月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
夏休み最終日。 タラタラと夏休みの宿題の取りこぼしを片付ける子ども達にハッパをかけるのに倦んで、父さんの仕事場をのぞく。 父さんは目前に迫った梅田での窯展の作品を制作中。 教室の大きな机に、陶額用に拵えた生地を傍らに置き、その型紙にする白いボール紙になにやら一心に線を引いている。 中央にそびえる美しい台形と水面に逆さに映ったなだらかなその稜線。 一目で富士と判る緩やかな曲線を父さんは何度も何度も繰り返して描く。 「ああ、いよいよ取り掛かるのだな。」と、しばし見入る。
この夏、父さんは富士山に登った。 これまでにも、父さんは作品の題材として富士を選び、遠景としての富士は何度も取材に出かけて写真も撮ってきていたのだけれど、やはり一度は自分の足でその頂上を目指したいと、かねてから念願の初登頂だった。 二泊三日の富士登山バスツアーに申し込み、登山用具を揃え、体力増強のために近くの山に毎朝登って登頂に備えた。 修学旅行に出かける小学生のように、意気揚々と出かけていった父さんは、「ああ、くたびれた。さすがにきつかったわ。」と重いリュックを引きずるようにして帰ってきた。 登山シーズンの富士山は登山客も多く、山小屋はすし詰め状態。軽い高山病や突風にも見舞われたものの念願のご来迎も見ることができ、充実した登山体験だったらしい。
父さんがさっそく現像して見せてくれた旅行中の写真には、肝心の富士山の姿がない。当たり前の事だけれど、富士山に登っている最中には富士山の姿は見えないのだ。あえて言うなら、登山服姿の人物の足元に写る黒い大地こそが富士山そのもの。 「山に登っている人には、山はみえない。」 なんだかとても意味深な比喩のようだけれど、確かにまだかすかに興奮の残る父さんの語る土産話の中からは、古来さまざまな絵画に描かれた神々しい富士の雄姿はうかがわれない。 ごつごつした岩や荒地、人を拒む希薄な大気。 それがあの雲を抱いて優雅に裾野を広げる富士の本当の姿なのだという事を思い知らされる。
登山に当たって、実家の父に借りた登山用具。 分厚い登山靴や完全防水の登山ウェアを返却すべく荷造りをする。 旅の同伴者として、ともに富士山の土を踏んで履きなれた靴やウェアを愛しげに箱に収める。 準備段階から始まって一月あまり、この夏の最大の「初めての富士登山」プロジェクトの終了を惜しむように、ぐずぐずと何度も荷造りをやり直す。 「ほんとは、まだ、富士登山が終わって欲しくないと思っているんじゃない?」 父さんの珍しい優柔不断振りを笑う。 下山直後には、「もう、登りたくない」と思ったという厳しい行軍も、数日たてばすぐに「また、登りたい!」という憧憬に代わるのだろう。 それが多分、登ったものにしか分からない山の魅力でもあるのだろう。
「借りていた装備を送り返すよ。ありがとう」と実家に電話したのは数日前。 それから、何となく送り損ねていた荷物を「明日送るから」と再び連絡。 「でもねぇ、来月もう一度登山の機会があるので、登山靴だけもう少し貸してほしいなぁって、言ってるんだけど。」 あんまり父さんが返却する装備をいとおしそうに眺めているものだから、おねだりの意味を込めて父に頼む。 父は、父さんの気持ちを察して、 「わかった、それじゃぁ、登山靴はそっちで履きつぶせ。」 と、愛用の登山靴を父さんに払い下げてくれた。 電話口の後ろで聞いていた父さんの顔が子どものように緩む。 一ヶ月間の「プロジェクト」ですっかり気の合う相棒となった登山靴を発送準備していた段ボール箱から出してくる。 あらら、ほんとにうれしそう。
新たに父さんが陶板に刻む富士山の雄姿。 初めて登頂の経験を境に、荒れた岩肌の力強さや頬を打つ冷たい突風の厳しさはどんなふうにその作品に生かされていくのだろうか。
「山に登っている人には、山は見えない。」 ともいうけれど、 「山に登った人にしか、山は見えない。」 のかもしれない。
夏休みもあと数日というのに、怪しげな空模様。 生徒会の招集日で自転車で登校して行くアユコ、出掛けに自転車のタイヤに空気を入れながら「雨降ったらやだな。」と浮かない顔。 この夏、我が家の子ども達はよく、雨に降られた。 突然の夕立とか、思いがけない天気雨が格別多かったのだろうか。 その中でもアユコは特別当たりが悪い。 自転車でたまたま遠くの図書館へ出かけていて、帰りにびしょぬれになったり、友だちと待ち合わせして楽しみにしていたお祭りへ向かう道中にひどい集中豪雨にあって、雨宿りした駅で足止めを喰ったり。 「アタシが自転車で出かけると、必ず雨が降る。」と、グチグチとくさるアユコ。 うんうん、確かに今年の君は立派な雨女だ。
