- 2005年04月24日(日) Survival
『少年への性的虐待』を読んでいて、自分にあてはまることがとても多いのに驚かされている。
わたしがトランスした動機の、全てではなくても少なくとも一つは「虐待を受けた」から、と言えるのではないか。
笑えない話だけれど、父も母も生きていなくてよかった。
彼らがもしもまだ生きていたら、わたしは「あなたたちのせいでわたしはこうなったんだ」と喚いてしまう衝動に、勝てなかったかもしれない。
確かにわたしは父親から言葉を中心とした虐待にあっていたと思うし、母親からも変わった愛され方をしたと思う。
(あ、念のため、わたしは親から性的な虐待を受けたことはない)
でも、それらの過去はもはや「過去」でしかなく、今のわたしは今のわたしをより良く生きていけるようにするしかない。
過去を足がかりにしてステップアップしていきたいとは思うけれど、過去に囚われたままでいるわけにはいかない。
とはいえ、わたしは一度、自分の受けた虐待や暴力(実はどうもいろいろあったらしい)と、しっかり向き合って「捉え直し」をしなければいけないようだ。
だって、そうしないと、どうやら人から見れば「不可解な」としか言えないような独特の問題ある人間関係の作り方に、わたしは気づくこともなければ変えることもできないみたいなんだもん(ため息)
- 2005年04月23日(土) 解離
@ケータイ
わたしのGIDは、もしかしたら「解離」だったのかもしれない。
もちろん、だからと言ってまた「元の男に統合する」というわけにもいかないのだけれど。
少しずつ、自分の正体が見えてきた。
見ないでいれば苦しむこともないようなことまで……
まあ、苦しくても、誤った認識で苦しむよりはまし。
- 2005年04月19日(火) 夢の中
目を覚ましてから何時間もの間、夢の中にいるような状態から離れることができない。
今週後半は、東京に行ったり西に行ったり、その前にはGIDしずおかの定例会もあるというのに。
わたしは歌よりも言葉で生きるべきだ、とある人から言われて、実はちょっと考え込んでしまっている。
……いいんだいっ!
それは元より覚悟の上。
それすらも自分のカラーにしてやるんだ。
……とは言うものの。
そのためにどれほどの努力ができているのか。
と、こう愚痴を言うようになるのは、もっともっと努力をしたい、というわたしなりの決意なんだ。
だったらはっきりそう言えよなー。
歌が。
わたしの喉元まで出かかっている。
新しい歌が。
それは、ともすればドロドロの薄汚い感情でしかないかもしれない。
でも、いい。
歌って、やる。
負けない。
- 2005年04月13日(水) 神谷美恵子
Anno Job Log - 「神谷美恵子日記」(05/04/11)(←厳密にはその前の日の日記から)を読んだら、元パのことを思い出した。
学生時代、彼女は神谷美恵子をかなり読み漁っていたようだ。
わたしは横目で見るばかりで「そんな難しい本わたしにはムリ〜」とか思っていたのだけど。
針間克己さんの書き方だと、神谷氏はハンセン病の施設で尽くすことに依存していたのではないか、ということになるけど……
それって、うちの元パとも重なってしまうような気がする。
彼女は、わたしを救おうとして結婚してくれたのかもしれない。
けれど、実は彼女のほうも、わたしを救うということに依存してしまっていたのでは。
……なあんてこと言うと、罰が当たりそう。
それに、事実と違うような気もするし。
彼女は、確かに一時期は神谷美恵子に心酔していたようだけれど、たぶん自ら(共)依存的な面を克服していったのではないか。
「自立した人間どうしの関係になりたい」と、よく言っていた。
でも、わたしは結局、自分の依存的な面について全く自覚することがなかった。
まあ、いろんなめぐり合わせもあって、仕方なかったんだろうけれど。
今は、悲しい運命に巻き込んでしまったことを悔やむし、申し訳なかったと思うし、わたしを尊敬し評価して関わりあってくれたことを心から感謝している。
結論は、相変わらず「黙って彼女のためにできるだけのことをする」しかない。
できることはとても貧弱なんだけど、それも仕方ない。
何もしないよりはずっとましだし、少しずつできることを増やしていければこれほど嬉しいことはない。
焦ってまた何もできなくなってしまうよりも。
だからといって、今できるだけのことに甘んじているつもりもない。
無理して破綻しない程度に、でも最大限の、自分を強くしていく努力はしていこうと思っているし、たぶんしているはずだ。
(「努力するんだ!!」と気負ってしまうと、あっという間に壊れてしまうので、それをやっている自覚すらわざと忘れるようにしているんだけど)
今取り組み始めたことは、わたしにとって重たくて辛いものだ。
けれども、そこから目をそらさずに進んでいくことで、どうか1ステップ、強く生きていけるようになりますように。
心から、祈ってる。
- 2005年04月12日(火) 性虐待について
今、性虐待について少しずつ取り組み始めています。
正直言って、とてもしんどいです。
……今は、これ以上は書けないみたい。
- 2005年04月07日(木) 横井久美子さん
★1: 横井久美子さん
★2: 「カヴァー・アーティスト」会津里花
★1: 横井久美子さん
風邪引いてるのに こんな時間まで眠れず
いったいわたしは 何やってるんだろう
とうとう 朝まで……
で やっとたどり着いたのは 「横井久美子」さん だった
横井久美子さんのHP http://www.asahi-net.or.jp/~fg4k-yki/index.htm
わたしの好きな歌の中には この人の作品がとても多い
レパートリーとしている曲も この人と重なるものがある
(世間で流行っている商業的な歌は除いてだけど)
わたしはこんどのライブに向けて 実は少し苦しんでいる
わたしは歌ってもいいのか と
ずっと考えてきた挙句に たどり着いたのは
やっぱり歌だった
その歌の名は 『歌って 愛して』
大げさな歌詞の歌 なのかもしれない
わたしが歌っても 上滑りになってしまうかもしれない
でも この歌を こんどのライブで歌いたい と 思った
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★2: 「カヴァー・アーティスト」会津里花
今朝の朝日新聞の文化面を見た
たまたま「新たなゴッホ」という記事に興味があったからなんだけど
そしたら 隣に音楽に関する記事が
「オレンジレンジの元ネタ論議」
ルーツにおいては その作品が「元々誰の作ったものか」なんか
問題にしなかったのだ
その表現が人の心を動かすものであればいい
それは 横井久美子さんだって同じ
むしろ どんな歌を選んでいるか ということに 彼女の主張を感じる
(ソング&エッセイ「歌って 愛して」の目次を見てほしい)
わたしも オリジナルがない なんて くよくよしない
前から言ってるじゃない 自分で
「会津里花はカヴァーアーティストなの」と
カヴァーばかりでオリジナルがなくなってしまうのは
クラシックが「殿堂入り」するのと似ているかもしれない
それは わたしが 少しばかり 古い世代に属するようになったから
ちょっと寂しいけれど わたしはそれを受け入れて
それすらも歌に込めてしまおう
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- 2005年04月06日(水) 風邪!
うっわ〜 やばい
風邪ひいた というより
悪化した
起きてられん
3日後にはライブだっつーに
いや それ以前に
今日はスタッフミーティングだっつーに
自分のこと好きになる努力
足りないなあ
本当は好きなはずなのに
自分がやること
やりたいこと
ひとつひとつを
大切にしてない
あ 眠い
もう4時半だっつーに
うう ダメ