Opportunity knocks
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あーいけないいけないと思いつつ(就寝直前だというのに)いただきもののガトーショコラをたべてしまった。 夕食が早かったので今になってすごおおおくお腹がすいているのです。困った。 ちなみにあと3個残ってたりする。ちなみにすごくおいしい。
えーと、どうしたらあと3個の誘惑から逃れられるでしょうか。
逡巡中・・・・・
はみがきして寝る!(きっぱり)
・・・・・
えーと、結論的にガトーショコラは冷蔵庫の奥深くに隠しました。 すみずみまでブラッシングしたら潔く寝ます。
えっとそれだけの日記です。 内容が粗末でもうしわけない。
誕生日。 子供は今流行り(?)のタオルハンカチと普通のハンカチ(キャサリン・ハムネット)をくれた。シックな感じのすっきりしたデザイン。 親子だといろんなものの趣味も似るのかな。自分の好みとぴったりでびっくりした。
連れ合いは服(100%連れ合いの趣味)を3着とそれに合わせたアクセサリー。 はじめてアンクレットなるものをもらった。はたして似合うのかなと思ったけど、つけてみたらなかなか良かった。連れ合いはわたし以上にわたしに似合うものを知ってるのかも。素敵なプレゼントだった。
夕食後、90%以上チョコレートでできたケーキ(連れ合いが仕事の帰りに買ってきてくれた)を切り分けてもらってハピバースデー。
こんなふうに祝ってもらえる誕生日を過ごせることに感謝。 ほんとうに有難う。
連れ合いの教育雑誌をぱらぱら読んでいたら、Show&tellという見出しが目に付いた。 相互理解に関するメソッドで、この場合Showというのは自己表現、tellというのは、話す、相手の表現に応えるという意味。 欧米では幼児の頃から自分のお気に入りの絵本やおもちゃをクラスメートの前で披露し、自分がどのようにそれを気に入っていてどんなに大切に思っているかを集団の前で話す(スピーチ)ことを学校教育に取り入れているらしい。
それを読んでいて感じたのだけど、つくづくわたしはShowもtellも無関心(あるいは苦手)な子供だったなあと。それを伸ばす環境がもともとわたしの周りに無かったということもあるけれど、外部に向けて何かを発信するよりも内に向かって自分の世界の中で満足するようなそんな子供だった。
今はというと、showに関しては多少なりとも進展したような気がする。誰かに自分を認めてもらいたいとかわかってほしいとか、そんな気持ちが文章を書かせたり、写真とか勉強とか絵とか音楽とか友達との付き合いに向かわせたりするわけで、そういう意味では少しずつ変わっていってるのかなと思う。 それでもまだ足りないなあと思うのはtellの方。誰かの気持ちに応えたり、共感したり、そこからコミュニケーションの糸口を見出したりということがいまだに苦手。
相互理解というのは一方通行ではだめなんだなとつくづく思う。 自分を見せるように努力してなおかつ相手を理解しようとする姿勢がなければ相互理解は望めない。 強さが足りない、と連れ合いは言うのだけど、それは十分にわかるのだけど、そういう強さを持てるようになるのは難しい。少しずつそうなっていければいいと、今はそう思っているけれど。
勉強もひと段落ついたので、気楽に音楽を聴きながら読書三昧の日々。 最近はFripper’s guiter(シングルズ)とかパリスマッチの新譜(after six)とかを聴いている。特にFlipper’s Guitarは夏っぽくてそれでいて聴いていても負荷がかからなくて、なかなか良い感じ。小沢くんの声は若くて無機質っぽくてすてき。
何も邪魔しなくて、すっと通り抜ける感じで、でも何かが残る、そんな音楽が好き。
2006年08月14日(月) |
二日酔い 田舎道 帰途 ゆれる |
朝8時過ぎ。前夜の飲み過ぎがたたって幾分ふやけた顔で起床。 熱めのシャワーを浴びて身支度をし、朝食を取ってからホテルをチェックアウト。 Tちゃんの車に乗せてもらい八尾の旧町まで。 小学校のそばで降ろしてもらって、そこから父の実家まで田舎道をてくてく歩く。車でなら10分もかからない道なのだけど、今回はじめて歩いたら1時間近くかかった。日傘も持ってこなくて日焼けがかなり気になったけど、それ以上に田舎の道をのんびり歩くのがたのしくて、時々は木陰で休みながらゆっくりゆっくり歩いた。
