- 2005年01月30日(日) 細かいこと
1月26日の記事http://www.enpitu.ne.jp/usr5/bin/day?id=51752&pg=20050126の中の「会津里花公開スケジュール http://www.acpit.com/~rental1/diary/diary.cgi?ID=jackies」へのリンクがちょこっと間違っていたので直しますた。
- 2005年01月26日(水) 会津里花公開スケジュール
もしかして、意外と「会津里花公開スケジュール http://www.acpit.com/~rental1/diary/diary.cgi?ID=jackies(これはケータイからは見れないみたい)」はわたしにとって大きな意味を持つかもしれない。
どっかほかのところにも書いたけれど、決してお金をもらう仕事とかじゃないけれどわたしにとってそれも「仕事」だと思っていることを含めると、わたしはあまり休む日を作っていなかった。
だからといって、たっぷり怠けていいとは思っていないけれど、バランスをとって生きることは何か続けていきたいことを続けていくのには欠かせないことだと思う。
忙しくいろんなことをこなしていて、たとえばわたしの元パートナーは仕事をして子育てをしてわたしのお守りまでして更に実家のことにまで気を配って、というのを1日のうちに全部こなしてしまうような人だったけど、いっぺんにいろんなことを同時進行でしなくてはならないっていうかできる人が、わたしはとてもうらやましいけれど、わたしはわたしでタイプが違うんだということを自覚するべきなのかもしれない。
わたしは、一つのことにこだわってしまうと他のことには目が向けられなくなってしまうタイプだ。
よく元パートナーから「それじゃ生きていけないの、わたしたちは」と言われたけれど、いくらそうやって責められてもわたしが同じようにできるようになるわけではなかった。
せめて、その日に彼女から言われたことのうちの一つでもこなすだけで精一杯だったし、そのせいで他のこと(たとえば仕事とか)が手につかなくなってしまったりもした。
……なんて、今はもう言い訳しなくてもいい。
自分のスケジュールを自分で把握して、できないことはできない、とちゃんと言えばいいだけのこと。
- 2005年01月25日(火) GID系Blog
わたしだいじょうぶかなあ?
GIDしずおかのHPからリンクするかたちで
セクマイ(Sexual Minority)雑感 http://d.hatena.ne.jp/gidszk/
というBlogまで始めてしまった。(これははてなダイアリー提供)
あと原案帳#23にも書いたけど、
会津里花公開スケジュール http://www.acpit.com/~rental1/diary/diary.cgi?ID=jackies
もリニューアルしてしまった。(こちらはAir's Cockpit提供)
「調子が良くなってきた」というより「調子に乗りすぎ」という感じ。
ちょうどいい加減、というのがわたしはできないみたいだ。
……今日はもう寝たほうがいいのかな。
- 2005年01月24日(月) Blogシュミ
ここが
原案帳#20 http://www.enpitu.ne.jp/usr5/51752/
前から使っているt-cupの掲示板が
原案帳#22 http://6114.teacup.com/jackiematthews/bbs
昨年の夏の終わり頃から使い始めたBlogが
原案帳#23 http://happy.ap.teacup.com/jackies/44.html
で、一昨日から今日にかけて相次いで登録してみたのが
原案帳#23.1 http://jackies.bblog.jp/
と
原案帳#23.2 http://yaplog.jp/jackies/
でも最後の2つはどうやって使い分けるか(=カテゴリーをどう設定するか)さえも決めてない。
とりあえず、自分の文章には「ぶつぶつつぶやき系」が多いのが、正直言ってイヤ。
それだけ書くところが必要だと思った。
(とか言いながら、あちこちに似たようなぶつぶつをぶちまけてしまうのかもしれないけれど……っていうか、それがイヤ!!)
管理しきれるのか、という問題もすぐに起きてきそうだし。
(たまたま今は仕事に行けなくなってしまっているのでヒマをもてあましているのだけれど、ふだんはこうはいかないだろう)
わたしはいったい、どういうつもりなんでしょう?
