妄想日記-オレのOヒゲがのびるワケ...satou

 

 

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逃げたよ、逃げた! - 2002年02月17日(日)

あれは今からウン十年前。私が19歳時、華の都フランスはパリを訪れたのッス。
西武が優勝した年だったな。優勝の影響か何かで、チケット安くなるといって、購入。友達と行くはずだったが、そいつ突然キャンセル。俺の心は空を飛んでたので、迷わず一人で行くことを決断。ロンドンよってパリに。
まあお決まりのコ―スっす。
しかしフランス人、会う人、会う人。皆親切。情報とはまったく違う。
気に入ったぜ!
セ―ヌ川に掛かる橋で一休みを決め込めば、
左を見ればオルセ―美術館(そうだ!この美術館が出来た年に行ったんだ!ゴッホ展開催してた)奥にはエッフェル塔。右を見ればル―ブル美術館。後ろを見たら、ノ―トルダム寺院。遠くにモンマルトの丘があり丘の上にはパリを見をろす白い建物が。
最高の景色を満喫して、コンコルド広場へ。
コンコルド広場から(私は出口から入る)と真っ直ぐ伸びた道、そこが、オ!!シャンゼリゼ通り!その先には凱旋門が。

事件はこのコンコルド広場で起きたのさ。
出口からその公園に入った私でしたが、入り口の方からやってきた、ハンチングを被る男と遭遇。確かにすれ違い、彼は出口から通りに出たはずが・・・

入り口につき、ベンチで腰をかけ一服していると、何やら背後から視線が。
パッと振り向くと、木の陰に隠れる男の姿が。

「あっ!ハンチング野郎!」そうなのです。
すれ違って出ていったはずの男が、俺の背後からそれも木に隠れて、様子を伺ってるではありませんか!
私はその時読んでいた「地球の歩き方 パリ偏」に書かれてた、「日本人のパスポ―トを狙った犯罪が多発している」の記事を思い出す。

これは、厄介な事になったと思案していると、そこへ、ジェントルマンといった初老の方が私に話しかけてきた。それも英語で。
「フランス人はフランス語しか話さない」と聞いた事あったけど
「優しいじゃん!このおじさん」と思った私は、幼稚園レベルの単語で、話をしました。「よし、ここでこのおじさんと話をして、ハンチングを油断させよう」と考えた私は、がんばって、ここまで来た道程を日本語も交えながら説明したのでありました。
ジェンントルマンは優しく微笑むだけ。
「分かってんのかな?」
まあこの際いいです。気になるのはハンチング。
後ろ見ると木の陰でタバコを吸っていやがる。
ここでそう皆さんも、思うかもしれませんが「勝手に被害妄想に取り付かれ何もないかも」「奴はただ誰かと待ち合わせをしてるだけかも」
そんな事も考えておりました。
しかし念のため、ジェントルマンに別れを告げると、男が反対の方向を見た瞬間。猛ダッシュ!スゲ―勢いで走った。

とりあえずあの公園入り口門までは走ろう!」と決めた俺は、門を曲がると直ぐ橋があったのですが、その橋の手すりの所に身を潜めてみました。
そうすると「な!な!な!なんと!奴はその入り口から凄い形相で飛び出して来たのです。辺りをキョロキョロ見渡してる。

「間違いない!俺を探してる」半信半疑だった俺もこれには参りました。
「怖え―よ!」と心で叫びながら、身を小さくして、その場からハンチング野郎に見つからないように、逃げたとさ。おしまい。

話は変わって、今日は稽古。秋葉氏、金ちゃん、福野、江島、小野坂のエチュ−ド。
初顔合わせにしては上出来。
坂ちゃん、仲路、岩崎君でまた別のシ―ンを。

終わったら雨でした。






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尾道それは・・ - 2002年02月13日(水)

尾道での出来事。
尾道って知ってます?あの大林監督の出身地でもあり、映画の舞台にもなっている、岡山と広島の丁度真中に位置する、瀬戸内海に面した町でゴザンス。

「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼ」その他、新尾道三部作っていうのもありましたが、ハマリマシテネ、この映画達に。作品もそうですが、町に惹かれたんですよね。

