月の輪通信 日々の想い
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前日に引き続いて、本日はオニイとゲンが会場入り。
何日か前、 「日曜に展覧会を見に行くつもりだけれど、ゲンを連れ出してもいいだろうか。」 とオニイから、妙にかしこまった電話があった。 展示会を一通り見た後、久々に兄弟で大阪の街をぶらぶらしてくる予定らしい。 「いいけど、日曜日は教室があるから、父さんは会場へは行かないよ。」 と言うと、 「そっか…。ちょっと会いたかったんだけどな。」 とちょっと残念そうな風だった。
京都で一人暮らしを始めたオニイ。 夏休みの前後から何となく元気のない電話が続いた。 「眠れない」とか「起きられない」とか「痩せた」とか、言葉の端々に体調不良をこぼす言葉が混じる。 遅めの五月病か、一人暮らしのお疲れが出たか、果ては陶芸修行そのものが嫌になっているのではないかと、オニイの言葉の一つ一つに勘ぐり、疑い、うろたえる。 「勝手に自分の道を切り開け」と、啖呵を切って息子を送り出した割には、おろおろと腰の定まらない母。 その姿を見て、言葉にはしないものの始終息子の様子を案じているらしい父。 結局は彼自身がなんとか切り抜けるより仕方がないとは解りつつ、何となく落ち着かない思いで気遣う日が続いた。 そこへ、オニイからの「会いたかったんだけどな。」の電話。 とうとう音を上げて「帰りたい」とでも言いだすかと、ますます心配モードに陥りそうになっていた。
朝、久々に外出するというのに、大々的に朝寝坊して大目玉を食うゲン。 待ち合わせの時間や場所は、オニイから細かく指示が出ていたのに、前日に電車の時刻も不案内な都会の地理も全然下調べをしてなくて、しかも呑気に朝寝坊という有様だ。 中3にもなって、何たることぞとお説教しながら駅へと送る。 とうに会場に向かっているであろうオニイにあわてて「遅れる」の連絡を入れたら、「そんな事だろうと思ったよ」と意外と大人の反応。 「すまないねぇ、よろしく頼むよ。」と都会に疎いゲンをオニイに託す。 結局、無事、兄弟は会場で落ち合うことができ、父さんたちの作品をゆっくり見て回った後、食事をして、久々の街遊びを楽しんできたらしい。 帰り際、オニイから「今、ゲンを帰りの電車に乗せた。今日はゲンを借り出して、悪かったね。」との電話。 その声も、以前よりずいぶん明るくて、いつもの頼れるオニイの声だった。
夜、再びオニイと電話。 「展示会、どうだった?」 会場で会うことができなかった父さんが、なにか、言いたいことでもあったのかと探りを入れる。 「学校で、茶道を学び始めたら、父さんのやっている仕事のことがちょっと分かってきた気がする」 思いがけない前向きな感想に、ちょっと拍子ぬけするような安堵がひろがった。 とりあえず、「帰りたい」ではなくてよかった。 たぶんまたオニイは大きな山を一つ越えつつあるのだろう。 そっか、そっか。 よかった、よかった。
うれしくなった親バカ母はまた、段ボール箱にオニイの好きそうなレトルト食品をぎゅうぎゅう詰めて、「とにかく喰え。たらふく食べて、夏ヤセ分の体重を取り戻せ。」と援助物資を送ることにする。
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9日から15日、梅田大丸で展覧会。 義父、義兄と3人での茶陶展。
地元での展覧会のときには、いつも子どもたちが揃って会場へ見に行くのだが、今回はそれぞれのスケジュールが合わず、分散して出かけることになった。 初日には、文化祭の代休のアユコが父さんと一緒に出かけて行った。 今日は、アプコと私が義父母とともに父さんの車で会場入り。 ゲンは明日、京都から出てくるオニイと会場で待ち合わせするのだという。
10年程前には、ベビーカーの赤ん坊も含めてコロコロと目の離せない幼い子どもたちを引き連れて、デパートの静かな美術画廊へ出かけていくのは本当に大仕事だった。 都会の空気に弱い田舎者の子どもたちは、混雑した人ごみの中にいると誰かが必ず「頭が痛い」とか、「足が痛い」とか言い出す。 退屈した子どもらを紛らわせるためのお菓子や飲み物をたくさん用意し、おもちゃ売り場や書籍売り場へ時間つぶしにいったりもした。 そのころに比べると、それぞれが自分のスケジュールに合わせて出かけて行ってくれるようになって、なんと身軽になったことか。 初日に第一陣として出かけて行ったアユコは、久々に父娘でのランチを楽しんで上機嫌で帰ってきた。
今日、義父、義母を連れて、父さんの車で会場入り。 ここ数年、腰を痛めすっかり歩行が困難になった義父と、たびたび貧血様の発作を起こす義母を連れての外出は、大仕事となってきた。 駐車場から会場、会場から食事場所までのわずかな移動にも思いがけない時間がかかる。しかも二人の歩行のペースが違うので、付添要員は複数いるほうが望ましい。 ということで、アプコにも動員がかかった。
