1年のうち、半分が終わりました。 何となく、「もう?」って聞き返したくなります。
振り返ってみても、あんまりたいしたことはしていないと思っています。 でも、この雑記を流し読んでみても、それなりにやっているんですね、私も。 ただ忘れているだけで、平凡というのは大事なことだった。
考えてみると、何かを書き残すというのは大切なことだと実感します。
今年も後半年・・・・・・ なぜ、同じ半年でも「こんなにも」と言いたくなるのでしょう。 等価値でない半年。 走りつづける限り、残りの道は長く感じるのか。
朝起きて、右目でものを見る。 眼の具合はいまひとつ。 気にしだすと鬱陶しいです。 それでも日常生活には支障ないのが救い。
本日はちょっとしたところに出かけてまいりました。 小さな運動会、といったところです。 でも、まさか、妹の職場の人に出会うとは思いませんでした。 本当に働いていたんだ、妹。ヲイ
帰り道、2.5キロほどの距離を歩いたのですが、滝のように汗をかいていました。 会場のそばで買い物をしてきたからです。 買ったものは・・・・・・15kgダンベル 持って帰るものじゃないですね。 他にも荷物があったので、総重量は20kgほど。 しかもカバンに入らない大きさ・・・・・・
教訓:物を買うとき、少しは考えましょう
ちょっと問題が起きました。 右目が焦点合いません。 医者に行ったら眼精疲労とのこと。 目薬もらい、しばらく様子を見ることになりました。 今は左眼だけで書いています。 つらくはないけど、タイプミスが多いのは気のせいでしょうか? ブラインドタッチなのに・・・・・・
幸い効き目が左なので、気にさえしなければ日常生活には問題ありません。 でも、世界が傾いているみたいだ。 まっすぐ歩きづらい。 本当にひねた人生、歩んでます。
卓上のカレンダーに目をやる。 月単位のカレンダー。 犬がタンポポのにおいをかいでいるほほえましい写真。 不意に気づく。 季節と合っていない。 月を見てみると、5月だった。 もう、6月も終わりに近いというのに。
こんにちは、あまつばめです。 偶数月は猫の絵なのに、今まで気がつかなかったとは、不覚です。 6月の写真は、2匹のアメショー(シルバー)が仲良く寝ている写真です。 25日も見逃していたとは、自分が許せなくなってきます。 猫好き失格だ〜!!私 ちなみに、7月の犬はあまりかわいく見えないので、6月のままにしておこうかと思案中です。 カレンダーとして、不便きわまりないかもしれません。 でも、6月は気づかなかったくらいだから、7月も・・・ はたして、柳の下にドジョウが2匹、いるのでしょうか?
今日、帰ったら本棚の整理をします。 カバーをはずして、作者ごと、シリーズごと、出版社ごとに並び替えて、収まり良いようにします。 一作業ですけど、これもまた、楽しまなくてはねぇ。 実際、収納が下手なために 「これから増える本を予測して隙間をあける」 という作業ができない人間だったりします。 なまじ隙間があいていると、何かを納めないと落ち着かず、 一度納めると、「ここが定位置だ」と主張しているようで、抜き出すこともできず、 あふれかえって、本来の意味(本棚に本を収める)を成さなくしてしまう天才です。 そんな天才、自慢してどうするのでしょうか・・・・・・
でも、本当は許容量もオーバーしているのが現状です。 タンスのうち、下2段が本棚になっています。 このタンスの大きさは、文庫本を2段にして入れるのには適当な大きさで、これ幸いと衣服を掻き出して占領しています、本が。 部屋の現状を見ると、3段目も行きそうなほどにあふれてきています。 このまま1年もすれば、私の部屋では 「タンス」=「本を効率よく収納するもの」 の図式が完成してしまいます。 そうなったら、衣類はどこへ行くのやら・・・ やっぱり、床に山積み? いっそのこと、部屋中模様替えをしてしまおうかとも計画してみます。 先立つものも入ってくる予定ですし、寝床をロフト式のベッドにして、下に本棚を用意する。 寝床から乗り出せば本が取り出せて、見る夢も本のことばかりになる。 ・・・・・・いいかもしれません。 夢がふくらみます。
まあ、今日は本を片づけるだけにしておきます。 夢見ながらだと、整理するのに3日かかってしまうでしょう。 それは許せないように思えます。 夜は忙しくなりそうです。 でも、梅雨時の空は早く夜を誘いますので、たっぷりと時間がある。それもまた、ちょうどいい時期なのでしょう。
それでは、今日はここまで。 再見!なぜ?中国語!?
