股・戯れ言


BBS

夏ッ油ーワイルド通好みロック紀行(前編)

http://news.tbs.co.jp/headline/tbs_headline1120067.html

> 西武グループ、スキー場を原則閉鎖へ
>
>  西武鉄道グループは、経営再建策の一環として、全国で展開している
>スキー場のうち苗場など一部を除いて閉鎖する方針を固めました。
>
>  西武グループは、国30カ所余りのスキー場を展開していますが、
>スキー人口の減少などで今後も収益の改善が見込めないと判断しました。
>  
>  このため、新潟県の苗場や長野県の軽井沢など採算が取れている一部の
>スキー場を除き、原則として閉鎖する方向で地元との調整を進めること
>にしています。
>

「あー鯵ヶ沢行きたいけど、縁ねえんだろーなー」などと呑気なことを言っている場合ではなかったのである。大変だ。
鯵ヶ沢スキー場は、西武グループのスキー場だったのだ。
そして、残念なことに採算が取れていないであろうスキー場でもある。
これはもう、何がどうしても、どうなっても、今シーズン中に鯵ヶ沢に行くしかないのだった。高いとか言ってる場合じゃない。いや、実際にはプランを駆使すれば2泊3日39800円でも行けるようだ。片道5時間くらいかかるけど。あ、飛行機で行けばもうちょっと安くもなるらしい。
「今年中に青森上陸」ああ、叶うよ。叶っちゃうよ。やったよ俺。
しかし3月までに目標が叶ってしまうのなら、その後の9ヶ月はどう生きていけばいいのやら。

というわけで、3月までは思った以上に東北まみれっぽいのです。まあ、すでに1月頭は岩手、1月末(つーか昨日だ)は山形行ってきたんだけど。3月に青森行きを決行するとしたら、2月の間に一回くらいは東北行っておかなきゃな。国分町のおでん屋に行きたい。って俺は「ちょっと飲みに行きたいから東北行ってくる」なんてことができるほど金に余裕があるわけではないんだが。高等遊民気取りかと。がんばって働かなきゃな、仕事だるいけど。
そうだ、3月には名古屋も行かなきゃ。田県神社祭りの季節到来ですよ!

まあ、昨日までの山形旅は「飲みに行きたいから」という動機で行ったようなもんですが。

そんな感じで今回の日記は、1月頭の夏油(ゲトウと読みます)・北上旅のことでございます。
どんだけタイムラグが生じているんだか。

1/3
前日の夜から朝にかけてちょっとした新年呑みがあり、家に戻ったのは午前6時。そのまま超特急でスノボの準備をしていざ出陣。
仙台出身、現在は宮城北部でくすぶっている大学時代の友人マリコ嬢と仙台駅で落ち合い、車で北上を目指す。
マリコ嬢とは大学時代からいろんなところに行った訳だが、タイに行った時は氣志團、宮古だかどっかに行った時はクレイジーケンバンドなど「BGMにはブレイクちょい前のバンドの曲をかける」というのが知らぬ間の決まりごとになっていて、今回のBGMはもちのロンで赤犬でした。東北道を「どきどきすっぽんどきすっぽん」と口づさみながら飛ばす爽快感。気分はうきうきすっぽんうきすぴょーん。高速脇でちんぽろすぴょーんポーズをしたくなるほど(やらないけど)浮かれました。

北上に到着したところでいったん車を止めてバスに乗り換える。
北上はマリコ嬢(宮城北部在住)曰く「ものすごく栄えている街」でした。
駅前にスーパーだかデパートだかのような巨大なショッピングビルがあるんだが、そこのビルの上の看板がなぜか巨大な「魚民」。こんなにでかい魚民の看板を見たことがないというくらいでかい。イトーヨーカドーのハトのマークの看板(スーパーの上にあるやつ)がそのままの大きさで「魚 民」にすりかえられているような感じなのだ。
北上は魚民の町なのか・・・と感心することしきり。(感心ポイント間違いすぎ)
そんな北上駅前からバスで夏油を目指します。片道50分!
うねうねと細くくねった道を上っていくと、どんどん雪が深くなり、どんどん雪が降ってくる。自然とこれが本州でもっとも雪の積もるスキー場なのか、という実感も湧いてきた。
そう、夏油は本州で、どっちかというと太平洋側なのに4,5mも雪が積もるスキー場なのである。谷川岳とか八甲田山とか行った事ないから「本州でもっとも雪深い」ってのは語弊があるかもだけど。しかも周辺に泊まる所がないので、ほとんど地元民ばかりなのではないか。遠い(駅から)ということがネックでなかなか行くことができなかったのだが、ようやっと辿り着きましたよ。
いやぁ、ここのスキー場はなぜそんなにメジャーではないのかが滑ってみて一発でわかりました。
ほぼすべてのコースが中級者以上向け。そしてコース長すぎ。それに加えて当然のように雪深すぎ&吹雪で常に前が見えない。
ああ、これは通好みスキー場すぎるな。「来れる奴だけ来い!イヤなら出てけよ!」とスキー場がスキーヤー/スノーボーダーに挑戦してきてるんだわ。あまりにもロックな態勢なので通好みロックスキー場と名づけてしまいたい。エンケンのよなスキー場だ。
コースが長いんで、山頂から下まで滑っていくと足が痛いのなんのその。一本滑るたびに軽く疲労。ま、先シーズンは一度も滑りに行かなかったので体がなまっていたというのもあるんだろうが。若いつもりが年を取った(すばらしい日々風)わけだ。

滑り出したのが午後3時くらいだったので、当然のようにナイター突入。
夏油山から見る北上や水沢、一関の夜景が美しい。ほーっと思って見ていたら足が滑ってコントのように転倒し、後頭部を強打。目の前に星が回りました。
にしても、夜になると一気に寒くなるのな。でもそんなことお構いナシに滑る滑る。ビール飲んでるからもう麻痺してら。