かなり熱い日だったので父の実家に着いた頃には全身汗をかいて、かなりばてばて状態。歩いてきたと叔母に言ったらとてもびっくりされた。それでも汗をかいたことでアルコールも抜けて気分的にはすっきりした感じ。お墓参りに仏壇参り、一通りすませた後、ちょうどお昼になっていたので叔母の手料理を御馳走になる。
帰り際に叔母が、「これうちでとれた西瓜と野菜ながよー、Nちゃんちょっと家に持って帰るけ」 といって畑から茄子やらゴーヤやら胡瓜やらトマトやらオクラやらをもいできてくれて、大きな袋いっぱいもたせてくれた。かなりの荷物になったけれど、叔母の気持ちがうれしく、また濃い匂いのする新鮮な野菜が食べられるのもうれしくて喜んで頂いた。駅までは従姉妹の子が車に乗せてくれたので歩かずにすんだ(というかもう歩けない状態だったけれど)感謝。
富山駅で特急しらさぎに乗って帰途につく。 約3時間半の道程。いつもながら長い時間なのだけど、今回は短い帰省の中であったこと感じたことをいろいろ思い返しているうち、あっというまに名古屋に着いた。とても充実した時間だった。
7時半頃駅に着いてふとケイタイを見てみると、なんと連れ合いが名古屋駅まで迎えにきてくれている様子。東急ハンズで買い物があるとかで7階にて待ち合わせ。 しばらくしてにこにこ顔の連れ合いと合流。 そのあと、夜に二人で名古屋なんて滅多にないから、と一緒に映画を観にいった。 前から楽しみにしていた「ゆれる」を鑑賞。 (以下ねたばれです) ↓ 久しぶりに見ごたえのある映画だった。それについ今さっき、自分がかつて住んでいた町から帰ってきたばかりで、そういう気持ちもかなりシンクロしたと思う。観たあとしばらく放心状態だった。 帰り道は連れ合いとふたりで夢中になって映画の話をした。 なぜ弟は嘘をついたのか、兄は何を求めて自ら罪を認めたのか、橋の上で本当に起こったことは何なのか。 兄と弟の心理的なかけひきや気持ちのすれ違い、根底にある記憶やずっと持ちつづけていまや爆発寸前のお互いの薄暗い感情など、構成も演出ももちろん演技もそれを余すことなく表現していて、非常にすばらしかった。
「藪の中」という芥川龍之介の小説があるけれど、記憶というものがいかにあやふやで脆いものであるかというのもこの映画の主題だったんじゃないかな。そして、感情という厄介なものがいかに人の人生を狂わすかということも。
それにしてもオダギリジョーと香川照之。最初はオダギリ格好良すぎる、といまいち感情移入できなかったのだけど、弟の証言の前に兄弟が面会するシーン、本当に凄味があった。 「俺は逃げてばかりいた」という弟に「つまらない人生から、だろ?」と兄が言うシーン。弟の無意識の欺瞞をここぞとばかりに突いて、おまえは傲慢な偽善者だとばかりに罵倒する兄と、どんなことがあっても自分を正当化したい、自分の中にある欺瞞を絶対に認めたくない弟、二人の攻防はとても緊張感があった。そして、弟が嘘の証言をした後の兄の満足そうな笑み、、あれが兄の本当に求めていたことだったのだろうかと、観ていて製作者の思惑通り頭が揺れに揺れてしまった。 その揺れはまだ当分の間やみそうにない気がする。
私信 オダギリファンのYさんは何て言うかな、と想像(観ていたらぜひ感想メールください)もし観ていなかったら、もしくは観る予定がなかったら、DVDが出る頃忍びの里で一緒にみて語り合いましょう(ちょうど真冬だろうし)たのしみにしてますーー。
早朝。連れ合いに近くの駅まで送ってもらって出発。 「玉天買ってきてあげるからねー」と手を振るも連れ合いは相変わらず心配顔。 何がそんなにシンパイなのだろうか。
JR高速バスに乗って金沢まで。渋滞を危惧していたのだけど思ったより混まず、予定より40分程度のオーバーで金沢に着いた。1時間ほどぶらぶらした後、普通列車で富山まで。普通列車は特急と違って今時ないディーゼル車で、がたんごとんと懐かしい音がした。窓とかも手で開けられるようになっていて、まだまだ現役で走っているんだーとうれしくなった。懐かしいといえば、富山駅も金沢駅もいまだ改札が機械化されなくて人の手で検札されていて、それも無性になつかしかった。
予約していたホテルに荷物を置いてしばし休憩。 服を着替えてぼーっとしていたらケイタイに友達から着信。 駅前のシアトルズコーヒーで待ち合わせ。 富山の駅前にシアトルズコーヒーができてるっていうのも、昔のことを思えばちょっと考えられないかも。ちっちゃなユニーしかなかったし。