自分で定めたことはありませんか? 他の人から見たらたわいのないことでも、やっておかなくては納得ができないこと、持ち合わせていませんか?
こんばんは、あまつばめです。 低周波治療器で1時間ほどマッサージされるのが日課になっています。 でも、本当に効果があるのか、疑問に思いました。 不安で、2日間、片足だけかけてみました。 今のところ、効果はありません。 傾いて歩き出したら、効果がある証拠でしょうか。 今は、まだ、不明です。
私事で恐縮だが、1月の目標がある。 本を10冊読むことだ。 ただ読むだけ。 感想や創作をするというでもなく、読み荒らして書棚に並べるだけ。 読み返すことも多いけど、月ごとに10冊以上読み終わった本が増えていく。 2年前の正月から、どんな本を読んだかメモをしていて気がついたのだ。
「これは一つの挑戦だ」 「外に何か作れないのなら、自分の中に築いていこう」 「棚いっぱいの本は、私の中にある知識の象徴」
自慢できるものもなし、 自信を持てるものもなし、 自分を保持するものがなし。 だから型組が欲しかったの。 もし、私が、この世界から消えてしまっても、本を見るたびに思い出してくれる人がいるように。 他人の中のよりしろとして、私は本を選んだ。
「あぁ、いつも本、読んでいたあいつね」
そんな風に覚えていてもらうのが、幸せだったのかもしれない。 こんなことを書いているのには、理由がある。 今月は10冊読み終わりそうにないのだ。 それも、 「忙しくて読む時間がなかった」 「買いたいものがあるので、ちょっと自粛している」 「長編を読んでいるので、他の本まで手が回らない」 ではないのだ。
食指がのびなかった。
ただ、それだけだ。 タイトルや背表紙、帯にかかれている推奨文を読んでも、「これ」といって読みたいという本がなかったのだ。 仕方なしに、昔読んだ本を読み返している。
なんなのだろう。 新しいものは知らない興奮を呼び起こしてくれる。 でも、手に取ろうとしなかった。
こんな表現、そんな言葉、あんな情景を紡ぎだす新刊に興味が失せてしまったの? 新しく開拓する気持ちが失われた? できあがってしまった本棚で満足している?
何冊も飛ばし読みして、部屋の中を見渡す。 読み終えた本の何冊かが、平積みに目に入る。
「本、大事にしてないんだね」
そんな声が聞こえてくるようだった。
定めたルールはなんのため? 私が本を好きだったからじゃなかったの? いつから「読むこと」が目的になってしまって、「読み物」はどうでもよくなってしまったの?
好きという記憶が、戒めてくれていた。 新しいものを見据えるより、今あるものをずさんにしている姿。 まだ、これからも、本を好きでいられるために、新たにルールを定めた。
しとしとと雨が降り、肌寒いほどの夜が来る。 草むらの中にたたずみ、目を閉じてみる。 以外に大きな音に気がつく。
耳のすぐ横を落ちる雨。 その風切り音と何かにぶつかる破砕音。 暗闇の中で、冷たさと音の洪水に流されている。
意識すると、雨はこんなにも騒々しいのか。
雨はカリソメの静寂を与える。 薄屋根や窓ガラスにぶつからないと、その存在は忘れ去られてしまう。 いつも聞こえる国道を走る車の音が、かすかな水きり音に変わって、柔らかな幕を下ろす。
雨は、自分を見つめる時間。
テレビもラジオも、人工的な音を全て止め、 部屋の明かりを消して、横になってまどろむ。 雨の音がゆっくりと入ってきて、絡まりを解いてくれる。
晴れの日は元気が内からわいてくる。 雨の日は、その元気を蓄える時間。 長く続く梅雨空は、夏の日差しに駆け回る力を貯めている。
弾ける力が貯まっていく、この雨の時が、私は一番好き。
雨の日は決して悪い天気じゃない 命の水を蓄える日 晴れの日に続く大事な日だから
最近、何も考えずに生きている。 そのほうが楽で、流れに身を任せるのも悪くない。 ただ、自分が自分である必要がなくなる。 面白かったこと、楽しかったこと、嬉しかったこと。 全てが自分である必要がない。 ただそこに、誰かがいればよかったんだ。
