股・戯れ言


BBS

コール・ノー

「仕事とアタシ、どっちが大事なの!?」

という言葉はよく聞きますが(実際に言ってる人は少ないと思うけど、思っている人は多いわな)、仕事と恋人って似てるよな〜いやホント似ていると思う。
自分が好きで選んだ仕事(男)なら長く続けられるものだけど、金が悪かったり(ワリカン主義とか、稼ぎが悪いとか)、勤務地がめちゃくちゃに遠かったり(遠距離だったり、遠距離じゃなくても気軽に行けない距離だったとか)、あまりにも環境が悪かったりすると、好きだけじゃ続けていけない(付き合っていけない)と気付いたり。
お金がいい仕事(カネは持っている男)はお金だけだから、と割り切っていても、やっぱり仕事内容(人柄)が好きになれなかったりするし。
誰がやっても同じような仕事してると、「自分がやらんでも換えのきく仕事なんだな(誰と付き合おうとこの人、体だけなのかと思ったりする)」とやり切れない気持ちになったり。
長くやっている仕事であっても、「やっぱり私、違うと思った!」と辞めたりもするし。
仕事でどんなにいやな思いをしても、人は働くんだよなあ。
どんなに恋愛でショッパイ思いしても、また恋愛してえ!と思うようにな。


などと思ったのは、今日、短期でやっていたバイト(コールセンター業務)が終了したので。
いやーしんどかった。金がいいバイトってやっぱそれなりの内容だね。
短期だとわかっていたからなんとか続けてきたけど、「え!更新しないんですか?」と言われた時は驚いた。しないっしょ。電話かけるのが嫌になったもん。まあ、当初の目的である「コールセンター経験が欲しい」というのは満たせたので、コールセンター業務はしばらくいいや。
やっぱり金が悪かろうとなんだろうと、自分のやりたい仕事、あるいはそれに近い仕事、または自分に向いている仕事をすることは、それだけで幸福なことだと思う。そういう仕事をしているというだけで、生きる支えとなるからね。



話は変わりますが、最近、知人たちの情愛沙汰の仲裁っつうか、まあ客観的視点役というか、相談を受けておるのですが(私はどちらの味方でもないので中立立場として分け隔てなく接している)、
自分でメール書いて、自分でいいこと書いたなあと思った一文。

「好き同士であるなら、お互いが幸せになれる道を目指すべきじゃないか。
 一緒になることだけが、好きであることの結論じゃない」

あとで読み返して、ああ、そうなんだ!その通りだったのだ!と自分で納得。
二人の人間がいて恋愛が初めて存在するので、
相手を自分の思い通りにすることがゴールではないし、
一緒になることがゴールでもない。
本当に相手を想うなら、相手が思うことを叶えてあげることもアリですよね。
自分が足かせにならぬように。
相手を解放してあげることも、「好き」「愛している」のひとつの型だよなあ・・・
そういうことを、わしは学んだのだった。受け取ったのだった。
受け取ったものは、ちゃんと伝授せんと。いいことはそうやって受け継がれていくものですよね。またひとつ成長いたしました。日々成長中です。
今年の年賀状は「1歳、歩けるようになりました」みたいに「29歳、愛の型をひとつ学び、伝授いたしました」などと自分の成長の様子を伝えるようなやつにしようかな。


おお、今テレビで、ものすごく重たくジャムの曲やってるジジイがいるなあ、と思ったらポール・ウェラー本人だった!ビックリ!
2008年11月27日(木)