中学生になって自転車通学が始まってから、アユコの行動範囲はぐんと広がった。これまで、必ず車の送り迎えが要った図書館や習字の稽古のほかにも、遠くのショッピングセンターや大きい図書館、友だちの家、大きなお祭りのある神社など、それまで「一人では行っちゃ駄目」だった所にも足を伸ばす事が増えた。 市街地からちょっと離れた所にある我が家から、外の世界に出て行こうとするときには、子ども達にとって自転車は恰好の交通手段。坂道をギーコギーコと漕ぎつづける脚力さえあれば、今まで父母に連れて行ってもらうしか方法がなかった場所に、自分の好きな時間に好きなだけ出かけていくことが出来る。親の手元から離れて、一人で行動出来る楽しさにアユコは目下夢中である。
けれども、ひとたび雨が降れば、傘を差して自転車に乗るのがヘタクソなアユコは直ちに自由な足を失う。 出掛けに降られて、渋々傘を差して徒歩で出かけるのはまだいい。 出先で雨に降り込められたとなると、傘を差して自転車に乗る事もできないし、電話で迎えを頼むわけにも行かない。母の軽自動車にはアユコの自転車は積めないし、仕事中の父さんがいつでも大きい車で出動してくれるとも限らない。 雨宿りした軒先で、「もう、やむかなぁ。もうちょっと小降りになったら、濡れるの覚悟で突っ走っちゃおうかなぁ。」とあれこれ思い悩むアユコの困った顔が目に浮かぶ。
母の送迎の車の助けを借りずに、自分の自転車で好きなときに好きな場所へ出かけていく楽しさには、もしかしたら突然の雨に降り込められて行くか戻るかの思案を強いられる、そういうリスクも含まれている。 この夏のアユコは、何度も何度も雨に降られて、親の手を離れて一人で行動することの楽しさとしんどさを文字通り身に染みて感じた事だろう。 「お母さん、今日、降りそうかなぁ。」 出かける前にアユコは必ずその日の天気を訊くようになった。 「さあね、お母さんは予報士じゃないからわかんない。」 と、毎度毎度母は意地悪く繰り返す。 空模様を読むのも、雨に備えるのもあなたの「自由」のうち。 しっかり悩んで、濡れてきなさい。
昼下がり、最後に残った工作の宿題をやっつけながら、アプコが鼻歌を歌っている。小学校に入ってはじめての夏休みを堪能したアプコには、「あと数日で夏休みも終わり。もっと遊びたかったなぁ。」という感傷も、「もう一回くらい海かプールへ行きたかったなぁ。」という心残りも、「あと一日で読書感想文、終わらせなきゃ」という焦りもない。 「今日は何をしようかな、」と「今日のお昼ご飯はなにかな。」で一日が始まり、「ああ、今日も一日、楽しかったな」と「明日の朝ごはん、なにかな」で一日が終わる。 淡々と、何の疑問もなく、今日の日の刹那を味わいつくして、夏を見送るアプコ。
「おかあさん、おかあさん。」とひっきりなしに下らない質問やおねだりやダジャレ、駄々っ子を繰り出す子ども達の相手に倦んでPCの画面に没頭していたら、アプコがツンツンと私の肩をつついて、「ねぇ、回ってる?」という。 「なにが回ってるって?」 アプコの言葉の意味が分からなくて何度も聞き返す。 「だからぁ・・・回ってる?お母さんも回ってる?ほらほら、回ってるでしょ?」 とアプコは首をかしげて部屋の壁やら天井やらを指差す。 「このおうち、まわってるでしょ?回ってない?まわってるよね?」 ??? 「あー、止まってきたよ。いま、止まってるよね?」 ????? 「うん、止まってる。もうまわってないね。」 と「?」だらけの頭で相槌を打ったら、「でもこうやったら、また回るよ。」とアプコがたたみの上でくるくると回り始めた。ハムスターのようにちょこまかとその場で何べんも何べんも足下がふらふらするくらい回ったら、「ほら!見て見て!すっごい回ってる!」という。 ああ、それはお家が回ってるわけじゃありません。あなたの目が回っているだけです。 ・・・と、いつもなら、一言で片付けてしまうところだけれど、小走りにくるくる回るアプコが本当に楽しそうだったので、 「うわぁ、ホントだ。すっごい回ってる!アプコがまわしてるの?」と調子を合わせてみた。 「うん、今さっきね、ちょっとやってみたら、お家がまわってん。このお家、よく回るねぇ。」 と、得意げにいうアプコ。
どうやら、「目が回る」という現象を、アプコは今日はじめて「発見」したらしい。そして冗談ではなく本気で、自分の力でこの家を廻していると感じているのだろう。自分がくるくる回ると、自分の視界の中で回っている母も、自分が見ているのと同じ「回る室内」の映像を一緒に見ることが出来ていると信じているらしいのだ。 自分が世界の中心に立って、くるくる走り回る事で世界を廻している。 そんな天動説の世界を普通にアプコは生きている。 幼いアプコの世界には、まだまだ、大人とは違う時間、違う世界観がながれている。 そのことがなんともかわいらしくて、「それは『目が回る』っていってね・・・」と説明する事をせずに、「ほんとだねぇ、すごく回ってるねぇ。」と調子を合わせて驚いてみせる。
これがオニイやアユコの時だったら、早々に理屈を教えて「天動説」の迷妄を晴らすところだけれど。 子ども独特の不思議な世界観を、もう少しそのまま身の回りにおいて暖めておきたい。 そんな気持ちで、くるくる回るアプコの無邪気を楽しむ。 確かに今日、母の視界も回って見える。
