原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2003年05月31日(土) リンク集 GIDしずおか

★リンク集『会津里花をきっかけにするhttp://cgi.jackies.jp/cgi/jackies.jp/user-cgi-bin/?』をつくりました。
よろしかったら皆さん、ご利用くださいね♪

★あと、『GIDしずおかhttp://www.jackies.jp/gidszk/index.html』のHPもつくり始めました。
こちらはまだ何も内容がないよう……(^^; ですが、少しずつコンテンツを作っていこうと思います。

よろしくお願いいたしますm(__)m

2003年05月28日(水) 早起き 平和のためのイベント

そうそう。今日の日記を始める前に。
20030527・市議会・議員控室挨拶回り 他
もつい今しがた書いたところなので、お読みくださいm(__)m

★1・早起き
★2・「平和のための戦争なんて…」
★3・「家族制」
★4・お見舞い



★1・早起き

今日は早めに目が覚めた。
珍しく、弟の朝ご飯を作った。
(Fくん、今日は会社がお休み)
しばらくテレビを見た。
もらったメールについて、あれこれ考えている。

……あ。眠い。
寝直しちゃおうかな……(こらこら)

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★2・「平和のための戦争なんて…(ありえない!)」

今日、ソロ歌手の大島優美子さん(漫画家じゃなくて)が発起されて、
ブッシュがイラクに対して起こした戦争について反対の立場で
音楽と朗読で構成されたイベントが開催された。
この記事のタイトル「平和のための戦争なんて…」が、そのイベントのタイトル。
副題:「あきらめない 演劇は非戦の力」
 イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会、による台本より再構成


前半は、ほとんど泣きっぱなしだった。
わたしは、小さい頃に父親からベトナム戦争の「北爆」の恐ろしさを叩き込まれて育ったので、
戦争に対してはたぶんとても健全な感情を持っていると思う。
(そういうところは父親に感謝している)
……つまり、「戦争は嫌いだ。恐ろしい」と思っているのだ。

わたしは、あの「演劇人」の人たちが言っていたのと、ほとんど同じ気持ちを持っている。
どんな理由があろうとも、戦争はしてはならない。
殺しあってどちらかが生き残るよりも、仲良くして共倒れになるほうがましだと思う。
大量破壊兵器を敵に向ける側ではなく、それが落ちてくる側のことを常に想像し、
そこで暮らし、そこで殺されてしまう人々に共感する。

生まれなかった子どもをわたしが「殺した」ことにされただけであんなにショックなのに。
わたしは仮に「平和のための戦争」で、とてもまっとうな正義が自分の側にあって、
「テロを防ぐ」という理由のためのミサイルのスイッチを自分が押すことになっていても、
やっぱりそれが落ちて死んでいく人たちのことを思うだろう。
そうして、それはわたしの心に癒すことのできない傷を残すだろう。
その傷はわたしを蝕み、社会に言い知れない不安や恐怖を撒き散らすことになるだろう。

そんなの、絶対に嫌だ。

戦争は、憎しみを拡大再生産するだけだ。
自分の大切な人を殺されてそれが決して許せないと思っても、
わたしは決して自分から相手を殺そうとはしないだろう。
わたしが相手に「報復」したとしても、今度は報復された相手の身内が
わたしに対して強い憎しみを抱くことになるだろう。
わたしは憎しみの連鎖の中で自分を消耗し、死神か幽霊か、
どっちかのように生きなければならないだろう。

残念だけど、ブッシュはもうそうなっている。
彼が憎しみの連鎖を解くことはできるのだろうか。
彼が生きている間は不可能なのではないか。

人間はとても弱いものだ。
許す力が弱いのだ。

わたしは、強い力で人を憎むなんていう自信はない。
報復なんか絶対にできないわたしでよかった、と思う。心から。

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ところで、話は変わるけれど、今日のステージはわたしにとって、とても「懐かしい」ものでもあった。
わたしはほぼ20年前(もうちょっと前かな?)に、同じように歌唱(主に合唱だったけど)と朗読で構成された
「合唱組曲」を演奏していたのだ。バックバンドのベーシストとして、だけど。

その「合唱団」は、はっきり言って力量的にはとても下手だった。
だから、今回みたいに多くの聴衆を集めて、集まった人たちを感動させるほどのものになったことは、
数えるくらいしかなかった。
(合唱+バンドと語り、という形式で、
1945年3月9日の「東京大空襲」を扱った物語『ガラスのうさぎ』を演奏した時には、
お客さんの多くが涙で共感してくれた。
数少ないけれど貴重な体験だった)

それととてもよく似た形式で、こんなに多くの人に感動と共感を呼ぶなんて。
世の中は、明らかに20年前よりも良くなっている、と思った。ある面では。
でも、世界が滅びるのと紙一重である程度も、あの頃よりも一段と大きくなったと思う。別の面で。

だからこそ、わたしは自分の立場を明らかにしなければならない、と思う。

わたしは、あらゆる戦争やそれ以外の殺人と暴力に、絶対に与(くみ)したくはない。
そうして、それらのことがこの地上から一切消えてなくなることを、心から祈っている。
そのために自分ができることがあれば、なんでもやりたい、と思う。
(だったら本当にやれよな>自分)

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生きていて、良かった。
女に戻れて、良かった。
(わたしにとっては「男」というフィルターがかかっていた頃には感じにくくなっていた感情を
ダイレクトに、敏感に感じることができるようになってきたのだ)

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★3・「家族制」

実は今日、↑の他にもとても貴重な体験をした。

誰、ということは、その人の名誉のために明かさないほうがいいと思うけど、
ある人と「家督相続」について話したのだった。
っていうか、ほとんど言い合いのようになってしまった。
(すごく怖かった;相手は体の大きな男性なので)

その人は、現代の日本では制度的には消滅して慣習の中に残っているだけの「家父長制」を、
「それが常識だ」と言ってわたしに押し付けようとした。
わたしは、そういうもののせいで自分を一旦はすっかり失ってしまった経験があるので、
それを擁護する立場には立てない、と言った。

長男や長女が「家を継ぐ」ということは、多くの人の自由を奪う。
それがなぜかといえば、「帰る実家」や「入るお墓」を失わずに確保しておくために、だ。
確かに、わたしも今、「実家」というものがあるおかげで、
ほとんど収入もないのに生活できている。
もしも弟が幸せな結婚をして、新しい家族と一緒に穏やかに暮らしていたら、
わたしはきっと弟を頼ることはなかっただろう。

でも。
「家父長制」「家督相続」ということに今でもこだわる人の気持ちは、少しわかったような気がする。
それは、とてもかわいそうだし、実はみじめなことだと思うけど。

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戦前に行われていた「一子による家督相続」は、鎌倉時代の末にだんだんと起きてきて、
室町時代頃に定着したのだとか。
鎌倉時代に入る時に源頼朝が掲げた「御恩と奉公」から類推できるのは「均分相続」だった。
けれど、それだと代を重ねるほど、
一人あたりの相続する土地や家屋その他の財産が小さくなっていってしまうので、
それを防いで豊富な財力や強い武力を確保しておくために
「家督」というものを家族の誰か一人だけが受け継いでいく、というかたちに変わっていったのだ。

初めの頃は、実は「長男(長子)相続」ではなかった。
子が複数いれば、いちばん実力のある兄弟が相続したのだった。
ただ、このやり方にも欠点があって、兄弟どうしで武力を争うことにつながりやすかったのだ。

で、結局明治維新を迎えてから、
たぶん皇室の皇位継承順に合わせて「まず第一子の男」つまり「長男」が相続する、ということになった。
「男が後継ぎ」というのは、江戸時代にはかなり定着していたようだけど、
しっかりした制度になったのは明治維新以後だった。
「男」でなければいけない理由は「戦闘能力が高い」というのがたった一つの理由だろう。
後からだいぶいろいろと余計な意味付けをされてしまったようだけど。

「日本では昔からそういうことになっている」というわけではない。
いちばんさかのぼっても600年ほど前からなのだ。

現代でも、「実家」というものが「目減り」してしまわないように、
それを相続するのはいちおう兄弟のうちの誰か一人、というのが一般的であるようだ。
特に田舎では、今でも地域ぐるみでそういう「遺制」を犬儒しようとしている人々がいるようだ。

でも、でも。
「家を守る」ということのために、たとえば結婚相手の名字も仕事も住むところも変えさせてしまっていいものだろうか。
わたしはそれを、身をもって体験した。
本当に、名字も相手のものに変えたし、仕事も変えたし、住みかも東京から故郷の静岡に変えてしまった。
その感想は……

わたしは自分を見失ってしまった。

「嫁」というものが今でもほぼそういう境遇を強いられるということは、恐ろしいことのような気がする。
わたしは自分が事実上そういう立場に置かれて(しかも自分では子を産むことすらできない!)、
結婚相手の「実家」との間で、本当に恐ろしい思いをしながら生きた期間があった。
あんな思いは味わいたくなかったし、二度と味わいたくもない。

なので、実はわたしは「夫婦別姓」にも大賛成だったりする。

(うーん…… この記事はなんだか納得できる言葉で書けていないような気がする。
それは、わたしが今日話し合ったその人の気持ちもわかる、という揺らぎがあるのに、
それがうまく表せないからだろう)

……あっ、そうだ。
一つだけ、とても腑に落ちないこと。
わたしが議論した相手の人は、どうやらその人自身も「実家」ということで傷つけられた経験があるようだった。
それなのに、自分を傷つけた制度、というより慣習を、「正しい」と言うのだ。
それがわたしには理解できない。どうしても。

それを「世の中の厳しさ」というのなら、そういう厳しさは間違っていると思う。
なぜなら、決して人を「生かす」厳しさではないから。

まったく、もう……
そんな「厳しさ」にいつまでも幻想を抱いていたら、人類が滅びるのが早まるだけじゃないの。

前にも書いたことがあるけれど、わたしは「愚かな厳しさ」が嫌いだ。
っていうか、「愚かしさ」を「厳しさ」と勘違いしたりごまかして決め付けたりするのが嫌いなのだ。
なぜなら、不毛だから。
そんなものでは、人も自然も生きのびることができないから。

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★4・お見舞い

お見舞いにいった。
お隣のおばちゃんのところに。
小さくなった、と思った。
けれど、思ったよりもずっと意識がしっかりしているようで、
ぜんぜんぼけていないようだった。

よかった。
わたしは、スパッティという花のつく観葉植物を贈った。
白い花が咲いてきれいだし、葉もしなやかに伸びている。

おばちゃんはわたしのことを相変わらず
「キレイだねえ、本当にキレイになったねえ」と言った。
わたしはこそばゆいような恥ずかしいような気がしながら、それでも嬉しくて、
ついにやにやしてしまった。

早く有名になりたいなっ★

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2003年05月27日(火) 市議会・議員控室回り 他

★市議会議員の前田ゆきこさんに連れられて、各会派の議員控室を挨拶してまわりました。
全体的には好印象。
同時に課題も見えてきて、これからが大変。

取り急ぎ、
・陳情書の清書
・フォーラムの式進行詳細決定
・→明日「GIDしずおか」の打合せがあるのでそれまでにせめて「たたき台」くらいは。

★ついでに、メンタルのお医者さんに行って、ぶちまけてしまった。
「せんせい、わたし、プレマリン1日3錠にしてしまうとやっぱり鬱に入り込んじゃうみたいなんです。
だからプレマリン減らせるように、ミラドールとアーテン、再開させてください」
もともと先生は「ミラドール1日1錠じゃ微量すぎて効かないよ」と言っていたのだけれど、PRLの値がそれでも跳ね上がってしまうので、それじゃちょっと止めておきましょう、ということになっていたのだった。
2ヶ月くらいしたら、もう一度PRLの値を調べてもらうことに。

★次のライブのチラシ、とても良いものを作ってもらいました。
ただ、プリントアウトしたものしかもらえなかったので(わたしはWinだけど先方はMac使いさんだったのです)、早くスキャンして「行動予定」とかあちこちにUPしなくちゃ。

★そーだ!!
わたしのHPに「リンク集」をちゃんとつくらないと。
CGIの本(『KENTとはじめるCGI源泉Perlスクリプト集』)買ってきたけど、頭が痛くなりそう。ひい〜〜(+_+;;

★「YOUNG YOU COLORS」買った。
漫画はやめれん。

★調子に乗って西炯子『三番町萩原屋の美人』の9巻・10巻も買ってしまった。
実は今、これにもハマっているのだった。

★一昨日退院してきたお隣のおばちゃんに「お見舞い」しなくちゃ。
このおばちゃん、わたしが元は男の子だったということをよく知っているはずなのに、わたしを見て「○○ちゃん(←わたしの男の時の名)、すっかり美人になったねえ」と素直に喜んでくれた。
むしろわたしのほうがきょとんとしてしまったのだった。
でも、嬉しかった♪
わたしがお芝居に出た時も、2度も見に来てくれた。
どうやら、このおばちゃんはいわばわたしの「ファン」になってくれたらしいのだ。
なんか、すごくありがたい。

