来週、夫が遅い夏休みを取ることになった。
大阪へ帰省するついでに、どこかに寄っていきましょうよ。とすかさず提案する。 まっすぐ大阪に行ってもいいんだけどさ、家族三人でという時間も欲しいんですよ。
思いつきで海なんかどう、娘に見せたいねと言うと、伊勢志摩辺りに寄るか、と夫。いいねいいね、ミキモト?>安直な発想。
就職して最初の長期休暇だったか、会社の友人と和歌山に旅行に行ったことがあった。那智の滝と高野山というお若いOLにしては抹香くさい選択。
しかしこれが素晴らしかった。熊野古道も歩いたし、那智の滝のスケールのでかさには圧倒されたし、海は山の緑を映して深い青だった。日本の海ってこんなに美しいのか、と驚いたもんだ。 ※なんせそれまでの私の最南端の海は伊豆だったもので・・・。いや伊豆もきれいだけどさ。
電車を待つ間だったか、人気の無い駅で降りて、すぐそばの海で貝を拾った。そんな場面が一番覚えていたりして。
いや、ほんとに記憶に残っているのはカマスの焼いたのが美味だったことかも。洗濯物が干してあるような定食屋で、カウンターの向こうは晩のおかずだかなんだか大量のおいなりさんが大皿に山積み(ちょっと誇張記憶かも)。
炭火で焼いたカマスに、半分に切ったかぼすがついていて、こんなにおいしいお魚を、当時あまり外出しなくなっていた祖母に食べさせてやりたいと心底思ったのを覚えている。
うん、伊勢志摩いいんじゃない。 ※伊勢志摩と和歌山は近くて遠いのかしら・・・ここまで書いておいて・・・。
いや、かなりわくわくしてきた(強引)。
土曜日、横浜方面の友人夫妻宅に招かれ集まり花火大会鑑賞。自宅から花火が見られるっていいわー、うらやましいわー。
夫妻の愛嬢Rちゃんとは3〜4回目のご対面。二歳児同士手をつないじゃったりして、なんて微笑ましいのかしら。カーサン嬉しい。
あいにくの雨降りだったけれど、ばっちり花火が拝めた不思議。湿気ないのだろうか。
毎年夏冬と年二回は集まっているいつもの顔ぶれ。今回は短期留学中がひとり、先約ありがひとりと欠席もあったけど、かれこれ10年くらいのおつきあいになる。
娘の病気についても、血糖値を測っているときにそう説明すると「自分の親父もしてた。知ってる。」とあっさりした答えだったり、あれこれ詮索するようなことは一切なく。途中で公表というか、きちんとカミングアウトすべきかしら、とタイミングを探してみたりもしたが、うまく見つけられず、むしろ不要のような。
測定用具や注射を説明するのにかこつけて、ちょっと小声で愚痴めいたことを口にしても、ふんふんと静かに聞いてくれた男性二名。とても有難かったのだよ。わざわざ言わなかったけど。
触れてはいけないと腫れ物に触るようにされるわけでもなく、程よい距離感としか表現のしようのない感覚を味わった。
有難いです。
翌日曜日。
昼ごろまで眠ってしまった親子三人、ぼーっと過ごして夕方からカーサンの実家へ。野菜を持ってけと実家母から電話があったのだ。
草津での一件で、カーサンわだかまっているのか全然くつろげない。どっと疲労して帰宅。
いつか居心地よく感じられるようになるのだろうか。それともこのままなのか。カーサンのやり方次第という気もするが・・・。まだ放置しとこう(面倒くさがり)。
動物園に行ったときの写真が現像できた。
デジカメを持参したのだが、最近ちょっと調子が悪い。撮りたいときに限ってエラーが出る。そのたびにリセットせねば。電池ケースを開けたり閉めたり、開けたり閉めたり。
せっかくの動物園デビューをぱしゃぱしゃお気軽に撮りたかったカーサン、市場価格の倍くらいぼったくりな園内のショップで「写るんです」を購入したのだ。
出来上がりはなんといいますか、微妙なピント加減、しかもフラッシュ無しだから逆光のアングルでは人物真っ黒。当然。
結婚前、夫や友人がけっこういいカメラを持っていて、その写真の被写界深度の浅いのに憧れ、池袋ビッ●カメラでカーサンも一眼レフなんて買ってしまったのだ。
本体はペンタックスで、レンズはタムロンの28−200ミリのやつ。純正は高くて買えなかったんだったっけっか。
かれこれ10年前くらいのモノでもあり、でかくて重い。しかも純正でない悲しさ、近距離すぎるとオートフォーカスでピントが合ってくれず、望遠を伸ばしてフラッシュを焚くとレンズの影が半月状に写りこむという短所もあり、荷物の増えた出産後はとんと出番が減ってしまった。夫のカメラは故障したまま放置だし。
結婚前出産前、甥っ子姪っ子を撮るには大活躍したというのに、いざ我が子の段になってお蔵入りとはこれいかに。む。
いっとき激しくカメラを拒否していた娘だが、ここ最近また平気になってきて、いいお顔の要求に応えることも。
それに、オコサンの肌ってアップに耐えるのよねえ。
ほ、欲しいなあ。軽くてきれいに撮れるカメラ。
・・・いっそロモとか?