八月も20日を過ぎると、さすがに子ども達の周りに何となく憂鬱な空気が流れ始める。 プールや楽しいレジャーの計画もほぼ消化した。 虫取りや水遊びにも、いまいち真夏の輝きを感じない。 父さん母さんは盆明けあたりから、お子様サービス期間を終了して、通常のお仕事モードに戻りつつある。 そして残っているのは、見るもうっとおしい放置したままの宿題・・・。 今年は毎年の例に反して、受験生のオニイが夏休み前半で学校からの課題を終えた。中学最初の夏休みの課題の量にアグアグしているアユコ。感想文、工作、ポスターの3点セットを残して唸っているゲン。そしてあさがおの押し花を忘れてたと慌てるアプコ。 やっぱり毎年この時期にはこうなっちゃうんだなぁ。
今日、明日と、地蔵盆。 工房の入り口にあるお地蔵さんの祠をきれいにして、赤白の提灯を下げ、新しい前掛けをこどもたちの数だけ縫った。今年は父さんの登山や家族の急病などで、ぎりぎりになるまで準備ができなくて、大慌てでお供え物を買い揃えた。 お昼過ぎ、子ども達が椅子を並べたり、木魚やお焼香盆を運んだりしてくれている最中に、お寺さんが約束の時間より30分も早くお見えになった。いつものおなじみのご住職ではなくて、ずいぶん年若いお坊さんだ。 大人たちがご挨拶もそこそこに間際の準備に駆け回っている間に、お坊さんは子ども達に「何人兄弟?」「お兄ちゃんは何年生なの?」とこどもたちに声をかけながら、あれこれ準備を手伝ってくださっている。一番年かさのオニイが、若いお兄さんのようなお坊さんとなにやら親しげに言葉を交わしているのが見えた。 そしていつもの住職さんなら、おじいちゃんやひいばあちゃんにむけて大人向きの挨拶をなさって読経に入られる所を、「今日はね、子どもを守ってくださるお地蔵さんの日だからね、特別心を込めて手を合わせてみてね。」と 子供向けの短いお話をして席に着かれた。 お経の声も、ご住職の朗々と歌うような名調子ではなく、生真面目で涼やかな若いお声の南無阿弥陀仏だった。
「お坊さんにも あんなに若い人もいるんやなぁ。」 とオニイが後から話してくれた。 「何となくお坊さんといったら、年寄りのイメージがあったんだけど。 若いお坊さんというのもなんかいいね。」 「ふうん、そう。じゃあ、将来はお寺のお坊さんになるってのはどう・・・?」 「う〜ん、悪くないけど・・・。でも鶏のから揚げや明太子が食べられなくなるのは辛いな・・・。」 「・・・なに、それ。お坊さんだって、肉も魚も食べるし、結婚もするよ。宗派にもよるけどさ・・・。」 「あ、そうなの?知らなかった。」 こういうあっけらかんとしたマヌケ振りがまだまだ可愛い。
近頃、オニイが周囲の大人を見上げる視線の方向はなかなかに渋い。 炎天下の駐車場で踊るような手振りで車を誘導するじいちゃん警備員だったり、スーパーの食品売り場で朗らかにくるみパンを試食販売するおじさんであったり・・・。 そういえば数日前、「ちょっと面白い人を見たよ」と教えてくれたのは、行きつけの図書館の男性職員のこと。 静かな図書館で目に余る騒々しい振る舞いをする小学生達を大きな声でガツンとしかりつけたのだそうだ。他人のルール違反やちょっとしたズルがいちいち癇に障るオニイには、そういう毅然とした態度を取れる大人の姿がすっきりと気もちよく見えるのだろう。 そういう見方が出来るオニイも「なんかいいね」と母は思う。
「富士山に登るぞ!」と父さんが突然宣言したのは、一ヶ月前。 思い立ったその日に初心者向けのバスツアーに申し込み、ガイドブックを買い込んで準備に取り掛かる。 毎朝、4時半におきて近所の山歩きを2時間。 山登りの装備や準備物をしらべ、登山用具店をはしご。 同時に、留守中の仕事の段取りをつけ、あちこちに不在の根回しをする。 その精力的な行動力には、舌を巻く。
登山用具の多くは数年前に富士山にも登ったという実家の父が、「上から下まで同じサイズ」のよしみで貸してくれることになった。完全防水の登山服やらずっしり底厚の登山靴、トンネル工事の人のような頭に付けるライトやら大きな登山用のリュックまで、どーんと詰め込んだ小包が届いた。 これらの借り物を中心に、残りは何度も何度もあちこちの登山用具店に足を運び、こまごまと自分用のものを買い揃える。買い物には、家族に秘密裏にこそっと出かけていって、さりげなく「好日山荘」のロゴの入った紙袋を提げて帰ってくる。 汗止めのバンダナ、特殊な素材のアンダーウエア、高山病予防のための小型の酸素ボンベ、山小屋での安眠のための耳栓など、思いもつかない小物がどんどん増える。チョコレートだのカロリーメイトだの、見慣れぬ登山食も買い揃えた。 「初心者の登山にコレだけは必要!」 「あると便利、登山裏技グッズ!」 をいっぱい詰め込んで、父さんのリュックはみるみる大きく膨らんでゆく。 「ほんとにそれ全部要るの?」とは誰もいえない。出発当日である今日になってはじめて、本人があまりのリュックの大きさに気づき、何度もパッキングをやり直していたりする。 それも良し。 遠足前の楽しみの一つ。