1度は行ってみたいと思っておりました。
初めて行ったのは今から7年前くらいになりますか・・
昔お世話になった劇団の旅公演に便乗して広島まで行ったのです。
劇団の方々は九州公演もあったので、私1人広島から東京に帰るはずだったのですが、折角ココまで来たのだからどこか寄ろうと駅の本屋で地図を見てると
広島県尾道市の名が。

「そうか!尾道って広島なんだ!」

いてもたってもいられず、切符を買い電車に揺られて2時間かけて行ったのさ。
着いたのは夕方近くで、駅を降りると海の匂いが・・
細かく説明しちゃうと大変なので、ざっと町の説明しますと、駅を背に真っ直ぐ歩くと直ぐそこは瀬戸内海。向島も目の前に見えるでやんす。
船乗り場なんかもあって(映画の中でも出てきた)ワクワク、ワクワク。
駅左手を少し歩くと2キロ近く及ぶ商店街の入り口が。(詩人の林芙美子の銅像がある)
駅の裏手は山なのですが、民家やお寺が密集しておりまする。
重要文化財のお寺が沢山あるのだ。
坂道もアリの巣のようにクネクネしてて、石畳でとっても風情がある。

岡山と広島は戦争中破壊された事もあり、都会なのですが、尾道は古き良き日本の風情が残ってまして、タイムスリップしたかの様。

これが、まあ一回目の尾道との出会い。とに角、町に感動した。
「さびしんぼ」も存在するのではと・・納得させられた町との出会いでした。

2回目の尾道。ここで旅の醍醐味、人との出会いに遭遇。
今回はビデオを持参で、大林作品の撮影現場を訪れ撮影してきました。
お寺やら、風景やら、映画「転校生」の中で小林聡美と尾美としのりが転がる階段
やら(あたりに人がいないのを確かめ、転がってみる)・・

で、カメラ小僧になっていると、車のクラクションが。
「すいません」と俺。(夢中になって撮影してたら、車道に出てた。)
車のおじさん「どこから、来た?」と
俺「東京です」
おじさん「映画好きか?」
俺「はい、大林作品が好きで、遊びに来たんです」
おじさん「そうか!ワシ大林と幼馴染だぞ」
なんて話をして、「いい旅を!」と言って車を走らせた。

ブラブラしてたら、おじさんまた舞い戻り
「今から300年に一回しかお目にかかれない、仏像があるから見たほうがいい!」との事。
おじさんに連れられ、お寺に向かう。
道すがら、どうやら、大林監督とは、ホントにマブ達らしい。エキストラでも、かなりの大林作品に参加しているとのこと。

そういえば!尾道に来る2日前、TVのインタビュ―で大林監督が尾道の事を話していて、尾道でエキストラを頼む時は、幼馴染で今は尾道の商店街の会長をしている人物に頼むと話してた・・「もしや!」と思い
俺「おじさん、もしかして商店街の会長さんしてません?大林監督がTVで話して  ましたけど」
おじさん「ああ、それ、俺、俺」

俺の心の声「マジかよ!!!すげ―偶然!監督が話してたその人に会えるとは!」

お寺に着くと、珍しい仏像が見られるという事で、沢山の人だかりが。
しかしそこは商店街の会長さん、顔が広いのなんの!
会う人、会う人に「彼は、大林君が好きで、尾道に来たんだ」と紹介しまくり。
7〇歳近いお年よりの方もいらして、「私は、さびしんぼに出演ましたよ」とのこと。
そういう方々とお茶を飲み仏像を見ながら、語らっただけでも、面白かったのに・・。(十分満足でしたが)
おじさん「時間があるなら、尾道を案内してあげよう!」という事になり、おじさんの車へ。
監督が撮影した現場を片っ端から案内してくれた。
しまいには昼飯までご馳走になり
「今から俺の店に行くけど、君もおいで、お土産あげるから」と。

おじさんの名前は菊地さんでした。ちょうど、商店街の入り口近くに店があり、大林監督との写真やら、三浦友和主演の映画「おかしな二人」にもおじさん、警官役で出演。そのスナップ写真なども飾ってありました。
お店は「提灯屋さん」なのですが、さながら大林監督ご用達のお店といった所。