さきほど入浴中、娘が浴槽内側の段差に足をかけ、なにやら自力で洗い場に出ようとする仕草。なんでも一人でしたいお年頃全開だわ。
段差は浅いし、余りにもゆるやかなアールだし、無理無理。危ないよ、と娘に注意すると「ばーばがこうやってって」と満面の笑み。
ははあ、そうですか、大阪義母とお風呂に入ったときに、そうしたらいいよって教わったのね。
娘うんうんと頷く。
娘を浴槽から引き上げ、体を洗い始めたら「じーじ、ここにうかちゃんすわったの」。あ、そう。大阪義父と入ったときには、今カーサンが座ってる椅子に、あなたが座ったのね。
娘うんうんと頷く。
入院するまでは、週末はオトーサンと、平日はカーサンとお風呂に入るのが日常だった娘、入退院してからというものきっぱりとカーサン限定になってしまっていた。週末、足を伸ばしてゆったりお湯に浸かるのが極楽だったのにさー(鬼母)。 ※本気で拒否されるオトーサンもかなり悲しそうだったが。
それがアータ、義父が「じいじと入るか?入ろう!」と力強く娘に働きかけ、そのときは娘無言で曖昧な笑みを浮かべてカーサンの膝にひっつき、恥ずかしそうにするばかり。
いざお風呂が沸いた、の音楽が流れ(流れるんですよ)「どうする?」とカーサンが小声で尋ねると「じーじと入る」と殊勝な(?)答えをこれまた小声で口にする娘。
退院してから、まだオトーサンとも入ってないんですよ、と義父に説明すると、そりゃ息子に済まんなと、ちっとも済まないかんじではなくむしろ勝ち誇った顔つきで娘とうきうきお風呂へ向かった。
翌日は義母と、やはり同様のやりとりがあって、娘が「ばーばと入る」と宣言してその通りになった。義母の喜びようときたらそりゃもうアータ。
お風呂に入っている間もきゃっきゃと楽しそうな娘の歓声が聞こえてきたし、夜中にうなされるようなこともなく、娘自身も楽しかったにちがいない。 でも同時に娘に無理させてしまったかな、いい子を強制してしまったかな、と案じてもいた。夫にそのように心配している、と告白したら、考えすぎ、とあきれられた。
そうかしら。考えすぎかしら。
カーサンが娘をそう仕向け、娘もそれに応えたような気がしてならなかったのよ。
でも今夜、ちょっとすっきりしたよ。娘はじじばばとの入浴を楽しんだのだね。嬉しいよ。髪を洗いながらほっと安堵するカーサンであった。
ええ、私のことを過保護と、或いは取り越し苦労とでも、お好きに呼んでいただいて結構ですわ。
追記:娘との会話。
「じいじとお風呂、楽しかった?」 うん、たのちかった。 「ばあばとも、楽しかった?」 うん、たのちかった。
「じゃ、オトーサンとは?」 オトーサンは、ハダカンボ。
そらそうだ。正解。
あああああ、起きたら歯医者の予約時間30分前。まま間に合わない。
娘は昨日一日だらだらごろごろして過ごし(娘だけじゃないカーサンもだわ)、夕方から眠そうな目をしている。夕飯を食べ終わる頃、食卓椅子に座ったまま寝てしまった。
眠りは深いらしく、布団に移して睡眠続行。むむむ。ヘンな時間に起きるんじゃないの・・・。
ほらほら、ヘンな時間に覚めてきた。起きるかと尋ねれば寝るといい、寝かそうとするとむくりと起きる。くぬやろ眠いくせにー。 ここで寝かさないと、明日起きられないわよ。根性で寝かそうとするカーサン。
しかし二時間の努力も空しく、オトーサン帰宅と共にうきうきと起床。「タイミング悪かった?ごめんごめん」と謝る夫。帰ってくるなとは言わないけどさ。言わないわよ。言ってないって。
しかもぶーぶー不機嫌だった娘が一転して「オトーシャーン」なぞと晴れやかな笑顔を見せるもんだから、カーサン空しさ倍増。