ヤツザキ寂聴への道

ここ数ヶ月、自分掘り下げ運動をずっと繰り広げておったのは、ここ読んでればよくわかると思うのですが、
先日、久方ぶりに会った人といろいろ話をしていたら、ふと、
「女が上がったな!」
と言われました。
変化なんてのは目に見えないものだ。まあ、私の場合、「誰にどう見られている」よりも「自分で自分をどう見るか」に重点を置いていた数ヶ月だったので、何も言われんでもいいのだと思ってたのですが、そう言われるとああ、この数ヶ月はムダじゃなかったのかーと思えた。2008年半ばは不毛の時代!と決めつけていたけれど、不毛じゃなかったのだなあ。もっともっと女上げていくとしよう。
というわけで、フラフープを買おうと思案中。
「何故唐突にフラフープ?」と驚く事なかれ。こないだテレビで欧陽フィフィが「フラフープ毎日やってるよ!とってもいいよ!」と勧めていたので。しかしフラフープってどこで売ってるんだ?という壁にすぐぶつかったけど。
今日、「青山のこどもの城で売ってるよ」という有力情報を入手いたしました。行かねば!でも買ったとしても、電車の中をフラフープ持って移動しなきゃいけないんだよなー。


全然話は変わるが、ずるいことやっている人は、「自分はずるい」という自覚を持っていないとタチが悪いなあ、と思った。
私はずるいことはするな、とは思わない。何かを手に入れるために、あるいは、どうしてもそれを手に入れたいのなら、ずるいことでもセコイことでもやっていいと思う。ただ、やるならば「自分は今、とてつもなくずるいことをしているのだ」と思ってなきゃ。
そういう自覚は時として、「私は人の道に外れることをしている→だから苦しい、つらい」となって、我こそが被害者、悲劇のヒロイン/ヒーローだ、と思ってしまう場合があるのだけれど、そういうスタンスになっちゃあおしまいだ。聞いていても見ていてもイライラしてしまうからね。ずるいことやってるんだ!と自覚しているほうが話はわかりやすいし、ずっと清々しい。それは、他者から見ても、自分から見ても。
そうなんだよなー、ずるいってことを一番認めたくないのは自分だったりするんだよなー。「ずるいと思われたくない」「嫌われたくない」という感情が最優先になってしまうから。


私がこの数ヶ月、来る日も来る日も行っていたことは、つまり、「自覚すること=自分を認める」ことだった。自分にはどんな欲求があるのか、自分の足りない部分はなんなのか、自分が犯した罪はなんだったのか、そして、自分が本当に思っていることはなんなのか。本当にそればかり考えていた日々だった。
さんざん自分のこといやにもなったし、認めたかない部分も認めなければならなくて、つらいなあと思うこともたくさんあった。
が、まあ、最終的に私が辿り着いたのは、何も見返りがなくても、たとえ何も得られないとしても、自分の「信仰」は捨てずに、ずっと大事にしていけばいい、ということでした。
信仰ってもわけわからん宗教にはまったわけではない。念のため。
でもまあ、神様に例えると(話が複雑だな)、
神様は何も言わない。何もしてくれない、ではなくて
神様は何も言えないのだ。何もできないのだ、と思うこと。
そのうえで、神様を慕うか、慕わないか、だ。
私は慕う。信じる。それだけでもう十分だ。多くのことは求めんでいい。周りから見て、あいつ、とんでもなく不幸、しょぼい、みっともない、無駄なことやってる、かわいそう、であったとしても、私が十分幸せだからいいんだよ。
この幸せは誰とも共有できんでもいい。


あと、おもしろいなあと思ったが、
私が自分のために、自分の思うことを大事にする、
世の中の人間が全員わしをダメだと言っても、かまわんのだよ、
自分で自分をちゃんと支えられるから、というような話をすると
こんなに自分についてのことばかり話しているのに
「ヤツザキさんは母性本能が強いんだねえ」
と言う人が数人おったことですよ。
わし、子供おらんのにな。そして自分ととことん向き合っただけなのに、なぜ母性という言葉に結びつくのかね。謎だ。


しかし、今日の日記は「女」「自分」「信仰」と瀬戸内寂聴テイストたっぷりだなあ。フラフープは全然関係ないけど。
出家でもしようかしら。
←結構、冗談ではないレベル
2008年11月21日(金)

