びようとタオルで拭おうと、次々、次々。もはや暑いとは感じないほど。何なんだろうこれは、と思いながら、窓の外を見やる。風は吹いているのだが、私の部屋にとっては方角が悪いのだろう、全然風が部屋に入ってこない。
娘は大の字になって眠っている。いつのまにか回転して、私の顔の方に足を向けて。つくづく思うのだが、私と彼女の体の作りは、どうやっても違うと思う。彼女は暑さにも寒さにも強い。私はとてもじゃないが、こんな暑い中、眠れそうにない。
起き上がって机に座り、煙草に火をつける。窓の外はまだ暗い。のっぺりとした闇が広がっている。
昼間に届いたCDをプレイヤーにセットする。それを聴きながら、ぼんやり考え事をする。
何となしにネットを徘徊していて、見つけてしまったのだ、見たくないものを。そのことが、頭の中、べったりとくっついて離れない。
加害者が今何をしていようと、私には関係ない。そう思ってきた。私の場合、直接的な加害者と間接的な加害者といるが、その両方とも、私にはもはや関係はないと思ってきた。思ってきたけれど。
情報を得てしまうと。たまらない思いが込み上げてきた。どうしてこの人たちは、こんなふうに平気な顔をして生きていられるのだろう。そう思えた。私がこんな状況に今まだあるのに、どうしてこの人たちは。
私が為したかった仕事にいまだに就いて、平然と本を出している。どうしてどうしてどうして。あんなことを為した人たちがどうして、平然とこんなふうに生活していられるんだ? どうしてなの? どうして?!
その思いが、怒涛のように押し寄せて止まない。
そんな思い、抱くだけ無駄だと、もう分かっているはずなのに。この人たちに通じるわけがない、私の言葉など、通じるわけがないと分かっているはずなのに。それでも。
それでも、悔しい。たまらない。たまらなくてたまらなくて、この唇なんて噛み切ってしまいたくなる。
不公平だ。彼らはこうやって平然と、あの出来事から飛び立って、もはや知らぬ顔をして、平然と日々を営むことができているのに。私はどうだ?
被害者はいつだって、こうやって唇を噛むばかりなのか。こんな不公平なことって、ありか。どうしてなんだ。どうして。
意識を変えようと、私は、娘が100円ショップで買ってくれたマニキュアに手を伸ばす。ママに似合うよ、と選んでくれたマニキュアは、玉虫色のマニキュアで。普段私はマニキュアなど一切塗らない。塗らないのだけれど。
私はマニキュアの蓋を開け、左手の指から塗り始める。一本、また一本。できるだけその作業に集中して、浮かび上がってくるあの出来事にまつわる人たちの顔、顔、顔、を、拭い去るように、懸命にマニキュアを塗る。
左手が終わったら右手。右手が終わったらついでに足の指にも。塗って塗って、塗って塗って。全部塗り潰して。
塗り潰して、ふと、涙が出た。私はどうしてこんなにもこだわっているんだろう。どうしてこんなにこだわらなくちゃいけないんだろう。そう思ったら、涙が出た。ぼろぼろ、ぼろぼろ、止まらなくなった。
忘れてしまえばいい。過去なんだから、葬ってしまえばいい。何度そう自分に言い聞かせたことだろう。周りからも幾度、そう言い聞かされてきただろう。
それでも。
忘れられないのだ。自分の体を心を嬲り倒した奴らのことを。私の心を体をずたぼろにした奴らのことを。忘れられない!
こんなに一生懸命、毎日を生きているのに。こんなに一生懸命毎日笑っているのに。こんなに一生懸命毎日を重ねているのに。それでも。消えない。消えてくれない!
思わず刃に手を伸ばしそうになって、慌てる。駄目だ、それじゃ繰り返しだ。もし朝起きてこの場所が血みどろになっていたら、娘がどうなるか。それじゃ同じじゃないか、奴らと同じになってしまうじゃないか、そんなの、嫌だ。娘の中にトラウマを作ることなど、私は決して望んでいない。
刃を放り投げて、壁に投げつけて、私は頭を抱えた。どうしてどうしてどうして。その言葉が、渦になって私の中、怒号を響かせていた。
どうやったら納得できるんだ。どうやったら私は。どうやったら。
こんな思い、もう抱きたくないというのに。こんな、やり場のない思い、抱いたって仕方がないってもう嫌というほど分かっているっていうのに。それなのに。
私はどうにも、これ以上、動けない。

白み始めた空の下。顔を洗い、髪を結う。ベランダに出て、空を見上げる。泣きはらした目には、どんな空も沁みる。
ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝葉を解く。ふと思う。こんなふうに、解くことができればいいのに、と。私の中のトラウマも、こんなふうに解いて、元に戻すことができればいいのに。思って、すぐ、それは無理な話だ、と苦笑する。
友人から貰った花束から挿し木した枝。赤い蕾をつけている。それは血の色より切ない赤で。私はそっと指先で、その花を撫でる。無事に咲いておくれ。その祈りを込めて。
パスカリの一本、ちょっと様子がおかしい。葉が縮んでいる。水が足りないんだろうか。そんなはずはないのだけれど。思いながら、でも、こんなに暑い日照りが続いているのだから、仕方ないのかもしれないとも思う。このまま枯れてしまわなければいいのだけれども。それだけが、心配。
ステレオからはCoccoの「十三夜」が繰り返し流れている。その音を聴きながら、私はもう一本のパスカリを見やる。横に伸びている枝葉。もう少し伸びると、窓にぶつかってしまうなぁ、と思うのだが、今その枝を切るわけにはいかない。その先に、花芽がつくかもしれないから。しばらく様子を見守るしか、なさそうだ。
ミミエデン。薬をかけられたせいもあるんだろう、何処か元気がない。でも、虫はいなくなったようで。それだけがせめてもの救い。また新しい葉を出してくれることを、待つばかり。
ベビーロマンティカは、ひとつの蕾が開き始めており。今日がまた昨日のような天気なら、あっという間に開いてくるだろう。帰ってきたら切り花にしてやろう。私は心にメモをする。もうひとつのつぼみはまだ、固い。
マリリン・モンローは二つの蕾をしっかり抱いて立っている。真っ直ぐ、真っ直ぐに。どうして私もこんなふうに、真っ直ぐに立てないんだろう。いつまでもこうやって、足を取られて、何処にも進めないでいる私は、なんて情けないんだろう。
ホワイトクリスマス。根元から伸ばし始めた枝が、もうだいぶ高さを持ってきた。今ここから見つめていると、その枝の先は、向こうから伸びてきた光の中に溶けてゆくかのようで。切ない。いや、切ないのは、私の心の中、だ。きっと。
部屋に戻り、お湯を沸かす。レモン&ジンジャーのハーブティーを、できるだけ丁寧に入れる。こういうときは、こうやって、日々繰り返していることを、丁寧に丁寧に、やって積み重ねていくに限る。そうやって、自分を日常に戻してゆくほか、術はない。
もういい加減泣き止んで、顔をさっぱり洗って、笑う練習をしておかないと。娘に勘付かれる。ママ、どうしたの、と問われても、私は今、答えることは、できない。

娘に頼まれたツナサンドを作る。胡瓜たくさんの、ツナサンド。マヨネーズと塩胡椒で味付け。ついでにトマトを薄切りにしたものも、挟んでおく。娘の口に合うかどうかわからないが。
なかなか起きてこない娘の顔に、ミルクをとてんと乗せた。娘は途端に起き上がり、ミルクゥ、おまえはおデブだねぇ、と言い始める。思わず笑ってしまう。ほら、早く起きなさい。朝はしゃっきり起きるものだよ。私は彼女に声を掛ける。そう、朝はしゃっきりと。私は改めて、背筋を伸ばす。

じゃぁね、それじゃぁね。ちゃんと宿題やるんだよ。ママも頑張りなよ。わかってるって。手を振って別れる。
階段を駆け下り、自転車に跨って走り出そうとすると、上から声が降ってくる。じゃぁねぇ! 娘だ。私は大きく手を振り返す。
坂道を下り、信号を渡り、公園へ。蝉時雨を浴びながら、つい思ってしまう。私の人生の時間が、おまえたちほどだったなら、私はもうちょっと、楽になれたかもしれないのに、なんて。あり得ないことだと分かっていながら、つい。そもそもそんなことを思うこと自体、蝉に対して申し訳ない。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。強い陽射しが東からざんざん降っている。逃れようのない陽射し。容赦ない陽射し。私はその下を、自転車で走る。
何もかも、飛んでいってしまえ。日に焼かれて消滅してしまえばいい。無駄なことと知りつつ、そんなことが頭に浮かぶ。
泣いても笑っても、結局、私の中にはこのお化けがとりついているんだ。どう日々を丁寧に生きようと、このお化けは私の中、巣食って離れてはくれないんだ。それが、たまらない。たまらなく嫌だ。
それでも私は、生きていかなくちゃならない。どうあっても。

さぁ、一日はもう始まっている。私はただひたすら、自転車を漕ぐ。


2010年08月17日(火) 
今年もまた、奴らの季節がやってきた。私の大切な薔薇に憑依しようと、あちこちからやってくる奴らの季節が。マンションの廊下を歩いていると、階段を歩いていると、あちこちに転がっている奴ら。私は見つけるたび、もはや何の感情もなく、奴らを足で踏み潰す。
乾いた音が一瞬、そこいらに響く。くしゃっ、或いは、かしゃっというその音。その一瞬で奴らの命が終わる。私はその一瞬、自分の胸がぐしゃっと痛むのを感じる。感じるが、どうしようもない。喰うか喰われるか、それしかない。奴らが先に憑依するか、私が先に奴らを殺すか。それしかもう、ない。
奴らを見つけるたび、私はまるで、無感情の殺人鬼になったような気持ちにさせられる。私のサンダルには、奴らの怨念がべったり貼り付いているような気さえしてくる。それでも、私は見つければ奴らを踏み潰さずにはいられない。それが、何より腹が立つ。
いや、本当は、哀しいのだ。とても哀しい。どうしてこんなことになっているんだろう、世界は、と、世界の仕組みを呪わずにはいられなくなる。奴らが薔薇の根を喰わなければ、私は奴らとこんなふうに張り合う必要はないというのに。どうして世界はこんなふうになっているんだろう。
ホワイトクリスマスの蕾がぼわっと咲いた。一気に咲いた。あぁ、と思って近寄ったら、そこに奴らがいた。花の中心で、交尾している。私は愕然とした。せっかく咲いたと思って近寄った瞬間、奴らがいたのだ。たまらない。指で直に掴むこともできず、私は慌てて部屋に戻り、ビニール袋を手に被せ、奴らを薔薇の花から引っぺがす。そのままビニールに包んで、私は足で、やっぱり足で、奴らを踏み潰す。嫌な音が響く。耳の内奥にべったり、こびりつくように。
あぁもう嫌だ。こんなことは嫌だ。そう思うのに、どうしようもない。私はどっと疲労に襲われ、崩れ落ちるように床にぺたり、座り込む。
ひとつの命を救うために、幾つもの命を奪ってゆく自分のこの足。この足は一体何様なんだろう。何者なんだろう。殺めるためにここに在るわけじゃあるまいに。それでも私は踏み潰すのだ、奴らを見つければ、容赦なく。そのたび現れる哀しみを呑み込み、知らぬふりをしながら。
友人から電話があったのは夜。自分から掛けて来たのに、早々に切ろうとする友人。でも、今私が何か言っても、多分余計なことになってしまう。そんな気がした。ひどく気になりながらも、私は黙って切った。また日を改めて、彼女に電話をしよう。心のメモに、そう記して。
友人とはもうどのくらいのつきあいになるんだろう。私がもう考えてみれば十年を越える。面長の顔に、真っ直ぐの目を持った友人。私は彼女が好きだ。たまらなく好きだ。理屈を抜きにして、私は彼女が好きでたまらない。別にしょっちゅう連絡を取り合うわけではなく。でも、要所要所、振り返れば彼女が在る。
遠慮なく、私の腕の傷痕を、それは普通に見て怖いよ、と言ってくれるのは、彼女くらいだろう。私はそんな彼女の声に、いつも励まされる。
でも、彼女には暗い暗い穴がある。いつの頃からから生まれた穴ぼこ。それは底なしの穴のように彼女を蝕んでいる。
彼女が穴から這い出ようとするたび、穴は彼女の足を捕え、再び穴に引きずり戻す。だから彼女は、疲れてしまう。もういいよと何もかもを放り出したくなってしまう。
私は彼女の後ろに広がるその穴に、触れていいのかどうか、まだ分からない。分からないけれど、もしその穴が彼女を呑みこもうとするならば、私は必死で彼女の腕をひっぱるだろう。どうやってでもひっぱって、こちらに引きずり戻そうとするんだろう。私にとって彼女は、そういう存在だ。
私がどうしようもなかった頃、彼女はただ、そこに在てくれた。ただそこに在て、待っていてくれた。それがどれほど大きな存在だったか、彼女は知っているんだろうか。私にとってそれが、どれほど大きな光だったか、彼女は気づいているだろうか。
気づいていようといまいと、私にとって彼女は、かけがえのない存在に変わりはない。私は、何となく、壁に貼り付けてある彼女の娘と私の娘とが並んで写っている写真を見やる。二人とも大きな笑顔で、はじけんばかりの笑顔で、そこに在る。
ベランダに出て、空を見上げる。薄い水色の空が、ほんのりそこに広がっている。風は緩く、だからかもしれないが、湿気を強く感じる。
ラヴェンダーのプランターの脇、しゃがみこんで、絡まり合ったデージーとラヴェンダーの枝葉を解く。いつのまにかこんなにもデージーの葉が茂っていた。細い細い、糸のような枝葉。でもこれが厄介なのだ。雀の巣のようになってしまう。だから私は、毎朝毎朝、こうして解きにかかる。
友人がくれた枝を挿したものの、蕾に色が見え始めた。あぁ、赤色だ。私は何となしに微笑む。赤色が生き残ってくれたのか。あともう一本は何色なんだろう。こちらはまだ花芽をつけていないから分からないけれども。友人に早速知らせよう。
隣のパスカリの枝葉を見つめていて、はっとする。嫌な感じ。まだ葉の表側に異常はないけれど。やっぱり。私は慌てて農薬を撒く。葉の裏側中心に薬を撒いて、次いで指で葉を拭う。これは一体何という虫なんだろう。私は知らない。母に聴いてみないと。
ミミエデンも続けて見つめる。続けて拭っていたのが功を奏したのか、今朝は比較的いい感じだ。でも。
その隣のベビーロマンティカに、移行していただけだった。私は思わず舌打ちする。何てこった、ベビーロマンティカにまで広がるとは。私は薬を吹きかけ、指で葉を拭ってゆく。それでどうにかなるものなのかどうかも分からないけれど、今はそれしか術が思いつかない。今ベビーロマンティカには二つの蕾もあるし、新芽もあちこちから吹き出しているし、これ以上これが広がったらとんでもないことになる。私は丹念に、とにかくあやしいところは全部、指で拭ってゆく。私の指は、あちこちの棘に傷ついて、いつのまにか赤い血が滲み出している。でもそんなことはどうでもいい。とにかく手当てをしないと。
マリリン・モンローの方は無事のようだ。よかった。でも油断はできない。これから気をつけて見ておかないと。二つの蕾は、徐々に徐々に膨らんできている。蕾にまで影響はないとは思うが、それでも。
何だか今朝はベランダの作業だけでぐったり疲れた。アメリカンブルーが五つの花を揺らしている。それだけが救いかもしれない。
部屋に戻り、お湯を沸かす。レモン&ジンジャーのハーブティーを作る。それを持って机に座り、取り掛かっている作業の続きをする。
娘はといえば、枕とは逆向きに寝っ転がって、ぐーかーいびきをかいている。起きるまでまだ時間はある。やれることを済ませておかないと。私は背筋を伸ばし、モニターに向かう。