バスの時間に合わせて滑り終了後は、のろのろと山を下って藤村さん・ショウさんとご対面。
藤村さんは、大吟醸酒「電氣菩薩」というナイスな酒を作っている北上の酒蔵「喜久盛」の若社長さんなのです。
今を遡ること4年くらい前、W☆ING会場でお会いしたオオツボさんが「岩手から来た友達と見に来ている」といって紹介してくれたのが出会いでございました。
その直後はオオツボさんの掲示板で何度かやりとりしてたのですが、Webの大海に飲まれて流されていくうちに疎遠になっていたのですが、昨年、りえ坊が「犬食いに行こう」と誘ってくれていざ行ってみた場で偶然再会したのでした。(りえ坊は私と藤村さんの面識を知らなかった)
いやぁ、人間の縁って不思議だなぁ。
年末に俺主催の忘年会をやった際も北上から来てくれたので、今度は私が北上に行きたかったのですよ!というわけで藤村さんオススメの「焼肉ヤマト」で会食。冷麺がンマイ。そして北上地ビールも飲んだのだが、北上の地ビールはスカーっとした爽快な味ではないのね。マイルド。喉にしっとりと染み入ります。なんとなく健康にいいような気がします。
ショウさんとは初めてお会いしたのだが、りえ坊のファンだそうでりえ坊の話は何処に行っても場が楽しくなるので素晴らしいなと思いました。
マリコ嬢は普段くすぶっておる方なので、この日の飲みは楽しかったらしくいつもより飲んでました。そして酔っ払ってホテルに帰ってすぐ寝てた。

その焼肉の際に藤村さんが「明日よかったら酒蔵見学しま専科?」と誘ってくれたので、ああ、もうコレは行くしかなかろう!行きますよ!と即刻返答。
しかしこれは、同時に「朝早起きをせねばならぬ」ということでもあった。
できるのか俺。
やるしかねえよ!・・・
と、決意しておきながらマリコ嬢がものすごいイビキをかいて寝ている横で長電話とかしちゃって気がついたら2時。久々に羊とか数えてみたが効果はゼロでした。
とか思っているうちに就寝。


ちなみにこの「焼肉ヤマト」、東北蹂躙ツアー日記山形編(1月11日の日記)で

>かつてうちの会社の先輩が
>「ひとりで出張に行った際に飯を食うところが>なくて、
>ひとりで焼肉屋に入った時のむなしさだけは生涯忘れられないね!」
>と言っていた

に書いていた「ひとりで入った焼肉屋」なのです。ウソじゃなくて。(北上に出張によく来てたそうな)
そんな先輩もケコーンおめでとうございます。結婚式行けなかったけど。
この先輩の結婚祝いに「電氣菩薩」をあげたのでした。こんなとこでも縁は巡るんだな。凄いことだ。ただ、あんまり酒が飲めない人なわけだが。

というわけで酒蔵見学編に続く。
2005年01月27日(木)

ブルーフォレスト・シンドローム

2005になってから残念なことに出張に行ってません。
ああ!心底遠出がしたい!
東京でくすぶってる場合じゃないだろ!
いや、年が明けて早々に岩手とか行ってきたんだけどさ。北上で雪にまみれ、酒を堪能したりしてきたんだけどさ。もうそれから20日も経ってるよ。何処にも行けない絶望感が募ってきましたよさすがに。

もともと、「なぜ私は遠出が好きなのか」ということを考えると、
「田舎がなかった」ということに起因しているような気がする。いとこもばあちゃんも近くに住んでいたし、遠くても高円寺という具合。まあ、親戚一同は新京成線沿いに集団移住したけれど、それも遠いとは言えまい。
田舎がある人が真剣にうらやましかった。帰省ラッシュってなに?ホワッツ?マイケル!と思ってたもんな長いこと。
しかし、年に一度、親戚らと旅行をするのが長いこと習慣になっていたんだが、あの経験が「遠出ってスバラシイ!」に繋がったのだと思う。まあ、首都圏を中心に温泉に行ったり城見たりひたすら歩かされたりしたくらいなもんなんだが。
その時に一番遠くに行ったのが北は青森(っても十和田湖/奥入瀬だけど)、南は京都なのだった。
その後、修学旅行で九州初上陸するなどして、旅の幅は広がったもののそれでもまだまだ物足りない。いつだって頭の中には
「知らない まちを 歩いてみたい 
 どこか 遠くへ 行きたい」
が鳴り響いておるのです。(うちのターミネーターが「怖くて聴けない」曲)
そんなわけで今の仕事は本当にありがたい。出張させてくれるという一点のみだけの評価ですが。(出張先での仕事内容はともかくとして)

その出張先は日本全国津々浦々と言いつつも、東北が多いわけです。去年だけでどんだけ東北新幹線乗ったかわかんねえよ。そして自然に東北愛が募っていくのだった。
が、どういうわけか、東北は6県あるのに、青森にだけは縁がありません。
何度も日記でも漏らしておりますが、
私は 青森に 行きたい のれす
と、意味もなく一行書きにして気持ちを吐露してみました。発音的にはいっこく堂の声が遅れて出る芸みたいな感じにお願いします。
幼少の頃に行った記憶しかないんですよ。遠い親戚の家に行って、そのついでに行ったくらいですから、もう行ったにカウントするのも忍ばれるほどだ。しかもその時の一番の思い出といえば、「怪談・耳なし芳一」を見てたらエロシーンが満載だった、ということくらいなんだよ。別に青森の思い出じゃねえし。それ見たの秋田だし。
しかし、わたくしの髪を切ってくれて早8年の美容師さんも青森出身で、いかに青森がよいのかをプロレス話やマイケル・シェンカー話(とても美容院で話す話ではない)の合間に説いてくださるのです。会社同期の男子が、会社を辞めて青森に帰ったときも心底羨ましかった。そしてナンシー関も青森だ。
溢れるブルーフォレスト愛。
普通、各県のアンテナショップというのは銀座や新橋、新宿などにあるのに、青森は新富町にあるというとんちんかんさもいとおしくて堪らない要因です。
http://www.aomori-shop.com/tokyo-mise.html

↑「いわて銀河プラザ」とか「北海道どさんこショップ」を見習おうという気ゼロ。売り上げがちょっぴり心配だ。

そんなわけで今年の目標は「青森上陸」なんかすぐにでも叶いそうな目標つーか夢だな。実は水曜日より山形蔵王に行く(出張でもなんでもなくただの遊び)のですが、思った以上に高いのね山形蔵王って。さすがスキー場の老舗。
で、ふと思いついたんだが、「同じ金額を投資して青森に行くことも可能なんではないのか」・・・シュミレーションしてみるだけの価値はありそうだ。私は、地図と時刻表と経路と金額を見ただけで旅した気持ちにもなれるので(その代わりホントに旅したくなるという効果もアリ)、さっそく考えてみることにした。
目指すは弘前半島鯵ヶ沢。津軽富士と日本海に挟まれて滑ってみてぇんだ。
「俺節」のアシカだって鯵ヶ沢出身なんだ。



航空券代だけで往復45000円でした。
無理でした。
その先を調べる気にもなりませんでした。
だったら北海道行くわ(←簡単に捨て去る青森愛)