しかし、このおじさんやはり面白い人で、本当は秋祭りの準備の為、今日までに終わらせなければならない提灯作りがあったらしい。
いきなり店番をしていた奥さんに店先で
「あんた!どこほっつき歩いてたのよ!」と怒られてました。
ホントは仏像見て直ぐ帰ってくる約束だったみたい。
おじさん、ここでも「いや、彼は、大林君が好きで、尾道に来たんだよ」といい訳してました。
俺もフォロ―入れなきゃと思い「すいません、いろいろ案内してもっらって、お昼までご馳走になって」と。
奥さん、さすがに俺には「あら、いいのよ、この人、そういうの好きなの。もうまったく」と笑顔になってくれました。
(なんでこんなに覚えているかと言いますと、おじさんと会ってから、夫婦ケンカまで、ビデオカメラを回しておったのさ)

裏の工房で提灯作りも見せてもらい、映画「ふたり」の文字が入った提灯まで頂き、いい思い出が出来ました。菊池さん、ありがとう。「また来ます!」と言ってあれから、かれこれ5年も過ぎてしまいました(住所も無くしてしまった)
お元気でしょうか?またお会いしたいですが・・。

菊地さんが言っていた
「俺と、大林君でよく言ってたのが、子供のように童心の気持ちを持ちつづける事が大切なんだよ!ほんと、そう思うよ」この言葉が印象的でした。




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人との出会い。バリ島偏。 - 2002年02月11日(月)

巡り会わせといいますか、よく面白い人と出会います。でも根底に深く入っていけない性格らしく、それだけで終わってしまう事が多いのですが。

そんな中で旅行は昔から好きで、行きたい!!となると借金してでも行ってました。バリ島でも沢山の思い出が。
スタジオライフ時代一緒に芝居をしていた佐藤純君。
彼は芝居をやめると、インドネシアにハマッテ(ライフでインドネシアを舞台にした話がありましたが、そこで取材を兼ねて演出家倉田さんのお供として、俺と純君の3人でジャワ島へ・・それがキッカケで・・)丁度バリで働いているというので、情報を得つつ旅立ったのでありました。(純君その節はお世話になりました)

とに角いろいろ面白い事に出会いましたが・・・
「ジャラン、ジャラン」がバリでは合言葉。「散歩」と言う意味です。

サヌ―ルからアグン山そしてチャンディ・ダサそれからウブドへ。デンパサ―ルを回ってクタ。そして帰路になるわけですが。(お暇な時地図をどうぞ)

ちと不思議な体験だけ話すと。
行きの飛行機(コンチネンタル航空)で機内誌を読んでいたら、そこにハワイ特集の記事があって、文章も面白かったし(裏ハワイの内容)
写真も綺麗で凄く記憶に残ってたのです。文章は「神林」氏。
この苗字も「つかこうへい」の舞台を思い出させる名でさらに覚えてたのです。

バリに着いて、5日目あたり。ウブドと言う村に宿泊。
ここウブドはバリ文化と芸術の中枢で、美術館があったり寺院でバリダンスやケチャなどが夜、あちこちで行われるのです。
で、観に行きました。着いたその日に。
ケチャの素晴らしさは、言うまでもありませんので・・。

話というのはその時、会場に着き席につくと隣に日本人らしいご夫婦がいたのです。同じ日本人だし、無視するのもイヤなので話かけたんですよ。
しかし奥様はどうやら日系人らしく、日本語がまったくダメ。
その隣にいた旦那様が答えてくださって「私達はハワイから来たのです」と日本語で答えてくれたのです。
ダンスが始まる前だったので話を進めていると
旦那様「飛行機は何でこられました?」
俺「コンチネンタル航空です」
旦那「私、そこで今月ハワイについての記事を書いてます」
俺「そうですか・・・」
旦那「機内誌読まれました?」
俺「はい、読みましたよ・・え―!まさか・・・あの、神林さんですか?」
旦那「はい、僕ですよ。読んでくれたんだ」