★少しでもわたしのことを応援してくれてる人がいる、ということ、わたしにとって大きな励ましになる。
そりゃ、マイナスのことを言われれば馬鹿正直に落ち込むし、プラスのことを言われれば簡単に木にでも登っちゃう。
できるだけ、プラスの言葉に耳を傾けよう。
それは決して「自分を甘やかす」ためなんかじゃない。
わたしがまっすぐに伸びていくために必要な「栄養」なのだと思う。

わたしに栄養をくださる人たちに、心から感謝します。

あと、この場をお借りして、わたしが突然お送りした「アンケートへのご協力お願い」メールに答えてくださった方、ありがとうございます。

2003年05月26日(月) 「性同一性障害を考えるフォーラムinしずおか」詳細

よく見たら、詳しい内容をまだこの日記には掲載していませんでした。
もしかしたらご心配おかけした方が多いのかもしれません。すみませんでした。

で、実は「会津里花の行動予定http://cgi.jackies.jp/cgi/jackies.jp/user-cgi-bin/topics.cgi」には掲載したのですが、
その後「チラシhttp://www.jackies.jp/gidszk_forum1_flyer.htm」をつくりました。
そのままコピペしておきますので、参加していただける方、どうかよろしくお願いいたします。

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=「多様な性」をみんなで考えるきっかけを分かち合いましょう=
性同一性障害を考える
フォーラムinしずおか

2003年6月、静岡ではじめて性同一性障害を抱える当事者、そして共に生きようとする仲間たちのグループ、『GIDしずおか』が誕生しました。
まずは性同一性障害の当事者が「普通に暮らせる社会」を目指して、でもできれば広く「セクシュアル・マイノリティ」と呼ばれる人たちを暖かく受け入れることのできる静岡を目指して、自治体から国への働きかけ、学習活動、イベントなど幅広くみなさんの理解を広げる活動を行っていきたいと思います。
スタート記念に、性同一性障害の当事者でもある作家の虎井まさ衛さんをお招きし、性同一性障害を抱える人たちが置かれている状況や戸籍訂正に向けての最新の動きなどをお聞きします。
もしかしたら「セクシュアル・マイノリティ」を考えることは、他の多くの「マジョリティ」にあたる人たちにとっても大きな発見や豊かな理解をもたらすものかもしれません。
きょうからあなたもいっしょに考えてみませんか?

日時:6月14日(土) 午後2時〜4時
場所:
産経会館 (静岡市・中町交差点そば)

ゲスト講演:虎井まさ衛
 1963年生まれ、作家。
 『FTM日本』『ASIAN TS CLUB』主宰などの活動、
 また著書『女から男になったワタシ』『トランスジェンダーの仲間たち』など多数を通じ、
 いち早く性同一性障害(GID=Gender Identity Disorderの略)の立場から
 性と人権についてメディアや教育現場を通じてアピール。

聞き手:会津里花(MTF当事者)
 1961年生まれ、『GIDしずおか』代表。ミュージシャン、女優(?)、作家志望。

参加費:1000円

静岡市で性同一性障害をやさしく認知していく第一歩のために、ぜひご参加をよろしくお願いいたします!

主催:GIDしずおか   静岡市若松町87-15 増井方 TEL・FAX:054-271-5865
お問合せ:会津里花 ayaka@jackies.jp
      オレンジテーブル 静岡市丸山町12 TEL:054-209-8218 FAX:054-209-8217


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どうか、多くの方々のご参加をよろしくお願いいたします。

2003年05月25日(日) 煮詰まってます

こんなのめっけ。
人格形成遺伝子 http://member.nifty.ne.jp/maimari/0427.htm
とっても興味があるし、言えてると思った。

そういえば、こんなページも見つけたことがある。
NHK・遺伝子DNA http://www.nhk.or.jp/dna/

わたしが自分のことを「女だ」と思うように仕向ける遺伝子は、いったいどこにあるんだろう?

「性同一性障害を考えるフォーラムinしずおか」の準備、止まってしまっている……
悔しい。

**5/23、金曜日の記事、今ごろになって追加しました。
ミュージカル『CATS』のことです。(ちょいネタばれ注意)↓
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/bin/day?id=51752&pg=20030523 CATS**




ああああああうううううううううっっっっっ!!!!!!

ダーメダメ、ぜんぜんダメーーーー!!
明日までにやらなくてはならないことがあるのに、ぜんぜん手がつけられない。
一人でも多くの人に理解してもらわなくてはならないのに、ぜんぜんそのためにやることをやる気になれない。
こんなことじゃ、しょうがないじゃん……

うええええん。

またどこかに逃げ出すことを考え始めている自分に気がつき、ぞっとした。
いつまでたっても懲りない。
ううん、懲りることのできる性格じゃない。
きっと「遺伝子」のせいだ(苦笑)

2003年05月24日(土) 「GID法案」がらみの夢を見た!

★1・「GID戸籍訂正特例法案」の夢を見た!



★1・「GID戸籍訂正特例法案」の夢を見た!

今、[1:31 03/05/25]。
このところ、タイトルの法律案(略称っていうかわたしが勝手に作った呼び名)のことで悶々としてしまい、昼夜も逆転してしまっている。

ある面ではわたしが社会とつながる部分で悩んでいること自体は喜ぶべきことかもしれない。
今まで、わたしは社会との接点が極端に少ない状態で「自分のことだけ」悩んできたから。

でも、問題は深刻だ。
わたしのことだけではなく、他の当事者のことも、僭越であろうと考えながら発言しなくてはならない、とついつい思ってしまうから。
……で、そんな中、夜か昼かも覚えていないけれど、わたしにとってショッキングな夢を見てしまった。

わたしは、元パートナー……という呼び方も、良くない汚し方をしてしまった、と思うけれど……と、子どものことで相談しているのだ。
どうやら「法律案」は「法律」として成立したようだ。
でも、そのせいでわたしと彼女の間の子が、いじめにあってしまったり、ということが起きないか、わたしは心配で心配でたまらなくて、とうとう彼女と連絡をとってしまったのだ。
もちろん、彼女は最初とても迷惑そうにした。
「あなたのことは忘れようと思っているのに……」
(子どもがわたしのことを慕って「会いたい、会いたい」とあんまり言うから、彼女はわたしと子どもとの接触を禁じているのだった<少なくとも夢の中では)
でも、子どものためにわたしができるだけのことはしたい、と言ったら、彼女の態度も少しやわらいだようだった。

わたしは、自分が彼女から「見捨てられた」と強く思い込んで、それで離婚を進めてしまったのだけれど、なんとかして彼女と子どもを守りたい。
わたしのような存在と立場が法律で守られるようになれば、それは彼女にとっても子どもにとっても大きな安心につながるだろう。
でも、もしもわたしが認められなかったら……
今週初めに書いたけれど、やっぱりそういう「最悪の事態」のことを考えると、とても眠れない(→それで昼間ぐたぐたしてしまっている……だらしない!)。

ああ、神さま、どうかわたしの大切な「家族」をお守りください。
祈ることしかできないけれど、神さまはわたしの祈りをお心にとどめてくださるはずだ。
わたし自身が何もできないから……

ああ、だめだ。
書けない。
思いはこんなに募るのに。

切なくて、苦しい夢だった。
なんとかして、家族を守りたい。
「家族を捨てておいて、責任も果たせないくせに、今ごろ何を都合の良いことを」
と言われるだろう。

わたしは、彼女をもう二度と傷つけたくないと思って、彼女から離れた。
だから、離婚そのものについては後悔していない。
けれど、彼女も子どもも、わたしにとってかけがえのない大切な存在であることに変わりはない。

どうにかしたい。どうにか……

なんか、エンドレスで同じようなことばっかり言うことになりそうなので、このくらいにしておきます。

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2003年05月23日(金) CATS

劇団四季のミュージカル『CATS』を見てきた。
かなり成功している商業演劇、ということで決して安くはなかった。
で。
【ここから先、ネタばれ注意!】
はっきり言って、ストーリーはほとんどあってなきが如し、という感じに思えた。
「年に一度、一匹の猫がジェリクルキャットに選ばれ、昇天する」
ということだけど、あまり複雑な人間……じゃなくて「猫間関係」は描かれてなかったと思うし、考えさせられたのは唯一、「老いさらばえた娼婦」としてみんなから嫌われていた猫が「ジェリクルキャット」として昇天する、というだけだった。

でも、だったら高いチケット代、無駄になったかというと、そういう感じはぜんぜんしない。
音楽はポップというよりもむしとクラシック調。
発声の仕方はオペラ。
ダンスはまるでバレエ(実際バレエを習っている団員が多いそうな)。
それらの能力をフルに活用して、「猫」を演じきっている出演者たち。
そうして、凝った装置。

なんか、そういう「かたち」だけで、わたしはすっかり満足♥してしまったのだった。

みんな、キレイだった。

あーあーあ、あと20年早く自分が自分らしく生きても良いということを知っていれば、わたしも絶対にああいう「うたって踊れる劇団員」を目指しただろうに。

わたしは、男の体=醜いから絶対無理、と思って、表に立つことをできるだけ控えていたのだった。
音楽だけは別だったけど。
数百人の人たちの前で演奏したり歌ったりしたこともある。

……とか言ってるヒマがあったら、せめて自分の音楽くらい、磨こうよ!!>自分

2003年05月21日(水) 弱っちいのぉ>自分 (いつもの)北風と太陽 誰からの「被害者」?

★1・弱っちいのぉ(-_-;>自分
★2・北風と太陽(その1
★3・北風と太陽(その2
★4・わたしは誰からの「被害者」?



★1・弱っちいのぉ(-_-;>自分

『原案帳#22http://6114.teacup.com/jackiematthews/bbs』にも書いたけど、
クスリのコントロールを誤って、精神的にちょいへばり気味になってしまった。
今日は気をつけよう……
あと、それ以外の体調管理も、ちょっとしっかりしよう。

いろんなところに「鬱がぶり返すスイッチ」が転がっていて、たーいへん。
でも、メゲてる場合じゃない。

てなこと言ってる今はもう[12:17 03/05/21]。あうう、なんてこったい。

忘れないように。キーワードは:
個人の性の尊厳
自然は多様性を愛でる。
この2点に基づいて、まずは
・行政書類などの「性別欄」原則廃止
・戸籍の性別訂正
を求めていく。

あと、こまごましたことをもろもろ考えていかなくてはならないけど……

それは、気分を変えてから。

性転換までしたくせに、気分転換はヘタクソ(笑)

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★2・北風と太陽(その1

某所への書き込みです。
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男性のステレオタイプが問題視されないのが「大きな問題」 投稿者:じゃっきー  投稿日: 5月21日(水)15時38分16秒

>でも、それは今までの風景との別れでもあるのだけれど。

そう、そう!
男性が与えられた(わたしからすればとても狭い選択肢しかない)ステレオタイプに鋳型のようにはめられて、ところがそれがほとんど問題視されない、あるいは声をあげようともしない、という状況こそ、今までの風景にしがみついている、ということなのではないでしょうか。

わたしがこの間、自分と隣接する問題で「う〜ん」とうなってきたこと:
・男性の性被害について考えるHPが(たぶん)一つしかない
・KS(クラインフェルター=「男性」の性分化異常)の自助グループが日本に一つしかない

いずれも、たとえばそれと対比して
・女性の性被害について考えるHPも自助グループも多数ある
・ターナー女性(これも「女性」の性分化異常)の自助グループが日本に多数ある
ということをあわせて考えると、むしろ男性のほうが「ステレオタイプから外れる」ということについて考えるチャンスがない、ということになります。

正直、この発見にはびっくりしました。
女性は20世紀後半から今世紀にかけて、もちろん置かれている状況の緊急性が高かったから、ということはあるけれど、自分のことをステレオタイプでない視点で考えることを始めてきたのです。
ところが、男性には相変わらず薄っぺらな価値観しか与えられていないのでは?
これは由々しき問題ではないか、と思うし、女性がいくら自らの側は変わってきても、男性が相変わらずでは、受ける被害もいつまでたってもなくならないと思うのです。

わたしは自分の問題として、自分のもつ「加害者性」にとても苦しんできました。
そのことの解決は、ある意味で自分自身も「被害者」なのだ、と認識することでしかないように、今のところ思えます。
(ええと、だからといって事実としての自分の「加害」を「なかったことにする」わけではありませんので、誤解されませんよう)
そうして、自分自身を自分だと認めることから、初めてわたしの心の平安も、予感でしかないけれど迎えることができるのだ、と思います。
(加害者性のみの認識→極端な自己否定→自分自身と向き合うことも否定→問題はそのまま)
(うまく言えないけれど、自分に加害者のレッテルをいくら貼っても、ちょうどDV加害者が「オレが悪かった。許してくれ」→ハネムーン期→ストレス蓄積→爆発=DV加害→加害者意識→「オレが悪かった……」という悪循環を繰り返すのと同じような感情の動きにしかなっていないことを自覚したのです。それはわたしの日記『原案帳#20』http://www.enpitu.ne.jp/usr5/51752/を読んでいただければ、たぶん今年になってからもまだその繰り返しをやっているところをはっきり読み取っていただくことができると思います。自分でもいつまでやってんだこのバカ、と呆れてしまいますが)

