Opportunity knocks
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2003年04月29日(火) |
ミミズって鳴くんですか? |
最近夜になると、気になる音がきこえてくる。 じいいいいいいいいー、という虫の声。 どんな虫が鳴いているのかしらないのだけど、 妙に耳について離れない。 ちっぽけな虫(だろう、たぶん)なのに、なんて力強く鳴くんだろう。
どんな虫が鳴いてるのかな、とコドモにきいてみると シンジラレナイ答えが返ってきた。 「ミミズじゃないかな」 「・・・・」 えっと、ミミズってあのミミズですよね。
どこからミミズが鳴くなんて発想が生まれてくるんだろう、と言葉もなかったのだけど、しばらくすると、土からひょっこり顔をだしたミミズがじいじい鳴いている様子が半ば強制的に頭に浮かんできた。わーやめてくれ。
というわけで、頭を悩ませています。 この時期に夜になるとじいじい鳴く虫の正体を知っている方、ぜひご一報を。 よろしくおねがいします。
少し前、コドモがおたふく風邪でたいへんだったのだけど、 なんと今度は連れ合いがおたふく風邪に罹ってしまった。 コドモのおたふく風邪ウイルスがしぶとくどこかに潜伏していたらしい。
とても痛いらしくて可哀相なのだけど、 同情心はちゃんとあるのだけど、 見てるとついつい笑いがもれてしまう・・・。くくく だっておもしろい顔なんだもの。ほんとに南伸坊みたいなんだもの。
あはは、と笑っていたら、次はおまえの番だー、なんて言うのだけど、 くやしまぎれに言うその顔がおもしろくてまた笑ってしまう。
今のところ熱もでてなくて、頭とほっぺたが痛いだけらしいのだけど、やはり決まりがあって明日と明後日は学校をお休みするらしい。 早く治ってもとの顔にもどってほしいと思う(笑
朝方曇っていた空が昼前にはすっかり晴れて、午後はとても気持ちよい天気になった。早めに買い物をすませて夕飯の準備をする。今日の献立は蕎麦と天麩羅とほうれん草の煮びたし。天麩羅は今が旬のたけのこと、三つ葉、小茄子、蓮根、ほたて、いんげんなどなど。明るさが残る空をぼんやり眺めながらビールを飲み、天麩羅をたべた。 素敵な春の夕暮れだった。小確幸。
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「わたしたちが孤児だったころ」読了。 前に読んだ「日の名残り」とはまた雰囲気が違うけれど、なかなか良い小説だった。物語は前半と後半ではだいぶトーンが違っていて、前半は過去と現在が入り組んで書かれたり、主人公の心象風景みたいなものが多く描写されたりして、どちらかというと静かな語り口で綴られている。そして後半はというと、一転して動きのある展開になり、主人公は訳のわからない状況にしだいに押し流されていく。
前半では重々しいイギリス的な雰囲気を、後半では混沌とした中国(上海)の雰囲気を意識して書いたのかもしれない。たぶんそれがこの小説の面白さなのだろうけど、正直に言うと少しだけ違和感が残った。ただわたしの読み込み不足のせいなのかもしれないのだけど。
今度は「充たされざる者」あたりを読んでみようかなと思う。
使っているPCの調子が悪くてネットに繋がらないので仕方なくコドモが使っているPCを立ち上げたら壁紙が後藤真希になっていた。
朝。 いつものように6時少し前に起きて半ば寝ぼけながら朝ごはんをつくる。
うちのコドモ&連れ合いは朝ごはんをかなりきちんと食べる。 コドモなどはご飯粒を食べなければぴくりとも動かない(パン食はだめ) わたしは低血圧な人間なので朝起きてすぐご飯をかきこむなどという芸当はとてもできないのだけど、コドモ&連れ合いは朝目が覚めて起き上がったその瞬間にモノを食べることができる。かなり驚異的なヒトタチだ。
そんな感じでご飯をかっこんだ後、コドモ&連れ合いはあわただしく学校へ行く準備を始める。あわただしく新聞を読み、あわただしく洗面所で顔を洗い、あわただしくドライヤーをかけ、あわただしく服を着、あわただしくカバンを持ち、あわただしく靴を履き、あわただしくいってきますを言い、あわただしくドアをあけてでかけていく。 まるで台風のようだ。
コドモと連れ合いが出かけた後、ゆっくり新聞を読んでゆっくりご飯をたべゆっくりお茶を飲む。いつもだったらそうゆっくりもしてられないのだけど今日は休みだ。あーこの解放感・・。 一通り家事をやった後、ソファに寝転がって本を読む。
・・・・
