おひさまの日記
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2009年09月29日(火) ひらめきの導き

今日スーパーで買い物をして、
なんとなく「ココ!」と思ったレジに並んだ。

レジの手前には細かいものがちょこちょこ陳列してある。
私が並んだレジの手前にも色々なものが置いてあった。

そんな中で、ふと私の目に留ったのは、ジッポの石だった。

知ってる人は知ってると思うけど、ジッポ(ZIPPO)はオイルライター。
その小さな石を発火に使うのだ。
abuがそのジッポを使ってるのね。

なんだかミョーにその石を買った方がいいような気がした。
わけもなく。
abuが必要なんじゃないかな、そんな気がした。
そして、一瞬迷ったんだけど、買い物カゴに入れた。

レジ待ちしながら考えた。

abuはいらないかもしれないし、
なにもこんな月末の家計がギリギリの時に、
わざわざライターの石なんぞ買わなくていいんじゃないかな。
使い捨てライターだっていっぱいあるし。
それならさっき戻してきたコロッケ買った方がいいような。
あれうまいんだよなー。
やっぱり買うのやめようかな、うーん、うーん…

ぐるぐる考えた。

でも、冒険心と言うか、遊び心と言うか、そんなものがムクムク湧いてきた。
自分のひらめきが当たってるのか、それとも、単なる気のせいなのか、
確かめたくなったのだ。

ひらめきや直感って、頭でぐだぐだ考えることを越えて、
自分にとって必要なことをイメージや感覚で教えてくれる。
それに従って動いた時は必ずうまくいく。
後になって、あの信憑性のない思いつきが、
自分にこんな素晴らしいものをもたらしてくれたんだって、いつも感動する。

最近ひらめきに従って動いてなかった。
考えてばかり。
何かが思い浮かんでも、ダメだとか無理だとか決めつけてかき消したり、
そんな夢みたいなこと考えてばかりいないで、
今月の生活費のことを考えなきゃ、なんて流してしまったり、
そんなことばかりだった。

だから、思ったのだ。
最近鈍ってるような気がする自分のひらめき、試してみよう、って。

そして、ジッポの石を買って帰った。

家に帰るとすぐジッポの石をabuに見せた。

「ねー、ねー、これ、
 なんか目に留まって買った方がいいような気がして買ったんだけど、
 まだいっぱいあるかな…」

abuがにやぁーっと笑った。

「ジッポの石、買おうかどうしようか迷ったんだ。
 でも、ムダ遣いだと思って買わなかった。
 で、今使ってる石が最後の石で、
 しばらくジッポは使えないと思ってたところだったんだ。
 よかったーっ、ドンピシャだよ!」

そう言ってすごく喜んでくれた。

けれど、恐らくabu以上に喜んだのは私だった。
あのなんとなく感じた「これ買ったらいい」という感覚、
あれは間違いじゃなかったんだもの!
私のひらめき、まだまだ捨てたもんじゃないじゃないか。
ひらめいたまま行動したら、ほら、こんなに素敵なことが。

そして、思った。
この体験はきっと天使からの贈り物だ、と。

ほら、ひらめくままに行動してみなよ、
素敵なことが起こるんだから、
今日だってうまくいったじゃない?
これからもうまくいくんだよ、
こわがらないで、信じて進んで。

そんなメッセージ。

最近、あれこれと自分の中に思い浮かぶことがある。
あれやってみたい!
これっていいんじゃない?
って。
浮かんできたそんなことを考えるとワクワクする。

その考えはきっとばかげてる。
現実離れしてる。
子供のお遊びみたいなもんだ。
でも、したいからする、それでいいと思った。

そんなものをつなげていったら、わらしべ長者みたいに、
次のいいもの、次のいいもの、そんなものにつながって、
きっと行ける、行きたい場所に、
最近、すごくそんな気がする。

思えば、abuとこうして一緒に生きていること自体、
ひらめきと不思議体験の連続の結果じゃないか。
ずいぶん長いこと忘れてたなぁ、毎日の生活に追われて。
私の心を支配していたのは、冷たい現実とあきらめだった。

でも、もういいや。
そんな欲しくない現実にも飽きた、つーか、もうイヤだ。
戻ろう、あの生き方に。
根拠のない、でも揺るぎない感覚に従って選択をしていく生き方に。
そう思った。

ひらめきの導きに従って、いってみよー(ドリフ風に)。

ありがと、ありがと、天使さん。


2009年09月28日(月) 今私にできること

郵便局のゆうゆう窓口には、不機嫌な人が来ることがある。

終始ムッとした顔の人、
下を向いたままうんともすんとも言わない人、
叩き付けるように不在票を置く人や、
本人確認の免許証を投げる人、色々、色々。

そういう人に当たっちゃうと、もちろん、イヤぁな気分になる。

でも、イヤな気分になりながら考える。
みんな色々あるんだなぁ、つらかったり困ってたりするんだろうなぁ、って。
自分が幸せで満たされていれば、人にそんなふうには振る舞わないもの。
自分では気づいていなくても、心のどこかに痛みがあるから、
そうなっちゃうんだろうなぁ、って。