過去の加害をいくら「反省」しても、今の自分を受け入れてやることができなければ、どんな「反省」も上滑りなものになってしまいます。
わたしはそのことをしっかり自分のものとした上で、もしかしたらまだわたしとのことが心の傷になってしまって苦しんでいるかもしれない元パートナーと「和解」したいです。
謝るべきことは心から謝る。
けれど、今のわたしはわたしとしての尊厳をもって、その上であなたの存在を尊重し、尊敬します、と。

あとひとつ。
「性の尊厳」ということを重要視したいです。
ただ、その尊厳は、あくまで「個々人の持つ固有の性」を尊厳することだと思います。
決して「男はかくあるべき」「女はこうするものだ」というような、ごく簡単な標識「男/女」だけで決め付けることはできないと思うのです。
現実の「男」はどんな人?「女」は? それを捨象して鋳型にはめても、収まりきらない人が苦しむだけです。
「個々人の持つ固有の性」、縮めていえば「個性」ですよね。

最後に。
映画『ロバート・イーズ』にも出てきた言葉で、ハワイ大学のミルトン・ダイアモンド博士という人が言ったらしいのですが、

自然は多様性を愛でる。

この言葉が大好きになりました。
これはすぐれて科学的な言葉であり、同時に多くの「個性」にとって救いの言葉ともなるのです。

なんかぶちまけてしまいましたが。

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★3・北風と太陽(その2

「杏野坂http://www.harikatsu.com/sose/bbsboard.htm」への書き込み。
前に叩かれた経験から、正直とても怖い。
けれど、書き込まずにはいられなかった。
ああ、なんてトラブルメイクなわたし。

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[8727] 北風と太陽 投稿者:berber 投稿日:2003/05/21(Wed) 18:50

こんにちは。

うまく言えないけれど、現実的に考えて
・現在の法律案を法律として成立させる
・その上で「頭の固い人たち」に対しても認識を変えうるような啓蒙活動をあわせるかたちで「子持ち」「婚姻」についてもハードルを下げていく
 (でも時間はかかるでしょうね)
・たとえば、今度の法律案に対して「修正案」を提示しておく
 (原案でも可決の可能性が低いのに更に「修正案」ではなおさら成立の可能性は低いけど、「全く知らない人たち」に対しては有効なアピールだと思います)
という方法がいいのではないでしょうか……

自分自身の気持ちは気持ちだけれど、「頭の固い人たち」の存在もまた現実なんですよね。
わたし自身、今では当事者として「頭の固い人たち」の存在が実はちゃんと理解できなくなっているけれど、ほんの数年前までは自分で自分の存在を否定するかのように、当事者の存在など知りもせずにいましたし、「性転換なんて妄想、非現実的(だから自分の心の奥底にある気持ちも妄想で非現実的!)」としか思っていませんでした。

確かに「今ある条件つきの法案を一度通してしまったらそれでおしまい」という危惧はもっともだと思いますけれど、古いものを新しいものに変えるには、多くの時間と多くの手間(何段階もの段階とか何人もの人たちの説得とか)がどうしても必要だと思います。

(たとえば「DV防止法」は「画期的」なもののように言われているけれど、現状の法律では決してDVを「防止」することはできません。
なぜなら、「加害者が加害者にならないための方策」は何一つうたっていないのですから。
この法律をただ単に「加害者を処罰する(こともできないわけではない)」程度の状態から、本当に「DVを防止する歯止め」としての法律に変えていくには、まだまだ多くの人々の啓蒙と変革の努力が不可欠なのです。
それでも、あたかも「無」が「有」に変わったのと同じくらい、「DV防止法」の制定には大きな意味があるのです。
少なくとも「民事不介入」として「家の中のことに刑事は入れない」つまり家族関係にありさえすればどんな理不尽な暴力が行われていても加害者は野放し・被害者は泣き寝入りだった、そういう状況は許されない、ということがはっきりしたのですから)

また、当事者や理解ある支援者がそのように声をあげていくことで、現状の性に対する固定的な価値観をゆるやかにかつ広く変えていく大きなきっかけにもなるのではないでしょうか。

わたし自身も法律案の骨子を最初に見た時にはとても感情的に反応してしまいましたし、他の方たちの危惧する意見を拝見していても、もっともだと思います。
でも、そんなことにはおかまいなしの「ぜんぜん知らない人」「関係ない(と思っている)人」が、まだまだたくさんいることを、わたしたちは忘れてはいけないのではないでしょうか。
そういう人たちにとっては、現実の当事者とその家族の姿ではなく、図式化された教科書の絵とそれにある程度合致する自分自身の家族という現実だけが根拠であり、その範囲で「子持ちはダメ(家族の図式が壊れるから)」という単純な判断をしてしまうことは、当事者の本当の姿を見るまでは「もっともなこと、しごく当然」なのではないでしょうか。

わたしは、今度の法律案に対して、「決してこれだけでは終わらせない」という強い決意をもって、支持したいと思います。

ただ……、現状ではわたしは自分の子に対しても、別れた元配偶者の人に対しても、守ってあげられるような何もできないので、今度の法律案がそのまま成立してしまうことに対してものすごい不安があるのは確かなのですが。
(だからここにこんな偉そうな意見を書くこと自体「身のほど知らず」と言われても仕方ないことです。けれど、ほぼ2昼夜考えたけれど、わたしと同じような意見は出てきていないようなので、あえて書き込ませていただくことにしました)

最後になりましたが、結婚歴のある方、子持ちの方、多くの方が今度のことがきっかけで書き込みをされたのを読んで、わたしはとても励まされましたし、また自分が他の方たちと比べてやっぱりまだまだ「甘い」ということをとても恥ずかしく感じます。


---------------------------------

……やっぱり怖くて削除してしまった。
ほんの少し叩かれたくらいで、もうこんなに臆病になってしまう。
叩く人にとっては面白くてたまらないだろう。
でも、そういう「コントロール・支配欲求の充足」は、そうしたがる人自身が精神的にかなりやばいのだけど。

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[8729] 大変申し訳ありませんでした 投稿者:berber 投稿日:2003/05/21(Wed) 19:07

[8727]のわたしの意見はやっぱりあまりにも僭越と思って削除してしまいました。
書き込むことも削除したことも、こちらを訪れる皆さんに大変ご迷惑をおかけしたことと思います。
大変申し訳ありませんでした。

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余計なことばかりで消耗せずに、もっと実りあることをするべきだ。>自分

(ていうか、やらなくてはならないことをやってなくて、気が狂いそう……
お医者さんの指示とは違うけど、やっぱり少し安定剤を入れたほうがよさそうだ。
副作用=PRL分泌過多もあるけど(;_;))

バカみたい。[8729]も削除してしまった。

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★4・わたしは誰からの「被害者」?

ところで、上の記事(北風と太陽その1)の中でわたしは「自らを『被害者』と認識すべき」と書いている。
たぶん、わたしを苦しめて喜ぶ人は
「バーカ。おまえは加害者でしかないんだよ。責任転嫁するな。みっともない」
と、わたし自身もついそう思ってしまうようなことを言ってわたしが苦しむのを見たがるだろう。

正直なところ、わたしは自分が誰かからの「被害者」である、というようなことをあまり正々堂々と書きたくない。
これは、というよりこれ「も」、もしかしたら「男っぽい感情」なのかもしれない。
「人のせいにするな。甘えるな」という言葉が、多くの人から浴びせられそうで怖い。

それに、わたしにとってはこのことを明らかにするのは、いわば「死者を鞭打つ行為」になってしまうので、そんなひどいことしたくない、ということもあるだろう。

でも。
あえて明らかにしよう。
それをはっきりさせ、しっかり見据えるようにしないと、今生きている人たちに大きな迷惑をかけてしまうことになるから。

わたしにとっての「加害者」は、亡父だ。
父自身はもう亡くなっているので、今更「謝れ」だのなんだのできるわけではない。
けれど、父がわたしにしたことの中に、わたしが自分のことをどうしても認めることができなくなるようなことが、かなり多く、あるいは大きく含まれていたのは事実だと思う。

……以前書いたことがあるけれど、今は詳しく書く気がしない。
他のことでも自分を追い込んでいるので(だからこんなことを書いているんだけど)、これ以上書くことで自分の心に必要以上に波風を立てたくはないのだ。

今では、わたしはもう父を「憎い」とか思わない。
でも、そのせいでつい曖昧にしてしまうけれど、父がわたしにしたことの中で明らかに過ちであった部分ははっきりとそのように認めなくてはいけない。
過ちは過ち。
それを何かそうでないもののように扱ってしまったら、わたしは父と同じようなことをして、わたしの傷を他の誰かに対して「連鎖」させてしまうだろう。

過ちは排除して、でも父の人格は人格として認めて。
……うう、いきなり自分が考えた「公式」にあてはめようとしても、難しいや。

でも、それができたら。
それが、できたら。

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……と書いて、見返したら。
なんだかこれ、『残酷な神が支配する』みたいだな。
グレッグは死んでからもジェルミを支配した。
物語の結末に至っても、その支配は決して消え去りはしていない。
ジェルミは、その支配といわば「やわらかに付き合う」ことを覚えただけだと思う。

……ふぅー……
やっぱり、思い出すのはつらい。
つらいっていうことは、やっぱりわたしにも同じような「被害」があったからだろうな。

お父さん。
「ぼく」は、もうあなたのことを「許さない」という気にはなれません。
けれども、あなたが「ぼく」にしてしまった「過ち」は、はっきりと「過ち」として認識しようと思います。
「ぼく」の最愛の人のために。

お父さん。
「ぼく」は、その人を守るためになら、あなたの「敵」になることも、いとわない。

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2003年05月20日(火) 「GID特例法案」について(うえぇ〜長文だぁ)

★1・「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律案」について
★2・少し落ち着いてみると



★1・「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律案」について

とうとう、出ました。
でも、(さんざん予測されていたとはいえ)いざ本当に出てくると、「うーん」とうなってしまうような。

以下引用---------------------------------

共同通信 2003年5月19日

政治2003年05月19日(月)
与党が性同一性障害で法案
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/seiji/20030519/20030519tp018.html

 与党3党の議員らで作る「性同一性障害に関するプロジェクトチーム」は19日、初会合を開き、民法など法令上の性別変更を可能にする「性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律案」の骨子をまとめた。
本人が(1)20歳以上
(2)未婚
(3)子供がいない
(4)生殖が不能―などの場合、
家庭裁判所に審判を請求すれば、民法やその他の法令を適用する際の性別を変更できるとした。

社会2003年05月19日(月)
民法上の性別変更可能に 与党が性同一性障害で法案
http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/shakai/20030519/20030519a4220.html

与党3党の議員らで作る「性同一性障害に関するプロジェクトチーム」(座長・南野千恵子参院議員)は19日、初会合を開き、民法など法令上の性別変更を可能にする「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律案」の骨子をまとめた。骨子では、性同一性障害者を、生物学的な性と心理的な性が異なり、自分を身体的、社会的に違う性に適合させようとする意思を持つ人で、
2人以上の医師の診断が一致している場合と定義。
本人が(1)20歳以上
(2)未婚
(3)子供がいない
(4)生殖が不能−などの場合、
家庭裁判所に審判を請求すれば、民法やその他の法令を適用する際の性別を変更できるとした。プロジェクトチームは今後、骨子を基本に最終案をまとめ、今国会での成立を目指す。

------------------------------------------------------------------------

時事通信 2003年5月19日
http://www.jiji.com/cgi-bin/content.cgi?content=030519173236X155&genre=pol

「性同一性障害」で与党が検討チーム

 与党3党は19日午後、国会内で、性同一性障害に関するプロジェクトチームの初会合を開き、性同一性障害者が戸籍上の性別の変更を求めた場合、家庭裁判所の認定により認めるとした素案をもとに、法制化作業を進めることを確認した。


---------------------------------以上引用

(参考:杏野丈ホームページ掲示板・通称「杏野坂」http://www.harikatsu.com/sose/bbsboard.htmより)

[8639] 日記:骨子 投稿者:杏野丈 投稿日:2003/05/20(Tue) 00:15

3 性別の取扱いの変更の審判等
(1)家庭裁判所は、性同一性障害者(仮称)であって、次の�,�ら�イ泙任里い困譴砲盂催�するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができるものとすること。
��20歳以上であること.
��現に婚姻をしていないこと。
�8修忙劼�いないこと。
�だ舷A�の除去その他により不可逆的に生殖が不能の状態にあること。
�イ修凌搬里琉貮瑤箸靴導宛�上他の性別に係る性器に近似するものがあること。


5 検討
 この法律の規定については、この法律の施行後3年を目途として、この法律の施行の状況、性同一性障害者等を取り巻く社会的環境の変化等を勘案して検討が加えられ、必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置が講ぜられるものとすること。