自分でも、よくわからない。
目的的な行動をとるようにし な い と ・・・ ・ ・ ・
って思うだけで、なんだか意識が遠のいていきそう。だめじゃん。
まあ、いずれは絞り込んでいくことになるでしょう。
あっ、そうだ。
もしかしたら「原案帳#21」がないのはなぜ?と思う人もいるかも。
いえ、ちゃんとあります。
紙で出来たノートなのです。
それには、オンラインで公開されているところにはとても書けないようなことが、書いてあります。
……というのはウソ。
今ではほとんど「スクラップブック」状態です。
わたしが載った新聞記事が貼ってあります。
(そういうのもリンクと言う、っていうわけじゃないよね)
- 2005年01月23日(日) 少しずつ、再生(?)
あるHPのBBSの中であるスレ見たら、少し楽になった。
「生きているだけでいいんだ」
週に15時間働いていたのを19時間に増やそうとしただけで壊れてしまうのも、今は仕方ない。
なんでわたしがこんなに生きる力をなくしてしまったのか、それはこっちや別サイトにいろいろ書いてるけれど、実は原因をいくら求めてもそれでもう一度力がつくようになるわけではない。
かといって、原因なんかどうだっていいんだ、やってみればできるんだ、と自分を励ましてちょっとずつ、本当にそーっとそーっと増やしていっただけなのに、耐え切れなくて壊れてしまうことだってある。
今回が、そう。
せっかくわたしの力を見込んで、仕事を増やしてくれたのに、それに答えようとしたらそれだけであっという間にまるで「反作用」のように何もできなくなってしまった。
わたしには何よりそれがショックだった。
けれど、仕方ない。
今のわたしは、どうも「そういう人」になってしまっているのだ。
「怠け者」
「人生の落伍者」
「人の足を引っ張る困り者」
「裏切り者」
「人間としてはもう終わってる」
……と、これらは人に言われたのではなく、ぜんぶわたしの頭の中に渦巻いている言葉。
確かに、仕事に行けなくなってしまったことは、信頼を「裏切る」ことにもなるし「人の足を引っ張る」ことにもなる。
それにはそれなりに償いをしなくてはならない。
けれども、わたし自身がいくらそれを罪と捉えていても、そのせいで償いすらできないのではもうどうしようもない。
迷惑をかける人たちには本当に申し訳ないけれど、わたしにとってはこれは仕方のないことなのだ。
「仕方ないで済まされると思っているのか。反省しろ、どうしてくれるんだ!!」
という声が、まだわたしの中にわだかまっている。
でも、今わたしがいちばんやらなくてはならないことは、わたしを責めるそういう声と戦って、いや、戦わずに、気にしないようにすることだ。
叱責の声を、できるだけ聞かないようにすることだ。
たぶん、本当に叱責を受けたら、わたしはもしかしたら自殺未遂のようなこともしてしまうかもしれない。
今日、実際にそれを考えた。
ただ、いつも言っているように、わたしは「決して自分から死ぬ勇気なんかない人間」なので、実行することはまずない、と信じているけれど。
死にたい、と思いながらぐじぐじと死んでるんだか生きてるんだかわからないでいるよりも、(実態はほとんど変わりはしないにせよ)「生きているだけまし」と思いながらぐだぐだしているほうが、ずっといい。
少なくとも、生きている気はするから。
あれ? 同じことを繰り返して言ってるだけじゃん、これじゃ。
本当に、本当に、わたしの罪悪感は大きい。
たとえ電話して謝っても、そんなことでこの罪悪感は消えたりしない。
だって、実害出してるんだもん。
人の時間を盗み、信頼を盗み、気持ちを裏切った。
どうしても取り返すことはできない。
いくら謝っても、なくなったりはしないじゃん。
でも、それをきっちり背負うことは、今のわたしには無理だと思う。
せめて罪悪感を少しでも減らして、現実に起きている実害を少しでも減らす努力ができるようにするしかない。
それで、いい。
