あちこちで地震が起こっている。
北海道はもとより、露西亜でもとても大きなのが来たとか。 宮城も相変わらず揺れているらしいし、今日は新潟も小さく揺れたそうだし、東京の地面もホンのすこーし揺れた。
富士山は、火山性ではないけれど湯気が出ているし。 火山性ではなくたって、安心なんて出来ない。 プレートの動きとか、そういった地震絡みの何かで地盤の隙間の水蒸気が地表に出てきたのかもしれないし。
このところメディアで地震対策特集が増えてきたのも、そろそろ関東の小市民たちに大地震に対する心構えをちゃんと持って貰わないといけないかも、とお偉い達が考え始めたからだろうか。
少し前までは、そんな民心を動揺させる事をわざわざ煽り立てるように言わんでも、とかそういう微妙に批判的な気配が感じられたのに、今はそういう空気も消えている、ような気がする。 それだけ、いつ関東に大地震が起こってもおかしくない時期なのだろうな。
・・・もっと前からちゃんと考えて、各々が頭の中でシミュレートしておくべきだと思うけどねえ。 目を逸らしていたって絶対関東は大地震が起こるのだから。 家の耐震対策だって簡単に出来る訳でもないのだから、前もって地震を視野に入れておかなくては手遅れだろうに。 我が家は、建て直しの時に父が耐震性の高い構造でと注文をつけているので、地震が来てもいきなりぺっしゃり潰れる事はない。はずだ。 ・・・業者さんが嘘を吐いていなければね。 家具も固定具で固定されている。
しかし問題は、私は家にいる時間の方が少ない、ということである。 三分の二の確率で、職場か、或いは通勤電車の中。
大きな直下型地震が東京で起こったとして、生き残る人間がいるとしたらそれは私だ、伊達に最強の星の下に生まれてないさと思っているのでその点は心配していないのだが。
地下鉄に乗っていた場合、地上脱出までが大変かもしれない。閉所は平気だが、暗所恐怖症だからね。 困ったものだ。何か対策を講じなくては。 ・・・しかし懐中電灯持って歩くというのはいくら何でもね・・・。 上手い手はないかなあ。
子供の頃から体感地震の度にそんなことばかり考えているというのも何だかなあ、とふと思った本日。
2003年09月26日(金) |
都知事発言について。 |
しばらく前、石原慎太郎東京都知事の「爆弾を仕掛けられて当たり前」発言が問題になった。
書いておこうかどうしようか迷ったけれど、今回曽我さんのお母様への発言もあったので、やっぱり書いておこう。
上記発言を知った時、非常に、心底、不快に思った。 彼の発言には「犯罪被害者に対する配慮」というものが全く感じられないからだ。
たとえどんな背景があろうとも、どんな職の人間であろうとも、爆弾を仕掛けられた側は被害者だ。 それを「当たり前」と言い捨てるのは、路上で強盗殺人にあった被害者に「用心が足りなかったから被害にあって当然だ」と言うのと同じだと思う。 そしてそこには粗雑で独善的なメンタリティと、精神的教養の低さ、人間性の劣悪さしか感じられない。
今回の曽我さんに対する発言もそうだが、彼の発言は犯罪被害者に対して実に冷酷だ。
それを正当化しようとする言い訳を聞いても、ああ、まともな躾を受けず我が儘一杯に育てられた自己中心的人格の人間なのだな、とか、他人に対する配慮の出来ない人間なのだな、としか思えないのだ。
たとえ用心が足りなかったとしても、たとえ言動に対する報復としての犯罪だったとしても、犯罪者より犯罪被害者の方が悪いなどということは有り得ない。 日本は一応は法治国家を標榜しているのだから。
「爆弾を仕掛けられて当たり前」という発言は、被害者の方が悪い、犯罪者の行動が「当たり前」なのだと宣言している。 そういう法治国家に相応しくない見識を持った人間が首都東京のトップに平然と居座っている、という異常な事態を、平気で受け入れている都民の心理も不思議だが、まあこれは日本が『法治国家』である、という建て前事態が嘘だという証拠なのだろう。