雨の日は物憂げに考える。 陰陰と考えながら、次の日が晴れることを祈っている。 巣立ちを待つつばめのように、巣からあふれそうに身を乗り出して。 明日を待っている。 雨の日だと気がついていても。 待つことだけを楽しみにしながら。
昨日は家に帰るなり、寝入ってしまった。 久しぶりにしっかり寝た。 昼でなく、夜にしっかりと。普通の人のように。
こんばんは、あまつばめです。 昨日が照りつくような太陽で、今日は静々と降り続く雨です。 五月晴れと五月雨を交互で楽しむなんて乙なもの。
水曜に車の運転をしました。 最近仕事で、仕事場の車も運転させてもらっています。 もしできることなら、運転などしたくはないのですが、だからといってしないわけにもいかないでしょう。 どんなに健脚といえど、1日に100キロ200キロと移動できるはずもなし。 (仮にできたとしても、一緒に仕事などできるはずもなし) 運転席に座り、クラクション鳴らされつつも、無事に1日を終えました。 普段の3.5倍(当社比)疲労状態で、どうやって家に帰ったのか、よく覚えていません。 ・・・・・・また事故を起こす日も近いな えっと、運転が上手いと思っている方。 1車線の道では煽らないでください。 問答無用で怖いです。 前もむしろも気になって、泡くって、カーブを曲がりそこねるところでした。 私がトロイのはわかっていますので、延々と車間距離ほとんどなしでいられると、どこを走っているのかすらわからなくなってしまいます。 道幅に余裕ができたら寄せますので、追い抜いていってください。 だから、それまでは無理につめないでください。 ブレーキを踏むことすら躊躇してしまうのですから。
若葉&紅葉マークがあるのなら、へたっぴ専用マークも欲しいです。 最低限の技術は身に付けていても、平常心が保てないから危ないのです。 不必要に事故を招くようなことはさせないでください。
どんなに眠れても、心削ったら意味がない。
まさか本当にいわれるとは思わなかった。 非国民
こんばんは、あまつばめです。 18日の日記に前日の不完全版が出ていたようですが、なんだったのでしょう? 記入ミスした記憶はないのに?
20人いる職場も、3時過ぎには11人しか残っていませんでした。 全員がそうだというわけではないですが、恐るべし、ワールドカップの力です。 私の上司からして、好きな方なので、
「〇〇は今日早く帰らないの?」 「こんな日に仕事なんてやっている場合じゃないよ」
と、昼過ぎから語っていました。 あまり興味がない旨を伝えると、上のようなありがたいお言葉をいただきました。 まあ、いいんですけどね(笑)
家に帰ると、母が食事を作っていました。 開口一番に
「日本、負けちゃったね」
「ただいま」の返事がそれですか。 別に、いいのですけど。
父が帰ってくるときは予想がつきました。 きっと、「日本、勝てなかったな」or「日本、惜しかったな」でしょう
そのとおりでした。
最後に帰ってきた妹も
「日本、ダメだったね」
お前もかい!
わかりやすい一家です。
食事の時間中も、韓国VSイタリアの試合をつけっぱなしでした。 その試合を見て、父は一言
「日本が負けたのだから、韓国も負けるべきだ」
ちょっとまて、それは違うのでは? 興味がないので、詳しくは知りません。 でも、同じ共催国、同じアジア、お隣同士の国。 日本の次に応援すべき国じゃないですか? それを負けるべきって表現は、してはいけないと思っています。
イタリアが好きだというなら、韓国を応援しないのはわかります。 韓国が嫌いだから、韓国を応援しないというのはわかります。 でも、『負けろ』というのは応援じゃなくて野次です。
結果としてどちらかが勝ち、どちらかが負けます。 それは勝負である以上、仕方がないことです。 観客が求めるのは、よいプレイであり、よいゲームで、結果として気に入ったチームが勝ってくれることです。 『負けろ』というのは、結果しか求めていなくて、試合を見ていないのと同じじゃないですか?
勝つことしか求めない応援 それに答えなければならない試合
そうなったら、みても面白くないと感じるのは、私だけでしょうか?
