日々雑感
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タルコフスキーの「サクリファイス」を観る。渋谷シアター・イメージフォーラムにて1ヶ月近く続いてきた「タルコフスキー映画祭」の、今日が最終日。ぎりぎり間に合った。間に合ってよかった。
映画の冒頭と最後とに流れていたバッハの「マタイ受難曲」が頭から離れず、CDがほしくなってHMVに寄り道する。それだけで棚の一列を占めるほどの版の多さに、一枚を決めかねて今回は見送ることにする。かわりに、なぜか「永遠と一日」のサントラを買ってしまう(これもほしかったのだ)。
帰宅後、隣りに住む友人から電話。誕生日祝いにもらったケーキがあるのだが、食べに来ないかと言う。昨日は彼女の誕生日だったのだ。もちろん、よろこんで出かける。夜遅くに2人してケーキ。ナーちゃんには犬用ガム。皆、満足。
吉祥寺にて友人とお茶。地下へと降りてゆく洞窟のような、それでいて圧迫感はなく、不思議に居心地のよい喫茶店にて。
ちょっとした話から、どんどん膨らんだり、脱線して思いがけぬ方向へいったり、気がつくとずいぶん時間も過ぎている。よい喫茶店に共通しているのは「時間を意識させない」ということだと思う。コーヒーのおかわりもしつつ、思う存分話して、聞いて、閉店時間も近くなった頃に外へ。
友人とわかれたあとも、いっしょにいた時間の余韻が残っているのがわかる。楽しかった。夜道は寒いけれども、何かしみじみと嬉しい気分で帰る。今夜は星もよく見える。
おでん屋へ行く。
ほんとに狭い店で、おでんがぐつぐつと煮える大鍋を囲むようにいくつか席があり、他に小さなテーブルが2つ、3つ。壁も柱も椅子も、ずいぶん古くからあるようで鈍く光っている。店内は仕事帰りの人々で満員だ。
お店の人が見つくろってくれた一枚目の皿には、大根、がんも、こんにゃく、焼き豆腐、袋物など山盛り。他に、さつま揚げ、ちくわぶ、はんぺん、しらたき、すじ、うずら巻きに銀杏巻き、飯蛸、それに大きな里芋。どれもじんわりと出汁がしみて美味。食べながら思わず満足のため息をつく。かき氷が暑い季節のものであるように、おでんは寒い季節の幸せだと思う。
3人で行ったのだが、瓶ビールから始めて、途中で熱燗に移る。おちょこ片手に「『センセイの鞄』のセンセイ役は果たして柄本明でいいのか」「紅白歌合戦で中島みゆきが黒4ダムから生中継で『地上の星』を歌うというのは本当なのか」など、だらだら話す。締めは茶飯におしんこ、熱いお茶。
すっかり温まっての帰り道、辺りいっぱいに落葉が広がっている。乾いた落ち葉を踏む感触が好きだ。霜柱を踏むのと同じくらい。
晴れた。紅葉も空も色鮮やかな日。道路に落ちる影が濃い。
道端にて野良猫と会う。はじめて見る顔。逃げられるかと思いながら近寄ると、じっとして動かず、頭をなでさせてくれる。猫の身体はあたたかい。当たり前ではあるけれども、生き物には体温があるのだと、しみじみ思う。
猫が人にくっつきたがる季節がやってきた。週末には12月だ。
久しぶりにちゃんとした雨降り。
最近スーパーの食料品売り場に行くと、よく「きのこ」の曲が流れている。何というタイトルかは知らないが、「きのこのこのこ元気な子、エリンギ、まいたけ、ぶなしめじ」というフレーズが延々と繰り返されるもの。買い物に行く度にどうにも耳について、外を歩きながらも、気づくと「エリンギ、まいたけ、ぶなしめじ」を口ずさんでいたりする。おそるべし。
「おさかな天国」もそうだったけれど、宣伝ソングに必要なのは印象的なフレーズをこれでもかと繰り返すことだろう。かといって、きのこを前よりも買うようになったかというと、そんなこともないのだが。
雨に濡れた銀杏もきれいだ。葉っぱもだいぶ落ちて、地面のほうが黄色くなっている。
川上弘美の『センセイの鞄』がドラマ化されるらしい。来年2月放映予定。ついに、という感じである。
「月子さん」役は小泉今日子、「センセイ」役は柄本明という。小泉今日子は、月子さんには少し「はっきり」しすぎているかなあという気がする。月子さんに川上弘美本人のイメージを重ねながら読んでいたせいか。「センセイ」はもうちょっと年をとっていて枯れた雰囲気がある人だと思っていたので、柄本明というのは意外だが、なかなかよいかもしれない。一度、柄本明を街で見かけたことがある。テレビなどの画面を通すと茫洋として見えるけれども、不思議な凄味と色気のある人だった。