父さん、51歳。 何を思っての突然の富士登山か。 作品作りの参考に一度は自分で登って見なければとは、長年思っていたらしい。「いつかはきっと・・・」と思っていることを好機を逃さず「今!」と実行に移す力。それは不器用な職人気質な父さんが、芸術家としてのひらめきをつかむための大事なエネルギーなのだろう。 傍目には衝動的とも見える計画を立て、バリバリと準備を重ねていくときの子どものように嬉しそうな父さんの熱中振りを見ているのは楽しい。 父さん自身は、そういう自分の熱中や数日間の不在や予定外の出費を、家族が「難儀やなぁ。」と辟易しているのではないかとしきりに気にしているようだけれども、「そればっかりでもないんだよ。」という事をまっすぐに夫に伝える事は難しい。 「頑張っていってらしゃい。でも、その分、帰ってきたらいっぱい働いて、家族サービスもお願いね。」と、憎まれ口で父さんの背中を押す。 アタシは可愛げのない妻である。
8月も半分終わった。 暑い暑いといいながら、朝一番にさっと流れ込んでくる風に、過ぎていく夏の背中をみつけたような。
ひいばあちゃん97歳。 近頃少し、工房での仕事から遠ざかっておられたが、「今日はちょっと、せんならん仕事があるんや」と宣言して仕事場に入られた。 多分、義兄か義父に頼まれた作品の下地作りの仕事でもあるのだろう。 蒸し暑い工房の長年の定位置にこじんまり座り、一心にろくろに向かうお仕事モードのひいばあちゃんを久々に見る。 あるべき場所にあるべき人の姿がある気がして、随分ホッとした気持ちになる。
ここのところ工房では数物の仕事が続いていて、私も白絵や釉薬掛けの下仕事の手伝いで仕事場に入ることが多かったのだが、これは本来はひいばあちゃんが長年一人でこつこつと引き受けておられた職人仕事。この春の突然の入院以来、さすがに仕事場へ降りてこられる時間が少なくなったひいばあちゃんに代わっての苦心のピンチヒッターだ。 ひいばあちゃんの席を借りて、モタモタとおぼつかない手つきで釉薬をかける。 ごくごく簡単そうに見える下仕事でも、ひいばあちゃんの年季の入った鮮やかな手仕事の領域にはなかなか近寄る事すらできなくて、もどかしい思いがする。 仕事中、たまに仕事場の様子を見に降りてこられるひいばあちゃんに、 「おばあちゃんの場所、使わせてもらっててごめんね。」とことわって、頭を下げる。 いつかは誰かが引き受けていかなければならないひいばあちゃん仕事の職人仕事。 父さんは将来その後継を務める新人材をあれこれ模索しつつも、なかなか生涯現役の偉大なるひいばあちゃんからその仕事を取り上げる事もできないでいる。だからあくまで私の工房での役割は、臨時の代打要員というスタンスを取ってきた。 それでもひいばあちゃんは、ノタリノタリと不器用に刷毛を動かす私の手元を機嫌よくしばらく眺めては、だまって工房を出て行かれる。「ようやく、私のあとに入る気になったか」と思ってくださっているのか、「まだまだモノになりそうにないなぁ。」と呆れておられるのか、身の縮まる思いがする。 それだけに、ひいばあちゃんが以前のように、工房のいつもの席に座り、いつもの仕事を始められるとなんともいえない嬉しいホッとする思いがする。ひいばあちゃんにはいつまでもいつまでも現役で仕事をしていていただきたいと思う。
この夏の帰省のとき、父さんは実家の父母にひいばあちゃんから託った「快気祝い」の品を携えていった。ひいばあちゃんが手びねりで形を造り、義父と父さんが仕上げをしたひいばあちゃん作の抹茶茶わん。 これまで、ひいばあちゃんは長年の仕事の中でおそらくは何千という数の作品の荒型を拵えてこられた。ひいばあちゃんがあらかた作っておいた茶わんや水指などの形に義父や義兄が削りをかけたり、絵を描いたりして作品に仕上げるのだ。義父や義兄の名を刻印した作品のなかには、そんなふうにひいばあちゃんの手を経て生まれ出てきた作品がたくさんあるが、ひいばあちゃん自身の名前が外に出ることはない。ひいばあちゃんの仕事はあくまで、無名の人の職人仕事なのだ。
そのひいばあちゃんが、この春入院のお見舞いを送った実家の両親への「お祝い返し」としてお茶わんを一つひねって下さった。ひいばあちゃんの手の跡をしっかり残して義父が仕上げをし、父さんが飴釉をかけて焼き上げる。 箱書きには義父がひいばあちゃんの名前を箱書きして「吉向」の小印を押した。 数え切れないほどたくさんの作品をこつこつと拵えてこられたひいばあちゃんの、本当に数少ない「名入り」の作品。我が家にとっては誠に希少な宝物でもある茶わんが父母の元へ行く。「ずーっと将来、内緒でアタシにちょうだいね」の気持ちを忍ばせて、風呂敷に包む。