私にとっては、彼は、ああ私は都民でなくて良かった、と心底思える知事だ。 隣の芝は青い、と思わなくて済むって、僥倖だなあ。
TOEICの結果が出た。
・・・もはや何も言うまい。 この1年間の多大なる英会話出費は全くの無駄金であったらしい。
さて。 気を取り直して、と。
ずっと、何とかしなくてはいけないなあ、と思っている事がある。 発声と滑舌。 私はこれらが非常に悪い。 自分の声を録音したものを聞くと、本当にがっくりうんざりする。
はっきりしない声、というか、空気の抜けたような、輪郭のぼやけた声なのである。 特に電話の声が悪い。しかも改まっている時、緊張している時ほど酷くなるらしい。(・・・改まっている時ほどぼやけ声というのも不思議な気がするが)
何を言っているのか聞き取れなくて聞き返される、という事はほとんど無いのだが、電話に出ると、「眠いのか」とか「どうしたんだ」とか「起き抜けか」とか「疲れているのか」とか「良くないことでもあったのか」とか「風邪か」とか、とにかくありとあらゆるあまり嬉しくない質問を受ける。
失礼な。たった今電話に出るまで、しゃきしゃきわしゃわしゃ元気に活動していましたがな。
と思うのだが、電話の向こうの方々がそう聞きたくなる気持ちも分かるので、職場では「いやあ、月曜ですから〜ははは」とか「いやあ金曜ですから〜はっはっ」とか「いやあ夕方ですから〜あはは」などと芸のない受け答えで強制的に流している。
まあたまには「いいえ。これ地声です」とか愛想無く言い捨てる事もあるのだが。 家でセールスの電話を受けて「あ、すみません、お休み中でしたか」などと言われた時などはね・・・。
でもいつまでもこのままでいい訳がない。 何とか改善を、と、話し方の本なども探してみたが、効果的なプレゼンがどーたらこーたら、話す内容の纏め方は云々、という内容がメインの本が多く、あまり参考にならなかった。 私が何とかしたいのは発声なんだってば。
かと思えば、お腹から声を出して云々って、それは声楽では。 声楽的発声の仕方なんて、中学高校の声楽の授業で散々やった。 でも普段話をする時にそんな発声するのか?壇上ではなくて普通の時に?本当に??
何かが違う。ような気がする。
何とかしなくてはいけないなあ、と思っているのだけれど。 具体的にコレといった手段がいまひとつはっきり掴めていないのが厄介なのである。 「気にはなっているのだけれど」 というところからいつまで経っても全く前に進まないから嫌だ。
ほんと、何とかしなくてはなあ・・・。
最近、どうやら私は劇を観るのが趣味らしい、と気付いた。
今までもたまに舞台を観に行ってはいたのだが、「趣味」という程の頻度ではなかったので。年に1回くらいだったろうか。
今にして思えば単純に経済的理由で行かなかっただけで、お財布が許せば前から舞台を観に行きたかったのかもしれない。 そういえば、父から貰ったチケットで、とか、母の御相伴で、とか、そんな観劇も以前はわりとあった。
今、興味を持った舞台のチケットを取るようになって、自分の観たいものは2度でも3度でも足を運ぶようになって、忙しい眠いと言いながらふと気付けば年に5〜10回は劇場に行っている。
ああ、舞台を観るのが趣味だったのかもなあ。 本当は私、舞台を観に行きたかったんだなあ。
そう自覚したら、チケットを買えなかった頃の自分が気の毒になった。 転職前の私は、そうか、好きな舞台を観に行くのにお金を費やすほどの余裕は無かったのか。