俺の心の叫び
「マジかよ!スゲ―!なんでバリ島で。それも隣の席に。あれを書いた人が!スゲ―。凄すぎる。バリ島で。」

不思議な事があるものです。いろいろな偶然が重なってここで出会うとは。
名刺も頂いて、ハワイ支局に勤める読売系のおエライさんでした。
「ハワイに来たらいつでも連絡して、案内するから」と言って下さいましたが、
まだハワイには行っておりませぬ。

バリ島第2弾。これまた不思議な体験。
いい忘れましたが、この時、イエ・ドロメンバ―坂爪氏と数名で行ったのです。
奥方どうしはエステということで、坂ちゃんと俺はチャリをレンタルして、ジャラン、ジャランとしけこんだのであります。
ウブドから5キロ程離れた「ゴア・ガジャ」と言う謎の古代遺跡を見学しに行く途中。(その後にも日本語を勉強したいという青年にあって、楽しく過ごしてたのですが、家に遊びにオイデよ。と言われたのですが、時間がなくあえなく断念。いい奴だったな)

村がいくつか点在してるのですが(かならず村の入り口には門がある)
「冒険だ!」という事で、その門をくぐり村の中へ。
やはりそこはウブドとは違い観光地ではないので、旅行者など滅多に来る事はなく、ドキドキだったのですが、そこはご愛嬌。
会う人、会う人に別に聞かれてもいないのに「ジャラン、ジャラン」と言って村の奥まで入っていったのです。

ある家の前の表札を見るとカタカナで「ワヤン・カウディの家」と書いてあったのです。
俺と坂ちゃんは「??これって日本語だよね」
中を覗くと、奥方が中庭から手招きしているのが見えます。
「呼んでるよ」「入っていいのかな」で、チャリを置き、いそいそと中へ。

恰幅のよいおじさんが英語で話しかけてきた。
坂ちゃんはちょっとは英語分かるので、片言話すとどうやら、日本にきた事があるらしい。それも歌劇団で。
中庭に楽器が沢山。ガムランなども置いてある。
コ―ヒ―を出され演奏まで聞かせて頂いた。
世界各国を回っているらしく、日本公演のパンフレットも見せてくれた。
(ここで村の歌劇団団長という事が分かる。おじさんの写真が載っていたのだ)
詳しく読むとどうやら世界的に有名な演奏家の集団のヘッドらしい。
パンフには坂本龍一氏の名前も)
来月がノルウェ―に行くとの事。

俺の心の声「おい!おい!スゲ―ぞこれは。自宅でそれも生演奏聞かせてもらって、コ―ヒ―までご馳走になるとは!」

お礼をして帰ろうとした時、
おじさん「写真はいいのか?」のような事を。さすが有名人のプライドか。
「では記念に」写真もとって参りました。
「冒険してよかったね」と後日談。あの時あの村に入ろうとしなければ、そんな経験出来なかったからね。出会いとは不思議なものです。

次週、もしくは明日は「尾道―それは、時をかける少女」の街。
この街でもまた偶然不思議な出会いが待っておりました・・・。



...

♪僕パンクロックが好き―だぁ♪ - 2002年02月10日(日)

憧れの東京に上京した夏、神奈川放送(何故か中野は神奈川放送が映った)のミュ―ジックトマト(確か)という番組で、インディ―ズ特集をしていて、そこでまだメジャ―デビュ―してない「ザ・ブル―ハ―ツ」にクギヅケ!
♪ドブね―ずみ、みたいに美しくなり―たい♪と熱唱しているヒロトがいたのです。
凄い気になったところに、偶然「エジソン」で(西新宿のインディ―ズ御用達レコ―ド店)ザ・ブル―ハ―ツが目黒にあるライブハウス「鹿鳴館」でライブをやるのをGET!
東京に来たならライブハウス行かなきゃ!と思ってたオイドンは友達を誘って行きましたさぁ!

