月の輪通信 日々の想い
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父さんが昼から出かけるというので、傘を用意した。 ふと見ると、この間、オニイに貸した父さんの予備の傘がない。 あ、オニイ、またやったな。 そろそろ説教時だとオニイを呼ぶ。
オニイはよく傘を壊す。 雨の日でも傘を差して自転車通学するのだが、もともと自転車の乗り方のうまくないので片手運転の傘は壊れやすいのかもしれない。 また帰りに雨が降っていないと、ついつい学校に傘を置きっぱなしにしてなくしてくることもある。 ここ1,2週間で、新しい傘を2本壊し、予備のビニール傘を無くした。そして今日は借りていった父さんの予備の傘と私が補充用に買ってきたばかりの傘を2本とも学校へ置いてきたという。 ホームセンターの安売り傘だから壊れやすいのかもしれない。 自転車でたたんだ長傘を持って帰るのが面倒な事もよくわかる。 それでも駅の置き傘って訳じゃないんだから、次から次から使い捨てのように当たり前に家にあるかさを持っていかれてもたまらない。 父さんの傘や学校で借りてきた傘など、自分のではない傘の扱いもぞんざいで自分の用が済んだら返却を面倒がる。 傘が足りなくなるたびに「しょうがないねぇ」と傘を買いに出かけるのにも、いい加減、頭にきた。
「これからは、雨が降ったら徒歩通学にしなさい。 すぐに返さないのなら、人の傘を安易に借りるな。 予備に買ってある傘も勝手に持ち出すな。 自分の傘はこれから自分の小遣いで、自分で買って来なさい。」 癇癪に任せてコンコンとオニイを叱る。 何か反論がありそうな顔つきで、それでもいちいち頷いて聞いているオニイ。 「この休日の間は、雨が降っても君は傘なし!家にある傘は使わせない」 意地悪く念押しして、父さんを駅へ送るために車を出した。
父さんを駅で下ろして、戻ってくる途中、雨の中を自転車で降りてくるオニイとすれ違った。 「どこへ行くのよ!」 助手席の窓からオニイを呼ぶ。 「傘、買いに行ってくる。」 「馬鹿!」 言い捨てて車を出す。 うちに帰ると、まもなく追いかけるようにオニイが戻ってきた。 「自分で自分の傘買いに行くのが何で『馬鹿』なんだよう!」 あ、オニイ、怒ってる。 いつも従順なオニイの目に、珍しく反抗の炎。 「ふん、傘もないのに雨降りにびしょぬれでわざわざ自転車で傘買いに出かけていくのは『馬鹿』じゃないの!」 即座に切り返されて、言葉の出ないオニイ。 むっとして2階へあがる。
「行ってくる」 再び降りてきたオニイが持ってきたのは薄いビニールのレインコート。 意地でも傘を買いにいくつもりらしい。 フンフン、面白いと放っておいたら、アユコに 「安い傘ってどこに売ってるか知ってる?」 なんて、こっそり聞いているのが聞こえた。 一ヶ月1.000円の小遣いから傘代まで捻出するのはきっと痛いに違いない。 それでもふたたび雨の中へ出て行こうとするオニイの強情に、私のほうはさっきの怒りも霧消して、面白がってそのまま送り出した。
しばらくして、オニイ、ホームセンターの安売り傘を一本買って帰ってきた。 雨の中、レインコートで自転車を走らせているうちに、雨降りに傘を買いに行く馬鹿馬鹿しさに自分でも気付いたか、照れくさそうに笑っている。 「さすが、おかあさんやな。ホームセンターの傘は思ってたよりずっと安かったわ。」 さらりと負けを認めて、くにゃっと意地を折り曲げたオニイは偉い。 こういうあっさりとした負け方ができるのは、父さん譲りの柔軟さだ。 「じゃ、これからその傘大事にしなさいよ。ちゃんと名前書いてね。」 と念押しする母のほうが少々くどい。 外を見ると、曇り空が少し明るくなって、雨はやんでいるようだ。
この間、ゲンが学校で絵手紙を習ってきた。 地域の方に来ていただいて、指導していただいたものだという。 はがきの用紙に絵筆をさらさらと走らせて、色づいた柿の実に「元気ですか」の文字。 ゲンはその貰ってきたはがきを加古川のおじいちゃんおばあちゃんに出したいという。 「おじいちゃん、この絵、なんていうかなぁ」といいつつ、書き加えるメッセージをと考え込んでいた。
「・・・ね、このはがき送ったら、おじいちゃん、なんか僕にも送ってくれるかなぁ。」 どうやら、ゲンには何か下心がある様子。 先月、アプコが幼稚園から送った敬老の日の葉書には、おじいちゃんおばあちゃんから段ボール箱いっぱいのチョコレートが届いた。 アプコの無邪気な喜び様をゲンはクールにお兄さんぶって見ていたのだけれど、実はかなりうらやましかったに違いない。 「さぁねぇ。それで、君は何を送ってもらいたいの?」 答えは聞いてみなくてもなんとなく分かる。 大好物のメロンだよね? 「じゃあね、ストレートに『メロンください』じゃ芸がないよ。何とかおじいちゃんおばあちゃんが『よし、メロンを送ってやろう』と思えるような文章をかんがえてみ。」 「ふうん、それもそやな。」 ゲン、ますます頭を抱える。
「これはちょっとまずいかなぁ。」 としばらくしてゲンが持ってきた絵手紙の文面。 「ぼくはメロンが好きです。 かきも好きですが、メロンがすきです。」
ゲンの精一杯のユーモアが可笑しくて笑いをかみ殺して切手を渡す。 「いいよいいよ。おじいちゃん達はなんていうかな。」 ゲンにも、露骨なおねだりにはまだ少々の戸惑いがあって、宛名や住所を書き込んだ後でもなかなか投函できなかったりしている。 アユコや母が「だしちゃえ、だしちゃえ」と思いっきりけしかけて、やっとの事でポストに入れた。 「ゲンが面白い葉書を送ったよ。」 実家の母に電話して、予告しておく。
ゲンは買い物のついでに、果物屋の店先を何気なくちらちらと偵察していたりする。 ちょうどメロンの最盛期は過ぎ、箱入りのマスクメロンには高額の値札が付いている。ゲンが時々食べる比較的安価なアムスメロンやハネデューメロンの姿はあまり見かけない。 「わ、おかあさん、あの葉書、ちょっとまずかったかな」 と少々気弱になるゲン。 その様子がおかしくて「さぁねぇ」とはぐらかして笑っておく。