月々少しずつ貯めれば年に2回か3回くらいは行けない事もなかったのだろうけれど、そこまでしてでも「どうしても観たい」とは感じていなかったから。 2、3時間の観劇に出費するくらいなら、ずっと長いこと読める本を買いたかったから。 ホンの一時で消えてしまうものよりは、親や友人へのギフトに使いたいと思っていたから。
食べていくだけ、着るだけ、生活していくだけならば、さほどの金額は必要ないのだろう。けれど。 文化を買うには、色々な意味で、余裕がいるのだなあ。
余裕の無かった自分、には、余裕を持てて初めて気付く事が出来るのか。
今、自分の好きな事に気付くことが出来て、それを出来るようになったということに気付く事が出来て、良かった。
初めから「わりと好きな」観劇に好きなだけ行けるよりも、ようやく「わりと好きな」観劇に好きなだけ行けるようになった今の方が、きっと私は愉しい。 こういうシチュエーションで自分の好きなことを発見できて、とても得した気分である。
さて、再来月も観劇スケジュールがあるぞ。 実に楽しみだ。
劇を観に行った。
ビューティフル・サンデイ。 中谷まゆみ作、板垣恭一演出。
彼らの創り出す舞台は、日常で非日常な、ホンの少しだけズレた登場人物たちの繰り広げるホームドラマなのだけれど、毎回心の何処かの柔いところ、耳の痛いところをチクリと突いてくるストーリーだ。 共感できる部分も共感できない部分もあるけれど、見終わった時、拍手を心から贈りたくなる舞台なので大好きだ。
毎回、登場人物たちは、それぞれに何かに躓いたり囚われたりしている。 その中で後ろ向きになったり卑屈になったり逃げたりしながら話は進むのだけれど、お互いを教師・反面教師にして「何とか頑張ろう」とよろよろしながらでも前に半歩踏み出すところで舞台が終わる。
それが1歩ではなくて半歩であるところが、いい。 半歩。それは何かを決意するところまで、であって、決意を実行するところまでではない。 内面世界のリアリティを感じられる匙加減だ。
実際の生活の中でも「決意まではするのだけれど、その決意は脆くも崩れて、またしても決意する」なんて事を繰り返す訳で。 表面には顕れないそういう水面下の動きを、かの登場人物たちは舞台上で言動に表して動き回るから。
だから痛いし、だから「もうちょっとだけ頑張ろうかな」と思うし、だから拍手したくなる。
今回も山ほど拍手した。
そういえば、どんなに寝不足で草臥れていて立っていても意識を失えそうでも、サードステージの舞台を観ている時に気が遠くなった事ってないなあ。 宝塚やたまに観に行く某劇団の時は、たまにスイマーに襲われることもあるのだけれど。
人間って、好きな物を見ている時は案外気力を奮い起こせる生き物なのかも。 気の持ちようって、大きい。
眠い。 のに、眠れない。
今朝は5時頃まで記憶がある。 で、6時頃弟くんの起き出す音で目が覚めた。 あとは私が起きる時刻までうとうとしたり目を覚ましたりの繰り返し。
週末もちびの騒ぐ音で朝も早くから目を覚まし、昼寝も出来ず、夜は寝付けず、の繰り返し。
「夜もたまに起きて授乳しなきゃいけないんで〜」と、私は夜もおちおち寝てられなくて大変なんです!な顔で大上段に構えふんぞり返った弟くんの嫁さんが勘に触る。 ちびを母に任せ昼寝もしてるし夕寝もしてるし、ちびちびは全然泣かず静かだし。 母はちびの相手で日課の昼寝も出来ず体重激減してふらふらなのに、きみは随分と寝てるじゃないか。
週初っ端から少々グロッキー気味。 自分が眠れないものだから、心の中でイジワリズム炸裂中。 ふう。ぐっすり眠りたい。
今週は蒸し暑かった。 空気中の水分と自分の汗で、じんわりと煮込まれているような気候だった。 9月も半ばになってから「残暑」なんて、フェイントだ。