空しさとあいまって、今頃になって義父母滞在中のストレスをあれもこれもと反芻して無表情になる。なにさなにさ、カーサンだって自信ないから不安を口にしたのに、あんなに不機嫌そうに返事することないじゃないか、と夫への小さな不満が次第に腹の中で大きくくすぶり始める。
さすがの夫も妻のあまりに不穏な気配を察し、食事の後片付けをさらりと済ませ、おもちゃをこれでもかと出そうとする娘を制し、親子三人で布団部屋に移動するよう誘導、しかもカーサンの腕でないと寝付かない娘を脇に抱え込むようにして眠らせることに成功した。ブラボーな腕前だ>夫。なかなかやるじゃないか(他人事)。
親二人もしばしいびきをかいて、深夜女子レスリングに備えたとさ。
・・・その結果が寝坊で歯医者延期とは。とほ。
今朝、義父母揃って大阪へご出立。青春18切符で往復する体力に驚嘆する。
そして起きなくてよしとの気遣いを、まんま実施する眠りたがりの嫁。え?ジョーシキ的にそれはありえないですかね?
木曜日の晩から4泊5日の滞在、娘は大変愛想よろしく、特に退院してから初めて接触する大阪じじには喜んでいただけた様子。ほっ。
ほぼ一ヶ月ぶりに娘と過ごした大阪ばばとは、娘の変化について共感しあうことしきり。たくましくなったというか、いじけなくなったというか。 退院直後のナイーブな一面はすっかり影をひそめた今日この頃。
夫抜きの平日には池袋のデパートまで詣でてみたり、日曜日には娘上野動物園デビューも出来たし、じじばばにも安心してもらえたようでよかったよかった。
実際この部屋に姿が見えるときには、まるで思春期のお嬢さんが感じるようなストレスを義父に対して感じ、寝付きが悪くなったりもしたのだが、「根は善人」が幸いするのか、単に喉元過ぎて熱さを忘れるのか、また会いたいなあと単純に願うカーサン。 なんなんざんしょ。 ※ひとつひとつ指折り数えることもできるけど、ここに書こうと思うとそのあまりの馬鹿馬鹿しさに情けなくなってきてしまう。
そして、かぼちゃと格闘して親指をざっくり切った嫁を気遣って、全ての洗い物を引き受けてくれた義母、相変わらず頼もしいお方であった。
動物園で低血糖しかも眠ってしまった娘を前におたおたするカーサンを尻目に、ダッシュでソフトクリームを買ってきてくれたあのフットワークを、私は忘れないだろう。
二人とも娘の病気に対して同情的てはあるが、病気や治療に関する情報を積極的に集めようとしてくれている。カーサン病気について、娘の周囲ではナンバーワンの物知りになりたいと思っていたが、またひとつ肩の力が抜けたような気がする。
また九月に大阪でお会いしましょう。娘は大層楽しみにしておりますです、はい。
おかげさまで二歳八ヶ月。身長86センチ、体重12キロ。
●特技 歩かない。家の中では「”まてまて”ちる〜」などと走り回って迷惑なほどだというのに、一歩外に出た途端に「だっこだっこ」と足元にまとわりつく。
カーサン、娘と二人のときは、基本的に己の非力を理由に却下する。 或いは持っている荷物を見せ、娘に理解を求める。ま、理解してくれることは少ない。
オトーサンとじじは抱っこマシンだと思っているフシがある。確かに彼らは献身的だ。
しかしカーサンは知っている。最近オトーサンは週末になると夜な夜な肩に湿布を貼っているのだよ。なんせ12キロ。米以上だものね。
●ジブリ地獄 正確には「魔女の宅急便」地獄。 しかしこの年頃のオコサンの記憶力にカーサンほれぼれするくらいだよ。
ユーミンの主題歌、エンディングはもとより、キキとジジの会話やらなんやら台詞を再現、VTR冒頭の「ジブリがいっぱいコレクション」のナレーションまでこなす。
最近語尾が妙に女らしく「・・・ナノヨ」「・・・ダワヨ」と「ヨ」がつくのは、画家の女の子の台詞「あたしそういうの好きよ」を覚えてからのような気がする。