「おい、ゲンちゃんからの葉書はついたけどな。」 子ども達のいない時間に実家の父からの電話。 「ゲンちゃんの意図するところは、よくわかったけどな。」 父の口ぶりはすでに可笑しそうに笑っている。 「果物屋へ行ってみたら、結構値段もはるようやな。 ま、そのうち、送ってやってもいいけど、ちょっとゲンをからかってみようかなぁと思ってな。」 父はすでにゲンへの返事の手紙を書いたらしい。 「ふふん、人生はなかなか思ったようには進まないって事も教えておくということで・・・」 父の言葉にいつものいたずらっぽいユーモアの匂いが混じった。
翌日父から届いたのは、文面いっぱいに描かれたかぼちゃの絵手紙。 「はがき、ありがとう。 メロンとかきがすきですか。 かぼちゃはどうですか。」 「うわ、やられた!」 文面を見たゲン、へらへらと力が抜ける。 高価なメロンの小包ではなくて、おじいちゃんの見事なかぼちゃの絵手紙が届いた事で、ホッとしたような、ちょっぴりがっかりなような・・・。 「やっぱり、加古川のおじいちゃんは手ごわかったねぇ。」 ゲンの困った顔がおかしくて、父の絵手紙をみんなで囲む。 「さぁ、どうする?降参する?」 「う〜ん、どうしようかなぁ。」 ゲン、改めてリベンジの一手にでるか、それともあっさりと白旗を揚げるか、頭を抱えて考え中のようだ。
人なつっこくて甘え上手なゲンは時々思いがけないやり方でおねだりをする。実家の父も、ほかの兄弟達にはないゲンの思い切ったおねだりを面白がってみてくれているに違いない。時にはそれをユーモアたっぷりのやり方ではぐらかして、ゲンの反応を笑ってみている。 父の絵手紙のかぼちゃも、紙面のど真ん中にどっしりと座ってアハハと笑っているようだ。
朝の登園の道がそろそろ肌寒くなって、気が付いたら息が白かったりする。 今年は金木犀の開花が台風襲来に重なり、ほとんど甘い香りに気付くことなく、玄関先ではもう石蕗の黄色い花が咲き始めた。 小学校入学を意識して、「手をつながずに一人で歩く!」といっていたアプコが、また最近母の手に甘えるようにぶら下がって歩くようになった。 「だってあったかいんだもん。」 手袋をするほどでもない、でもなんとなく指先が薄ら寒くてたよりない。 そんな気持ちに正直に、アプコの小さな手が私の手の中に滑り込んでくる。 あろうことか、今日は4年生のゲンまでが「さむさむー」と首を縮めてアプコと反対側の手をつなごうとする。 こういう甘えんぼを照れもせず、いきなり実行に移せる事が兄姉と妹に挟まれた中間子の世渡りの知恵なのだろう。
「おかあさん、ゲンの一番あったかいトコ知ってる?」 なかなかゲンのように甘えんぼの出来ないアユコが横から割り込む。 「あのね、ゲンの背中とランドセルの間!」 私とアユコが同時に左右からゲンの背中のランドセルの隙間に手を入れる。 ついさっきまで走ってきた少年の体温は思いがけなく暖かく、やわらかく私の手を包む。 きゃっと笑って逃げ出すゲンの背中を目で追いながら、子ども達の体温が今すぐ手の届くところにある幸せを思う。
あちこち遊び回る夏が終わって、いろいろな行事に忙しい秋がすぎると、子ども達は母の手元に帰ってくる。毎年、毎年、そんな気がする。 お互いの暖かい体温が恋しくなって、あるいは台所で燃やす大きなガスストーブの暖を求めて、なんとなく子ども達がひとところに集まって、うじゃうじゃと身を寄せ合っている時間が増える。 さすがに中二になったオニイはカッコをつけて、そんなうじゃうじゃを避けたいそぶりを見せるけれど、それでも私にはまだ寄ってきてくれる幼い子らがいる。 外の風の音を聞きながら、暖かい台所で子どもらのマグカップにホットミルクを注ぎ分ける。そんな季節がまたやってくるのだ。
かの被災地では、もう、雪が降るのだそうだ。 冷たい瓦礫のしたから奇跡的に助かった坊やの冷え切った体はもう温かくなっただろうか。
昼下がり、子ども達を車に詰め込んで近隣のショッピングセンターに出かける。 休日の午後という事で駐車場もよく込んでいて、ガードマンの指示にしたがうと車は店舗の入り口から一番遠い臨時駐車場に誘導された。 人ごみから少し離れた臨時駐車場にまわると、その入り口にたっているガードマンのおじさんの動きに目を奪われた。 赤い誘導灯をチアガールのバトンのように軽やかに投げ上げて、笑顔でこちらに手招きをしている。 一昔前によくコミカルに踊りながら交通整理をする警察官がTVで紹介されたりしていた事があるが、ちょうどあのかんじ。 「みてみて!」と指差して後部座席の子ども達が笑う。 車中の喝采に気付いたか、踊るおじさんはもう一回高々と誘導灯を投げ上げて、くるくる落ちてくるのを器用に背面で受け止めて、大サービス。 おじさんのパフォーマンスに見送られて、車はするりと立体駐車場に滑り込む。 「なんか、変なおじさん!」 「でもたのしそうだねぇ。」 ホワンとした楽しい空気が、車中にのこった。
多分、仕事で忙しく走り回っている時や何かのイライラを抱えているときだったら、きっと「不真面目な!」と癇に障っていたに違いないお気楽なパフォーマンス。 車の出入りも一番少ない比較的ひまそうな臨時駐車場で、勤務の合間の慰みに赤い誘導灯をくるくる回してみたら、面白かった。そんなたわいもない手慰みで始められたものか。それとも、そのパフォーマンスのゆえに、一番人目に付かない遠くの駐車場の閑職が割り当てられたものか。 たしかに、店舗に近いメインの駐車場の誘導員は厳しく唇を結んで、事務的に仕事をこなして忙しそうだ。パフォーマンス誘導員の彼は職場仲間の中では浮いた存在なのかもしれない。 それでもなお、楽しそうに誘導灯をくるくる回し、サーカスのピエロのような大仰なしぐさで来店者の車を誘導する彼の笑顔はなんだろう。