まあ、こんなように「縁がありそうで、まったくないモノ(人、街でも可)」のことはブルーフォレストシンドロームと名づけたいと思います。コンジロームじゃないよ。「名前も知ってるし、会っていてもおかしくないのに、不思議なことにさっぱり縁がない」という人は誰にでもいるはずです。私にとってそれは某AV監督だったのですが、なんでかしらんがこないだ対面してしまいました。ちくしょう。もっと記録を延ばすべきだったわ。会わないままのほうが面白かったわ。
そうなのです、ブルーフォレストシンドロームの肝はその「不思議なくらい縁がない」ところなのです。処女も童貞も、中途半端に24とか25とかで喪失するより、一生守り通したほうが麗しいからな。現実を凌駕する妄想が生まれるからな。
青森もこのまま縁がないほうが美しいままなんだろうか。「青森の男子は皆、早弾きメタルが大好き!」という説は守られるのだろうか。(前述の元会社同期男子もメタル好きだった)
でもきっとあっさり出張が決まってあっさり行くことになるんだろうな。
青森幻想が覚めやらぬ事を祈るばかりである。エミネムみたいなバッドボーイばかりだったら萎えるな。現実は妄想を打ち砕きやすいからなー。
でもホントにすごいんだぜ、青森。とくに鯵ヶ沢。
こんなニュースがあるくらいですから。

>■死体身元判明(鰺ヶ沢署)
> 平成16年12月26日午前9時30分ころ深浦町大字追良瀬の海岸線で発見された
>遺体は、捜査の結果、ロシア国籍の男性(47歳)であることが判明した。

ロシア人が打ち上げられる砂浜・・・
やっぱりなまはげは、酔っ払った白人のことだったんではないかと思う次第です。
もうNAMAHAGE2005とか言いたくなるよ。NAMAHAGEリターンズ(「キッズ・リターン」ではなく、「あぶない刑事リターンズ」を意識。ちなみに俺はあぶ刑事リターンズを劇場まで見に行った)でもいいけども。
2005年01月23日(日)

くちびるは内臓扱いネットワーク

まずは昨日の日記の股・言い訳。
もうこの日記書いて載せてしまった時点で「ああ、私は『女性的役割分担思考』の男女を敵に回したな」と思っておりました。だいぶ多いぞこういう男女は。とりわけモテ部分からは降りたも同然だ。
しかし、それも人生。と、思い、尼寺行きまで覚悟していたのだった。たかが料理だけれどやっぱり社会的絶対正義だからな、それくらい大げさに考えたりもしましたin山手線。すぐに考えるのはやめて小説読んでたけれど。(それにしてもケッチャムはなんて面白いんだ!ビバ!)
そんなわけで早々と帰宅して胃の痛さにかまけて寝ていたんだが、某所でみやらさんが私の昨日の日記に対するアンサーというか感想というか思うところを書いてくださったのだった。
寝起きにそれを読んで、泣いてしまいました。
同情して欲しくて書いたわけではないし、みやらさんも決して同情は書いてはいないのだが、なんというか、「他人には理解されないだろう」という捨て鉢な気持ちだったので、それに応えてもらえたという事実に感無量でござんした。
ああ、稚拙な言葉しか浮かばなくて申し訳ない。みやらさん、愛してるワ。

というわけで、70000ヒットも超えましたので2日連続更新。
エンピツに移ってきて3年弱。やっとの思いで7万ですよ。大手サイトとは違ってうちはネットの隅っこで細々運営ですから、それでも7万を超えたというのは本当にありがたいことです。こんな読みづらくて俺の体重のように重い日記を読んでくれてありがとうございます。これからもどうぞよろしく。
70000ヒット節目で今までと変わったことといえば、特にはないんだが、私の会社の仲良し女子がこれを読み始めたということくらいでしょうか。
しかし、ネットとは関係ないところで仲良くしている人に
「実は、ネット上ではヤツザキと呼ばれておるのですよ」
というのを告白するのはなぜこんなにも恥ずかしいのだろう。罪悪感を感じるのだろう。もう6年もこんなことをやっているし、「ヤツザキ」として知り合った人間のほうが多いし恩恵を預かっているのに。そして本名の私とヤツザキには隔たりがまったくないっつうのに。普段の俺もヤツザキも等しく酔っ払うとタチが悪いぜ。等しく鉄郎似だぜ。
名前なんていうのはただの表示なだけであって、たとえば親が「篠崎ヤツザキ」などという名前を名づけていたらこのような「ヤツザキが恥ずかしい」という考えは浮かんでこなかったんだと思う。まあ、そんな名前つけられたら普通に恥ずかしい名前だなと思うけど。いじめられること必至。
ということは、私が恥ずかしいと思うのは名前ではないんである。
こんなに恩恵を受けているのに、今更言うのも申し訳ないんだけれど、「ネットをやっている」ことが恥ずかしいのだろう。
と、書いたそばからネットに対して謝りたくなる気持ちでイッパイだ。ほんとにごめん。ネットは俺の人生にいろいろな刺激をもたらしてくれた恩人だよ。だけど、だからこそあえて言わせてくれ。ネットよ、しばらく黙って俺の話を聞け。
たとえばネットとは関係ない友人と、ネットで知り合った友人と、私が会うとする。そういう時に、ネットとは関係ない友人が「ふたりはどうやって知り合ったの?」と尋ねてきたりするわけだが、その際に使われる
「ネッ友」
という言葉が私の拒否反応を引き起こすのである。確かに事実だ。ネットを通じて知り合ってるんだから。でもきっかけはそれかもしれないが、ネットとは関係なく仲良くやってるんだからそういう言葉は介在しなくてもいいように思えるのである。中学や高校、大学の時、あるいは会社の友達を「中友」とか「高友」とか「会友」と言わないのになぜネット友達だけは「ネッ友」という言葉で後々までも説明しなければならないんだろう。
そしてその「ネッ友」の響きが漂わせるマイナスイメージ。こいつだ。
こいつが、物凄く最先端でイカすイメージを漂わしてくれればこんなこと考えないで済むのに。
先日、会社の女性の方々と昼を食べにいったんだが、
「××さんってーチャットで知り合った人と結婚したんだってー。そういう出会いもアリなんだよねぇー」
という話題になった。彼女は決してネットを介した出会いに否定的になっているわけではない。むしろ肯定的な意味合いでこのような会話が交わされた。しかし、こういう会話にビミョウな「ネットマイナス感」は含まれているように思われる。
チャットで知り合ってなかったとして、たとえば職場とか、友人の紹介とかには「そういうのもアリ」という言葉は出てこないだろう。
つまり、ネットというのは彼女の思考の中では「なかなか思いつかないもの」なのだと思われる。非日常のツール。
ああ、もう、こんなにネット文化大爆発の時代なのに、ネットのことを非日常と言い切ってしまうのは歯がゆいよ。申し訳ないよ。
でも、やっぱりネットは世間一般的には「非日常」なのである。飯食ってうんこしてテレビ見て電話かけて、と同じラインに「ネットを見る」というのは並列する存在なのにな。メールだってこんなに世間に馴染んでいるのに。
と、ここまで書いてハタと気づいたんだが、ネットは「非日常」であって、「情報受信」のツール、というところで認識が止まっている人が多いのかもしれない。
送受信のツールにまで至っていたいのかもしれない。だから、「ネットでニュース見た」などはごく日常に行われていても、「ネットで人と知り合った」というところは思考外になるんではないのか。よくわかんないけど。
あと、ベタすぎて書きたくなかったんだけど「ネットで何かを書く」というのは非常に匿名性の高い行為なので犯罪方面のイヤーなイメージが多いしな。犯罪まではいかなくとも2ちゃんとか、ああいう匿名後ろめたさ系のものが。