ちと早く行き過ぎたら、丁度楽器を運んでいる、メンバ―に遭遇。「TV観ました。よかったスヨ!今日楽しみにしてるんで」と、とり合えず声をかける。
「おお!がんばるケンノ―」と返事が。

200人も入ればイッパイの会場は鮨詰め状態。「やっぱ、人気あるんだ」と思いつつ、東京に着ての初ライブ胸ワクワクしてたのですわ。
後のセカンドアルバムまでの曲は全部歌ってました。
タテノリでジャンプしまくり、客席も一体になって!
「おおお!なんだこれ!スゲ―!負けられね!(誰に?)」と思った私は知らない人の方に手をかけ利用して、ハイジャンプ!ハイジャンプ!ハイジャンプ!
客席の誰よりも高くジャンプしようと必死になっておりました。
しかし上には上がいるもので、後ろからダイブしてきた奴がベルトコンベア―状態で頭の上を通りすぎるとステ―ジでヒロトと熱唱。
すぐにヒロトに蹴られ、客席にダイブ。皆で奴をまたベルトコンベア―状態で後ろの方まで運んでおりました。
さながら、そこは何でもありのアトラクションコ―ナ―のようでしたさ。
終わったあとは、これマジですが、床が皆の汗でピシャピシャ1センチは溜まってました。
「こいつら、絶対売れる!」と確信した夜でした。

案の上その1年後「ザ・ブル―ハ―ツ」メジャ―デビュ―。
「夜のヒットスタジオ」であの独特な歌い方にパフォ―マンスをカマしておりました。その後の活躍は皆さんの知っての通りですが・・

もう10年前になるかな?
雲仙普賢岳噴火の年、チャリティ―みたいので「夜のヒットスタジオ」に出演していた彼ら。

番組観終わって数時間後、近所のコンビでべ―スの河本氏と遭遇。
俺も見てたけど、やたらと向こうもチラチラ見てくる。
有名人だし「こちらから声かけないと悪いかな」と思った私は、
「TV観ましたよ」と声をかけた。初ライブの時に声をかけてから5年の経過。
「ありがとう」と言った彼は、「時間ある?」と俺に。「はい」と俺。
「じゃあ!車の中で」と言われた俺は、「???」と思いつつ彼の車の助手席へ。それから2時間。井の頭通りの車の中で散々話を聞かされ(この内容はオフレコ)まあ、面白かったですけど、そんな不思議な体験をしたのでありました。
「じゃ、またどこかで5年後に」と言って別れたのですが・・会わないなぁ・・。

そして車から降りた俺は、軽く興奮しつつ、家路に向かっていると、遠くから彼女が髪を振り乱し、パジャマ姿で歩いて来るではありませんか。それも泣きながら鬼の形相で。「????!!!!!!!ヤベェ―!」
そうなのです、コンビにから「今から帰る」と電話をして既に2時間経過。
そりゃ、心配しますよね。コンビにから家まで5分もかからないんですから。
「何やってんのよ!心配したじゃない!」と泣きながら言う彼女。
俺、「すいません」と反省しつつ
「だってさ!今ブル―ハ―ツのべ―スと話しててさ!」と笑顔の俺。
深夜井の頭通りを、パジャマ姿で泣きながら歩く女と浮かれながら笑顔で歩く男。
傍から見たら「トンダカップル」に見えた事でしょう。


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忌野清志郎大先生にマツワルお話。 - 2002年02月08日(金)