帰省から戻って2日。 実家の父からの電話があった。 子どもや孫達が帰っていって静かになったので、ひいばあちゃんのお茶わんを使って夫婦でお抹茶を楽しんだのだそうだ。義父を通して、ひいばあちゃんにもお礼の電話をかけておいたという。 「じっくり落ち着いて見てみると実にいい茶わんやなぁ。ひいばあちゃんの人柄や長年の生き方が現われている気がする。」 としみじみと父は語ってくれた。 父が、ひいばあちゃんが作った一個の茶わんのなかに、無名の職人として生涯現役を貫いてこられたひいばあちゃんのひたむきな仕事ぶりに対して、今私が抱いているのと同じ驚嘆や尊敬の思いを抱いてくれたという事が嬉しい。 自分のことでもないのに、「そうなのそうなの!うちのひいばあちゃんは、すごいのよ!」と自慢したいような、こみ上げる思いを抑えることができなくなる。
今朝、子ども達と共に一日遅れでお盆の経木を燃やしにいったとき、ひいばあちゃんにお茶わんのお礼と父母が大変喜んでいた旨を改めて伝えて置いた。 「ああ、あんなものはなんの造作もない。喜んでもらえば、それはなにより。」とひいばあちゃんは平然と笑っておられる。 自分の手から生まれた作品に対して何の衒いもこだわりも未練もない。 さらりと見事に手離してしまう職人技の潔さ。 「お見事!」といった観がある。
しばらくして、なんの脈絡もなくオニイがポロリとこぼした。 「ひいばあちゃん、随分嬉しそうやったなぁ。」 「何のこと?」と問うと、「お母さんがひいばあちゃんにおちゃわんのお礼を言った時さ・・・」という。 オニイもあの時、ひいばあちゃんの笑顔に浮かんだ職人魂の確かさをちゃんと感じる事ができたのだな。 うんうん、この子も随分大人になったと、今度はわたしが嬉しくなった。
久しぶりにとうさんと二人で買い物にでる。 帰省を前に、冷蔵庫の掃除を兼ねて在庫一掃処分をしたので、野菜室が空っぽ。力持ちの父さんがいるのをよいことに、大盛りキュウリや丸ごとキャベツなどをまとめ買い。 重くてごめんね。
八百屋の店先にはいろいろな夏野菜が並んでいる。 いつも定番の茄子やトマトと共に、ラップでくるっと巻かれた大ぶりの一束。 芋茎(ずいき)だ。 とうさんはミョウガやふき、破竹やうどなどちょっとレトロなマイナー野菜が好物。「昔はこういうものの煮物がしょっちゅう食卓にのぼったなぁ」と懐かしそうにいう。 京都生まれの義母の料理は「京のおばんざい」が基本スタイル。とうさんにとってのおふくろの味はこういう昔ながらの野菜の煮物の味なのだろう。 春の筍、夏のミョウガ、冬のキョウイモなど、とうさんの希望に沿うべくわが家の食卓にもそういう旬の味覚をと努めてはいるつもりだが、実は私、「ずいき」という物を食べた事がない。 いや、もっと正確に言うなら、どこかで出されたお料理でそれを「ずいき」と認識せずに口にしたことがあるかもしれないので、私は「ずいき」という野菜を自分で調理してたべたことがないのだ。実家の母の料理のレパートリーにも、「ずいき」という食材は入らなかったように思う。 「芋茎」という漢字を当てるだけあって、見るからにごつそうな赤い植物の茎。コレといって香りもない。 お値段を見ると、ごっそり一括りが68円。なに?このお値段・・・。 好奇心と冒険心で、とにかく一束お買い上げ。
「で、お義母さんはどんなふうに料理してくれたの?」 帰宅して父さんに聞く。 「どんなって・・・普通の煮物だったように思うけど。薄く皮をむいて、椎茸だかお揚げだか、そういうのと一緒に煮てあったんじゃない?」 と、とうさんもあまり覚えてないらしい。 とりあえず、蕗のように手で薄く皮をむいて水にさらす。ごつごつした感じの外見とは裏腹に、若い山蕗のようにしなやかで柔らかい。 「前にお義母さんに聞いたときも『普通に煮るだけ』って言われたのよね。でも、どんな味なんだか食べた事がないから見当もつかない・・・」と愚痴っていたら、とうさんがそそくさとネットで検索してくれた。
「へぇ。生の芋茎だけじゃなくて、乾燥芋茎なんてのもあるらしいね。」 といいながら、あちこちレシピを探してくれたが、なかなかこれといった情報に行き当たらない。どうやら、芋茎は煮物よりは湯がいて酢の物にするほうが一般的らしい。 「えーっ、確か煮物だったと思うけどな。酢の物だったのかなぁ。」 とだんだん自分の記憶に自信がなくなってきたらしい。 それにしても、あんなに懐かしがっていた味が、酢の物だったか煮物だったかすら覚えてないって、どういうこと? それが「おふくろの味」ですかぁ? 「ちょっと待って、訊いて来るよ」 とお義母さんの所にもそれとなく訊きに言ってくれたが、やっぱりお義母さんの答えは「普通に煮るだけ」 はぁ、そうですか。「薄味で」とか「甘めの味で」とか、もうちょっとヒントをくれませんか。 そういえば、お義母さんの得意料理といいながら、私はお義母さん自身が芋茎を料理しているのも見たことがない。
ままよっと、だし汁に甘めのしょうゆ味を薄めに仕立てて、下ゆでして一口に切った芋茎と薄揚げの刻んだのをざざっと煮る。 繊維質だけの塊りのような灰汁の強い野菜が、すぐに半透明の柔らかな煮物に変わる。蕗の煮物にも煮ているがそれほどくせの強い味でもなく、かすかにシャリシャリした食感が心地よい。 そうか、これがずいきだったのか。 「こんな味?」 お味見用に熱々の一片を父さんの口に。 「うんうん、こんな感じ、こんな感じ。この味だよ。」 ついでに小皿に取り分けて、お義母さんにもご意見を聞いてみてもらう。 大体の合格点はもらえたらしい。