到着した同級生二人とシアトルズでコーヒーを飲みながらしばし談笑。 駅前変わったよねえ、という話からもうすぐはじまる同窓会の話など、話がはずむはずむ。はずんでいるうちに同窓会の時間が近づいたので、店を出て会場へ向かう。 会場は思ったより感じの良い高級活け魚割烹のお店。わたしたちが一番乗りだろうと思って入ったのだけど、どうも先客がいるらしく、通された部屋の前には何足かの履物が並べられていた。 「Nちゃん先に行かれー」「なにいうがーやっぱりTちゃんが先やちゃー」と富山弁まるだしで押し合いへし合いしたあげく同級生の皆さんと対面。なにせ××年ぶりなので、ぱっと見たくらいでは顔と名前が一致しない。じーっと見ているうちに、あー!!!何々さんじゃないがけー!!とようやく思い出す。そのうちにぞくぞくと同級生の面々が集まり、総勢23名の会になった。その中でも先生!全然変わってなくてびっくり!!若い若い! わたしたちがうら若き高校生だった頃、先生の年齢なんて気にもとめなくて自分たちより相当上くらいに思っていたのだけど、その当時先生は27歳だったのだそう。今のわたしたちより××年も若かったんだーとみんな感慨深げ。 特にわたしは3年間ずーーと担任してもらってずいぶん心配もかけたので、「無事に社会生活を送ってます、ちゃんと結婚しました、昔はだいきらいだった勉強も今は進んでやったりしてます」といろいろ報告したらとてもうれしそうだった。 先生以外にも懐かしいクラスメートがいっぱいいた。最初はなかなか思い出せないのだけど、ちょっとしたしぐさや話すくせなんかを見ているとだんだん昔の学生姿に重なってくる。 いろいろ近況を聞いてみると、歯医者になった人、吉本興業で営業をやっている人、JALで管制官やっている人、ホンダでエンジニアやってる人、自由気ままにフリーターやってる人、地元で家業を継いでいる人、韓国に移住している人、などなどみんないろんな仕事をしていてびっくりした。県外組が6〜7割、地元組が4〜5割、単身赴任組がごく少数、という感じで、それぞれ自分の仕事、生活を確立してがんばっている様子。そんなクラスメートの姿を見ていて何だかとてもうれしかった。 1次会が終わって2次会、3次会と盛りあがり、最後は3時近くになってようやくお開きになった。ホテル組のわたしとTちゃんはふたりでふらふらしながらホテルに帰り、あとはそれぞれ家族が迎えにきたり、何人かでタクシー拾って帰ったり。 今度は20年後といわず、5年後くらいにまた会おうねーと手を振り合って別れた。 とってもたのしい会だった。
「法然の生涯と思想」と「ブッダの教え」のレポートをようやく書き終えて、やっと先月からの一連の講義は一段落。あとは評価を待つだけ。 いつも時間に追われていてレポートの内容は決して満足な出来とは言えないけれど、ゼミなどとは違って発言の場がほとんどがない講義の中でレポートは唯一の自己表現の場。とにかく自分が学んだこと、感じたこと、理解したことをせいいっぱい書いた。 それでも書ききれないこと、言葉にしきれないことを、何とかねじ伏せて力技で文章にしましたというような印象が自分で読み返していてもひしひしと伝わってきて、読む先生もたぶん苦笑いしているだろうなあと少々自己嫌悪。 でもまああの時点でせいいっぱいだったのだから、それが自分の力量なのだと納得するしかないだろうなあと思う。次は少しでも上をいくものを書きたい。
明日から少し開放的な気分で富山に一人帰省。 父の実家の墓参りと、××年ぶりの同窓会(高校のクラス会)が目的。学校を出てからというものかなり忙しく余裕がない生活を送ってきたので、同窓会というものに出席するのはこれがはじめて。とてもたのしみ。 るんるんとパッキングしているわたしを横で見ながら連れ合いは少し心配そう。 何が心配なのかよくわからないが(ほんとうはすこしわかる気がするが)、たのしんでこようとおもう。
2006年08月06日(日) |
これあればかれあり これなければかれなし |
