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meiqi
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2005年07月21日(木)
今日の電話の掴み所

ポイント①事実に基づく

質問:弊社で何がしたいですか。

回答例:海外に行ってグローバルな仕事がしたいです。

海外に行くというけれど、うちの会社少なくとも10年は日本勤務だけどわかってる?

質問:グローバルな仕事って何?
回答例:現地の人と働くことでしょうか?


海外にどんな仕事があるかわかってるの?

質問:弊社で何がしたいですか。

回答例:開発の仕事がしたいです。

うちにはあなたみたいな人が開発につける人事制度はないです。さよなら。
調べて出直してください。




ポイント②弱点と具体的な主張

質問:なぜうちの会社を志望したの?

回答例:御社の○○がすごく、将来性があるからです。

はい、ありがとうございます。これからもうちの会社をよろしく。さようなら。

回答例:父は好きでしたが、最初は御社に興味がありませんでした。それはこの世代を引き寄せない弱点があると思いました。私が御社に入りましたらこの点を、何ができるかわかりませんが、中心とした戦略を、大学学んだ○○を生かして、貢献したいと思います。(具体例は事実に即してより具体的であればなおよい。)


ポイント③:会社が悩んでいる点をOB訪問したりして徹底的に調べる。




私が絶対に譲りたくないのは、社会を分離しない目である。
蔑みの目を持たない謙虚な人でいたい。


だから今回落ちたところにももちろん蔑みの目があったし、
内定をもらったところにも蔑みの目があった。

だからいいのだ!



2005年07月13日(水)
今日の凹みどころ

今日の凹みどころ
「就活の面接」


1、親の職業に関する質問
 別になにやってるかっていう質問は良いけど、親が経営者か、とか、会社規模どのくらいのところで働いているって聞くか普通・・・。なんか、ものすごくエリートの家庭かを調べられているようで、がっかり。凹むよね。

●Be positive thinking
こういったことってエリート世界?に足を踏み込むには必然なのかも。エリート社会って人間関係が政略結婚みたいなもんだし・・・。



2、大学の研究と仕事について
 あなたの研究がどう仕事に生かせるんですかという質問。そういうからいっぱい接点探したのに、結局仕事は俺達が決めるんだー、決定は俺達が下すんだー、君はあくまでも秘書だー的に一刀両断。やっぱり秘書って言うのは決定権って持ってないんだなーと思って落胆。

●Be positive thinking
まあ、私なんかの若造になにかできるなんて思っちゃいけないよね、やっぱり。最近調子に乗ってたから良いクスリなのやも・・・。



まあ、いろいろ凹んだ今日でした。
でも、別にむかつくーとか理不尽じゃないから、こういうことは乗り越えていかないといけないと思う。それがシャカイ人かとも思う。

たったものの20分の話。
これくらい笑顔で乗り切れないでどうする、ワタシ!!


今日の日記、以上。
はげまし、応援のメッセージがあったら、誰でもいいからください。
http://www.geocities.jp/miki_meiqi/



2005年07月11日(月)
うおー。

がんばれ、荒川さん!

というのはフィギュアの荒川静香さんで、
うーぜひぜひトリノへ行って欲しい。

今テレビで特集を見たのだ。


代表枠3の中で、今第四位らしいけど、一位の村主さん以外はみんな団子状態なのでまだまだチャンスはあるとみた。

実力は月とすっぽん以上だけど、同世代のフィギュアの選手としてぜひぜひぜひぜひ頑張って欲しい。





あっ全然関係ないけど、↓のホームページ見てね。変えました、いろいろ。



2005年07月10日(日)
夜更かし。

我思うに、

夜更かしとは、自分が丸く収まっていない証明みたいな気がする。
明日にあんまり備えないとこ、そんな自分に満足している。


夜更かし、というかもう明け方だけど・・・
大好きだと思う。

うるさいことも言われない、自分の時間である。


だって昼間は喧騒なんだもん。ほんと。



2005年07月08日(金)
まるく収まれん。

まだまだまるく収まれん。

夢なんてもんはわからないけど、どきどきわくわく興奮する生活は捨てられない。


明日が楽しみで眠れない日とか、
ついついガッツポーズをしてしまう瞬間とか、
とにかくアドレナリンが出てしまうような時間とか、


こんな瞬間を求め続けることをやめられない。

でも最近、こんな瞬間ってあったじゃろか。
思い出してみると・・・

①あっ通訳の仕事したときはうれしかったね。
②初めて中国語の先生になった時も、うん、興奮したな。
③あとは、今受けている会社の一次選考受かったときもよかったね。

あとなんだ・・・・。

④22日、遊びに行くのが楽しみにで寝れなかった・・・。

うーん、これちょっと違うな。



要は、「ちょっと自分で挑戦しているような感じ」大事だな・・・。

物書きになりたいと思う。
だからマスコミに入るのがいいと思った。

でも、今は固い仕事に収まりつつあります。
中国語も英語も使える仕事だけど、主役にはなれないような仕事です。
しかし、広州にはいくかもしれません。




まるく収まれん。

さてさて、今行きつつ道は、まるく収まってしまう道なのか、如何に!



2005年07月03日(日)
since 1994(中学時代)

もし自分の歴史を書くとしたら中学時代は外せないと思う。
たぶん中学時代を漢字で表すと「生」だね。

私が生きる土台を築いた時期。
家族以外に大切な人たちに会い、自分の弱さを知り、
なにがなんだかガムシャラに熱中した。


今自分があの時描いていた人になっているわけではない。
むしろ予想もしていない自分になっている。

あの時の歌を聞くと、あの時思い描いていた人になっていない自分に悔しさを覚えたり、少し寂しい気持ちになったりする。

でも、聞いた後は必ず元気になれるから、これからも時々聞こうと思う。

走馬灯のように蘇る時代を私は持っている。この歌と共に。







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Still Love Her
 

 歌を聞かせたかった
 愛を届けたかった
 思いが伝えられなかった

 僕が住むこの街を君は何も知らない
 僕がここにいる理由さえも
 
 もしあの時が古いレンガの町並みに
 染まることができていたら君を放さなかった

 冬の日差しを受ける
 公園を横切って
 毎日の生活が始まる
 時が止まったままの僕の心を
 2階建てのバスが追い越してゆく

 12月の星座が一番素敵だと
 僕をドライブへと誘った
 車のサンルーフから星をよく眺めたね
 君はよく歌っていたね

 もしあの歌を君がまだ覚えていたら
 遠い空を見つめ
 ハーモニ奏でておくれ


 枯れ葉舞う北風は
 厳しさを増すけれど
 僕はここで
 生きてゆける



2005年07月02日(土)
元気がでない日々

かつてこれほどまでに就職(活動)先から連絡が欲しいと思ったじゃろか。


そうそう、楽観的に生きているようにみえるけど、いろいろ不安定なんです。


これが解消されれば、1人暮らしの展望が開けます。
とにかくそれが嬉しいです。


はあああ、家にいるのは苦しいなり。


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