はっとして目を開けると、すでに時計は11時をまわってお昼近くになっていた。いつのまにか眠っていた。せっかくの休日だというのに・・。 相変わらず外はどんよりと曇って、小雨がしょぼしょぼと降っている。
できることならずっと家にこもっていたい気分だったのだけど、どうしても今日中にすませなきゃいけない用事があって、仕方なく出かける。
用事をすませ、夕ご飯の材料を買ってまたうちに戻る。 外は相変わらず暗くて、空気中にただよう水分がじっとりと重い。
夕方のニュースをみていたら、オウム真理教の元教団代表である松本智津夫の裁判の論告求刑の様子が流れていた。どうやら死刑を求刑されたらしい。当たり前といえば当たり前の結果だと思ったけれど、当たり前の結果をだすのに7年という時間が必要だったということにあらためて驚く。 関わっている事件の多さや、事件の性質などを考えると当然のことなのかもしれない。事件ひとつひとつを解明していくことを考えれば、膨大な時間がかかるのは仕方ないことなのだろう。松本智津夫が関わった犯罪はそれだけの重さを持っている。 7年かけて一審の求刑、そして一審の判決が来春、そしてさらに高等裁、最高裁・・・。まだまだ長くこの裁判は続いていく。 でも、もしわたしの家族が事件の被害者だったとしたら、わたしはそんなにも長く待つことができるだろうか。きちんとした結果が得られないまま、苦しみだけをひきずって時間の経過を待つことに耐えられるだろうか。 外のどんよりした空と同じように、心が暗くなる。
どれだけ時間がかかったとしても、犯罪の動機や事件の内容が明らかになればそれなりの意味があるだろう。でも松本智津夫は5年以上黙秘を続けているし、なぜ被害者は殺されなければならなかったのかといった、最も重要なことはほとんど解明されていない。
生まれたときはみんな赤ん坊で、真っ白だ。でも育つにしたがっていろんな人間になっていく。松本智津夫も最初は真っ白な人間であったはずなのに、今は犯罪者だ。どこかで何かか彼を止めるべきだったのに、誰も彼を止めようとしなかった。
何が松本智津夫をここまでの犯罪に関わらせたのか、何が彼をここまで暴走させたのか、長い長い時間の中で、少しでも解明されることを願わずにはいられない。殺されてしまった声なき人のためにも。
そんな感じでニュースを見ながらずっと考え事をしていた。 帰ってきたコドモに、「母さんなんだか怖い顔してるよ」と言われてしまう。
夕食を作り、帰ってきた連れ合いと一緒に食べる。 オウム事件のことが頭にあったせいか、いつもと同じように食事しているのになんだかそれがとても特別なように感じられた。 いつ、その当たり前の風景がこなごなに壊されてしまうか、誰にもわからない。 私たちはそういう世界で生きているんだと、漠然と感じた。
2003年04月23日(水) |
「カスターブリッジの市長」 |
「カスターブリッジの市長」読了。 昔の話(19世紀半ば)の話なので、いささか古臭く感じるところもあるのだけど、結構良い小説だった。
激情にかられたあげく、妻を競りにかけて売り飛ばしてしまったヘンチャードという男の、その後の人間的再生と破滅の生涯というのがこの小説の大まかなあらすじ。 ヘンチャードは、自分なりに人生を良くしようと頑張っているのだけど行動は短絡的で、自己中心的なものの見方しかできない。そして運命も悉く彼を裏切っていく。ヘンチャードは自分を良い方向へ導きたいともがきながらもどんどん破滅していく。
面白いなと思ったのは、「性格とは運命である」というノヴァーリス(ドイツのロマン派の詩人)の言葉を引用しながら、運命とは必然なのか偶然なのか、つまり人間の人生はいったい何に左右されていくものなのかということを、読み手に対して問いかけているところ。 なかなか読み応えがあった。
トマス・ハーディの小説は今日ではオールド・ファッションなのかもしれない。都会的ではないし、小さな小さなコミュニティにこだわっている。でも、わたしはそういう小説が結構好きだ。舞台となる土地の匂いや空気や肌触りが感じられるような、そんな小説。
また機会があればほかの著作(「テス」や「日陰者ジュード」などなど)も読んでみたいと思う。
今日はいろんなことを考えた日だったので、きちんと言葉にして残しておこうと思う。
昨日、BSで「サイモン・バーチ」という映画がやっていた。 この映画はJ・アーヴィングの「オウエンのために祈りを」という小説を原作にして作られたもので、小人病という障害を背負って生まれてきた一人の男の子の短い一生とその存在意義を深く問いかけた映画である。