今日、明日と名古屋でスクーリング。「ブッダの教え」 仏教という宗教はいちばん身近でそして何かと関わりのある宗教であるはずなのに、その成り立ちやどのように伝播していったのかという歴史について、今までいかに無知であったかということを今回の講義ではじめて知らされた。 みんなと同じようなことをして(同じようなことをしなければいけなくて)ただ念仏を唱えてさえいればよくて、しかもその教義となるとわかりにくくて排他的でというような先入観というかイメージを持っていたのだけど、もともとブッダという人が興した仏教はもっと個人的でストイックで自己啓発的なものだということを知った。 今では仏教というと輪廻転生という思想が一般的で、極楽浄土だとか悪行を重ねたものは地獄に落ちるだとかそういうことを小さい時から刷りこまれてきたのだけど、ブッダの考えはそうではなく、(簡潔にいうと)輪廻転生というものはない(ヒンズー教は輪廻転生の思想が中心にある)のだということ、この世は自らの行いが総てでありすべての事象はそれぞれの因果に拠るものであること、生まれたものはすべて滅していくなど、世の中には侵すべからざる法則があるのだということ、などなど今まで仏教に対して持っていたイメージが覆されるようなことを教わった。 そういうブッダの考えが時代を経るごとにどのように伝わって、どのように変遷していったかということも講義の中でふれていて、それもまた興味深かった。 仏教に入信するかどうかという前に、こういう知識を学ぶということはとても必要なことなんじゃないかなと講義をきいていてふと思う。 これほど宗教に対して無関心でありながら宗教的なものに様々に影響を受けている社会なのだから、宗教を学校教育に取り入れる必要性は十分にあるんじゃないだろうか。
教えてくれた先生もいろんなことを伝えたいという気持ちがあって、教える側とそれを享受する側がいろんな意味でとてもうまくかみあったような講義だったような気がする。とても良い授業だった。
2006年08月05日(土) |
あいかわらずレポート書き |
終わる終わらない終わりそうにない終わるのか終われば終わるとき、なんてラ行五段活用している場合じゃなくて、ああもういやー!!と夜明け前の空に向かって絶叫したい午前2時。ほんとにこわれ気味。
明日は朝から5時まで仕事、夜から地元の夏祭りの実行委員やって三味線弾き。そして夜も更けてから今書いているレポートの(たぶん終わりそうもないので)続き。
タイムリミットは6日の午前8時。本当は午後3時までに郵便局に持っていけば速達で締切りまでに届くのだけど、6日はまた朝からスクーリングなので出かけるまえになんとしても書きあげなくてはいけない。
物事に優先順位をつけるのが昔から苦手で、ああどうしようこれはなんてぼんやり考えている間にどんどんやることが増えていくという、かなり要領の悪い性格の持ち主。今回も、あらかじめ仕事を断るとか三味線断るとか、スクーリングの日程をもっと緩くするとかやりようがあったのに、結局きつきつのスケジュールになってしまった。ああ嘆息。
レポートを書くのは正直いって、本当はたのしい。泉鏡花の「高野聖」をやっているのだけど、文献をひとつひとつ調べたり、文章を少しずつ拾いながら意味を考えたりするのは、機械好きな男の子が何かを分解してまた組み立てようとするのに似ている。だから、本当はそれに集中したい。そのことだけを考えたい。 だけど、ほかにもやらなければいけないことがあってそれに時間をさかなければいけない。納得がいくレポートを書きたいのにそれができない。そこにいらいらと頭をかきむしりたくなる一因がある。
一気に愚痴(或いは独り言)を書いたら気がすんだ気がするのでとりあえずレポートに戻ります。でも、あー気がすんだらどっと眠気がきたような・・・。
2006年08月02日(水) |
きょうもいろいろあった |
朝からN市内でスクーリング。法然の生涯とその思想についての講義。 たぶん先生は御坊さんだと思う。なぜかというと声がそれっぽい。 低くもなく高くもない心地良い美声。そしてそれがまた眠気をさそう。
眠気と闘いながら夕方まで勉強。それでもいろいろ新しいことを教えてもらってなかなかためになった。比叡山の叡、とか、涅槃、とか、菩薩、とかすらすら書けるようになったし。
夕方、大急ぎで帰ってクリーニングをとりにいったり買い物したり夕飯作ったり。 後片付けしたあと、先週前半に受けた講義2教科分のレポートの仕上げをし、プリントアウト。少しだけほっとする。
ほっとしたのでまたちょっと現実逃避、とばかりにボクシングの試合をみる。 試合自体は悪くなかった。ばかさわぎ的な前置きと(勝負の)結果が逆だったら完璧だったのに。だって最終ラウンドとその前なんかTKOかと思ったし。
そりゃスターがいればスポンサーもつくし、大きなとこでやっても客は大入りだしスポーツ人口も増えるだろうけど、もっとひっそりと一対一の真剣勝負をみたいという人だって少なからずいると思うよ。あんなにハデにやらんといかん理由がわからん。後味の悪い試合。
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