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■ 沈黙の裏側
日記、と言うよりも、今の私の意思表示っつーか、たいそうなモンでもないけど、自分自身の覚え書きです。今回は(いつもか/笑)
ここ数日は、アンソロの件で正直、自分を立て直してました。
まず、話はズレますが、先日の日記で如月さんの名前を載せたのは、彼女のサイトにアンソロの仕事が明記されていたと言う事で、公表しても大丈夫だと判断したわけです。 それと、「京都新選組」を描くであろう作家さんの代表として、お名前を載せさせていただきました。 ちょっと、ためらいはありました。 何の他意もありませんが、如月さんのお名前を出してしまえば、恨みがましい対象となってしまうかも…なんて。 こっちはこれっぽっちも思ってはいないんですが、個人名を載せてしまうと言う事は、「如月さんは出てるのに」という表現にもなりかねないし。
しかし、そういう誤解を覚悟であえて如月さんのお名前を拝借したのは、上記の様に、新選組作家の代表格でもあられるし、ご本人も本誌の公表をされていたからです。 そして、まあ、この日記を見て頂いてるならば、「そういう編集」のやり方も知ってもらえるかな、と(執筆されるご本人に言うわけにもいかないしね/苦笑)
そしたら、メールを頂きました。 ご本人から。 きっと心配された事でしょう。いろいろ。 すいませんでした。ホント。気を使わせてしまいました。 でも、そういう編集ですから(怒笑)
で、もう一つ。 日記を読んだ方から色んな反応を頂きました。多くは同情と憤慨(私以上に/笑)の内容です。 即座に慰めていただいて、恐縮しております(^^;) ありがとうございます。ありがとうございます。
すっかり溜飲の下がる思いです。
とは言え、この度の事は、結構考えました。 アンソロ本の事ではなく、自分の方向性を、です。
まだ消化しきってないまま書き込んでいるので、支離滅裂かもしれませんが(^^;)
編集からの否定によってものすごい大きなショックは受けました。 ただ、同時になんだかんだ言ってても「甘え」と「ぬるま湯」にどっぷり浸かっている自分も感じました。
サイトを開いていると、公の場に出ている意識というより、「支持してくれている」人によって守られている感じが強まります。 外部から見ると、入りにくい程の「小宇宙」(故ナンシー関談)の中に、管理人と支持者がいるわけです。
同人誌は好きなものを描けるかわりに、自分のクオリティもかなり必要になる、と覚悟しながら描いてきたはずでした。 ---ハズだったんです。 一生懸命描いて、なんとか上達したい一心で、なんとか本を出したい一心で 「クオリティを高めている自分」に近付くように、色々と頑張っているつもりでした。 つもり、というのは悪い言い方かもしれませんが、上っ滑りの感がいつもあったのは事実です。
CGを完成した達成感、本を出して嬉しかった気持ちは、確かに少しずつでも前進していたでしょう。
何度も繰り返してこの日記にも書き込んでいる「描きたい事が多くて」「描きたい気持ちが大きくて」どう、何を描きたいのかが散漫になっている自分。 伝習隊の「ここ」と言う部分が描きたいはずなのに、どう描きだせば分からないまま、胸の奥でもやもやと綿のように渦巻いている「欲求」
参加イベントが年に夏と冬にあり、それにあわせて新刊を出してはきたものの、---そのときは「新刊だーvv」と意気込んでいるし、本気で楽しんで描き上げた本だから愛情はあるけれど--- どうにも「消化不良」のままかかえているモノが2年程前から消えずに胸の中に残っている自分。
おざなり、という姿勢はとってはいません。 マンガやCGを描く意気込みは、その時そのとき精一杯に注ぎ込んでいます。
ただ、今回、編集側からの「何気ない理由」であれ、はっきり否定された件で、私、あえて「全然頑張ってなかった」自分を見つけてしまいました。