案内板の一つもあれば事が足るような単純作業の閑職を、なんだか朗らかににこにこと務めるおじさん。誘導員として有能かどうかは疑問だけれど、その楽しげな仕事振りはどこか見る人に心地よい脱力を促す。 憂き世を泳ぎ渡る毎日にくすっと小さな笑いをもたらしてくれるのは、意外とこういう勘違いな人の能天気なパフォーマンスだったりする。 そしてまた、こういうばかばかしい笑いを和やかに眺める事が出来るのは、穏やかな当たり前の日常が今、ここに漫然とあるからだ。 当たり前の日常を支える力というのは、こんな風にばかばかしいほどささやかな、一見意味のない誰かさんの手の中にもある。 そのことがちょっと嬉しく、暖かい。
泥の海に浮かんだ観光バスの屋根の上で救助を待つお年寄り。 速報中の強い揺れにうろたえた目をしたアナウンサー。 避難中の車中でショック死した赤ちゃん。 壊れたジグソーパズルのように地割れして崩れた道路。 避難所でうつろな目で座り込むおばあさん。 毎日毎日辛い映像が流れてきて、心配だか同情だか好奇心だか、なんだかいつまでもTVのチャンネルを合わせている。
我が家の近くでは、平和に穏やかな秋晴れの日が続く。 台風23号のとき、水かさが増して心配した裏の小川も、ようやく今日あたり水量が元に戻り、ざわざわと肝を冷やした水音も耳に障らぬほど小さくなった。 かたや同じ空の下で、全てを失って呆然と地を見つめる人たちがいるというのに、申し訳ないほど平和な休日を過ごす。
私達の住む町の名は「きさいち」という。 ニュースの中で繰り返される「被災地」という言葉を、いつまでも「きさいち」と聞き違えて、そのたびに気持ちに軽い掻き傷を負う。 胸にいつまでも身勝手な憂鬱が幕を張っていて、なかなか心が晴れない。 愛用の茶碗を割ってしまったとか、見慣れた古い空き家が解体されたとか、そういう些細な喪失感ですら何日も心に張り付いて取れないこともあるのに、一瞬の天災で全てを失った方々の心はどれほど深く痛むのだろう。
アプコが傍らで、テーブルの上に積み木を積み上げて遊んでいる。 高く積み上げては突き崩すいつものたわいない遊びが癇に障って、「うるさいからそれやめてね。」といつもより堅い口調で言ったら、「地震やもんね。」と意外に素直に積み木を片付け始めた。 水につかった家屋や壊れた道路の映像を見るともなしにたくさん見せられて、幼いアプコの中にも大事に積み上げたものが一瞬に破壊される事の悲しさはなんとなく影を落としているのだなと思う。 「おかあさん、あそこのご飯、少ないね。」 TVの報道を見て、「一日一個のおにぎりとペットボトルの水」という被災地の食糧事情にアプコが目を丸くする。 「どうしてコンビニとかに買いに行かないの。」 「どうしておうちに取りに帰らないの?」 「大きいお布団はどこにあるの?」 地震という事情をよく理解しないアプコにいろいろ説明をしながら、被災地の事情を全く知らない私自身もアプコ同様、きっと的外れな同情や嘆きをいっぱい抱えている傍観者に過ぎないのだろうと胸が痛む。
日記が書けなくなっていた。 度重なる災害のことに触れずに、日記の日付を進めることも出来なかった。 だからといって、被災地へのお見舞いだの報道や救援のあり方への批判だの書ける余裕も私にはなくて、ただただ報道に涙し、ネットを徘徊してほかの日記書きさんたちの書かれた関連の記事をたくさん読むことに時間を費やしていた。 だが、こうしている間にも私たちにはあいも変わらず、平穏で雑然とした日常があり、たわいもない事件が数限りなく起こる。 毎日普通にごはんを作り、子ども達を叱り、洗濯物を干す。 心が中途半端に浮いたまま日々の雑事をこなしていると、何故だか急にアプコがすりすりと身を寄せてくることが増えた。 いつも母の傍らにいる「甘えた姫」のアプコは、母の心の不在に敏感だ。 多分災害への不安ではなく、心ここにあらずの母への不安がそうさせるのだろう。この子にとっては、遠いところの災害よりも父母や兄弟のいる今この生活が全てなのだなと思い至った。
申し訳ない。 今の私に出来る事は、この子らの無邪気な毎日の平穏を心を込めて支える事だ。次からはまた、当たり前の日常のたわいもない一こまを書く。 どんなに失っても、壊れても、ちゃんと別のどこかには平穏で穏やかな日常が営まれているという事が誰かの慰めになってくれはしないかと祈りたい。
父さんは義父と一緒に津山へ出張中。 アユコは、21,22日、修学旅行に出発。 台風23号の襲来で、あわや中止かとハラハラしたものの夜の間に無事雨もやみ、台風一過の好天気に恵まれた事と思う。 広島平和公園から倉敷へ向かう一泊二日。
この旅行に向けて、担任の先生から楽しい提案があった。 子ども達には内緒で、おうちの人が我が子に当てた手紙を書いて、それをまとめて修学旅行一日目の宿に宛てて送っておき、子ども達がくつろぐ夜のひと時に「わぁ、こんなものが届いたよ!」と一人一人に手紙を配るというもの。 「我が子に手紙なんかかいたことないわぁ」と言いながら、ドッキリカメラの仕掛け人になるような、いたずらっぽい想いでちょっとわくわくとなってしまったお母さんたち。 「やりましょう、やりましょう」と二つ返事で実行することになった。
いつも顔を合わせている我が子に改まった思いで手紙を書くというのは、意外と大仕事だった。 子ども達はこの日記のこともよく知っていて自分のことが書かれた日記は大概後から目を通しているようだから、母の文章そのものは見慣れているとは思うのだけれど、母の方は日記と手紙ではずいぶん勝手が違う。 手紙の中では、我が子のことを「○○ちゃん」とよんでいいのか「あなた」とよんでいいのか。自分のことを「お母さん」と呼んでいいのか「母」とよんでいいのか。 まずそんなところでひっかかって、筆が止まる。 子ども達が寝静まった居間で、数行しか書き記さない真新しい便箋を何枚も反故にして、やっとの思いで数枚の手紙を書き終えた。
