Opportunity knocks
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朝起きると湿った雨の匂いがした。 久しぶりの雨の1日。
部屋の中で雨音を聴くのが結構すきだ。 とてもとても静かな気持ちになれるから。
今日1日、そんな風に静かに過ごした。
今日はコドモの中学校の説明会と制服の採寸日で、すごく忙しい1日だった。 午前中に仕事を終えて、その足で中学校へ。連れ合いも午後から半休をとっていたので学校で一緒になった。コドモは、父さんも母さんも来てる子なんてきっと僕だけだよ、やだなあ。と恥ずかしがっていたが、わたしも仕事休んでくることないのに、と少しおもう。連れ合いは、「いいだろ、別についてきたって」と平気な顔。 わたしとこどもはやれやれ顔。
中学校の説明会はいきなり学習面について、ということから始まった。 おお、さすがは中学校だなあと変に感心する。 コドモは可笑しいくらい真面目に聴いている。
「1日の学習は常に学年+1時間、つまり君たちは1+1で最低2時間は勉強してもらいたい。中学校の生活は小学校と違ってスピードが速い。ぼんやりしていたらすぐ取り残されてしまいます。心するように」
などなど、少ない時間の中で先生がかわるがわる話していく。 コドモがためいきをつきながら小声でひとこと。 「かあさん、中学校って結構たいへんそうだね」
先生の話が終わってあとは部活見学ということになった。 コドモはいちおう美術部かサッカー部に決めているらしく、両方の部を見学する。美術部はおとなしめの子が多く、女子と男子が同じくらいいる。さっそくマーブリング、スパッタリングという手法で絵を書く体験をさせてもらう。なかなか楽しそうだった。
サッカー部は、先輩のやっている様子を見学するだけだった。ゴール前でパスを送り、センタリングをあげてもらってヘディングシュートをするという練習内容。 どの子も結構上手。運動音痴のコドモがついていけるかどうか心配だなあと思う。
ひととおり見学した後、学校をあとにして制服の採寸にいく。 お店の人がひとめ見るなり、この子は大きくなりますよーと感心したようにいう。 なにしろ足のサイズはもう25cmこえてるし、身長ももうわたしと10cmも変らないのだ。大きくなるだろうなとわたしも思う。 それを考えて制服はかなり大きめに作ってもらうことにした。
採寸を終えてお店をでるともう日が暮れかかっていた。
どう?中学生の気分になってきた?とコドモにきくと、「うん、たのしみになってきた」と返事。 中学生になる、思春期になるってどういうことなのかをコドモが知るのはもう少し先になりそうだけど、願わくば良い中学校生活を送って欲しいなと思う。
2003年02月06日(木) |
あるサイトの閉鎖について思うこと |
今日、あるサイトがひとつ閉鎖された。星の数ほどあるサイトのことを考えれば、それはごくささいなことなのかもしれないけれど、わたしにとってはとても意味があることだったように思う。
正直なところを言えば、やはり残念だと言うしかない。 (それぞれの考え方がある程度理解できるだけに) でもその一方で、それは自然な成り行きだったような気もする。
川の流れがごくささいなきっかけで変っていくように、いろんなものも少しずつ変っていくのかもしれない。でも川の水が常に流れていくみたいに、サイトを運営していたお二人はこれからも変らず文章を書いていくのだと思う。そしてそんな二人の文章をこれからも読んでいきたいと思っている。
2003年02月05日(水) |
猛スピードで生きること |
「猛スピードで母は」読了。 あくがなくて淡々とした文章。それでいて強く風景を喚起させる小説だった。 いちばん頭の中で強くイメージした風景はなぜか慎と慎一が観覧車に乗る場面。 どこかで見たことのあるような情景。
猛スピードで、という言葉にすごく共感する。母親がひとりで子どもを育てるというのは、猛スピードで走ることなのかもしれない。緊張感のある毎日、先のみえない不安定感。一瞬も気を緩めることができない。小説の中の母もそんな感じで走っていたのだろう。そんな気がした。
2003年02月04日(火) |
畏れ多い小説について |
柴田元幸氏と高橋源一郎氏の対談を読む。その中で90年代の以降の翻訳文学ベスト30というのをお二人がそれぞれ挙げられていてとても興味深く読んだ。以前から気になってはいるものの畏れ多くて手が出せないでいる本が幾つか挙げられていて、ますます畏れ多くなった。例えばピンチョン、例えばドン・デリーロ。