郵便局でそれ用の口座を作れることは分かった。あとは明日の電話工事を待って、それからだ。果たして誰かの役になんて立てるんだろうか。性犯罪被害者のサポート電話なんて、本当に役に立つんだろうか。分からない。分からないけれど。
できることからやっていくしかない。
ふと、父の嘆く顔が浮かぶ。おまえはまたそんなくだらんことを、という顔。私は心の中、小さい声で、ごめんね、と謝る。それでも私には、こういうことしかできない。

いつまでも眠っている娘を叩き起こす。彼女が準備をしている間に、私は弁当を作る。卵のサンドウィッチ。ゆで卵を潰した中に、胡瓜を細かく切ったものを混ぜて、マヨネーズと塩胡椒で味付けして。簡単簡単。
ほら、行くよ、と声を掛け、私はゴミ袋を持って外に出る。慌ててついてきた娘が、そのまま階段を駆け下りていく。それを追うように私も駆け下りる。
二人して自転車に跨り、坂道を下る。信号を渡って公園へ。
何人かの散歩の人が、めいめい樹を見上げている。私たちもそれに習って樹を見上げると、ちょうどそこで、蝉の羽化が始まっていた。
ママ、喋っちゃ駄目だよ。うん。すごいね、透明だね。うん。今鳥なんかが来たら、いっぺんでやられちゃうよ、どうする? しっ、黙って。
どのくらいそうしていたんだろう。私たちの目の前で、蝉は殻を脱ぎ捨てた。じっと樹にしがみつき、体が乾くのを待っている。気づけば私たちの周りは蝉の声だらけで。もうあちこちの樹から、蝉の声が降り注いでおり。
ママ、蝉って、命が短いこと、知ってるのかな? どうだろう。命が短いから、こんなに必死になるのかな? 知っていても知らなくても、生きてる者はいつでも、必死だよ。そうなのかな、だったら人間が、怠け者ってことなのかな。ははは。どうだろうね。
再び私たちは自転車に跨り、大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。いつもとは逆の方向へ走る。海と川とが繋がる場所。水は灰色と緑色を混ぜたような色合いで。そこに、水母がぷかり、ぷかり、浮いている。さらにそこを越えて、三角公園へ。ベンチに座る老人が、群がる鳩に餌をやっている。私たちはそれを、後ろの方からじっと、眺めている。
ママ、朝って忙しいね。ははは、そうだね。私たちはさらに、目的地へ向かって走り出す。
さぁ、もう一日は始まっている。しかと歩いていかなければ。


2010年08月16日(月) 
痛い、と思って目を覚ますと、私の顔のすぐ横に娘のでかい足が。やられた、と思いながら私はひとつ溜息をつく。ねぇ痛いよ、と言いながら娘の足をぱちんと叩く。これくらいやり返すのは、赦されるだろう。
何度か寝返りを打ち、でも戻ってこない眠りを諦め、起き上がる。白み始めた空。私は窓を開け、ベランダに出る。
薄い雲が空のところどころに浮かんでいる。この分じゃ、今日も暑くなるのだろう。思いながら私は大きく伸びをする。風もまだ殆どない朝。昨日の夜干した娘の洗濯物も、じっと垂れ下がっている。
私はラヴェンダーのプランターの脇にしゃがみこむ。デージーとラヴェンダーの絡まり合った枝葉を解いてゆく。風がないせいだろう、いつもよりずっと、ラヴェンダーの香りが濃く漂ってくる。私はその香りを、ゆっくりと吸い込む。
パスカリの蕾たち。まだまだ小さなその蕾。でも確かにそこに在る。そこに在るということが、私を励ます。頑張れ、もうちょっと大きく膨らんでおくれ。私は心の中、声を掛ける。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。こちらもまた小さな蕾をつけている。この炎天下、しんどいだろうに。それでも一生懸命蕾を守って立っている。私はこちらにも、踏ん張れよ、と声を掛ける。
友人から頂いた枝を挿したもの。蕾をぴんと空に向けている。まだその花びらの色は分からない。何色が咲くのだろう。気になって気になって仕方がない。
ミミエデン。今朝も私はその葉の裏を指で拭う。今朝は昨日ほど茶色い染みはつかず。少しずつでもいい、害虫がいなくなってくれればそれでいい。私は丹念に、指で葉を拭う。
ベビーロマンティカ。二つの蕾をつけて、あちこちから新芽を吹き出させている。なんだか今朝はひそひそ話をしているかのように見える。風も吹かない朝、ひそひそ、ひそひそ、小さな声で。
ホワイトクリスマスの蕾が綻び始めた。思っていたよりもずっと早い。だからかもしれない、ちょっと花は小さめだ。それでも、咲いてくれることに変わりはない。嬉しい。
マリリン・モンローは、まだその蕾を固く閉じており。でも、見るごとに少しずつ膨らんできているのが分かる。
アメリカンブルーは今朝、三つの花を咲かせている。この花は早起きだ。私よりずっと。一体いつ花を開かせるんだろう。それが知りたい。
私は部屋に戻り、お湯を沸かす。レモン&ジンジャーのハーブティーを入れることにする。少し濃い目に入れて、氷で割る。瞬く間に溶けてゆく氷。少しぬるめのハーブティーのできあがり。
私はそれを持って、机に座る。昨日始めた作業の続きに取り掛かる。数年前に撮った写真、「緑破片」と私は名づけた、その写真群。たまたま私の緑色のワンピースを彼女が着て撮ったせいかもしれない。いや、季節がたまたま、緑溢れる季節だったからかもしれない。どちらか分からないけれども、緑の印象があって。そしてまた、破片というのは彼女だ。粉々に砕けた破片。性犯罪被害とDVの被害を受けてもなお、必死に生き延びる彼女の象徴。
改めて写真を見ていて、彼女は生きているのだなということを、痛いほど感じる。それは当たり前のことに見えるかもしれないが、決して当たり前なんかじゃない。彼女が一分一秒、必死になって越えてきているからこそ、在るものだ。当たり前なんかじゃ、決して、ない。
ねぇさん、どうしてみんな、私に、頑張れだとか何だとか、言ってくるんだろう。私もう精一杯頑張ってるのに。彼女が以前言っていた言葉だ。本当にそうだと思う。殺されるかもしれないという時間を越えて、それでもはいつくばって、必死に生きている彼女に、どうしてこれ以上頑張れなんて言えるのか。
彼女の体は、傷だらけだ。私とはまた違う傷。腕だけじゃない、あちこちに、在る。彼女が生き延びてくるために必要だった傷痕。
ねぇさん、こういうことが、突然降って来るってこと、みんな知ってるのかな。きっとみんな、自分にはあり得ないって思ってるよね。私だって、自分の身の上に起こるまでは、きっとそう思ってた。でも、自分の身にそれが降りかかって、分かったんだ。これは、どこにでも起こり得ることなんだって。DVの被害も、性犯罪の被害も、ね。
そう、誰も望んでそんな被害に遭うわけじゃない。思ってもみないところで、思ってもみない形で、突如襲い掛かってくるのだ。
襲い掛かられてから慌てたって、もう声なんて、出なかったりする。抗おうにも抗えなかったりする。その現実を、どれだけの人が、自分の身に置き換えて考えているんだろう。多分、ほとんど、いないんじゃないか。
強姦のドラマも、DVのドラマも、テレビで放映されたことがある。でも、それを、現実にあり得ることとして、わが身に起こり得ることとして捉えていた人は、どのくらいいるんだろう。
膝を抱えて、夜、語り合った彼女の顔を、改めて思い出す。私たちにとってもうそれは、日常で。みんなが起こり得ないと思っていることに襲い掛かられた私たちの日常は、一分一秒を生き延びることが、もうそれだけで必死で。
でも、それでも、容赦なく周囲から言われるのだ。「もういい加減昔のことなのだから忘れなさい」「もう過去のことなのだから」「頑張らなきゃだめでしょ」などなど。
そのたび、私たちはさらに、傷つくのだ。どうしてこれ以上頑張れるのだ、と。今すでにもう十分頑張ってるじゃないか。どうしてそれが伝わらないんだ、と。
でも。
伝わらないんだ。
悲しいことに。
みんな「過去」にしたいから。そういった記憶はさっさと過去にして、蓋をしてしまいたいから、見ないで済むなら見たくないから。みんなそうやって、さっさと先に歩いていってしまう。
取り残されて、私たちはさらに取り残されて、ぽつり、ひとり、膝を抱える。
ねぇさん、私、頑張ってるよね。
そう言った彼女の声が、私の耳から、離れない。

娘が帰って来た。従兄弟たちと十二分に遊べたらしい。天気は悪かったけれど、その中で存分に遊べたのだろう。日焼けした顔がそう物語っている。
ママ、ミルクもココアも、みんな、デブになってる! え? ママ、餌やりすぎたんじゃないの? ええ、そうなの? だってみんな、デブになってるよ、ほら。うーん、ママ、わかんない。ミルクなんて、顔までたぷたぷになってる。どうすんのー?! し、しらないよ。ママのせいじゃないって。あーあ、また運動させなきゃ。
娘の高い声が部屋中に響き渡る。私はその声を、遠巻きに眺めている。

じゃぁね、それじゃぁね。ママが病院行ってる間、しっかり復習やっときなよ。わかってるってー。手を振って別れる。玄関前。
私は階段を駆け下り、バスに飛び乗る。いつもよりは空いているバスの中。ぼんやり車窓を見やりながら、駅へ。
それでも、女性専用車両があることは、助かる。お盆休みをまだ取っている人がいるはずでも、混みあう電車。私は専用車両にさっと乗り込み、扉に一番近い場所に立つ。そこが定位置。
電車が川を渡ってゆく。水嵩がずいぶん増している。それだけ上流では雨が降っているということなんだろうか。春に撮影に来たとき走った場所は、今、水の中。
やりたいこと、やらなきゃいけないこと、山積みだ。しっかりこなしていかないと。ようやく駅に着いた電車から、私は駆け下りる。
さぁ、今日も一日が始まる。


2010年08月15日(日) 
ずっと夢を見続けていた気がする。魘されて起きるほど酷い夢でもなく、かといって心地いい夢というわけでもなく。中途半端に漂わされて、何処にも行きようがない、そんなどっちつかずの夢を見ていた。
起き上がり、窓を開ける。風がひゅるりと吹いている。水色の空はまだはっきりとは見えないけれど、多分今日も晴れるんだろう。そんな気がする。部屋の中からがらがらと大きな回し車を回す音が聴こえる。私が戻って覗き込むと、ミルクがちょこねんと回し車の中央に立って、こちらを見上げている。おはようミルク。私は声を掛ける。声を掛けた途端、彼女はたたたと駆け寄ってきて、出してくれ出してくれとせがむ。こわごわ私が手のひらを差し出すと、たっと乗ってくる。お願いだから噛まないでね。私は一応頼んでみる。落ち着きなく私の手のひらから膝の上へ飛び乗り、今度は膝から太腿の辺りを行ったり来たりしている。今日お嬢が帰ってくるよ。私は声を掛ける。帰ってきたらいっぱい遊んでもらいなね。ミルクはそれが聴こえているのかいないのか、ひっきりなしに私の体の上、行ったり来たりしている。
それを嗅ぎつけたのか、ココアも扉のところにやってきて、がしがし噛み付いている。私はミルクを籠に戻し、今度はココアの相手をする。ココアは放っておいてもじきに肩に乗ってくるので、私は彼女がするままにさせておく。彼女が肩に乗ったところで、昨日洗い残したお茶の瓶を洗いにかかる。私の左肩から右肩へ、右肩から左肩へ、行ったり来たりするココア。ココアにも、今日お嬢が帰ってくるから、そうしたらいっぱい遊んでもらいなね、と声を掛ける。
さて、ゴロは。見ると、ゴロは小屋から顔を出して、じっとこちらの様子を窺っている。私が苦笑しながら手のひらを出すと、しばらくじっとしていて、それからごそごそ小屋から出てくる。いいんですか、とお伺いをたてるような目線でこちらを見上げてくるので、いいんだよ、と、私はじっと待っている。ようやくてこてこと乗ってきたゴロ。本当におまえは遠慮深い。そんなんだから私はお前が好きなんだよなぁと思う。ゴロのこうした仕草は、昔飼っていた猫の、モモとの出会いの頃を思い出させてくれる。もう空の星になったモモのことを。
ひとしきり三人と戯れた後、私は再びベランダに出る。櫛で髪を梳き、後ろ一つに結わく。そうしてぐるぐる丸めて、簪でひょいと留める。空はさっきよりはっきりと色を現わしだしており。薄い雲の向こうに、水色の空が広がっているのが分かる。
私はしゃがみこんで、ラヴェンダーとデージーの絡まり合った枝葉を解く。時折漂ってくるラヴェンダーの香りを胸に吸い込みながら、ふんふんと鼻歌をうたいつつ解いてゆく。デージーの花は、一体いつ終わりになるんだろう。次から次に咲いて、今のところ終わりが見えない。黄色い小さな小さな花。でも、この鮮やかな黄色が、私を元気にさせてくれる。
アメリカンブルーは今朝五つの花を咲かせており。風にゆらゆら揺れる枝葉。その青はいつ見てもきれいな青で。私は指先でそっと、花弁に触れてみる。柔らかな薄い薄い花弁が、私の指先を小さくくすぐる。
パスカリの蕾が徐々に徐々にだけれども膨らんできている。まだ固く閉じているけれど、きれいな蕾。念のため、葉の裏を拭ってみる。今のところ虫はついていないようだ。よかった。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。ひとつの蕾をつけて、今、一生懸命膨らませようと頑張ってくれている。新たに萌え出た新芽は、明るい黄緑色をしており。こちらも葉を撫でてみるが、今のところ大丈夫なようだ。
友人からもらった薔薇を挿し木したそれ。蕾をぴんと立たせ、元気いっぱいに空に向かっている。まだ何色が咲くのか分からない。さて、どんな色が咲くんだろう。どきどきする。
ミミエデンをじっと見つめると、やはりまだ虫がいるようだ。私は指先で葉を拭う。と、茶色い染みが私の指につく。私はやけになって、すべての葉を拭ってみる。指先がすっかり茶色くなってしまった。気持ちが悪くて私はさっさと指先を水で洗い流す。どうしてこうもミミエデンにばかり虫がつくんだろう。隣のベビーロマンティカは元気いっぱいだというのに。明日も葉を拭ってやらないと。私は心に小さくメモをする。
ベビーロマンティカは、新たにまた蕾をつけた。今ある蕾はふたつ。そしてあちこちからまた新しい葉を出している。今朝は、風に乗って高らかに謳っているかのように見える。明るいソプラノの声が、何処からか聴こえてきそうな気がする。
ホワイトクリスマスの蕾。もうだいぶ膨らんできた。白い、ちょっとクリームがかった花弁が風を受けながらしかと立っている。滑らかな花弁。私は指先でちょっと突付いてみる。冷たくて柔らかな、陶器のような感触が指に伝わってくる。
マリリン・モンローはふたつの蕾をくっつけて、空を向いて立っている。まだこちらはホワイトクリスマスの蕾に比べてずっと小さいけれど。ここからどのくらい膨らむんだろう。大きな大きな花になるといい。
私は部屋に戻り、お湯を沸かす。ふくぎ茶を入れる。友人に頂いたお茶だが、涼やかな味がして、夏にとても似合っている。昨日通販しているところを見つけて、早速注文してみた。注文するところで気づいたのだが、ふくぎ茶にも二種類あるようで。ピンク色に煮出されるものと、私が今飲んでいるオリジナルブレンドと。ピンク色のはどんな味がするんだろう。気になったが、今回はオリジナルブレンドだけを注文。届くのが楽しみだ。
机に座り、改めて空を見やる。窓から見える空は、薄い雲がかかっているせいだろうか、少し低く見える。私は空を見ながら、あれやこれや心のメモをひっくり返す。
遠く西の町に住む友人から突然電話が来た。今江ノ島にいるのだという。吃驚して尋ねると、パートナーが急に休みを取ることができたらしく、ここまで遠出してきたのだという。今から会おうと約束し、しばらく待っていると、髪の毛を短く切った友人がパートナーと現れた。
数年前会った時の彼女は、小さく震える小鳥のようで。ここは安全な場所だよと言ったとしても震え続ける小鳥のようで。でも今目の前に現れた彼女は、その雰囲気を拭い去っていた。いろんなことが立て続けに在った。それでも、それらを乗り越えてここまでやってきた、そのことが彼女の自信に繋がっているのではなかろうか。そんな気がした。確かに大変で、辛くて、しんどくて、泣いた夜もあったけれど。それらを越えてきたことが、確かに彼女の足場を強くした、そんなふうに見えた。
何より、きれいになった。これはひとえにパートナーのおかげなのかもしれない。私の前で机に突っ伏して仮眠をとっている彼女のパートナーに、私は心の中、ありがとうと言った。
これからも様々なことがあるのだろうけれど。それは私も彼女も彼女のパートナーもみんな同じだ。いろんなことがあるだろうけれど、それでも、私たちは生きていくんだろう。泣いたり笑ったりしながら、それでも。
以前見送ったときは、心配が募ったけれど、今回彼女らを見送る私の心には、あたたかい風が吹いていた。また会える。そう思った。