家族の者に手紙を書くということがなぜそんなにむずかしいのか、考えてみる。 毎朝、同じように起き、一緒に食卓を囲み、嬉しい気持ちもうだうだした気持ちも一緒に共有しているつもりの子ども達。 「大きくなったなぁ。そろそろ自分自身の世界を持ち始めて、巣立ちの用意を始めているんだなぁ」なんて感じる事の増えた昨今、それでもやっぱり我が子に対しては「私が生んだ子ら」「わが身の一部」という濃厚な一体感が母の胸には残っている。 そのせいか「我が子への手紙」には、どこか彼らと同じ年頃であったころの自分自身への手紙のような気恥ずかしい、こそばゆいものがある。 「あなたのこんなところはいいね。」と書く言葉は、少女の頃の自分がそうなりたいと思っていたことがらだったり、「こんなふうに育ってね。」と書く言葉は嫌だった自分への裏返しだったり。 よくも悪くも私にとっての子ども達というのは、自分自身の来し方行く末を再体験して打ち破って行ってくれる勇ましい「第2の自分」であったりする。 母の翼の下から勢いよく飛び立っていくその日まで、「我が子に書く手紙」はどこか「自分自身に書く手紙」の気恥ずかしさを伴って居心地が悪いのだろう。
そういえば最近になって、ごくごくたまに実家の父母に書く手紙やメールはずいぶん書きやすくなった。 飾る言葉や装う言葉の必要もなくなって、素直な気持ちを短い文章で吐いて、そそくさと封をする。 そこには、「書かなくても多分感じてくれてるよね」という娘としての甘えと、父母とは別の場所で夫や子ども達という確実な生きる場所を築いている「親離れ」の自負が入り混じって存在する。 手紙の書きやすさというのは、どこか相手との距離感の定まりように左右されるものらしい。
「おかあさん、あれ、いつ書いたん?」 バッグにおみやげを詰め込んで、バスから降りてきたアユコは、楽しかった、眠い眠いとテンションの上がった声でひとしきり喋った後で思い出したように手紙のことを訊いた。 「さあね、びっくりした?」 フンフン笑ってごまかし、保護者総出のいたずらの首尾を訊く。 「どうやって、集めたの?誰が送ってくれたの?」 と、秘密の計画の裏事情ばかり聞きたがるアユコは、手紙の内容についてはちっとも触れようとしない。 アユコが何を思ったのか、どんな気持ちで呼んだのか、根掘り葉掘り聞き出したい気持ちもあるけれど、彼女からの本当の返信を受け取るのはもっともっと先の事かもしれないなぁと感想を聞くのは思いとどまる。 私とアユコの距離はまだまだ近い。 そのことが母にはまだまだ嬉しかったりする。
朝、あわただしい朝食を終えて立ち上がるとき、アユコが「ごちそうさま」といって軽く手を合わせた。 あれ、いつもそうだったっけなぁ。 我が家では「いただきます」「ごちそうさま」の挨拶はみんな一応するけれど、手を合わせる習慣はなかったはずなんだけど。 学校の給食の時には、今でも相変わらず手を合わせて「いただきます」をするようだから、その習慣がふっと出てしまっただけなのかもしれないけれど、若い少女のさりげないその動作は思いがけず凛として美しい。 この間のアプコの幼稚園の参観では、お弁当の時間、お当番の子ども達が前に出て「お父さん、お母さん、ありがとう。いただきます」と号令をかけ、パッチンとみんなで手を合わせて挨拶をしていた。 冷凍食品チンの手抜き弁当常習の母としては、手を合わせて感謝されてもこそばゆいばかりだけれど、幼い子ども達が与えられた食べ物を前に小さい手を合わせている姿もなかなかに可愛らしく良いものだなぁと思った。
そういえばアユコくらいの年のころ、私自身も何かの折に父親から、 「お前は最近『いただきます』の時に軽く頭を下げる。なかなか感じがよろしい」 と褒めてもらった記憶がある。 特別意識した動作でもなかったので、ふうん、そんなものかと思ったけれど、大人になって肝心の一礼の習慣はいつか自然消滅しているのに、褒められた記憶だけが残っていたりするから、きっと内心は嬉しかったのに違いない。 我が子の合掌する姿を「いいな」と思う私の美意識とか価値観は、あの日の父のさりげないお褒めの言葉が少女であった私の胸に刻んでくれた教えの賜物だったのだろう。 同じ想いをアユコやアプコにも伝えておきたくて、 「アユコの今の『ごちそうさま』なかなか感じがよかったよ」 と一言添えておく。
台所の用事をしていたら、突然お仏壇の「りん」の音がした。 誰もいないはずとびっくりして覗いたら、アプコが赤ちゃんのうちになくなった小さいおねえちゃんの遺影に向かって手を合わせてお辞儀している。 「チューリップの絵を描いたから、なるちゃんにあげたの。」 幼いアプコにも、なる姉ちゃんとお話しするときには手を合わせるということがなんとなく当たり前の習慣になっているのだなと胸が熱くなった。
信心とか宗教とか、そういう難しい事は分からない。 自然の営みとか生命の不思議とか、そういう大切な物の前に立って何の気なしに手を合わせている。 子どもたちの中に自然と生まれた暖かい気持ちが、いつまでも色あせることなく育っていってくれますように。
今日は、私も改めて手を合わせて「ごちそうさま」といってみた。 この秋の新米は、ふっくらと甘くて、まことにまことにご馳走さま。
再び、お祭りのときの事。
