Opportunity knocks
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一昨日、久しぶりにコーヒー(カフェインレスでないもの)を飲んだ。 カフェインアレルギーなので、コーヒーとか紅茶とか緑茶とかはいつもほとんど飲まないのだけど、そのときは連れが頼んだコーヒーがとてもおいしそうだったので、つられてつい飲んでしまった。
飲んだ当日は別に何ともなくて、ん?カフェインアレルギーいつのまにか治ったのかな、と今朝も貰い物のドリップコーヒーを淹れて飲んだりしていたのだけど、夕方になって猛烈に胃が痛くなってきた。 思うに、カフェインをとると自律神経系が過剰になる体質なのだと思う。 呼吸が浅くなったり、めまいがしたり、頭痛がしたり。 胃が痛くなるのもきっと胃酸とかの分泌が過剰になったりするのが原因かもしれない。
それにしても痛い。 漢方の胃腸薬を飲んで、それでもおさまらないので2時間ほどまえにガスターを飲んだ。今もまだちょっと痛くてなかなか眠れない。 眠い→胃が痛い→眠れない→でも眠い。
しばらく、コーヒーはみたくない感じ。
何も感じない男がいた。 男は物心がついたときから感情というものがよくわからなかった。 笑ったり、怒ったり、悲しんだり、という普通の人間が当たり前に感じる気持ちがよく理解できなかった。 男の周囲の人間はよく笑い、よく怒り、よく悲しんでいるようだった。男は自分が他の人々と違うことはわかっていたが、そのことについても格別の思いはなかった。
男は大きくなるにつれ、模倣することを覚えた。楽しいふり、悲しいふり、怒ったふり、悔しいふり、そんなふりさえしていれば誰も男のことを不審には思わなかった。無口を心配していた男の両親もほっと胸をなでおろした。なんだ、この子はこんなにも喜怒哀楽を表現できる子供ではないか、心配することはないのだ、と。
男は常に模倣しながら生活していたため、いつしか模倣することが習慣になってしまった。男は普通に学校へ行き、大学に入り、恋人を作り、そして社会人となった。一見、男の人生は華やかで明るさに満ちているように見えた。生活は順調で何の問題もない。しかし相変わらず、男に感情というべきものはなかった。そして男には何の葛藤もなかった。
社会人になって6年目に男はある大病に罹った。 最初は体調が悪いと思う程度だったが、日を追うごとに男の具合は悪くなっていった。次第に体の自由が奪われていき、そのうち話すことも満足にできなくなった。それでも男はそんな自分の境遇を悲しんだりしたりはしなかった。もちろん体の痛みはしなやかな鞭のように彼を打った。空気を切り裂き、鋭い音をたてて幾度も打った。それでも彼はつらいとは思わなかった。 男は体力が衰えるにつれ、次第に模倣することをやめ、無感情であることを隠さなくなった。男は一日中、半覚醒のままぼんやりすることが多くなった。 胎児が母親の胎内で夢見るように、男は入れ代わり立ち代り現れるイメージに身を委ねた。 あらゆる音はひとつのやわらかな壁にへだてられ、間接的に響いた。 すべての意味は失われ、心地良い安心とどこまでも続く白い世界があった。 そうした状態を男ははじめて心地良い、と思うようになった。
男の意識は次第に小さくなっていき、最後には大地に吸い取られる雨水のように、消えてなくなった。
2005年08月29日(月) |
MY BIRTHDAY |
誕生日。 何人かの方に電話やメールをもらう。 やっぱり誕生日って良いなと思う。 自分が今まで生きてきて、いろんな人と関わってきて、 これからもずっとそれは続いていくのだと、 誕生日はそんなことをあらためて気付かせてくれる。
あと何年生きるのか、それは誰にもわからないけど いつか終わるそのときまで、丁寧にたのしく生きていきたい とそうおもった。
今日は1日中ずっと運動していた(試合だった)つかれた。 結果はというとそれはそれは惨憺たるものだったけど、次につながるものがあったからまあ、よしとする。
