Opportunity knocks
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昨日日記にあまりにもナサケナイことを書いたのでかるく自己嫌悪に陥っている。(書いたあとすぐ消した) やっぱりなにかものを書くというのはいろんな感情がきちんと収束した後でないとだめなのかもしれない。 書くことと私的な感情を吐き出すことは違うし、そういうエゴのかたまりみたいな文章を書くためにweb日記をつけているわけじゃないのだから。 というかあんなことくらいで素直に腹をたててしまう自分が嫌。
今日も野菜をいっぱいたべた。 ルッコラ、エンダイブ、水菜、コスレタス、レッドビートなどなどを混ぜた葉っぱ類に、山芋とアボガドと鮪の角切りをのっけてオリーブオイルと塩と黒胡椒をぱらぱらふりかけたサラダ。おいしかった。
今日は図書館にいこうと思いながら結局どこにも行かず、家にとじこもって本読みに没頭していた。何を読んでいたのかというと、J・アーヴィングの「サイダーハウス・ルール」 とにかく長い小説なので、最初読んだ時はだらだら長い部分を割愛しながら読んだのだけど、今日はそういった一見無意味そうなだらだらした部分を集中して丁寧に読んだ。セント・クラウズの駅長の死に至るまでの成り行きや、ドクター・ラーチの医学生時代のエピソードや、脇役たちの細かな人物描写など。
言葉と肉体が近い文章。メロニィが廃屋を破壊する場面なんか特にそう思う。自分の中のメロニィ的な暴力性がひきだされ、思わず鼓動が高まってしまうようなそんな文章。アーヴィングの文章にはそういう抗い難い力があると思う。
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現在AM2時45分・・ パソコンおとしてさあ寝ようかと思ったらBSで「赤鬼」の日本バージョンがやっていたのでついみてしまった。なんといっても隠れ大倉孝二ファンだし。
限られた空間と限られたキャストだけで劇を作ってしまうところなんかすごいなあと思った。ひとりが何役もこなし、台詞の数もかなりのもの。作るのもさることながらこれを演じるのもかなりのものではないかと思う。まじかで自分の目でみたかったなあ。小西真奈美さんもすごく良かった。もちろん野田秀樹氏と大倉孝二さんも。もうひとつのロンドンバージョンも続いて放送されるみたいだけど、それをみていたら夜が明けそうなのでそろそろ眠ることにする。 というか明日ちゃんと仕事できるんだろうか。いささか心配。
連れ合いは明日から1泊2日で出張。どこへいくかというと博多。 そのあと一日あけて今度は東京と米沢へまたまた出張(2泊3日)。 ああたいへんだたいへんだというわりにはなんだかたのしそうな様子。 わたしはというと、しばらく家が静かになるなあと○○しいキモチ。
明日は久しぶりに図書館でもいこうかなあ。
2005年03月25日(金) |
またまた買い物で悩む |
綺麗な色のシャツを見つけたのだけど、試着したらサイズが合わなくてまたまた小1時間くらい悩んでしまった。 腰まわりとかは2でぴったりなのだけど、胸及び背中及び肩及び二の腕が苦しい。で、サイズを1つあげて3にすると、肩や背中はぴったりになるのだけど、着丈がこころもち長くなってウエストのあたりがなんだかぱかぱかする。 ダイエットに精を出せば2でもいけるような気もするが、ダイエットに成功するかが問題。2にするべきか3にするべきか。 こういうとき、裁縫ができたらなあと思う。洋服とか自分で手作りできたらこんなふうにサイズで迷うことなく、自分の体にいちばん合う洋服が着られるのに。 まあしょせんそれはかなわぬ夢。
結局、3に決めたのだけどそのサイズだと取り寄せになるとのこと。 来週の木曜日以降に入荷予定。とってもたのしみ。
友達とお昼ごはん。パスタとおさらにいっぱいの野菜サラダ。 茹でたいんげんが春っぽくてとてもおいしかった。 野菜がおいしく感じられるのって良いことだ。