ずいぶん前にその映画を連れ合いと一緒に観た、そのときの話。 連れ合いは映画が進むにつれ、顔をしかめるようになり、映画の半ばあたりでもう見ていられないといって結局見るのをやめてしまった。 なんで見ていられなかったの?と後できくと連れ合いの言い分はこうだった。 「(主人公の一生が)悲惨すぎる」 「救いがない」 etc・・・ 連れ合いにはこういうところがあって、たとえば子供の虐待事件のニュースなんかは見ようとしないし、悲惨な映像なんかが流れると見るのを止めてしまう。わたしは連れ合いのそういうところは一種の弱さだと思っていた。 で、今日。 少し前から田口ランディさんのHPを見ていて、今日も何気なくコラムを読んでいたら、前述したわたしと連れ合いのやりとりに関係があるようなことが書いてあった。 要約するのが苦手なのでうまく書けないのだけど、ランディさんは悲惨な事件、正視にたえないような映像などに対して自分はいつも身構えてしまう、というようなことを書かれていた。それを見ることによって自分が深く傷ついてしまうこと、それは自分の弱さでもあるということ、など。 でも一方でこうも書かれていた。映像というものは一方的なメッセージであるということ。そして、社会的な影響力や役目とは別の次元で、映像は個人の心に精神的な介入をしていると。
映像はしばしば一方的なメッセージを伝えようとする。そしてそれは人を深く傷つけたりもするし、歪んだイメージを植えつけたりもする。映像は見る人によっていろんな感情を起こさせるものであって、その情報量というか伝達力というものは完全ではないのかもしれない、そんなことを思った。
考えすぎて訳のわからない文章になってしまったけど、今日は一日中そんなことを考えながら過ごした。
久しぶりに一人の休日。 何をしようか考えた結果、映画を観にいくことにした。 「ボウリング・フォー・コロンバイン」 電車に乗ってN駅前の映画館へ行く。 上映時間までまだ間があったので、デパ地下にいって(デパ地下かなり好きなのです)お昼ごはんになりそうなものを買う。高菜のお握りと金平ゴボウのお握り、サーモンとクリームチーズのベーグルサンドなどなど。
上映時間の15分前に映画館に戻ってチケットを買う。 この某劇場は単館系の映画のみを上映する小さい劇場なので、普段あまり人がいないところなのだけど今日はレディスデーというのもあって結構人が並んでいた。おもしろいなと思ったのはレディースデーなのに結構男の人がいたこと。そしてほとんどの人が連れなしでひとりで観にきていること。特に女の人はちょっと変わった雰囲気の人が多くて、ひそかに面白かった。とそこで思ったのだけど、わたしが変わった人が多いなと思っているのと同時に、わたしも他の人から変わった人だと見られているんだよな・・まあいいけど。 と、そんなことを考えながら上映までの時間、(買ってきたお握りなどを食べながら)過ごした。
で、映画の話。 すごく見ごたえのある内容だった。 なぜアメリカの銃による殺傷事件が世界の各国の中で桁外れに多いのか、なぜ十代の子どもが合法的に銃を所持することができるのか、なぜアメリカ人は銃を所持することに異常に執着するのか、そういった疑問をすごくストレートに率直に投げかけていた。そしてマイケル・ムーア。この人はほんとうにすごいと思った。 映画の随所にいろんな人にインタビューしている場面がでてくるのだけど、みんなカメラがまわっているのを意識していないかのように本音を露呈している。正直な人は正直な言葉を、不正直な人は不正直な言葉を、マイケル・ムーアはそういう人の内面をうまくひきだしていた。それは技術的なものではなく、本人が持っている生来の才能なのかもしれない。まっすぐ人を見る視線や、人を警戒させない雰囲気など、そういうものを感じているうちに人は、自分というものを彼にすっかり見せてしまうのだと思う。
このドキュメンタリーを観て宮台真治という人が言った言葉が結構印象に残っている。 笑い(ユーモア)は人を思考停止に導かない。代わりに笑いを惹起する構造に人の目を向けさせる。笑いは、感情は感情でも、有効な思考の入り口となりうる。 そうだよな、とすごく納得した。だからこの映画は多くの人に受け入れられたのだと思う。そういうことをごく当たり前のようにやってのけるマイケル・ムーアのことをあらためてすごい人だと思った。
そんな感じで深く考えさせられる映画だった。
映画を観た後、いろいろ考え事をしながらぶらぶらと歩いた。映画のことを考え、歩いている人をぼんやり眺め、ただ歩いた。すごく良い時間だった。