アユコの晴れ舞台の日、父さんはゲンと別の用事で出かけていてお祭りには参加できなかった。代わりに母がアプコを引き連れてビデオ撮影に走り回った。本来、家族と一緒の祭り見物なんて気恥ずかしくてとんでもないと言い出しそうなお年頃のオニイも、「古本市が目当てなんだ」といいながら後から自転車で駆けつけてくれ、父さんのかわりにアユコの晴れ姿をしっかり応援してくれた。 「アユコの出番も終わったし、一人で先に帰ってくれていいよ。アプコはもう少し模擬店やゲームで遊びたいと思うし、あとはアユコが連れて歩いてくれると思うから・・・」 と言ったら、意外にもオニイは 「いいなぁ、アユコばっかり」という。 何のことかと思ったら、実はオニイ、末っ子姫のアプコを連れてお祭り見物をしたかったようなのだ。 いつも当然のようにアプコの手をつないで面倒を見るのはアユコの仕事で、オニイやゲンもそれを遠巻きに見ているポジションが当たり前になっている。 中学生の男の子にとっては小さい妹の手を引いて歩くのはきっと恥ずかしいに違いないと思っていたのだけれど、たまには年の離れた幼い妹を連れて歩きたい気持ちもあるのだなぁと意外な思いがした。
小学生達に混じって、小さいアプコの手をつなぎ、ミニバザーでぬいぐるみを選んでやり、一緒にゲームの列に並ぶ。 なんだか娘を連れた若い父親のようなオニイのやさしい姿を少し離れたところで眺めていたら、近くにいた数人の中学生の男の子達が「お、あれ、Kとちゃうか」とオニイの名を呼ぶのが聞こえた。 「あいつ、中学生にもなってゲームの列に並んでるで」 「やっぱり変わったヤツやな」 「・・・ああ、妹、連れてるんやな。」 「ふ〜ん。どっちにしても変なヤツ!それにしても、K、小学生達の中に混じってると結構、背ぇ大きくなったよな。」 「ほんまやな」 他人の振りをして小耳に挟んだオニイの噂話。 人目も気にせずアプコ番を買って出てくれたオニイのやさしさや小柄なオニイの体格を揶揄するような言葉に、母としてはちょっと胸が痛んだけれど、実はこの男の子達の言葉にはそれほど悪意はなくて、小さい妹の手を引くオニイへのかすかな賞賛と羨望の匂いを交えて「大きくなったよな。」と評してくれた少年達の暖かな気持ちにも気付く。 こういう、ちょっと意地悪でちょっと暖かい友人達の中で、オニイは胸を張って自分自身の立ち位置をしっかり築いていくのだなぁと思う。
「あっちで中学生の男の子達が君の事、『変わったやつだなぁ』ってうわさしてたよ。」 とオニイに伝えたら、「あ、そ」とオニイはちっとも意に介さない様子で頷いた。 「別にいいよ。それよりアプコ、もう小遣い、使い果たしたから、連れて帰る?」 「うん、そろそろね、君は自転車だから先に帰りな。アプコの面倒見てくれてありがとね。」 アプコの小さな手をつなぐオニイの手はすっかり大人の手。 心優しい兄ちゃんに手をつないで連れ歩いてもらえる幸せを、アプコはちゃんと分かっているのかしらん。 オニイと一緒に買ったぬいぐるみを大事に抱え歩くアプコは、今日も末っ子姫のおおらかさでニコニコと笑っている。
15,16日、地域の秋祭り。 ゲンは子どもみこしに、アユコは横笛や御神楽の踊りなどに参加。 子ども会の模擬店やゲームに熱中するアプコも含め、あちこち駆け回る子ども達を追って、あちこち奔走する母。 晴れやかな青空の下、気持ちのよい祭りを楽しませてもらった。
特に今日はアユコ、大活躍の一日。 去年から参加している地域の「文化財振興委員会」での、横笛の披露。 小学校の5,6年有志の和太鼓演奏や御神楽の踊り。 いくつもの演目に掛け持ちで出演。 日頃つんできた練習の成果を披露するアユコの雄姿を晴れがましい思いでビデオカメラで追う。 こつこつと地味な練習を重ねてきたアユコの努力が思われて、母感激。 自分の持ち場を得て、十二分にその役割を果たそうとするアユコの生真面目さが、緊張にきりりと唇をかみしめて舞い踊る凛々しい姿に重なり、思わずウルウルとなってしまった。
「文化財振興委員会」にしても小学校の御神楽や和太鼓にしても、小学6年生の多感な時期に、これほど熱中して心から打ち込める物に出会えたアユコは幸せだなぁと思う。 そういう出会いの機会を用意してくださった指導の先生方の存在もありがたい。 ことに地域の「文化財振興委員会」は名前こそ物々しいが、地域の有志の方がボランティアで休日の夕餉の前の憩いの時間を何時間も費やして、子供たちの演奏や獅子舞の踊りを指導してくださった。 子供たちにせっかく一本ずつ横笛を支給し、苦労して音が出せるようになっても、1度か2度、祭りの本番を経験すると、中学に進学して部活動が忙しくなったり、友達との遊びやほかの稽古事を選んだりして、なかなか長続きする子どもが得られない。 下の子達に指導できるだけのリーダーが育てにくいという難題が常にあるのだという。 中学になっても活動を続けている数人の先輩達を見上げて「中学生になっても笛の稽古は続けたい」と宣言するアユコの中には、これまで指導してくださった先生方の熱意に少しでも応えたいという想いがあるのだろう。 「誰かの期待に応えたい」という気持ちが、「伝統を守る」「未来へ引き継ぐ」という行為のかなり大きな動機となっていくのだなぁと思う。
子どもみこしの先導役の天狗の役は毎年、村の長老格のかなり高齢の方が務めておられる。衣装をつけ面をかぶって、20センチ以上もある一本歯の高下駄を履いて数キロの道のりを練り歩く。 「来年こそ引退か」と毎年うわさされながら、今年もやはりいつものなじみの天狗さんだった。祭りが終わった普段の日にも、地元のおかあちゃんたちはひそかにこの老人のことを「天狗さん」と呼ぶ。実は私自身、天狗さんのフルネームを知らない。 昨年、天狗の後継候補として中学生の男の子が一人、予行演習がてら天狗さんの後について高下駄を履いてみこしの道中に参加した。今年は若い天狗さんの初デビューかと楽しみにしていたが、やはり今年もなじみの老天狗さんだった。どうやら後継候補の子も途中でやめてしまったらしい。 自分自身の勉強や部活動など、育ち盛りの子ども達の環境は変わりやすい。 何年も何年も変わらず務めていく天狗さんの後継は、発展途上の子どもにとってはきっと重過ぎる大役だったのだろう。 幸い、高齢の老天狗さんはまだまだ元気に先頭に立ち、ここぞとばかりに采配を揮い、先導の役割を事故もなく務められた。 多分、今年も「来年こそは引退するぞ」とおっしゃりながら、背筋を伸ばして天狗さんになりきっておられたのだろう。一つの役を長年こつこつと務めておられる方には、独特の強い意志の力が感じられる。 それこそが「伝統」を支える大きな力なのだなぁと改めて思う。 そういうことを間近に見せていただいて、何かを学ぶ事の出来る子ども達もまた幸せである。