と、ネット検証はともかくとして。
それでも私はネットで知り合った出会いにはいろいろと感謝していますよ。
ネットがなかったら私なんぞはいつまでたってもモラトリアムで出口がなくて毎日ベッドから起き上がるたびに憂鬱な気分になってるような(って書いて思ったけどベッドから起き上がるたびに憂鬱なのは今もだ)「おもしろいことなんてなんにもない毎日を過ごす」OLをやってることだろう。
ネットは日常なんだよ俺にとっては。日常過ぎて在るのが当たり前だし、些細な仕事だが私の生業もネットワークなわけだし。
ネット上にも出会いはたくさんあるが、ネットワークのお仕事のおかげで地方に飛んでいろんな出会いにありつけたりもしているのだ。そして当然ながらネットとは関係ない出会いもある。それらはすべて等しく私に還元されているわけだ。
だからわざわざ「ネットだから」とか言いたくないな、私は。
じゃあ「ヤツザキ」ってのも恥じるなよ、と逆にネットにこづかれそうだが。


あーなんか久々に2日連続日記を書くのは楽しいな!
勢いに乗じてもう一丁(高田総統)書いちゃおうかしら。仕事しろ俺。
つか、本日は赤坂のOLたちと飲みなのです。行っていいのか俺が。
「今年はもう、日本酒しか飲まん!」と宣言したのに、きっと日本酒はないところなんだぞ。大丈夫なのか。
2005年01月20日(木)

料理地獄ジャスティース(いましろたかし調で)

うちの会社の裏は、潮風の吹きすさぶ運河というかほとんど海なのですが、その運河を見るともなしに外でタバコを吸っていると、「こんなとこに何故そんな大きいのがいるんだ」と思うような魚がバシャンバシャンと跳ねたりします。
まあ、大体の場合、バシャンという音を耳にして、「ああ、今魚が跳ねたんだ」と気づくのです。水面にゆらゆらと広がっていく弧を見て、「なんだよ、目の前で跳ねてくれよこの野郎」などと思うのです。
今日はそのような機会が2度ありまして、いつもは気にも留めないのですがどうしても魚の跳ねる現場を目撃したいという欲望に駆られ、しばらく水面を眺めておったのです。
しかし、なぜか知らないが「このへんで跳ねるだろう」と張っていた視野の中ではどうしても跳ねてくれないんだな、魚は。必ず視野とは別のところで跳ねやがり、視覚よりも先に聴覚で跳ねたことを認識するばかり。
もう、そうなると、「魚VS俺」の始まりなわけで、延々と「ここで跳ねろ!」という競馬のような予想をやってしまいました。無論ひとりで。
待つこと10分弱。レースで言えば5R目くらいで、ようやく俺の目の前で跳ねた魚は小さいもので、跳躍力(っていうのか?)もあまりないのだった。
満足できるはずがありません。
万馬券ならぬ、万魚券が出るまで待つよ、俺は。
さらに5分弱。6Rに相当するあたりで、今度は目の前で2匹連続で跳ねたのだった。大きさはたいしたことなかったが、とりあえず満足をしたので魚VS俺終了。

そんな具合にさぼってました。うんこ、否、運河ドラマ。海を見ていた午前。むしろマリン・ガールズと呼んでくれ。(トレイシー・ソーン気取り)ヤツザキでございます。

さて。私は病的な負けず嫌い(劣等感が人の5倍くらいある)なので、バカにされたり罵倒されたことは次々に克服してきました。まあ、バカにするのも罵倒するのも主にうちの親なんだが。
まず「炭酸が飲めない」飲めませんでした。喉がシュワシュワする感覚がどうにもダメで。それなのに親戚が集えば必ずこの話題がえんえん続く。あからさまに他の従姉妹とは別にバヤリーズを用意される屈辱感。炭酸を間違えて飲んだ時に「ぐえ」となったのを腹を抱えて笑う大人たち。ぜってー見返してやる、と心に決め、今じゃ一番好きな飲み物はメロンソーダですよ。しかし、こないだの正月にジンジャーエール飲んでたらおばさんが「炭酸飲めなかったのにねぇ」と未だに言ってきたのだから根が深い問題だ。何年前の話だよバカ野郎。
そして「外に遊びに行かない/人見知り」幼少のみぎわはまったく外に行かない子供でした。母親に「なんで遊びに行かないんだ」と叫ばれながら殴られたこともあるくらいだ。で、小学校高学年くらいから家にいると怒られると思い、努力して外に行くようになり、今のよな「むしろ家嫌い」の遊び人が形成される。人見知りというのは未だにあるのだが、「人見知りはダメだ、喋れ、俺」という強迫観念が働くので人前では饒舌になるようになるのである。
そいから「運動ができない」うちの家庭は驚くほど運動能力が高い人間(母と妹)がいるので、50m走8秒台でも「遅い」と言われ、リレーの選手になったとしても「そんなのは当たり前だ」と罵られるよな具合。というわけで、俺はスピードでは勝てぬ、と悟りマラソン大会や持久走では努力の甲斐あって1位を取ったのだった。水泳も練習だりぃと思ってたが、「文科系の部活に入ってるようではダメだ、俺」と思って高3までいたのである。
それに関連することで言えばスノボもできなかったのでした。できる人たち4人に囲まれて「ここまで滑って来い」とスパルタ特訓をされ、泣きながら滑った時には「こんな思いをするくらいなら一生滑らない」と思ったんだが、滑れないままだとかっこ悪いし「泣きながら滑ってた」というのを広められたくなかったので過剰にスノボに出かけ、今に至ったのだった。
ああ、そいからなんでこの会社に入ったのかってのも負けず嫌いの賜物かもしれん。理系を目指していたんだが文系の大学に行ってしまったんで、仕事は理系のことをやらねばダメだという考えも多少あって今の会社だ。むしろ肉体労働系なので理系の意味間違ってるけど。
あと小さいところでは、私はまったくゲームをやらないで生きてきた人間なので昔、ゲーセンに行く/行かないで喧嘩した事があるのだが、なんかそれも「ゲームをする人間>ゲームをしない人間」と思い、今はする側になったというのもある。
とにかく、「できない=劣っている」なのである。「みんなができて当たり前のことができないのはバカだチョンだ」という信条があるのである。信条なのか刷り込みなのかわからないが。「こんなの簡単だよー」とか「なんでできないの?」と言われるのが今でも心底いやだなぁと感じる。トラウマか。それもあるが、「自分だけができない=和を乱している(遅れをとっている)」という状態に不快感を抱くのである。耐えられん。
というわけでダメだバカだチョンだの部分はすべて負けず嫌いの導火線に火がついて、気力のみで克服してきた。25年間生きてこられたこと自体気力みたいなもんだ。(それを上回る惰性が存在するんだが)