早く稽古だけに没頭したい!日常のストレスってなんなの?僕はストレス溜まらない人間かと思いましたが(周りからはどうやらそうは思われていないらしいが・・)叫びそうになりました。直ぐに気持ちも落ち着くのですが、頭から煙が出そうになって、もう少しで壊れちゃいそうになりました。
いやあ、ホントくだらない事なのですが。
壊れれなくて良かった。ポジティブに壊れると、笑いを誘えますが、ネガティブに壊れると、人を氷つかせる程の勢いがある。
ユ―モアが欲しいね。ダウンタウンの松ちゃんのように・・忌野清志郎大先生のように・・・そうだ!昔じかに清志郎さんのマネ―ジャ―さんと知り合いになったので、もう少しで直接会えたのに残念。国立の多摩蘭坂にも行った。フリ―クの落書きが沢山してあった。僕は歌詩に出て来る「坂の途中の家を借りて住んでる♪」を探してたのですが、庭付きに平屋が並んでいて可愛かったです。そのあと「大学通り」歩いて・・・ここを忌野大先生が青春時代に歩いて、あの名曲が生まれたんだと思うと、ちとカンド―!中央線大好きっ子です。東京に来て初めて住んだのも「中野」だし、高円寺 阿佐ヶ谷 荻窪 三鷹で働いてた事もあるし、吉祥寺は昔スタジオライフがあったし、国分寺は金が無くて住む所に困っている時、友達の家に居候させてもらったし、国立は清志郎が住んでたし。(話が脱線)
ナカジ―が持ってきてくれた新聞によると、環境破壊を訴えた絵本を発売するんだって。やっぱロッカ―はそうじゃなきゃ。チャリンコで東京―鹿児島間も行っちゃたりするぜベイビ―!筑紫哲也とマブダチだぜえ!だからTBSにはよく出るぜ!中日がお気にいりだったけど、星野監督が阪神いったから、どうするベイビ―??
三浦友和と高校時代バンドやってたぜ!
清志郎の事を今日は書こう!!(今さら・・)
エ―と清志郎との出会いは、あれは中学2年生。資生堂のCMソングだったな確か。この頃、化粧品の曲が大ヒット。
矢野顕子の「春咲小紅」ツイストの「燃えろいい女」その他もろもろ、その中に坂本龍一と清志郎の「いけないル―ジュマジック」があったのです!!ベストテンで教授とキスなんかしちゃって。札束ブオ―を飛んじゃって!
まあそんなのはいいのですが、パンクの中にユ―モアがあったから共感できちゃったんですよね。「僕は道端で泣いてる子供♪」この詩にやられた!
そこから過去のアルバムにハシッテ聞きまくりました。坂ちゃんのタイソンに負けないくらい、多分考えてる事は一緒のような・・
アマノジャクだと思うんですよね。正当でいかない。そこに何だか美学があるんだなぁ。タイマ―ズも観に行きましたさぁ!ヘルメットかぶって、「大麻を持ってる♪」って、日野にある実践女子大の文化祭で歌っておりました。大麻なんてここでも、どうでもよくて、そんな事より、きっと提示してくれてるんだと思うのだすよ。派手にやる事で、歌ってる内容が過激であればあるほど・・きっと清志郎様もムカツイテいたんですよ。いろんな事に。カッコツケじゃない所がグットなんだぜぇ――――――――!ダサかっこいいんです。衣装もヘンだし、メイクもヘン。声もヘンだし。歌詩もヘン。やる事ヘン!だけど、素敵なのです。
50歳のパパになっても健在なのは、好奇心旺盛だからなんだと思うのです。

NHK「YOU」って番組で猪木に肩車してもらって、「つきあいたい」を歌っていたのが、清志郎35歳くらいだから、まだまだオラもオトナシクなんてしてられるかい!ってえんだあ!(この伝説の猪木VS清志郎のNHK収録に、奥瀬さん観にいてたんだって!!!!!!!!!!マジ―かよ!オラ田舎でTV見ながら興奮してたのに、あの時の観客に奥瀬さんがいたとは・・スマイリ―の稽古の時聞きました)

次回はブル―ハ―ツに関する出来事・・・これはヤバイかな?気が向いたら、では!お休みです。



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観劇。 - 2002年02月05日(火)

寝不足です。まあ、それはいいとして。
銀行に家賃振り込んだり、タマオ公演仮チラシ折込の為の、印刷に行ったりと、バタバタしてました。
夜はスタジオライフへ。山��氏、笠原氏、石飛氏、藤原氏、河内氏、健在!!
良いお話でございました。会ってこようと思いましたが、プレミアムナイトで、ファンサ―ビスがあるとの事、時間がなく会えずじまい。また今度。
照明で世話になったGET君がロビ―で活躍。元気そうでなにより、会えたのでよかった。大阪公演にも行くみたい。
5月にもスタジオライフ公演があるらしい。山��氏いいのかい?
イエ・ドロに参加。感謝。


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脇道にそれすぎ・・・ - 2002年02月04日(月)

台本を書こうと机に座るまではいいが、メ―ルの返信。多方面のHPのチェック。
(宣伝今からしておかないと)などで、あっ!という間に時間が過ぎてしまう。
午前1時に座っているのに、一行も書かず、だだ今午前4時30分。
こんな事でいいのか?

