2004年09月26日(日) |
Judging debate |
I must reconsider about "judging" itself.
I know I can teach what was wrong and how they shold've spoken.
But as a judge making decisions,
the problem came up once again.
How should I evaluate the arguments.
I know it must be the things made from the debater's speech.
But, what if no conclusion was supported by debaters.
what if debaters cannot make logical overview.
I don't know what to do, although I've seen many cases like that.
Also, I doubt last rebuttal tabula rasa judging.
why judge can neglect the constructive speech which stands alone and un-touched.
I really have to think, may be my judging philosophy change.
But it's not a big problem, judge is only a judge.
お互い愛人だと言い合ってる(笑)くらい仲のいいやつがいる。
でも、あくまで友人。 彼女も嫉妬を感じるくらいの友人。 でも、友人。
それは恋愛感情で言う「愛」とは別の愛。 強いて言うなら、
・・・ 親友への友情と恋人への愛情の間くらいの強さの「絆」か。
きっとそいつが男だったら、 何も問題ないのだろう。 女だから、今のような問題もあるのだろう。
でも、どっちも大切なのだ。 どっちかのためにどっちかをないがしろに出来るようなものでもない。
きっとそういう関係を理解するのは難しいと思う。 「仲がいい」と表面的に認識することは出来るだろう。
でも、多分一言じゃあらわせない関係。
「絆」
それを理解してもらえるとありがたい。 恋愛感情でも友情でもないのだ。
嫉妬をするな、と言っても酷かもしれない。 でもそういうものなのだ。
最近、ふとモトカノに会いたいと思うときがある。
こないだいきなり夢に出てきたときは さすがにびっくりした。
なぜか? 別によりを戻したいわけではない。
ちょっと考えてみた。 きっと今自分の夢を語り合った人、 自分の将来を語り合った人、 自分のことを包み隠さず話した人、 を必要としているのではないかと思う。
きっと、 お互いの部屋で語り合った時間、 川越の街を歩きながらしゃべっていた時間、 あれだけ深く話した時間、 そんなものが今の生活と無関係の位置にあるのが嫌なのだと思う。
手を伸ばせば届く位置に居て欲しいのかもしれない。
そんなあの人の連絡先は知らない。。 何をしているのかも。 まだ大学に居るのか、それとももう社会に出たのか。。
知っているのは、あいつの家。 うちから30分の距離のとこ。
でも、今行くのは気が引ける。 だって離れてから、俺はきっと成長していないから。
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