しかし、俺にとって料理というのは、もっとも「できない」ことでありながら、気力で克服するには至らなかったのである。「今に見てろ」とメラメラ不屈の闘志を燃やすこともなかったのである。
「炭酸が飲める」や「運動ができる」はとるに足らないことである。もっと言えば「人見知り」だって普通に巷にたくさん存在しているのだから、克服する必要はなかったのかもしれない。しかし料理はそれらとはレベルが違う。一目置かれるような立派な「武器」である。ことに女性であれば「年頃になったら料理は人並みにできるものだ」という認識が存在するくらいだし。私の親も偏った教育をしてきたとは思うが、「料理はできなきゃダメだ」ということは人並みに教えられた。
しかし。
私の作るものはマズイのである。料理とは呼べないんである。
「どこをどうすればこんなにまずくなるんだろう」というようなまずさ。「できないことがあると罵倒する/殴る/笑う」ということをしてきた親でさえ、無言で手をつけなくなるという具合。(最大の屈辱)ある日の晩に作らされたことがあるのだが、家族の誰もがほとんど手をつけずに食卓を去っていったことがある。
ああ、家族が罵倒しなかった代わりに付き合ってた男には罵倒されたな。死んじまえまで言われたんだった。確かにその時の飯はまずかったんだよな、自分でもビックリするほど。(思えばマズイ料理を作ったら死ななきゃいかんのか、と思った時に「だったら死にたくないから作らん」と決意したような気がする)で、それをどうにか克服しなければならないのだが、「よし!克服してやる」という気になれない。なんというか、料理にまったく興味がないのである。微塵も楽しい行為に思えなかったし(料理を作るということは義務だと思っていたから、最初に「料理が趣味」の人の存在を知った時は驚いた)、実際に作るものもまずいので楽しくない。よって、料理の作り方などを覚えようと思わない。少しは思ったほうがいいのは圧倒的な事実なんだが。まあ、いつまでも実家にいるわけにはいかんだろうし(居そうな気がするが)、老いてきたら自炊も余儀なくされることだろう。しかし、自分で食うものならば、その時はなんとかするんじゃないのか俺だって。(至極能天気な考え)
というか、「料理ができる」というのは「事実」というより「正義」である。圧倒的に当たり前な正義なのだ。もっと正確に言うと「他人が食う料理を作ることができる」というのこそがイコール正義だろう。
そして、私はその圧倒的な正義をなぞることができないのである。
「字が下手」「音痴」「絵が描けない」「数学ができない」と同じように「料理ができない」というものだってあってもいいように思えるんだが、どういうわけか料理は「やれば誰でもできる」とか「誰でもやってみれば、できて当たり前」みたいなところに並べられている(そこが絶対的正義たる所以)。
しかも厄介なことに「料理ができる」の前にはよく「実は」なんて言葉がつけられることが多い。なんだよ実はできるって。じゃあ、実はできないはなんでナシなんだよ。
それに、
「料理ができません」
「カンタンだよ、絶対できるって」
などという会話。もう、これがホントにつらいんだ私は。
不愉快千万!
できないんだよ。
知らないんだよ。
誰でもできるって誰が決めた価値観なんだ一体。
まあ、いちおうは人並みに家庭科の授業も受けてきたはずなんだがな。人並みに台所手伝いとかやってたんだがな。甘やかされて過保護とかは決してないんだがな。

そんだけ絶対的正義の料理ですから、それを拒否した時点で女としての評価も、もう、いいと諦めたわけである。克服心ももういいや。向上心ももういいや。料理のできる女はゴマンといる。そのうえ料理がうまい女もゴマンといる。ありがたいことです。彼女らのおかげでおいしいごはんが食べられるのだから。
いや、ホントは女だけじゃなくて、料理のできる男だってゴマンといる。そして、男の場合は料理のできない男もゴマンといる。
ここまでの三種類が「普遍」であり「正義」にカウントされていると言いたい。
そして私のよな、料理のできない女もわずかながらだが存在するのです。まあ、正義の前じゃいるもいないもわからんもんだが。
「料理ができる人=高評価」という価値観こそが最大の正義なのかもしれない。まあ、どっちが正義でもいいけれど。どっちにしろ正義から逸れているわけだし。自分で食う分の料理は作れるようにします。だから、お願いだから、料理という名の正義よ、私を責めたりしないでおくれ。辱めないでおくれ。

ああ、なんか「料理」って言葉見るだけでも胃がムカムカしてきた。
単に胃が痛いのが続行中なだけか。
2005年01月19日(水)

メインストリートの裏道の脇道の練り者

そういえば、今年のレコード/CD初買いはドラッグシティのコンピ盤(中古アナログ)とフィータス(中古アナログ)とニッキー・サドゥン(中古アナログ)とBROKEN SOCIAL SCENEだったのでした。
ちなみに去年の買い納めはスーパーチャンクのライブ盤。
このライブ盤、もうちっと早く買っていたら2004のベストにカウントしていただろうな。スーパーチャンクはなんていいバンドなんだ!インディギターバンドの鏡。来日シテー。