それでも「少しはまし」だから。
わたしは、生きる。
死なない。
……ただ、ねえ。
体がものすごく衰えてしまった。
信じられないほど太っちゃったし。
体脂肪率30%越えちゃったんだよ。
足腰が弱っていて歩く気がしなくなってるし。
家事一つするのも嫌になってしまってるし。
そうやって、生き物として弱っていきているのが、恨めしい。
まあ、それなりに年取ってきたので、仕方ないのかもしれないけれど。
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手塚治虫『ブッダ』、お師匠さまから借りていたのを、今日一気に読んだ。
素直に感動した。
いろいろ考えた。
各巻の巻末についた「解説」を、そうそうたる面々が書いているのがまた面白かった。
正直に言うけど、今回わたしにとって大きな「躓きの石」になっているのはS○G会だ。
わたしはあの団体を、疑わないようになりたい。
わたしが関わるとかじゃなくていいから。
その存在を「あってもいいよね」と言えるようにはなりたい。
今は、恐ろしい。
放っておいてほしい。
絶対に「折伏」とかしないでほしいし、組織的にわたしを囲い込もうとする動きはもう止めてほしい。
「性同一性障害を認めているのはうちだ」という先駆性を見せびらかすためにわたしをだしに使うのもごめんだ。
わたしは過去数年間の個人的社会的な出来事によって、宗教については(も?)傷ついている。
キリスト教にも、イスラム教にも。
今回のことで、仏教についてもわたしは傷ついてしまった。
(『ブッダ』を読むことで少し回復できたかもしれない)
その傷が癒えて中庸の感情で接することができるようになるまで、お願いだから、そっとしておいてほしい。
(わたしが「今はその時期ではないんです」と言ったのはそういう意味なんです)
科学だけに頼って傲慢になったりせずに、あらゆる人や生き物やものごとに対してへりくだることのできるようになりたい、とわたしは願っているけれど、今はとてもそんな余裕がない。
とても残念だ。
生きているだけで手一杯。
- 2005年01月20日(木) まだだめ〜もっとだめ
ODぎみになっているような。
自分でもわかっているくせに。
抗鬱剤飲まずにプレマリンだけ倍の量飲んでたら、精神的にまともでいられなくなるのは当然。
なぜ自滅するような方向に走っていくんだろう。
一つには、ある宗教団体に対する恐怖が徐々に大きくなっていくから、ということがある。
でもそれは、実は(もちろん先方の巧妙な動きにも問題はあるだろうけれど)
「自分がその人たちを裏切っている」
ということからくる感情であるほうが、大きい。
あれっ、集中力がなくなって、何書いてるのかよくわからなくなった。
サイテーなわたし。
自分のことこんなに簡単に「サイテー」なんて認めてたっけ、今まで?
田口ランディがにくい。
あ、違う。ぜんぜん関係ない人のせいにしちゃいけない。
電話しなくちゃ。
……と思ってダイヤルしかけたけど、怖くて切ってしまった。
ああ、だめじゃん。
あはは。
ほんと、サイテーだね。
どうするつもりなんだろう。
生きてけるのかしらね。この先。
いや、生きていく。
死ねない人だから、わたし。
死ぬ勇気ない人だから。
この家からほっぽり出されて寒空に一人、なんてなったら、寒くて誰かに頼ろうとするんだろうなあ。
わたしは、ヒトの群れの中で完全にはぐれ者になってしまいました。
あ、念のため、まだお酒は飲んでないよ。
飲むかも。
プレマリン飲んでてお酒も飲んだら、頭も体もめっちゃめちゃになっちゃうよ〜。
若ければ体に抵抗力あるだろうけど(でも寿命は思いっきり縮まるけど)、年取ってるから余裕がなくてすぐに出ちゃう。
(かえって幸せかも)
60歳まで生きられれば、すごく幸せ。
長兄みたいに46歳で死んじゃうかも。
それってすごい未練があるけど、それならそれで仕方ないよね。
えっ、「46歳」ってわたしにとってもう「再来年」のこと?
