数日過ぎてみると、やけにあっさりとしたもので。 メールがないことと、いつもの時間に「どうしてるかな〜」と思う習慣はなかなか抜けないけれど。 なんだか思ったよりも辛くない。 暇だな〜とか、週末どうしようってゆう行動に関しての寂しさはあるのに、何故こんなにも人物に対して何も寂しさを感じないんだろう? つき合ってる頃は、週に1回会えないと気が狂いそうだったのに・・・・ よほど不安だったんだろうなー、相手のことが。会わないと不安でたまらない人だったんだろう。 意外と頑張ってたんですね、自分で無意識にコントロールして。 過去に行った場所を思い出すと、寂しくなるけれど、それは人物に対してってわけでもなく。 むしろ、その前の人と別れた後に、三年以上誰ともつき合いたくなくなったことと比べてみても、一目瞭然で。
むしろ、もう一つ前の過去の人物が気になって仕方が無い。 前回の人と付き合いだして、ますますその前の人物が浮かんでは邪魔をしたくらい。 夢にも出てきたし。
その彼にはもう出会うことはないんだろうけど、それ以上の人が現れてくれたらいいな。 出会えるなら、もう一度チャンスをくれるのなら、どこかで会わせてほしいものです。 今の電話番号も今どうやって生きてるのかも知らないのに、何故こんなにも気になるんだろう?
離れたいと思っていた環境の中で、進むはずだった未来に玉砕し、結局離れたかった現状に戻ってきた。 自由を得ると逃げたくなるのに、失ったとたんに離れたかった世界が幸せなものになる。
泣けども泣けどもすっきりせず。思い出して泣く。人としゃべる時は逆にテンションあがって楽しくて肯定的になるけど、帰ってしまえば落ち込むだけ。 家族としゃべる分だけ泣けてくる。
薬に逃げる。睡眠薬飲んだから、今度こそ寝られるのかな? 明日から仕事。 来年まで続ける予定をしていた仕事も、先の未来がなくなった今、やめてしまおうか。 次のことを考えなくては。
人間ってうまくいかない。 自分がいて、それ以外のまわりの存在がある。 思うようにならないのが他人。 他人が集まって集団。 集団が集まって社会。 社会が集まって世界。 そんな世界の中のたった一つのことだって、自分の思い通りにならない。 だって自分以外は自分のものじゃない。
わかってたけど、錯覚する。 わかっているつもりで、錯覚している。 他人が自分。 集団が自分。 社会が自分。 世界が自分。
他人にさようなら。 集団にさようなら。 社会にさようなら。 世界にさようなら。
そうやって立ち止まったら思い出してみる。 涙で浄化なんてしないけど、一度涙で綺麗になってから立ち止まって考えてみる。
考えたって、わかんないことだらけ。 それが他人。 それが集団。 それが社会。 それが世界。
わかんなくて、探して、彷徨って、それでもきっと答えなんて出ない。 「自分」なんてものは、きっと最後までその本当の意味がわかんない。
ただ苦しむ。ただ悩む。 きっといつか忘れてしまうけど、それまでは苦しむ。ただ悩む。 楽しかったことの代償だけ、苦しむ。悩む。 代償も対価も何にもない世界なんてない。 信じたって、裏切ったって、それはあくまで「自分」と「他人」の違い。 主語を置き換えたら、どんなことだって幸せになれる。 それが世界にとって、社会にとって、集団にとって、他人にとって不幸なことでも。 それが世界にとって、社会にとって、集団にとって、他人にとって幸せなことでも。
自分の欲求も他人の欲求も、自分の願いも他人の願いも、何もかも一緒なんてない。 自分ではなく、あくまで他人だから。 自分以外は他人だから。
他人ばかりの集団の中で、社会の中で、世界の中で、それでも自分を主語にして生きていけたらいいな。
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