「情熱大陸」に角田光代さんがでていたので見てみた。 彼女の中性的な視点が前々からすきだったけれど、番組をみてもっと好きになった。 自分と周りとの境界線がだんだんぼやけて次第にそこに同化していく、とけこんでいく、自分が空っぽになる感覚、そういうものをひとり旅をしながら、あるいは日々の日常の中で時折感じるのだと角田さんは言っていた。 いろんなものを持たざるをえない生活を日々送っているからこそ、そういう感覚が必要なのだと。 とてもよくわかる気がした。とても。
コドモの昼食を届けに(隣の市へ部活の試合にいった)いきがてら、天気が良いので佐布里池によって梅見。 とても良い匂い。白梅と紅梅、どちらもそれなりの良さがあって甲乙つけがたし。紅梅は色気のある匂い。奥が深くてすいこまれそうなそういう危うさがあり、逆に白梅はなにをも寄せ付けないような気品がある。ひとりでぶらぶらしながら、そんな梅の木をひとつひとつ見て歩いた。 うららかなという言葉がぴったりな午後だった。
連れ合いの実家によって今年いちばんに咲いた白椿をもらってきた。 やわらかくて混じりけのない白。とてもきれい。
「トニー滝谷」 孤独というものについて考えた。 ひとりでいること。ひとりに慣れるということ。 嵐の夜に狭い部屋にうずくまってぼんやり風の音を聴いているようなそんな孤独について。 それは本人が望むと望まざるとにかかわらずそこにただあるのかもしれない。
宮沢りえがとてもよかった。交差点の信号待ちで返したばかりの洋服のことを考える彼女。高価な洋服にかこまれて思わず泣いてしまう彼女。彼女にも彼女なりの孤独というものを持っていて、それはトニー滝谷が持っていた孤独と同じように彼女だけが感じることのできる孤独であり、彼女が考えなければならない孤独だったのだろうとおもう。 そういう他者が踏み込むことのできない見えない壁みたいなものを、とてもよく演じていたとおもう。映画を観ていることを忘れてしまうくらい自然だった。
イッセー尾形は、どうなんだろう。わたしとしてはけっこうイメージができてしまっている俳優なので、小説の中のトニー滝谷が重なるまで時間がかかったような気がする。 でも、トニー滝谷を(トニー滝谷の空気ごと)演じるというのはかなり難しいことなんだろうとはおもう。
ラストについては、まあそれもまた良いのではという感じかな。 でもどちらを選ぶと聞かれればわたしは小説の方の終わり方を選ぶだろうな。
朝。新聞を読んでいたらこんな記事がのっていた。 「飛騨国際メルヘンアニメ映像祭2005開幕」 上映作品の中には前からみたいと切望している「木を植えた男」があった。 観にいきたい…けれど、飛騨高山までどうやってもいけるはずもなく。 ほかにも、「チェブラーシカ」や「クラック」「霧につつまれたハリネズミ」「長靴をはいた猫」「どうぶつ宝島」などなど目をひくものが結構あった。 高山かあ・・・とおい。
午後。久しぶりに髪をカットしにいく。 担当の美容師さんはとても感じのよい方(センスもいい)で、いろんなことを話しながら時間をかけて髪を切ってもらった。何年かぶりに前髪を切った(つくった)のでけっこう雰囲気がかわった気がする。可愛い感じになりましたね、と笑顔の美容師さん。うーん、この歳で可愛いという雰囲気がはたしてゆるされるものかという懸念はあるが、とても良い感じになったのでいいことにした。
夜。連れ合いが10時過ぎに帰って来る。 100回くらい洗濯したTシャツみたいによれよれになっている。 開口いちばん、「ねえ、ちょっときいてくれよおー」 学校のことやら、同僚の先生のことやら生徒のことやらを一気に話す。 それをいちいちふんふんと頷きながらきくわたし。 でもそういうのってフツー逆なんじゃないのかな。 おくさんがだんなさんに「ねぇあなた、ちょっと聞いてよ!、となりのおくさんがこうでああでこんなふうなのよ、おかしいとおもうでしょ?・・・ね、ちょっと、あなた、きいてるの!?」とか。 まあ、ちょっときいてくれよおーのまえに、「あれ、美容院にいった?」と気付いた様子だったので、ゆるしてあげることにする。
