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いつの間にやらこんな季節。 - 2003年06月29日(日) あらまぁ、もう終わっちまうよ6月が!もう下半期突入だがや。 ここ最近は役者以外の仕事ばっかりしててクサリ気味というか、 ほんと疲れたび―。 疲れがピ―ク超えると、やはり壊れだします。 ヘラヘラしちゃいます。 しかししかし!またまた動き出しますよ!やりますよ!這い上がりますよ! 近日中にご報告いたします。 ... 増上寺で清志郎 - 2003年06月22日(日) 増上寺のあらまし -------------------------------------------------------------------------------- 名 称 三緑山広度院 増上寺 宗旨・寺格 浄土宗 大本山 (ご本尊 阿弥陀如来・南無阿弥陀仏なむあみだぶつ) 沿 革 浄土宗大本山増上寺は、明徳4年(1393)浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区紀尾井町)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建された。その後、文明2年(1470)には勅願所に任ぜられるなど、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与するところ著しいものがあった。 天正18年(1590)、関東新領主として徳川家康公が江戸に入府すると、時の住職12代源誉慈昌存応上人に親しく帰依し、師壇の関係ができ、菩提所となる。 慶長3年(1598)、江戸城拡張のために貝塚より現在の芝に移り、家康公が関ヶ原の戦に勝って征夷大将軍となると、増上寺の大造営が開始され、数年を費やして天下無双の大伽藍が完成した。 江戸時代は、将軍家の菩提所としての外に、浄土宗の総録所として宗学宗制を統轄し、また関東18壇林の首座として、境内地20余万坪、坊中寺院48宇、学寮百数十軒、常時三千名の僧侶が修学する大寺院であった。 明治以降、廃仏毀釈、境内地の公園指定、本堂焼失(明治6年、同42年)、戦災による諸得堂宇・徳川家霊廟の灰燼化など、政治的、社会的影響を多大に受けながらも、今日、伽藍の整え、東京を代表する寺院として、宗教活動、文化活動の基点となっている。 とまあこのような由緒あるお寺で忌野清志郎のライブがあったのさ。 なんだか全国各地でこの日の八時から十時の間電気を消そうと呼びかけでのイベントに特別出演で、そんでもって無料ライブ。 キョンキョンまで出演してちょっとしたお祭り気分。 8時ジャストには増上寺のバックにそびえたつ東京タワ―もこのイベントの為に2時間程明かりが消え(カニ道楽の電気も消えたらしい) 増上寺の境内に向かう階段には沢山のロウソクが灯され幻想的な感じでしたがな。ただやはり東京の空って明るいね。真っ暗闇を期待していたが意外と明るいの。 やはり港区界隈じゃ無理みたい。 今回の清志郎殿もまた出だしの掴みがナイスな演出でした。 なんてったってハゲヅラつけて坊主の格好で登場。 「増上寺のナマグサ坊さんズです―」とドラマ―と下手な漫才での幕開け。 いいのか、いいのか、こんな立派なお寺でそんな事やってと思っていたのも束の間、北朝鮮の歌まで歌いだして、我が清志郎殿、今回も楽しませて頂きました。 このイベントに参加してるボランティアに円の同期の子を発見。 あらまぁ―こんな事もしてるんだと、しばし立ち話。そんでももって行きの電車では以前客演させてもらった劇団さんの女優なんとバッタリ。やっぱ清志郎のライブ観に行く事のこと。会うときには会うもんだ。 最近新宿駅の南口に手相の勉強の為、 「手相をみさせて下さい」なる集団が多数出没。いろんな人たちがいるね。 暇だったから見てもらってもいいかなぁと思ってふらつくが、誰もオイラに声をかけない。