自分でも食べた事がない初めての食材を調理するのは、面白い。 たまには調理法を調べながら、試行錯誤で料理するのも楽しいものだ。 それともう一つ、思ったこと。 昔いつも食べていたものの味の記憶というものは、案外いい加減ですぐに忘れてしまっているものだということ。 長い年月を経て、再びその味を口にすれば、「そうそう、この味、この味。昔食べたのはこんな感じの味だったよ。」と記憶を新たにすることは出来るけれど、実際に頭の中だけで記憶している「おふくろの味」とか「懐かしい味覚」とか言うものは、案外いいかげんでよく覚えていないものなのかも知れない。 今も毎日、当たり前に何度も食卓にのぼり続けている味。 それが結局の所、「懐かしい味」なのだろう。
アプコ、7歳の誕生日。 ちょうど帰省の日程と重なったので、恒例の「ろうそくフーッ!」はおばあちゃんちの近くのケーキ屋さんでケーキを買って、加古川のおじいちゃん、おばあちゃんや、おじちゃん、おばちゃん、ちいさい従妹のYちゃんたちにも一緒にも祝ってもらう。 大勢で歌ってもらえる"ハッピーバースディ"は、格別嬉しい。 おめでとう、アプコ。
おばあちゃんちへ向かう途中、アプコの御所望で須磨の水族館へ行く。 私の子どもの頃には、しょっちゅう学校の遠足で行ったところだし、オニイやアユコも小さいときには一度は連れて行ったところ。 本当はアプコもベビーカーに乗ってる頃に来た事があるはずなのだが、まるっきり覚えていないという。 私には、前に来たとき、幼いアプコが着ていたチェックのジャンバースカートのとやら、展示室の暗いところをアプコが怖がった事、イワシの群れの遊泳を見てアユコが綺麗ねぇとため息をついた事など、鮮やかに思い出されるというのに、7歳になったアプコにとっては、ここははじめての場所なのだなと思い至る。 兄弟が多いと、それぞれの年齢に応じて同じ遊園地へ行ったり、同じようなイベントに参加したりするたびに、「また同じ場所か・・・」と思う気持ちもあるけれど、一人一人の子どものとってははじめての場所、初めての経験、初めての楽しさなのだ。
ザブザブと水しぶきを浴びる前列で賢いイルカ達のショーを観たアプコ。 感激して「賢いねぇ。イルカって可愛いねぇ。」と何度も繰り返す。 「お家でイルカが飼えるといいなぁ。」とため息をつくアプコに、 「水族館の人に頼んで、おじいちゃんちの鯉の池で飼えないか聞いてみようか」と冗談を飛ばす。 ああ、この冗談もたしか以前にアユコと一緒に来たときに、同じようにどこかで言った記憶がある。 「だめ、だめ。おじいちゃんの池は小さすぎて、イルカが困ってしまう。」 あの日のアユコと同じように、生真面目に否定するアプコはやっぱり「始めてのアプコ」。 この子自身の新しい「今日」を、楽しんで、味わって、生きているのだという事がよく分かる。
それぞれの子が、単なる繰り返しではなく、それぞれの「今日」を生きているという事。 それだからこそ、母にとっては、一回一回が新しい「今日」なのだ。 ありがたい。
夏休みの前半戦、部活やプール、キャンプやお祭りの日程も順調に消化し、お盆休み前のゆるゆるとした一週間をすごす。 母も前半のハイペースをやっつけて、少々グロッキー気味だ。 「今のうちに宿題を片付けなさいよ。」と昼間の数時間、階下の一部屋だけクーラーをつけて、学習室にかこつけて、子どもたちに提供する。 座敷机で子ども達が夏休みのプリントに取り組む間、極楽極楽と涼をとる。 ああ、おとなになっててよかった。 少なくとも大人の夏には宿題プリントがない。
オニイ、今年は一応受験生。 「夏休みは相当の覚悟で頑張らなくっちゃね」と個人懇談でしっかり念を押されただけあって、例年よりは少しは気合が入っているらしい。とりあえず宿題だけは、いつもより速いペースで片付けているようだ。 家庭の方針(というより、経済的理由?)により、塾も夏期講習もない中三の夏。どんな風に時間を使い、何をどれだけ学んでいくのか、それを自分で決めて自分でこなしていくのは難しい。 「受験生がそんなのんびりした事でいいのかしらん?」という思いと、「まずは本人のやる気から・・・」と期待する思いと、複雑に入り混じった思い意で、オニイの夏を見守っている。
義兄や父さんたちの仕事の都合で、工房の留守番が必要になった。 ちょうどいい、行っておいで・・と、オニイに声がかかった。 うるさい弟妹達や母の小言、蒸し暑い子ども部屋を離れて、ガンガンにクーラーの効いた教室を独り占め。コレはちょっと美味しい話。 「受験生でござい!」とカッコつけて、問題集や参考書を持って出かけていって小一時間。はてさて、勉強ははかどっていたのかな。 よもや涼しい教室で広々とお昼寝って事はあるまいね。