もし私が男だったとしても

もし私が男だったら

�,�となのおもちゃ屋に堂々と入店。
�¬邀哀侫Д垢箍峺�など、野外で飲む時はおしっこを極限までガマンしない
��キャバクラなどに仲間たちと行く(こんなもんか、と思ったとしても)
�ぅ▲瓮螢�に長期間ひとりで行く

うーん、あんまり浮かばないなあ。
わたくしは会社に勤めていた頃、自分が男ではないことに苛立ったりがっかりしたことが何度かあったはずなのだけどなあ。想像力貧困か。
「暴力を振るわない」とか「肝心な時に黙らない/逃げたりすることはない」とか「誰かを支配しない」とか思いついたのだけど、それは全部父親に対するアンチテーゼなのであった。そして、それらは別に自分が男でなくても実践することなので、あんまり性差に捕らわれていないのかも。
AVとかエロ本は男じゃなくても見られているしなー。性的な事に関しても私は自分を偽っていないし。
もし私が男だったとしても、あまり変わりのない生活をしているんじゃないかなと思います。絶対そうだろう。

ちなみに最初に挙げた4つの中で、4番目に関しましては、「ヤツザキには一度海外にひとりで行ってみたらいいよ、と勧めたいんだけど、女性だから不安だよなー」と友人から言われまして、そうなんだよなあ!アメリカに行ってみたいけど、レイプなんかが怖いんだよなあ!と思ったもので。切実です。


さて、なぜ自分が男だったら、などということを書いたのかというと、ビヨンセの新曲「If I Were A Boy」のPV見て、自分でも驚きな事に泣けてしもうたので。訳詞がついておったのですよ。
というわけで訳詞転載。

---------------------

ほんの1日でも、もし私が男の子だったら
朝、ベッドから起き出し
気の向くままの格好して
男友達と飲みに出かけるの
もちろんナンパもしまくりで
好きな相手と遊んでも
それで責められたりはしない
仲間がかばってくれるからね

私が男の子だったら
私にもわかると思う
女の子を愛するってどんな気分か
私ならもっと上等な男になろうって誓うし
彼女の話にも耳を傾ける
どれだけ辛いか分かっているから 
自分が愛していた人を失うことが
彼氏に甘く見られたせいで
手にしていたもの全てを壊されたの

私が男の子だったら
電話の電源を切り
皆には電話が壊れてるんだって言っておくわ
そうすれば皆
私が独り寝してると思うでしょ
とにかく自分優先主義で
自分の思い通りにルールを作るの
どちらにしろ、彼女は浮気もせずに
私の帰りを待ってるいるだろうから

----------------

前に安彦麻理恵のマンガで男友達の多い女が飲みに行って、
「うちの彼女、俺が電話しないでいたらキレまくって、泣きながら『仕事とあたし、どっちが大事なの!?』とか聞いてきてマジうざいんだよね〜」
などと語る男友達に「ギャハハ、その女サイテー!」と同調して女の悪口いいまくるのだけど、その後彼女は泥酔して、トイレでゲロ吐きながら女友達に
「仕事だとかなんだかんだでほっとかれる女がどれだけツライか、あたしだってよーく知ってるんだよ!あたしだっていっぱいツライ思いしてんだよー!」
と叫ぶ、という話があったのだけど(うろ覚えだけど)
そのマンガ読んだ時みたいな気分になったなあ。
男友達らと飲むのは楽しい。男だらけの職場でこういう話聞いて盛り上がるのも楽しかった。
けど、彼らがネタとする、「自分の彼女/ヨメがうっとうしい」という話は、うっとうしいと思う気持ちもわからんではないけど、女の気持ちのほうがわかるんだよなー。だから、「ギャハハ、サイテー」というのは、彼らの彼女/ヨメに向けて言ってるんではなく、うっとうしいと思われているであろう自分に対して言ってる部分もあるんだよなあ・・・。自己嫌悪に近い感情で。
てめえの男に相手にされず、じっとしているだけだと「さみしい女」「むなしい女」と自分で自分を思ってしまうから、男友達や女友達と毎日飲みに行ってしまう。でも自己嫌悪から全然抜け出せない。不毛。
あー!わしはそれだった!ホントそれだったわ!
男に相手にされないってのはいろんな事情があったけど(距離とかな)、とにかく何もしていないと自分をどんどん嫌いになっていってしまうってのに耐えられなかったのだ。
まあ、お陰様で最近は飲み回数、週2回(労働は別)で済んでおりますが。