そんな人が少しでも何か違えば…と思って、
にこーって笑ってみたりするんだけど、無反応だったりすることが多い。
で、くじけるんだが(笑)

今日、不在郵便物を取りに来た人がいて、お渡ししたら、
彼女は「ありがとう」って言ってにっこり笑った。
その瞬間、心におひさまの光が差したみたいに、
うれしくて、幸せで、すごく素敵な気分になった。
おおはしゃぎしたくなるくらいに。

彼女は自分の笑顔で他人がこんなに幸せな気分になってるなんて、
全然気がつきもせず去っていったのだろう。
彼女の笑顔はちょっとしょんぼりしていた私の心を救い上げた。

笑顔ってすごいな。
本当に人を幸せにする。

だから、くじけても、窓口ではにっこりしようと思った(笑)
仕事がズバ抜けてできるわけでもなく、
どちらかと言うと、おマヌケさんな方だけど、
そんな私でもできることだから。
たとえお客様が仏頂面で立ち去っても、
小さな小さなあたたかさの種、もしかしたらその人の心に蒔けるかもしれないから。
今日、私がお客様の笑顔で心が救われたように。

できることから。
今私にできることから。
私という存在が今すぐにできることから。
何もできなくてもできること、きっとあるから、それを探して、やってみて、
あたたかさを通して伝えていくパイプみたいになれたら…いいな。

落ち込むこともあるけれど、暗い気持ちの日もあるけれど、
それでもできること、きっと、ある。


2009年09月24日(木) それからが大事

昼過ぎ、インターホンが鳴った。
アンナの友達だった。
遊ぶ約束をしていたので来てくれたそうだ。

でも、アンナは朝からばあちゃんの家に遊びに行っていた。
その子との約束があったのに、すっかり忘れてしまっていたらしい。

急いでアンナを迎えに行ってその友達の家に向かわせたんだけど、
すでに時遅し、友達はいなくて、
結局約束をすっぽかすことになってしまった。

アンナはしょんぼりしていた。
約束を忘れたことのうしろめたさ、
約束をすっぽかしたことで友達が自分をどう思うかの不安、
そんなものがあったのだろう。

その時、abuがアンナに言った。

「忘れてしまったのはもう仕方ないんだ。
 大事なのはここからだよ。
 夕方お友達が帰って来た頃、
 お菓子でも持って顔を出して、
 今日はごめんね、ってえばいいんだよ」

ああ、いいこと言うな…そう思って聞いていた。

生きてると色々なことがある。
間違ったり、失敗したり、色々やらかしてしまうことだってある。
そんな時、自分を責めたり、怒られたらどうしようと不安になったり、
やってしまった過ちを思ってくよくよしてしまう。

けれど、やってしまったことは過去のこと。
どうあがいてもそれを変えることはできない。

ならば、それからが大事。
それから、じゃあどうするか、それが大事。
間違いや失敗をどういう形でよい方向に持って行くか、
過ちをどう償うか、
それが大事。

abuとアンナのやりとりを見ていて、
すべてのことに言えるなぁ…って考えていた。

夕方5時の鐘が鳴ると、アンナはその友達の家に向かった。
駄菓子を持って。

しばらくして帰って来たアンナはニコニコしていた。

「どうだった?」

と尋ねた。

「ごめんね、って謝ったら、いいよ、って言ってくれた。
 お菓子すごく喜んでた。
 明日も遊ぼうねって言ってくれたんだよ」

「そう、よかったね。
 約束を忘れたことはよくないけど、
 それから、そうやって謝りに行ったことで、
 お友達も気分がよくなったと思うんだよ。
 ひょっとしたら、アンナちゃんって、
 こういう時ちゃんと謝ってくれて素敵な子だなって、
 思ってもらえたかもしれないし。
 えらかったね」

「うんっ!」

友達の笑顔を見てすっかり元気になったアンナは、
うれしそうに言った。

それからが大事。
何事も、それからが大事。
起きてしまったことはもう仕方のないこと。
じゃあ、それからどうするか、それが大事。
それによって、未来は変わる。
変えられる。

心の奥の方に小さな希望の光が灯った気がした。
忘れていた小さな、でも力強い明かり。

アンナ、今日も大切なことを見せれくれてありがとうね。



そうそう、昨日HPをリニューアルして見られなくなった「生きる知恵」、
今日色々格闘して復活しましたーっ!
ううう、よかったよ、よかったよ…
CGIのパーミッションの設定が違ってたのでした。