常々川上弘美ファンを公言している久世光彦が演出というのも楽しみだ。ただ、放映するのがWOWOWというのが残念。
昨日も今日も寒かった。明日はどうだろう。
京王線に乗って、多摩センター駅まで。多摩映画祭にて、佐々木昭一郎「春・音の光」を観る。
偏愛の書があるように、偏愛の映像があるとすれば、自分にとってはこの作品だと思う。ピアノ調律師の「栄子」が、世界中の川のほとりを「音」を探して旅する「川・3部作」の最後の作品(どれもNHKのドラマとして放映されたもの)で、舞台はスロバキア、ドナウ川だ。1984年の初放映を観たときに、何か決定的なものを与えられてしまった気がする。今の自分がよいと思うもの、求めるものは、全部この作品の中にある。久しぶりに観て、そのことを再確認した。
全編に満ちている音。山にこだまするフヤラ、カウベル、白木のピアノで奏でるモーツァルト、古い教会の中のオルガン、そしてテーマ曲のようにして流れてくるチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」。音を探すということ。耳をかたむけること。
映画祭は途中で抜けて、今度は小田急線に乗って参宮橋まで、ブルガリア舞踏団の練習におじゃまする。「タパン」という名前の太鼓をはじめて叩かせてもらったのだが、バチの使い方、リズムの取り方など難しい。けれども楽しい。思うように手が動くようになって、演奏と踊りのうねりをしっかり捕まえられたら、たまらないだろうと思う。
何だか興奮状態で、練習後に入った居酒屋で焼酎を飲みすぎる。うれしくて、楽しかったんだろう。「音」にたくさん会った日。
雪が降りそうな匂いのする日。
ついこのあいだまでは七五三の衣装だった不二家のペコちゃんが、もうクリスマス用の赤い服を着ている。道沿いのマンションに大きなクリスマス・リース。そして、花屋の店先には真っ赤なポインセチアが並ぶ。街は着々とクリスマスに向けて準備中らしい。
夕方も、5時前にはもう暗くなる。日も暮れて色のなくなった街に、店の灯りが浮かぶ。食べ物屋だったり、服や鞄が並んでいたり、店の中の灯りは皆オレンジ色でやわらかい。自分でその中に入っていくわけではないけれども、店の灯りが道路に漏れている眺めはいいものだ。窓の向こうに、こじんまりと暖かそうな世界がある。小さいけれども、確かな世界だ。外は寒い。しっかり上着の襟を立てて歩く。
寒いけれども、夜は久々に家でビールを飲む。「鞠花」という名の、キリン一番搾りの限定品。コタツで飲むビールもまたよし。
夜ゼミの前に学食で腹ごしらえ。「めかぶきのこ蕎麦」を食べる。
「めかぶきのこ」という茸があるわけではなくて、具は「めかぶ」と「なめこ」。このふたつの他にも、オクラとか、とろろとか、納豆とか、モロヘイヤとか、「ねばりもの」は皆好物。
学食の蕎麦の味は駅のホームの立ち食い蕎麦に似ている。地元にいた頃、1時間に1本の電車を待ちながら、寒いホームでよく立ち食い蕎麦を食べた。いつもかけそば。七味をたくさんかけるのだ。「めかぶきのこ蕎麦」を食べつつ、そういえばまた帰省の時期が近づいてきたなあと思う。
帰り、スーパーに寄り道。今日は贅沢して、気になっていた缶ビールの新製品とチョコレートプリンとを買う。「ねばりもの」は、今日はなし。
今日も課題を抱えて半徹夜。寒い夜は何だか静かだ。あまりにもしんとしているので、部屋の中に動くものがほしくてテレビをつける。
NHKでは「映像散歩」と題して、古い映画音楽にあわせて世界各地の風景を映している。BGMがわりのつもりだったが、「サウンド・オブ・ミュージック」にのせてザルツブルクやアルプスの様子が流れてきたあたりから見入ってしまう。
オランダ、白壁のつづくスペイン、ポーランド、カリフォルニアや夜のニューヨークの灯り。世界にはいろんな街があって、いろんな風景があるのだ。そして、そのほとんどを自分の目で見ることなく、私もいつかここからいなくなるのだろう。人がこの世にいられる時間はあまりにも短いのだと、深夜のテレビの前、しみじみと思った(まるで何かの啓示のように)。人の気配が消える夜には、妙に感傷的になってしまうらしい。