だから、韓国が勝ってよかった。 父の前ではそう思っています。
寝不足だ。 しっかりと、夜、眠ることができない。 だが、問題はそれじゃない。
こんばんは、日記をさぼっているあまつばめです。 自分自身にけじめをつけ切れていません。
雲模様で湿気多い日が続きますが、さほど気温も高くなく、宵に近づくほどすごしやすくなってきます。 ぐっすりと眠るには快適。なのに寝ていません、それほど。
11時頃に布団に入り、仰向けになります。 外灯の薄明かりが部屋の中に忍び込み、うっすらと見える程度に明るくしてくれます。 ただ、ゆっくりと天井を眺めていると、時間だけが垂れ流されていきます。 眼鏡もコンタクトもしていないから、見える世界は歪んでいて、何一つはっきり見えない世界。 その中では、わからないものを形作ってやろうと想像力だけが動いてしまう。 浮かんでは消え、流れては沈む情景は、自分自身をわからないものにしてしまう。 出るものすべてが曖昧で、
もわんもわんした手のかたまり 大きく角張った丸い玉 重そうに空飛ぶ花びら
こんなもの、名付けた私でも説明できない。 普通に考えれば、狂人の戯言と断言されそうな世界。 なんでしょうか、いったい?
幻像の嵐がやむと、音がまとわりつく。 闇と雨の二重カーテンは、部屋の音を反響・増幅してくれる。 時計の音など、こんな機会でなかったらじっくりは聞かない。 呼吸の音・血の巡る音・臓腑の動音……… なぜか聞こえる。 本当は聞こえないはず。 でも、聞かなくてはいけない気がする。
眠るはずの時間を無形のものと入れ替えている。 時計を見ると、短針が『5』を指していた。
横になっているのに、眠ってはいない。 世間では言う。 「寝不足だ」 けれど、大事なものが欠けている私は違う。
根不足だ。
大地に立っていない。 ふらふらと夢とうつつを泳いでいる。
なにせ、一番の問題は、眠い感覚を自覚しにくくなっていることだから。 求めない睡眠に意味があるのか。それがよくわからない。
世の中には言葉で確定されていなくても決められたことがある。 ルールであるかどうか知らないが、野球のバッターは逆立ちしてバッターボックスには入らない。 もし、 「4割を超える打率で打てる」 と言われたとしても、逆立ちしてバッターボックスに入る選手は皆無だろう。 法則として、やってはいけないことがある。それを、私たちは肌で知っているのだ。 一例で、超能力者が曲げるものというと、スプーンなのだ。 時にひねくれていて、フォークや鍵を曲げる人がいるが、それでも多数はスプーンを曲げるのだ。 別に見ている人にとっては、フォークだろうと、ナイフだろうと変わらないような気もするが、スプーンでなくてはいけないらしい。 私はスプーンを曲げられないので、なぜそれでないといけないのかわからない。 別のもので考えてみよう。
力自慢のプロレスラーが、リンゴを握力で搾り取るパフォーマンスがあったと聞く。 冷静に考えれば、ジュースを飲みたければ、わざわざ握りつぶす必要など無く、そこいらに買いに行けばいい話だ。実質、120円もかからない話なのだ。 でも、手で握りつぶすことに意味があるのだ。
もし、脇で握りつぶしたらどうなるのだろうか?