観察してると皆必死に「見させて下さい」と頼んでるが、行き交う人達は断ってる。じゃ、可哀想だから俺から見て頂戴って、言ってやるかと声をかけたら(まあ、こっちから声かける奴も珍しいとは思うけど) 「女性の方の手相を見たいんです。スイマセン」と言われた。 ちょっと傷ついた。 雨も降ってきたんで、そのままいそいそと帰路につく。 ... ボ―リング大会 - 2003年06月21日(土) 夜中の1時から仕事先の呑み会∩ボ―リング大会開催。 総勢30人の大所帯。 俺下手だと思って苦手意識あったんだけど、今回なんだか調子良カ。 最終合計が俺トップ。そんでもってグル―プ優勝もしちゃって、1万円ゲット。 呑み代が浮いた。 呑み会となると、20代前半が右往左往してる仕事場だから、今だに一気とかやるからね。驚き。「優勝したんですから一気して下さいよ―」と言われちゃったりするから、あら大変。おじさん頑張っちゃいました。 店を出ると太陽昇ってるし、朝から仕事だし、夕方には清志郎のライブあるし、 体力なきゃ勤まりません。 ... チャリ通勤。 - 2003年06月20日(金) チャリで新宿まで通ってます。おれんちは小田急線の豪徳寺。 明大前に出て、甲州街道をひたすら直進。約40分の道程。 夜中は鼻歌まじりに気分よくスッスイのス―イってな感じなんだけど、 たまにやっかいなのが、警察官がやたら多い日の時。 笹塚で調べられ、環七でまた調べられ、三度目は明大前で1度すれ違ったのにも、 関らず、わざわざ二人で追いかけてきて・・・ さすがの仏の佐東もブチキレちゃいました。 「ざけんなよ!甲州走っただけで、三回目だよ三回目。俺の名前は佐東で世田谷に住んでて、鍵は二日前に壊れて(これはウソ)ライトが付かないのは今しがた球切れで(これもウソ)赤堤からせっせとチャリ通勤してんだよ!そして今友達が俺が帰ってくるのを、首を長くして待ってんの!(これもウソ)」と止められた瞬間にまくしたてちゃいました。我ながら大人気ない。警察官も仕事なのにね。 派手にやっちゃうと公務執行妨害で大変なんだよね、気をつけなきゃだ。 でもね、何とかしてほしいは、あれ。 1度登録調べたら、その日の日付の証明書渡すとか、一工夫して欲しいわ。 今度警察に掴まった提案しよう。 じゃなきゃまたぶちきれちゃうよ。 ... 最近の出来事 - 2003年06月08日(日) ワンピ―ス読破。全28巻揃えて、やっと昨日読み終えた。 いや、ありゃ、どこまで続く?サザエさん並みだなぁ。 そうね、最近の出来事とは書いてみたものの、別に平和な一週間が過ぎただけ。 サッカ―見たり・・4点も取られちゃったね。 全仏オ―プンテニス・ダブルス優勝しましたね。でもあまりTVで見てて面白くないね。決勝戦なのに空席目立つし。 もとテニス部としては、ヤッテル方が面白いんだけどね、ダブルスは。 意外と心理戦なんですよ。いや意外とじゃないな。裏の裏を読んで打ち込むボ―ル。これが快感。なんです。 ... 再会。 - 2003年06月01日(日) 余程、俺の電話の切り方が未練がましかったのか、昨日台風で来れなくなった、 友人がロマンスカ―で新宿まで出てきてくれた。 それも4歳になる子供を引き連れて。 15年ぶりと言え、やはり奴は奴で、何か話し方なんか茅ヶ崎してて(分かんないよね、茅ヶ崎してるって)兄貴って感じはそのままでした。 子供が可愛いんだ。 しかし子供のテンションって凄いね。 親となると毎日あれに付き合うんだろうから、大変だね。 正直、自分が子育てできるのか不安になった。 8月・9月公演に向けて台本を入手する。 面白いけど、なかなか大変。 NHKで棟方志功の番組をやっていた。やっぱこの人好きだね。 ゴッホに影響されたなんて聞いちゃったから尚更。 ただ、オラもゴッホ好きだけど、何も活かされてないから、ここが天才と凡人の差だね。 ...
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