---------------------------------

何をうなっているのかというと、「現に子がいないこと」という条件がある、ということだ。
個人的には、わたしも戸籍訂正ができなくなる条件なので、すぐにでも反論したい気がするのだけれど、
「ちょっとちょっと、待ちなさいよ」
という声が聞こえるのだ。(……き、聞こえる……こ、声が…… じゃなくて(-_-;)

過去にわたしは法律を学び、その中で教わった何かが
「この条件には根拠があるらしい」
と言っているような気がする。
子がいて本人が性別を訂正してしまうと、子にとっては親がどちらも「男性・男性」または「女性・女性」となってしまう。
それが何らかの不都合を呼ぶ、ということなのだろうか。

ああ、だめ。
当事者の感覚だとつい「それでもいいじゃないか」と思いたくなるけれど、子どもの環境を考えると、けっこう深刻な問題になってしまうような気もする。
たとえば、もしも子どもが「お父さんとお母さん」について問われ、
「お母さんが二人」
などと答えたら、他の子や先生や、更には他の子の親たちから奇異の目で見られてしまうかもしれない。
親は、そういうことに対してはとても保守的になってしまうものなのである。

もしかしたら、わたしはなんとなくそういう場面を想定して、
「わたしは女だけど父親」
と言おうとしているのかもしれない。
でも、
「うちのお父さんは女」
とわたしの子が言ったら、やっぱりまだまだ理解されることは少ないだろう。

社会の状況と法律は、たぶんお互いに相手を規定しようと作用するものだろうと思う。
「そうは言っても法律でありうることになったのだから」
ということになれば、初めは抵抗があっても次第に人々はなじんでいってしまうに違いない。

けれど、「法律でそれはできないことになっているのだから」ということになっていたら、人々の気持ちもまたそれに沿ったものになってしまうだろう。
実は、法律はある人々にとって、味方にも敵にもなりうるものなのだ。

そうか、これは教わっていなかった。「法律には必ず守るべきものがある」としか教わっていなかったのだ、わたしは。
法律が「過去からの価値観を守る」とし、そのために「今生きる人々」を守ることを拒否したら、今生きる人々は法律の名のもとに裁かれなくてはならなくなる。

ことはただ単に「特例から漏れる」ということにとどまらないだろう。
それを想像すると恐ろしい。
わたしの場合、もしかしたらわたしではなく子どもが
「おまえの父親は法律でも許されないことをしたんだ」
と責められてしまうかもしれない。
そうしたら、きっと子どもはわたしを心底恨むだろう。

これは由々しきことではないか。
「特例から漏れる」=「法律で許されない」
↑もちろん、ここには飛躍があって、「法律で許されない」のはあくまで「戸籍の訂正」だけだ。
決して性転換そのものではない。

けれど、いわゆる「世間」というか非当事者の人たちは、そんな「細かい違い」には頓着しないのだ。

わたしだって、たとえば「薬害エイズ」についてあれほど粘り強い糾弾活動がなかったら、今でも「性行為によるエイズ」と区別できずにいたかもしれない。
(更によく考えてみれば「性行為によるエイズ患者」を何か汚らわしいもののように差別する理由も何もないのだが)
どんなに当事者にとって切実なことでも、非当事者にとっては「しつこく報道される」とでもいうことがなければ、事実と向き合うことはまず困難で、そんな状態では事実を適切に認識することなどできるわけもないのだ。
わたしは薬害エイズの当事者ではないのだ。

わたしがもしも「知らずにいたら」、わたしの子どものクラスにもしも薬害エイズの子が入ってきたら、理解できなかっただろう。
適切な理解をしようと努力したか、それすらも怪しい。
なぜなら、あえて繰り返すけど、それはわたし自身の問題ではないからだ。

こんなふうに力説してしまっているからといって、わたしは自分の問題以外に興味がないのかといえば、決してそんなことはない。
むしろ、「ニュース」というものには影響されやすいほうだ。
それこそ、ぜんぜん関係ない「赤の他人」のニュースでも、まるで自分のことのようにショックを受けてしまったりする。

でも、さすがにたとえば「有明海の干拓事業の是非」をどう思うか、と聞かれて正確に答える自信はない。
しつこいけれど、わたしはその問題の当事者ではないからだ。
それがどんなに当事者にとって切実な問題であったとしても、わたしにはそれよりも優先しなくてはならないことが山ほどある。
ちょっと悲しいけれど、それがわたしにとっての「現実」なのである。

当事者性のない問題に隣人として関わるとき、人は恐ろしいほど冷酷になれる。
ちょっとした知識だけで簡単にものごとを裁断してしまう。
そうする以上に「関わるひまがない」からだ。

でも、当事者としてのわたしは、上に述べたようなおかしな飛躍でまるで「罪人」のように扱われてはたまらないのだ。

もしもわたしが、それに加えて(というよりも実はもっと重大なことに思えて仕方ないのだけれど)わたしの子が安全に生きていけるとすれば、それはほんの少しずつでもいいから、多くの人が安定して持っている「常識」を変えていくしかないのではないだろうか。
わたしのような存在を決して「非常識。法律から外れている」と決め付けられないような常識に。

一昨日(17日)観た映画『ロバート・イーズ』で、わたしはとても勇気付けられる言葉に触れた。
実はわたしもお会いしたことがある、性についての医学の権威、ハワイ大学のミルトン・ダイアモンド博士の言葉なのだが:

自然は多様性を愛でる。

という言葉だ。
わたしも、自分のことを「多様性のあらわれのひとつ」として愛することができれば。
これは大きな希望をわたしに与えてくれる。

わたしは弱い人間だから、たとえば神さまに向かっても誇れるような「自分を認められる根拠」などない。
強いて言えば、上にも書いたように、わたしは神さまから与えられた自分という存在を、責任もって愛する。
それが唯一の根拠だ。

そうして、それが、たとえばわたしの子に対してわたしが親としてまず最初の責任を果たすことに他ならない、とも思うのだ。

わたしは自分を認める。
認める以上、わたしは「GID特例法」の法案に対して、素直に支持することはできない。

---------------------------------

(かなり文章としてはつたないと思うし、過不足も大きいと思うけれど、今はこんなふうにしか書けない)

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★2・少し落ち着いてみると

上の記事を書いたのが早朝で、
その後少し(??いっぱい??)寝て、
午前中に目覚めて、
その後あるお友達とお話して、
そうしたら、やっぱり徹夜に近い状態で記事を書くのは止めたほうがよかった、と反省し始めた。

こんなことを書くと「おまえは何をころころ態度を変えてるんだ」と詰られるかもしれない。
でも、とっさの感情的な反応が↑の記事みたいな内容だったんだから、それはそれで「感情的な真理(?)」なのだ(笑)。

……でもまあ、なんだかえらく「男っぽい」、臆病で単眼的な反応だなあ。
恥ずかしいよぉ。
(こういう点、皮肉になってしまうのかもしれないけれどそういうつもりではなく、
FtMの人はXXという遺伝子のせいなのか何なのか、そういう弱っちい「男っぽさ」のない人が多いような気がする。
あまり多くのFtM当事者を知っているわけではないけれど、FtMの人こそ「男らしい」人が多いように見えるのは、なぜ??)

わたしが上の記事について反省している点は、主に二つ:

1) 「それでもここまでこぎつけた」という事実に目を向けていない
2) わたしは詳しいことについてあまりにも無知なのに、それを飛び越えて知らないことにまで言及している

偏見と差別について、わたしは唐突な飛躍のしかたをしてしまっている。
わたし自身がそうだったではないか。無理して男をやっていた頃には
「性転換なんて、正常な精神では考えられない変態」
と、自分自身も含めてレッテルを貼っていたじゃないか。
(そうしないと「自分の正体がばれて生きていけなくなる」と思い込んでいた)

それが、国会にその存在を認知され、やれ「変態」だ「犯罪」だという扱いではなく、
「保護の対象」となりうる、という一定の認識を得ようとしているのだ。
そのことをすっ飛ばして「素直に支持できない」はないんじゃないのー?>自分

わたしは、内輪もめとかには関わりたくないと思っていたし、
それなのにわたしが入っていくことでやたらと攻撃されたりするのに辟易して
あまりGIDコミュニティに深く関わるのは止めておこうと思ってきた。
「このコミュニティでもわたしはのけ者、典型ではないんだ」と考えて。
(ごく一部、本当にお友達になれると思った人はもちろん別だけど;
だから、GID当事者やもっと広くT's、TG、あるいはセクシュアルマイノリティの知り合いはわたしにとっては貴重なのだ)

それなのに、わたし自身が内輪もめの元をつくるようなことを言い出してどうするんだ。

今朝の自分の問いかけに、わたしは今、自ら答えようと思う。

わたしは、今はまだ「(惜しくも)特例から漏れる」のかもしれない。
でも、それでわたしが他の特例条件に適う人たちから分離されてしまうわけではない、と信じようと思う。

きっと、当事者を分散させ、たとえば政治的に無力化させようというような動きは、
「何が性同一性障害だ。所詮変態のオ○マじゃないか」と今でもまだ頑なに思い込んでいる、
20世紀までの限定的な認識しかできない人たちからこそあるだろう。
当事者がその尻馬に乗るどころか、自分から恰好のえさを撒くような真似をしてどうする。

もしもわたしの子どもがそれでいじめにあうような事態に至ったら、そのときこそ
「その差別には根拠がない」
とはっきり言えるように、わたし自身が頭を高く上げていなくてはならない。

短期的には「法律で認められる人、認められない人」というような差別はもしかしたら先鋭化してしまうかもしれない。
でも、あくまでそれが「途中のこと」であるということを、わたしたちははっきり言わなければいけない。

---------------------------------

わたしは、自分ではなく、子どもの世代のことを思う。

わたしたち自身の世代では、まだまだ自分自身が「この世にそんなこと(性転換)があったのか」とびっくりしているような状態だから、それを否定するためのさまざまなことを自らしてしまった当事者は多いと思う。
けれども、たとえば性教育の中で、さまざまなセクシュアルマイノリティのことを広く教えることで、その当事者である子も非当事者と同じように安心して性についての自己決定ができるようになれば、あんがい「結婚して子どもまでもうけてしまった」という当事者は減っていくだろうと思う。
決して、一部の自信のない古い世代の人たちが言うように「寝た子を起こす」ようなことになりはしないと思う。
それでも、その頃には、細かく分節化するのではなく、包括的に「そういう生き方もあり」とおおらかに受け入れられるよう、「多くの人々」の認識……「常識」が、新しく、そうして豊かなものになっているのではないだろうか。

その「多くの人々」というのが、わたしたちの子どもたちやその先の世代の人々のことだ。

もしかしたら、わたしの子の世代ではまだまだ無理かもしれない。
なぜなら、たとえばわたしの子自身が問題を未消化のままで抱えてしまっているかもしれないから。
(とても悲しいことだけど)

でも、孫の世代になれば、広く中立的にセクシュアルマイノリティについての教育ができる教師が増えているだろう。
そこでは、多様な性を広く受け止めることのできる豊かな教育が行われるようになるだろう。
それは決して、旧約聖書の時代に語られた「ソドム・ゴモラ」ではない。
むしろ、自他の「性の尊厳」を共に認め合えるという意味で、とても節度のある社会が実現するのではないか。
たとえば相手の「性の尊厳」をちゃんと認める態度がとれるなら、「レイプ」なんてできるはずがないのだ。
それは他のあらゆる性犯罪や性差別についても言えることだと思う。

もう一度繰り返したい。

自然は多様性を愛(め)でる。

---------------------------------

(文章が長くなっても話が大きくなるだけで、意味のある内容が増えない……
なんかカッコイイことを書こうとしても無駄なのよね、きっと。
まだまだ言い足りないことがたくさんあるような気がするけれど、
そんなに言いたければオンラインじゃなくて直接誰かに会って話せば、
きっと相手の好意的な反応もあってわたしは安心できるんだろう。
それに、反省点のうちの片方「わたしは不勉強だ」ということはほったらかしじゃないか。
とにかくお勉強してから言いたいことがあったら言いましょう>自分)

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2003年05月19日(月) 性同一性障害を考えるフォーラムinしずおか=6/14開催

日時:6月14日(土) 午後(詳細時間未定)
場所:未定
料金:未定


「性同一性障害を抱える人が普通に暮らせる社会を実現する」ために
静岡市議会に陳情活動を開始しました。
まだ何も決まってはいないけれど
(だから今の段階で告知してしまうと非常にみっともないのだけれど)
もしも時間などご都合のつきそうな方は、どうかこの日をわたしのために、
いえいえ、静岡市で性同一性障害をやさしく認知していくために、
あけておいてください!

2003年05月17日(土) ようやく『ロバート・イーズ』観れた!