> HPをリニューアルした今こうなっちゃったってことは、
> ひょっとしたら昔の私の言葉は一旦全部クリアにして、
> また今の自分の言葉を…とういことなのかな、と思ったりして。

なんて、昨日日記に書いてたけど、
これもひとつの教訓だな、と。

起こってしまったことを、何らかのスピリチュアルな理由で
もっともらしく納めてあきらめることもできるけど、
そうじゃなくて、単に物理的に何かがおかしくなってただけだった。

数年分の言葉と想いの蓄積「生きる知恵」、
やっぱりあきらめたくない、なんとかしたい、
そんな想いがふつふつと湧いてきて、悶々としてたら、
突然、ピンとひらめいた。

「あ、パーミッション」

って。

もっともらしい理由をあてがってあきらめることより、
そのひらめきに従って調べたり直したりする方が、
ずっとスピリチュアルだと思った。

まんま今の自分かも。

不満な今を正当化するもっともらしい理由を探すより、
どうしたら心地よくなれるのか、
そのために必要なものを求めた方がずっといい。

それも「それからが大事」につながると、ふと思った。

そうすれば、やってくる未来も違う。
私が欲しいのは、
落胆してあきらめた今が生み出した今の延長のような未来じゃなく、
そうなることを思い描くとワクワクするような未来だ。

不満な今がある。
それはそれ。
そして、それからが大事なんだね。



毎日の中に教訓がすし詰め状態だよな、人生って、
なーんて思った今日だった。



で、引き続きご案内。
リニューアルしたHP、よろしくお願いしまぁす!(笑)
「EMIX RHYTHM」


2009年09月23日(水) ホームページをリニューアルしたよーっ

ヒプノセラピー・カウンセリングのホームページ"emiyaism"を、
"EMIX RHYTHM"にリニューアルしました。
ちなみに「えみっくす・りずむ」です。
emiyaism=emiya主義に続き、EMIX RHYTHM=アタシのリズム、ってな、
いかにも俺様主義的ネーミングは相変わらずですが(笑)

ここ数日で一気に作ったので、
まだコンテンツ3つしかないし;

ただねー、ショックなことが。

サーバーのデータ入れ替えてる時、
「生きる知恵」のcgiの何かを削除しちゃったみたいで、
クリックしても表示されなくなっちゃったんだよなぁ…

ここ数年間こつこつ言葉を集めて、
読んでもらえるようにしてきた「生きる知恵」だけど、
HPをリニューアルした今こうなっちゃったってことは、
ひょっとしたら昔の私の言葉は一旦全部クリアにして、
また今の自分の言葉を…とういことなのかな、と思ったりして。

ショックだったんだけど、そう考えることにしたよ。
単に自分のおっちょこちょいなのかもしれないのに(笑)

ということで、まだ内容はそんなにないサイトですが、
よかったら"EMIX RHYTHM"、アクセスしてみてくださいね。

さーっ、今日はもう寝るべーっ。


2009年09月19日(土) 娘から大切なことを教わった日

みんないいとこも悪いとこもある。
得意なことも苦手なこともある。
もちろん、私も。
それでいいじゃないか、そんなことを思った日。

今日は小学校の運動会。

アンナはかけっこが苦手。
メチャ遅い。

5年生の団体競技で、
ふたつのチームがそれぞれの陣地からダッシュして、
グラウンドの真ん中にある竹を引っ張り合い、
自分達の陣地に多く持ってきた方が勝ち、
という競技があったんだけど、
やっぱりアンナはひとり目立って遅い。
みんながわーっと走っていく固まりから離れて、
ひとり追いかけるように走っていく。

でも、ニコニコしてすごく楽しそう。
大はしゃぎしてる。
戻っても悪びれもせず、見てた?って尋ねる。

そんなアンナを見て素敵だな…って思った。
なんて美しい心を持ってるんだろう…って。

彼女は、自分が苦手だったりできなかったりすることの中にいても、
しょぼくれたり、ひねくれたりしない。
それをするということを味わい楽しんでいる。
そこで全力を尽くしている。

そうすると、見ている私もすごく楽しくなる。
彼女が苦手だったりできなかったりすることはどうでもよくて、
それが彼女のありのままの姿であって、
そして、それでいいんだな、かわいいな、素敵だな、って感じる。