私の同人誌を読んで下さっている方もいらっしゃると思います。 以前発行した「蝦夷滞在」「蝦夷滞在2」「勝太と歳三」などの本の中で、私は当時、描きながらものすごく感情移入して描いた作品があるのを思い出します。 当時、幕末にハマったころ、史料を見る度に歓喜し、その新鮮さにドキドキし、想像に全神経を使い、描く事に楽しみを感じていました。 「恐いもの知らず」で描いた「勢いだけ」の話もあります。
最近、私は滅多に新資料にも出会わず、年月が経って良い意味で「こなれて」きた反面、「だから当時のあのパワーでは描けないよ」と苦笑している自分が、しごく当たり前だと思っていました。
でも、この胸のもやもやは、当初の頃の感情となんら変わりなく、「描こう」と思っただけでドキドキするし、大鳥や土方や本多らの人物を描く度に嬉しいんです。
結局、パワーは落ちているどころか、蓄積されたまま「発散」せずに、日常の雑用や、サイトの更新、CGで晴らしきれず。 それでも「こなれた」私は、小手先で新刊を出し、それを楽しみ、CGを完成させ、褒められると満足する。
これ、どうです? いやーなヤツですよ。自分でも。 「私ごときが」と言いつつ、すっかり安住してしまっている。
「そうやないやろ」と思えたんです。 「おまえ何様や」と。 プロになるより、好きな同人誌で好きな事を描きたい。 言いわけにもとれるポリシーを「いや、同人だからこそ、自分で自分を鍛えないと」と立派な意志表示をしてきたにもかかわらず、結局最初は、基本はそこにあっても、段々とぬるま湯に浸かっていたんです。
更新や日常にかまけていたのは自分です。
以前、西澤さんに「ゆっくり描いても良いじゃないですか。1年や2年くらい待ってますよ」と言う内容で激励されました。 でもその1年や2年が恐かった。 新刊を「出す」のに追われた。サイトを更新するのに追われた。
たくさんの人にサイトに来てほしい、たくさんの人にどんどん新しい本を読んでほしい。
質をおとすつもりはないし、オザナリで描いてきた訳でもない。
でも、実際急いで、急いで、周りに守ってもらっているのを良い事に、ホントに描きたい事を描けなくなっている自分が取り残されている気がしてきたんです。 「描きたい事が多くて」「描きたい気持ちが大きくて」描きだせない、という理由は、この際無効にしなければならないな、と思うんです。
描きたい事が多くて、夢中で描いてた初期の自分と、今の自分はナンにも変わってない。
「どう?また更新したよ」「また新刊出来たよ」とアピールすればする程、周りの目を気にしていた自分が浮かび上がる。 だからこそ否定された時のショックははかり知れないものだった。 「何で?こんなにやってんのに」
何で?やないやろ。 何を期待しとんねん。 「一人でも読んでくれる人が居るなら、描き続けたい」って言ってたハズやろ。 カウンターが回ったら有名にでもなれると思ってたんか。 有名ってナンや。 壁スペースで列が出来ればええんか。
そんなん期待するんやったら、歴史の同人やめろ。 今、はやりの作品パロディーやって、ちょっと女性向け描いてたらええやんか。うまい人のサイトに入り浸って、友達になればいいやんか。
そう、ちゃうやん。
何で伝習隊が好きなんか、何で長い事歴史やってるんか。
好きで描けたらいいんやったら、好きやから描きたいんやったら、好きなもん描かんかい。 誰も止めてへんし。 そう、誰も止めてへんし。
自分の好きな事描ける「同人誌」を描けば、いいんやし。 誰のせいでもない、焦ってたのは自分ばっかりや。
笑止。笑止!
丁度、これを書き込んでいるのは4/1です。 心機一転の時期でもありましょう。 桜も満開です。 私は高校の春休み、映画「Ronin」のCMで「好きな事やらんで、何が青春じゃ!!」と叫ぶ竜馬の台詞で幕末に興味を持ったのがきっかけです。 あの一言は、人生観も変えました。(映画評は別として) その一言で幕末に入り、その主旨のまま今まで生きてきました。ある意味。
ちょっとここ数日、色んな思いを抱きました。 そんなこんなの、覚え書き(長い!!)です。
2004年03月31日(水)
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