語り
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2001年03月04日(日) |
妹の看病のため東京滞在日記 2 |
ううーん、もう忘れそうだが、とりあえず妹の看病奮闘記(?)日記のつづき。
そんなこんなで妹んとこに到着。 夜1時過ぎ。美雪は、寝てればいいのに、起きていやがった。 部屋をみれば、まあ5日寝込んでたわりにはきれいかな、と いうような惨状。 夜遅いので、コーヒーを入れて、ちょっと話す。 (カフェインに左右されない我等姉妹)。 いつもどおり、ネスカフェエクセラ(インスタント)に牛乳どっぷり。妹は
「ひさびさにおねいさんのコーヒー(※ってゆーかコーヒー牛乳)だー」
と喜んでたのでほろり。 いつまでもしゃべりそうな妹を「また熱でるからアカン」と牽制し、ベッドに寝かし付けて、わたしは自分の時間に突入。 というわけで、約束してた紫龍関係の友人たちとのチャットに3時頃乱入した。
妹の古いノートパソで、しかも使い慣れないウインドウズだったが、いかがわしいお話を派手に激しく楽しんだ(盛り上がってハッピーでした。その節はありがとう、みなさん)。
次の日はすこし調子のよさそうな妹。 母親のチラシ寿司(3/3はおひなさまなので、毎年チラシを作る母)を2人でもそもそ食べた。 あのどんぶりメシ食らいの妹が、ちょこっとしか食べれないのをみて、びっくり。 昼から2人でお医者にいった。三鷹に住んでいたころ、よくお世話になった近所の病院だが、近い、というだけで特記すべき美点はない。 ないよりまし、ってなカンジの、薬だけは大量にくれる病院。 歩いて5分のところだが、妹の歩調にあわせると15分くらいかかった。ゼイゼイいいつつも、ぺらぺら話しまくる妹。
「歩くか喋るかどっちかにしろ」
とたしなめつつ、病院へ到着。 病名、わからない(どうみたってインフルエンザだろうが)。 薬飲んでも咳が止まらない(一回に4つも飲ませておいて)。 そんな自分の患者に「おかしいなあ・・」と首をかしげるだけの医者。 おかしくないおかしくない。君がヤブ(初診のときも、熱が高くて弱ってるのに注射もせんような医者)やねん。 と、心の中で思いながら、
「普段は熱を次の日に持ち越さないくらい頑健なんですけど。この子小さい頃に、肺炎になったことがあるので、念のためレントゲンとっていただけますか」
とお願いする。 はづかしい。なんて過保護な姉(25の妹に)。 ほんで、レントゲンとるのに1時間。なんで1時間もかかるねん。 待ってる間、私のかかりつけの、地元の宮本医院の先生の名医さんぶりを妹に語る(幼少のころは妹もかかっていた)。 それを聞いて「やっぱり和歌山はええなあ~」としょんぼりする妹。ちょっと可哀想。
レントゲンの結果、とりあえず、肺炎ではないと分かって一安心。 あとは、栄養と睡眠やね。ということで、部屋に帰ってまた寝かす。 母が大量に料理を作った上、近所の友人(わたしが三鷹にいたころ、お世話になったひとびと)たちが
「純子ちゃん、三鷹に帰ってきたの?」
と、妹の見舞いがてらにモスの差し入れやら、ジュースやらをもってきてくれた。
結果、3日間滞在してた間、わたしが作ったのは味噌汁のみ。ラクチン。 2、3年ぶりに会う友人の第一声。
「太ったね」。
ショック(ーー)。 でも久々に会えて、嬉しかった。 東京に来ても、三鷹にゆっくり滞在することはいままでなかったので、今回はほんまに良かったなあ、と思う。 4日には、妹もなんとか通常の半分くらいは御飯を食べれるようになったので、妹をフロにいれている間、はりきって掃除。 東京にしてはイイ天気だったので、シーツやらふとんやらを干す。 明日には会社にいけそうという妹に安心して、夜9時の飛行機で羽田から帰る。関空に10時半着。
あとはわたしがインフルエンザうつらんようにせんとな、と思いつつ(※結局うつっていない頑健なわたし)。
インフルエンザの予防接種うっておいてほんとよかった。
2001年03月03日(土) |
妹の看病のため東京滞在日記 1 |
先週の金曜日(3/2)の晩から、東京にいってきた。 今年はなんだか、とても関空にお世話になる年である。
物心ついた頃から、出した熱を次の日に持ち越したことのないという頑健きわまりない妹美雪。 鬼の攪乱というやつかインフルエンザで5日寝込んでいるという。 しかもいまだに熱が下がらないという非常事態になり、
「�ーん、友だちに看病に来てもらいたいけど、友だちにインフルエンザうつすんコワイから、お姉ちゃんきて~~~」
と姉をなんと心得ているのかケシカラン電話がかかってきた。 母が動けないので、仕方なく私が行くことになった。 去年の12月ごろ、ねたきりの祖母を風邪から守るため、病院にわざわざインフルエンザの予防接種をうちにいった私に
『100本ほど打たれてきな!!』と
メールでよこしやがった己の傲慢さをいまこそ恥じよ、美雪。
1ヶ月ぶりの東京。 しかも、花金の夜の東京。 羽田から、モノレールで浜松町、外回りの山手で新宿、そして中央線で三鷹、という、よりによって究極の人込みルートを選んでしまった私は、おもい荷物(母の作った料理がびっしりつめこまれている、エンゲル係数の高いボストンバッグ)を抱えて、ひさびさに満員電車にゆられた。 3年前までは慣れ親しんでいた、懐かしい感覚だった。 老若男女、総赤ら顔。 みんな御機嫌で酒臭い。 一ミリたりとも動けないぎゅうぎゅうの車内。 持ち手がなくても、密着したお互いが背中で支えあう程の込み具合。 東京の電車は(よく停まるが)乗り心地がいい。大阪の攻撃的な込み具合の電車とは違って、密着してても穏やかな感じ。 みんな上手に自分の居場所を確保している。 満員電車の人にもたれて立ったまま寝れる私の特技は、きっと東京でしか披露できないだろう。そして、その機会は多分この先、もうないだろう。 しかし、そんな私は和歌山に戻ると途端に人込みを避けるようになるのだが。何故だろう。 それは、 「人込みになれている人たちで構成される人込みは、ある程度お互いのルールを把握出来てて居心地がいいのだが、人込みに慣れていない人たちの人込みは、攻撃的なオーラが発せられ、居心地がよくないのだ」 と、吉祥寺につく頃、答えを出した。 そんな(くだらなすぎる)ことを思いつつ、深夜一時の三鷹に到着。 もってきたイチゴは、押されてつぶれた箇所がピンクになっていた(甘くなった)。 なんだか長くなっちゃったから、このヘンで一回しめよう。
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