アンナみたいになりたいな、って思った。

子供はいつも大切なことを教えてくれる。

眠るアンナの隣に横になって、

「アンナは素敵だよ。
 大好きだよ」

って言ったら、眠りながらにっこりした。
心から愛おしいと思った。

みんないいとこも悪いとこもある。
得意なことも苦手なこともある。
もちろん、私も。
それでいいじゃないか、そんなことを思った日。

娘から大切なことを教わった日。


2009年09月18日(金) バイリンガル

茨城に帰ってきてから2年ちょっと、茨城弁が復活した。

私は茨城生まれの茨城育ち。
でも、東京の専門学校に通い、就職と同時に千葉に住むようになり、
いつの間にか茨城弁はほとんど抜けて、標準語になっていた。

それが、どうだ、今は。
しっかり茨城弁だ。

まず、母親が茨城弁で話すので、その辺から影響を受け始めた。
そして、郵便局に入ってそれに追い打ちがかかった。
みんな普通に茨城弁で、
軽いカルチャーショックにも似た感覚があったんだけど、
今じゃ自分も同じようにしゃべってる。

茨城弁特有の語尾の「だっぺ」とか、
語尾が濁音になるよう話し方はそんなにしないんだけど、
イントネーションがね、茨城弁になっちゃったんだよ。

「郷に入っては郷に従え」って言うし、まあ、いいんだが。

方言ってあったかい。
結構スキ。

「あたくし」とか「ごきげんよう」とか「○○ですのよ」
なんて話し方は、私の性分には合ってないようだ。
方言の方がホッとする。

ただ、状況に合わせて、標準語と方言を使い分けるようにはしている。
時折、狂ったイントネーションが飛び出してしまうけど。
茨城弁、おそるべし(笑)

そういう部分はフレキシブルでありたいと思う。
茨城県民でありながらも、よりグローバルな茨城県民を目指して(笑)
自由自在に茨城弁と標準語を使い分けられたらいい。
そう、目指すはバイリンガルさ。

目標は都内で喋っててもディープな茨城弁が飛び出さない茨城県民。


2009年09月17日(木) 探せーっ、自分のいいところーっ!

郵便局に勤めていて思うのは、
仕事をほめられることはないけど、指摘や注意はよくされるということ。
もちろん、もっともっと覚えなきゃならないことも、
注意しなきゃならないことも、いっぱいあるのはわかった上でね。
ま、私がほめられることまったくしてないのかもしれないけど。

この前なんて、

「ああ、もういいっ、頼むからそれに触らないでくれ!」

って、半ば叫ぶように言われた。
その社員さんは私がやると間違うと思ったからそう言ったのだろう。
その前に色々あったので。

自分がダメダメ人間だとは思わないようにはしてるけど、
ダメダメ人間だと思いたくなるようなことは、
そんな感じでよくある。

免税店で販売をしていた頃、
新人の中で、いちばん田舎者で、いちばんちんちくりんで、
いつも同期に笑われていた私をほめてくれた人がいた。
それは、免税店の新人研修の時のトレーナーをしてくださった
ニナリッチのスーパーバイザーの女性だった。

「あなた、力があるわ。
 頑張りなさい。
 いい販売員になるわよ」

彼女の言葉だった。
それは魔法の言葉だった。
それから私は売り上げを伸ばしていった。
プラスのストロークが人に与える力の絶大さを強く感じる。

小さい頃からほめられることもそんなになかった私が、
ほめられ、認められた、大切な体験だった。
彼女との出会いは私の人生の転機となった。

自分にはいいところなんかないんだ、
そう思っていた私が、やっとひとつだけ自分の「とりえ」を見つけられた。

免税店からディーラーに転職し、営業を始めると、
店長は、それはそれは厳しい人で、本当によく叱られた。
接客はもちろんのこと、立ち方、歩き方、座り方まで注意された。
仕事の仕方、仕事をする上での考え方、マナー、未熟な部分は徹底的に指導された。

でも、うまくできた時、必ずほめてくれた。
ほめる時、店長は必ずガッツポーズをするのだった。
口うるさくて厳しい店長だったけど、理にかなった叱り方をする人だった。
ガミガミ言いながらも認めてくれているのが伝わってきた。
尊敬できる上司だった。

でもねー、今は上からぺしゃんこにされてる感じー。

で、何が言いたいのかと言うとだね、
オチのないただの愚痴なんだよ(笑)

今、必死に、過去にほめられた記憶かき集め中。
でないとやってらんないもんね (´ー`)y-~~

探せーっ、自分のいいところーっ!