====作成中====

★お伊勢参り

内宮にお参りした。
思ったよりもずっと奥深いので、下調べをしていなかった無謀さを思い知らされた。
でも、参道の自然の雰囲気がとてもよかった。
と思ったら、帰り道はすごく近くて、かなりぐるりと遠回りさせられたということに気がついた。

伊勢うどんと赤福がおいしかった。

★ロバート・イーズ

自然は多様性を愛す。
「性」と「生」の織り成す綾の対比が美しかった。
「社会」の歪みと「自然」の素朴な美しさの対比が鋭かった。

ロバート・イーズはいい男だった。
彼の命は、きっと歴史に刻まれたに違いない。
わたしは彼を尊敬する。

2003年05月16日(金) (無題)

じつは、書きたいけれど書けないことがある。
悲しいこと、苦しいこと。
「書きたいけれど書けない」というのは、書いてはいけない、という意味ではなく、わたしの中でもやもやしていて、どう書いたらいいかわからない、ということ。
だからこそ、なおさら苦しい。
……
でも、「まあ、いいや」。
(上の台詞↑については、わたしの小説っていうかショートショート『日常http://www.jackies.jp/novels/nichijou.htm』参照?)(笑)
たとえ中途半端ではっきりしないことでも、今はまだわたしには「変えられないこと」なのかもしれないし。

わたしは、わたしが今置かれている立場を忘れてはいけない。
人から陰で「あいつはちゃんと働いて収入を得ることもしていないくせにえらそうなことを言う」とか「家族を捨てたサイテーの『男』」とか言われているのも知っている。
(『男』という言い方はわたしを怒らせたいだけの言い方で卑怯極まりないと思う。
でもまあ、男として生きちゃった期間がかなりあったのは事実だから仕方ないけどね。
最近は男っぽい体を持っているのは便利だとさえ思うし)

知ってはいる。
でも、それを意識すると、自分がいっそう力を失って、たとえば自力で収入を得て社会貢献することも、まして元家族に対してせめてもの責任を果たすということも、やっぱりできなくなってしまうだろう……という恐れがある。
だから、多少無神経そうに見えるだろうけれど、わたしはそれらの非難を、できるだけ無視しようと思う。
(なんて書くと、わたしがよくカキコする掲示板なんかに突然くだらない非難のカキコが登場したりするのかも……
まるで「それが世の中だ。世の中はおまえが思っているよりも厳しいのだ」と言わんばかりに。
わたしに言わせれば、それは社会の「厳しさ」なんかではなく、むしろ「弱々しさ」の表れにすぎない、としか思えない。惨めなことをする人が多いものだ、と)

わたしは負けない。
いや、わたしは弱い人間だ。
ちゃんと働いて、家族への責任を果たし、権利よりも先に義務をまっとうするような人々と、同じくらい弱い。
だから、そういう人たちに「勝ちたい」とも思わない。

ただ、わたしにできる限りの力を尽くして、自分にできる限りの社会参加をしようと思う。

金を稼がなければ生きている価値がないかのように言うのは、社会がそれほど貧しいと言いたいのと同じだし、それを追認するしかないほど、そう言っている本人も弱いのだと思う。

わたしは勝たないけれど、負けない。
まず、自分の弱さに負けない。

-----------------------

ここから「言い訳」編。
わたしがふつうに働こうとしない理由。

わたしにも「ふつうに働く」ことをした経歴はあります。
貿易会社で5年。
予備校で6年。
それ以前に、東京で1年半ずつ2社ほど、いたことがある。
でも、これ、やけに「転々としている」イメージがありませんか?

わたしにも全体的に把握できているわけではないけれど、わたしがどんなに真面目に勤め上げようと思っても、それを必ず阻んでしまう人格的な問題があるのです。

貧しく弱い社会は、そういう人間を「飼っておく」だけの余裕はありません。
だから「甘えるな」といって排除したがります。

けれど、わたしのように「ふつうに働くことができない」人間は、40人から50人に1人くらいずつ、いるようなのです。

貧しく弱々しい社会は、こういう人間を「怠け者」とか「社会のお荷物」とか言って排除してきました。

ただ、そんな中でも社会的にどうにかこうにかやっていける人は、逆にとてつもない名声や社会的成功を収めている人ばかりです。
さもなければ、家族やごく近しい人、あるいは特別なパトロンなどに恵まれて、社会的には全く恵まれなくてもどうにか人生をまっとうしている人、とか。

おわかりいただけるでしょうか。
こういう「人並みに生きられない」「生きるのが下手な人」というのが、世の中には少しはいるのです。

わたしは、自分がそういう類型に当てはまりそうだ、ということを恐れてきたし、それで「生きていけなくなる」「社会からつまはじきにされる」ということを恐れてきました。

でも、まるでつるつるの壁に爪を立てるかのように、わたしの努力は空しいものとなってしまいました。
具体的には、一生勤め上げようとした会社も首になり、守っていこうとした家族からも見放され、いっときはこの世にわたしの居場所はない、とまで思いつめるほどでした。

でも、わたしは自分の居場所がこの世にあることを信じます。
それは、信仰に基づくもの、と言ってもいいし、そうでなくてごく人間的な意味でも、この世の誰にも「おまえの居場所はこの世にはない」とわたしに向かって言う権利はないからです。

わたしは、ふつうに「就職」してどこかの会社とかそれ以外の組織とかで働いて、ふつうに「給料」をもらうことができません。
でも、わたしにできるだけのことをして、社会に少しでも役に立つことをして、生きていこうと思います。
いずれは、役に立った分だけのお金を、社会に要求できるようになりたいとも思っています。
(なんて言うとまるで不当に巻き上げるヤクザみたいだけどそういう意味じゃなくて、わたしから利益を受けた人からその分の対価をいただく、というだけのことで、その意味では「ふつうに働く」のと同じことです)

ただ、その道すじが、いわゆる「ふつうの人」たちとは違うだけ。
わたしは、「違う」自分をもう決して否定したくはありません。

-----------------------

最後に、愚痴を一発。

「働いてないくせに偉そうなことを言うな」と言う人は、いったいどういうつもりなんだろう。
女性の発言とは思えない。
それじゃまるで男の発想じゃないか。
専業主婦はどうよ?
「家事労働は労働として賃金換算できる」なんて言ったって、それを評価するのは夫だし、「自分で稼いでない」といえばそういうことにもなってしまうじゃないか。
わたしだって、経済的にお世話になっている弟に対して、(かなり不十分ではあるけれど)「主婦」に近いことをして貢献してるわよ。

わたしが音楽・演劇・作家活動を通して生きていこうとする、その気持ちは浮ついたものじゃない。
以前は他の何かからの「逃げ」だと思い込まされて、自分の決意を確かなものにできなかったけれど、今は違う。

わたしはもう、それ以外の生き方ができないのだ。
「仮の姿」が自分の生活のほとんど全てになってしまうような「偽の生き方」は、「偽の男」を止めてから、もう決してできなくなってしまった。
なぜなら、それはわたしにとって、「過去の過ちに逆戻りする生き方」でしかないからだ。

共依存的な人に自分の境界線を越えて侵入するようなことを言われて、正直とても不愉快だった。

2003年05月13日(火) 「杏野坂」へ

★1・「杏野坂」への書き込み
★2・和解する、ということ



★1・「杏野坂」への書き込み

わたしは自分のことについては簡単にさらけ出してしまう癖がある。
それは「隠しておこうとしても、どうせいつかはばれてしまう」
「自分のことについては、もうできるだけ隠さないで生きていきたい」
という思いが強いから。

で。
杏野丈ホームページhttp://www.harikatsu.com/の掲示板(通称「杏野坂」)で
「berber」と名乗っているのはわたしですm(__)m
(あと「杏野坂」http://www.harikatsu.com/bbsryou2/light.cgiはケータイでも閲覧できますよ♪)
(完全にばればれなのに、今ごろ追認するのはなんかカッコワルイけど(-_-;)

で。
その中で、最近書き込んだ内容は、本当は本来のHN=筆名「会津里花」で書きたかったほど、
「自分自身のこと」を書いている投稿があるので、それをこっちにコピペします。
だいぶ長いけど。

---------------------------------

[8408] Re[8358]: トランスジェンダー 投稿者:berber 投稿日:2003/05/13(Tue) 03:28

(一部略)
J由美さん、お話するのははじめまして。
(だれかれなくレスをしてしまう今の私はちょっと節操ないように感じますが、個人的にいろいろと流れがあるもので…… 少し私の意見も言わせていただければ幸いです)

> 日本に、トランスジェンダー当事者の社会的運動は、まだ、ないのでは?
>
> 社会的運動の担い手は、医療を求めてる人たち。
> それらの動きは、当事者を取り巻く状況の中から生まれてきた。
> 戸籍変更の法制化の運動は、当事者の必要性から生まれたもの。
> 法的整備と社会的認知を求める動きは、医療求める人たちがしている。
>
> 医療を求めぬ当事者の間から、運動が生まれなかったのは、
> 運動をおこす「必要性」が薄かったからでは?

そういわれてみれば、本当にそうですね。
私も、日本とアメリカでは社会文化のあり方など、本当はかなり違うはずだと思います。
歴史的経緯で、なんとなく「日本はアメリカの後追いをしなければいけない」みたいになってしまっているし、世界全体……いや、少なくとも何割かを占める「多数派」と呼べるグループの中では「アメリカのようにふるまう=正解」のような風潮は数十年続いてきたと思いますけれど、それもかなりの破綻を来し始めている。

アメリカの場合に大きく特徴付けられるのは、過激な宗教観からくる激しい差別とヘイトクライムではないでしょうか。
「敬虔なクリスチャン」と自ら信じているアメリカ人の中には、たぶん今でも「神から与えられた性別を恣意的にいじくるのは神への冒涜」「許されない、死に値する罪」と捉える人が少なくはない(またはなかった)と思います。

そういう文化・価値観に対抗して「自分の居場所」を確保しようと思ったら、医療や法とは全く違った基点から「社会運動」の必要に迫られる当事者がたくさんいても、全く不思議じゃないでしょう。

でも、幸いなことに、そういう「原理主義的クリスチャン」は日本にはほとんどいなくて、むしろそういう人たちのほうが少数派で「堕落した日本の社会」を「呪って生きている」ような状況でしょう。
(私はちょっとだけそういう人たちと接したことがありましたが、その人たちは宗教に名を借りて自分たちの不遇を全て「日本人の不信仰」に求めているようなところがありました。当然、私はすぐに居場所を失ってはじき出されてしまいました)

私自身もたぶんまだ神さまには忘れられていないと思うので「クリスチャン」と自称させてもらいたいけれど、聖書や信仰の名のもとに他人を差別することを正当化するのは、決してキリスト教の信仰ではないと思います。
そうしなければならない何かに突き動かされてしまうのは、できれば目をそむけていたい「血塗られた過去の歴史」に迫られて、それを認めたくないからなのではないか、と悲しい気持ちにとらわれてしまいます。

その意味では

> 日本とアメリカが同じ流れになるとは、思えない。
> 日本で、トランスジェンダーが、包括的用語になるかは、未知数。

とおっしゃっているのは、私も同意見です。
もちろん、日本にも主にアメリカからの影響で、トランスジェンダーを「気持ち悪い」とか「おかしなことをしている」と捉える「常識」のようなものが広まりかかったのかもしれないけれど、幸か不幸かアメリカの権威は「冷戦終結」以来日本にとって実質的な意味を持たなくなりつつあるので、影響は退潮になってきているのではないでしょうか。

むしろ、三橋さんが折に触れておっしゃっている日本文化の性に対する「柔軟性」を、回復しつつあるのではないでしょうか。
そういう「雪解け」に「トランスジェンダリズム」と名づけることがあっても、それはかまわないこと、あるいは喜ばしいことと言っても言い過ぎではないかもしれません。

> 「多様な当事者が、互いに居心地よく生活できる。」
> そういう明日が訪れること、期待します。
> (期待するだけでは、訪れないけど。)

私は期待してもいいと思いますよ。

ちょっとずつ、いろんなかたちで、歴史の流れに沿って、歪んだものがきれいなかたちになおってくる、戻ってくる。

一人ひとりは自分自身の実感や生きる必要性から自己決定していても、それが不思議なくらい「歴史の必然に沿っている」ということもあるのだろうと思います。

あっ、でも「新時代のジェンダー概念」まだちゃんと読んでなかった。
私も読みますね。
もしかしたら重複して言ってるところもあるかもしれないし、読めば簡単に「間違い」だと気付かされることもあるかもしれないし。

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[8422] Re[8417]: ついでに 投稿者:berber 投稿日:2003/05/13(Tue) 11:47

宮崎さんのせいかどうかはわからないけど、私も?どの言葉で自分をくくってしまうのも、なんだか違うな、と感じてしまいます。
地雷覚悟ですごくはっきり言います(偏見バリバリ):

・「トランスジェンダー」ほど中途半端でいたくない。
 体をいじらない人とは、お友達にはなれるかもしれないけれど体を変える(戻す)かそうしないか、という点で共感できないような気がする。
・「ニューハーフ」は男であることが前提。
 それに、もう辞めちゃったし。
・「性同一性障害」はもう解消してる。
 それ「だけ」は克服できたように思うのです。

あと、残念ながら(←っていう言い方も偏見バリバリ):

・「TS」といえるほど純潔ではない(??? なんでー??? 自分でもどうしてこういう感想が出てくるのかわかんない。でも感覚的にそういうのがある)