赤ん坊のころから、おじいちゃんおばあちゃんの近くで育ったアプコは、兄弟の中でも一番年寄りとのコミュニケーションの取り方がうまい。 繰り返し繰り返し聞かされるおじいちゃんの昔話には辛抱強く相槌を打ち、おばあちゃんのうっかりミスには自分も気がつかなかった様な顔をしてさりげなくフォローに回る。 おじいちゃんおばあちゃんのほうでも、相手が幼いアプコだと「世話をしてもらっている」とか、「手伝ってもらっている」とかという負い目を感じることもなく、気が楽なのだろう。 外出のお供にアプコがついてくると、二人ともご機嫌がすこぶる良いような気がする。 すんなりと背が伸びたアプコが、おばあちゃんと腕をからめ合い、内緒話でもするように寄り添って歩く後ろ姿は、なんとなく良い。 ちょっと涙が出そうになる。
「お母さん、あのね。あたし、ちょっと、ああいうの、苦手やねん。」 義父母のいないところでアプコがこそっとつぶやいた。
すっかり腰が曲がって、数十メートルの移動にも休憩が必要になった義父は少しでも座れる場所を見つけると、もれなく腰をかける。 今日の展覧会場でも、少し離れたお手洗いへ行った帰り、貴金属売り場に置かれた椅子に崩れるように座り込んでしまわれた。そこには「商談用」という札が置いてあって、明らかに休憩のために設けられた席ではない。 帰りの遅いおじいちゃんを気にして迎えに行ったアプコが、その場に居合わせることになった。 もちろん、見た目にも歩行が困難であることのわかる義父に対して、そのことを咎めた人があったわけではない。売場にはたまたま人も少なかったし、おじいちゃんの休憩もほんの数分の短いものだ。 大人にとっては別にどうということもない一コマだけれど、生真面目な小学生のアプコにとっては、本来座るべき場所でない席にどっかと腰を下ろして休憩するおじいちゃんのそばに付き添っているのは、何となく気恥ずかしく気まずい思いをしたのだろう。
おじいちゃんの行為を「恥ずかしい」と思ってしまう気持ちと、 堂々と付き添っていられない自分自身を「恥ずかしい」と思う気持ち。 その入り混じったぐちゃぐちゃとした空気が、アプコのいう「苦手」なのだろうと思う。 「おじいちゃんはもうお年寄りだし、少し歩くのもあんなに大変なんだから、少しくらい変なところに座ってしまわれてもOKなのよ。」 と、いくら言い含めたところで、何となく居心地の悪い、もやもやとした「苦手」はなかなか晴れない。 そのことをも含めて、「労わる立場」の務めの一つだということを、これからアプコは時間をかけて学んでいくだろう。 「商談用」の椅子で休憩するおじいちゃんに、「早く行こうよ」と急かす言葉を吐かなかったアプコはもう、そのことを学ぶ入口にいる。 有難いことだなぁと、私は思う。
朝、子供たちを送り出して、大慌てで朝の家事を片づける。 2件分のゴミ出しを終えて、工房へ向かう。 本日、梅田の百貨店の展示会の搬入日。 夕方までに、今朝、最後の窯から出た作品を梱包して積み込まなければならない。今回も締切ぎりぎりまで窯場の仕事がずれ込んだ。いつも数日前から始める作品選定や梱包の作業のほとんどは、義兄や義母にお任せ状態だった。 はたして、間に合うんだろうかと焦る気持ちで、洗いたての仕事着に腕を通す。
自宅から工房までの短い距離。 足もとのアスファルトに、つぃーっと跳ねるものがいる。 「道教え」 ハンミョウという名の昆虫だ。人が近づくと、その足もとを先へ先へと道案内するように跳んで逃げるので、俗名がいたのだという。 青緑のまだら模様が美しく、そのままブローチにして閉じ込めてしまいたくなる愛らしさだ。 毎年、夏休み明けの今ごろ、仕事場に向う私の足元にふいと現れる。 2.3歩先へ飛び跳ねては止まり、近づくとまた2,3歩先についーと跳ねる。 その繰り返しが面白くて、ついつい目で追い、青い宝石の行方をたどってしまう。 今朝もまた、律儀な案内人の後をたどって仕事場についた。
早朝、窯から出たばかりの作品に残った、やんわりとしたぬくもりを抱く。 展覧会の度、「まだ足りない」「まだ作れない」と、絞り出すように父さんが焼き上げる数々の作品たち。 結果的にはいつだって、出品予定数の枠内に収まりきれないほどの追加の新作を焼き上げてしまうというのに、それでも父さんは「まだ足りない」ともどかしそうに言う。 この人の中には、まだ形にならない風景、まだ定まってこない形、まだしっかりと混じり合わない色彩がたくさんたくさん渦巻いているのだろう。 「今度こそ」「次はきっと」とどんどん自分を追い詰めていくこの人の呻き声をもう何度聴いたことか。 その声を聴いたからと言って、私には何もできない。 ただ、窯から出てくる魔術のような色彩と暖かな形を、そっと手と目に覚えさせることだけだ。
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