あともう2〜3年しかないんだ。
わあ、やりたいことやるだけやって、ばかばかしく死んじゃうようにしないと。
……なんて、本気で言ってないよね、自分?
なんか、こうやって吐き出せるのは、やっぱりこの書式だけかも。
今日は『原案帳#23』が(簡単なのはいいけど)ちょっと重たいしデザインがださいと思ったので、1日じゅういろんなブログを試していた。
けれど、今いち難しかったりちょっとしたことでわたしには合わなかったりして、結局「乗り換え」はやめた。
で、t-cupのブログはやっぱりなんかもたもたした感じがなんかよくなくて、結局ここ『原案帳#20』がいちばん書き込みやすいのだった。
……そんなことしてるヒマあったのか、自分?
おまえはいったい、何をしたくて生きてるんだ!?
- 2005年01月18日(火) だめ
また、なんだか調子悪くなってしまった。
1.17でフラバった、とか。
たいしたことはないんだけど。
だってわたし、被災してるわけじゃないもん。
単にテレビの見すぎで作られたパニックに陥ったことがあるだけ。
一昨日は、救われたと感じたのに。
今日は、サイテーなことをしている。
このままではまた、元の引きこもりに逆戻り。
田口ランディは、ちょっと重たい。
田口さんのお兄さんは、引きこもりの末に孤独死し、ずっと発見されずに溶けてしまった。
わたしが3〜4年前に引きこもりしていた頃、わたしはその「兄」「引きこもり」という言葉をキーワードとして、自分を「溶けてしまったお兄さん」と重ねていた。
はっきり言って、わたしもあんまり変わらないじゃん。
今でも。
いくら稼いでも、すぐに使ってしまう自分が情けない。
だからと言って、それで落ち込んで仕事できなくなってる場合じゃないんだけど。
人のせいにすれば楽だ。
親にお金のことをちゃんとしつけられなかった、とか。
でも、もうそんなこと言ってる場合じゃない。
それを抱えて生きているのはわたしだ。
死んだ親が今のわたしに何かしてくれるわけがない。
自分でどうにかするしかない。
子どもを裏切るのは嫌だ。
でも、そうとしか言えないようなことをする。
大人を裏切ってもいい、とは言わないけれど、子どもと違って自分の分別を持っている。
しかし、子どもはそのまま影響を受ける。
だからわたしは、子どもを裏切りたくはない。
……って、わたしはなにを?
わたしが裏切られた子ども時代の話?
それとも、わたしが裏切って「捨てた」、わたしの子どものこと?
前に「Yoko」さんに言われたみたいに「自分の身勝手で妻子を捨てた」ことを自覚して苦しんでいるのか。
だとしたら、わたしはようやく「正気に戻った」のかもしれない。
でも多分、正しく見える世界は、わたしを別の狂気に陥れるだろう。
生きてはいられないほどに。
ごまかしてでも生きているほうがいいのか。
それとも、なにが正しいかに気づいて、間違った自分を正すのがいいのか。
正すことができればいい。
できなければ、間違った自分は滅びるべきなのか。
正しいことなんか、知りたくはなかった。
気が狂いそう。
しばらくの間、誰とも何も関わらず、静かにしていたい。
今、忙しすぎる状態に、もうついていけそうにない。
- 2005年01月17日(月) 117
阪神大震災から10年がたった。
今年のわたしは、守られた。
ありがとう。
- 2005年01月14日(金) 小田原
今、小田原を発とうとしている。
今日はちょっといらいらしているかも。
で、中学の頃、小田原出身の寮生がいたのを思い出した。
そいつは何かというと
「静岡は田舎だ、小田原の方が都会だ」
と言っていた。
正直、嫌な奴だった。
じゃああんた、なんで静岡なんかに来たの?