最近は、受け入れてもらえるかどうかは別として自己紹介は「元男だったことのある女でーす♪」と言っています。
それがいちばん自分らしいと感じるので。
もしも突っ込んで言わせてもらえるなら「戸籍上はまだ男です(-"-;」と付け加えることはあるけど。

新しい言葉を持ち出してそれを相手に「教えてあげる」みたいなことをするのは、なんだか選民思想につながりそうでイヤ……
なので、オフラインの日常では「性同一性障害」も「トランスジェンダー」も使いません。
それらの語について長ったらしい説明をすると、他にもいっぱい言いたいことはあるのにその前から「くどい説明的なおしゃべりの長いやつ」と思われそうで、怖いのです。

もちろん、医療の現場では「性同一性障害」という語を使ってお話することもあるけれど、私の場合……
「性同一性障害だから〜〜という治療をやっています」という「治療証明」をもらいはしたけれど、「この人は性同一性障害です」という「診断」は、実はもらったことがないのです。
仕方ないです、(ガイドライン第1版でいうところの)「逸脱例」ですから、私は。
なので、自分でも「おまえ(=自分)本当にGIDか?」という気もするし、やたらとそういう「病気」だという言葉を振り回す気にはなれません。

バイトに遅刻した言い訳に「実は私、性同一性障害で……」などと言ったら、「性同一性障害は遅刻するという症状があるのか!」と思われてしまったりして?
それはヤバいでしょう。
私の「悪い癖」「精神症状」といったものは私固有のもので、それと性同一性障害をごっちゃにされてしまうのは、他の当事者の方たちに迷惑だろうと思うし、私もそういう言い訳はしたくないのです。

# 朝日には思いっきり「性同一性障害乗り越え」などと書かれてしまったけれど
# そのほうが朝日のレベルだとわかりやすかったからなのかなあ、と
# ちょっと不満げな気持ちになってしまうのが正直なところです。
# まあ、あんなふうに書かれてしまった以上は、どこかで発言するチャンスがあれば
# 「性同一性障害」といってもそれに該当する人の数と同じくらいさまざまで
# 簡単にくくってしまったりしないでください、
# 私のことを決して「典型的な性同一性障害者」などとは思わないでください、と
# 言っていかなければならないのでしょう。
# 以前どこかで「××が性同一性障害の代表みたいに思われるなんて絶対イヤ!」
# とかいう反応をされて、私べつにぜんぜん代表になってないのに?と不思議だったけど
# 他に同様の情報に触れる機会のない人にとっては、へたすると私=性同一性障害(の全て)
# ということになってしまうのも仕方ないことなのかもしれません。
# (「全てか無か」みたいな反応もやや病的だと思うけど)。
# まあでも、うちの地元で朝日の地方欄を読んでる人は、
# たとえば地方紙を読んでる人(「購読率60%!」とか威張ってた)よりもかなり少ないと思うので、
# 影響力は低いと思います。
# っていうか地元紙ではほとんどGIDについては扱えないのでは(そういうレベル・体質)


---------------------------------

特に後のほうの文章は、誰かさんに「自分のとこでやれー!」と言われても仕方ないかな、という気がする。

それと、書いていて、いちばん最後のほうの「朝日新聞がどうのこうの」というくだりは
朝日の記者の方に申し訳ないような気がする。
確かに「性同一性障害」という語を使って離したほうがわかりやすい場面はあると思うし、
朝日の取材&記事こそがまさにそうだったのだ、と思う。

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★2・和解する、ということ

今のわたしにとって「和解する」といったら、相手は「元パートナー」のNさんしかいない。
昨年から今年にかけて、お正月が来るたびに「もう『元パネタ』は書かない」と言い、
確かにこの日記にでもどこにでも、できるだけ書かないようにしてきた。

でも、今日、ある人とそのことを突っ込んで話していて、気持ちが変わってきた。

いつまでも彼女と異常な関係でいるのはいやだ。
彼女の心の傷が癒えるには、まだまだ時間がかかるかもしれない。
でも、癒す努力は、わたしにだって少しはできるのではないか。
「関わらない」というかたちでしか彼女への癒しが成り立たない、
それまでわたしはただひたすら彼女を恐れ、同じ町でも彼女の住んでいる方面へ行くのを
まるで魑魅魍魎の住処へ入り込むような気持ちになってしまう、……
というのは、あんまりじゃないか。

わたしはほんのわずかでも、彼女と和解する方向へ努力をすべきだ。
そう思った。

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おまけ:屋久島インナーネットソース#49

2003年05月12日(月) Mild Live #2=6/19(木)に決定

★1・次回ライブの日程は木曜日!



★1・会津里花"Mild Live #2"=6月19日(木)!

お知らせ、お知らせ。
「会津里花・Mild Live #1」はご好評のうちにぶじ(でもなかったけど(^^;)終わりましたが、
さっそく次のライブの日程が決まりました。

会津里花Mild Live #2
日時:2003年6月19日(木)
場所:LIVEBAR EXPERIENCE
料金:Music Charge 300円・Drink 500円〜


新設の
会津里花の行動予定
http://cgi.jackies.jp/cgi/jackies.jp/user-cgi-bin/topics.cgi

にも、自分が参加するほうとただ観に(聴きに)行くだけほうとをごっちゃにして載せてあるけど。

で。さあ〜て。第1回のライブの反省会でもやりましょうかね(^^;

---------------------------------

★実際の曲順
1) Get Back in blue
2) Norwegian Wood (Reversed Gender Ver.)
3) All My Loving (Bassist Flavor)
4) Little Wing
5) The Rose (日本語Ver.)
6) Dreamer 〜夢見た人
7) ギター弾き
8) おいで一緒に
9) もう一度、歌おうよ。
(無理やりアンコール)
10) 悪女(オカマVer.)←ヤケ。
11) Stand By Me

★反省点:
・ギターの弦を張り替えてなかった→2弦が切れちゃった(;_;)
 あんがい、そういう事態に慣れてなかったのでした。
 借りたギターはボロボロだったし。
・MCに「言い訳」が多かった。
 言い訳なんて聞きたくないよ、お客さんは。
・歌えてない歌を無理に歌った。
 練習につき合わせてるんじゃないんだから……
・(↑そのせいで「楽しんでない」という感想もいただいてしまった;無理もないけど)
・リズムが滅茶苦茶だった(特にギターの場合)

★良かった点
・お客さんにはまあまあ好評だったみたい。
・「ベーシスト味」が出てる曲が特に喜ばれたようだ。
・長いこと歌っている歌はいちおうお客さんに届いたと思う……

というわけで、次回はもっと「良い部分」をクローズアップしていきたい。
・のびのびと歌える歌を歌う
・ベーシスト風味をもっと出す
 (ちょっと難しいところもあるんだけど……)

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あと、またフライヤー作らなくちゃ。

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2003年05月11日(日) 「ホネパス」 CGI NHK『クローズアップ現代』

★1・ホネパス(再び)
★2・↑の記事の動機
★3・CGI
★4・クローズアップ現代(NHK番組)で性同一性障害が



★1・ホネパス(再び)

オハヨー……(+_・)<寝惚け眼
久しぶりに「起きぬけ原案帳」だわ。

今、すごい怖い夢を見た。
私の髪の毛が無残にも短く刈り込まれて、
なんと
「パンチパーマ」
になっているのだ。
そうしてそれを、ご本人こそがパンチパーマの「昔の彼」が
「おまえ、なんでそんなことしちまったんだ」
と詰っている。
「わたしの髪の毛切っちゃったのはあんたじゃないの!?」
という激しい疑念を抱きつつ、
その一方で
「あー、これからはしっかりしたウィッグを使わなくちゃいけないんだ。
せっかく伸ばしたのに、ひどいなぁ……」
と、妙に冷めた判断をしている自分がもどかしかった。

で……

さて。

このところ気になっていることがある。
「人は他人の性別をどうやって見分けているのか」
ということだ。

で、そのことをここに書こうと思って記入欄を開けてみたら、
「ホネパス」という言葉はもう前に使っている。
あうう、こりゃいよいよ「原案帳」も
全文キーワード検索できるようにするしかないわ、
と思いつつ、も一度そのことについて少しだけ書いてみようと思った。

人は(または少なくとも私は)、多くの場合、
他人を見てほとんど瞬時に性別を判断してしまう。
自分でも「なんでこんなにすぐわかるんだろう?」と思うほど。
それは、どんなに髪の毛が長くても、
どんなにきれいにお化粧していても、
どんなにボインでも(というのは私よりもおっぱいのある男性ってけっこういるから)、
なぜか「あ、この人男だ」とわかってしまうのだ。

私の場合、よく言われるのは「手」。
ええ、ええ、そりゃそうでしょうよ。
私の手は「職人の手」。
だてに27年もベース弾いてないわよ。
って、そうじゃなくて、私の手の雰囲気は、もう小学校の高学年くらいから
いかにも「男でっせ〜〜!!!!」と大声で自己主張しているようなかたちなのだ。
まあでも、おかげで握力はあるし
ピアノで1オクターヴと3度(5度じゃないのがめっちゃ悔しいけど)届くし、
何かと使えるヤツなので、「切り落としてしまいたい」とまで思ったことはない。
でも、この手のせいで「実は男」とバレることもあったりしたので、
たまにそれをネタに男性ホルモンを呪ったりするけど。

でも、手以外にも、私の顔はあんまり男っぽくないとはいえ、
目の上の「ひさし」がちょっと男っぽいなあ、とか、
体形もすごくがっしりしているわけではないけど肩幅があるなあ、とか、
肩幅よりも胸板の厚さが問題かも(声楽やってたこともあり、
けっこう肺活量とかには自信があったりする)、とか、
……

って、これ、ぜんぶ「かたち」を決めてるのは「骨」じゃん!

おそるべし、「男性ホルモンシャワー」。
女の子の丸い体形が女性ホルモンによって形成されていくのと同じように、
私の体形は、生後十数年〜二十年をかけてそれなりに男っぽくなってしまっていたのだった。
まあ、学齢期に鍛えてがっしりした体形になってなかったから、
それは良かったと思うけど。
(だから青年期の私は生きていられたのです(-_-;)

たぶん、私が見てとっさに「あ、この人MtF」と判断してしまったりするのも、
「骨格」を見て決めているのだろうと思う。

ということは。
逆にいえば、たとえば私が女らしくなってきた、というのは
「骨以外」の部分で、たとえばお化粧ちゃんとしてるとか、
いくらか脂肪のつき具合が女性的になってるとか、
そういうところを言うのだと思う。

つまり、暗がりで私のシルエットだけ見たら、
表面のお化粧とか髪の毛長いとかを差し引いて見られるので
ほとんど「男」としか判断されないのではないか、ということになるのだ!

あうう、いやだ、いやだよぉ。
でも、骨をいじるのがいちばん寿命に影響を与えるような気がして、
私はどうしてもそれだけはやる気になれない。
それに、骨まで削ってしまったら、さすがに「自分が自分でなくなる」ような気がするのだ。

ああ、そうか。
母の体が衰えていくいちばん大きなきっかけになったのが、
70歳台になってからの「骨折」だった、ということも
影響しているのかもしれない。

ただただ、生まれ育った体形が小柄で華奢な「恵まれた人」を
ああ、いいなー、羨ましいなー、とため息をつきながら眺めるばかりだ。

私にとって「ホネパス」だけは、死ぬまでかなわぬ夢なのだ。
まあ、「変えられるものと変えられないものを賢く判断する」という点では
あんまり固執する気もしないんだけど。

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★2・で、上の記事の動機は……

なんでまた「パス」の話題を持ち出したのかというと、
昨日「人来夢」というライブハウス兼居酒屋(っていう感じのところ)に行ったとき、
どうやら私は上のように骨格はそこそこ男っぽいはずなのに、
けっこうふつうに女としてパスしていたみたいだからだ。

「身長が高い」のも「お尻が小さい」のも、
私にしてみればちょっとコンプレックス気味だった(っていうかそのせいで長いこと
「女に戻る」のを諦めていたのだった)けれど、
「純女(じゅんめ=遺伝的に生まれつきの女性)」にしてみればむしろ
「うらやましいこと」なのかもしれない。

私は、こういう「男っぽいニュアンス」と「男らしくないところ(または女らしいところ)」の
ブレンドあるいはミックスを、
「ラッキー♪」
と思っておくべきなのかもしれない。

私の身長が高いのもお尻が小さいのも手がごついのも、
(あと声が男っぽいのも……これも実は「骨」の問題)
言ってみれば「男性ホルモン症候群」の名残り、と考えてもいいかもしれないけど、
そういう病を得て生まれ育ったことを、私はむしろ感謝するべきなのかもしれない。

何よりも、自分のこと、好きでいたいし、もっともっと好きになりたいし、ね♪

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★3・CGI

ついに、ついに……

会津里花の行動予定
http://cgi.jackies.jp/cgi/jackies.jp/user-cgi-bin/topics.cgi

という新しいページを設けた!