安彦マンガに対する感想が長くなってしまったが、
ビヨンセのこの曲はもっと純粋に、「うっとうしい」などとネタにされている女性の心の叫びを歌っておりますね。
「彼氏に甘く見られたせいで」ってところと「とにかく自分優先主義で/自分の思い通りにルールを作るの」ってところが、わしの涙腺にヒットしたのですがね。
わしなんか飲みに行ったり自分のやりたいことやってたから(何もない女、と自分で思いたくない一心で、だが)、まだいいけど、世の中の女の子達はそういう発散もできなかったりするからね。切実だよね。
あーほんと、男ってテメエの女を甘く見てるんだよなー。
それは今までさんざん聞いてきたので、よーく知っております。
きっとわしもさんざん「うっとうしい」「ややこしい」と陰口を叩かれていたことでしょう。まあ、いいけどね。言いたいだけ言ってもいいのよ。いいんだけど、言った分だけ女の子はちゃんと大事にしてあげて下さい。ほっといたり、無視したりだけはしないであげて。
これだけは心からお願いしますよ。
ビヨンセも「私だったら女の子の話に耳を傾けるわ」と言ってるけど、
女の子にとっていちばん辛いことは「無視」だからね。


しかしこのPVでビヨンセが警官の格好したりするのだけど、
プロポーションのよさに改めて脱帽。
なんだあのくびれとボインっぷりは。
同じ人間とは思えない。
2008年11月17日(月)

赤い壁の下のしぶい男(たち)

わしは昔から「片目の男」というものに、もう、自分でもわけわからんほど魅力を感じてしょうがない性分でございます。
このルーツはおそらくフック船長なんだろうなあ。海賊というものに大変弱い。メロメロだ。というわけで伊達政宗がルーツではないのだけど、政宗の眼帯も好きです。
眼帯!そう、眼帯(白い救急用じゃなくて、黒の皮のやつな)が心にズキューンとくるのですよ。
前に「片目で眼帯していて、博多弁喋る男と付き合いたい。できればラテン系海賊がいい」と言ったら「そんな奴いねえよ!」と即座に友人に言われたこともあったな。
まあ、そんなわけで三国志だったら俺は絶対!夏候惇好き!なのですよ。
ってこのPCすげえ!かこうとん、と打ったら一発変換で夏候惇と変換しよった!長年の教育の賜物であるな〜。


で、今話題の「レッドクリフ」は赤壁の戦いなんで、全然夏候惇出てきやしないんだけど、好きな武将は夏候惇だが、好きな国はどこかというと呉(第三の国、というポジション、水に強いという海賊根性、そして何かにつけて「江東の〜」という言葉が頭につくあたりに心惹かれる)なんで見に行ってきました。
あと金城武出てるからね。金城武は「LOVERS」の時に思ったけど、着物というかそういう格好が似合うんだよなー。「LOVERS」には何度も激しく心を揺さぶられてました。CMだけでああッ!と恋に落ちたり、台湾行った時に町中にLOVERSのポスター貼ってあって、それを見ては「金城武と結婚したい」と口走っていたもんだ。
と、こんなに金城武連発しているけど、孔明役はちょっと違うんじゃないかと思っておりましたよ。不信感抱いたりしておりましたよ。