夜、娘に電話を掛ける。今お風呂に入ってたところだよーと、元気な声が返ってくる。明日何時頃帰ってくるの? おやつの頃だって。ハムスター隠しておかなきゃね。うん、見つかったら大変だからね。私たちは電話を挟んで笑い合う。
数えて約一週間か。彼女が留守だった時間。長いようで短かった。振り返ればそういうものなんだろう。さて、帰ってきたらまた、彼女の塾のお弁当作りが始まる。いつもの習慣を取り戻さないと。そう思うと、怠けていたこの一週間が、ちょっと恋しい。

いつもより早めに家を出る。階段を駆け下り、自転車に跨る。坂道を下り、信号を渡って公園へ。蝉の声が響き渡る池の端。目を閉じて立っていると、全身蝉の声に覆われてしまうほど。私は悪戯に、池に小石を放る。ぽちゃんという音と共に生まれる波紋。美しい弧を描いて、やがて何処へともなく消えてゆく。向こう岸にいるのはトラ猫。大きな欠伸をひとつして、躑躅の茂みの中へ消えてゆく。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。風が大きく通りを渡ってゆく。銀杏並木を通り過ぎ、モミジフウも通り過ぎ、一時期お世話になった病院も通り過ぎて海の公園へ。
濃紺と鼠色と緑色を混ぜ合わせたような色の海。ざん、ざんっと、打ち付ける波が砕けて白く弾ける様を、しばらく眺めている。
落ち込んでいたって仕方がないのだ。気持ちを切り替えて、前へ進まなければ。そう思う。私にあの時できることはすべてやった。あれ以上のことは私にはできなかった。
大きく伸びをして、私は立ち上がる。ふと、公園の中央にある鐘をついてみたくなった。近寄って、そっと打ち鳴らしてみる。
再び自転車に跨り、私は道を往く。
さぁ、もう一日は始まっている。ペダルを漕ぐ足に力を込め、私はただ、走る。


2010年08月14日(土) 
横になっていると、頭にふと浮かぶ。「他人と過去は変えられない。が、自分は変えられる」。その言葉をなぞりながら、ふと苦笑が漏れる。
私はとんでもなく傷ついたけれど、傷つけた相手をどうこうしようとは思わない。その人がそうするしかなかった或いはそうしたかったというそのことだけ、覚えていようと思う。そうして私にできることは、この場所に固執せず、進んでゆくこと。自分の道を、歩み続けること。
久しぶりに友人と夕食を一緒にする。その友人が、冴えない私の顔を見て、わだかまっていることがあるなら話してしまえばいい、と言ってくれる。なのに、何故だろう、私の言葉は喉元まで出掛かっているのに、そこでくぐもってしまい、出てこない。そのことを話すと、それは相手を信用してないからなんじゃないかとからからと笑われてしまう。いや、そんなことはない、そうじゃなくて、話そうと思うのに、声が出ないんだ、と説明する。じゃぁまだ話す時期じゃないんだ、そういうことか? と言われ、そうなのかもしれない、と応える。正直、よく分からない。
私の中の誰かが、話してしまえばいい、ぶちまけてしまえばいい、と囁く。一方で、誰かが、こうも言う。話したからとて何が変わる? 何も変わらない。おまえが自分で出口を見つけるしかないんだ。両方の声の間で、私は頭を抱える。
そうしているうちに、一言だけほろり、零れ出す。私は、私という人間を、憎しみによって行為する人間とみなされたことに傷ついている。と。相手に一瞬でもそう思われたことに、今傷ついている、と。
友人が、そうか、と頷く。なんだかもうそれで、十分な気がした。
テーブルを囲んで、料理をつまむ。久しぶりに、食べるものがおいしいと感じられていることに気づく。やっぱり誰かと一緒に啄ばむ食事は、それだけでもう、おいしい。
終バスに揺られる帰り道。友人はここからさらに一時間半かけて家に帰らなければならない。ありがとう、と言い、そして、今度会うときは元気な私になってるよと約束して別れる。
玄関を開けると、がりがり、がりがりという音が響いている。私はつい笑ってしまう。急いでミルクの小屋に近づき、ただいまと挨拶をする。ミルクは、怒ったような、戸惑ったような、何となく情けない顔をしており。私は試しに、空の段ボール箱を用意し、そこにミルクを入れてやる。途端にあっちこっち走り回るミルク。無理だよと言うのに、角のところをがしがし噛んでみたり、両手で掻いてみたり。私は上からミルクの頭を撫でる。ひとしきりそうやって遊んで、じゃぁまたね、とミルクを籠に戻す。
すると今度はココアがかしかしと遊んでくれの合図を送っており。私は笑いながら、ココアを手のひらに乗せる。途端に私の腕を伝って肩まで上がってくるココア。肩にココアを乗せながら、私はあれこれ用事を済ます。ゴロはどうしているんだろう、と見てみると、ぐっすり小屋の中で眠っているところで。私は邪魔をしないよう、小さな声でおやすみと声を掛ける。
夜は瞬く間に過ぎ。朝になる。窓を開けると、強い風が吹いている。街路樹の緑がひらひらと翻っている。ベランダのアメリカンブルーも、さやさやと枝葉を揺らしている。今朝アメリカンブルーは三つ花を咲かせた。でも、残念ながら空は灰色だ。雨でも降るんだろうか。
ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝葉を解く。デージーの、咲き終わった花殻がだいぶ茶色くなってきた。でもまだまだ蕾はいっぱいあって。デージーはまるで生き急いでいるように見える。必死になって、花をつけ、それを種にして飛ばそうと、そこへ向かって一目散に走っている、そんなふうに見える。それがちょっと、哀しい。
蕾を二つつけたパスカリの横で、友人から貰った薔薇を挿した、その枝が揺れている。だいぶ蕾も膨らんできたが、まだ何色かは分からない。私はじっとその蕾を見つめる。楽しみだ、どんな色が見られるんだろう。咲いたらすぐ、友人に知らせよう。
ミミエデンの葉を、今朝も私は丹念に拭う。そうしてやらないと、すぐ虫がついてしまいそうで。今のところ、一段落したらしく、新たに指が汚れることはないのだけれども。
ベビーロマンティカは、奥の方からまた新芽を芽吹かせており。今朝は、強い風に向かって喚いているかのように見える。おかしな樹だ。
ホワイトクリスマスの蕾がだいぶ大きくなってきた。まっすぐ天を向いて立つその蕾。そしてそのすぐ近くには、マリリン・モンローの、二つの蕾が立っている。こちらはまだ、小さい。
挿し木ばかりを集めた小さなプランターの中、もう諦めかけていた一本から、新芽がほろり、零れているのを見つける。さて、この子はどうなるんだろう。ここまで新芽が出てきたからといって、安心はできない。このまま立ち枯れてしまうことが殆どだから。でもできるなら、葉を広げてほしい。枝葉を広げていってほしい。祈るように思う。
部屋に戻り、お湯を沸かして、ふくぎ茶を入れる。さっぱりした味のお茶。今度何処かで見つけたら買い足そうと思っている。何処に売っているんだろう。ちょっと探してみないと分からない。
マグカップをもって机に座る。開け放した窓から、涼しい風がぴゅうぴゅう流れ込んでくる。それにしてもずいぶん涼しい。こうも日毎温度差があると、体がついていかない。私は煙草に火をつける。とりあえず朝の仕事に取り掛かろう。

ねぇさん、ちょっとは怒りなよ。うん、そう思うんだけど、怒りよりも、何というか、虚しくなってきちゃうんだよね。そうなんだよねぇ、ねぇさんは虚しくなっちゃうんだよね。うん、そうなんだよ。でも、怒るのって大事だよ、特に自分のために怒るのって、必要なことなんだよ、私、そう思う。そうなんだろうなぁ。それは分かってるんだけどね、こう、哀しいの次に虚しいがやってきて、もうそれに全身覆われちゃうんだよね、私って。だからだめなんだよぉ、ぶつけていいんだよ、理不尽なことされたらぶつけていいんだよ、相手に。うん、それも分かってる。分かってるんだけどね。ははは。私にはできないよ、ねぇさんのようなこと。とてもじゃないけどできない。それだけでもせめて、ちゃんと自分を褒めてあげなよ。うーん、そうなのかなぁ。そうなの! 自分を褒めてあげなきゃかわいそすぎるよ! うんうん、分かった、できるようになったらそうする。もう、ねぇさんてば!

ゴミ袋を持って玄関を出る。階段を駆け下りて、ゴミを出し、自転車に跨る。
坂道を下って信号を渡って公園の前へ。蝉がミンミン啼いている。樹の上の方から、ごごごぉっと、蝉の啼き声が降りてくるかのようで。私はしばし呆気にとられる。蝉は自分の命の短さを最初から知っているんだろうか。知っていて、こうやって懸命に啼いているんだろうか。
公園の池の端に立つと、池が小さくさざなみだっている。それでも、空を映し、その空は雲に覆われているのが分かる。見上げれば灰色の空、雲がぐいぐい流れてゆく。
こうして樹に囲まれて目を閉じて立っていると、いろんな音が耳に流れ込んでくる。蝉の声はもちろん、樹の枝葉の擦れる音、鳥の羽ばたく音、風が枝と枝の間を通り過ぎる音。それらはたぶん、これ一回きりのもので。二度とはない音で。私はしばし、その音に浸る。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。こちらもまた風が強い。風にハンドルを持っていかれないよう、ぎゅっと握って私は走る。真っ直ぐ走れば海だ。
海は紺色と鼠色を混ぜたような色をしており。ばしゃん、ばしゃんと打ちつけてくる波は白く弾け。遠くで汽笛が鳴った。
さぁ、今日も一日が始まる。私は海に背を向け、再び走り出す。


2010年08月13日(金) 
猛烈な下腹部の痛みに襲われて、寝床をばたばたのた打ち回る。顔から汗が噴き出してくる。またあの痛みかぁと思いながら、逃れる術がないことに苛立つ。のた打ち回ることにも疲れ始め、でもばたんばたんと体勢を変えていないと辛くて、何度も向きを変える。
そうやってどのくらい経ったんだろう。覚えていない。
痛みがやってくるのも突然なら、引くのも突然なのだ。ふっと下腹部の緊迫感が抜け、痛みも一緒に抜けてゆく。荒くなった息を、何とか整えようと、ゆっくりゆっくり意識して呼吸をする。
深呼吸をようやくつけるようになって、私は状態を起こす。ぐしゃぐしゃになった布団の上。片付ける気力もなく、起き上がる。閉めておいた窓を思い切り開けて、私はベランダに出る。
今日娘のいる場所は、晴れるだろうか。空を見上げながら思う。晴れてくれるといい。前日雨で潰れてしまった登山と水遊び。今日こそできるように。私の立つ場所から見える空は、一面雲に塗れており。水色は何処にも見えない。涼しい風がゆるやかに流れている。街路樹も今日は、静かだ。
私はラヴェンダーのプランターの脇にしゃがみこむ。絡まり合ったデージーとラヴェンダーの枝葉を、そっとそっと解いてゆく。雑念が頭の中ぐるぐる回るのを、何とか追いやって、私はその作業に集中する。時折ラヴェンダーの香りがふわり、漂ってくる。
パスカリの一本。蕾が真っ直ぐ上を向いている。ちょっとひ弱そうな樹だけれど、それでも踏ん張ってくれている。私は黄色くなった何枚かの葉を、指先で摘む。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。ひとつの蕾。それにしても、この樹は本当に小さい。私の両手のひらに、こんもり乗っかりそうな、そんな大きさ。本来はどれくらいに育つんだろう。他のところで咲いているのを見たことがないから分からない。
もう一本のパスカリ。横に横に広がってゆく。小さな蕾がふたつ、それぞれの伸びた枝葉にくっついている。
友人から頂いた薔薇を挿し木したそれは、今朝も元気に蕾をくっつけており。まっすぐ上を向いて立っている。二本の枝葉が、競うようにして。別に競い合わなくたっていいのに、と私は何となく苦笑する。
ミミエデン。今朝も私は葉の裏側を拭う。だいぶよくなってきた気がするのだけれど、油断は大敵。この子は本当にか弱いから、気を抜くことができない。
ベビーロマンティカは、新しい蕾をつけながら、小さくおしゃべりしている。でも何だろう、今朝はそれさえ、寂しそうに見えるのはきっと、私の心の反映なんだろう。
ホワイトクリスマスとマリリン・モンロー。凛と立つその様。ホワイトクリスマスの蕾がだいぶ膨らんで、下の花びらの色が見えるようになってきた。真っ白のそれは、ほんの少ししか見えていないというのに、私の目には眩しく映る。
生きているってことは、どうしてこうも疲れるんだろう。いや、死んだことがないから、死んだときどうなるのか私には分からないのだけれども。
それにしたって、しんどい。生きていることは本当にしんどい。しんどくてしんどくて、やってられなくなるときが、私にだって、ある。
あなたは前向きだから、とか、あなたは大丈夫だから、とか、そういう言葉に、苦笑しか返せなくなることだって、ある。
いっそのこと、と思わないわけじゃない。でも思うそばから、それはできない、と思う。それをしたら、私は多分、後悔する。