地獄といいつつ、カーサンもこのお話気に入っているからさほど苦にならない。
矢野顕子の出前コンサートのDVDの「ふりむけばカエル」リピート地獄よりましなんですよ。
●否定 自分の気に入らないことは全部否定形。
「オカーシャンご飯食べないよ」 「オカーシャンおなか減らないの」 「おなべカタカタっていわないの」 「だっこちて、だっこちてよー、もー」 「ちゃびちくなっちゃったーーー」 おっと後半は否定ではありませんね。
夕飯前は特に顕著。「寂しくなった」と伝家の宝刀抜いたつもりだろうが、あーたそう頻繁に寂しくなられても。
●パターン 大騒ぎでご飯を食べて、満腹になるとひとり遊びにしばし没頭する。
「○○○○になっちゃったの?」 「ちょうなの、×××××なのヨ」 「じゃあ△△△△△ちまちょうよ」 「みっきちゃーん、みっきちゃーん」
大層忙しそうである。結構結構。 しかし一人遊び(ごっこ遊び)のときって、何故小声かつ多少キーが上がるんでしょうね。よそいきの声?
カーサンときたらその隙に次のご飯の支度を(!)してしまえと目論むもんだから、最近おかずときたら煮物ばっかりですよ。先週末なんて季節はずれにおでんを仕込んだら、うまいこと涼しくなってくれて天の采配に感謝感謝。
●トイレトレ まったく無頓着にしております。 お尻を丸出しにしているときに限り、「おちっこでるよ」と宣言し、電気さえ点けてやれば幼児用便座をセットし、よじ登って済ますことが可能。
「ちっこでたよーー」と呼ばれ、トイレットペーパーを千切って渡すと嬉しそうに丸め、「ちょんちょん」と擬音をつけながら拭き、どうにかこうにか便座から降りて水を流す。
楽しいイベントかなんかと勘違いしている様子。
布パンツはお尻に張り付くといって嫌がるので、結局紙オムツさ。
●擬音といえば 走るときに「たったったったっ」と自分で言う。カーサンそれがすごく好き。
金曜の晩、わけもなく悲しくて怒ってもいて、カーサン久々の大爆発。 恥ずかしながら、娘並みかそれ以上に号泣して、それですっきりしたわけなんですが。娘就寝後のこと。
理由はね、たぶん寝不足です。ええ、それはもう眠かったんだ(某エロブログ調)。 土曜の昼、二時間も昼寝したことからも、それが妥当なところなのではないかと。
「オカーチャーン」と呼ぶ娘に「寝かしといてあげよう」なんて夫が殊勝なことを・・・とにんまりしているうちに、ぐっすり二時間。起きたら夕方。
空しくなりかけた妻の心中を察したのか、夫が花火を見に車を出してくれた。
見上げる空はどんより。降りだすまで秒読みかと思いきや、これがどうにかもった。花火渋滞を避ける裏道をひた走り、コンビニで夕飯を仕入れ、川原で待つこと1時間弱、なんと真正面に上がるどでかい花火。
娘、一発で涙。こわかったかい、音が大きかったね。
花火が始まって一時間ほど経つと、今度は飽きてきやがった>娘。 もうおうちかえるよ、ぶーぶ乗るよ、と断言。帰ろうよ、とか乗りたいよ、とか、提案すらせずに、いきなり断言かよ(三村つっこみ)。
娘にとって快適な花火とは、移動する車中から小さく見えるものらしい。
いつか君を熱海の花火に連れて行ってあげたいよ。 カーサン小さい頃、手に持った紙コップが震えるほどの大音響の中で見たもんだ。
熱海はね、前が海、後ろが山だから音響がすこぶるいいんだ。
ってなことブッて、結婚前に夫を連れていったことがあったと思うのだが。 本人否定。否定どころか、「誰と行ったんだ」と追求。
こんな目の前で花火見たのは今夜が初めてだと言う夫。そんな馬鹿な。
おかしいな。カーサンったら誰と行ったのかしら。ほほほ。
二度目の外来診察に行った。