私は見たことがないのだが、手で握りつぶすのと比べてすごいことのような気がする。 それでも、そんなパフォーマンスは聞いたこと無い。 ひとえにそれは、「脇で絞ったジュースなど誰も飲まない」からではないか? 手なら、すごいと思いつつ、飲んでみるかもしれない。しかし、脇では、さすがに、ねえ。
どんなにすごかろうと、やってはいけないことだというのが想像できる。
もしかしたら、スプーンでないといけない理由はそこなのかもしれない。 太い鉄パイプをふれるだけで曲げてしまったら、それは超能力でなく、暴力のような気がする。 スプーン程度なら普通の人でも曲げられそうだが、それ以上のものを曲げてしまったら、近寄ったら何されるかわからない恐怖を覚える。 だから、スプーンなのかもしれない。 まあ、超能力者が曲げるているもの、それはスプーンというちっぽけなものではない。 倫理や常識、押し固まった考えを見事に曲げてくれるのだ。
もっとも、一番曲げるのは超能力を使い人たち自身のへそだと言うこと。これも公然の秘密だということはルールなのである。
それぞれには、それそれの名称がある。 同じ文化圏なら、何となく、こんなものだとわかることができるものだ。
普通の人に「ジベレリン処理を行うことによって、果肉の生育を促進させ、それでいて種子のない食べやすい果物にさせる」とか、「インスタントは相手のターンに使うことができるから、相手ターンエンド時に使用することで、マナの効率的な使い方ができる」とか、そんな話をしてもわからないのは、無理のないことだ。 複雑な名称など、専門家がわかっていて、私たち一般市民は簡単にわかりさえすればいいのだ。
今ここに、「力学的に見て、重心を下方に持ってくることによって、たいていのところで安定できる人を模したの遊具」がある。 飾りとしておいているのだが、この「力学的に見て、重心を下方に持ってくることによって、たいていのところで安定できる人を模したの遊具」は微妙な揺れ具合が、何とも心安らかにしてくれる。 この「力学的に見て、重心を下方に持ってくることによって、たいていのところで安定できる人を模したの遊具」は部屋のインテリアとしても最適ではないかと考えているのだ。
こんな風に書くと、とても小難しそうなことをいっているような気がする。 まるで力学に一言あるお偉い先生じゃないかと錯覚してしまう。 でも、本当に理解している人なら、小難しいことをいってわからないような説明をするのでなく、より多くの人が理解できる説明をするべきなのだ。
目の前にあるヤジロベエを揺らしつつ、小難しいことを考えてみる。 私にはよくわからないことだとしても。
織りを正すと、世の中というのは単純なことが固まっている。どんなに複雑に見えることも、根っこの部分は同じで、広がっただけの枝葉なのだ。 知り合いの人、何人かに聞いてみて欲しい。
「ちょっと、計算してくれる? 1足す2、掛ける3、引く4は?」
なんと答えるだろうか? 書き出してみると簡単なのだが、「1+2×3−4」なら、「1+6−4」となり、「3」という答えになる。 でも、「5」と答える人はいないか? きっと、「(1+2)×3−4」と勝手に式を置き換えているのだ。 言葉通りに受け止めればいいのに、なぜか、こう、思いこんで計算してしまう。 そうなると、単純なことなのに、難しくい問題になってしまうのだ。 まあ、世の中の情報は、そのほとんどが隠れていて、想像しなければならない。そのときの読み違え、勘違いが、話をこじらせる原因なのだ。 そんな簡単なことなのに、やっぱりそれは、起こってしまう。 簡単故に複雑なのだ。
先ほどの計算式だが、友人に 「1だ」 と自信に満ちて言われたとき、世の中の複雑さを、改めて思い知った。
近所に小さな子供がいる。 小学校に上がる前の年頃なのだが、見ていると、本当によく転ぶ。 荒れたアスファルトの上で転ぶ姿は、見てしまった人間の膝の当たりを、皮がめくれ返るような寒気を覚えさせてくれる。 盛大に転んで、それでも懲りずに走り出し、また転ぶのが痛々しい。 「もっと、気を配って歩けばいいのに」と、大人の視線で考えるのだが、私たちは近頃、転ぶようなことがあったのだろうか?