柴田さんが対談の中でピンチョンのことはいまだによくわからないですね、と言っていたのを読んで少しびっくりする。もちろん、よくわからないというのはわたしなんかのレヴェルがこの小説、よくわからない・・などといってるレヴェルの話ではないというのは十二分にわかっているのだけど、それでも柴田さんのような畏れ多い人が正面きってよくわからない、と書かれているのは少し驚く。小説の細部を読みながら全体の構図を見るということがものすごく苦手なのだと、柴田氏は書いておられたのだけど、それを読んでなるほどなあと少し思った。ピンチョンの小説を一読して全体像を即座に俯瞰できる人間はそうはいないと思う。広大な世界をひとつひとつのピースを拾い上げて作り上げていく、そんな感じの作業を根気よく続けていってやっと理解できるというのがピンチョンの小説のような気がする。(と畏れ多い事をいっているがほとんど手に取ったこともないのです)
もちろん柴田氏のレヴェルを普通のものと一緒に考える事はできないし、すごく苦手なのだといいながら9割方理解しておられるのだろうと思うのだけど、それでも柴田さんがこれまで翻訳されたものをつらつら読んできて、柴田さんのピンチョンに対する苦手意識みたいなものが少しわかる気がした。たぶん柴田さんには自身の頭の中に存在する世界があるのだろうと思う。本を読んだり、翻訳したりする作業というのはその自分の世界に小説世界がどれだけ類似しているかを確認する作業なのかもしれない。柴田さんがこれまで翻訳されたものをみてみると、やっぱり独自の世界をはっきり提示しているものが多いと思う。だからピンチョンのようにやたらと広くて混沌としている雰囲気の小説は馴染めないのかもしれない。
なんて、おそれおおいことを書いている暇があったら本のひとつも読まないといけないのかもしれない。 今年はいっぱい本を読もう。あらためてそう思った。
思い通りにならない他人の自我を、私もときどき殺してやりたいと思うから。
「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」
連れ合いの学校で来月のはじめに卒業生を送る会というのをやるらしいのだけど、そのなかで余興として先生がバンドを組んで生徒のまえで披露するというのがあって、今年はスピッツの「空も飛べるはず」という曲をやるとのこと。おかげでこの1週間というもの、連れ合いの歌声が耳について離れない。お風呂に入ってても、トイレの中でも「君とであああった奇蹟があああ・・」なんてきこえてくる。ピアノも担当ということで、なんと弾きながら歌うらしい。無謀だ・・。
心配顔の妻をよそに連れ合いは、今日も1日ピアノを前にして歌の練習。時々声が裏返るのが可笑しい。思わずくすくす笑ってしまう。だいたいがあれは草野さんだからだせる音であって、普通の男の人にとってはかなり難しい音なんじゃないかと思う。 キーを下げて譜面を書きなおしたら?といったら、そんなめんどくさいことやってる時間があったら練習するとのこと。いいんだけどね・・(笑
はたして思うとおりに仕上がるだろうか。そしてそのためにわたしはあと何十回、連れ合いの「空を飛べるはず」を聴くことになるんだろうか。ふう。
「ムッシュ・カステラの恋」を観た。 カステラ氏に感情移入しっぱなし。 たしかにカステラ氏はがさつで無知で決してsmartとはいえない人間だけど、でも芸術を愛したり、誰かに恋をしたりするのに小難しい理屈や、きどった態度や、表面だけの優しさなんかがはたして必要だろうか。映画の中で、そういうものにこだわった男が結局ほんとうの愛を得ることなく去っていった場面があったけど、やっぱり人の心を揺り動かすものはもっとシンプルなものなんじゃないかなと思う。 例えば、打算のない素直な気持ち。相手のことを真摯に思うこと。
最後の場面、カステラ氏が劇場にきているのを知ったクララの笑顔がとても良かった。カステラ氏の気持ちが届いてほんとうに良かった。
観終わった後、恋がしたいなとほんの少し思う。 でも恋なんてしようと思ってするものじゃないんだろうな。 そして見た目より楽しいことばかりじゃないということもなんとなくわかっている。 やっぱり、こんな風に良い映画をみてつかのま、恋をしたような気分に浸るくらいがいいのかもしれない。
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