試合が終わってから、消費した分のカロリー補給ということでこんなところにいってきた→黒牛の里 かなりおいしかった。 でも、また今週からプールに精をださなきゃだな。いつものごとくカロリー補給しすぎ。
家に戻って着替えていたら、なにやら外からどんどん、というかぽんぽんという音がするのでベランダにでてみたら、対岸で花火がやっていた。
椅子を持っていってそこでしばらくぼんやり花火を見ていた。 花火の上がる音とか虫の声とか、あー良いなあなんて思いながら。 とてもとてもきれいだった。
夏ももう終わるなあ。
久しぶりのデート。イタメシいって、いろんなこと話して、 なんか海みにいきたいね、っていって、(台風接近中にも関わらず)セントレアとかいってきた。 飛行機が真上を飛んでいくのをぼんやりながめたり、スーツケースをひいて歩く旅行者を横目でみながら、 どこか遠くにいきたいね、ってひとりごとみたいに呟いたり。 といってもふたりで旅行なんて今の状況でいけるはずもないのだけど。
それでも、いつもとは違う空気をすってちょっと気分が変ったような気がした。 なかなか素敵な午後デートだった。
注)デートの相手は連れ合いです残念ながら。ほんと残念ながら。
今日は仕事でやなことがあったので、 いけないいけないとおもいつつ、
やけ食いした。
あーたべることで満足する自分がいや!ほんとにいや! たべたあとになってそのことに気付く自分はもっといや!
+ + + + + + + + +
きょうたべたぶんを教訓の意味もこめて書き残しておく。
クロワッサン1つ。 バナナ1本。 グレープフルーツジュースをコップに1杯。 アイス2つ。 お寿司1人前。 巨峰ひと房。 DORITOSひと袋。 茄子と鶏ひき肉の煮物。 鮪、サーモン、鯛の刺身。 おくらと長芋のポン酢あえ。 枝豆片手鍋一杯分。 ご飯2膳半。 ビール2本。 柿の種の柿をひと袋。 フランスパン1本。 プロセスチーズ手のひらにのるくらい。 昆布の佃煮入りおにぎり2個。 冷凍焼きおにぎり1個。 かきごおり1個。 バナナ1本。 ミスドのドーナツ3個。
仕事の帰り、近くのスーパーマーケットで買い物をしていたら、友達親子と遭遇。 「なおちゃんだー!」とかけよってくる友達子。幼稚園の年小さんでとてもかわゆい女の子。ちょうど野菜売り場にいてレタスかなんかを手にしてた時だった。
子(わたしの持っている野菜を横目でみつつ)「ねえねえなおちゃん、あおじるすき?」 N(イヤイヤをしながら)「あおじるー?だいっきらいー」 子「M子ちゃん(友達子は自分のことを名前で呼ぶ)ねーあおじるのんでるんだよおー」 N「あおじるのんでるんだー、えらいなあM子ちんは」 子(得意そうに)「うんおいしいよあおじるなおちゃんものむー?」 N(イヤイヤをしながら)「なおちゃんいらないいらない。なおちゃんはふつうのおやさいがいい」 子「M子ちゃんはねーふつうのおやさいきらい。まずいもん」 N「・・・なおちゃんはあおじるのほうがまずいとおもうよ、てかふつうそうだよ」 子「そーかなあ?」 N「そーだよ。」 子「なおちゃんにこんどあおじるのませてあげるね」(とニッコリ) N「おいおいだからなおちゃんはあおじるがだいっきらいってさっきからいっておるだろーが」 子「じゃあねえ、ばいばーい!またM子ちゃんちにあそびにきてねー!」
近々あおじるを飲まされそうな気配。やばい。
最近のコドモの読み物>石田衣良、谷村志穂、電車男。 読書男としての道を進んでいるのは良いが、その選択は微妙。 電車男に関してはかなり熱心に読んでいる様子…。 いいんだけどね、別に。電車男でも。電車男でも_| ̄|○
ちなみにハハはあきもせずこりもせずねじまき鳥を部分的に再読中。 読む物がないので明日は久しぶりに図書館にいく予定。 ねらっているのは堀江敏幸氏の新刊と高村薫(当然合田雄一郎目的)とR・カーヴァーの「大聖堂」(急に読みたくなった)その他いろいろ。 良い本に出会えるといいな。