今日はもう寝ます。


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光がみえた!! - 2002年02月03日(日)

2日日記。話が横にそれたので。わりと人数集まって、ちょっと駆け足気味に、稽古スタ―ト。この時期遊び気分が大切。初顔合わせのなかで本番に向けて、上手く自分の力を出すには、コミュニケ―ションが必要不可欠。ワイワイやればいいと言う事ではなくね。新しい人達、考え、やり方を、受け入れる。僕にとっても一番の課題。今回はまたこの間とは違った空気感を持つ人がいて、それはそれできっと、僕が書く作品にも影響するはず。どんな作品が出来るから、自分も楽しみ。
今日台本を(まだ数ぺ―ジだが)一から戻って、探ってみる。
違う展開が生まれた。シックリくると気持ちがいい。この方向で書き進めていこうと思う。一応長堀さんとの兼ね合いもあるので、枚数が少ないが送って見ることにする。今回互いに書き会ってるので、その中でいかにオムニバスにならず、一本の作品に見えるかがポイント。
書きあいバトルが上手く出来るといいが・・。
メグ殿にも送ったので、感想よろしく。台本出だしの5分で決まる。
25日には楽園王の公演もあるので、そちらも是非。


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イマジン - 2002年02月02日(土)

今日は4月公演の顔合わせ件、ワ―クショップを決行!下北沢の某所でおこなったのですが、演劇を許してくれる所が殆どないのですよ。演劇の街下北だろ!
頼むよ!案の定(今回私はここまでのは初めてでしたが)部屋下の方々から煩いとの苦情あり。和解が出来たので良かったのですが、カ―ドを借りてる若林嬢はさらに冷や汗だった事でしょう。近場でお願いしてスイマセン。下北沢も考えものだ。
まあね、他人から見たら、タダのね、煩い若者が音楽流して、声だして踊ってたら(今日は踊ってませんが)暴走族とかわらないだろうな。今貸しスタジオがアチコチに出来てるけど、もう少し安くしてくださいよ!経済力がモノいう世界は、どこか淋しい気もしますが・・・
小劇場運動をおこさなくちゃダメなのでしょうか?
一部では有名な方々もそういった(多少違うかもしれませんが)活動をおこなっておられるみたいですが、作品の価値を上げるのも、役者の実力もあげるのも、公演を打たなければ、成立しないと思うのです。
国立劇場やコク―ンなど大きな舞台にも一部ではありますが、小劇場出身の役者さん達も出演している昨今、もう少し、国にも小劇場の必然性を認知して頂いて、稽古場なども国がバックアップしてくれたら、レベルが高いものがアチコチから生まれてくるのではないでしょうか?
これは演劇の世界だけではないような気がします。
他力かと思われるでしょうが、やはりその事(演劇)だけに打ち込める時間を少しでも多く取る為には、そういった経済的援助は不可欠だと思うのです。
確かに劇団体制にして稽古場を確保している集団もあると思うのですが、どこかやはり最終的には行政が関与していない分、稽古場を維持していく為には経営というのが付き纏い、利益に走らざるおえなくなり、レンタルスタジオでしか成立しないのが実情だと思います。
援助金なども国から出てはいますが、一部の集団が多くもらって、(勿論、それを糧に素晴らしい作品を提示してくれている劇団もいますが)その使い道すら把握できず、別荘を買って終わった・・という集団も噂で聞いた事があります。
ですから、もっと平等に施設を増やし、皆が活用出来る事が、文化の向上になると思のです。仕方がない・・で終わらせたくないなぁ---ミサイル作る金があるなら、もっと平和の為に使ってくださいよ!戦争!テロ!飢餓!環境破壊!人種差別!社会福祉!宗教!問題は山積みだぁ!
でも、それもたいした事じゃない・・
はず。イマジンを地球歌に!!今日の私は理想主義の塊です。


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