けど、見に行ったら、夏候惇とか金城武の孔明違うんじゃ、なんて言ってる場合ではなかったね。
そんなことどうでもよくなるくらい、全員わし好みのしぶい男だらけ。
まあ、要するに全員ヒゲ面だったのですよ。
ヒゲなのはさておき、関羽と張飛と趙雲が素晴らしすぎた。
関羽と張飛に関しては、ビジュアル重視しすぎていてよかったですわ。
関羽はとにかく登場シーンも決めポーズも敵ガンガン薙ぎ倒していく姿もカックイー。前に三国志好きの友人(女子)が
「あたしも関羽の青龍刀欲しいわー」
と真顔で言ってて、それは思わないだろーと返したことがあったけど、今ならその気持ちがわかるわい。もう10年くらい前の発言だけど、10年経ってやっと気持ちがわかりました。
張飛に関しては、素手でガンガン敵やっつけてたのが、張飛らしくてたまらんかったですわ。張飛=粗暴ってイメージを見事に実写化しておった。
蜀はそんなに好きじゃないんだけど、こうやってみるとやっぱりスター選手だらけであるよ。スター選手だらけだけど、4人しかいない野球部みたいな感じだな。とすると、魏は部員数300人以上の名門野球部ですか。
チャン・チェン演じる孫権の、皇帝姿にもポワーンとしましたよ。あの、帽子についてるすだれみたいなやつはなんて言うんですかね。しかし、チャン・チェンはどんどんピエール瀧に似てきているな。
で、肝心の金城武ですが、意外と孔明マッチしておりました。って、そらそうだよな。金城武がヒゲ面なのだもの。わしのポワーンゾーンどストライクに決まってるじゃないか。
一瞬、血迷って金城孔明のクリアファイル買いそうになっちゃったよ。
汗だくになって正気に戻りましたが。しかしそのおかげでパンフレット買い忘れたけど。しまったな。


と、こんなに絶賛しているのに、トニー・レオンだけは及第点なのであった。
トニー・レオン大好きなんだけどさ。なんというか、ものすごく老けたなあ、と思わされてしまった。そりゃーまー45歳くらいだからしょうがないのだけど、肌の劣化をしみじみと感じてしまいましたよ。
十分かっこいいんですがね。
そういえば今、新宿で中国映画祭やってるのだよね
http://www.ks-cinema.com/schedule.html
なんだかんだとずっと「ラスト・コーション」を見逃しているので、時間が合えば見に行きたいなー。


いやしかし、かっこいい男の映画ってよいですね。
心洗われました。ああ、やっぱ強い男っていいよなあ!
やっぱし、海賊(博多弁喋る、というのが条件)にさらわれるしか、わしが思い描く幸せはないような気がする。
(そしてまた、友人の「そんな奴いねえよ!」というツッコミが飛んでくる気がする)


映画といえば、この映画の存在も今日知りました。

http://www.thewho-movie.com/

わしは今でも部屋にどでかいザ・フーのポスターを貼っているのだけれど、
高校の時は「フーズ・ベター、フーズ・ベスト」というビデオを買ってきて何度も何度も飽きることなく見ておりました。
わしはハッピージャックのビデオが大好きだったなあ。
キース・ムーンがとぼけた感じで好きだった。
よくこの日記にもピート・タウンゼンドのおことばを引用したりしておりますが(最近とんとご無沙汰だったが)、ロッキンオンに載ってたインタビューはほとんど暗記しておりましたよ。
「生まれた時から黒人であるとか白人であるとかと一緒で、自分が生まれ持ったものは何も変えられないんだ。自分と闘っちゃだめだ、仲良くしろよ」
という言葉に、高校の時もものすごく感銘を受けていたけれど(あとババ・オライリィの「十代は不毛の時代。何もかもが無駄なんだ!」ってのにも共感だらけの毎日だったなあ。わしにとっては学生時代はすべてが自分で選択できない、行動できない時代であった。早く歳を取りたかったナー)
不思議なことに、今でもこの言葉に感銘を受けるのであった。
高校の時よりも何百倍も骨身に染みる言葉となって。
それこそ今、ほんとうにこの言葉通り、自分と仲良くしようと決めて、その通りに進んでいるしね。