2009年09月16日(水) 「イヤだ!!!」のパワー

最近「イヤだ!!!」の目白押しでございます。
まあ、後から、後から、よくもよくも、イヤなことがここまで、と思うくらい。

って言うか、よくよく考えると、イヤだったんだけど、
それをイヤだと真正面から捉えるのがこわかったんだろうね。
そうしなければ、イヤなことの中には身を置くことができないから。
だから、この出来事からはこれを学んだ、この体験は私に必要なんだ、
そう自分に言い聞かせていた、必死に。

そして、それは嘘ではない。
私が体験しているすべては学びであり必要なもの。
過去のすべての体験なくして今の私はいないし、
今のすべての体験なくして未来の私はいない。

昔、クライアントさんによく言っていた言葉がある。

「出枯らしのお茶っ葉は捨てるんですよ」

お湯を注いでも、お茶の風味も味もしなくなったお茶っ葉を、
いつまでも急須に入れておかないで、
新しいお茶っ葉に入れ替えてください、って。
まだお茶が出るのに入れ替えるのは違うけど、
もうお茶が出なくなったのなら替える方がいい。
おいしかった、ありがとう、と感謝を込めて三角コーナーにポイだ。
(今はあんまりないか、三角コーナー・笑)

それは、ひとつの例え話であって、
私が言いたかったのは、
人生においてもう必要のなくなったものにしがみつかず、
手放してください、ということだ。

日々を生きているうちに、自分の人生において、
大切だったり、必要だったりするものの中にも、
「お茶の風味も味もしなくなったお茶っ葉」みたいな要素が出てくる。
大切だから、必要だから、と抱え込むのではなくて、
その賞味期限が切れてしまったことに気づくことも大切だ。
どんな要素にも、大切だった、必要だった、そう過去形に変わる瞬間があるのだ。

話を戻そう。

私のイヤなこと、それは私にとって学びだったし、必要だった。
でも、今日、ふと気づいた。
お茶出がなくなったお茶っ葉だ、と。
賞味期限の切れた体験だ、と。

なんで、また、そんなこと急に、と言うと、
今日、今まで、ずっと、言うまい、自分の中だけのことにするんだ、
そう心に決めていた愚痴を、一気にabuにぶちまけたら、
私、こんなにイヤだったのね、と、ふと気づいたのだ(笑)

愚痴はよくないし、今自分に必要なのは、
体験から学ぶべきことを学ぶこと、そう思っていたから愚痴をこらえてきた。
そして、それは間違ってなかったと思う。
いつもグチグチ言うのは嫌いだし。
自分の愚痴に人巻き込むの嫌いだし。
イヤなことなんて自分の主観だし。

でも、たまに言うと気持ちいいね、すげースッキリ。
誰彼構わず言うんじゃなく、本当に信頼できる人に、
建設的な愚痴を言えたらいいと、いつも思ってる。
で、abuが餌食になるわけだが。

そして、不思議なことに、心の中全部ぶちまけて、
あれがイヤ、これがイヤ、誰がイヤ、そんなことを言い尽くしたら、
なんだか急に心が軽くなった。

(これって、少し前の日記に書いたOsho禅タロットの言葉
  『潜在しているこの爆発が癒されるはけ口を見つけることです。
   まさに今、あなたの内側でつのっているに違いない緊張とストレスを、
   すべて解き放つ道を見つけることが絶対に必要です。
   枕を叩いたり、飛び跳ねたり、
   大自然のなかに出かけて空っぽの空に向かって叫んだり、
   自分のエネルギーを揺り起こし、
   自由に巡らせることのできることなら、なんでもしましょう。
   破局(カタストロフィー)が起こるのを待っていてはいけません』
 それをすることができた、そんな感じだった)

そして、自分のしたいことが見えてきた。
「これ」っていうはっきりとしたものはわからないけど、
「こっち」っていう方向は見えてきた。

そして、私は決めた。

「よし、その方向に行くぞ」

と。

自分に何が起こったのかはわからないけど、
もやもやとしたものが目の前からなくなって、
急に視界がクリアになったような感じだった。

自分に正直になった瞬間だったのかもしれない。
本当の自分と表面の自分の葛藤が終わった瞬間。

そして、ひとつの目標を設定した。
目標を設定するなんてどれくらいぶりだろう(笑)
いついつまでに、私はこうなっている、と。
それがどんな目標かは、いつかここに書くかもしれない。
その時は、達成しました、っていう報告として書きたいものだ。

先日、ある方からメールをいただいた。
そこにはこう書いてあった。

「イヤは変化の起爆剤」

彼女のその言葉は今日の私につながった。
イヤはイヤでいいんだよな、って思えた。
忘れてた(笑)

「イヤだ!!!」のパワーはすごい。
そう感じられるから、次に行ける。
イヤじゃない場所へと。
まさに起爆剤。

大好きでやりたいことの中でする努力は苦労は、
そのうちに入らないと日頃からよく思う。
そういうものの中での「イヤだ!!!」なら喜んで体験しよう。
でも、イヤなものの中での「イヤだ!!!」はもういいや。
いらねー。

今日、abuと語り合いながら、
長い間感じることがなかったであろうワクワクを、
本当に久しぶりに感じた。
あ、これこれ、この感覚、って思った。
魂が喜んでる。
スッキリして、ワクワクする、これが魂のオッケーのサイン。
だから、進もう、その方向へ。
「イヤだ!!!」のパワーで。