明け方、眠る。目覚まし時計のセットも忘れず。
風が強い日。落葉の嵐。
夏が過ぎ、秋がきて、やがて葉っぱは散ってゆく。音もなく落ちる。アスファルトの道に落ちた葉は、土に還ることなくいったいどこへ行くのだろう(掃除する人がそんなにいるわけでもなく)。
夜になっても風は止まず。コタツに入りながら、その音を聞いている。
週末に上京していた友人が帰る。向こうは雪景色だという。
冷蔵庫を開けると、友人が残していったヨーグルトやコーラなど残っている。他にお土産といって差し入れてくれた「ひとくちクッキー」や「ピーナッツ揚げ」も。古い友人だけあって、お菓子の好みがよくわかっている。コタツに入りながら、ありがたくいただく。うれしい。
明日までの課題を抱えつつ、夜はテレビでサッカー観戦。これだけはどうにもやめられない。
2002年11月16日(土) |
カート・コバーン似の彼 |
昨日、友人が上京。夜遅くに家にやってくる。
古い知り合いのライブを観ることが友人の目的のひとつだったのだが、その会場でなつかしい人に会ったという。高校の頃の同級生だ。その彼と、友人と、自分と、3人とも高校2年のときは同じクラスだった。強面で、そっけなくて、わかりにくいけれども、とてもやさしい人だった。
友人いわく、数年ぶりに会った彼はカート・コバーンのような髪型をして「ものすごくかっこよくなってた!」。大学時代に弾き始めたベースを今も続けているようで、昨日のライブにも出演していたらしい。数年前に結婚した彼には、もう子供もひとりいる。女の子。おまけに仕事は小学校の先生。
頭はカート・コバーンで、ベース弾きで、先生で、一児の父。素敵だ。久しぶりに会って「いい顔つきになった」と言われるような人に私もなりたい。
一夜明けて、今日は隣りに住む友人も合流して3人で飲む。焼酎祭り。おそるおそる注文した「カフェ・ラテ焼酎」が思いがけず美味かった。
バイト先へ向かう道の途中にボクシング・ジムがある。道路側は大きなガラス戸になっており、リングで練習している様子など全部見える。夏には戸が全開になって、ジムの中の音まで外に聞こえていた。
そして、あの暑かった頃も、寒くなった今でも、ガラス戸の真ん前には必ず人だかりがしている。連れ立って見学に来ているというよりは、通りかかりの人がふと足を止めて見入っているという感じ。ほとんどがひとり。スーツ姿から学生風、そこいらのおじちゃんまで、男性率99パーセントだ。
日の暮れた街に、そこだけテレビの画面のように明るく浮かび上がるリングとボクサー、そして人々の影。皆、そこに何を見ているのだろう。
今日は薄暗い服の男性陣に混じって、セーラー服姿の女の子がかぶりつきで見ている。こちらは2人連れ。自分がリングの中にいる立場だったら、きっと張り切ってるだろうなあと思いつつ通り過ぎる。夜は寒い。
銀杏の黄色は青空によく映える。近所のお寺の境内。紅葉した葉に日の光が透けて、ふとガラスのように色のついた影が落ちているのではないかと思ってしまう。
このお寺は路地の奥にある。いつだったか、朝早くお寺の前を通りかかると、路地裏の玄関からあばあさんがひょいと現れて、お寺に向かって手をあわせ、深く一礼してまた消えていった。手をあわせる。祈る。願かけなどとも違って、ごくごく自然に。地元の浜辺、のぼってきたばかりの朝日に向かって手をあわせていた、あるおじいさんの姿も思い出す。
夕方、部屋の窓を閉めようとすると、アパートの下の茂みの中に大家さんの猫モモちゃんが隠れているのが見える。身をひそめて動かず。モモちゃんの隠れ家か。外にいると草に紛れてわからないだろうが、上のほうからは丸見え。舞台裏を思いがけず覗いてしまったようで、少し申し訳なく思う。
友人が今週末上京するということで、部屋の掃除。布団も干す。空気は冷たいけれども、取り込む頃にはしっかり温まっている。日光はすごい。
今月はいつにもまして懐寒し。お米だけはあるので、とりあえずご飯を炊いて色々試している。納豆、ふりかけ、お茶漬け、梅干し、炊きたてのところに、めかぶを載せるのもまたよし。今日は味付け味噌の小瓶シリーズを発見。ねぎ味噌、大葉味噌、にんにく味噌とあって、迷ったすえ「にんにく味噌」を購入する。予想以上ににんにく臭が強烈。けれど美味い。ご飯といっしょでも、野菜に添えてもいける。