今日はカメラを持ち出して、ふらふら歩こう。

やらなくちゃならないことは山積みだけれど。今日一日くらいそれを忘れて、自分のことだけに浸ろう。

もう一日は、始まっている。


2010年08月12日(木) 
うまく眠れないまま朝になる。起き上がって窓を開け、緩み始めた紺色の空を見上げる。風がやけに強い。びゅうびゅう吹いている。街路樹の葉が風に煽られ、裏側の白緑色があちこちで翻る。
ミルクもココアもゴロも、今は眠っているようで。静かだ。昨日の夜は、みんながみんな、回し車をがらがら回したり、扉口に齧りついていたり、大騒ぎだった。私なりに相手をしてやっているつもりなのだが、満足できないらしい。娘が帰ってくるまでに、ストレスが溜まって毛なんて抜けてこなければいいのだけれど、とちょっと心配になる。
昨日は傾聴の授業の日だった。早めに家を出、東京方面に向かったのだが、思った以上に混雑していて。正直驚く。このくらいの日だったら、お盆休みでがらがらになっているんじゃないかと期待していたのに。乗る路線に女性専用車両がないことが辛い。友人はグリーン車に乗って来ると言っていたが、私には、ちょっとその余裕がない。必死に吊革に掴まり、誰にも触れないよう、触れられないよう、体の位置を保つ。呼吸が上がってくるたび、目を閉じて、自分に暗示をかける。大丈夫、大丈夫、あとちょっと。
ようやく目的地に辿り着いて、とりあえず喫茶店へ逃げ込む。心臓が落ち着くのを待って、煙草に火をつける。
授業が始まるまでの時間は調べ物に充てることにする。しばらく前から考えていたこと、性犯罪被害者のサポート電話を、実現させることはできないか、ということ。そのための調べ物。
あれやこれや調べているうちに、あっという間に時間が経ち、待ち合わせていた友人がやって来る。お互い、東京校の授業に出るのは初めて。どんな雰囲気なんだろうねと喋りながら、学校へ向かう。
場所が違えば人も違う。異なる雰囲気の中、受ける授業。無駄口ひとつ叩くことないメンバーの、真剣な表情に、何だか励まされる気がした。ただ、やっぱりここでも、試験に合格するためには、ということが優先されており。でもそれも仕方がないのだろう。当たり前なのだろう。そこから外れている自分の方が、多分ちょっと、おかしいんだろう。
授業の後、友人と昼食をとる。が、しかし、二人ともこの傾聴の授業の後というのは、食欲が出ない。エネルギーを使っておなかはすいているはずなのだが、食欲は皆無に近い状態で。まぁいつものことだよね、と二人して苦笑する。
帰り道は電車もがらがらで。座席も空いており。並んで窓際に座る。友人が話し出す。インターネットで調べてみて改めて知ったのだけれど、性犯罪被害の窓口って、本当に少ないんだね。うん、そうだね、犯罪被害やDVについてはずいぶん以前より増えてきたけれど、性犯罪被害に特化した窓口って、本当に少ないと思う。
私も性犯罪被害者なら、彼女も、未遂であったとはいえ被害者の一人だ。襲われかかったところにたまたま通行人が現れたからよかったものの、そうでなければ服が破け傷を負う程度じゃ済まなかった。彼女が言う。生まれて初めて、声が出ないって経験をあの時した。世間では、どうして逃げなかったのかとか、声を出さなかったのかとか言われることが多々あるけれど、そんなの無理、無理なんだよ。うん、そうだね。一瞬のうちに、自分に今何が起こっているのか、そんなはずはない、でも、いや、そんなはずは、私は死ぬんだろうか、って、いろんな思いが交錯して、頭が真っ白になった。何がなんだか分からなくなった。うんうん。今この瞬間も、何処かでそういうことが起こってるかもしれないと思うと、たまらない。うん。
どうやったらこの計画を実現できるのかなんて、はっきりいって今の段階では全く分からないけれども。実現させたいと思う。同じ被害者の立場から、何かできることはないのか。ただただ今は模索している。
友人とまた会う約束を交わし、別れる。家に戻り、郵便受けを見ると、封筒が一つ。開けてみると、北の町に住む友人からだった。秋にあるビーズの展覧会に向けて、作品を作っている最中なのだという。彼女も性犯罪被害者の一人。昔、私の写真のモデルになってくれたこともあった。「私の病気のことも配慮した上で、作品を買い上げてくれるという人が現れたんだ。すごく嬉しい」。手紙にはそう書いてあった。読んでいる私も、嬉しくなって、頬が緩む。よかった、本当によかった。社会との関わりを取り戻し始めた彼女に、私は心の中、拍手を送った。
徐々に徐々に空は白んでゆき、気づけば美しい水色の空に変わっている。私はベランダに出、大きく伸びをする。うっすらと空に雲はかかっているものの、今日もやっぱり暑い日なんだろう。私はそんなことを思いながら、プランターの脇にしゃがみこむ。
ラヴェンダーとデージーは、この強風でいつもよりもさらに絡まり合っており。私はそっとそっと、枝葉を傷つけないよう、解いてゆく。ラヴェンダーの枝が擦れるたび、ふわっとラヴェンダーの香りが漂い、でもすぐに風に飛ばされてゆく。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。ひとつの蕾がぷらぷら風に揺れている。一本のパスカリに一つの蕾、もうひとつのパスカリに二つの蕾。きっと花は小さいだろうけれど、でも。咲いてくれたら嬉しい。
ふと見てぎょっとする。友人から頂いた枝を挿し木した、それに、早々と蕾がくっついている。挿してからどのくらい? 約二ヶ月。さぁて、何色の花が咲くんだろう。
ベビーロマンティカは、またまた次の新しい蕾を抱いており。本当にこの樹は元気だ。とどまることを知らないかのようだ。たまには休んでいいのよ、と、私は小さく声を掛ける。
ミミエデン、葉の裏側を丹念に拭う。指先が瞬く間に汚れてゆく。それでも私は、拭い続ける。
ホワイトクリスマスとマリリン・モンロー。それぞれに蕾をつけて、凛と真っ直ぐに立っている。この強風にはさすがに揺れているけれども、それでも、軸はぶれない。その強さに、私は憧れる。
部屋に戻り、お湯を沸かす。友人から頂いたふくぎ茶という名前のお茶を作ってみる。一口、二口。さっぱりとした、爽やかな味。これは夏にとてもお似合いかもしれない。私は、今日帰宅したときの為にも、余分に作って、冷蔵庫に入れておくことにする。
その時、携帯電話が鳴った。娘からメール。「雨だから、山登りもプールもできない。涙」。あちゃぁ、そうか、台風の影響を受けているのかもしれない。かわいそうに、あれほど昨日楽しみにしていたのに。私は早速メールを返す。ココアもミルクもゴロも、みんな元気でやってるよ。でも、あなたがいないから、不機嫌だけどね。明日晴れるといいね、照る照る坊主、作っておくよ!
私はお茶を飲みながら椅子に座り、再び空を見上げる。風に流されてゆく雲の早さ。その時、通りから大きな掛け声が響いてくる。どうも野球チームの合宿らしい。よろしくお願いします!と、大きな大きな子供らの声が響き、しばらくしてバスが走り出すエンジン音が聴こえた。
さて、朝の仕事に取り掛かろうか。

読みかけの本と、テキストと、プリントアウトしたものたち一式を鞄に詰め込む。窓を閉め、電気を消し、外へ出る。
階段を駆け下り、自転車に跨る。走り出そうとして、一瞬体勢を崩す。あまりに強い風。これはちょっと運転を気をつけないと。思いながら走り出す。
坂道を下り、信号を渡って公園へ。鬱蒼と茂る濃緑色は、こちら側から見ると、まるで黒い大きな影の塊のように見える。その森の中に入っていき、池の端に立つ。びゅうびゅうと吹く風のせいで、辺りの樹はみんな、ぐわんぐわんと枝をたわませている。見上げると、揺れる茂みの、ぽっかり開いた口から空が見え。その空では今、雲がびゅんびゅんと流れているところで。池の水面にも、その様子がありありと映っている。
再び自転車に跨り、大通りを渡って高架下を潜り、埋立地へ。こちらの風はさらに強い。自転車で真っ直ぐ走っているつもりなのに、徐々に徐々に道の端に追いやられてゆく。
自分にできること、できないこと。見極めよう。できることがあるなら、精一杯それに尽くしてみよう。今はただ、それだけ。
さぁ、今日も一日が始まる。私は真っ直ぐ続く道を、ひた走る。


2010年08月11日(水) 
起き上がり、窓を開ける。薄い雲が空の低いところに広がっている。水色の空は今日も暑くなりそうな気配。私は大きく伸びをして、それからプランターの脇にしゃがみこむ。
ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝を解く。解きながら、デージーの、茶色くなり始めた花殻をちらちら見やる。茶色く閉じて、固くなってゆくその殻。どのくらいで摘み取ってやればいいのだろう。そのタイミングがよく分からない。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。ひとつの蕾がちらちら揺れている。だいぶ伸びてきた根元から芽吹いた枝。私は黄色くなり始めた葉を、幾つか摘む。
パスカリの、根元から二本の枝葉を伸ばし出した樹。横に横に広がってゆくその様は、なんだかとっても不恰好で、ちょっと笑ってしまう。二つの新しい枝葉の先には、ちゃんと蕾が生まれている。
ベビーロマンティカの、一輪の花とミミエデンの一輪の花を切り落とす。ミミエデンは、ちょっと心配だから、葉の裏側を丹念に撫でてやる。ベビーロマンティカは元気一杯、次々新芽を吹き出させている。
ホワイトクリスマスに一つの蕾。マリリン・モンローに二つの蕾。それぞれに天を向いて凛と立っている。その立ち姿に、いつものことながら私は見惚れてしまう。こんなふうにいつも前を向いて、上を向いて、歩いていけたら、どんな心持になるんだろう。
アメリカンブルーは、三つの花を新たに開かせ。ちらちら揺れるその真っ青な色が目に眩しい。もう一度空を見上げれば、水色のきれいな空が、薄い雲を抱きながらきらきら輝いている。
出会ったのは十六の頃、一度縁を断って、そうして再会した友人。その友人が、目の前で顔を覆って泣いている。彼女のそんな泣き方を、私は初めて見る気がする。
人との関係って、こんなにも哀しいものだったんだね。こんなにも重たいものだったんだね。彼女はそう言って涙をぼろぼろと零している。私はじっと、その彼女を見つめている。今彼女の中で、もしかしたらどくんどくんと血が脈打っているのかもしれない、そんなことを思いながら、彼女を見つめている。
誰かと関係を持つとき、いつでもその終わりを考えている。きっと、必ずきっと、終わりが来るのだからと、構えている。その終わりを想像しながら、常に誰かと接している。そんな彼女だった。私との関係でも、いつかきっと私に棄てられる、切られるに違いない、きっとそうだと思って私と接している。彼女には、そういうところがあった。
それが今、失いたくない緒を、彼女は、まざまざと実感していた。それは彼女にとって、多分、初めてに近いことだったんじゃなかろうか。失いたくない、大切な大切な緒を、目の前に見、それを守るために、自分はどうしたらいいんだろうと、足掻いている。誰かを守りたいと思うこと、大切にしたいと思うことが、どれほど重たいものか。それを今、彼女は感じている。
彼女も私も、それぞれ機能不全家族に育った。いってみれば、人生の最初の人間関係で、すでに躓いていた。私は今彼女を目の前にしながら、私にも、最初から終わりを考えて人と面していた時期があったなと、思い出す。どんなに自分が大切に思おうと、信じていようと、人は必ず自分から去ってゆく。去ってゆかないわけがない。そう思っていた。最初から諦め、或る意味放棄して、関係を作っていた。だから人が去っていくときは、あぁやっぱり、と思った。そうやって自分を納得させ、自分を閉じた。自分は所詮、何の価値もない人間なのだから、と、そうやって自分を閉じた。
私がそこから這い出したのは、何がきっかけだったんだろう。改めて考える。
被害に遭い、もう自分を消去するしかない、そう思って何度も試みた。でもそのたび、消せない自分を見せつけられるばかりで。そうしていくうちに私は、生きたい、と、叫んでいる自分を見つけた。消去したいと思うのと同じくらいの強さで、生きていたいんだと叫ぶ自分。それを正面から見るのは、最初耐えられなかった。だから何度も逃げて、自分なんて、と自分を閉じた。でも。
一度見つけてしまった、生きたい、という叫びは、どうやっても私からなくなってはくれなかった。日毎大きくなって、大きく大きくなって、やがて私が、どうやっても目を逸らすことができないところにまで膨れ上がっていった。
あぁもう、私は生きるしかないのだ。そのことを悟った。その時、何かが弾けた。そう、何かが、弾けた。
閉じているばかりだったものが、もう閉じることはできぬと、私を押し出した。生きろ、と何かが言っていた。そして生きることは、関わりをもつことだと、誰かが何処かで私に言っていた。
あれから私の世界は、少しずつ少しずつ色を取り戻し始めた。誰かと関わること、一秒一秒越えて生きること、その繰り返しの中で、いろんなものが鮮やかな色をもつようになっていった。
今彼女の中で、世界はどんなふうに見え始めているのだろう。そう思っていた帰り道、彼女がふっと言った。世界に色がついて見えるみたいだ、と。
見上げる空は鮮やかな水色から、徐々にピンク色に染まり始めており。それは美しいグラデーションを、描いていた。

娘の留守、ハムスターたちは不満を爆発させている。遊んでくれ、外に出してくれ、扉の入り口に齧りついては主張する。私はそのたび、どうしよう、としゃがみこむ。
餌を遣るときはだから、大変だ。ミルクとココアが、出して出してと飛び出してこようとする。唯一ゴロだけが、ねぇ、出してくれるの?というような顔をして、こちらを見上げている。
とにかく三人平等に、と思うのだが、なかなかうまくいかない。私は正直ミルクが怖いし、娘がいないときのココアもかなり凶暴だし。唯一ゴロだけ。
今朝も、とりあえず三匹に、挨拶して外に出る。バスに乗り、駅へ。私は改札口で一つ深呼吸する。そうして改札をくぐり、電車へ。
混みあう電車の中、皆が何となく下を向いている。気だるそうな表情の人が殆どだ。私はドアの端っこに陣取り、身を縮める。できるなら誰とも接触したくない。こういうときは。
その時、娘からメールが届く。おはよー。絵柄もついたメール。こういうのを、あの子は何処で覚えてくるのだろう。私には全く分からない。
娘も向こうで頑張っているのだから、私もしゃんとしなければ、と思う。とりあえず、午前中の授業をこなして、午後は午後で仕事をして。ついでに食事も忘れないようにしないと。
窓の外、ぐいぐいと景色が流れてゆく。ようやく辿り着いた駅。飛び降りるようにしてホームに降り立つ。ここから歩いて十五分くらい。改札口の脇でふと立ち止まる。誰もが一様に、目的地に向かって黙々と歩いている様を、何となく見やる。
さぁ、今日も一日が始まる。私は気持ちを切り替えて、改札口を出る。