連れ合いの話を片耳でききながら、テレビでやっていたNHKスペシャルをみる。 シルクロードをテーマにした曲(音)作りについての番組。みながらやっぱりヨーヨー・マってすごいなあと思う。東西の楽器が奏でる音(ハープからシタール、篳篥に至るまで)をそれぞれの音を際立たせながらひとつの音楽にしてしまう。それも、シルクロードを想起させる音楽。 これから先、たぶんいくことはないであろう景色を想像しながら、思いを馳せながら音楽に耳を傾けた。とても素敵な音だった。
明日はやっと「トニー滝谷」を観に行く予定。 事前に本を読み返そうか迷った(前に読んでからかなり時間がたっている)のだけど、結局読まずに観ることにした。とてもたのしみ。
フランソワ・オゾン 「スイミング・プール」 はっきりいってとてもすきです、こういう映画。 まえみた「8人の女たち」もこんな雰囲気だったけど、ひとつの限られた空間で何かが起ころうとしているというシチュエーションがかなり好き。
映像は淡々と進んでいくのだけど、主人公の情念や頭の中でぐるぐると渦まいているものが先にいくにしたがってひしひしと感じられるようになる。 映像のクールさとそういう目に見えない感情の熱さのアンバランスさがとても良いなとおもった。 あと、作家というか小説家がどうやってインスピレーションを得て文章をおこしていくのか、何によってそういう衝動がかきたてられるのか、そんなことが主人公をみていて少しわかったような気がした。そんな気持ちの推移を主人公を演じていた女優(なまえをわすれた)はとてもうまく演じていたとおもう。とても良い映画だった。
2005年03月12日(土) |
二度とタバコは吸いませんとか二度と酒は飲みませんとか |
そんなことをいうくらいならなんで最初からそうしないんだといいたい。 それに、たばこを吸ったりお酒を飲んだりしている人はみんな高校生の身分でパチンコ店に入り浸ったり、路上で女性に対してわいせつな行為をしたりしてるのか? タバコを吸うことや酒を飲むことが悪いんじゃなくて、それはその人が持っている人格的な問題じゃないの?
二度と吸いません、飲みません、なんて空虚な言葉はなんの意味もないとおもう。
BSで「ドライビング・ミス・デイジー」 とても好きな映画。
あなたはいちばんの友達だったわ、とデイジーがホークの手を握る場面が印象に残っている。 そんなふうにいえる誰かがいるということはとても幸せなことなんじゃないかな。
今週に入ってかなりあたたかくなった。 空気の質や光の感じや匂いや、いろんなものが変わり始めている。 そんな早春の時期がとても好き。
連れ合いと口げんか。 けんかの原因は長年お互いが指摘していながら決着のつかないこと。 が、しょせん、口から先に生まれてきた人間に太刀打ちできるはずもなく。
けんかをするとわたしの場合掃除をはじめる。 怒りのエネルギーを掃除という行為に転換するというわけ。 そうすればけんかという不毛な出来事に少なくもひとつは利点があるということになる。
そういうことで、洗面台とオフロとトイレが異常にきれいになった。
仕事帰りの午後、馬頭琴奏者岡林立哉さんの演奏を聴きにいってきた。 演奏といってもライブみたいな雰囲気ではなくて、NPOの団体が国際文化交流の一環として年に4,5回企画されている講座みたいなもの。岡林さんはモンゴルの民間大使の要請で今回講師兼演奏者としてきてくださったらしい。
前半はモンゴルのお話を聴いたり、モンゴルから岡林さんが持ってきてくださったお茶(磚茶←ダンチャ、緑茶や紅茶プーアール茶等の茶葉を蒸して圧力を加えた後レンガ上に固めて乾燥させてつくったお茶。使うときはナイフで削って使う)を飲んだり、モンゴルのお菓子(ボーブ)を食べたりした。お茶はモンゴル語でスーテーツァイというのだけど、味は紅茶に牛乳と塩を入れた感じを想像していただければいいと思う。牛乳がにがてなので全部は飲めなかったけど思ったよりまずくはなかった。モンゴルの風土と習慣に合ったお茶だと岡林さんは話されていたけど、たぶん現地で飲むと何倍もおいしく感じられるんじゃないかとおもう。お菓子もけっこうおいしかった。