ごりごりと入れてもらった予約のおかげで午前中の診察。空いてていいね。 そしてU先生も余裕のある感じで大変結構。
なんとなく、診察のお作法がわかってきた。
U先生の話を遮るのはなによりご法度なのね。
まずはあちらさまのお話をしんみりと聞く。尋ねられたことには簡潔に答える。何かご質問は?と切り出されて初めて、こちらからの発言が許されるのだ。
よーし大丈夫だ・・・大丈夫な気がする。うん。
======================
それにしても娘がよくしゃべる。口答えさえする。くぬやろ生意気な。
なにやらもっともらしいことをその小さな口で、そしてそのしゃべり方はカーサンの特徴を見事に捉えている。ええそりゃもう腹立たしいほどに。
「○×*@になっちゃったのネ?そしたら*$%&したらいいんじゃナイ?ネ?」
怪しい。丸め込もうとする魂胆がミエミエ。
「ウーン、いいんじゃナイ?いいとオモウヨ?」
何故に語尾を上げる。
退院と、しゃべりが達者になったのと、ほぼ同タイミングだ。偶然なのか、それとも何か因果関係があるのか。
謎は謎だが、面白いのでヨシとする。
追加:「ひっくり返るコトバたち」 ・おぎにー ・・・おにぎり ・とうもころち・・・とうもろこし ・やだのー ・・・やなのー ・ぴるげっと ・・・ピグレット
すみません、親馬鹿炸裂で。
夜は18度という快適納涼草津温泉より帰宅しました。
娘は変化に富んだ4泊5日の楽しい時間を送ることが出来たと思う。予定より一日早くオトーサンが帰京してしまった以外は。ま、仕事だ、しかたあるまい。
私の方の実家は自宅が事務所を兼ねているので、日曜日はともかく、平日は空気が仕事モードである。実家じじとしては、日頃不可能な、孫娘と思う存分遊び倒すという目的ひとつで草津に連れて行ってくれたようだ。
こりゃカーサン楽が出来るぜ。しめしめ。
とにやついていたら、伏兵出現。
実家じじから「かわいそう」発言。注射はかわいそうだから回数を減らせというのだ。そんな無茶な。母親である私が「神経質すぎる」、「血糖値なんて高くてちょうどいい」と。 ※しかも夫が帰京した翌日から。娘になら言ってもいいと思ってるな、こら。
実家じじは医療の専門家でもなんでもないのだ。2型の糖尿病の知り合いから聞きかじった情報だけで、「高くていい」とは何事だ。
「血糖値が高い」という成績に一喜一憂しているわけではないのだよ。高い=エネルギーとして消費されていない=だるい、という図式が成立するんだし、10年20年後に孫娘の目が見えなくなってもいいのか(極論)。
神経質なのではない、適切に注意を払っているだけだ。
今のところ、娘は注射を拒否することは出来ない体なのだ。だからこそ、自分をかわいそう、と思っては欲しくない。
注射は当然のこと、と受け止めることが出来るように配慮するほうが愛情ってものじゃないか。
交渉次第で注射は避けられる、と娘が感じたら、それこそ気の毒だとカーサンは思うのだ。
なんてことをぶつぶつ考えていたら、夜眠れなくなってしまった。 温泉で一息どころか、ストレスのシャワーを浴びたような気分。
ぼんやり起きて、電波が一番よく入る台所の窓際で、ケータイネットチェックをしたりしていたら、ばばが寝ぼけた顔で様子を見に来た。トイレでひっくり返っているんじゃないかと思ったそうだ。ははは。カーサン貧血体質はばばの遺伝だが。
翌朝じじばばより遅く起床、するとじじばばともに、手の平を返したように血糖値測定に協力的。おやおやー。でも助かるわ。
孫娘の笑顔だけを見ていたいのはよくわかる。 泣き顔を見るのはつらいだろう。
入院中も、面会の間笑顔は絶やさなかったが、娘に付いている点滴の針やインスリンのポンプを直視できなかったじじだ。娘に対して「不憫」という言葉を、入院中唯一私の前で口にした人だ。