しばらくそんな風に歩いたあと、久しぶりに大きな書店にいって本を買った。 イーサン・ケイニンの「宮殿泥棒」、村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」、R・カーヴァーの「ささやかだけど、役に立つこと」、そして、コドモへのプレゼントに「世界の歴史人物辞典」「世界の歴史年表辞典」(歴史が好きなので)手が重くなって大変だったけど、すごく小確幸的な気分だった。良い一日だった。
5時50分起床。
朝ごはんを作る。 朝ごはんをたべる。 6時30分。連れ合い、学校へ行く。 7時30分。コドモ、学校へ行く。 新聞を読む。 歯を磨く。 髪の毛をとかす。 8時15分。仕事へいく。
12時45分。仕事終わる。 自宅に戻って昼ごはんをたべる(蕎麦) 車に乗って出かける。 髪を切りにいく。 短めに切ってもらう。 4200円払う。
歯医者に行く。(勤め先とはちがうところ) ムシバを2本削って、CR充填してもらう。 下顎の歯石をとってもらう。 3330円払う。
スーパーマーケットへいく。 ハッシュドビーフの材料を買う。 苺とキーウィも買う。 1030円払う。
5時10分。帰宅。 洗濯物たたむ。 洗濯物しまう。 本を読む。 お茶をいれて飲む。
6時15分。コドモ帰宅。 学校のこと、あれこれ話すのを聞く。 (あーつかれた中学生ってやっぱりたいへんだねかあさん部活もやらなきゃいけないしさ帰るのは遅いしさあっそーいえば今日くろぺりんだかくれぺろんだかいうテストやったよあれっていったい何のテストなんだろうねたしざんとかひきざんとかをいっぱいやる検査なんだけどかあさんしってる?・・・)
夕ごはん、作る。 7時00分。 夕ごはんたべる。 コドモ、宿題をしながら野球とサッカーを交互にせわしく観る。 巨人が負けてコドモ項垂れる。
9時30分。 コドモ、明日の準備をする。 コドモ、おふろに入る。 コドモ、おふろから上がる。 歯磨きし、ドライヤーで髪を乾かす。 コドモ、10時25分就寝。
10時30分。なかなか帰ってこない連れ合いに電話する。 (まだ学校にいる疲れた早く帰りたい腹減った・・) 本を読む。 おなかがすいたので冷蔵庫を物色する。 冷凍庫に入っているアイスクリームを食べようか食べまいかしばらく悩む。 歯がちくちく痛むのでアイスクリームはあきらめる。 キーウィを一つたべる。 お茶を飲む。 本を読む。
11時15分。コンタクトレンズをはずす。 ふと思いついてひさしぶりにピアスをつけてみる。 5分後、猛烈にみみたぶがあかく&かゆくなってきたのであわててはずす。 動揺しながらマキロンでみみたぶを消毒する。 おふろに入る。 おふろからあがる。 オレンジジュースを飲む。 髪をかわかす。 パソコンの電源を入れる。 日記のぺエジを開く。 どうでもいいよなことをだらだら書く。
以下予定。 パソコンの電源を切る。 布団に入る。 寝る。 熟睡中、連れ合いが帰宅する。 気づかずに朝まで爆睡する。 (あくまで予定)
以上、今日一日でした。
流行性耳下腺炎、ひらたくいうとおたふくかぜ。 おたふくかぜ、である。それも入学式の前日に。
昨日の夕方、買い物から帰ってきて夕飯をつくっていたら、コドモが歯が痛いと言ってきた。口を開けさせてみてみると、別に虫歯らしきものはない。 おかしいな、と思ってコドモの顔を正面からみてみると、微妙に左側が脹れている。風邪ひいてリンパ腺が脹れているのかも、そのときはそう思った。医者に診てもらった方がいいかな、薬飲ませて様子みようかなと考えていたら、ふとオソロシイ考えが頭をよぎった。おたふくかぜかも・・・。 夕飯の用意はうっちゃって、すぐかかりつけの病院に行った。 病院は思ったよりすいていて、すぐ先生に診てもらう事ができた。 「どうですか・・先生」とわたし。 「おたふくかぜですね。間違いなく」と先生。 「・・・・・・・・・」
おたふくかぜは一応、伝染性疾患の一つなので罹患すると学校及び職場など、公共の場にでることはいっさい禁止される。伝染の恐れはなくなった、と医師が判断するまで出席停止、それも少なくとも1週間以上・・。
「あのー明日は中学の入学式なのですけど、もちろんだめ、ですよね・・」とわたし。 「はい。もちろんだめです。かわいそうだけど」と先生。
コドモは、訳がわからない様子だったのだけど、病気が原因で明日の入学式にでられないというのは何となく理解したみたいで、かなりショックを受けてる様子だった。病院から戻ると、ショックからかおたふく風邪ウイルスが猛威を奮い始めたのか(たぶん両方)熱が一気に39度近くまで上がって、寝こんでしまった。