今日は(越中八尾名物)玉天を3個、ゼリーを1個、かき氷を1個、最中を2個たべた。たべすぎだって、まじで。 罪悪感を払拭するためプールにいく。平泳ぎとクロールとばた足をおりまぜながら1時間ほど泳いだ。ちょっとすっきりしたかな。
富山から帰って以来、どうも胃が大きくなったような気がする。 それに加えて貰いもののお菓子が山ほど冷蔵庫に入ってたりするし。 今日は荻の月と若鮎と夕張メロンのゼリーを2個ずつとかき氷をひとつたべた。たべすぎ。 本格的にジム通いしよう、と弱々しく決意。がんばろ、とりあえず来週から。
マーク・フォスター「ネバーランド」
じわじわと気持ちがあたたかくなる映画。 気持ちの交流やお互いがお互いを受け入れることによって生れるイメージが、素晴らしい作品を作るインスピレーションになるのだなあとそんなことをおもった。
ジョニー・ディップ、かなり良かった。
ここ2、3日、戦争についての新聞記事や終戦に関するテレビ番組などを見ているのだけど、何となくこれでいいんかいなというようなことが書かれていたり放映されていたりして、戦争に対する意識というのが少しずつ変わってきているなということを感じた。わたしの友達の中にも、日本は戦後、米英から加害者的な意識を植えつけられ、ひたすら自省することを無意識のうちに強いられてきたという考え方の人がいて、太平洋戦争に関しても決して侵略戦争などではなく、諸外国の植民地支配からアジアを解放するための正しい戦争だったというようなことを言ったりする人がいる。最近では広島の原爆の記念碑に刻まれていた、二度と過ちを繰り返さないように、という文の中の「過ち」という部分を傷つけて読めなくしようとした男がいたけど、そういう偏ったナショナリストまでは行かなくとも、何で日本はそんなに自省しなきゃいけないんだ?というやや右寄りな疑問を持った人間は思ったより多いのではないかという気がする。 で、そういう人が戦時の言論統制や治安維持法、日本が他国で行った数々の軍事行動というか加虐をしっかり理解しているかというと、決してそうではなく、ようするに、何故日本ばかりが責められなければいけないのか、原爆という大量破壊兵器を使ったアメリカはどうなのか、自国民を守るために戦った人達(戦犯と呼ばれる上層部の人間も含まれるのか?)を否定していいのか、というような感情論みたいなものがそう言う人達の中心にはあるように思う。
身近な人、大切な人を守るために戦った人達のことを否定するつもりはないし、自分も同じ立場になれば同じように戦うと思う。だけど、そこに至るまでに、幼少から軍事的な思想を植えつけられ、考えることも異を唱えることもできずにただ操り人形のごとく戦争をやらされるのと、自分が自分の頭で判断し納得し、国のためでも天皇陛下のためでもなく、自分の大切な人たちのために戦うのとでは当然のごとく大きな違いがあると思う。
村上春樹氏の短編の中に「沈黙」という短編があるのだけど、あの中で書かれていた顔のない人たち、自分ではなにも生み出さず、何も理解していないくせに、口当たりの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中、が実はあの戦争を一生懸命やっていたような気がする。
彼らは間違った事をしているんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。自分が誰かを無意味に、決定的に傷つけているかもしれないなんていうことに思い当たりもしないような連中です。彼らはそういう自分達の行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任もとりやしないんです。本当に怖いのはそういう連中です。そして、僕が真夜中に夢をみるのもそういう連中の姿なんです。夢の中には沈黙しかないんです。そして夢の中に出て来る人々は顔というものを持たないんです。沈黙が冷たい水みたいになにもかもにどんどんしみこんでいくんです。そして沈黙の中でなにもかもがどろどろに溶けていくんです。そしてそんな中で僕が溶けていきながらどれだけ叫んでも、誰も聞いてはくれないんです。