週末はおもしろかったです。
金曜日はくすぐりングスに行ってきました。
中野のエロテロリスト(規模が小さい)、りえ坊の酔っ払いぶりと下品ぶりが素晴らしかった。推定熟女のゆるいけど強烈な替え歌が未だに頭から抜けません。「はらぺこ」という歌を「おまんこ」に替え歌するとは。そもそも「はらぺこ」なんて曲知らないんだけど。
「ダッコしてちょ」も推定熟女の手にかかれば、「まんこしてちょ」に替え歌されてしまうのだった。(ちなみに日曜日は、スカトロショーで「うんこしてちょ」に替え歌されて披露されたらしいが未見)
その後、新宿で飲んでいつものように大所帯になって、そのままふぁる亭に流れ込み、気がついたら一番最初に就寝。起きた後に、自分が廊下で行き倒れのように寝ている写真を見せられて赤★面。死体になってすいませんでした。

土曜日は午後半ばにA肉さんと会う。
待ち合わせ場所がユニオンの6Fというくらいですから、当然のごとくレコ屋めぐりに。当然のようにレコガールになってきたのですが、大学時代に金に困って売ってしまったネイキッドシティの「拷問天国」(トイズファクトリー盤)を見つけて即買いでございました。ああ、もう!私はホントに、トイズの日本盤ネーミングセンスに多大なる影響を受けているのよ!こんなところでまた会えるなんて!別れなければ、また会えないじゃないか、とは小円遊も言ってたからな!
あと、俺の人生の座右の銘である「俺は今まで何度も間違いを起こしてきた、これからも繰り返していくだろう」という名文句を吐いたルー・バーロウのソロ新譜が出ておりました。ありがたや。ルー様、一生ついて行きますから。(ルー・リードにもついていきたいが)
そいからドゥルッティ・コラムfeat.モリッシーのライブ盤が売っていたのだが、CD-Rで4000円だったのでやめておく。が、今も気になるんだよな。嗚呼。
その後、居酒屋に入って6時間近くも飲んだクレタ文明。
飲みすぎイクナイ。で、飲んだくれてふぁる亭に戻る間に、なんだかしらんが感情が爆発して号泣した。いや、爆泣か。いやいや、サイレンのような泣き方だったらしいので、「バカはサイレンのよに泣く」略してバカサイか。
なんでわたしはいちねんにいっかいくらいこうやってかんじょうがせいぎょできなくなるんだろうか。自分でも不思議だ。皆さんホントにごめんなさい。

日曜日は朝、作業のため府中へ。
前日の失態もさることながら、この日は朝から階段から落ちて膝を強打。いたひ。知らないオバサンにまで心配される。
で、府中についたらついたで大丈夫だろうと思ってタクシーに乗り、目的地へ。
目的地に着いたら、今度はタクシー代がビミョウに足りねーでやんの。1140円なのに900円しか持ってないなんて!なんで札がないんだ昨晩一体どれだけ飲んだんだ。
恥を忍んで、「帰りもこのタクシー呼びますんで、借りさせてください」と告げ、タクシー下車。こんなことならばタクシー乗る前に金借りとけばヨカッタ。
そして着いた現場はただの倉庫なのだった。・・・寒い。暖房なんて気の利いたものはございません。ひたすら寒い。
だって雨ザーザーなだけでなく、倉庫なだけでなく、多摩川の縁にあるのですもの。こんだけ雨降ってたら岸辺のアルバムばりに流されてしまうんではないかこの倉庫。イナバの物置のようなちゃちいものではないけれど。
ガクガクブルブル震えながら、さっさと作業を終えてしまおうと頑張ったところで、ごく自然にトラブル発生。ああ、なんだか私はこのトラブルが起こることを予め知っていたような気がする。なぜならば俺がついてないからだ。自分の不運を呪う。
呪いながらSEに電話すると、「今ちょうど東京戻ってきたところだから現場行くわ」と言われ、待機。寒い。ひたすら寒い。UTUとなる。おまけに、腹は減るのだがそれ以上に胃が痛いという具合。もう、私はどんだけついてないのだ。新宿の片隅ばりに、作業場の片隅にうずくまりながらひたすら耐える。
耐えているうちにSE到着。
トラブル原因は何とか判明したが、「それを直すのに3時間くらいかかるわ」と軽く言われてまたまたダメージ。
夜は赤犬のライブだっつうのに!
俺の不運はどんだけ業が深いのだ!
絶望に沈みながらひたすら待機。SEはヘラヘラしてたが私はヘラヘラなんぞしてられん。早く終われと念を送り続ける。
その甲斐あってか、なんとか1時間弱で設定が直り、ぱっぱと作業を終了させて逃げるように帰る。タクシー代はSEに払ってもらったが。ありがたやSEさんよ。みんなに支えられて生きてます。

そして夜は赤犬ワンマン。
CAYの前に、見たこともないような行列ができていておののく。でも知り合いの人がとても多いのな。初めて赤犬ライブを目撃したのが2年前の春か。それも名古屋だったもんなー。時の流れは速いし、人生ってのは徐々にだけどどんどん変わっていくものなんだな。思えば遠くにきたもんだ。
なんてボブ・ディランのようなことは別に考えてなくて、知り合いが多いと祭りのようで楽しい。しかし、人大杉。CAYであんだけ多い人数が入ったら全然見えねえよ。というわけで最初のビデオ鑑賞のコーナーはサッパリ見えなかったのだが、大喜利コーナーはとくさんと一緒に前に行ったのでバッチリ見えた。森下さんは裸の男たちに囲まれても引けを取らないよなぁ。
その後のライブはいつもより若干長め。ブバップはメチャメチャに勢いで演奏しているようなところがあって、その即興性がえらくかっこよかった。勢いisベストシングといいたい。
そしてアンコールでの「フットルース」の完コピは笑った。赤犬ギャルども(年増)が私の後ろで煩くて、死ね!今すぐ死ね!野たれ死にしろ!と思ってた直後だったが、フットルースでそんなのはどうでもよくなった。
まあ、詳しいレポートは(最近全然更新していないが)「シーノーらイーブル」でやりますんで、首を長くしてお待ちください。
ライブの後は、渋谷で大人数で飲み。
なんかよくわからないテンションでまた空回りとかしてたな俺。でも、胃が痛かったのでそんなに飲んではいないのだよ。何はともあれごめんなさい。とりあえず謝っておこう。
そしてこの日もふぁる亭に帰宅。俺の自宅はどこなんだ。