なにをそんなにコーフンしてるのかというと、このページが「CGI」だということ。
今まで、私は「自分はCGIなんか使えるわけがない」とか思い込んでいたのでした。
(相変わらず低い自己評価による思い込みだねー……)

ほんの少しずつだけど、私は「低い自分」を乗り越えていく。

たとえば、「ライブで言い訳しない」のも、自己評価を高くもてればのこと、と思う。
きっと、だんだんそうなっていくのだろう。

ともあれ。
CGI使えるようになって、ホントによかったー♪

さあ、これから「リンク集」とか、何度も失敗してきた「テーマ別掲示板」とか、
作りたいコンテンツはいっぱいあるぞぉ〜!

(ていうか自分、「張り紙」とうした? ……そ、それはその、近いうちに……
まだまだ私のアイデンティティは人に言えるほどのものになっていないようで……
いやいや、短いページに自分のアイデンティティを全部盛り込んでしまうなんて、所詮無理なこと。
もしも文章にしろ、というのなら、この日記も含めて、HPのコンテンツも、それ以外の生活も、
全てが「私」なのだ。
……って、小難しいこと言ってるけど、要するにまだ書けない、と(-_-;
いつか書きまあ〜すm(__)m)

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★4・クローズアップ現代(NHK番組)

http://www.nhk.or.jp/gendai/index2.html
5月12日のNHK『クローズアップ現代』で
「戸籍の性を変えて下さい〜性同一性障害の人たち」
というタイトルで「性同一性障害」と「戸籍の性別訂正」の問題を扱うことになったそうだ。
紹介記事:

---------------------------------

身体の性別と心の性別が一致しない性同一性障害者は、
5年前に性転換手術が医療として認められたにもかかわらず社会的な差別状況が変わらず、
声を上げられずに苦しんできた。
去年12月、女性への転換手術を受けた鳥取在住の人が実名を公表し、
市役所の公文書への性別記載の見直しを求めて、活動を始めた。
これを受けて今年4月、鳥取市役所は59の文書からの性別記載欄の削除に踏み切った。
今回の世田谷区議選では性同一性障害を公表した上川あや候補が当選するなど、
性同一性障害者への環境改善が一部で始まっているが、
戸籍法の見直しが行われない限り抜本的な解決には至らない。
韓国や欧米の多くの国で既に認められている戸籍上の性別変更が日本ではなぜ難しいのか。
性同一性障害者を取り巻く現状と問題点を探る。
(NO.1740)

スタジオゲスト: 大島 俊之さん(神戸学院大学教授)


---------------------------------

この問題は、いわば「性同一性障害の当たり年」ともいえる2001年(=21世紀スタートの年)から
ずっとあれこれ言われているのに、なぜか希望どおりの結果にどうしてもたどり着くことができない、
カフカの小説みたいな状況になっている問題だ。

私自身は、他の当事者よりはまだ軽いかもしれないけれど、やっぱり不都合を感じることがよくある。
(私のことを取材してくれた記事にもあったけど)

早く戸籍の訂正が可能となるような立法なり判例なりが成立するよう、心から祈っている。

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2003年05月10日(土) 私の近々のスケジュール(必見!)

**会津里花の告知板http://www.jackies.jp/info_index.htmlをご参照ください(でもこっちのほうが詳しい(-"-;)**

見に行く(聞きに行く)のも出演するのもごっちゃ。大半は前者だけど。

★5月10日(あっ、今日だ!)
MIWA+よっちゃんのライブ
1)エスパルス・ドリームプラザ(16:00〜)
2)ジンライム(20:30〜)

★5月14日(水)
BACK BEATS Live @EXPERIENCE
私が以前お世話になっていた人がやっているバンド。

★5月17日(土)
ロバート・イーズ in MIE
わざわざ伊勢市まで……ですけど、どうしても見たいし、あと「三重」に興味があるのです。

★5月18日(日)
セッション @EXPERIENCE
今度はちゃんとやってね、トシヤさん!

★5月23日(金)
CATS見に行きます!
こういう大掛かりなお芝居orミュージカルを見るのは生まれて初めて。
一度くらい見ておかなければ。

★5月24日(土)
伽藍博物堂・ユニットライブ
このところご無沙汰していたけれど、お気に入りなのです♪

★5月25日(日)
「kakanki」ライブに行く……かも?
(しかしさすがにお金が続かない)

★5月28日(水)
平和のための戦争なんて・・・
「朗読と歌による舞台人からのメッセージ in 静岡」。

……5月中はこんな感じかな。

でも。うう。
お金が…… (どうする養育費!? 私の「先行投資」は先方には関係ないぞ!!)

2003年05月09日(金) お風呂 ちょっとおかしい私

今日はオフ(コンビニのバイトはあるけど)。
WAくんと一緒に某(?)「黒潮温泉」に来ています。
お風呂に入って、まったり♪
幸せ♪

-----------------------

あーあ、なぜ私は「yoko」にヘンに喧嘩をふっかけてしまうんだろう。
やっぱり、あんまり固執しないほうがいいんだろうなあ……
元はyokoが私のことを報じた記事についてとてもひどい論評をしたことが悪いのだけれど、
だからといって私があれ(yoko)につっかかる必要はなかったのに。
ばかだなあ、私。

一つ気付いたこと。
yokoは自分のことを一言も語らない。
そのくせ、私がだいぶ前に苦しさのあまりつい吐き出してしまったことをネタにして、私のことをおちょくろうとする。
私だけじゃなくて、とにかく「他人のこと」ばかり知りたがる。

私はそういう面ではyokoとちょうど正反対なので、それが気に食わないんだろう。
お互いに。

実際は、何年も付き合ってきているので私にでもyokoのことは少しはわかってきた。
どういう素性なのかも、なんとなく聞こえてきてしまった。
(頭にきてバラしたりはしないけど)

「匿名のジレンマ」にハマって、なおさら正体を明かせなくなっている。
(きっと「素性をばらしたら殺される!」とでも思っているんだろう)

もしもyokoが「GIDの当事者」だとしても、はっきり言って「過去の遺物」だと思う。

世の中は、もうそんなに暗くはないのだ。

2003年05月07日(水) 速報・ライブは大盛況!

おかげさまで、今夜のライブは「水曜日の夜」としては異例なほどの大盛況でした!(ほぼ満席)
「アンコール」を含め、ぜんぶで11曲(もともと用意していたプログラムとは3分の1くらい変わって)。
時間にして70分(ちょっと長くなかった? でもみんな「だいじょうぶ」といってくれました)。

東京から駆けつけてくればお友達もいたし、お客さんは9割方知り合いだったけれど、
曜日を変えて週末に設定すればもっともっとたくさんの人が来てくれる、という感触でした。

まあ、でも、焦らずに。
来月も、たぶん今度は水曜日じゃなくて「木曜日の夜」だけど、
とうぶん続けさせてもらいたいと思います。

おいでくださった皆さん、本当にありがとうございました!!

2003年05月06日(火) 悔しいこと(明日はライブなのに)

★1・ダブルパーンチ!
★2・yokoは無視
★3・……ったく疲れる



yoko宛に抗議を入れた。

抗議本文は以下の内容:

1)
-----------------------
From: "Ayaka(Jackies)" ayaka@jackies.jp
To: transnews@lycos.jp
Sent: Tuesday, May 06, 2003 1:58 PM
Subject: 抗議します


> > ♪ あなたの歌を聞いて癒されたいとは、私は思わない。あなたがまず癒すべきなの
> > は、他人ではなく、あなたの家族ではないのか。

人の事情をちゃんと知らないままに勝手なことを言わないで下さい。

あなたこそ、家族がいるんですか?
もしもいたら、そんなこと言えないと思いますよ。

会津里花
ayaka@jackies.jp
jackie-matthews@ezweb.ne.jp


2)
(alfayoko2002@yahoo.co.jp宛)
-----------------------
会津里花です。
あなたはある意味でとても鋭いツッコミを入れているのです。
それも、人の苦しみを踏みにじるような。
私はあなたを許しませんよ。
-----------------------
> ♪ あなたの歌を聞いて癒されたいとは、私は思わない。あなたがまず癒すべきなの
> は、他人ではなく、あなたの家族ではないのか。
-----------------------
それがあるからこそ、そのことをぼかす書き方をしてもらっているのです。
家族との関係について、あなたには私に何か意見する資格はありません。
私の事情について、あなたは詳しくて微妙なことは知らないのですから。
(それについては、いずれあなたにしっかりとメールでお伝えします)

それなのに、あなたは、私の知らない多くの人に向かって、勝手な論評をする。
これはいったい、どういうことですか。

まあ、いいでしょう。
あなた個人が私に癒されたくないと思っても、それは勝手です。
けれども、それを他人に向けて発信しないでもらいたいです。
私はあなたの身勝手な言い分に、とても傷つけられました。
今後はたとえ短文であれ、そのような論評は厳に謹んでください。
お願いします。

このメールは、私のHPで公開します。

もっと私のHPをよく読んでください。
それから、人間らしい思いやりを回復させてください。
今のあなたの私に対する態度は、決して許すことができません。

では

会津里花
ayaka@jackies.jp
http://www.jackies.jp/

P.S. 
取り急ぎ、日記『原案帳#20』のほうにこれから、家族とのことについてある程度書きます。
それをあなたが正常に理解する力があるのかどうか、とても疑問だけれど。

-----------------------


この人に対して私が「メールを公開する」というようなやり方をする理由は、
この人が私をコントロールしようとするような内容のメールを
かつて送りつけてきたことがあるからだ。

この人は、たぶん(この人の人格の全てがわかっているわけではないけれど)
典型的な「世話焼き共依存」タイプなのだろうと思う。
私はそういうタイプの人と、ものすごく相性が悪い=相性が良い。
私はある面で「共依存者製造マシーン」なのだ。
つまり、私のほうが誰かに対して極端に「依存的」になり、
その相手は私の「世話焼き」をしなくてはならなくなる、という。

共依存傾向の強い人は、そういう関係ができると、私に対して
「この人は自分がいなければだめなんだ」
と思ってしまう。

今回、このyoko(「よこ」と読むのが正しいそうだ)という人が私のことを報じた記事に対して
「あなたがまず癒すべきなのは、他人ではなく、あなたの家族ではないのか。」
と書いたのは、きっと私に対する「親切な忠告」のつもりなんだろう。

しかし、私と私の「元」家族との関係は、私自身がどうにかする以外、他の誰にもどうすることもできない問題なのだ。

私はyokoの言葉によって、何か反省して考え方なり生き方なりを改めるよりも、
むしろたまらない無力感に囚われて、生きる力を失ってしまいそうに感じる。
そんなことで、彼だか彼女だか知らないけれど、yokoという、
自分の正体は一切明かしたりせずに他人のことばっかりあれこれ論評している人の意図のとおりに
私が家族に対して何らかの「責任」なりそれ以外の「なすべきこと」ができるようになるわけがないのだ。

できれば、この人の無責任な論評は見たくなかった。
でも、親切な友人でyokoのメールグループに入っている人が、届いたメールを転送してくれたので、
嫌でも目に入ってしまった。
報道されれば、当然この種のことはこれからも起きるだろう。
私はそれに負けて、自分の生きる力を失ってしまうわけにはいかない。
もう、二度と。

だから、私は、メールを転送してくれた友人には感謝する。
私はその友人を知っている。具体的に、オンラインだけではなく、生身の人間として。

けれど、私はyokoを許しはしない。
できれば無視したい。
彼は、オンラインで自分の正体を隠したまま活動することで、
半ばは生身の人間であることを放棄してしまっているのだ。
そんな人に、私の置かれている状況も、私の気持ちも、わかるはずがない。
だから、相手にしても無駄なのだ。

ただ、実害を及ぼされそうになれば、私は自分の身を守るために出来る限りのことをする。
人間でない相手に対して、……それでも私は命あるものである限り粗略にしたくはないけれど……
害虫や害獣に対するのと同じような態度をとるのは、
弱い人間としては、いたしかたのないことだと思う。
そうしなければ自分を守れないのだとしたら。
(できることなら、そんなみっともないことしないでもいられるほど強くなりたい。
負けることができるほど、負けても自分が滅んでしまわないくらい、強くなりたい)

(ある意味、yokoは害虫や害獣よりもたちが悪い。
後者は人間に対しては危害を加えることになってしまっても、
そうしなければ自分が生きてはいけないのだ。
でも、yokoは本当はそんなことをしなくても生きていけるはずなのだ)

明日のライブに向けて、最高の「餞(はなむけ)」をもらうことができたと思う。

私は負けずに歌う。



★1・ダブルパーンチ!