歴史修正とか言われてるけど、何が正しくて何が正しくないか、南京大虐殺や731部隊の人体実験はあったのかそれともなかったのか、それをほんとうの意味で知ることはできない。過去に戻って事実を確かめることなんて誰にもできないのだから。でもだからこそ、今残っている書物や生き残った人達の言葉に耳を傾けて、何が正しいのかを自分で考えることが大切なんじゃないかな。
いろいろ書いたけど、一年に一度くらいはこういうことをこれからもきちんと考えていきたいなとおもう。二度と同じ過ちを繰り返さないように。
2005年08月14日(日) |
金沢にもいってきました |
お昼前に実家をでて、富山駅に向かう。 富山駅周辺でしばらく買い物をした後(かまぼことか笹すしとかホタルイカとか買った)サンダーバード(大阪行きの特急列車)に乗って金沢まで。
金沢に着くと、なんだかお祭りの最中らしくてかなり人が多かった。
これは金沢駅。かなりハイセンスな建物。
とりあえず市バスに乗って香林坊までいく。 ぶらぶら歩いていたら、石川近代文学館というところがあったので入ってみる。
古い建物特有の匂いと、しんとした静けさと、先人が残した文学の歴史を感じながら、ひとつひとつ見てまわった。とても良い時間だった。
文学館を出たあと、兼六園、片町などをみてまわり、いくつか買い物をして金沢駅に戻る。17;30のバスに乗って帰途につく。 帰りは予想通り名神高速で渋滞にはまって、名古屋着が大幅にずれこんだ。 家に帰ったのが12時近く。 お腹がすいたので、何かたべるものある?と連れ合いにきいたら、 コドモが作ったカレーがあるというのであたためてたべた。 買い物も自分でしたみたいでとても上手に作れていた。おいしかった。
おまけ。
富山、金沢で買ったもの。
2005年08月13日(土) |
富山いってきました。 |
朝、連れ合いに近くの駅まで送ってもらって、名古屋駅からしらさぎに乗る。 約4時間弱の道程。新幹線なら博多までいける時間。もうちとなんとかならんものか。 富山駅に着いてしばらくあたりをぶらぶら歩く。 土産物のお店なんかで懐かしいものをいっぱい発見。
これは入善西瓜。
これは細工かまぼこ。こんなの富山にしか絶対ない。
従姉妹が駅まで迎えにきてくれて、車で父親の実家まで。 目にうつる街並みとか、従姉妹が話すイントネーションとか、 ああ帰ってきたんだな、としみじみうれしくなる。
従姉妹と一緒に最近出来たという大きなショッピングセンターで買い物したりケーキをたべたり (巨峰と桃のタルトというのをたべた)ほかの親戚の家に挨拶しにいったりしたあと、夕方実家につく。 本当は富山市内にあらかじめホテルを予約しておいたのだけど、 従姉妹や叔母がぜひ泊まるようにといってくれたので、お世話になることにした。
この実家は従姉妹が5年くらい前に建てた家でまだ新築といっていいくらいなのだけど、 昔の民家を意識して作ってもらったとかで昔から住んでたみたいに居心地が良い。
できるだけ田舎の風景に沿うように、かつ快適に住めるようにと設計された家らしくて、そういうコンセプトが至るところに感じられた。 しばらく叔母や従姉妹とお茶を飲みながら話をした後、お墓参り。
畦道を歩きながらしばらく歩くとお墓がみえてくる。 お花とお線香をあげて手を合わせ、無事お参りをすませた。
墓参りの帰りに撮った写真。他の人がみたら何の変哲も無い田舎の風景だけど、 やっぱりわたしにとっては特別な風景。空気もひぐらしの鳴く声も水の流れる音も濃い緑も、間違いなくわたしの一部分なんだと、そうおもう。
夜は中学高校の時の友達と飲みにいった。 5年ぶりくらいに会ったのだけど、雰囲気はぜんぜん変らなくて、 でも懐かしくて、時間がたつのを忘れるほどよく話してよく飲んだ。