で、もうザ・フーの来日公演は終わったものだと思っていたのですが
来週月曜日と水曜日なのだね。
ワオ!
このタイミングで映画の存在も知ったのだし、
またピートのおことばに導かれたのだから、これは行け!とにかく行け!という導きなのかね。
もう20代、というかもうすぐ30代でとっくに不毛の10代脱出しているしなー。金も時間も自分の意志で使えるからな。
まあ、今は今でいろいろ不毛だけどさ。20代最後だけ見ると会社辞めたりして、無謀の時代って感じですがね。
2008年11月15日(土)

ウォーク・オン・バイバーイ

夏あたりにも風邪引いて倒れておりましたが、また風邪引いて倒れたりしておりました。意外と脆くできているナー。会社辞めて1ヶ月半が結構激動の日々だったので(精神的にも、肉体的にも)、急に疲れが出たのでしょうか。
って、おかしいな。わしは会社辞めてしばらく休むはずだったのだが?
気がつけば週6くらいで働いておりますが。あれ?どうなってんだ?

ま、そんなわけで久々に38度の熱出しましたよ。
寝込んでもいたのですが、大人になると一日中寝込むと言うことができないのね。さる公共機関から、この日は這ってでも、血を吐いてでも、とにかく来いよ!来ないと大変なことになんぞ!との脅しがあったので体引きずりながら出向いたりしましたわい。
ひっさびさ、歩いていて地に足が付いてないような浮遊感感じました。
熱で脳がいかれていたのだろう。いや、実際いかれていたのは関節だけど。


今も風邪が治りきっていないのですが、涙流しながら痰吐いたり全身びっしょり汗噴き出したりしていたら、なんというか、憑き物が落ちたかのようにここ半年くらいえんえんと考えていたことがどうでもよくなりました。
もうええわ、という5文字がクッキリ浮かぶほど。
ここ数ヶ月、特に自分の女としてのアイデンティティとは、というか自分とは一体なんなのだ!と自分をえぐりにえぐり続けておりましたが、
そんなにすぐ答えの出るものではない、という事実を
受け入れてもいいや、と思ったのです。
今答え出さなくても生きていけるだろう。
ゆっくり時間かけて出していこうかなと。
あと、答えが知りたい、どうしても知りたいなどと思っていたけれど
そんなことわからんでも、自分の人生は進んでいくのだ、と思った。
そんなことには構っちゃいられねえ。
生きてくだけでいっぱいいっぱいだ。
熱に魘されながらそう思った。
ま、その時は本当に全生命力使って立ち直るのに必死だったからね。


っても前回の日記に書いたような、人を信じる心とか、寛容になることは続行中です。忍耐力だって、ちゃんと今も使っておりますよ。
信じておりますとも。
誰も責めるつもりはありません。
誰も責めないように、自分をコントロールしております。(ここが忍耐力使っているポイント)
それはこれからも、ずっと続けていきますよ。
長い長い時間になっても大丈夫。という自信がある。
ただ、私の中で「この先行き止まり」を受け入れたってだけの話。
私は私を責めることもやめたってのこと。


まーこの先どうなるのかはわからないけれど、
そういうわけだ。
忘れるわけでもない。憎悪に変えるわけでもない。
どうでもいいというわけでもない。
まあ、これからはそのことについて考えなくなるってだけのこと。
何かをしなきゃと焦ることもなくなるってだけのこと。
そうやって毎日生きていくってだけの話だ。


ああ、楽しいことはどこにあるのかね。
バッドブレインズが12月に来日するって話を聞いたなそういや。
行きてえ!
あと最近は「ルイール」読んで服のコーディネートのことばかり考えておるな。
派手な格好がしたい!いい歳こいて、と言われようがなんだろうが。
って、今テレビで流れているディオンヌ・ワーウィックの衣装がギンギラギンで全然さりげなくなくて素晴らしい。ミラーボールみたいだ。
こういう派手さが欲しい!今、ものすごく欲しい!
んなわけで本気でアフロにすることも考える今日この頃であった。
2008年11月14日(金)