よくよく考えてみると、転ぶというのは大変なことだ。 歩いて進むエネルギーを、重力に任せてしまうのだ。 仮に時速4�劼琶發い討い燭蕁△修谿幣紊離好圈璽匹如△靴�もブレーキをかけることなく壁にぶつかるようなものだ。 60�圓瞭�塊が、躊躇無くぶつかる様を想像していただきたい。 結構な惨事だ。 それを頭の片隅で考えると、大人は転べなくなってしまう。 じゃあ、問答無用に転ばなくてはいけない環境はどんなときなのだろう。
スキーやスケートを習ってみる。 そうすれば、転ぶことなど、日常茶飯事だ。いつだって転べるだろう。 しかし、習熟して行く内に転ばなくなってしまう。 「やっぱ、転ばないのがうまいんだよ」と、転べないことを誇るようになってしまう。 これではだめだ。
じゃあ、走ってみよう。 それも、普通の走り方じゃなく、まっすぐ走れなくなるほど長距離だったり、目隠しや後ろ向きだったり。 これなら、どんな大人であろうとも、転ばざるを得ない。 思う存分転べるのである。 まあ、そこまで長い距離だったら車を使って移動するとか、目隠しや後ろ向きで走る人間を、まともな大人と見ていいのかは別として、転ぶ方法は確かにあるのだ。
そして、実行できない。 大人は転ぶ怖さを知っているからだ。 膝の皮がすりむける痛さを、支えた手のひらが痺れる怖さを知ってしまっているから。もう、転ぶことはできない。自分の意志では、なおさらだ。 いつまでも、大人は転ばないように我慢し続ける。そうして、耐えきれなくなって転ぶので、取り返しのつかないほど痛い目に遭ってしまう。
転ばないのでなく、転べない大人。 案外、生きていくほど不器用になるものだ。
食べ物が傷みやすいことを、『アシがはやい』という。 青魚などは特にはやく、『鯖の生き腐れ』と言うくらいにアシがはやいものもある。 だが、もっとアシがはやいものもある。 人の心だ。 今、何かしようという気持ちは、それほど持続できないのだ。
例えば、試験勉強をしているとき、ふと、部屋の汚れが気になる。 別に、こんな時に掃除をしなくても・・・と無視しているのだが、そのときのやる気は、試験勉強が終わって、一段落したときには無くなっている。 言うならば、試験勉強という短い期間で腐ってしまうアシのはやいものだ。 忙しいとき、無関係にしたくなるものほど、アシがはやい。 釣り上げた瞬間に腐り始める。鯖なんかじゃ、追いつかないほどに。 どうして、こんなに、アシがはやいのだろう。 いま、私はアシのはやそうなことを考えている。 やらなくてはいけないことが山積みなのだが、何となくやりたいことがある。 おもむろに、ぴょ〜んと跳躍をしてみたいのだ。 ぴょ〜んぴょ〜んと。 今、「はねている場合じゃない」と人は言うだろう。 そんなにはねたければ、「家に帰ってから思う存分に飛び跳ねろ」と言われること、請け合いだ。 ただ、今、私は、この場で飛び跳ねたいと思っている。 何とも、腐った考え方だ。
人間は、逃げるか、それとも戦うか、それしか選べない。 脳みそが、そんな風にできているんだ。
傷ついている時、自分より弱いものが近づいてきたら、あなたはどうするの? 尖って、弾いて、あたり散らかして、壊すことで自分を認める人もいる。 でも、私は違った。 弱い人を守ることで、自分の存在意義を見えるようにしてきた。 優しいのじゃない。 傷をなめあっているだけ。 あやふやになっている姿を、誰かに認めて欲しいだけ。 ただ、ただ、汚いだけ。 誰かがいないと姿のない、鏡の中の住人だ。
今日も、一日中寝ていた。 掃除して、ご飯食べて、寝ていただけ。 傷を癒すように、タダ、ゆっくりと寝ていた。 そうでもしないと、何をするかわからないから。 何をしていいのか、わからないから。
| 2002年06月08日(土) |
握りつぶしたら、何が出る? |
1日中、吐き気がした。 飲みすぎたのでなく、無理しただけ。 手当たりしだい食べた気がする。
胃の中がむかむかする。 この臭いは・・・にんにく? ・・・・・・刺激物、食べ過ぎたかな?