帰ってきたオニイのかばんから、大判のおせんべいが2枚。 留守番中にひいばあちゃんが差し入れてくれたのだという。 よほどオニイが真面目にお勉強しているように見えたのだろうか。 いつものお仏壇の前のお菓子の缶から、子どもの好みそうなお菓子を見繕って運んでくださるひいばあちゃんのすり足の足音が思い浮かぶ。 「時々、ひいばあちゃんがくれるこのおかき、うまいんだよな。」と、オニイ、目を細めて大事そうにかばんにしまう。
普段、激辛スナック菓子大好きのオニイが、そんな素朴なおしょうゆ味のおせんべいを格別好きなのだとは知らなかった。 きっと、オニイが「旨い」と思うのは、おせんべいそのものの味ではなく、「僕が勉強に励んでいたらそっとお菓子を差し入れてくれるひいばあちゃん」というシチュエーションが、ありふれた醤油せんべいに格別ありがたい、やさしい味付けをしてくれたものだろう。 そういう事の嬉しさをしみじみと感じる事の出来るオニイもまたやさしい。 母もちょっと嬉しい。
一昨日、市のお祭りの金魚すくいで、6匹の小さな赤い金魚を貰ってきた。 去年、同じお祭りでもらってきた金魚は、たった一年で15センチばかりの立派な体格に成長して、小さな水槽から飛び出さんばかりの勢いだ。近頃では、エサを撒くとバシャバシャと水しぶきを上げてピラニアのように寄ってくるし、暑くなると食べ残したエサや糞で水槽の水があっという間に汚れてしまう。もう今の小さい水槽で飼うのは限界かなということで、新しく小さい新人金魚を迎えて、育ちすぎた金魚たちにはおじいちゃんちの鯉の池に昇格してもらう事にする。
新しくきれいな水を張った水槽に新人さんたちを放すと、まぁ、なんとその小さいこと。以前の金魚たちがひしめくように泳いでいた同じ水槽とは思えないほどの空間がなんとも涼しげ。 早速先輩たちのお下がりのエサをぱらぱらと撒いてみたら、粒が大きすぎて新人さんたちの小さなおちょぼ口にはあわないらしい。アユコがご丁寧に粒えさを細かくすりつぶして与えている。 そういえば、あの先輩金魚たちもここへ来たばかりの頃は普通の粒えさが大きすぎて、何度も食べあぐねていたものだったなぁと思い出す。 ほんとに生き物の成長って、早いものだなぁと感慨無量。
つれてきた6匹の小さな新人金魚たちの中には、一匹だけ片目のない金魚が混じっている。 怪我や病気で片目を失ったのではなく、先天的な奇形で最初から片目がなかったものらしい。出来上がったぬいぐるみに最後にボタンを一つ付け忘れたように、眼球のあるべきところがただの空白になっている。ぱっと気がつくたび、ぎょっとする異様さではあるが、泳ぐ力もえさを食べる勢いもほかの金魚たちと比べて何の遜色もなく、いたって普通の元気さだ。
本当はアユコは金魚すくいのお店をでてすぐに、その金魚の奇形に気がついていた。まだ、ついさっき受け取ったばかりだったし、お店の人に言えば、普通の五体満足な金魚に取り替えてもらう事もできたと思うけれど、アユコはそうしなかった。そして、「新しい金魚さんが来たよ」と喜ぶアプコにもそのことを知らせないまま、片目の金魚を黙ってうちにつれて帰ってきた。 うちに帰ってきてきれいな水槽の水に移し変えてからはじめて、アユコはアプコにその金魚の奇形を告げた。
「なんでこの子だけお目々が一個しかないの?」 生まれつきの障害とか、奇形とか、そういうものに対する認識のないアプコに、アユコはどんな説明をしたのだろう。 その場ですぐに、もらった金魚の異常に気づきながら、どうしてアユコはお店の人に交換してもらわなかったのだろう。 そこには多分、障害や病気を持ち合わせて生まれてきた生命へのアユコのやさしいいたわりの気持ちが流れているのだろう。 そのことをアユコがどんな風にアプコに教え諭すのか、是非とも聞いておきたかったのだけれど、ほかの用事に紛れてつい聞き逃してしまった。
「おかあさん、この金魚だけ名前をつけたよ。メナちゃんって言うんだよ。」 とアプコが教えにやってきた。 目がないからメナちゃん。 まんまだねぇ。 でも、ほかの5匹の金魚を差し置いて、一番にかわいい名前をつけたということは、アプコが片目の不自由な新人金魚を自分のペットとして受け入れたということだ。 ほかの金魚たちにいじめられはしないか、十分にえさを食べているかとことさら大事に見守っていく事だろう。 「メナちゃんって言う名前はあんまりねえ・・・。」 とアユコは笑って、首をかしげる。 「独眼竜って誰のことだっけ。ああ、そうそう、丹下左膳なんて人もいたっけねぇ。」 結局、オニイとアユコ、二人して密かにメナちゃんに「タンゲ」という、男らしいあだ名をつけた。 どっちにしても、水草の間をチラチラとすばやく泳ぎまわる隻眼の小さな赤い赤ちゃん金魚にはあまり似つかわしい名前とは思えない。
クワガタやカブトムシなど自分のペットのことに手一杯で金魚のことにまで気が回らないゲンも含めて、我が家の4人の子どもたちの中から誰一人として、奇形の金魚を捨ててしまおうとか、交換して来ようとか言う者が居なかったことがちょっとうれしい。 たとえ障害があっても、先天的な病気があっても、「この子は我が家に来るのが運命の子」と甘んじて受け入れる。そういうやさしさがちゃんと育っているということだから。 独眼竜の小さな金魚がそのことを母に教えてくれた。