大役を終えてホッと脱力したアユコが、貰ってきた白足袋をお洗濯に出した。 「この足袋、来年も使えるねぇ」といったら、「来年はきっと小さくて履けなくなってるかも・・・」とかえってきた。 どうやら来年もアユコは笛を続けるつもりらしい。 でもそのときのアユコは今年より一回り大きくなった中学生のアユコなのだ。 「アユねえちゃん、笛も踊りもかっこよかったねぇ。アタシも大きくなったら、アユねえちゃんとおんなじこときっとするよ」 とアプコがささやく。 「そうねぇ、楽しみだねぇ。」 小さな「伝統」が我が家にも生まれたかも知れない。
オニイとゲン、剣道の市民大会。 幼稚園児から一般の高段者まで市内の剣道愛好者が集まって、クラス別に試合を行う。 4年生のゲンは小学校低学年の部門で、オニイは中学男子の部門で出場することになっていた。 ゲン、健闘して2勝。ベスト8入り。 この部門では最高学年なので、欲を言えばもう一勝くらいして欲しいところだったが、とりあえず気をよくして帰ってきた。
一方、オニイ。 一回戦、ストレート負け。 相手は、市内の中学校の剣道部員のようで、見上げるような体躯のおどろおどろしい偉丈夫。 最近背が伸びたとはいえひょろりと華奢な小兵であるオニイと向き合うと、残酷なまでの体格差。 試合開始の合図と共に頭上に振ってくる「うぉー」という地響きのような雄たけびに縮みあがったオニイ、あれよあれよというまにパンパンと2本とられて、ものの一分足らずで負けてしまった。 「胸を借りる」というけれど、文字通り、中学生同士の手合わせというよりは、大人の先生に掛かり稽古を受けてもらっているという体裁となってしまった。ぐうの音も出ないというやつだ。 ま、予想通りの展開といえ、あまりにあっけない幕切れだった。 「オニイ、あんなでかい人を相手に勝てるとは思ってないけど、せめて声ぐらい出してかかっていけばよかったのに。」 さっさと面を取ったオニイに、冗談めかして声をかけたら、 「やった事のないお母さんには、言われたくないわい」 とむっとした答えが返ってきた。
「しまった」と思った。 考えてみれば、あの体格差だ。 誰の目から見ても勝敗はあらかじめ分かっている。 「ティラノザウルスに向かっていくとかげの心境なんやで。」 と、気を取り直したオニイが表現したように、初戦で格違いの対戦相手を引き当てて、それでも逃げ出さずに竹刀を構えて向き合っていく、それだけでもありったけの気持ちを振り絞っての挑戦だったに違いない。 小さいときから小柄で運動も苦手。 「まじめなんだけど、今ひとつ上達せんなぁ」と先生方を嘆かせながらも、こつこつと何年も精勤に稽古に通い続けてきたオニイ。 一度も勝利を経験する事もなく、それでも何度も相手に向かっていくオニイの静かな戦いぶりを見てきた母であるのに、歯がゆい思いの失言でオニイを傷つけてしまったようだ。
今のオニイのように、生まれつき体格にも恵まれず運動能力も著しく乏しい少年が、格違いの偉丈夫に臆せず戦いを挑んでいくその心中には、彼なりの死に物狂いの勇気や気力があったのに違いない。 その勇気はもしかしたら、生来恵まれた体格や才能を持ち合わせた人々が決して獲得する事の無い、特別な種類の静かな勇気なのだろう。 貧弱なへなちょこ剣士にはへなちょこなりの、静かに細く続く強い意志の力がある。 立派な体躯の同年代の剣士と自分を「ティラノザウルスととかげ」と自虐的に見立てるオニイには、それでも卑屈やいじけた想いはない。 我が息子ながら「偉いヤツやなぁ」と思う。
とかげにはとかげなりの精一杯の勇気というものがある。 もしかしたら、向かうところ敵なしのティラノザウルスよりも、適うはずもない強敵に捨て身で向かい合うとかげのほうが、勇気という点では格段に勝っているということもあるのかもしれない。 イチローや室伏選手のようなティラノザウルスではなく連戦連敗のとかげの母である私は、我が子のささやかな「とかげの勇気」の一番の理解者であらねばならぬとあらためて思う。
敗戦の剣士の奮闘に敬意を表して、帰りにお好み焼きを買いソフトクリームを振舞う。 勝利の美酒とはいえないけれど。
2004年10月10日(日) |
「困ったさん」を育てる人 |
晴天の下、無事執り行われた幼稚園の運動会。 我が家にとっては10回目にして最後の幼稚園での運動会となる。 年長さんになったアプコは、鼓笛隊の行進や組み立て体操などの花形競技に出場。 緊張した顔で自分の持ち場に走り回る生真面目ぶりは、アユコの幼稚園時代にそっくり。担任の先生の足元にしがみついて、おどおどと入場していた3歳児の頃から見ると格段の成長振り。 大きくなったもんだなぁと母、感涙。
中、一年抜かして11年間、同じ幼稚園の運動会に参加してきた。 見回すと、周りは20代、30代の若いお父さん、お母さんたち。 さすがに10年もいると年もとるわなぁと、父さんと二人、嘆息、嘆息。 その間、園児の数は4クラス増。近隣の新興住宅地からの園児が増え、オニイの頃にはのんびりした田舎の幼稚園だったものが、すっかりマンモス幼稚園と化した。 園庭でのんびり行っていた運動会も数年前から隣の小学校のグラウンドを借りて行うようになり、観覧者の数もずいぶん増えた。そして保護者の質そのものもずいぶん様変わりした感がある。
