★同じマンションに、いつも暇そうにマンションの中を歩いているおじいさんがいる。 今日はじめて、家族4人で帰ってきたときにだんなと会ったのだけど、おじいさん、 「世の中パチンコで5、6万もすって帰ってくる父親もおるけど、お宅の父さんは読書が趣味で温厚でええこったね。」とだんなに話しかけていた。読書が趣味で温厚って何で知ってるの??
★はっちが私のズボンを持ってきて 「いらっしゃいませー、いらっしゃいませー、今日のおすすめは〜、ズボンです!」と大安売り。
あと最近、「ひつじ〜、しめじ〜、もみじ〜」という二歳児渾身のネタを披露しています。踊りつき。
★湿疹が良くならないので、また朝から皮膚科へ行って来た。今日も9時ダッシュで行ったのに1時間待ち。 みんな何時から来てるのよ〜? 今回は強い軟膏を出してもらって、抗生剤も飲むことに。授乳中でも一応大丈夫らしい。 先生に「むしろ抗生剤が母乳に出たら、子供の湿疹も治って良いということはありますか?」と言ってみたら、「それは乱暴なこと言いますね」とあきれられた。まあ、そうですね・・・。
★明日鉄人前にやわらちゃんが来るそう。何を話すのかちょっと見てみたいかも。でもうっかり見かけてしまったら「がんばって!」とか調子のいいこといってしまいそうで怖い。
五感のうち嗅覚だけが脳と直接結びついているらしく、だからアロマセラピーなどはストレスを取り除くのに、とても効果が高いらしい。
だからか、嗅覚はダイレクトに記憶を呼び起こす。それを実感するのは、外国の柔軟剤の香りをかいだとき。たいがいダウニーなどアメリカ物が多いのだけど、私は必ず一人でヨーロッパを訪れたときのことを思い出す。
27歳で会社を辞めて、何かを見つけられそうだと思ってウイーンに滞在していた日々。そして、何も起こらなかった日々。 たぶんその時期の記憶が強いのは、人生の分かれ目で「今なら人生どの方向に舵を切ることもできる」と思っていた時期だからなんだろうな。
たった三ヶ月の間に、祖父が亡くなり、友人が亡くなり、二つの訃報をオペラ座の前で聞き、自分はヨーロッパで何をぶらぶらしているんだろうと自己嫌悪に陥りつつも、「もしかしたら私はここで暮らすことだってできるかもしれない」という期待も持っていた。 そして現実には、文学界最終選考に落ちた連絡も、ウイーンで受けた。オーストリア人とつきあって、またヨーロッパでの生活を夢想したりもした。 そして段々手持ちのカードがなくなっていくように、作家になる夢が消え、ヨーロッパで暮らす夢も幻のように思え、うつうつとした日々を送っていた。
柔軟剤の香りをかぐと、喪失感とともにその日々を思い出して、胸がぎゅっと締め付けられる。そして、どこか別の国で暮らしていたかもしれない自分、小説を書き続けていたかもしれない自分、今の自分でない自分がいる世界をあれこれ夢想してみる。
だけどやっぱり、自分の居場所はこの場所なのだなあとしみじみ安心するのです。 子供のオムツを換え、扇風機を掃除し、仕事に戻りたいとやきもきする自分が自分であり、アジアの都市といったほうが似合うこの神戸の下町が私の場所なのだなと。
小さいときからいつも疎外感があって、いつかどこかへ自分の居場所を探しに行くものだと思っていたけど、自分の場所は「自分が決める」ものであり、「作って、広げていく」ものなのだなとしみじみ思う。
そして、何か大きなことをして人から称えられる自分を夢想するのではなく、今トイレ掃除をしたり、話したい誰かに連絡することの方がずっとずっと大事で、そういうことの積み重ねによって私は外に出て人と接することができるのだと気づく。 自分が特別じゃなく、他の人の人生も同様で、皆そうやって生きている。
全くうまく表現できないけど、そう考えると、ずっと私の居場所はあって、逃げ続けていただけなのだろうか?それならやっと「見つける」ことができたんだろうな。
昨日、同じ産院で産み、mixiでもお付き合いしている「ママ友達」が急に遊びに来てくれることになった。 彼女は産後すぐに仕事復帰してるんだけど、たまたまお休みだったらしく「休みの日に遊びに来てね」とメールしたら「今から行くー」ということに。暇だったので大歓迎〜。
が、彼女がやってきて、お姑さんと同居している彼女の愚痴などを聞きながら、だんだん違和感。 うーん、なんだろう??と考えていて、途中でわかった。彼女とは「合わない」のかな〜と。 私が思っているということは、彼女も思っているということなんだろうな。
たとえば、会話の中でも「あ、ここは面白いポイントかも」とこちらが突っ込んだことに対して、相手は「私そういうのよくわからないんですけど・・」と軽く流されるということがしばしば(笑) 年齢はそう離れてないんだけど、なんだかだいぶ若い人と話しているようだった。 とてもいい子だし、話題に困るということはないんだけど、どうもお互いに話していて消化不良。もともこもない言い方かもしれないけど、「合わない」ってこういうことかなと。 こうやって書くと上から目線のようだけど、こちらも「楽しませてあげられなくてごめんなさい」って感じ。
当たり前だけど、同じ月齢の子供がいるから、同じ産院で産んだから、子育ての情報交換をしたいから、「ママ友」になれるわけではないね。 子供関係の友達も、やっぱり子供抜きでも付き合える人でないと難しいな〜と思った。というか、別に子供関係で無理やり「ママ友」作りをする必要はないのかも。 上の子がらみで保育園のママさんたちとも、程よい距離を保ちながらお付き合いできているし、それでいいんだろうな。
人間的に合う合わないというのも、単にバックグラウンドや興味の対象、知的レベル、だけで判断できないように思う。 たまに、何にも共通点ないのに何でこんな盛り上がるかな?という相手もいるし(極少数だけど)。 まー全体的に「合う友達」って出会うのが難しい。だから学生時代からの友達って貴重だし、何年かに一回「合う人」にあったら、めちゃめちゃ嬉しい。
そして、「合う人」以外の「合わない人」、大多数である「ほどほどの人」との距離感の取り方がうまくなりたい、と思う今日この頃です。
先週から、口唇ヘルペス、体中の湿疹、めまい、異様な疲れ、でへとへとの毎日。 長男がとびひになったので、それがうつった?と思ったけど、とびひはどうも関係ないよう。
やっぱり産後はホルモンバランスが崩れるのだろうか? 一昨日久しぶりに鍼灸でからだを調整してもらったら、施術後、とたんにお腹がぐるぐる言い出して、体が生き返ったのがわかった(笑)。
育児休暇中の生活はのんびりしていて、そののんびり具合に焦る→幸福感に浸る、の繰り返し。 うっかりするとだらだらと一日が過ぎて自己嫌悪に陥るけど、ゆったりと家事をこなせる毎日も幸せだなと思う。
勉強やら旅行やら、休みにしたいことをあれこれ考えるけど、それでもやっぱり子供と過ごすための休みだ。 この1年は子供とたっぷり過ごそう。後のことは、後で考えればよし。
Twitterをはじめました。monsoon99で登録してひっそりつぶやいてます。 Twitterは確かに楽だけど、やっぱりたまにはちゃんと日記を書いたほうが、自分の頭を整理できていい。
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