夜、西の空に月、天頂には星。また冬の星座の季節がめぐってくる。
帰り道、坂の上から夕日が沈むのを見る。空気まで夕日の色に染まるような夕焼けというのがあるけれども、今日はそんな日。坂の下の街も夕空も紅葉した木々も、皆同じ色だ。
スーパーにて柿をひとつ買う。柿は大好き。好きな果物ベスト3をあげるとすれば、柿、梨、リンゴ(次点・ミカン)。柿もまた今日の夕方と同じ色をしている。秋は暖色の季節か。
後輩の女の子が久々にゼミにやってくる。ひどい風邪をひいていたらしい。
「風邪には青ネギが効くらしい」という話を皆でする。小さい頃、風邪をひくと焼いたネギが出てきた。青ネギを丸ごと1本、そのままの形で石油ストーブの上にのせ、よく焼けてやわらかくなったところを白い晒し布でくるみ、首にぐるりと巻くのだ。焼けたネギの匂いが嫌いで(とにかく強烈)、母親が青ネギを持ってやってくると何とかやめさせようとしていたが無駄な抵抗。あれは果たして風邪に効いていたのだろうか。あの匂いだけ、今でもよくおぼえている。
サッカー、昨日はACミランがユベントスに完敗。このところ不調。はじめは連勝するなど絶好調だったのが、気がつくといつもの調子に戻っていた今シーズンの阪神を見ているようで切ない。
水を張った田んぼに空がそのまま映るように、街ではビルの窓が夕空と同じ色に染まる。
新大久保のスタジオで練習。その後、今後の打合せと称した飲み会。韓国料理屋に入ったのだが、はじめに注文したものを一通り食べ終わるまで、全員ろくに口もきかず。焼肉、海鮮チヂミ、何種類もの山盛りキムチ、それにジンロのボトル。久々にお腹いっぱい食べて幸せ。石焼ビビンバにコムタンも。結局、打合せらしきものは5分くらいで済み、えんえんとバカ話をして終わる。それもまた幸せ。
明日は月曜日。また一週間がんばるかと言い合いながらホームにて別れる。空にはまばらに星がある。
明日は久々にお酒が飲めるので嬉しい。『居酒屋大全』太田和彦(角川文庫)を読んで気分も高まる。
「居酒屋料理ベスト5」「居酒屋・客種別酔態表」「日本酒ネーミングシリーズ大鑑」「伝記にみる文人たちの飲み方」などに混じって「ニッポン独断酒飲み地図」もある。いくつかの県を取り上げて、それぞれの酒飲み傾向を分析したもの。
それによると、新潟は「ニコニコ大雑把型」で「酔ってくるとますます機嫌がよくなり」、「一緒に飲むには最適の県民性」。長野は「議論屁理屈型」で「酒が入ると異常にリクツぽくなり、『理屈じゃない』というのを、えんえんと理屈ぽく説明して怒鳴り合ってる様は異様だ」。他に「ボケ&ツッコミ型」の大阪、「オトコ単純型」の福岡などあるが、自分としては「男も女も豪快に飲みまくり、難しい話も『まァ、よか』ですべて片づく」という高知の飲み方がよいなあと思う。
ちなみに我が秋田は「たっぷりエンエン型」という。「会合などでも酒ある限り、はてしなく続いてゆき、他県から来ると『終わりがないのだろうか』と不安になる」「酒の質にはうるさくない。三割増でもいい、量がほしい」。たしかに。
昨日はあんなに寒かったのに、春の終わりの嵐のような少しぬるい風が吹く。雲の流れが速い。
変にぎらぎらと明るい嵐の日がある。低くなったり、高くなったりする風のうねりや、何かが転がってゆく音。雲のすきまから覗く空の光。雨は降っていないけれども、空気は湿った匂いで満ちている。
近所のスーパーにて安売り。にんじんジュース、納豆、モヤシ、その他購入。コロナビールがいつもより安くなっていて心惹かれるが、今回は見送り。モヤシには最近お世話になっている。使い勝手がよいし、栄養あるらしいし、安いし、最強。今日はマイタケと唐辛子といっしょに炒めて食べる。
立冬。冬の匂いのする日。
渋谷にてタルコフスキー「ノスタルジア」を観る。冒頭のシーンから鳥肌が立った。霧、光、影、炎、そして水、いろんなイメージがどっと流れ込んできて、2時間動けず。
例えば、意識してとらえてはいなかったはずなのに、かつて目にした/今、目にしている光景のある部分、どこかから聞こえていた雨の音であったり、犬の吠える声であったり、あるいは壁で揺らぐカーテンの影であったり、そうしたものが、長い時間を経たあと不意に生々しく浮かび上がってくるような。スクリーンを観ながら、そんな体験をしていた気がする。知らず知らず身体に刻み込まれるイメージの群れ。