小田原に帰ればいいじゃん、と思っていた。
で。
わたしはその子と同じ部活(クラブと呼んでいた)だった。
中1から中3にかけて、うちの学年は6〜7人部員がいて、大事な仲間だと思っていた。
でも、みんな辞めちゃった。
わたしも続けられなかった。
原因を作ったのは、うちの父だった。
でも。
わたし自身、かなり問題児だったからなあ……
過去にわたしが傷つけた人たち。
わたしが自覚のないまま犯していた罪。
わたしは育つことに失敗してしまったのかなぁ……
なんて、ふと思い出したりして。
- 2005年01月07日(金) 父と母
『三年B組金八先生スペシャル』を見て、いっぱい泣きました。
親の過干渉でわたしは壊れてしまったと思っているのに、なぜ「両親から引き離され取り残された子ども」を見ると強く反応してしまうのでしょうか?
(まさか父と母がそれぞれそれなりの年齢で死んだことを、わたしが「取り残された」と感じている、なんてことは……あ、ありそうな気がしてきた……)
その後、ある掲示板の記述を読んだら、突然、20年近く前に父が死んだ後、母が「自分を取り戻した」ようにみるみる変わっていったのを思い出してしまいました。
母は結婚してから25年以上父に抑圧支配され、それでも父が脳梗塞で倒れてからは献身的な看病を続けました。
それから4年弱、父が弱っていって母の負担がいよいよ重くなり、母が
「このままではわたしも倒れてしまう。だからほんの少しだけ休ませて」
という感じで老人ホームに2〜3日父を預けたら、その間に父は死んでしまいました。
74歳でした。
母は不思議と
「自分が手を離してしまったからお父さんは死んでしまったんだ」
というような後悔はしませんでした。
実際、あともう少し長く父が生きていたら、母のほうが倒れてしまい、そのツケはわたしや弟に重くのしかかってきたでしょう。
でも、わたしも弟も「男子が家事などする必要はない」という父の方針に従って育てられたため、きっとなーーんにもできずに途方に暮れたでしょう。
そしたら今度は首都圏に住んでいる姉(わたしや弟とは腹違い)が呼び出されて、姉の家庭を壊してしまったかもしれません。
父は最後の最後まで「死にたくない、生きていたい」と思っていたようですが、その最期はあっけないものでした。
そうして、周囲の誰もが、実はほっと胸をなでおろしたのです。
もちろん母は、「最愛の夫」を亡くして2、3年は沈み込んでいたけれど、あるとき
「これからわたしは自分の人生を生きるんだ」
と言って、元気にいろんな活動をするようになりました。
母は自分が死ぬ時には覚悟が決まっていたようです。
亡くなる1週間くらい前、80歳になったばかりのある日、わたしにこんなことをつぶやきました。
「わたしはもう神さまに召されているのに、この体が……」
わたしはその言葉にうたれました。
母が「自分の人生を謳歌した」ことが、父にとってもいちばんの供養だったように、見てきたわたしは感じるのです。
- 2005年01月05日(水) 久々に
★1・久々に
★1・久々に
★久々に、その1。
PCでここにアクセスして、自作のフォームで書いている。
★久々に、その2。
ある「性被害サバイバーのシェアサイト」を見ている。
だいぶ長くなったスレッドを読み通して、わたしはなんだか感動してしまった。
わたしは、自分が「マイノリティの中のマイノリティ」であることを喜んでいるように感じているけれど、実はそれって愚かなことなんだろうな。
自分を孤立させるだけ。
確かにわたしがすっぽり全部入ってしまえるようなカテゴリーは、残念だけど、ない。
特に「被害者だったけど加害者になりました(でも今はむしろ被害者に近い立場)」なんていう人間は、行き場がないのだ。
どちらか片方だけを言ってもう片方は黙っていればいいのかもしれないけれど、わたしの中ではそれは裏表両方あって初めて語れる事柄なので、片方だけというのはできない。
でも、わたしが抱える事柄のある部分についてのコミュニティがあれば、わたしはそこで共感する。
そのサイトのオープンBBSを読んで、わたしは涙した。
時は流れるもので、その中で人は育っていくものだ、ということを、しみじみと感じた。
本当はそのことを書き込みたい、と思ったのだけれど、わたしがそこに現れるのをあまり良く思わない人もいるだろうから、直接書き込まないでここに書くことにする。
そういう判断ができるくらい、わたしも育ったのか。
まだ気を抜いてはいけないだろうけど。
本当は、もしかしたらまだ「久々に、その3」とかあるのかもしれないけれど、忘れてしまった。
それに、今もう[5:25 2005/01/05]。
寝たほうがいいかも。
それともたまには「徹夜」しようかな。
ああ、そういえば。
年賀状をはがきやメールで何人かの人からもらったのに、返事ができていない。
どうしよう。
(今それがいちばん困った問題。メールの返事が軒並みできなくなってしまっているんです。返事を待っている人、本当にごめんなさい!!!)