愛情ゆえってことで、今回はチャラにしてさしあげてよ。
でも次回からは確実にキレます、くれぐれもご用心めされよ>じじ。
しかしいいベンキョになったよ。娘と二人だと当たり前なことたちが、周囲の人の目にはそうではなく映るっていうのがよくわかった。
その温度差を前提に、いろいろ考えなくてはいかんのだね。うん、教訓教訓。
今私の頭の中を占めている大半は、娘の病気のこと、入院経験で感じたこと、これからの不安、そんな病気関連のことばっかりで、なんと申しましょうか、変化に乏しい。
発症、入退院、といきなり沸騰状態だった頭の中が、お鍋が冷めてきてじんわり味がしみ込んでいくように、少しずつあっちでもこっちでも沈殿し始めているのかもしれない。
考える時間の割には成果があがらないのが難点だが、まあこれも貴重な人生の一部。行くところまで行ってみよう。
好機と思えば好機。
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明日から実家じじばばの好意に甘えて草津温泉に避暑でございます。 さばつぶ以外の更新は、11日の帰宅以降になりますが、またどうぞよろしくおつきあいくださいまし。あ、写真もちょくちょく更新したいなー。
U先生にお礼のメールを出した。
予約をねじこんでくれたこと、診察時間中に電話に出てくれたこと、低姿勢のメールをくれたこと。やはりこれは感謝すべきことだ。
話し方の相性は悪いかもしれないが、私も言葉の裏ばかり読み取ろうとせず、良い方に解釈してみようと思う。
医者も人間だ。歩み寄ってみよう。・・・どれだけ近寄れるかは不明だけど>まだ言っている。
あのう、予約が取れてしまいました。←幾分済まなさそうなかんじで書き始めてみる。
何度メールチェックしても返事は来ない。 外来に電話したらU先生本人とつながっちゃったよ。別に直で話したい気持ちはさらさらなくて、単に午後でもいいから予約を入れておこう、その後またメールしておこうくらいの気持ちだったのでカーサンちとおどおど。
U先生相変わらずだよ。この人の話し方は、なんていうか、自分に不利な状況は絶対に作らない、すごく誘導上手。
まんまとそれに翻弄される自分が悔しくて、彼の印象が最高潮に悪い。悔しいってなんだよ>自分。勝負してるわけでもないのに。
聞きたいのはそこではない、という説明を聞きながら、だからそうじゃなくて、と蒸し返すことが出来ない。くくく悔しい。
「僕は400人診ているんですよ」という台詞に頭が沸騰しそうになる。いつぞやのマンションの営業と同じレベルの発言だぞ(わかりにくい比較)。
それでも一人くらいの融通は利くというのだろうか、口約束通り12日の午前中に予約を入れてくれた。
戦利品はブラボーなはずなのに、憂鬱な気分で受話器を置く。負けた・・・。そんな気分。だから勝ち負けじゃないって。
そしたらU先生からメールの返事が来ていた。これが仰天するほど腰が低い。まず謝罪から始まり、木曜午前が混まないからベストという助言があり、「何か疑問点がある時には遠慮なくおっしゃってください。」と締めくくらている。
なんかもうわけわからん。どっちが真の姿なんだ>U先生。
本当は親切な医師だが、彼のデフォルトとして感じの悪い威圧的な話し方をするだけ、と理解しておけばいいのだろうか。
ところで12日の予約をどうすればいいのかについてはメールに明記されていない。ここらの抜け具合がカーサン的にはツボ。
ツボといえば、彼の印象をくっきりとしたものにしてしまったのが、「手帳への書き込みの件」だ。
娘の病気は小児慢性疾患に含まれ、申請すると手帳がもらえる。一貫した治療や指導のためでもあり、状態が急変したときのための緊急覚書でもある。