後半は岡林さんの演奏。 馬頭琴の演奏というものを初めて聴いたのだけど、想像していた感じの音とかなり違っていた。どんな感じを想像していたかというと、もっと湿り気のある民族調のもの。で、実際はどうだったかというと、(これがちょっと言葉にするのがなかなか難しい)何と言うか、聴いていていちばん思ったのは自由な音だなあということ。何にも依存していないというか、自然に存在する音、例えば風とか水とか土とかが発するような音にとても似ているということ。 音楽ってもちろんもともと誰かに聴かせるために存在しているものだけど、わたしはあまりそういう意識が前面にでてくるような音楽(さあ聴いてください!みたいな押し付けがましい音楽)が好きではなくて、もっと自立した音というか、自己完結しているような音楽が好きなわけで、そういう意味で岡林さんの弾く馬頭琴の音は、(わたしにとっては良い意味で)距離感みたいなものを感じさせる演奏だったようにおもう。(スミマセン、わかりにくい文章で)
そして何曲かの演奏の後、ホーミーを聴いた。 ホーミーというのはモンゴルに伝統的に伝わっている歌唱法で、一人の人間が1度に2音の音を出しながら歌うというもの。低く唸るような音と同時に、フルートか横笛のような高音の音が(しかもきちんと音階がある)きこえてくる。日本人はもちろんモンゴルでもごく少数の人しか歌うことができない歌唱法で、そばで(かなり近距離、2,3メートルくらい)聴いていても、どうしてそんな音がだせるのか、まったくわからなかった。 たぶんほんとうに実際きいた人でないとこの感じはわからないんじゃないかとおもう。生まれて初めて聴いた音。かなり衝撃的な音だった。ひとつ言えるのはかなりの可能性で病みつきになるということ。今もその音の余韻が残っている。
実は岡林さんはさとりさんのお友達(なおかつ馬頭琴の先生)で、今日の講座もさとりさんから岡林さんのライブ情報をきいて前から申し込んでいた。 さとりさんが勧めてくださらなかったら、たぶんこんなふうに馬頭琴やホーミーを聴きにいくようなことはなかったと思う。 ということで心からさとりさんに感謝。
岡林さんは現在EU諸国に演奏旅行に出かけていて、5月には帰国予定とのこと。帰国後、愛知万博で演奏されるということで、今度は東京から来られるさとりさんと一緒に演奏を聴きに行く予定。とてもたのしみにしている。
岡林さんのHPです 旅日記なども更新されているので興味のある方はぜひどうぞ。
しゅんしゅんと薬缶が湯気をたてている音がきこえている。 あとは、時計の秒針の音、ストーブの火が燃える音、そしてパソコンの低くて無機質な音。 誰もいない部屋にひとり、そんな音に囲まれている。 そして、じっとそんな音を聴いていると、世の中には時計の秒針や薬缶の湯気の音やパソコンの音しか存在してないのじゃないかという気になってくる。
胃腸炎になったらしくて、ここ1週間くらいずっとおなかが痛い。 ひどい。インフルエンザで苦しんで、やっと治ったと思ったら今度は胃腸炎。 ひどい。
今朝は息が白くてとても冷えこんでいた。 来週は天気予報どおりにあたたかくなるだろうか。
ほんとうはすこし書きたいことがあってさっきからこつこつと書いていたのだけど、あまりの眠さに文章のまとまりがなくなってとうとう白旗。 また機会をみて書けたら書こうとおもう。
髪がかなり伸びている。肩甲骨の先くらい。 ここ10年くらいの間でいちばん長いんじゃないかな。 このまま伸ばそうかなとおもうのと、(宮沢りえのあまりにかわいさに)ベリー・ショートにしたいとおもうのと、ただいま迷い中。 あのね、髪の毛を宮沢りえにしたって宮沢りえみたいになれるわけじゃないんだから。というもっともな声は無視しつつ。 あともう4、5k体重を落とせたら決行しようとおもう今日この頃。
2005年03月01日(火) |
Carpe Diem |
BSで「Dead Poet Society」
最後、机にあがった男子たちがキーティングを見送る場面とイーサンホークが雪景色をみながら「So beautiful」とつぶやく場面がすき。 男の子って純粋だなあと思う。(そうじゃない男子ももちろんいるが)
年をとるにつれて、先をみる習慣がどんどん根付いているような気がする。 ちょっと前までは、今しかない一瞬というものをもっと信じていた気がするのだけど。
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