2010年08月09日(月) 
悶々としながら夜を過ごす。慣れているつもりだったけれど、それでも割り切れないものを感じる。
あまりに割り切れず、親友に打ち明ける。或る人に、こんなことを言われたのだけれども、と。それは、あっけない一言で。「いつまでも被害者ぶってるんじゃないよ」と。
いつまでも被害者ぶってるんじゃないよ、と、それはどういう意味なんだろう。私は別に、今常に、私は被害者ですという看板を背負って歩いているつもりはないし、私にできることをひとつずつ重ねていっている、ただそれだけのつもりだ。それだけのつもりだった。でもその人は、私の左腕の、夥しい切り痕を見、そう言った。
この傷痕が、そんなにもその人を不快にさせたのかと思うと、ぞっとした。私にとってこれはもう私の一部であり。皮膚移植でもしない限り、消えない痕であり。どうしようもない痕。それを、「いつまでも被害者ぶってるんじゃないよ」と言われて、私はどうしたらいいというんだろう。
友人が、私に、そういう人とは縁がなかったと思えばいい、と言ってくれる。あなたは何も悪いことはしていない、と言ってくれる。それを聴きながら、ふと、思った。この腕が、この傷痕が、娘にとってもその足をひっぱる要因になってしまうのだろうか、と。これから先、ずっとついてくるこの傷痕。私にとっては別にそれはどうってことはない。でも。将来のある娘にとって、それが足枷になるのかと思ったら、がくんと落ち込んだ。
でも。じゃぁ今私に何ができるだろう。私に出来ることは、ただ、堂々とこの人生を歩いてゆくことだけだ。それ以外に何もない。凛として、しゃんとして、歩いていくだけ。
二晩ぐでんぐでんに悩んだけれど、結局そこに行き着く。今私ができることは、やっぱりそれだけなんだ、と。
夜中から降り出した雨。ベランダに出ると、アメリカンブルーが濡れながらも六輪も咲いている。この灰色の空の下、明るい明るい青い澄み渡るような色味。なんだか見つめていると、ほっとする。
ミミエデンも咲いた。ちっちゃなちっちゃな花だけれども、きれいなピンク色を見せてくれている。そしてその隣では、ベビーロマンティカがこれもまた、花を開かせている。
ふとホワイトクリスマスを見て、驚く。新芽の間から、くいっと花芽が顔を持ち上げている。いつの間に。こんなにしっかりとした蕾をつけていたとは。嬉しい。とても嬉しい。そしてその隣のマリリン・モンローは、あちこちから新芽を吹き出させている最中で。こちらもまた、忙しげに動き始めている。
いろんなものがこうやって、毎日毎日変化してゆく。止まっているものは何もない。私もまた、少しずつ少しずつかもしれないけど、やっぱり変化し続けているに違いない。そう信じたい。
部屋に戻り、起きだしてきているミルクに挨拶する。おはようミルク。ミルクは必死な形相で、遊んで遊んでと言っている。私はこわごわながらも、ミルクを手のひらに乗せてやる。途端にあちこち動き回り始めるミルク。お嬢がいれば、たっぷり遊んでもらえるのにねぇ。私は声を掛ける。ひとしきり私の足や肩を登ったり降りたりしていたミルクは、いきなり私の指を噛む。甘噛みだったけれど、噛んだら終わりよ、と私は声をかけ、彼女を小屋に戻す。
それを見ていたココアが、こっちも遊んで、とかりかり扉を齧ってみせる。おはようココア。私は苦笑しながらココアを抱き上げる。ココアは肩に乗せておけば大丈夫。私は、乗せたまま、洗い物を始める。娘も留守だから、洗い物といっても、私のいつも使うマグカップとおちゃわん二つきり。あっという間に終わる。ココアが私の耳たぶをちょこちょこ手でいじっている。くすぐったいよ、と笑うと、きょとんとした目でこちらを見上げている。さぁそろそろおうちに戻ってね。私はココアを小屋に戻す。ゴロはぐーかー眠っているのか、出てこない。
私はとりあえずいつものようにお湯を沸かし、生姜茶を入れる。生姜茶のパックも、あと三つきりになってしまった。これがなくなったら、一体私は何を飲めばいいんだろう。私は首を傾げる。飲みたいものが、まだ見つからない。
マグカップを持って、椅子に座る。煙草に火をつけ、雨がまだ降る外を見やる。じきに止むんだろうか。でも、もう南の方では台風が発生したそうで。天気予報がそれを知らせる。もう台風の季節なんだな。なんだか実感がまだ沸かない。

二、三、原稿が集まってきた。「あの場所から�検廚紡个垢觚狭討澄�ひとつずつ、何度も繰り返し、読む。読むほどに、胸がぎゅうっとなる。切実な、被害者たちの声がそこに在る。これを何処まで私は届けられるだろう。
今回、今まで参加してこなかった人も、この原稿で参加してくれることになっている。その人たちの、今だから書けること、今だから訴えたいことが、この原稿のなかに凝縮されている。
大切に大切に、しなければいけない。私は改めて、背筋を伸ばす。

西の町、友人のところに昨日、ようやく子猫ちゃんがやってきた。友人の喜ぶ顔が目に浮かぶ。私はほっと胸をなでおろす。
猫を探しての日々、あっという間のようで、でも、長かった。どうして、と思うことに何度も出会った。でも。諦めなくて、本当によかった。
応援してくれた人たちに、改めてお礼を言わなければ。今日にでも、手紙を書こう。

朝、これもまた西の町に住む友人から電話が入る。彼女と冗談交じりに、こんなことがあったよーと私の失敗話を話すと、友人がばっさり言う。うん、あんたの腕の傷は、確かに怖いかもしんない。初めて見る人には、刺激的すぎるかもしんない。言われて、私も大笑いしてしまった。そうか。そうなのか。笑いながら、涙がぽろり、一粒零れた。
私には、そうすることでしか、越えてこれない道があった。でも、それは私にとって、であって、他の人から見たらどうかは、また別なんだよな、と、納得する。
でもあんた、そんな奴、ほっぽっておいていいわよ、と友人が電話越し、これもまたばっさりと言う。
ふと先日届いた入院中の友人からの手紙を思い出す。その手紙には、生きていると本当にいろいろあるね、と書いてあった。まさにそうだ。生きてると、実にいろんなことがある。ありすぎなほど、ある。それでも。
それは生きているから味わえることで。だから、一日一日、生きていられることに、私は感謝したいと思う。

迷った挙句、自転車を諦め、バスで出かける。バスの中、何故かみんな虚ろな目をしている。私はおずおずと、席に腰かけ、窓の外をぼんやり見やる。
すぐ海へ繋がる川の水が、泥水のような色になっている。昨日の激しい雨のせいなんだろうか。それにしたってこの色はどういうことだろう。私は呆けながらしばしその川の水の色に見入る。
それでも川は、滔々と流れ続け。とどまることなく流れ続け。海へと至る。海はそんな川の水を、きっと拒むことなく受け入れ、懐に抱きとめるに違いない。
そんなふうな人間になりたい。私は、じっと流れ続ける川を見つめながら思う。
さぁ、今日も一日が始まる。しゃんと背筋伸ばして、歩いていきたい。


2010年08月07日(土) 
娘の居ない夜。何となく心細くて、窓を開け放しては眠れない気がした。おかしなものだ、娘がいれば、蚊取り線香を焚いて、窓を半開にして横になることが平気だというのに。あの小さな体の何処に、そんな影響力を秘めているんだろう。結局私は窓を閉め、蒸し暑い部屋の中、横たわる。
うとうとしかけるのに、そのたび目が覚める。結局午前一時までそうして粘ったが、寝入ることは叶わず。私は起き上がり、窓を開け放つ。
煙草に火をつけ、PCの電源を入れる。昨日友人と話したことを、順番に辿る。辿りながら、今私が調べられることを、ひとつずつメモしてゆく。
昨日は最後の授業だった。小さな卒業証書が渡され、分かち合いをし、終わった者から順に教室を出てゆく。ひとつの儀式。涙する人もいれば、私のように淡々としている者もおり。そうして教室を出れば、もうあとは、ひとりでやっていくしか術はない。
以前から考えていることがある。性犯罪被害者のSOSを出せるスペース作りができないかということ。たとえば週に二日。電話を受けられる日を作るとか。そういったことからでいい、できないものだろうか、と。
本当は全日できればいいのだろうが、それは私には不可能だ。生活ができなくなる。それでは意味がない。私と娘の生活を成り立たせた上でやるのでなければ、意味がない。
どうやったらそれができるだろう。ずっと考えている。
授業の後、Aさんと落ち合い、喫茶店へ。今日の授業というか儀式のことをひとしきり話す。分かち合いは、ひとり一分という持ち時間だった。クラスメートが全員輪になり、ひとりひとり、順番に向き合い、挨拶を交わす。一分という時間は本当にあっという間で。はい、握手を交わしてください、という先生の言葉に、みんな慌てて握手を交わす、といった具合だった。私はといえば。私がドライすぎるのかもしれないが、初めて会った時の印象と今の印象との違いを相手に伝える、それに終始した。一分といったら、そのくらいしか言葉交わす術はなく。二つも三つも四つも伝えようと思ったら、時間はなくなるわけで。でも何だろう。授業の最中、多分私が一番泣き虫だった。それが、最後のこの分かち合いでは、私は涙することなく、笑ってみんなに手を振ることができた。そういうものなのかもしれない。AさんもAさんで、何かこう、ひとつふっきれたような表情を見せている。一時期彼女は、もう授業を途中でやめようか、と悩んだこともあった。それが、最後までちゃんと出席し、こうして卒業した。今の笑顔は、多分そういうことを経てきたからこそ在る笑顔なんだと私は思う。
ふと思い立ち、Aさんに、私の思っていることを打ち明ける。こんなスペースを作りたいと以前から思っていたのだけれども、と。うんうん、と聴いていた彼女が、私に何か手伝いができないかな、と呟く。あぁ、そうか、そういう手があった、と私は思わずもちろんと返事をする。今日というこの日まで学んできたものを、生かす手立てが、ここにあるじゃないか。そう思った。
私たちは早速、下調べに入ることにした。今全国にどれだけの関連団体があるのか。そこがそれぞれにどういったサポートをしてくれるのか。緊急のときはどうしたらいいのか。そういったことをまず、調べていかなければならない。
そのことを一通り話し、メモをし終えた頃、彼女がふっと、漏らした。私、今日六ヵ月後に届くという手紙を先生に渡すとき、自分の住所はどこにしたらいいんだろうって悩んだの。私は黙って耳を傾ける。旦那に女の人がいるの。もう数年前から。
彼女はいつも、淡々と話す。その話も、淡々と話されてゆく。私は、ただじっと、耳を傾けている。彼女が最後に言う。でも私、自分から話を切り出すことはしないと思う。私が切り出したら、君の幸せのために別れようって言い出す人だから。と。そう言って、彼女は小さく笑った。
私たちは、次に会う約束を交わし、手を振って別れた。彼女と会う直前、ふと思い立って買った花束を、彼女はその手に持って、大きく振ってくれた。私も大きく、手を振り返した。
夕暮れの道、自転車で走りながら、私は彼女との縁を思う。最初の授業で、彼女と組んで互いに他己紹介をし合った。それが、私と彼女の最初の縁だった。彼女が挫けそうになったとき、何故か彼女が私に話してくれた。そのことが私たちを強く結びつけた。それからもいろんな小さな出来事があって、それらを経て、私たちは今、在る。
ここからどんなふうに発展していくのか、それは分からないけれども。大事にしたい縁のひとつだと、思った。
帰宅し、娘に電話を掛ける。すかんと抜けたような声が、受話器の向こうで響いている。これからばぁばと散歩に行くんだ。そうなの? うん、栗鼠とかね、狸とか、会えたらいいな。この時間にいるのかなぁ? 朝早くじゃないと出てこないんじゃないの? うん、明日の朝も行くから! そかそか。
電話を切った途端、友人から電話が入る。お嬢はいるかい? いや、今日からじじばばのところ。なんだぁ、つまんない、一緒に夕飯食べようと思ったのに。あら、ごめんねー。また今度誘ってー。そんな電話。でもそうやって、いつも仕事の合間を縫って、私や娘を誘ってくれる友人の気持ちが、とても嬉しい。
ひとしきり調べものをし、私は大きく伸びをする。ベランダに出て、空を見上げれば、美しい水色の空が広がっている。もう朝だ。
見上げれば見上げるほど、今日もまた暑くなるのだろうなぁと感じられる空。私はそんな空の下、しゃがみこむ。ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝をまず解きにかかる。ふと見れば、デージーの、もうずいぶん前に咲いた花が、茶色くなり始めている。あぁ、そうだった、デージーは種ができるのだった。普段球根や樹ばかりをいじっている私には、珍しい光景。じっと見入る。茶色く染まり始めた花は、小さく閉じており。これから種を孕み始めることを示している。そうか、まだ終わりじゃないんだ、これからまた続くんだ。私はそんな当たり前のことに、小さく感動する。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。またひとつ、蕾が現れた。まだまだ小さな蕾だけれど、確かにそこに在る。
その隣、友人がくれたものを挿し木した、それは、今日も元気に新葉を広げてくれている。なんだかこの葉を見ていると、あまりの元気な勢いに、ふと笑ってしまう。大丈夫、まだまだこれから、と励まされているような気がする。
ミミエデンを見て、何かおかしいのに気づく。確かに変だ。葉を裏返して、私は舌打ちする。また虫がついている。私は、一枚一枚、葉を指で拭ってゆく。私の指が拭うたび、小さな何かがぷつぷつ潰れる。念のため、薬も葉の裏側に撒いておくことにする。
ベビーロマンティカは、今一輪の花を咲かせようとしているところ。あちこちから萌え出ている新芽が初々しい色合いを醸し出しており。花の色と重なり合って、風に柔らかく揺れている。
アメリカンブルーは、今朝、三つもの花を咲かせてくれた。微かな風にも揺れるその枝葉。花も一緒にゆらゆら揺れている。空の色を凝縮させたような青い花。きれいなきれいな、青い花。
ホワイトクリスマスに、花芽を見つける。新芽の間から確かに花芽を出している。嬉しい、またホワイトクリスマスの花に会える。
マリリン・モンローは、そんなホワイトクリスマスに寄り添うかのように立って、新芽を三箇所、四箇所から萌え出させている。まだこちらに、花芽の気配は、ない。
部屋に戻ると、かりかり、と音がしている。覗き込むと、ミルクが籠の入り口に齧りついて、遊んで遊んでと騒いでいる。私はしゃがみこんで、ごめんね、と謝る。遊んであげたいんだけど、お嬢はいないのよ。私はあなたがちょっくら怖いから、外に出してやることができないの。しばらく我慢して。手を合わせて謝る。
お湯を沸かし、生姜茶を入れる。濃い目に作って、ひとつはそのまま、もう一杯分は冷蔵庫に入れておく。帰って来たときくいっと飲めるように。
再び椅子に座り、煙草に火をつける。とりあえず、朝の仕事に取り掛かろう。今頃娘も置き出して、ばぁばとの早朝散歩に出かけているかもしれない。栗鼠たちに会えると、いいな。

玄関を出、階段を駆け下りて自転車に跨る。坂を下り、信号を渡って公園へ。あぁ、そうか、今週末は夏祭りなのだ。公園のあちこちで、今、組立作業が始まっている。堤燈があちこちから吊り下がり、小さな舞台が作られ…。この辺りは子供より老人の方が多い。夏祭りもだから、老人たちの間を子供が走り回る、といった光景。今年もまた、そういう季節が来たんだな、と思う。
公園に入るのはやめて、そのまま大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。さすがに今日はがらんとしている。背広姿の人はまったく見られない。今頃みんな、それぞれの休日を楽しんでいるのだろうか。素敵な一日になるといい。
私は真っ直ぐ走って海の公園へ。小さな波が、ざんざんと音を立てている。濃紺色の海。美しい色だ。その時、きらり、魚が銀色の腹を見せて飛び上がった。
さぁ、今日も一日が始まる。