正直なところ、今日の運動会は全体としては「なんだかモタモタしているなぁ」という勘がぬぐえなかった。 競技と競技の間が妙に間が空いて待ち時間が多い。実際、終了予定時刻が午前午後とも数十分ずつずれ込んだ。園児の数が増えると、それも仕方ない事かと眺めていたが、しばらくして、だんだん遅延の理由が分かってきた。 集団のペースから外れる子どもがやたらと多いのだ。 競技前の集合時間に間に合わないで、かなり遅れて保護者に連れられてくる子どもがいる。 入場して演技する直前になって、「おしっこ」を訴える子どもがいる。 かけっこの待ち時間にふらふらと待機場所を離れて、観覧席に向かって記念撮影のポーズをとっている子どもがいる。 子どもだけではない。親子競技の集合に遅刻して何度も放送で呼び出される保護者や、事前に知らされた準備物を忘れ競技直前に先生を慌てさせる保護者もいる。 要するに、ほんの数人の「困ったさん」待ちのために進行が遅れたり、長い待ち時間が生じたりする事がやたらと多いのだ。
相手は幼い幼稚園児のこと。 どこかの国のマスゲームのような一糸乱れぬ集団演技や、列車ダイヤ並みの正確なタイムスケジュールを要求するつもりもない。 本番間際に「おしっこ!」と訴えるのも、ママ恋しさに泣きべそをかいて終始先生に抱っこされたまま競技を終えるのも、子どもらしくて可愛いといえないこともない。 本当に困ってしまうのは、その子どものために100人の子どもが待たされても、申し訳ないとか恥ずかしいというような素振りも見せず、一向に動じない保護者が増えた事だ。 演技中ずーっと泣いて先生にしがみついたまま通した子どもを、退場門で迎えてそのままポーズをとらせ、ちゃっかり先生とのツーショットの記念撮影していく厚顔ママもいる。 私立の幼稚園ゆえ、先生方も面と向かって園児や保護者に文句を言う訳にも行かず、「いいんですよ〜」とにこにこと対応されてはいるが、きっと内心笑顔も引きつる思いでおられた事だろう。
ここ数年、そういう「困ったさん」の数が目に見えて増えてきた。 それは、未成熟な子どもが増えたせいというよりは、我が子が集団のペースから遅れてもちっとも動じない、わが道を行く保護者が増えたせいなのかもしれない。「だってうちの子がいやだって言うもの、仕方がないわ」と子どものわがままや個人的な事情を集団行動より優先する事を当たり前に主張する。 先週、小学校の運動会の駐車場問題で、「時には例外を認めるやさしさを・・・」と述べたばかりだけれど、我が子のせいで運動会の進行が遅れ、ほかの子どもが待たされたり先生方に迷惑をかけたりしても申し訳ないとは思わず、むしろ「目だってラッキー」「そのくらい優遇されて当たり前」くらいのノリの保護者が目立つようになってきたのは困った事だなぁと思う。 その背景には、「子ども達一人一人の気持ちや個性を大事にする」ということと、「一人の子どものわがままや主張を、集団行動の規律よりも優先すべき」ということの取り違えがあるような気がする。 近頃よく言われる「小一プロブレム」(集団行動の苦手な子どもの増加で一年生の授業が成り立たなくなる問題)というのも、実は大人のこうした「個と集団」への意識のずれが、知らず知らずのうちにみんなと歩調を合わすことの出来ない「困ったさん」をはぐくんでいるということの結果に他ならない。
そしてさらに困ったことには、集団行動から外れる子どもや遅刻やわがままで迷惑をかける子どもに対して、よその保護者や教師もまた「みんなに迷惑をかけて駄目じゃないの」と正面から叱る事が出来にくくなっていることだ。 「個人の事情を重んじる」ということと「集団のペースにあわせる」ということを並べると、集団を優先する事はあたかも個人の尊厳を傷つけているようなニュアンスにとられやすい。 また、自分から「特例」を要求する人たちというのは、ほかの人たちの蒙る迷惑や不快感には著しく鈍感なくせに、ことさら声高に自分や我が子の権利を主張する。 「一人一人を大事にする」という錦の御旗の元に、幼い子どもの些細なわがままや主張をいちいち受けとめて優先させてしまう親や教師の優柔が一部の「困ったさん」たちを助長させてしまう結果になっているのではないだろうか。
「みんな待ってるんだから、ちょっと我慢させなよ」 「あんたのせいで、何人が迷惑を蒙ると思ってんだよ」 誰かが面と向かってはっきり言ってやればいいのだ。 うんうんとうなずく人はいっぱいいる筈なんだ。 でも、職業上、幼稚園の先生方は絶対にそんな事はいえない。 監督している先生方がいえない以上、周りの保護者も口を挟まない。 誰も指摘しないから、「困ったさん」たちは自分達の優遇措置が受け入れられていると勘違いしたままどんどん厚顔になる。 「困ったさん」を育てている張本人は誰か。 もしかしたら、その場では口をつぐんで、Web上でたらたら文句をたれている今のアタシかもしれない。
9日、幼稚園の運動会が台風で流れた。 台風接近の報が流れてから、「雨天中止の場合は翌10日、それも駄目なら12日に午前中のみの短縮バージョンで行います」と早々と連絡が入った。 ありゃ、大変。 父さんの仕事のスケジュール、オニイとゲンの剣道の送迎方法、そして、幼稚園の行きかえりの交通手段などを、9日、10日、12日の3パターン、シュミレーションして頭を抱える。 誰を、いつ、どこへ送って、どこで迎えて、いつ、帰ればいいのか、いくら考えてもきりがない。 あかん、訳分からんわ。
子ども達がみんなうちにいる夏休みよりも、それぞれがあちこちでいろんな活動をしている秋のほうが、我が家のスケジュール表はぎっしりと埋まる。 アユコが毎月こしらえてくれる6人分の特製スケジュール表には運動会、お祭り、遠足、試合、試験、文化祭とさまざまな子どもの行事が目白押し。 芸術の秋には、父さんの展示会や陶芸教室の予定も集中している。 いつも送迎係に専念している母も、今年はPTAで何かと忙しい。 予定表には、ダブルブッキングどころかトリプルブッキングもあちこち目立つ。 「わぁ、どうしよ、また重なったよ。」 父さんと二人でああでもないこうでもないと予定をすり合わせ、やりくりして予定を決める。 誰かに「ごめんなさい」し、誰かに「一人でなんとかせい!」とはっぱをかけ、文字通り自転車操業で綱渡りのように予定を捌く。 なんだか、スケジュール管理の段階で、すでに「おなかいっぱい、勘弁して」状態。