映画館を出たあとも、くらくらしたまま夜の渋谷を駅へと向かう。すごかった。
論文面接。1時間話してぐったり。
夕方からはゼミ。今日の発表者は声が良い人で、つい聞き惚れてしまう。終了後、先週飛騨に行ったときのお土産といって、友人が「酒まんじゅう」を渡してくれた。大ぶりの白い饅頭にぎっしりつまったあんこは、お酒がかなり効いていて美味。食べながら、久々に日本酒が飲みたくなる。冷やで。
帰宅後も、晩酌がわりに酒まんじゅう。
山形の人、金沢の人と3人して話す。秋田の人である自分も入れると、全員日本海側の生まれだ。
今日も快晴。東京に来て以来、毎年冬には「こんなに晴れていいのか」と思ってしまうと、意見が一致する。地元にいた頃は、冬といえばほとんどが曇りで、それでなければ雪。湿った空気。「こっちでは毎日布団干さなきゃいけないような気がして忙しい」と言う気持ちがわかる。曇天の薄暗い日々がつづくと、時折の快晴には気分も高揚して「黙ってはいられない」と妙に活動的になってしまうのだ。
それでも、ぼんやりと霞んだ秋田の冬が好きである。それに、晴れた日の雪景色はほんとうにきれいだ。
夜、実家から電話。もう、ちらほらと雪が降っているという。
昨晩は、テレビでACミランと中村俊輔属するレッジーナの試合を観て夜更かし。予想していたとはいえ、実況アナウンサーはひたすら「俊輔」連呼。あんまり俊輔、俊輔言うので「日本人は必ず日本人選手を応援しなきゃいけないんかい」とむかつきながら観る。中村俊輔自身に恨みはない、というか、むしろ好きな選手であるけれども。
放送が終わる頃には、もう夜が明ける気配がしている。車の音。猫やカラスの声。明け方には遠くの音が聞こえる。そして、そんな時間帯には、なぜだか自分がたどるかもしれなかった道がいくつも浮かんでは消える。意識的に選ばなかったもの。偶然の積み重なりで手に入れられなかったもの。無数に枝分かれする自分の「これまで」が、瞬間、空高くから地上を眺めるように、すべて見えてしまうような気がするのだ。
戻りたいとか、ああしていればよかったとか、思うわけではない。俯瞰する自分はどこか遠くにいる。明け方にはいろんな時間の境界が曖昧になるのかもしれない。
会えるかもしれなかった人。訪れるかもしれなかった場所。ぼんやりと想いながら、外が明るくなる前に眠る。
あまりによい天気なので午後からは外へ。図書館に本を返しつつ、そのまま散歩。
路地や裏道など歩いていて、つい目を止めてしまうのは古い家だ。物干し台があったり、鉢植えがぎっしりと並べてあったりするような木造の家。玄関脇には三輪車や庭いじりの道具が置かれている。色あせたポスト。そこに積み重なっている時間や中に住む人の日々がにじみ出しているような家が好きだ。
コタツにてうたた寝。ぞくぞくする。風邪気味か。
東京にて木枯し1号が吹く。
とうとうコタツを出す。足元があたたかくて幸せ。本やら何やら全部コタツまわりに積み重ねて、これでみかんでもあれば言うことなし。長いコタツ生活の始まりだ。
夜、友人と定食屋にて食事。2人してミックス定食と瓶ビール1本。ミックス定食は、大きな海老フライとメンチカツ、キャベツ山盛りになめこ汁、それにご飯。窓の外には寒そうに背中を丸めて歩く人たち。こちらはなめこ汁ですっかりあったかくなっている。
寒い日には「あたたまる」という楽しみがあっていい。冷たい風の中、家で待つコタツを想いながら足を早める。あるいは、雪遊びのあとのストーブ。熱いお風呂。
新聞夕刊の「週間運勢」、自分の生まれ月の欄を見ると「よく寝る毎日か」とある。これは占いとしてどうなんだろう。吉なのか、凶なのか。
郵便局前に年賀状を売る屋台が出ている。もうそんな時期か。
本屋には来年度のカレンダーが並ぶ。真新しいカレンダーを見ると、つい自分の誕生月の絵柄を調べてしまう。9月には地味目のものが来ることが多い。今日見たカレンダーの9月分は、あくびをする猫の図。来年のその頃、いったいどこで何をしてるだろう。
夜、湯豆腐を食べる。とろろ昆布を入れてみる。見栄えは悪いが、なかなか美味しい。
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