この世でいちばん欲しいもの

神社やお寺、道端のお稲荷さんとかお地蔵さんを見ると、極力手を合わせてお参りするように心がけておるのですが、
ここ最近は
「神様!わしに自信をください!」とか
「わしが自信を持てるように見守っていてください!」とか
を念じております。
自信というのは内側からあふれてくるものなので、神頼みしたところで出てくるわけじゃないのだけど、とにもかくにも自信が欲しい。
何回か前の日記に「自分は何が欲しいかわからない」と書いたばかりだけど、
欲しいものをちゃんとわかってるんだな。
自分に対する信頼。信用。そいつが喉から手が出るほど欲しい。
半年前に比べて、自分に対する信用はだいぶ持てたと自負できるのだけど、それでも「何かをした時、きっと自分は思い通りの結果を得られなくてがっかりしてしまうだろう→だから行動しないで我慢だ我慢」なんてのを思ってしまうということは、やっぱり自信が足りないのだと思う。

いや、でもそれって本当に自信の問題なのだろうか?
がっかりしてしまうことに耐えうる精神力って、自信とは違う気がする。
私が欲しいのは自信じゃなくて、何事にも動じない精神力なのか。

いやいや、がっかりしてもいいのだ。
胸をギュウっと締め付けられてもいい。
ハラハラしてもいい。あまりの辛さに涙を流してもいい。
そんな私も受け入れる覚悟はあるから。
思いっきり自分を解放してあげることはちゃんとできるから。


そうではなくて、私が今一番欲しいのは、人を信用する心なのだと思う。
前回の日記でどうせどうでもいい人間って思われてるしねー、まーいいけどねー、などと書きましたが、本当はそう思われていたくないと思っていますよ。
私が好いた人はそんなことを思う人じゃない、と信じたい気持ちでいっぱいだ。相手はそんな風に他人を思う人じゃないって、わかっているよ。
誰よりもよーくよーくわかっている。

でも、わからなくなってきてるのだ。
じゃあ今なんでこうなっているの?って思ってしまう。
そしてそれは、もう、一生わからないまんまなのだ。
あまりにも遠い隔たりができてしまったがゆえに、もしかしたら私は、相手のことは何もわかっていなかったのかな、と不安に駆られてしまうのだ。(と、いうことはやっぱり自信がないということか)


あと、信じてしまうと、期待してしまうのだよな。
信じることと期待することがセットになってしまっている。
これは長い間の習性だろう。信じているけど、期待しない、という作業は本当に難しい。エレクトーンで右手と左手と足を同時に動かすくらい難しい。(エレクトーン実は15年くらい習ってました)
難しいけど、練習すればできることだから(このわしにもエレクトーン弾けたくらいだからな!)、期待しないで信じるということを続けてみようかと。
今はそう思っております。
とてつもなく広い心を持つことが大事なのでしょうけれど。
想像を超える忍耐力を要求されるのでしょうけれど。
そして、途方もなく長い時間が待ち構えているのでしょうけれど。
神様、どうか見守っててくださいまし!


2008年11月04日(火)

未練がましいろくでなし

三連休(無職だからエブリデイ・イズ・ライク・サンデーだろ、と思われがちだが、バイトしたりなんか書いたりといちおう労働しているのですよ)は、おもしろおかしい結婚パーティーのスタッフやったり、スナックというかカウンターバーというかな店のカウンターん中入って切り盛りしてみたり、おなご3人で飛騨高山まで行ったりしておりました。
結婚パーティーはおもしろ夫婦の人柄を反映したような、2時間みっちりショータイムでありました。裏方であれこれやってたけど、それでも楽しめた。末永くお幸せに!ずっとおもしろくやってって欲しいッス!
で、女3人飛騨高山の旅は、とんでもない渋滞に巻き込まれましたが(行楽シーズンだからな)、紅葉見たり山寺の一大イベント鑑賞したり、温泉浸かったりSAや道の駅に停まってはあれこれ買い食いしたり(体重間違いなく増えておるな。ダイエットはどこ行ったんだ!?)、大満足でありました。
秋満喫でございます。
まあ、飛騨高山はすでに秋って気温じゃなかったがね。寒くてたまらんかった。