子ども達が大きくなって、それぞれ学校や園で楽しい活躍の場を見つけて、 「おかあさん、絶対見に来てね!」 「○○、行ってもいいかな。」 「この日、僕、約束あるし・・・。」 とあちこちへ出かけていく。 「みんな一緒にGO!GO!」だった我が家の行動パターンが、そろそろ変わりつつあるのだなぁ。 こうして子ども達は少しずつ、飛び立っていくのだろう。 その背中を始終追い掛け回していることが、だんだんしんどくなってきている父と母。 そろそろ予定表には、子どもたちの送り迎えではなく、自分自身の予定をたくさん書き込む生活に代わっていかなくてはならないのだろうなぁ。
台風の進路は逸れ、明日はきっと運動会。 オニイは自転車で剣道の稽古、父さんは午後から抜けて仕事で出かける。アユコは帰宅後、お祭りの笛の稽古に出かける。 忙しい一日になりそうだ。 「組み体操、絶対見て欲しいねん。」 と、テルテル坊主を拵えて耳打ちしていくアプコのために、ビデオカメラをしっかり充電して観戦に備える。 そうそう、この子はまだまだ「みんな一緒」が嬉しいお年頃。 まだまだ多忙の秋は続く。
2日中学校運動会。 3日、小学校運動会。 「快晴の空の下」とはいえなかったけれど、とりあえず期日どおりに日程消化。 小学校の運動会では、広報の取材で走り回る母と、午後から教室の仕事で泣く泣くうちへ帰る父に代わって、中学生のオニイがアプコ番を買って出てくれた。
「広報」の腕章を付けて写真撮影飛び回ってくれる委員さんたちの連絡係のつもりで本部席周辺で終日過ごす。 小学校の運動会では、会場の準備や競技の進行などの多くの部分を高学年の子ども達が自分達で行う。 観客席を離れて本部席周辺にいると、子ども達が自分の出る種目の合間を縫って、自分の持ち場へ駆け回っている様子がよく見える。 競技の準備や徒競走のスタート係、低学年の子の誘導、場内放送など、一人一人に役割が割り当てられていて、てきぱきと自分の役目を果たす。先生方は子ども達の背後に立って、さりげない指示やフォローを行うだけ。 その務めぶりが、見事な組み体操や全力疾走する姿の美しさにもまして生き生きとして気持ちがいい。 運動が苦手な子にも、人前に立つのが辛い子にも、ちゃんと居場所のある運動会というのはありがたいなぁといつも思う。
本部席周辺で小耳に挟んだ話。 運動会の時間中、PTA役員は、交代で校内のパトロールに回る。 今年は観覧席でのルール違反などの報告もなく、例年対応に苦慮する駐車場問題も大きなトラブルはなかったそうだ。 特に観覧者の駐車場については、今年は自家用車で来校してもよい人を高齢者や障害者などを連れているなどの事情のある人に限定して、事前に申告するようになっていたので、かなり混乱は解消されたらしかった。
唯一、クレームらしきものといえば、「障害者が乗っているから」と一般観覧者用ではなく来賓用駐車場に駐車させてくれるよう申し出た人があったらしい。 来賓用駐車場は一般用より校門に近い場所にあって、すこし便利がいい。 けれども台数に限りがあって、途中で出入りする車も多いので、一般の保護者の車を入れると、収拾がつかなくなるのも分かっている。 結局は警備員の方が「ごめんなさい」と断って、一般用の駐車場に誘導して落ち着いたらしい。
この件についての役員さん仲間と雑談。 私自身は、本当に障害者の乗っている車なら少々ルール違反でも来賓用駐車場へいれてもよかったんじゃないかなぁと思っていた。 けれども、担当の役員さんのなかには、 「今日、車で来ている人たちは皆、高齢者や障害者などやむをえない事情があって事前申告した人たちばかり(のはず)。だから、『うちだけは特別に来賓用に入れて欲しい』という要望は入れられない。」と強く主張される方もあって、あれれと思った。 「運転者自身が障害者というわけでもないんだから、足の悪い人をいったん校門付近で下ろして待たせておいて、一般用駐車場へ車を置いてくる事だって出来るんだし・・・。」 とその人はいう。 よくよく話を聞くと、高齢者や障害者がいると偽って自家用車で来校する人も過去にはあったらしい。そういうルール違反をいちいちチェックする事が不可能な以上、一律に一般駐車場に誘導するというのがさしあたりまっとうな対処方法だったのかもしれない。
でもなぁ、それぞれの事情は見た目では分からないからこそ、「障害者がいるから、お願い!」と申し出た方にはもう少し柔軟な対応があってもいいのではないかなぁと思ったりもする。 もともと、来賓といっても他校の先生とか地域の役職にある方とか議員さんなど元気にお仕事に走りまわっておられる方ばかりだ。そういう方は少しぐらい遠くに駐車しても、元気な足で歩かれればいい。 一番会場に近いところに障害者や高齢者用の特別なスペースを設けられなかった以上、本当に重篤な条件を持つ人の車を来賓用スペースに例外的に駐車させる柔軟さも必要なのではないのかなぁ。
「ま、結果的には、あまり文句も言われずに一般用の駐車場へ入れてくださったようだから、それほど差し迫った事情でもなかったんでしょうけどね。」 障害者の駐車を断ったという気まずさを打ち消すように、みんなと一緒にうんうんとうなずいていたけれど、私の気持ちの中にはざらざらしたモノがいつまでも残る。 帰りに運動場の端っこでぽつんと座っている足の不自由な少年を見かけた。多分どこかの養護学校生か、在校生の兄弟なのだろう。 来賓用駐車場への駐車を求められた車の主がこの少年のご家族だったら、きっと会場に1メートルでも近い駐車場を希望なさっただろうなと思うと、なんとも切なかった。
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