生け簀のある居酒屋だったので富山でしか食べられない新鮮な魚介類をいっぱいたべた。
おいしかったー。
実家に帰って従姉妹とまた飲みなおし。 昆布でまいたかまぼこやら昆布締めのヒラメの刺身やら、ばい貝の刺身やらさらにいっぱいたべた。 もうたべられない、もう飲めない、もう話せない、というところでやっと就寝。 仏間に布団を用意してもらって、鈴虫の声を遠くに聞きながらまたたくまに眠りにおちた。
明日から小移動というのにこんな時間までパソコンなど打ってたり。 しかも明日は5時起き。というか起きれるのか。 たぶん化粧も朝シャンもせずに飛び起きて寝癖ついたまま出掛けるんだろうなあ…。
ではでは明日から北陸方面にでかけてきます。 おいしーものいっぱいたべてこよっと。 いってきまーす。
朝からリフォーム業者が出入りしていたため、一日家で掃除したりアイロンかけたりベランダ掃除したり。 夏休みに突入した連れ合いがめずらしく料理担当で昼ご飯と夜ご飯を作ってくれた。
イタメシ屋でたべたライスコロッケがおいしかったので作ってみたそうな。 味はなかなかのもの。中身はご飯とイタリアンパセリとエリンギとベーコン。
これはカペリーニ。冷たいパスタ。これもなかなかおいしかった。
わたしよりなんでもうまくできる連れ合いなのです。肩身がせまい・・・。
2005年08月10日(水) |
Will you miss me? |
レベッカ・ブラウン 「体の贈り物」 主人公が、ある人の家を訪れるところから物語は始まるのだけど、 読み進めるにしたがってだんだんその訪れがどんな意味を持っているかということがわかってくる。
ぱっと読むと重いというか湿っぽい内容なのかと思ってしまうのだけどけっしてそうではなく、 贈るという行為の文章にするとどこかおしつけがましいニュアンスもない。 あるがままにストレートに書かれていて、それがかえって病む者とそうでない者、 死んでいく者と生き続ける者の気持ちの交差を浮きあがらせているとおもう。 読んで良かった、とそう思える本だった。
V・Eフランクル 「夜と霧」読了。 「冷静な心理学者の眼で見られた臨界状況における人間の姿の記録」、要約するのが苦手なので訳者の言葉を引用したのだけど、まさにそのとおりのことが書かれてある本だった。 ユダヤ人である著者は、精神医学者としてウィーンでごく普通の生活を送っていたのだけど、ナチスドイツの台頭とともに、多くのユダヤ人と同じくアウシュビッツ収容所に送られたとのこと。著者はそこで家族である妻と子供、そして多くの友人を失った。
この本には当時数多くの収容所で大勢のユダヤ人がどんな死に方をしたか、そしてどんな生き方をしたのかが書かれてある。その内容はどんな言葉でも形容できないほど絶望に充ちていて、まるで鉛でも飲みこんだかのように胸がつまるのだけれど、その一方で誰にも奪う事のできないもの、決して失うことのないものを持った人間もいたのだということを証明している。
正直にいって、読んでいてほんとうに気分が悪くなるくらいの史実(本文の前に収容所に関しての解説がかなり書かれている)が限りなく書いてあって、人間はここまで非道になれるものか、何の罪もない人間をここまで残虐に扱えるのかということで最初は頭がいっぱいになった。 そこには自分もそういう人間と大きな違いはなく、状況が状況なら同じ行為をしたのかもしれないという恐怖みたいなものが多少なりあったとおもう。すべては戦争というものがなせる業なのだといってしまえばそれまでだけど、それでも人間は愚かで醜悪な生物なのだというネガティブな気持ちというのが読んでいてどんどん膨らむのがわかった。 でも読みすすめていくうちに、そうじゃないんだということに少しずつ気付いた。要するに、そうじゃない人間もいるのだということ。