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- 2005年01月04日(火) 夢〜晴れ渡る港
また、夢を見た。
最初は、今暮らしている家と微妙にイメージの重なる、アパートの様子。
(なぜか香山泰男の絵の世界も重なる)
それから、わたしは一人でどこかの港にいた。
空は真っ青に晴れ渡り、その青が美しかった。
港にいる人たちはみんなわたしに挨拶してくれて、わたしも挨拶を返していた。
でも、誰かがわたしのこと(実は女であること)に気づき、それまでは気持ち良く声をかけてくれていたのが、遠巻きにひそひそ言うようになってしまった。
わたしは海の見える村で写真を撮っていた。
真っ青な空を背景に、鮮やかなオレンジ色の蜜柑が美しかった。
写真を撮っているのはNさんだった。
彼女はしきりにわたしに向かってシャッターを切る。
多分わたしが「なんでそんにわたしを写真に写すの?」と聞いたんだろう、彼女は
「だって、わたしとあなたは離ればなれに暮らしているから、もうじき会えなくなってしまうでしょう」
と言った。
わたしは、彼女の愛に気づいて、とても感動した……
順番が間違っているような気がするけれど、だいたい3つの内容が相次いでわたしの中に浮かんでは消えていったのだった。
色彩が美しかった。
たまにこういう、色の印象の強い夢を見る。
「彼女が今でもわたしを愛している」というモチーフは、見ている間は感動していたけれど、目覚めてみたら陳腐な感じがする。
彼女がわたしと同じように悲しみ、苦しんでいたら、わたしは嬉しいのか?
醜い考えだと思う。
自分の身勝手さが、惨めだ。
彼女はわたしよりも苦しんだのだ。
わたしを忘れていくことで、ようやく心の平安を取り戻そうとしているのだ。
わたしにいくら未練があるとしても、それはわたし一人が抱えていればいい。
……あ、違う。
こうやってネットに書き散らせばいい。
彼女はここを見ないだろう。
ネットのせいでわたしがトランスしてしまったと思っているだろうから。
だからこそ、わたしは正直に書いている。
ただ、夢に未練が現れるのが、それだけがつらい……
わたしの日常では、もうそんな感情なんて消えかかっているのに。
だからわたしは眠りたくない。
(眠りたいけど眠れないのではない)
- 2005年01月03日(月) 眠りたくない
眠れない。
いや、そうじゃなくて、眠りたくない。
目を閉じるのが、怖い。
なぜ、いつのまにかこうなってしまったんだろう。
今年の抱負。
「足るを知る」
それが受け入れられれば、規則正しい生活ができそうな気もする。
がんば……
(なぜか6点リード入れたらここで眠れた。以下翌朝)
がんばりすぎないこと。
一つのことに集中すること。
うまくいかなくても次いっちゃわないこと。
そんなもんかな。