2010年08月06日(金) 
開け放した窓からベランダに出る。見上げる空には、薄く薄く雲が張っている。今日もまた暑くなるのだろうか。そんな気がする。見上げる空が、そう言っているような気がする。街路樹の緑は、少し草臥れたような姿をしている。
私はプランターの脇にしゃがみこみ、絡まり合ったラヴェンダーとデージーの枝葉を解き始める。両方とも元気なのは嬉しいのだが、それにしたってこうも毎日絡まり合わなくたっていいだろうに、と苦笑が漏れる。デージーの黄色が、目に眩しい。
パスカリの、根元からぐいと枝葉を伸ばし出した一本。気づいたらもう、新しく伸びた枝葉が古い枝葉に追いつこうとしている。赤味もずいぶん取れて、萌黄色が美しく映えている。
もう一本のパスカリは、昨日古い枝葉をちょっと切り詰めてみた。下から伸び出した二本の枝葉は、ぐいぐいと大きくなり。横に横に広がっている。その隣、友人から頂いたものを挿し木したそれは、今朝も元気に、新しい葉を広げてくれている。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。下から枝を伸ばし始めている。その枝のきれいな緑色。明るい明るい緑色。まるでそこに小さな灯りが点ったかのように見える。
ミミエデンは、ひとつの蕾を大事に抱え、あちこちからまた新芽を吹き出させている。紅色の新葉は、ぴんと伸びて、全身で太陽の陽光を浴びようとしている。
ベビーロマンティカ。一輪の花を私はそっと切って、テーブルに用意しておいた花瓶に生ける。そしてもう一つ、蕾が。来週中には咲いてくれるだろう。もうだいぶ膨らんできた。
ホワイトクリスマスとマリリン・モンローは、それぞれに新芽を湛え。凛と空に向かって手を伸ばしている。私はその芽をじっと見つめながら、昨日の電話を思い出す。
西の町に住む友人から、久しぶりに電話があった。久しぶりだけれども、久しぶりだからこそ、何かあったんだな、と受話器を握った瞬間に思う。その子は私を、おねえちゃん、と呼ぶ。おねえちゃん、あのね、とおずおずとした声が、受話器越し、響いてくる。
彼女は、まだまだ痛みを抱えている。外に吐き出さず、吐き出してはいけないかのように自分に言い聞かせ、大丈夫なふりを懸命に装っている。でも、時折その、装いが壊れることが、ある。
今年に入って、彼女にはいろいろ変化があった。苗字を旧姓に戻したり、引っ越したり。殆ど引きこもって毎日を過ごしていた彼女には、その変化はどれほど大きいものだったか。想像に難くない。
今自分を支えようとしてくれている人たちが周りにいるのだから、私はちゃんとしていなくちゃいけない、しゃんと立っていなくちゃいけない。彼女はそう思って、必死に立っていた。でも。
それがどうにも、バランスがとれなくなるときだって、ある。
彼女が被害に遭ったとき、彼女はまだ、結婚していた。夫がいた。でもその夫は、彼女を残して自殺した。重ねて、孕んでいた赤子も死産だった。そんな彼女にとって、あの時本当は誰に一番抱きしめてほしかったか。
死んでしまった夫だ。自分を残して死んだ夫にこそ、抱きしめてほしかったに違いない。でも、周囲は、もうそれは過去のことだと彼女に言い聞かせる。過去のことなのだから、前を向いて生きろ、と。
でも。
彼女はまだまだ十分に嘆いていないのだ。悲しいことを悲しいと、辛いことを辛いと、まだまだ吐き出していないのだ。だからこそ、過去にできない。過去にできないまま、必死にそれを押し隠し、笑っている。
過去にしたいと、彼女自身思っている。でも、嘆いていないから嘆く隙間が今ないから、過去にならない。その狭間で、彼女は喘いでいた。
愛しているのに、憎いと思うの。と彼女が言った。
愛の反対語は憎いなの? と私が尋ねる。え? と彼女が応える。愛の反対語は、無関心なんだよ。あ…。愛という風呂敷それ自体に、憎しみというものは織り込まれているもので。愛の対義語は憎しみなんかじゃぁない、無関心なんだよ。
いいんだよ、嘆いて。十分に嘆いて嘆いて嘆いて、そうしてようやっと過去にできるのだから。嘆いていいんだよ。吐き出していいんだよ。聴いてくれる人が今あなたにはちゃんといるでしょう?
私は言いながら、自分と両親とのことを思い出していた。半年前、私は大きく、両親のことを嘆いた。嘆いて嘆いて吐き出して吐き出して、そうして気づいたら、両親との確執を過去にすることができていた。多分、そういうものなんだと思う。
おねえちゃん、私、あの時、彼にこそ抱きしめて欲しかったんだ、抱きしめて、頭撫でて、辛かったねって言って欲しかったんだ。彼女がぼそり、呟く。うん、そうだよね、うんうん。いいんだよ、言えばいいよ、吐き出せばいいよ。ね。
私が、ふと、だからこそ生きて欲しいと思うんだよ、と言ったとき、彼女が、私は死ねないよ、と、自嘲気味に応えた。それは違う、死ねない、のと、生きる、のとは、違うんだよ。
他にもいろいろな話をした。その間、娘はじっと、電話を聴いていないふりでテレビを見ながら、私の用意したそうめんをはぐはぐと食べている。結局娘は、二人分のそうめんをぺろりと平らげ、私に小さく舌を出してみせた。
おねえちゃん、おねえちゃんの日記読んでてさ、お嬢が、ママの傷痕はどれなんだろう、どうしてこうなったんだろう、って考えてるって読んでさ、なんかすごいって思った。ははは。それは私もすごいと思ったよ。おねえちゃん、いろいろあったのに、子育て今してるって、すごいよ。
そう言われて、私は心の中、小さく言った。それはね、みんながこうやって私の周りにいてくれるからなんだよ、と。
そう、電話は、おねえちゃんありがとうね、と彼女の声で切れたけれども、違うんだ、私の方こそ、ありがとう、なんだ。
今きっとあそこで、ここで、向こうで、彼女たちが頑張ってる。足掻いてる。必死で生きてる。その声が、そのエネルギーが、いつだって私を支えていてくれるんだ。今泣いてるかもしれない、今、悲しんでるかもしれない、今のたうちまわってるかもしれない、でも、そんな彼女らは今を必死に乗り越えようと、懸命にもがいてるんだと、そのことが、挫けそうになる私を、支えてくれているんだ。
電話が切れてしばらくして、娘が風呂から上がってきた。娘が言う。電話、もう大丈夫? うん。元気になった? どうだろう、まだまだ大変だろうけれど、踏ん張ってくれるんだと思うよ。ならよかった。
私は、ミルクと戯れる娘の横顔をぼんやり眺めながら、思う。この子がここまで生きてこられたのも、言ってみればみんなのおかげ。みんなの支えなくして、私の子育ては在り得なかった。だからこの子は、みんなの子、なんだ。
蚊取り線香に火をつける。風呂上りの娘が、まだ素っ裸のまま、踊っている。いい加減服着なさい、と私は苦笑する。はぁい、と返事だけして、さらに踊り続けている娘。
いい夜風が、吹いている。

無関心。という言葉を私が使うとき、真っ先に浮かぶのは、弟の顔だ。弟はいつも言っていた。お袋やおやじは、俺には無関心なんだ。俺なんていないも同然なんだ。
弟にとって、この無関心というものが、どれほど残酷なものだったか。それゆえに彼は、或る時から暴れ始めた。自分を見ろ、自分を見てくれと、叫んでいるかのように。
愛される愛されないどころじゃない、無関心、ということの怖さを、彼はきっと、私などよりもずっとずっと知っているに違いない。
ふと思う。
私は娘に対して、無関心な親になっていないだろうか。私から見て、じゃない、彼女から見て、私は無関心な親になっていないだろうか。自分の忙しさにかまけて、彼女の声を素通りしていやしないだろうか。

じゃぁね、それじゃぁね。あ、帰ってくるの、一日遅くなるってばぁばが言ってた。13日になるって。うんうん、知ってる。じゃ、ママ、学校頑張ってね。そっちもね。ちゃんと鍵締めて行くんだよ。うんうん。じゃぁね。手を振って別れる。
そうか、これから約一週間、娘は留守になるんだな。思いながら、階段を駆け下りる。いつもならバスに乗るのだが、今日は自転車で行くことにする。
坂を下り、信号を渡って公園の前へ。強い陽射しが降り注いでおり、こちら側から見ると、樹々の群れは黒い塊にさえ見える。その公園の端、池の縁に立って、空を見上げる。薄く張っていた雲はいつのまにか消えて、今はもう、夏雲としかいいようのないもこもこした雲があちこちに浮かんでいる。澄んだ水色が、その向こうに広がっている。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。夏休みをとっている人もいるのだろう。いつもより人影は疎ら。その間を縫って私は勢いよく走っていく。
今日で学校も終わり。あとはいってみれば自習だ。傾聴のトレーニングも、これまでやってきた学科の復習も、全部自分でまとめていかなければならない。今日という日に合わせて、半年後の自分に向けて手紙を書くことが課された。その封筒が今、鞄に入っている。数年前の私に、半年後なんてものは在り得なかった。半年後生きているかどうか、そもそも分からなかった。でも今は。
私は死ねないのでも、生き延びることをさせられたのでもなく、自ら、生きているのだと、思う。

さぁ一日が始まる。自転車を駐輪場に止め、私は駅へと歩き出す。


2010年08月05日(木) 
窓を開け放したまま横になる。もちろん蚊取り線香を用意して。でも、この蚊取り線香、役に立っているんだろうか。私は必ずといっていいほど、毎朝新しく蚊に食われている。特に足首がひどい。毎朝ひとつずつ増えていく気がする。それでも蚊取り線香がやめられないのは、この独特の匂いのせいかもしれない。祖母の家に夏泊まると、必ずこの香りがしていた。それを思い出すことができるからかもしれない。
蝉の声が間近で聴こえる。多分すぐ脇の街路樹のてっぺんにでも留まっているのだろう。少し寂しげな、でも大きな大きな声だ。
久しぶりに娘と休みが合い、二人で出かけることにした。娘に、前の日Nさんから頂いた本を差し出すと、最初不思議そうな顔をして覗き込んでいた。でもじきに、じっと、食い入るように本に見入っている。私はそんな娘を、向かいの席からじっと、見つめている。次いで、もう一冊の本も読みたいと言う。もう一冊の本は、正直躊躇った。リストカットについて描かれた著書だったからだ。でも、もういいのかもしれない。知っておいていいのかもしれない。そう思い、差し出す。
娘はじっと、細かな字に見入っている。そして唐突に、尋ねてきた。ママのその腕は、誰にやられたの? 誰にってわけじゃないなぁ。でもママのは、ここに書いてあるリストカットっていうのとは違う気がするけど。そうだね、リストカットにも、それぞれあると思うよ。気づいて欲しいと思ってリストカットをしてしまう人もいれば、自分の穢れがたまらなくて自分を切り刻みたくてやってしまう人もいる。他にもちゃんと話を聴けば、いろいろ出てくると思うよ。ママは、どうして自分が穢れてるとか思うの? そうだねぇ、その話は、あなたがもう少し大きくなってからしようと思ってるんだけど。今じゃだめなの? そうだね、今はまだ、ママには話しづらいから、もう少し待って。ふーん。
それからしばらく、娘は本を読んでいた。しかし、ぶつぶつ言っている。なんか違う、なんか違う、ママとは違う。娘はそう言っている。あぁそうか、娘は私の傷痕を心配して、それが知りたくてこの本を読みたいと言ったのか、と、改めて気づく。それならば、その本の中にはないかもしれない。私は心の中、小さく呟く。
クーラーのよく効いた喫茶店などにいると、私の傷痕は色が変わる。下の方から赤い斑点が浮かび上がってくる。その、浮かび上がってきた斑点を、娘が見つけ、いきなり指でなぞる。くすぐったいよ、と私が言うと、娘が驚く。ママ、くすぐったいの? だって前はくすぐったくないって言ってたじゃん。あ、そういえばそうだね、じゃぁ、くすぐったいって感じるようになったってことだね。へぇぇ、変わってくるんだ、腕って。そうなのかもしれないねぇ。私たちは小さく笑い合う。
くすぐったい。私は改めて、自分で自分の左腕をなぞる。感触がある、ということは、こんなに大きなことなのか、と、驚く。つい最近まで、なぞられていることは分かっても、くすぐったいとか軽いとか、そういった感覚はこの腕にはなかった。それが一体いつ、戻ってきたんだろう。いや、本当に、戻ってきた、甦ってきたとしか言いようがない。
不思議だ。こうやって、少しずつ、本当に少しずつだけれど、甦ってくるものなのか。もう二度と戻らないと思っていた感覚。それがほんの少しかもしれないけれど戻ってきた。私は娘に隠れて、何度か左腕をさする。
そうして私たちは、映画を一本見て、その後あちこちを自転車で走り、帰宅した。汗びっしょりになって帰ると、暑いはずの部屋の中がひんやりと感じられた。窓を開けると強い風がびゅぅぅと吹き込んできて、一気に私たちの汗を拭って行った。
夜になって、西の街に住む友人と話す。もし本当に本を出すのだとしたら、本という形になるのだとしたら、どこへ向けていきたいか、ということについて。あれこれ話す。友人が一言、当事者に向けるのは、きついと思う、と呟く。彼女の呟きは、鋭く私を射る。あぁ、そうか、そういう目を私は忘れていたかもしれないと気づく。声を上げられないことを、責めてしまう人が出てきたら、それは意味がない、と。そうだった。本当にそうだ。それでは全く意味がない。
声を上げようと上げまいと、そんなことに大した違いはない。今その状況に陥っていることが、どれほど苦しいのか、どれほど痛いのか、それをもし身近で分かってくれる人がいたならば。これほど心強いことは、ない。
私は彼女と話し終えた後、夜空を見上げた。この夜の闇の中、ぐわんぐわんと、みんなの叫び声が呻き声が充満しているようだった。声なき声が。
夜明けと共に起き上がる。開け放した窓から、相変わらず心地よい風が吹き込んできており。娘は気持ちよさそうな呆けた顔をして眠っている。
ベランダに出、髪を梳いて一つに結わく。少し迷って、今日も髪を上げてしまうことにする。そうしてラヴェンダーのプランターの脇、しゃがみこむ。
絡まり合ったラヴェンダーとデージーの枝葉を、私は丹念に解いてゆく。デージーは花びらが散るのではなく、花が終わるのだな、と、ひしゃげ始めた花を見ながら思う。せっかく解いた枝葉が、また強い風に煽られる。私は苦笑しながら、それでも一通り、枝葉を解く。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。根元からくいっと枝葉が出てき始めた。それは相変わらず細いのだけれど、それでも勢いよく伸びてきている。私はその先端をちょんちょんと指で突付いてみる。柔らかい感触が、私の指の腹に伝わってくる。
パスカリの、根元から伸びてきた枝葉。まだ若々しい色味でぐいっと天を向いて立っている。もしかしたら、もしかしたらだけれども、この先端の小さなぽっちは、花芽かもしれない。私は一点を凝視する。もしかしたら、そう、多分。
もう一本のパスカリは、横に横に伸び出している。花を切り終えて、さて、今度はどこから伸びてくるんだろう。ちょっと形が歪で心配だけれど、まぁ、枯れてさえくれなければ、何とかなるというもの。
友人から頂いた花束から挿した枝。もう六枚を越える数の新葉を出している。赤い縁取りをもった新葉。ガンバレガンバレ。私は心の中、声を掛ける。
ミミエデンは、ひとつの蕾を大事に抱え、また新たに新葉を出してきている。紅色に染まった葉が、風に揺れている。まだまだ小さな樹だけれど、それでもこうして踏ん張ってくれているんだなと思うと、いとしさも倍増する。
ベビーロマンティカは、また新たな蕾を膨らませ始めた。君のこの元気は、一体何処から沸いてくるんだろう。私は首を傾げてしまう。次々新芽を芽吹かせながら、同時に花芽もつけ、そしてひとつひとつちゃんと花を咲かせてゆく。途切れが殆どない。私もこの樹を見習わないと。なんて、思ったりする。
ホワイトクリスマスとマリリン・モンロー。それぞれに新しい枝葉を伸ばしており。ホワイトクリスマスは一箇所からぶわっと今、新葉を広げ出した。マリリン・モンローは三箇所から。そのどれもが、きっちり天を向いている。きりりと風に向かって立っているその姿。凛々しくて、惚れ惚れする。
そしてアメリカンブルー。今朝は二つの花を咲かせてくれている。見上げる空はいつのまにかきれいな水色に染まっており。雲ひとつない空。その空の色にくっきり映えるこの青色の小さな花。
私は部屋に戻り、お湯を沸かし、生姜茶を作る。そういえば昨日娘にカルピスを買ってやったんだった。思い出して、娘用のカルピスを作り、冷凍庫に入れておく。こうすれば、娘が起きてくる頃、しゃりしゃりとしたカルピスが飲める、いや、食べられるだろう。
私は煙草に火をつける。椅子に座り、PCの電源を入れる。最初に流れ始めたのはパット・メセニーのLast Train Home。私の大好きな曲のひとつ。
とりあえず朝の仕事に取り掛かろうか。