本からの引用。 強制収容所の生活は疑いもなく人間の奥底に一つの深淵をひらかしめたのであった。この深みにおいてもなお人間的なものを、すなわちあるがままの人間的なもの、善と悪との合金としての人間的なもの、をみることができたのは少しも不思議ではない。あらゆる人間存在を通じ善と悪とを分つ亀裂は人間の最も深い所まで達し、収容所が示すこの深淵の中にも見ることができたのである。
何度か繰り返し読んで、ぼんやりとはあるけれどその文章の意味がわかったような気がした。ちょっと今はうまく言葉にできないけれど。
著者は精神医学の学者だからこそ、客観的にそのような人間の姿をみることができたのだと思う。それはたぶんこの暴力的で悲惨な世界において、確かな福音なのだろうとおもう。 いろいろなことを考えさせられた。
朝、広島の原爆投下60周年式典のニュースをみた。 広島に原爆が投下されたのは60年前の今日。午前8時15分。 14分から1分間の黙祷が捧げられた。
60年前のその14分から15分までの1分間。 今朝のわたしみたいに朝の支度をしている人達がいて、空には容赦なく照りつける夏の太陽があって、いつもの空気、いつもの営みがあったはずだった。
その瞬間に人生を破壊されてしまった人達、決して癒えない傷を負った人達のことをいつまでもおぼえていよう、忘れないでいよう、そうおもった。
2005年08月02日(火) |
いちお健康みたいです |
仕事帰り、郵便箱をのぞいたら先日受けた健康診断の結果の手紙が入っていた。 中を開けてみると今回も見事なくらい異常なし。 というか毎回H※(highの意味)マークがついている項目があるのだけど、それはHDLという善玉コレステロールの値で、別紙にある検査項目の説明によると「値が高い場合は(高HDL血症)長寿症候群といわれ治療する必要はない」とのこと。 長寿症候群だって。そんな症候群があるなんてことも知らなかった。 そのほかにBMIというのがあって、最も病気にかかりにくく死亡率も低いといわれてる値が22なのだけど、今回わたしの数値は21.5だった。
うーん。長生きする体なのだろうか。わたしの父方は実をいうと短命な家系。 祖父祖母はわたしが物心つく前に病気で亡くなったし、叔父叔母も半分以上(父親は7人兄弟)なくなっており、従姉妹ですら4人病死している。わたしの父親も50代のはじめで肺がんに罹って亡くなったわけで、どう考えても長寿な家系とは言い難い。 母方のほうはあまりよくわからないのだけど、祖母はけっこう体の丈夫な人だったとおもう。脳卒中でなくなった(享年83歳)のだけど、亡くなるその日まで元気に働いていたし、病気らしい病気のしたことない人だった。
健康診断の結果は毎年良好すぎるくらい良好なのだけど、わたし自身はなんというか、長生きして最後は老衰か何かで安らかに永眠するという気がどうしてもしない。 何の根拠もないのだけど、何となく非常に苦しんで死ぬような気がする。 健康診断も毎年してるし煙草も吸わないし運動も適度にやってるしアルコールもほどほどにしてるし料理もきちんと作って食べている、にもかかわらず、そんな気がする。
健診の結果用紙の最後に、医師からのワンポイントアドバイスが書いてあった。 「甘いものを意識的に控えましょう」 「食事は規則正しく、よく噛んで腹八分目をこころがけましょう」
ここらへんがちょっとあぶないのかもしれない。こころがけましょう。できるだけ。
あっという間にもう8月。 ただただ時間は過ぎていくのだなあ。
某HPの浴衣姿の春樹さんのあやしい動きについて友達と話す。 わたしはてっきり盆踊りを踊っているのだと思っていたのだけど、 友達はただ団扇をぱたぱたあおいでいるだけだ、と主張。
友「だって、暑いですねっていってるし。それにひとりで盆踊りなんて不自然でしょ」 N「ひとりで踊るかもしれない」 友「踊らないよ普通。」
そうかなあ、ぜったいあれは踊ってるとおもうんだけどな。
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