数日前、心から打ち解けて話せる数少ない友達のひとりと会って、
色々語り合ったんだけど、なんかそれからメッチャいい感じだ。
やっぱり、同じ感覚、同じ価値観、同じ人生観、
そういうものを持った人と過ごすことってすごいパワフルなんだね。
それだけで何かが生まれてくる。

メールをくれた彼女、数日前に会った彼女、それぞれが私にヒントをくれた。
それに、思い立ってクリックして目にしたOsho禅タロットの言葉。
もっとさかのぼれば、この日記を読んでメールをくれたある人の言葉もヒントになっている。

ありがとう、ありがとう、みんなありがとう。
うん、追い風が来てる。

何かが動き出す予感。
いや、もう動き出してもらわないと限界(笑)

未来の私は今の私を見て笑ってる。


2009年09月15日(火) 笑おう

家って素に戻れて力が抜ける場所。
そんな場所だからこそ「大切なこと」を忘れてしまうことがある。

悲しいことがあったり、落ち込んだり、機嫌が悪かったりすると、
まんまその空気を漂わせてしまう。
それができる唯一の場所だから。
それはそれでいいと思う。
だって、家でまで頑張ってそういうの隠してたら、
気を抜く場所がなくなってしまうから。

そんな唯一の場所で、
私が忘れてしまう「大切なこと」っていうのは「笑う」ことだ。
笑うって言っても、げらげら笑うことじゃない。
にっこり笑顔を作ること。
それも、いつもいつも笑顔でいるっていうことじゃない。
大切な時に笑顔になるってことだ。

たとえば、アンナやabuが学校や仕事に行くのを見送る時、
ふたりが帰って来たのを迎える時、
自分が仕事に出かける時、帰って来た時、
家族におはようやおやすみを言う時、
ちょっとしたことを話す時、
そのほんの一瞬、笑顔になるってことだ。

どんなにイヤなことがあっても、
それでどんなに悲しくなったり、腹が立ったり、悔しかったりしても、
ほんの一瞬なら笑顔になれる。

その笑顔は、

「私は今とても楽しくて幸せだよ」

っていう笑顔じゃなくて、

「大好きだよ、ありがとう、ごめんね」

っていう笑顔。
今日はちょっと、不機嫌だけど、疲れてるけど、落ち込んでるけど、
そんな私を許してね、心配しないでね、大好きだからね、
そんな気持ちを込めた笑顔。

心にゆとりがある時はこう付け加えるようにしている。

「今日落ち込んでるから黙ってるけど、心配しないでね」
「イヤなことがあってイライラしてて、不機嫌な顔しててごめんね」

自分が何かしちゃってママ機嫌悪いのかな、そう感じさせることで、
家族は心配で不安でとても疲れるのだ。
だから、そう伝えることで家族の心の負担はうんと減る。
あなたに原因はないんだよ、ってことをちゃんと伝える。

ママどうしたのかな、怒ってるのかな、今日はちょっとおかしいな、
家族にそう感じさせてしまっても、
それによって不安になる家族の心が楽になる。
逆だったら私もそうだもの。

そして、笑おうと思う。
ほんの一瞬でいいから。

笑顔は魔法。
誰かが笑うと幸せになる。
笑顔は人を幸せにする。
だから、自分がどんな状態でも、自分の大切な人には笑顔を見せたい。
ほんの一瞬でも。

悲しい顔、ムッとした顔、無表情な顔、
そんな顔は人を不安で悲しくさせる。
大切な人をそんな気持ちにさせるのはイヤだ。
大切な人がそんな気持ちでいる時間を減らしたい。

そのためにできることは、
完璧な自分じゃないからこそ、ほんの一瞬だけでも笑うこと。
そんな小さなことで大切な人を大切にしたい。

それが私にできる精一杯の「愛してる」と「ありがとう」。
だから、笑おう。
どんな時も、ほんのちょっとだけでも。
それなら私にもできる。


2009年09月13日(日) これでいいのだ

人にはそれぞれスイッチがあるみたい。
どんなスイッチかと言うと、なんらかの感情がだーっと湧いてくるスイッチ。
私が「あ」と感じるのは、つらい感情が多い。

私のスイッチは「できない」ことや「間違ってる」ことを指摘されたり、
「あなたじゃダメ」という意味合いのことを言われたり、
何も言われなくてもそういう表情や態度をされたりすると、
つらい感情が一気にだーっと湧いてくる。
特に、誰かと比較されたり、
よかれと思ってしたことや頑張ったことに対してそう感じる反応があると、
崩れ方もハンパじゃない。