あらあら、あらら。
なんでこうなっちゃうの?(;_;)
yokoに誹謗中傷されたと思ったら、こんどはいずみちゃんがヘンな言いがかりをつけてきた。
http://www.harikatsu.com/sose/bbsboard.htm

なんでこうなるの?
……ああ、そうか。私が目立つのが「イヤ」だと思う人がいるんだ。
そうして、それは、そう思う人にとってはもっともなことかもしれないけれど、
思われる私には全くいわれのないこと。

強くありたい。

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★2・家族のことは書かない

あ、しまった。
書かなくてもいいことまで書いてしまうところだった。
↑の「抗議メール」で
>(それについては、いずれあなたにしっかりとメールでお伝えします)
などと書いてしまったけれど、これは撤回しなくては。
そんなこと書いたら、それこそ墓穴を掘ることにしかならない。
私には、消極的にでも家族を守る義務がある。
(「消極的に」しかできないのが辛いけれど)

というわけで、以下のようなメールを出した:
-----------------------
会津里花です。
先ほどのメールの中で書いたことのうち、一点だけ撤回しますので、ご了承ください。
>(それについては、いずれあなたにしっかりとメールでお伝えします)
見ず知らずのあなたに対して守るべき家族のことを軽軽しく書き送るのは、自ら墓穴を掘ることにしかならない、と気付いたので、メールその他の方法であなたに対して何か情報をお送りすることは一切しません。

あなた、私からの最初のメールを公開するとか言ってましたけれど、だったら2通目も、これも、公開してくださいね。
まあ、恣意的にあれは公開する、これはしない、というのもあなたの勝手でしかない領域だろうと思うけれど。

ご自愛ください。
では

会津里花
ayaka@jackies.jp
http://www.jackies.jp/

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★3・……ったく疲れる

こんどは「杏野坂http://www.harikatsu.com/sose/bbsboard.htm」で「TN」に叩かれた。
いったいどうなっているんだろう?
↑の掲示板にも書いたけれど、
「ちょっと目立とうとすると叩かれる」ものなのかもしれない。

そうそう、思い出したけれど、朝日新聞の記者は、私と私の家族のことはちゃんと知っている。
もちろん、具体的な名前とか住所とかは知らせていないけれど、
私が離婚した経緯も、その後の推移も。
ここの以前からの読者の人たちも、読んだことがあると思うけど。
……
今は、それを改めて書く気には、なれない……

答えは、明日のライブだ!

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2003年05月05日(月) 5/3の記事

5月3日の記事
朝日新聞(地方版)に掲載されました
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/bin/day?id=51752&pg=20030503

を、実は今書きました。
遅くなってしまいましたけど。

2003年05月04日(日) 無事終演しました>『三人姉妹』

(これからおでかけなので、取り急ぎ)

♥♥
会津里花を見守ってくださっている皆さん、
ありがとうございました!
おかげさまで『三人姉妹』はぶじ終演し、
どうにかこうにか私の出演も果たすことができました。
「らせん劇場」でのささやかなデビューとなりましたが、
これからも引き続き「トランス女優(?)」として
精進していきたいと思いますので
どうかよろしくお願い申し上げます。
5月4日 会津里花
♥♥


寝返りメイドと山賊風吟遊詩人の二役は、たいへんな面もあったけど、
どちらかといえば自分の持ち味をそのまま生かすことができたのだなあ、と思います。少なくとも
・女役と男役の両方をやれた
・ミュージシャンとしての面が出せた
という点で。
参照:原案帳#22
http://6114.teacup.com/jackiematthews/bbs


これから、休む間もなく、5月7日のライブに向けて最後の調整をしなくてはなりませぬ。
がんばるぞぉ〜〜〜っ!
目標は「これで食っていけるまで」。
ま、食っていけてもいけなくても、これ(芸術活動)以外はできないんだけど。

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○NHK総合・クローズアップ現代
http://www.nhk.or.jp/gendai/index2.html
心の性に従って生きたい(仮)〜性同一性障害・人権保護を求めて〜
放送日 5月13日(火)
時 間 19:30〜19:56
再放送 5月13日(火)/衛生第1
時 間 23:45〜00:11

だって!

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こんなメールが届いた。

初めまして近代出版社と申します。

あの藤沢さとみさんが本を出しました。

ぜひ読んでいただきたく、勝手ながらメールを差し上げました。
タイトルを『ハーフラバーズ』と名付け、4月21日から全国の書店で発売しております。
詳細は私共のホームページをご覧下さい。
http://www.kindai-japan.com/

「女になって愛されたい」
彼女は、自らホームページにその気持ちを公開し続けていましたが、
このほど大幅加筆、改稿の上、一冊の本にまとめました。
初めてスカートをはき、女装をした時のときめき、とまどい。
幾多のアバンチュールを経て、もはや身も心も女になるしかないということへの気づき。
家族も職業も、すべて投げ打って女の体を手に入れるプロセスが、生々しく綴られています。

現在、藤沢さとみさんは、完全な女になり、平凡なOLとしての日々を過ごしています。
本音は、男だったという過去を消し去りたい彼女ですが、一人の人間として、
歩んだ道を記録してはどうか、という私たち近代出版社の提案に迷いつつ、
時に涙を流しながら綴ったのが本書でございます。
男がスカートをはくというのはどういうことなのか、
どういう気持ちで、周囲はどのような反応を示すのか、
自分が女になっていくというのはどのようなことなのか、そしてその結末は?
さまざまな体験を、偽りのない生の言葉で書いています。

本書を椎名林檎さんに読んで頂いたら、大絶賛をして下さいました。
林檎さんは一晩で『ハーフラバーズ』を読み終え、とても強く心を揺さぶられたそうです。
その高ぶりの中で、一気に推薦文を書き上げてくださいました。
詳細は弊社ホームページをご覧下さい。

書店には既に本が並んでおり、いつでも購入できます。
万一品切れの場合には、どうか注文をして取り寄せて下さい。


本文の一部をご紹介いたします!

私は「女になりたい」のではなく、「女に戻りたい」のだ。
メービウスの帯のように途中でねじれてしまったけれど、それを元に戻したい。
いや、戻さなければならないのだ。
もう自分を誤魔化しきれない。
ねじれたものは元に戻す。物事をあるべき姿に戻す。ただそれだけのことだ。
この肉体……男の身体という間違って割り当てられてしまった器を、一刻も早く捨て去りたい。
想いが加速する。一秒でも早く、早く、早く……!
(第一章より)

気がついたら、約一年ぶりに一人エッチをしていた。
やがて大きく声を上げて、果てた。
体中に震えが走り、恐ろしく長い時間をかけて余韻がこみ上げてくる。
男性時代のそれとは明らかに違う感覚だった。
(第四章より)

いつか、食事をしながら母とお喋りしていた時、
「直哉はね、こんなオカマな父親でも、会いにきてくれるんだよ」と何気なく私は口にした。
すると母は、真っ赤な顔をして怒鳴った。
「オカマってなんね! あんたは、オカマじゃないでしょ!」
(第五章より)


以下は本書を取り扱っている主要書店です。

〈札幌〉
弘栄堂アピア店
〈東京〉
渋谷ブックファースト、銀座旭屋書店、池袋リブロ
新宿紀伊国屋本店、あおい書店中野店
〈名古屋〉
リブロ名古屋店
〈大阪〉
紀伊国屋梅田本店、ブックファースト梅田店、旭屋書店天王寺Mio店
〈京都〉
ブックファースト京都店
〈広島〉
ジュンク堂広島店
〈福岡〉
ジュンク堂福岡店

書店にない場合には、どうかご注文の上お取り寄せ下さい。

著者の藤沢さとみさんのHPにはお邪魔したことがある。
私よりもずっと社会性と常識のある人らしく、友人の多そうな方で、
ちょっと羨ましかった。

うーん、これで「会津里花じゃなければ書けないもの」がまた狭まってしまった。
まあいいけど。
(いつまでも「先延ばし」していると、何も書けなくなっちゃうよ〜〜♪>自分)

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あ、そうそう。
私、昨日の朝日新聞(静岡版)に記事を掲載してもらったんだっけ。


2003年05月03日(土) 朝日新聞(地方版)に掲載されました

はっきり言って「確信犯的売名行為」なのだけれど、
朝日新聞2003年5月3日の「静岡版」に、以下のような記事が掲載されました:

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人生に悩む人に音楽の癒やしを
7日に初の弾き語りライブ
性同一性障害乗り越え 静岡の会津さん

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子どもの頃から自分の体に違和感を抱き続けた性同一性障害の静岡市の会津里花さん(42)が、性別適合手術を受け、女性名に変更した。「これからは、音楽をとおして人生に悩むすべての人に癒しをあげたい」と、休んでいた音楽活動を再開し、7日に初の弾き語りライブを開く。
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 幼い頃から身近に音楽があった。ジャズとシャンソンが好きな父と、台所で賛美歌を口ずさむ母。自分も高校でバンドを姶めた。音楽にのめり込んだのは、重苦しい心の悩みから逃れるためでもあった。
 自分の体が嫌いだった。好きになるのは決まって男の子。中学のとき、初めて思いを告白した。「それ以上近寄るな」と冷たくあしらわれた。
 やるせない思いを込めて詩や小説を学内誌に投稿した。ペンネームは「会津里花」。女みたいとからかわれても、「(小説家の)泉鏡花も徳富蘆花も男」と言い訳できると考えていた。
 だが、家では長男。厳格な父は事あるごとに「男らしく」と説いた。少女地画が好きで、男の子との恋にあこがれる自分に罪悪感を感じた。
 「男として生きよう」と自らに言い聞かせ、大学卒業後、大学で知り合った女性と結婚。長男も生まれた。
 だが、違和感は募った。年を重ねるにつれ、ひげが濃くなり、髪の毛が薄くなる。自分の体が気持ち悪くてたまらなかった。
 「性転換」。覚えたてのインターネットで、気になる単語を検索した。次々と見つかるホームページに「悩んでいるのは自分だけじゃない、やっぱり私は女だ」と確信した。
 化粧をし、女性の服を着て街に出た。解放感でいっぱいだった。
 これまで自分を偽り、隠し続けた分、これからは胸を張って人前に出たい。そう考え、しばらく休んでいた音楽活動を再開した。
 「悩んだとき、自分は歌で癒やされた。同じように人生に悩んでいる人を歌で力づけたい」
 まだ、完全に理解してくれない家族もいるが、いつか自分の歌を聞かせたい、と思う。
 ライブは7日午後9時半から静岡市七間町の「Experience」で。問い合わせは同店(電話)054・254・1660、午後7時以降に。


練習風景の写真
「♪そこから始めればいいんだ/もう一度歌おうよこの歌を」。自宅で練習に励む会津さん=静岡市内で

☆キーワード
性同一性障害
 心の性と体の性が一致しない症状。日本精神神経学会によると、症例数は昨年までに約千例に達した。同学会が97年に指針をまとめ、98年10月、国内初の公の性別適合手術(性転換手術)が埼玉医大で行われた。
 以降、医師から性同一性障害との診断を受けた人に対し、家庭裁判所が男性名もしくは女性名への変更を認める例が目立っている。一方で多くの場合、戸籍の性別の変更は認められず、「保険証にも『男』と記され、病気になっても病院に行きづらい」(会津さん)のが現状だ。

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いやー、それにしても、気恥ずかしいっていうか、おいおいそこまで書いちゃっていいのっていうか、
しかもこの記事、バカでかいし。(本文だけで5段も使ってくれてる(^^;)
取材してくれた記者の方曰く「連休中は記者が休みをとるので、穴埋めが必要」とか。
まあ、そういうところが埋まってしまうような大きな事件がなくて私のことなんかが掲載されたということは、
世の中少しは平和っていうことか。
うん、そういうことにしておこう。
いいじゃん、それで。
あー恥ずかし。

あ、忘れるところだった。
好意的に取材してくださった朝日新聞の記者・Sさんに、心から感謝しています。
追加取材も含め、けっこう長い時間を割いてくださいました。
それに、取材中はとても楽しかったです。
また、こうやって取材を受けることで、
私のアイデンティティが鏡像のように見えてくる、という効果もあったと思います。
どうもありがとうございました。
(メールでは簡単に申し上げただけでしたけれど、改めてお礼申し上げます)

これからが「本番」。取材に浮かれてたいせつなことを忘れてはいけない。

2003年05月02日(金) 起きぬけ(久しぶり)

いつのまにか「起きぬけ原案帳」と、密かに心の中でタイトルまでつけてしまったシリーズ。
朝、目が覚めて半ばくらいしか覚醒していない状態で、たとえばその直前まで見ていた夢とか、起きた瞬間の世界の印象とか、そういうものを、それこそ「つれづれなるままに」書き付けていたものだった。

でもねえ。
今は、起きぬけでも、まず顔洗ったり歯を磨いたり、コーヒー淹(い)れたり……いろんなことをしてしまうので、
「覚醒の瞬間」
を捉えることがあんまりうまくできていないのだった。

私は変わった。
ていうか、ほとんど1年ごとに変わっていく。
(きっとついてこれない人もけっこう多いだろうな……)
いつか、落ち着いて何年も同じスタイルで生活するような時がくるんだろうか。
いつか、安定した暮らしぶりと収入で、自分1人だけじゃなく、他の人のことも支えられるような生活を送れるようになりたい。
いつか……

さっ、明日に向かってGO!
(明日は千秋楽;お友達の何人かはこの時に来てくれるのだそうだ)
・効果音ちょこっと変更
・髪の毛染め直す
(・新しい衣装は買っちゃった♪から、もういい)


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