「特記すべき事項」「緊急時に対応すべき医療情報」「検査の結果」などの欄があり、これは「保護者からみた健康状態の記録」とは別格、医療者に記入してもらうべきかな、と思い、前回の外来のときに持参した。
診察室で手帳を見せ、こちらが期待したのは「どれどれ」とボールペンでなにやら書いてくれるか、或いはこのように記入しておけばよい、という指針をもらえるか、だったのだが、実際は「ちっ」という舌打ちすら聞こえてきそうな(この辺は被害妄想入ってます)「カンゴフサーン(大声)全部手続きやり直してー」という事務的な叫びだった。
期待が大きいと、落胆は比例と申しましょうか、倍増倍々増するもんですね。
というやりとりを帰宅して夫の前で再現してみせ、「なにも書いちゃくれなかったよ」と肩を落とすと、「いや、ここ見てみ」と夫。
私が記入した「本人」「保護者」の住所氏名の他に、「主治医」の欄にU先生の苗字を書いていたのだが。苗字だけだったのがいけなかったんでしょうか、お名前の方がU先生の筆跡で二文字輝くように書き込んであったとさ。
呼び捨てにしたつもりはなく、「主治医グループのU先生以外3人の名前を括弧して付け足そうかなあ」と迷った箇所だったのだ。
よりによってここだけかよ。夫から手帳をもぎ取ると、床に叩きつけてダチョウ倶楽部上島を演じてしまったカーサン。そんなですからまだまだ修行が足りない。
次回の外来はたしか12日。ところが何時だったかが思い出せない。病院関係のファイルを見ても、診察券以外なにもない。
ここで既におかしいのだ。次回の予約を確かめる紙切れ一枚見つけられないなんて、大学病院の外来診察でそれはないだろう。
不安を胸に病院に電話。不安的中。予約は入っていないというのだ。
診察室で先生と午前中の何時と約束したのですが、と食い下がってみたが、診察後受付で予約の手続きをしないとだめだという。口約束だけではねえ。 つれない口調に目が釣りあがるカーサン。
おいおい。12日の午前中ってことで、じじばばを巻き込んで草津温泉行の日取りまで変更したってのに、そりゃないぜ。
前回の外来診察は、手際が悪いとか非効率とか、そんな言葉を脚本にしたらこうなるだろうっていうくらい、非常に段取りが悪かった。
最後に薬その他を受け取るのだって、誰に聞けばいいのか、どこに行けばいいのかも指示されず、しかもU先生本人が処方箋に記入した「スミ」の二文字のおかげで事態はますます混乱したのだ。
看:もう済んでいるんでしょ? カ:いえいえ、モノはまだ頂いてないんですよ。 看:じゃあ誰が「スミ」って書いたのかしら? カ:・・・U先生ですよっ。
そこでさらに予約の手続きが必要だなんて、カーサン思いつきもしなかったよ。 知らないことに気付くってのは、相当のイヒ!が必要、カーサンイヒ!のカケラも持ち合わせていないんだから。
はー。ため息が出る。
メールでいつでも連絡ください、と患者フレンドリーなことを言うU先生。お昼にメールを送ったけどなんの反応もないよ。
前にも薬というか、使い捨ての器具が不足しそうという相談をメールしたんだけど、「メールの調子が悪い」とかで反応が悪かったんだよねえ。 メールの調子が悪いってなんなんだ。
結局電話連絡で外来の受付事務のおねえちゃんと話して片が付いたんだった。 ※受け取りに行った夫によると、美人女医K先生が外来にいたんだけど、彼女からも受け取る場所などについてひとつも指示がなかった、あれは病院の体質かもよ、と言う。
こういう不満を医者にぶちまけていいものなのか。
医者の仕事なのか、看護師の仕事なのか、医療事務の仕事なのか、それともそれは患者の仕事なの?