あなたは間違ってますよ、よくないですよ、ダメですよ、
時と場合にもよるけど、そうした否定されるような類いの反応で、
パチンとスイッチが入り、気づくと涙がこみ上げてきて、
私はダメなんだ、なんで私はこんななんだろう、私ここにいてごめんなさい、
そんな思いでいっぱいになる。

そこまでストライクゾーンに入っちゃわないで、
もっと楽に受け止められればいいのに、って思うけど、
もうこれは仕方ないのだ。
トラウマちゃんの成せる技なのだ。

それは、私の子供の頃の感情、インナーチャイルドの傷ついた心、その痛み。
「あなたはダメ」という言動を受けることがスイッチとなって、
何十年も前の、でも、潜在意識の中で今もうずいているそんな痛みが、
突然飛び出してくる。

パソコンのアプリケーションがクリックで立ち上がるように、
心の傷がスイッチでよみがえり痛みが再生される。
まさにプログラミングだ。
42歳の私が、その瞬間、5歳、10歳の子供に戻ってしまう。

子供の私は耐え切れないその痛みにえーんと泣く。
幼い頃、両親との関係の中で、彼等から受けた言葉や行為によって、
深く傷ついた心の痛みが、同じような状況を体験することにより、
時空を超えて瞬時によみがえってしまう。

長いこと心の世界にたずさわってきて、
そのことをイヤというほどわかっているけれど、
わかっていることと、それがなくなることは別で、
今でもインナーチャイルドはしばしば現れ、助けを求める。
つらいよー、って。

今日もそんなことがあった。
仕事でミスをした時、社員さんに指摘された。

「接客が丁寧で言葉を多く使うから間違えるんだよ。
 喋れば気が散るし、喋る時間がもったいないし、
 黙って集中して必要以外のことは一切喋らずやって。
 ○○さんみたいに黙ってクールにね。
 無愛想になれとは言わないけど、普通にやってればいいんだし、
 えみやさんみたいな接客は郵便局のマニュアルにないから」

そう言われた時、スイッチが入った。

言われている最中から涙がこみ上げてきてしまって、
マズい、ここで泣いたらいかん、そう思って必死にこらえたけど、
こらえきれるものではなく、どんどん涙が出てきてしまう。
すみません、そう答えるのが精一杯、仕事で別の階に行くふりをして、
トイレの個室に入って声をあげて泣いた。

そういう時は、何が正しいとか何が違うとか、そんなことはどうでもいい。
ただただ突き上げてくる感情に翻弄される。

その反面、泣きながらもそんな自分を静かに見ている自分がいる。

「小さい頃もこんな気持ちでいたんだな、私…
 つらかったんだな…
 自分を責めてたんだな…」

そうした感情のフラッシュバック体験はかなり強烈なものであり、結構尾を引く。
落ち着いて心が穏やかになるまで時間がかかることも多く、
そのつらい気持ちの余韻がだらだらとまとわりつく。
だから、インナーチャイルドと一緒にいてあげようと思う。
つらかったね、悲しかったね、って。
それでどうするとか、だからどうなるとか、そんなのどうでもいいの。
ただ、感じるだけ。

そんな時、私はとても重要な体験をする。
自分がそうして痛みを感じていると、
周りの誰かが同じ痛みを持っていることに気づくのだ。
まっさきに浮かぶのは、娘、アンナ。
そして、abu、父、母…

すると、強い想いがあふれてくる。
まだまだいびつな私だけど、愛を与えていきたい、
痛む心があるなら、それを救うために何かしたい、
そんな気持ちになるのだ。

とてもうまくできているのね…
つらかったけど、よかったな…
すべての体験に贈り物があるのね…
そう思う。

そして、いつもよりちょっと元気のない私は、
深呼吸してキッチンに向かい、冷蔵庫を開けると、
キュウリとナスの浅漬けの入ったタッパを開けて、
立ったまま菜箸でお行儀悪く食べた、お腹減っちゃったしね。
生きてるって悪くないね、そう思いながら。

故・赤塚不二夫氏の「天才バカボン」の名台詞、

「これでいいのだ」

それを心の中で繰り返した。


2009年09月12日(土) あの空に向かって

年齢を重ねて、経験を重ねて、
自分の中にたくさんのものを積み重ねているはずなのに、
今の自分より未熟だったはずの昔の自分の方が、
今よりうんとキラキラ輝いていたと感じることがある。

やりたいことや好きなことがいっぱいあって、
自由で、行動的で、情熱的で、信じるものが揺るがなくて、
たくさんの人とのコミュニケーションを楽しんで、
ぽんぽん弾むボールみたいだった。