右のわき腹を握り締める。 何か、悪いものが出てきそう。 でも、出したいと思う。 悪いもの全部・・・・・・ 楽になりたい。 願っちゃいけないとわかりつつも。
| 2002年06月07日(金) |
不満だけ貯めた飲み会 |
ちょっと鬱気味だけど、むりに明るく振りまいてみる。 心と体が乖離していくのがわかる。 このまま心だけの存在になってみたい。 そうすれば、こんなにも苦しむことはなくなる。 ・・・・・・ダメなのはわかっているけどね。 時々、どうでも良くなる時もある。
笑って、 笑って、 笑って、
その分だけ壊れていく。 私は今、泣きたいのに、どうして笑っているのだろう。
わからない。 泣きながら伏している。
感情だけで動ける、ネットの世界は甘い蜜のよう。 抜け出れなくなる前に、自分を何とかしたい。
アルコールが蝕んでくる。 上っ面だけごまかして、一番汚い自分を封じ込める。 タダつらいだけ。
私は、眠ることで全てを吹き飛ばした。
イジイジイジイジイジイジイジイジ・・・・・・・・・
何となくいじけてみます。 世間お色がワールドカップに染まっているようですが、ついていかない人間にはどうでもいいようなこと。 でも、爪弾きにされるのはつらい。
こんばんは、あまつばめです。 本のページをめくる回数が増えています。 テレビをつけるのが鬱陶しいので・・・・・・
少し離れて見ていると、よくわかることがあります。
サッカーが好きで、今の状況を楽しんでいる人と、 今の状況が楽しみたくて、サッカーを見ている人。
両方、楽しむ手段にサッカーを使っているのですが、大きく違う。
前者は、将来フィールドに立つ可能性があり、 後者は、新しいものを見つけて楽しみつづけることができる。
幸せが、太い1本道か、細い岐路のどれか。 何となく、そんな気がしました。 まあ、いいや。ワールドカップ終わるまで、私はいじけてますので。
イジイジイジイジイジイジイジイジイジイジイジイジイジ・・・・・・・・・
世間様ではワールドカップだの、サッカーだのと、うるさいくらいです。 困りました。 嫌いなものを休む間なく流されると、不機嫌になってしょうがない。 終わるまで、ニュースを見るの、やめようかと真剣に考えてしまいました。 本当に、つらい。 私にとってはある種の暴力…サッカー
| 2002年06月02日(日) |
過酷でハードで酷使した肉体 |
田植の日焼けのあとが、ひきつって痛いです。 お風呂が拷問に感じます。
こんばんは、あまつばめです。 案の定、痛み出してきました、日焼けあとが。 我慢できないほどでないのですが、電気消したあとの蚊のように、鬱陶しいことこの上ありません。 いっそ、激痛でもすぐに終わってくれれば・・・などと考えてしまうくらいに。
そのおかげもあってか、眠気など襲ってきませんでした。 ちょうど、夜通しチャットをやる予定だったので都合が良かったです。 何事もポジテブ、ポジテブ。 ただ、一つ問題がありまして、今回の日曜日は町内会のドブ掃除の日だったのです。 細かい掃除をやるのなら、寝不足だろうと、日焼けで苦しんでいようと、それほど気にはならないのですが、参加者がおじさんおばさん中心で、ドブ板(コンクリート製)を持ち上げられる人がごくわずかです。 ええ、持ち上げましたよ。何十回も。腰が痛くなるくらいに。 一度、足先に落としてしまうくらいに。 へろへろになりながら、 「世界が私を殺そうとしている」 などとつぶやいてしまいました。 なんか、壮大な被害妄想ですが、ふるえる腕を見ていると、あながちはずれでもない気がします。 うん、何となく、そんな壮大なものに殺されるのも・・・などと不穏な考えを浮かばせつつ、泥のように眠りにつけました。 嬉しいのやら、情けないのやら・・・ ちなみに、安全靴を履いていてけがはしませんでした。
ただ一粒のお米から、どのくらいのお米ができるか、知っていますか?
こんばんは。あまつばめです。 職場の組合活動で、『外国で飢餓に困っている人たちに食料を送ろう』という、活動をしています。 資金を集めたりもするのですが、『お米を育てて送ってやろう』という活動もあり、その田植えに行って参りました。
昨日の昼に止んだ雨が、適度な水を呼び込んでとても植えやすい田植えとなりました。
行くまでは 「雨が降って中止にならないかな〜」 とやる気もなかったのですが、一番はしゃいで泥まみれになった大人は、多分私です(笑) 心地よい風が吹き、強い日差しの下、泥と戯れるというのは、何か理由をつけないとできないような年齢です。だったら、理由があるときは目いっぱいはしゃいでやりましょう。
手植えの苗というものは、本当の面白いくらい歪んで植えられます。 機械で植えたら「びしぃ」ってそろうのですが、職業としてやるのでないならしっかりできていないところも面白いじゃないですか。 曲がった隙間を指差して笑い、泥を落とそうとして擦った指が、泥で汚れていて広げるだけのマヌケな姿で、また笑う。 そんな1日でした。
ただ惜しむべくは、これだけ強い日差しの下にいたので日に焼けてしまったこと。 お風呂に入るとひりひりします。 これは…明日は痛かゆくて落ち着いていられないでしょう。 まっ、楽しめたからいいですけど。
最初の問題の答 およそ2000粒です。 一つの苗が20本の茎に分かれて、100粒の稲穂を稔らせる。 計算上とはいえ、こんなにたくさんできると、あなたは知っていましたか?
|