コーディネーターとかソーシャル・ワーカーとかを配置している他の病院に心惹かれる私は間違っているのだろうか。
専門の医師がいる、おかげさまで娘の血糖値の管理は今うまくいっている、不通はともかくメールで相談を受け付けてくれる。 この3点で「転院」という発想を抑えるべきと判断してきたんだけど、ちょっと揺らいでいる。
主治医U先生の圧迫面接法みたいな口の利き方が嫌、主治医グループのM先生がU先生のご機嫌取りに終始する姿勢が嫌、外来の看護婦さんが不親切。
くだらない理由のように思えるんだけど、これがけっこう胃痛の元なんですよ、奥さん。
「ちっくんちゅる、ちっくんちゅるのーー」という娘の台詞を引き出すために、三度のごはんのたびに彼女を脅迫している。 「ちっくんしないのね?じゃ、ご飯オカーサンだけ食べちゃうからね?」
これを言わずに済む方法はないものか。お互い気分が悪いじゃないの。
朝っぱらから娘をつかまえて説得する。
ねえ、ビョウインに行ったの覚えている?カンゴフさん優しかったね。
ゆかはぱっちんとちっくんをしないと、ご飯を食べても元気が出ない病気なんだ。病気とは仲良くなったから、先生がいいよって言っておうちに帰ってきたんだよね。
ぱっちんとちっくんすれば、元気でいられるんだけど、しないとくたびれちゃうんだよ。わかる?だからがんばろう?オカーサンとがんばろう?
「ワカッタ」と神妙にうなずく娘。
しかしその後の朝食前の測定も注射も、いつものように嫌がって先延ばし作戦を展開。
結局いつものキメ台詞の登場。これなしでいきたかったのにい。
パンをトマトをきゅうりをハムを食べながら、娘ふとうつむいて小さな声でつぶやいた。
「げんきがでない・・・」
ごごごごめん。わかりづらかったよね。大丈夫だよ、もうちっくんしたから元気出るよ。大丈夫大丈夫。焦りまくるカーサン。
反省。まだ理屈で説得するのは無茶だったか。
なんでもかんでも、とにかく当たり前にしちゃいなさい、かわいそうと思ってはダメ、という主治医U先生の顔が頭をよぎる。
でも嫌がってるんですよ。当然の儀式として定着するには、当分時間もかかるだろうし、カーサン例の脅し文句も続くだろう。
どうしたもんか。こんなことだけど、主治医にメールしてみようかなあ。
どこにも行かない日曜日。
旧PCに残ったままになっていたデジカメ画像を、ちまちま夫婦で現PCに移していたら午前3時。眠い。使い物にならない二人。
午後、カーサンは図書館へ。「小児糖尿病」でヒットする本を全部予約していたのだ。全部と言っても3冊だったけど。
なんだかんだ言って、カーサン頭の中が娘の病気のことでいっぱいだ。
将来の不安なんて、細かいことまで妄想を膨らましていたらホントきりがない。また妙にリアルに膨らむんだ>妄想。
まだ現れてもいないバーチャルな敵を思い描いては、カーサン戦ってやると息巻いたり、逆にしょんぼり萎れてみたり。あほか>自分。
娘とふたりでまったり過ごしていられる平日は、刺激は少ないけど安全で快適な殻の中状態だ。病気のことも、注射のことも、娘とカーサン二人の問題にすぎない。
来るべきときがくれば、来るべき問題が浮上するだろうし、それはそのとき対処していけばいいだけのことだ、とわかっちゃいるんだが。
はー、深呼吸深呼吸。
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