暑いせいか、今週は特に電車の中で座っている時、隣の人が熟睡して寄り掛かって来る事が多かった。 全体重をわざとかけているのではないか、と邪推したくなるくらい思い切りよく寄り掛かってくる人もいた。 が、まあみんな暑くて消耗していて、それなのに暑いから夜よく眠れないのだろう、と思ったので今週は少々の重さは我慢した。
でもねえ、いくら何でも、私はクッションじゃない!と言いたくなるくらい寄り掛かるのはやめて欲しい。 今日の帰りの電車では、左腕があっという間に痺れるほど寄り掛かってくる、いかにも重そうなオジサンが隣席だった。 もうあと5センチ頭が下がったら膝の上の私の鞄が枕になるなあ、という寄りかかり振り。 そうなったら眠っていようが何だろうが痴漢呼ばわりして床に転がそうかなあ、と、真面目に考えた。 幸いにもそのオジサンは私の鞄を枕にすることなく、無事に目を覚まして私より先に電車を降りていったのだが。
隣が女性だというのに、そして逆隣が男性だというのに、よくまあそんなに緊張感無く女性側に寄りかかる事ができるものだ、と呆れた。逆側には、少し寄り掛かっただけですぐに“はっ!”という感じで身体を起こしていた癖に。 そのオジサンの愚鈍なメンタリティを垣間見た気がした。
暑くて眠くて気力を使い果たした金曜日。 週明けよりは随分とココロが狭くなっていた。イジワリスト。 ・・・だからって反省するつもりはないけれど。
最近睡眠不足の所為か、電車をよく乗り過ごす。
先日は帰りの電車で久しぶりに終点駅まで行った。 本日は朝、乗り換え駅の次の駅まで行った。
・・・いやあ、いつもと違う駅って新鮮だなあ!
閑話休題。
年に一度の健康診断を受けた。 午後の受診だったのに血圧は上が二桁。 体重は普通でも体脂肪率が非常に高いのだから、それに身長も人並みよりは高いのだから、も少し血圧が高くないと脳味噌にちゃんと血が巡らないと思う。 頑張れ、私の心臓。
でもこれだけ心臓が普段からサボっているのなら、長生き出来そうな気がする。 老後は旧弊な頑固ばばあになるのが私の夢だ。
頑固ばばあで思い出した。 最近かなり気になる、好きではない言葉の一つ。
たとえばスーパーで、500円の買い物をして千円札を出したとする。そういうとき、 「千円いただきます」 という店員さんが増えた。 いつも内心で、 「やだ。あげないよ!」 と突っ込んでいるのだが。
「千円お預かりします」 じゃないのか?いただいちゃうのか?! 君のところは勘定より余分にむしり取ろうとする悪徳店なのか?!
すごく感じ悪い。 店員さんの教育していないお店なんだなー、きっと他も適当なんだろうなー、食品の消費期限表示もこっそり変えちゃったりしてるのかもしれないなーと、ガタガタと印象が悪くなるのである。
少し考えれば・・・って、この程度の事、考えなくても分かるはずだと思うのだけど。 経営者は自分のお店が大事ではないのかなあ。
忘れていたが、もうすぐTOEICテストである。 私は年に一度しか受けないので、今回をしのいだらまた来年まで忘れていられる。
って直前まで忘れていてどうするよ! 去年のスコアが送られてきた時、次までに今度こそ絶対!文法を強化すると誓ったハズなのに。
・・・。 今から出来ること・・・は、スコアが去年と較べてガタ落ちしないよう八百万の神様たちに祈ることだけ。
ふははは・・・はあ。
ちび太の弟が本日無事に生まれた。 めでたい。
ううむ。これを機にそろそろちび太の呼び名を格上げしてやるべきか。
命名「ちびあに(兄)」。
・・・・・・。やはり少々呼び辛いか。 うむ。やはりちび太はちび太のままでいいことにしよう。 ここはやはりニューフェイスの方に命名すべきかもしれない。よし。
命名「ちびちび」。
適度に頑張って生きるんだぞ、ちびちび。
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