本日発売の『編集会議』・6月号に、わたくしが書いた記事が掲載されました。 半年ほど通っていた講座の卒業制作として書いたもので、友人のCMプランナー・麻生哲朗氏にインタビューしました。「あの企画はこうして生まれた」といったようなタイトルです。今号の特集がちょうど「企画」の話ということで、採用になったようです。 特集内カラーページで約6ページ。花田校長(=編集長)の「親心」のようなものを感じます。ありがとうございます。忙しいなか快く協力してくれた麻生にも感謝しています。 書店売りされるものとしては「デビュー」。ぜひお近くの書店でお買い求めください。なおご意見、ご感想は、好意的なものはbbsへ(ミテミテ)、辛辣なものはメールで(ミナイデ)お寄せください。 お断りしておきますが、わたくしは打たれ弱いです。
2004年04月30日(金)
ラケットを手に、相手のサーブを待つテニスプレイヤー。極上のパンチを繰り出そうと、相手の隙をうかがうボクサー。「俺のところに飛んでこい」。そう念じて、守備につく野球選手。
彼らには共通点がある。皆、中腰の姿勢なのである。理由は簡単だ。次の動きに備えるには、その姿勢が最適だから。つまり中腰というのは、次に起こることに素早く反応して、最高のパフォーマンスを生み出すための、最適の状態なのである。
前後左右、どの方向へ移動するにもいい。ターン、ジャンプ、スライド、ダッシュ、どんな動きにも対応できる。中腰は、その出発点なのだ。
共通点は、実はもう一つある。中腰で構える彼らの頭のなかには、成功のイメージがあるということだ。時速200キロのサーブを鮮やかに打ち返す。絶妙のカウンターパンチで相手をマットに沈める。流れるようなグラブさばきで打球を処理する。
さあ、「卒業」も間近。編集の道へ向け、僕も中腰でありたいと思う。
2004年04月07日(水)
先輩、今日ちょっと頭痛で……。 「バカ野郎。そんなもんグラウンド走れば治る! 気合いが足んねえんだよ、気合いが」 監督、歯が痛くてですね、今日の練習は……。 「なに根性ねえこと言ってんだ。走って来い! そうすりゃ歯なんてすぐ治る」
昭和の運動部では、とかくグラウンドは「総合病院」だった。気合いや根性は、さしずめ「魔法の薬」といったところか。それさえあれば、すべての問題は解決される。練習中に水を飲むことはままならず、うさぎ跳びで神社の階段を登らされる――。そんな光景は、昭和の日本ではスタンダードだった。
その後スポーツの世界でも近代化は進み、そういった「根性練」は科学的に否定されることになる。うさぎ跳びのやりすぎは疲労性骨障害を引き起こすというし、水分を補給せずに長時間運動を続けることは、パフォーマンスが低下するだけでなく、熱中症の危険性もある。 この「非科学的トレーニング」は悪だと多くの人が気づき、指摘した。確かにその通りだ。だがここで注目したいのは、「根性」や「気合い」も一緒くたに悪だと決めつけられてしまったことだ。 「スマートなトレーニング」を取り入れた日本のスポーツ界は、不振に陥った。体格や筋力といったフィジカル面に加え、技術や戦略も「頭よく」向上したというのに。
そんななかで再び注目され始めたのが、やはり「気合い」や「根性」だった。ただ、言葉自体は「メンタル」という今風のものに置き換わってはいるのだが。 集中力、闘争心、忍耐力、自己発奮、自主性、持続する意志――。この古臭い言葉には、前向きな精神性を表す多くの意味が含まれている。それは時代が変わっても、評価が廃れることはなかった。
ただ一人、「気合いの復権」を予見していた男がいることをここで紹介しておきたい。彼はその言葉を言い続けていた。 「オラオラそうだ、心の炎を燃やせ。燃えろ、燃えろ、んんんー、気合いだぁ」 そう、アニマル浜口氏である。
2004年04月01日(木)
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