「幸ちゃんはすごいと思います。お母さんがいなくなって、さみしいのに、女だからってご飯を作ったりせんたくをしたりして、えらいと思います。幸ちゃんがいたから、家族がくずれなくてすんだんだと私は思いました。そうでなければ、家族はきっとばらばらになっていたと思います。
私は、お母さんがいなくなったらと考えると、何もできなくなると思います。だから幸ちゃんは本当にえらいです。
それから写真は、この二枚に感動しました」
娘の感想には、だいたいそんなことが書いてあった。本には頁数がふられていなかったのに、わざわざ頁を数えたらしい。しっかり頁数まで記してあった。その頁の写真を見ると、幸ちゃんの、にっこり笑いながらもしかと前を見つめる目が印象的な、そんな写真が載っていた。
私はそれを大事に折って、封筒に入れる。Nさんに届けたい。

じゃぁね、それじゃぁね。テスト頑張って。うん。手を振って別れる。
玄関を出るともうそこは光の洪水で。私は思わず目を閉じる。
階段を駆け下り、自転車に跨る。坂道をさっと下って、信号を渡り、公園の前へ。ざんざんと上から降ってくるような蝉時雨。私は高く高く聳える樹たちを見上げる。この街中の、小さな森に、どれだけの蝉が集っているのだろう。池の縁に立ち、空を見上げる。美しい水色の空が茂みの向こうに広がっている。何処までも何処までも澄んだ水色の空が。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木の木陰で信号が変わるのを待つ。青信号になった途端飛び出すようにして横断歩道を渡る。そういえばいつもより人通りが少ない。夏休みをとっている人もいるのだろうか。そんな季節だ。
海と川とが繋がる場所まで一気に走る。自転車を止め、私はしばし海を見つめる。濃紺の海と緑青色の川とが、交じり合う場所。鴎が一羽、すうっと港の方へ飛んでゆく。
さぁ今日も一日が始まる。


2010年08月04日(水) 
いい風が吹いている。夜。しばらく窓際に立って外を見やる。今日一日あったことを、順繰りに心の中眺める。まだ心がざわざわしている。思ってもみない進展に、私の方が慌てている。そんな気がする。でもそれは決していやなざわざわではなくて。嬉しくて、でもどうしていいのかまだまだ分からないといったような、そんなざわざわ。
M出版社の人と会う。顔を見てすぐ、あぁこの方はとてもまっすぐな、そして人をよく見ている人なのだなという印象を受ける。その印象に、私はほっと安心した。
開口一番、その方が、いい写真を撮るね、とおっしゃってくださる。その言葉に、私は正直、驚いていた。自分の写真を、いい写真、と言ってくれる人がいるなんて、私は思ってもみなかったからだ。しかも、その方が見たのは、私の「あの場所から」のシリーズの写真であり。そこには手記も載せていた。その手記も、その方はきちんとプリントアウトして読んでくださっていた。
どういう形にするか、という、とても具体的な話が、いきなり始まる。私は心の中、慌てた。私はただ、その方にお会いし、まずこの企画のことをお話しなければと思っていたからだ。でも、その方は、私がわざわざ話さずとも、私の、そして私たちの意図を、とてもよく理解してくださっていて、その上で、どういう形にするのがベストか、という話をしてくださっていた。
何処へ向けて出版するか。私が想定していたのは、まず被害者である人たちへ、ということ。と同時に、でき得るならば、当たり前に日常を生きている人たちへ、届けたいということ。その二つだった。でもNさんはさらに別のことも考えていらっしゃった。私の写真と写真論という形で出版することもできる、と。私は心の中、小さく慄く。そこまで評価されるほど、私はエラくも何ともない、と。
どの方向で、何処に的を絞るかによって、本の構成も何もかもが変わってくる。それは、かつて編集者だった自分にもよく分かる。だからこそまずそこを押さえなければ、話は何も進まない。
話しながら、私の脳裏には、今まで関わってきた被害者たちの顔が、走馬灯のように流れていった。みんなの思いを、あの切実なまなざしを、無駄にしない形は何だろう。私はただ、そのことを考えた。
お互い考えて、一番ベストの方向性を見出していこう、という話で、その日は終わった。帰り際、Nさんが二冊の本をくださった。「おかあさんのばか」という細江英公先生の写真集と、「リストカット」という岡田敦さんの著書だった。
バスに揺られ、電車に揺られ、ごとごとごとごと、帰り道、私はついさっきの高揚に、まだ浸っていた。こんなことがあり得るんだろうか、と、そのことがまず大きかった。私はただ、私のためだけに始めたといっていい。写真にしろあの企画にしろ。それが、海を渡ってとある女性の目に留まり、その方を通じてこんなところまで反射し。そんなこと、思ってもみなかった。想像もしていなかった。私は地道に、どこまでも地道に活動していくことを、ただ考えていただけだった。それが、こんなふうに波紋が生まれて広がっていくなんて。誰が想像しただろう。私たちの誰が、そんなことを想像し得ただろう。
そしてもうひとつ。
この私が、また出版という業界と、関わるかもしれない状況になり得るとは。
確かに私は、こだわっていた。ずっとこだわっていた。もう一度就職するならやっぱり出版社がいい、編集の仕事がしたい、と、ずっとずっとこだわって、何度もトライした。でもそのたび、PTSDの症状に苦しみ、挫折した。そして最後、当時の主治医から、被害に関係のある場所で働くことは、もう無理だと思った方がいいわ、と言われた。
あの言葉を受け取ってから、私は、もはや私があの業界と関わることはないのだ、と、思っていた。したくてしたくて、ずっとその仕事がやりたくてあの業界に入った私。でもそこで上司から強姦された。そしてPTSDを発症した。それがどんなにしたい仕事でも、すればするで、あの出来事が彷彿とされてしまって、手が唇が全身が震え、倒れてしまう。そんな社員じゃ、雇っても意味がない。私はもう、役立たずのレッテルを貼られてしまったのだ、と。私は、役立たずなのだと。そう思った。
それが。
別の形であれ、本作りに再び関わるかもしれない状況になるとは。
言葉ではもう、言い表しようのない思いが、私の心の中、渦を巻いて飛び交っていた。でもその向こうに、今日お会いしたNさんの、まっすぐな目が在った。
私はもう一度、信じてみていいのかもしれない。もう一度、賭けてみていいのかもしれない。また転ぶかもしれない、躓くかもしれないけれど、でも、それでも賭けてみて、いいのかもしれない。あの目に、応えられるなら、精一杯応えたい。
そして、同時に、被害者たちの、私が関わった被害者たちの、真っ直ぐな目が、そこに在った。彼女らの思いを私は、何処まで背負っていけるか。何処まで応えてゆけるか。賭けてみても、いいのかもしれない。
夜は何処までも深く、私を包んでいた。寝床では、娘がくうくうと心地よさそうな寝息を立てている。私も横になろう。

起き上がると午前四時。もう空はすっかり白み始めている。私はベランダに出て髪を梳く。後ろ一つに結わき、少し考えて、くるくる髪の毛を丸めてピンで留める。
しゃがみこんで、ラヴェンダーのプランターを覗き込む。今朝もやっぱり絡まり合っているラヴェンダーとデージー。花盛りのデージーを傷つけないよう、そっとそっと解いてゆく。時折ラヴェンダーのいい香りがふわり、漂ってくる。
パスカリの、新芽を根元から出している一本。新芽がもう殆ど赤味を失い緑色になってきた。約十五センチ。ずいぶん伸びたなぁと思う。これからその先端にくっついている葉が、順番に開いてゆくだろう。病葉じゃないことを、今はただ祈る。
花を咲かせたパスカリは、ちょっと一呼吸置いている感じ。こちらも根元から二本、枝葉が伸びてきたが、どちらも横に伸びており。これからどういう形に樹が茂っていくのだろう、と私はちょっと首を傾げる。
友人から頂いた薔薇の枝を挿したうちの、生き残った二本は、今朝も元気に新芽を湛えている。くいっくいっと伸びてきて、なんだかそれが嬉しそうに見える。見ている私も、なんだか嬉しくなる。
ベビーロマンティカは、四つの花のうち、三つがぽっと開いた。三つだけ切り花にする。まぁるいまぁるい花。花の形だけ見ていると、バラというより紫陽花の小型版のようで。ちょっと笑える。そしてベビーロマンティカは、さらに新芽を芽吹かせて、あちこちから手を伸ばそうとしている。
ホワイトクリスマスから新芽一本、マリリン・モンローからは新芽三本が、それぞれ天を向いてきりり、立っている。どうしてこの樹の新芽はいつも、凛々しいのだろう。それはこちらも背筋を伸ばしたくなるほど。
ミミエデンは、しばし沈黙の時期に入るかと思いきや、いきなり花芽をつけた。今ひとつの蕾が、小さく小さくちょこねんと在る。嬉しい、とっても嬉しい。前回の花芽はカーテンに絡み取られて折れてしまったから、今度こそはちゃんと咲いてほしいと祈るように思う。
今朝もアメリカンブルーが一輪の花を咲かせている。青い青い花。見上げた空には、もくもくとした入道雲のような雲が広がっており。水色の部分はずいぶん小さいけれど。その僅かに見える水色と共鳴するかのように、小さく風に震えながら咲いている。
部屋に戻り、お湯を沸かす。濃い目の生姜茶を作り、氷を三つ、入れてみる。私はやっぱり、きんきんに冷えた飲み物より、あたたかいかぬるめの飲み物の方が体に合うらしい。そっちの方が、ずっと味が分かる気がする。
机に座り、煙草に火をつける。メールをチェックすると、嬉しい連絡が届いていることに気づく。私が一番最初に関わった、性犯罪被害者のCからだった。写真にどういうコメントをつけてもいいし、どういう形で発表しても構わないよ、と。私は思わず、手を握っていた。祈るように手を合わせ、ありがとう、と心の中で呟いた。

あのさ。何? この本、昨日貰ってきたんだけどね、感想書いてほしいのよ。えぇ? いい? どんな本? 写真と詩が交互に書いてある本。うん、いいよ。ありがとう。でもどうして私なの? そりゃ、あなたにって貰った本だからだよ。ふぅん。正直に書いていいの? もちろん。正直に書かないで、どうするの? いや、ほら、学校とかだと、こう書きなさいってあるじゃん。あぁ、そういうの、ない。自分が思ったとおりに書けばいい。いいよ、じゃぁ書く。
思うんだけどさぁ、感想文って、自由に書いていいものだと思うよ。でもさぁ、学校では言われるんだよ、これはこう書きなさいとか、こっちにこれを書きなさいって。あぁ、そういうことかぁ。だからいっつも、書きづらくなる。まぁ学校のことは置いといて、ママが頼むときは、あなたが思ったとおりに書けばいいんだよ。それが、人の心に届く言葉になるんだから。ふぅーん。あなたの正直な言葉じゃなきゃ、相手に本当の意味では届かないよ。ふぅーーーん。そういうものなの? うん、そういうもんさ。

娘と相談して、貯金箱をひっくり返し、映画を見に行くことにする。今日は水曜日だから、いつもより映画館が混むはず。ということで、二人とも早々に家を出る。
自転車に跨り、坂道を下り、公園の前へ。蝉、すごいねぇ。娘が言う。ふたりで池の端に立って空を見上げると、ぽっかりあいた茂みの窪みから、入道雲のような雲がぐいぐい流れてゆくのが見える。その間もひっきりなしに、蝉は啼き続けている。私たちは全身、蝉色に染まっていくような錯覚を覚える。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木の影で信号を待つ。青になった途端、競争だよ、と娘が飛び出す。それに続いて私も飛び出す。でも、悲しいかな、どうやっても今のところ私の方が早くて。娘は悔しげに唄を歌い出す。
プラタナスの並木通りを通り、ちょっと大回りして、映画館の方へ。ママ、アゲハチョウだ! 娘が指差す方を見れば、大きな大きな黒アゲハがひらひら飛んでいた。
さぁ、今日も一日が始まる。私たちは、信号を渡り、勢いよく走り出す。