と、近況はさておき。(ここからいつものモードへ突入)
こないだ寝る前に、ふと
「好きの反対は嫌い、じゃなくて、好きじゃないだよな」
「嫌いの反対も好き、ではなくて、嫌いじゃないだわ」
ということに気付いてしまいました。
好きじゃない、嫌いじゃない、って書くと曖昧ですが
要するに「なんとも思わない」「どうでもいい」ってのが、好き/嫌いの反対語だということです。
逆に書くと、好きだ、とか、嫌いだ、というのは同じカテゴリーの言葉なのだよな。対象に対して常に自分が何かを感じているという意味において。
何かを感じている、ということを通して、対象のことを常に意識の中においている、ということを表す言葉だと思うのですよ。
「好き/嫌い」ってのは強い感情ですから。
だから男女の別れにおいては「(相手が)嫌いになった」というのはあまりない。「なんとも思わなくなった」「どうでもよくなった」てのが一番多い気がする。まあ、なんとも思わなくなっても、普通は別れないものなんだがね。
だって、なんとも思わないから。自分には利益にもならんけど、害にもならないわけで。
だから、一番普遍的によくある別れの理由ってのは
「相手がどうでもよくなった→そのまま時が流れる→そのうちに好きな人が出来た→別れる」
「相手がどうでもよくなった→そのまま時が流れる→このままの状態だと自分が先に進めない(次に行きたい)気がする→別れる」
(「→そのまま時が流れる→どうでもいい人間と一緒にいると自分も惨めだし、相手も痛々しくてかわいそう→別れる」でも可)
なんか最近冷静になっておりますが、わしの場合は後者のようなことを抱かれたのだと思います。答え解らないから知らないけど。まあわからんから前者かもしれないけどね。


どうでもいい人間か〜。
憎しみを抱かれているよりはマシかな、と思ったけど、憎しみ抱かれているほうがマシなような気もします。そっちのほうが意識されてるってことだからね。動向なんかもある程度は気にしてもらえるだろうしね。「愛と憎しみは紙一重」とはよく言うが、そういう意味か。
でもまあ、そんなことに期待してもどうにもならないしね。
事実は事実(知らないけど)として受け入れるしかないのでしょう。


と、冷静に分析し、気丈に書いてみたけれど、やっぱどうでもいいって思われているのはこたえるねー。軽へこみ。
だって、あちらはもうどうでもいいんだろうけど、わしは未だどうでもよくないわけですから。未だ嫌いになろうとしても嫌いになれず、こんなにわしを苦しめるなんて!憎い!と思っても全然憎むこともできず、なのですもの。ろくでなし、ろくでなし(越智吹雪)、憎みきれないろくでなし(ジュリー)だよいやまったく。
「未練がましいなあ」「いつまでウジウジしとるんだ」「イテエ女!」と自分でも思うが、別に誰に対しても迷惑をかけているわけでもないので謝りはしないわい。なんとでも思われて結構。事実だし。

まあ、誰にでもどうでもいい人間っているしね。でもよりによってそれが私なのか!と思うと、ね。
あーやっぱ嫌われたり憎まれているほうがナンボかマシだわ。
(と、こんなところで落胆していても、知ったこっちゃなかろうけどさ)


そういやふぁるさんにろくでなし、覚えたほうがいいわよ、と言われてたんだった。最近、この声の太さ/低さをどうにか活かせないものか、と思ってゴスペルを習おうとしていたのだけど、あんたシャンソンでもいいんじゃないの、と勧められたのです。
って、ろくでなし、の歌詞はまさに今のわしじゃないか。
パパーラパラパーラパラ・・・!
2008年11月03日(月)

字読みづらい!けどメッセージフォームです


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