月曜日。
振休をとったので、休みだったのです。
昼ぐらいに銀行で所用を済ませ、そのまま前から気になっていた馬場の古着屋を巡る。そしてあっさりと物欲の神光臨。しばらく服は買うまい。
その後、ダラダラと惰眠を貪ったりしていたのだが、夕方くらいからみやらさんと再び買い物の旅に出かける。
実はこの日の明け方、私は「練り物食べ放題に参加する」という夢をみていたのでした。私は、一部で「ミス・練り物(者でも可)」と呼ばれるほどの練り物好きなのです。なので、大変に喜ばしい夢を見ていたのだ。が。
練り物を嬉々として食べている私をどこからともなく地響きが襲い、食べながら逃げ惑うハメに・・・!ああ、ひょうたん揚げもう一個持ちながら逃げたかった!・・・ギャース!足でちくわを踏んでしまったよ!うわーそんなこと言ってる場合じゃなく地響きが近づいてくる・・・!死ぬ・・・
と思って目を覚ましたら、なんてことない、横で寝ていたふぁる姐の大イビキでした。食われるかと思ったぜ。
そんなわけで練り物イッパイの夢敗れたり、だったのですが、どうしても練り物祭りがしたくてたまらなかったので、夕飯はおでんとなりました。
その日の朝、ふぁる亭から出勤したカトウくんも帰宅し(まるで私のような行動だ)、食中毒で床に伏せっていた遠藤さんも復活したので、なんだか賑やかなおでんとなったのだった。
練り物はなんでこんなにうまいのだ。あんた天才。


というようにいろいろと忙しない週末であった。
おもしろかったなぁ。てか、おもしろいところに居れてよかったなぁ。会社員なのに、こんなにオルタナティブな面々の中に居られることは奇跡に近いよ。
そして自分で言うのもなんだが、感情のジェットコースターぶりが凄いよ俺。EBTGの「ローラコースター」を自分のテーマソングにしてもいいんではないのか。あんな穏やかなもんじゃないが。
そして、日曜の明け方から今に至るまで胃が痛いのれす。
遠藤さんは復活したんだけどなーなんだこれは。
俺の胃痛はどんだけ業が深いんだ!

2005年01月17日(月)

山形無宿、転じて山形有友〜東北蹂躙ツアーその3

新年あけました。おめこ。
と、ベタな感じに10日以上遅れの、季節外れの海岸物語(鶴太郎はモノマネ封印!)、じゃなくてごあいさつでございます。
旧年中は日記をサッパリ書かなかったので、今年はちゃんと日記を書いていく年にしたいなと思う次第でございます。時間がないとか言ってる場合じゃなかろう�供�←あれ、なんで自然変換でこんな字が出てくるんだ。聖飢魔�教ぜ茲蠅�このPC。
その他、今年起こって欲しいことの箇条書きなど

・会社の移転先が土壇場でマイホームタウンじゃなくなりますように
・錦糸町にHMVかタワレコかユニオン(これが大本命)ができますように
・ジョシュ・バーネットに姫ダッコしてもらう
・マン馬券当てる
・みやらさんの子供の名前が「宮良TOUJIROH」になりますように

なんて戯れ言はともかくとして
日記も長いこと書いていると、毎年どこで正月を過ごしたのかが記されているわけですが福島→名古屋→東京についで今年は岩手でございました。そうなると来年は大阪あたりなんだろうか。
しかし年末も東北で年始も東北か。どんだけ東北が好きなんだ俺。
年始の東北記録を書きたいのも山々なのですが、まずは年末の東北蹂躙ツアーファイナルのお話をば。

12/20(続き)
仙山線内で財布を開くと、あら、ま、3000円しかないじゃねえかよ。
とりあえず駅についたらお金おろさなきゃイカンな・・・と思いつつ電車に揺られること1時間弱。なかなか到着しない。
なぜこの電車はよく止まるのだろうと、ふと気づく。駅に止まれば平気で5分や10分止まるのだ。ある箇所では各駅ごとに長い間止まりやがっていた。

そんなわけで17時過ぎに着くはずが、到着したのは17時半近くなのだった。
山形は雨〜。仙台は雨なんぞ降っていなかったのに。
さっさと金をおろして、傘までわざわざ買っていざ次の作業場へ!と思ったが、よく考えたら急遽「山形に行ってくれー」と言われただけなので
何処に行くかも
何をするかも
誰に会うかも
わからないのであった。山形無宿。
言い知れぬ孤独感・・・ということにはならず、まあ、電話して聞くしかねーなーと思い駅前の喫茶店に入りSEとゴニョゴニョ。緊急事態だと言っていたにも関わらずSEも呑気に「なんか、山形の図書館の近くにあるみたいだわー」などといういい加減な場所説明しかしてくれない有様。どこだよ図書館て!
俺には地図もなんもないんだ!(P-inも故障中で使えないし)
そのうちにお客さんのほうから電話がかかってきて丁寧な場所説明がなされる。
こりゃあ喫茶店でのんべんだらりとしている場合ではないな、と気づき慌ててタクシーに乗り込む。

そしていざ客先についてみると、外で震えながらお客さんが待っていらっしゃったのだった。
やべぇ、相当怒ってるんではないのか!と思い常に低姿勢で対応。その甲斐あってか、お客さんも別段怒ったりはしなかった。(こういうお客さんが怒っている場合は、俺のような女作業員が行くとだいたい「女の子が来るとは思わなかった」という理由で怒られないことが多い。そのへんを狙ってうちの上司も俺を行かせたのだろう)
というわけで、移設も無事に済み、さあ、接続もチョロイものだろうと思ったその時。

つ な が ら な い よ

なんでだよ!
なんもミスしてねえよ!
過去ログだっててめえで持ってたから大丈夫だと思ったのに!(その機器はかつて私が設定したものだった)
お客さんも「ああ、すぐ終わっちゃうような作業だったんですねぇ」とか言ってたのに。SE、営業、俺、俺上司という皆があたふた。原因を調べるから待っておくれ、などという電話がかかってきたっきりしばらく放置されるハメに。
そんな放置プレーをされているうちに8時半が過ぎ、新幹線最終は見事に乗り過ごす。
「もしかしたら東京の飲み会にチラっと顔出しくらいはできるかもしれない」という希望もなくなる。
あーホテル取ってねえよ、どうしようか、と思っていたらお客さんが
「この時間からホテル取るのは厳しいんで、うち(お客さんの会社)の名前が効くホテルを取ってあげますよ」と言ってくださるではないか。
ああ、ありがたや。ご厚意に甘えてホテルを取っていただくことにする。
しかし、そのお客さんが抑えてくれたホテルは山形の高級ホテルなのだった。
俺の会社の出張費はやっすいものなんだが、地方に行くとホテルも安くなるのでホテル代が浮いたりもするのだ。
が、今回は9000円弱。
そんな高いホテル、東京で泣く泣く泊まるとき以外泊まった事ねえよ!
しかし、お客さんの厚意を無碍にするわけにもいかず、「あ、そこだったら大丈夫です。お願いします」とか言っちゃってんの俺。多めにお金おろしとけばヨカッタとか後悔してんの俺。気が弱いのイクナイ。
あと缶コーヒーもいただいたんだが、飲めないのでそのままかばんにそっと忍ばせましたよ。珈琲飲めないのはいろいろと不便だ。