そして今日。結局、一人で入学式にいってきた。 どのみち、教科書とかいろいろなものをもらいにいかなければいけなかったし、休む間どんなスケジュールになっているのか、それをどうやって補てんするのかということを担任の先生に聞いてこなければいけなかった。それに入学式や友達の様子、担任の先生の話などをビデオカメラに撮って、出られないコドモにみせてやりたかったのだ。 ものすごい雨風の吹く中、ビデオカメラで一部始終を撮り、先生の話をメモし、重たい教科書をよろよろしながら持って帰った。正直にいって、かなりブルーな入学式だった。 コドモは相変わらず熱が高いものの、撮ってきたビデオを見たがったり、新しい教科書を開いたりして、それなりに中学に入学したという雰囲気を感じているみたいだった。
それにしても、なんで入学式の前日におたふくかぜなんかにかからなきゃいけないんだろ・・・。これも親であるわたしの不徳のなせるわざなのだろうか。 溜息、である。
今朝、新日曜美術館を見ていたら、京都の建仁寺の天井画のことが特集としてとりあげられていた。 この天井画のことは去年の秋から知っていた。去年の秋にNHKのETVかトップランナーで特集されているのを見たのだ。そのときからこの天井画と、それを描いた小泉淳作という画家に非常にひかれている。 小泉淳作という人は、画家を志してから77歳になる現在まで、どんな美術団体にも属さず画壇とは一線をひいてきたという珍しい方である。そしてほかではちょっと見られないくらい素敵な人でもある。 普通、年のいった人は年がいったなりの雰囲気というものを身にまとっていて、たいていの場合それは居丈高な態度であったり、慇懃な物言いであったりするわけだけど、小泉淳作さんにはそれがまったくない。(わたしは常々おもうのだけど、どうして年をとっているというだけで人はあんなに偉そうにするのだろうか?)体は年老いていても、中身は何というかすごくニュートラルなのだ。それは目を見るとよくわかる。小泉さんが対象をみるときの目というのは、とても透明なのだ。すごく透明な目で対象を見る。そして、その透明な目で対象の持つ本来の姿を鮮やかに写し取る。
小泉さんが番組の中で言っていたことで、すごく印象に残っている言葉がある。 「どこかで自分を許す境界線みたいなものがある。どこで自分を許すか、それをどこに定めるか、そんなことを考えながら描いている」 はっきりとは覚えていないけど、こういうような意味の事を言われたと記憶している。 小泉さんは、創作の過程の中でどこまで手を入れていいのか、どこで終わりにするのかどこまでが自分のものなのか、いつそれを手放すかということを常に自問自答している、という意味でいわれたと思うのだけど、わたしにもその言葉は結構重く響いた。 例えば自分が到達したいと思っている場所があるとする。 でもその場所ははっきりとは見えない。どれくらいその場所に近づいたか、あとどれくらいで手が届くのかわからない。それでも自分は持てるだけの力をふりしぼって、それに近づこうとする。そのうち、どこまでいっても終わりというものがないということを悟る。どこかで自分を許すというのは、そういうことじゃないかと思う。
書いてて自分でも訳がわからなくなってしまったけど、そんなようなことを番組が終わってからもぼんやりと考えていた。
今度京都へいくときは、建仁寺の双龍図、ぜひ見に行こうと思っている。
机や本棚を整理していたら、かなり前に自分が書いたメモや日記みたいなものがでてきた。ちょうど5〜10年くらい前のもの。本から抜き出した一節や、日常のこまごました覚え書きなどが書いてある。 例えばこんなこと。 「自分が自分自身であり他の誰でもないことにむしろ安らぎを感じ、満足していた」 アンダーラインが強くひいてある。その言葉は当時のわたしにとって、すごく意味のある言葉だったのだろう、たぶん。
そのほかにもいろいろなことが書いてあった。細かい事をこまごま書いているときもあれば、ひとこと、(太字で濃く)「最低だ」と書かれているのもあった。今となっては何が最低だったのか知るすべもないけれど、いろんなことを考えながら日々を送っていたんだなぁと、少し感慨深かった。
今から10年後の自分はどんな気持ちで今のわたしを振りかえるんだろうか。 たのしみなような、ちょっと怖い気もするような。
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