2005年08月04日(木) |
夏の子どもたち 2題 |
起き抜けのアプコがすりすりと寄って来て、おはようもいわずに何を言うかと思ったら、 「おかあさん!ティッシュってすごいねん!一枚取っても、ぜったいすぐにまた次のが出てくる!」 それって、いま目覚めて、はじめて発見した事ですか? はぁはぁ、すごいねといい加減なあいづちを打っていたら、 「ねぇねぇ、知ってる?ティッシュってみんな、2枚重なってるねんで。」 とご丁寧に、引き出したティッシュを丁寧に裏表、2枚にほぐして広げて見せた。 ほー、それはすごいねと言ってやったら、ようやく得心してティッシュをひらひらさせながら、どこかへいってしまった。 お嬢さん、ティッシュはあなたが生まれる前から、ずーっと2枚がさねですよ。 それにしても、あなたの朝は初めての驚きに満ちているんですね。
ことし受験生のオニイ、部活の日程も消化して、いよいよ夏休みの後半戦に入る。 暑い自宅でのダラダラ生活を打破しようと遠くの図書館へ学習室の偵察に出かけていった。意気込みだけは買うが、この炎天下に図書館への道のりは自転車で30分。行きかえりの暑さだけで既にくたくた。 すずしい図書館で涼をとって、再びサイクリング30分。なんだかとっても効率が悪い気がするんですが・・・。 おまけにオニイ、問題集を入れていった紙袋にはちきれんばかりのたくさん本を借りてきた。 はぁ、受験勉強をしにいって、その推理小説の山はなんですか。 それをいつ読むつもりですか。 なんだかとっても効率が悪い気がするんですが・・・。 「ほっといてくれ、久しぶりに大きな図書館へ行ったら読みたいと思ってた本がいっぱいあったから、はしゃいでしもたんじゃ。」 母の皮肉に決まり悪そうにへしゃげるオニイ。 フンフンそれもよし。気持ちは分かる。 受験生とはいえ、「やりたい事がな〜んにもない、退屈じゃー」ととぐろを巻くよりも、「読みたい本がありすぎて困ってしまう!」と凹むオニイの方が好ましい。 ま、勉強もしっかりな。
アプコ、連日のプール通い。 オニイ、オネエの小さい頃から、我が家の夏休みの前半は意地のように皆勤に、村の小さな低学年用のプールへ通う。 若宮のプールは村の運営で毎年小さい子ども達に無料で開放されており、毎日お母さんたちが交代でプール当番や掃除に携わる。幼児から3年生までの小さい子達のためプールだ。 本来ならアプコはもう一年生なので一人でいってもよいのだけれど、行きかえりの道中の心配もあって、相変わらず母の付き添いつきだ。大きな浮き輪とプールバッグを車に積み込み、ブルルンとプールへ向かう。 青いプールで嬉しげにはしゃぐ子ども達を見ながら、母は木陰で2時間、「暑い暑い」と愚痴りながら無為の2時間を過ごす。 こんな夏がもう、9年も続いている。
一年生になった今年、初めて学校でバタ足や伏し浮きなど水泳らしきものを教えていただいてきたアプコ。 去年まで大事に抱えていた浮き輪を手放し、何度も何度もプールの端から端へと往復して、自己流の泳ぎの練習に余念がない。 「おかあさん、みてみて!」 と大きく腕を廻し、バタバタと派手な水しぶきを上げてバタ足をして、そろそろと進む。どうやらクロールのつもりらしい。そのフォームは自己流なので腰は曲がってくねくねと半分沈んでいるし、腕も終いには犬掻きのようになって、傍から見ていると「溺れたか?!」と見紛うような動きだが、アプコははじめてのクロールの感覚が嬉しくてたまらない。 近頃では、幼児の頃からスイミングスクールに通う子が多くなった。一年生でも驚くほど綺麗なフォームのクロールですいすいと泳ぐ姿を見ることも多い。学校の水泳指導でも、既に上手に泳げる子が多くなって、昔ほど「水に慣れる」「水に顔をつける」等と言う初歩的な段階で躓く子は少なくなっているのだろう。全体として、その年齢で期待される泳力の到達基準と言うのは上がってきているようだなと感じる。 アプコのように真っ白な頭で、バシャバシャ水遊びの状態から学校の授業ではじめて泳ぎを習う子は少ないのかもしれない。
それにしても、アプコの嬉しそうな泳ぎっぷりはどうだろう。 日に焼けた小さい体を十二分に動かして、水にもぐり、水に浮かび、ことさらに水しぶきを上げて歓声をあげる。水の中で新しい動きを一つ、また一つと経験していく事が楽しくてたまらないのだ。 そんな楽しい遊びの中で「あ、いま、浮いた!」という発見や「アタシって今、いるかみたい!」という感覚や、水の中ででんぐり返って天地が混乱してしまう楽しさを一つ一つ獲得していく。 こういう泳ぎの学び方も、それはそれでなんだかいいよなぁと思ったりする。
水のなかで、しばし魚に戻るアプコ。 速く泳ごうとか、もっと遠くまで泳ごうとか、そんな目当てもなしにただただ水に親しむその楽しみだけのために泳ぐ幼いアプコの無心がなんともいとおしい。 いるかになったアプコの歓声を聞く。 そのためだけに、母は連日の猛暑をおして、プール番に出かけていくのだ。 親バカと笑うしかない。
|