結局、上司と電話であーだこーだやっているうちに繋がらない原因がわかり、わかったはいいがうちの会社の範囲では直せない設定なのでその別の業者が来るのか来ないのかで再び待機。
お客さんが「今日はもう終わりにしましょう」と言って解放されたのが10時過ぎなのであった。
帰り際、営業からの電話にお客さんが「(再作業は)24日の午前中が都合がいいかな」と言っていたのを耳にし、いやな予感がする。

というわけでお客さんの呼んでくれたタクシーでホテルに向かったのだが、外見からでもああ、これが高級ホテルか、とわかるような高級っぷり。よく海外旅行パッケージツアーなどで準高級のところに収まっているようなホテルだ。作業着はおったまま入るのもどうかと思われたが、はおったまま入った。
で、いざ部屋についてみると、なんと!ツインルームじゃねえかよ!
そら高いわけだよ。
でもツインなあたりが無理矢理部屋を作ってくれた感に溢れていた。さすがおえらいさんの会社は名前を名乗っただけでも待遇が違うんだな。
貧乏人らしく、最初は双方のベッドを交互にゴロゴロしたりしていたんだが、さすがに腹が減ってきたので外出することに。
しかし、そこは山形。
もうほとんどの店が閉まっているよ。
いや、いちおう繁華街の真ん中に位置してはいたのだ、このホテル。しかし繁華街自体にもう灯りのともっている店がないのである。
せっかくイイホテルに泊まるのにコンビニで飯買ってきて食うのもいやだしなーなどと思い、歩き回って探してみるも、食事のできるところは一向に見つからない。途中一軒だけ焼肉屋をみつけたのだが、かつてうちの会社の先輩が「ひとりで出張に行った際に飯を食うところがなくて、ひとりで焼肉屋に入った時のむなしさだけは生涯忘れられないね!」と言っていたのを思い出し、回避。

どうするだよどうするだよ、コンビニ飯しかもう選択肢はないのか・・・と思いかけていたところで「手打ちそば」というのぼりを発見し、藁にもすがる思いで入ることにする。
しかし、そこの横はキャバクラだ・・・うわーキャバ嬢とメシ食ってるオヤジばかりだったらいやだなぁ、「おめ、めんごいなぁ」(←想像の山形弁)などという会話を交わすキャバ嬢とオヤジのカップルわんさかの中に、ノーメイクに鉄郎ポンチョの女がひとりで蕎麦すするってのもなぁ、などと危惧するも、もう残りの選択肢はないのだ。背に腹はかえられぬ。腹を括って扉を開いたのだった。

想像とはまるっきり逆の光景だった。
客ゼロ。もう閉店間際だったのだろう。「まだやってますか?」と思わず聞いてしまった。店の主人は「まだやってるよーささ、どうぞどうぞ」と招き入れてくだすった。ありがたやありがたや。
そして「日本酒でも飲むか?」と聞かれて返答に詰まる。
日本酒は魔の水だ。少なくとも俺にとっては。
日本酒を飲んで何がなんだかわからなくなった経験多すぎなのです。
そして日本酒を飲んだ次の日の苦しみを考えると首を縦に振ることができず、焼酎でお茶を濁す。しかし店の主人は「東北に来たら日本酒を飲まなきゃダメだ」と果敢に日本酒を勧めてくるのである。そして自らもグイグイ飲むンである。
で、目の前には山形牛やら青菜漬けやらが次々と出てくるという有様。この主人も話術が巧みなんだこれが。ひとりでメシを食いにきたつもりが、気がつけばガハハガハハ笑うよな飲みに。そして乗せられて日本酒を飲んだのだった。
いやーうんめぇーのなんのその。
日本酒が旨いのはわかってるんだが、なんて芳醇なんだこの酒は。なんて口当たりがいいのだ。なんて悪い感じに残らないのだ。
聞けば「酔芙蓉」というお酒の搾りたてのものだという。東京では手に入らないので貴重なんだそうだ。あまりの旨さについ、一杯が二杯に、二杯が三杯になってしまう。話も盛り上がるモンで酒も食べ物も進む進む。
あれ?蕎麦屋に来たんじゃなかったのか?
と、途中で気づき、「じゃあ、そろそろお蕎麦をもらおうかな」などと言うと
「茹でるのにまだちょっと時間かかるからこれでも飲んでろ」とさらに酒を注がれてしまうのだった。
そして最後に出てきた蕎麦。これがまた絶品以外に言い様がない。
部屋が暖房であったかかったので、冷たい蕎麦を出してもらったんだが冷たい蕎麦でも汁いっぱい。つなぎを少なめにしているようで、腰が強すぎないのも素晴らしかった。
ここの店の蕎麦にはれんげがついているのもよかったです。汁が飲みやすいのな。
そして気がつけば午前2時半。
4時間も居座っていたのだった。遅くまで相手してくれてありがとうよ。
「気をつけて帰れー」と送り出されてすぐに段差に気づかず転んだが、そんなことは気にならないほど楽しい夜なのだった。会計もとんでもない金額になっているのだろうと思ったら、ビックリするほどお安い値段なのだった。もう、ホントにいい店に知り合ったもんだ。店の主人とはすっかり仲良くなっちまったよ。地方での出会いは貴重ですよいやまったく。
「90%の確率でありえないんだけど、あさってくらいにまた山形来るかもしんね」と言って帰ったんだが、この時点ではまさかそれが事実になるとは知る由もない。


12/21
朝起きたら絶対二日酔いなのだなーと思っていたが、驚くほど快調な朝。
いい日本酒といい蕎麦を食べたら二日酔いしない!と店の主人は言い切っていたが、ホントにその通りなのだな。
というわけで朝食もしっかり食べる。高級ホテルなだけあって朝飯が高いよ。しかし、ホテルの最上階から山形の街を見下ろすという優雅な朝食なのだった。セレブ気取り。山形の朝は雪がちらつき、なかなか乙なものであった。
そしてのんべんだらりと帰京。
帰りの新幹線内で上司からの電話が。
「オマエ、今日作業ないはずなのに昼に新幹線乗ったのかよ!」
あいすいません。だらだらしてもうたよ。
「まあ、いいや。とりあえず、再作業、24日に決まったから。また山形行ってくれい」
・・・・・・・!
・・・・・・・!
・・・・・・・!


山形追加公演編に続く
2005年01月11日(火)

字読みづらい!けどメッセージフォームです


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