2010年08月03日(火) 
風が心地よかったので、窓を開け放して眠ることにする。横になる前、最近恒例になっている枕投げを娘と一緒にやる。枕は二つしかないから、結局ぬいぐるみも参加することになるのだが、ぬいぐるみの時はどちらともなく力が加減される。そうしてひとしきり騒いだ後、あぁ疲れたと横になる。ふと思う。娘とこんなことに興じていられるのも、あとどのくらいだろう。娘も来年は六年生になる。再来年は中学生だ。中学生にもなったら、親に秘密がごまんとできる頃だろう。さて、この娘はどんな中学生になるのやら。
白んできた空。風はまだ流れ続けている。私は起き上がり、ベランダに出て髪を梳く。梳いているそばから風が髪を揺らしてゆく。髪を上げなくても、後ろ一つに結わくだけで、今日は大丈夫そうだ。
それにしても。空が澄んでいる。すかんと抜けて、水色の空がさぁっと広がっている。陽射しのことを考えなければ、実に美しい、きれいな夏空だ。街路樹がもうこの階に届くほど伸び、青々とした葉を茂らせている。その街路樹の向こう、トタン屋根がきらきら輝いている。通りにまだ人影はなく。静かな朝。
しゃがみこんで、ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝を解く。デージーはこぼれんばかりに花を咲かせている。一方ラヴェンダーは、まだ花芽はなく。ちょっと寂しい。でも、ここまで伸びてきたのだもの、それだけでも十分。
パスカリはようやく花を咲かせ。ぱっと開いた花は、真っ白で。嬉しい。小さな小さな花だけれど、ようやくパスカリらしい花に出会えた気がする。今日帰ってきたら切り花にしてやろう。私は心に小さくメモをする。
友人から頂いた薔薇を挿した、その枝からは、ぐいぐい新芽が伸びており。根付いたのは二本の枝だけだけれど、これは一体どんな種類なんだろう。何色の花が咲くんだろう。頂いた花は白に赤に薄い紫色だった。どの枝が根付いたんだろう。
ベビーロマンティカは、四つの花がそろってぽっと開いてきた。今日の陽射しなら、きっとちょうどいいところまで開くだろう。帰ってきたらこれも切り花にしてやらないと。それにしても、ベビーロマンティカは、花を咲かせながら同時に新芽も出してきている。元気一杯。
ミミエデンは、ひとしきり新芽を出し終えたのか、静かになってきた。ここからどう動くんだろう。ちょっとどきどきする。さんざん苦労してここまで甦ってくれたのだから、本当に嬉しい。
ホワイトクリスマスとマリリン・モンロー。それぞれに新芽を噴き出させ。まっすぐ天を向いて伸びるその枝葉。凛々しいという言葉がとても似合う。でもちょっと、ホワイトクリスマスとマリリン・モンローの距離が、近くなりすぎている。強い風が吹いたら、枝が擦り合わさってしまうかもしれない。どうしよう。ちょっと考えないと。
アメリカンブルーはきれいな青色の花を一輪咲かせ。ふわふわと風に揺れている。この空にとても似合いな、きれいな青色。
私は部屋に戻り、お湯を沸かす。生姜茶を、濃い目に作って、珍しく氷で割る。何となく冷たいものが飲みたい。そう思った。
窓際の机に座り、お茶を飲みながら煙草に火をつける。勢いのいい風が、カーテンをふわりふわり揺らしてゆく。
この数日、頭の中でぐるぐるしていることを一生懸命整理しようとするのだが、なかなかうまくいかない。とあるサイトで論争されていた、「被害者が声を上げる」ということについて、だ。
声を上げることは、そんなにいけないことなんだろうか。上げた途端、もうその人物は差別を受けなければならないんだろうか。それが不思議でならない。
そしてまた、別のこと。加害者の弁護をする、弁護士の方法。被害者の女性の過去の男性遍歴を調べ上げ、それを出してきて、これだけふしだらなのだからと主張するその論法。私も実際それは経験した。それゆえ事件は成立しないとさえされた。その時のことを、ありありと思い出す。
事件は成立しなかった、被害はなかった、としながら、示談に持ち込み、最後の最後、十万円をこちらに差し出してきた加害者たち。これで何もなかったことに、と。あれは何だったんだろう。今考えても理解できない。本当に強姦していなかったなら、何もなかったなら、その十万円という金は何を意味するものだったんだと言いたい。
性犯罪被害について、日本で語られることは、本当に少ない。語ってはならないというような雰囲気がありありと漂っている。でも、誰かが声を上げなければ、その被害の実態は何処にも知られないまま埋もれるだけで。誰かが声を上げなければ、その被害を受けたことによって被害者が背負うことになったものの重さなど、誰にも知られぬままになるだけで。被害者はそんなに、何もかもを背負って、何もかもに押しつぶされて、生きていかなければならないというのか。
私が被害に遭った頃、産婦人科の対応もまだまだ最低だった。被害後、必死の思いで診察を受けると、いきなり、警察に連絡しますか、と医者が言った。連絡しないならこれ以上の処置はできないとさえ言った。ことを明るみに出すか、出さないかで、その後の処置が決まるのだと。そんなこと、いきなり事件直後に言われて、決められる人がいるんだろうか。私はこれでもかというほど慄いたのを、今もはっきりと覚えている。
私は二本目の煙草に火をつけながら、思う。そう考えてくると、今というのは、ずいぶん変わってきたのかもしれない、と。少なくとも、批判は浴びるけれど、それでも、被害者が声を上げられるようになってきたし、警察や病院の対応もずいぶん変化してきたという。実際付き添いで病院に行った折、その病院のスタッフは実にしっかりと被害者をサポートしてくれた。心の傷をこれ以上広げないよう、最大限の配慮をしてくれた。もちろん病院にもよるのだろうが、少なくとも、そういう病院が数えるほどでも、存在するようになった、ということ。
そう、どう批判を受けようと、差別を受けようと、私はやっぱり、声を上げてゆくことを、選ぶ人間なんだと思う。自分が上げなければ、自分の次に続く人間まで、自分と同じ悲惨な目に遭わなければならなくなる。それはいやだ。自分がされたのと同じ仕打ちを、自分と同じ境遇の人たちが受けなければならないという、その現実が、いやだ。
いつも思う。人間が人間である限り、犯罪はなくならない。きっとなくなることは、ない。それでも。犯罪で痛めつけられた人間の心を救えるのもまた、同じ人間であるということ。
さて、そろそろ朝の仕事に取り掛かろうか。私は頭を軽く振って、椅子に座り直す。

約一時間、仕事をこなし、それから娘の朝ご飯、昼ご飯を作る。ついでに洗濯も一回済ますことにする。
冷蔵庫の野菜室を漁り、茄子とピーマンを見つける。さて。これなら麻婆茄子が作れる。早速取り掛かる。ご飯は昨日のうちに炊いて、すでに小分けして冷凍してある。おかずがあれば、何とか二食済ませられるだろう。作っているとあっという間に汗をかく。でも、窓からは心地よい風が吹いてきて、私の汗を宥めてくれる。
起きたのだろう娘が、それでもごろごろ、寝床で転がっている。早く起きなさい、と声を掛けると、ママ、ミルク連れてきてぇ、とねだる。寝床にハム連れてくと、うんちするからやだ!と返事する。渋々起きてきた娘。自分でミルクを抱きかかえ、でーんと床に座っている。
ママ、ココアを診てくれた先生、すごいよね。何が? だって、ちゃんとココアの目、治しちゃったんだから。それは、あなたがちゃんと先生の言う通りに目薬を頑張ったからでしょう? いや、違う、先生がくれた薬がすごいんだ、きっと。ははは。そんなことないって。でもさ、ミルク連れてったら、絶対、デブすぎるって言われるよね。言われるかもしれないねぇ。ちょっとダイエットさせたら? ミルクにはいつも、餌少なめにやってるんだよ。そうなんだ。でも、おデブだね。ゴロも最近、体格すんごくよくなってきたよね。うん、でもゴロは、筋肉太りって感じがする。あぁ、触った感じが違うもんね。ココアだけだよ、このスリムな体型保ってるのは。ココアは好き嫌いが激しいからね、それもあるんじゃない? それに、一番回し車回してるの、ココアだし。だねー。

洗濯も終わり、食事も二食分作って、出かける支度。
じゃぁね、それじゃぁね、そっちも頑張って。ママもねー。手を振って別れる。
私はとりあえず自転車に跨り、走り出す。坂を下り、信号を渡って公園の前へ。公園に入っていくと、もうくらくらするほどの蝉の声。まさに命を燃やし尽くす勢いで、みなが啼いている。どうしてだろう、蝉の声を聴いていると、だんだん切なくなってくるのは。それは私が蝉の命の短さを思っているからなんだろうか。でも蝉にとってはそれが当たり前で。だからこそ懸命に啼いているわけで。美しい命の様なんだ、と、改めて思う。
公園を抜け出て大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。銀杏並木の日陰が嬉しい。日陰を縫って走る。ちょっとズルして、赤信号も突っ走ってしまう。おまわりさん、ごめんなさい。
結局私は、私で在ることしかできない。どこまでもどこまでも、私で在ることしか、できない。そのことを、改めて思う。
さぁ、今日も一日が始まる。


2010年08月02日(月) 
蒸し暑い夜を過ごした。夜中から少しずつ少しずつ気温が下がり始めるのを肌で感じながら横になっていた。何度か、娘が下着姿で大の字になって眠っているのが気にかかり、おなかにタオルケットを掛け直す。しばらくすると娘はそれをけっぽっておなかを出す、の繰り返しで。ちょっと苦笑してしまう。まぁこんなもんか、と思いつつ、天井を見つめたり、ココアの回し車の音に耳を澄ましたりしている。
ほのかに空が白み始め。私は起き上がる。半分開けておいた窓を、全開にし、そうしてベランダに出る。ぬるく、じめっとした空気が横たわっている。風もほとんどない。私は大きく伸びをする。
しゃがみこんで、ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝を解く。何だかもうこれが日課になってしまった。解けど解けど絡まり合う二人。同じプランターに植えた私が間違っていたのだなぁと反省。でも、何となく、実は二人仲がいいのかしらんとも思ったりする。
パスカリの、根元から新芽を出した一本。もう十センチを越えてしまった。早い早い。今のところ粉を噴く様子もなく。葉は元気なようだ。よかった。まだ赤い縁取りを持ったそれを、私はそっと指で撫でる。
桃色の、ぼんぼりのような花を三つつけている樹。そろそろ花を切ってやる時期かもしれない。まだきれいに咲いているけれど、この樹はとても小さい。樹の負担になってはかわいそうだ。今日帰ってきたら切ってやろうと私は決める。
その隣、蕾が開き始めたパスカリ。今回はパスカリらしい、真っ白の花のようで。なんだかほっとする。この前の花はなんだったんだろう。あんなに黄味がかって。私は首を傾げる。新しく出てきた枝葉も、ぐいぐい横に伸びて、なんだか樹が、大きく横に広がった感じ。
ベビーロマンティカは、四つの蕾がみんな揃って綻び出した。まぁるいまぁるい、ぽっとした花の形。まるでできたてのヨーグルトを、くるんとスプーンで掬ったような、そんな初々しさがある。今日か明日には、きれいに開くんだろう。その日が待ち遠しい。
ミミエデンはそんなベビーロマンティカの隣で、まだ紅味の残る葉を幾つか残して立っている。でも、この週末にずいぶん葉が緑色になった。どれもこれも歪みはなく。とても嬉しい。
そうしてホワイトクリスマスとマリリン・モンローは、新芽をぐいっと天に向けて立っている。ホワイトクリスマスから一つ、マリリン・モンローから二つ。どれも勢いのよさそうな芽だ。それでも何だろう、ホワイトクリスマスは特に、こんな最中でも静けさをもって佇んでおり。私はそんなホワイトクリスマスの立ち姿に、思わず見惚れてしまう。こういう姿、とても好きだ。
友人から貰った薔薇の枝を挿した、その枝から、ぶわっと新芽が噴き出して来ている。名前は知らない。どんな色の枝が生き残ってくれたのか、それも定かではない。花が咲いてくれるまで分からない。でも、この勢いのよい姿、惚れ惚れする。よかった、挿して。
私は立ち上がり、ベランダの手すりに寄りかかる。そうして改めて空を見上げる。今日は曇天のようだ。薄灰色の雲が空全体に広がっている。そのおかげで、じりじりした暑さはない。
それにしても。今朝は気分がいいのだ。とにかく心がすっきりしている。ずっと心に引っかかっていたことが、昨日晴れたからだ。
金曜日。友人から、私はきっと猫を飼ってはいけないんだと思う、もう私はひとりになる、といったメールが届く。私は慌てた。彼女がどこまで今追い詰まってしまっているのかを思って慌てた。このところ、彼女には不運なことが立て続けに起こり過ぎている。しばらくすると、もっと思いつめたメールが届く。私は頭を抱えた。どうしよう、本当は飛んで行きたいけれど、飛んでいける距離ではない。新幹線に乗っても数時間、私はそんなお金今持っていない。娘を置いていくことも無理だ。どうしたらいいんだろう。友人に今私ができること。それは何だろう。
そんなとき、少し前から連絡を頂いていた、子猫の飼い主さんから連絡が届く。目の悪い子猫ちゃんだけれども元気です、いいご縁になりますように、と書いてある。私はすがる思いで、連絡を取る。
事情をあけっぴろげに話した。友人が性犯罪被害者で、病気を抱えていること、でも、今までに何度も猫を育て、見送ってきていること、諸々のことを、正直に伝える。
これまで、病気を抱えている、しかも一人暮らし、というその二点で、すべての縁を失ってきた。検討させてください、と言った方から、全く連絡が来なくなったり、即座にお断りを受けることが殆どだった。今回も無理かもしれない、でも、と、私は縋った。検討していただけないでしょうか、と伝えたとき、先方から思ってもみない言葉が聴こえた。
「私の知人でも、そういう体験を経た人がいて、でも、猫がいたから生きる支えになった、と言ってました」。
私は耳を疑った。まさか、そんな言葉を聴くことになろうとは思ってもみなかった。一瞬絶句した。そしてその方が続ける。「ええ、もしこの子でよかったら、ぜひ」。
私は、電話に向かって深く深く頭を下げた。そして、今から友人と連絡を取るから、しばらく待って欲しいことを伝えた。
友人に連絡を取る。友人は、今、声が殆ど出ない。相手の声を聴き取ることはできるが、自分で声を出すことが殆どできない。でも。電話をかけてみる、と言ってくれた。
私は祈るような思いで、二人のやりとりが終わるのを待った。
「ねぇさん、ぜひにって言ってもらえた」。電話の終わった友人から連絡が入る。思わず私はその場で、万歳をしていた。そのくらい、嬉しかった。
それから彼女と、改めてここ数日のことを文字で話した。性犯罪被害者となったこと、そのことを今親や兄弟から、「どうして見返してやろうと頑張らないんだ!」と罵られたこと。私は必死に頑張ってここで生きようと踏みとどまっているのに、それが誰にも伝わらなくて、もう苦しくて苦しくて潰れそうになっていたこと。
私は思い出す。ついさっき、とあるサイトを見た折に見つけた書き込み。「声を上げた被害者はもはや弱者とはみなされない」というような認識が、まかり通っているらしく。その一連の書き込みを私は読んで、溜息をついた。声を上げるまでに、どれほどの思いを飲んで、どれほどの苦汁を飲んで、それでも声を上げようとするのか。そのことがちっとも、伝わっていない現実が、まだまだあるというそのことに。絶望したくなった。
友人が言う。「だから、乗り越えたふりをして生きていかなくちゃならなくなっちゃうんだよ、ねぇさんもそうでしょう」。「今もまだ闘っているのに、そのことは見落とされていくんだ」。「そうして被害者は、どんどん自分と現実とのギャップに苦しんで、苦しんで、時に押しつぶされてしまうんだ」と。
彼女の言葉を幾つも聴きながら、私は胸が軋んだ。その軋む音を聴きながら、唇を噛んだ。他に何も、できようもなかった。
ついこの間、私はとある通夜に出た。来年の「あの場所から」の撮影に参加したいと言っていた性犯罪被害者の、通夜に出た。とても小さな寂しい式で。でも。私は出てよかったと思っている。
彼女は来年参加したいと言っていた。だからそれまで生きるんだと言っていた。でもそれが、叶わなくなった。叶わなくなったのにはきっと、理由がある。その理由を、私は知らなければならないと思う。感じなくてはならないと思う。同じ被害者として。そしてこの「あの場所から」を企画した者の責任として。
「ねぇさん、こんなこと言ったら不謹慎かもしれないけれど。でもね、私は思う、彼女は彼女のやり方で、自分を解放したんだよ」。「そうするしかないほどきっと、自分と現実との間で潰されてしまったんだよ」。友人がそう言う。
だから私は敢えて言った。「でもだからこそ、私はあなたに、生きていて欲しいと、いつもいつも思っているんだよ」と。それが残酷な言葉であることは百も承知で。私はそう伝えた。
「私は、加害者なんてどうにでもなれって思う。加害者の将来なんてどうでもいい。そんなことより、私たちが今も常に闘い続けていることを分かって欲しい、同じくらい怒ってくれる人がほしいって、そう思ってる」。
彼女と話しながら、来年もきっと、「あの場所から」の撮影を実現させようと、私は心を新たにした。実現させなければならない。絶対に。

ママ、Oちゃん、結局どうなった? 帰宅した娘が一番に私に尋ねてくる。うん、猫、飼えることになったよ。そっかぁ、よかった。うん、よかった。あー、もう、本当に心配したんだから。そうだね、心配だったね。これ以上心配したら、白髪になるかと思うくらい心配したんだよ。ははは、大丈夫だ、白髪、ないよ。当たり前だよ、あったら困るよ! ははは。

じゃぁね、それじゃぁね。ママ、病院だから、お留守番、頼むよ。うん、分かってる。
私は階段を駆け下り、バス停へ向かう。ふと見ると、ベランダからこちらに娘が手を振っている。私も手を振り返す。
駅から電車に乗り、ごとごと揺られながら病院へ向かう。途中川を渡るところで、私は川をじっと見つめる。水嵩の増した、ゆったりした流れが朗々と流れている。こんな灰色の雲の下でも、川は静かな顔を見せ、淡々と流れ往く。
さぁ今日も一日が始まる。しかと歩いてゆかねば。


遠藤みちる HOME |MAIL

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