もちろん、つらく苦しいこともいっぱいあったけど。

私の翼は折れてしまったのかしら。

空を見上げてまぶしさに目を細めるだけで、
飛び立つこともできずに膝を抱えている。

紺色のエプロンをして、
毎日同じ道を歩いて、
なんとか義務を果たしている私には、
空はまぶし過ぎるんだ。
でも、目をそらすことができないんだ、そのまぶしさから。

わかってるよ、頭ではね。
頭ではとても素敵なことを本当によくわかっている。
今ここで体験していることは、
私にとっての大切なプロセスであるということ。
あの頃の私よりステップアップしたからこそ、
今の体験がやって来ているということ。
よくわかってる。
実感もしてる。

でもね、心が泣いてしまうの。
キラキラとしていたくて、ぽんぽんと弾んでいたくて。
翼を広げて飛びたくて。

幼い日の私は楽しむことの天才だった。
いつまでもありんこを眺めていたり、
気に入った石ころを集めたり、
木の枝を引きずりながら歩いたり、
オシロイバナの種をつぶして中の白い粉を顔に塗ったり、
雨の味を確かめたり…

私の中のかわいらしいワンダーチャイルド、
ねぇ、私にあなたの翼をちょうだい。
また飛びたいんだ。
あの空に向かって。

この痛みが私を強くする。
明日への捨てられない希望を連れてくる。
だから、歩き続けよう。

「地上のすべてのできごとはよきことのため」

私の大好きなメルマガ「インナーメッセンジャー」の今朝の言葉。
これを読んで胸が熱くなった。





今日届いた私へのメッセージ。

「Osho禅タロット 47・抑圧」

このカードの人物は、まさに文字どおり「すっかりからめとられて」います。
それでも彼の光は内側で輝いていますが、
ひじょうに多くの要求と期待にこたえようとするあまり、
彼は自分自身の活力を抑え込んでいます。
自分を閉じ込めているのとまったく同じ力によって認められることと引き替えに、
彼は自分自身のパワーとヴィジョンをあきらめているのです。
このようなやり方で自分の自然なエネルギーを抑圧することがいかに危険か、
それはこのイメージのふちで今にも爆発しようとしている火山の亀裂にはっきりと現われています。

このカードのほんとうのメッセージは、
潜在しているこの爆発が癒されるはけ口を見つけることです。
まさに今、あなたの内側でつのっているに違いない緊張とストレスを、
すべて解き放つ道を見つけることが絶対に必要です。
枕を叩いたり、飛び跳ねたり、
大自然のなかに出かけて空っぽの空に向かって叫んだり、
自分のエネルギーを揺り起こし、
自由に巡らせることのできることなら、なんでもしましょう。

破局(カタストロフィー)が起こるのを待っていてはいけません。


2009年09月11日(金) おやすみ前のたわごと

書きたいこと、すんごくいっぱいあるのに、
明日も仕事、明日も早起き、そう考えると、
自己防衛モードが働いて(笑)ベッドにそそくさ向かおうとしてしまう。

あれも書きたいんだよぅ。
これも書きたいんだよぅ。
自分の中で旬なうちに書きたいんだよぅ。
でも、もう寝なきゃなんだよぅ。

ってことで、おやすみなさいなんだよぅ。

うまく時間のやりくりしたいな。
好きなことする時間、毎日の中にもっと増えるように。

週末お休みの人も多いのかな。
私は仕事の日が多いっス…(´・ω・`)ショボーン

この日記読みにきてくださっているみなさん、
ホントにありがたいと思ってます!
ありがとう、ありがとう.。゚+.
どうぞよい週末をお過ごしください。


2009年09月10日(木) 今日出会った名言

アンナのために、ダイソーでフォトフレームを買った。
その下の方にこんな言葉が書いてあるのことに、今朝気づいた。

「Life has taught me to think, but thinking has not taught me to live.」

うなった。
な、なんだよ、100円ショップで買ったものに、
こんないいことが書いてあるなんて。
ダイソーあなどれない(笑)

「人生は考えることを教えてくれたけど、考えることは生きることを教えてはくれない」

ま、ざっと訳すとこんな感じだろうか。
深いなぁ、そうだ、本当にその通りだ…

そして、今日の夕方、ふと目について手に取った本に、
こんなことが書いてあった。

「自分がどこにいるのかわからない時がある。
 なにをしたいのかさえわからない。
 こういうとき、ひとはたいていあたまをつかいすぎている。
     (中略)
 まわりからなにかを得ようとしても、満足するものはなかなか得られない。
 探しものは、ぜんぶ自分のなかにある。
 こたえも、ぜんぶ自分のなかにある。
 意識を、うちがわに向けなおそう。
 心をつかおう。
 そうやって、ゆっくり、自分に帰っていこう」
  (「あなたがここにいる理由」Chie:角川書店)

読みながら思わず涙した。
そして、気づいた。
あら…私、結構しんどかったんだ…

ふたつの名言に共通するものを感じた。
私、無意識のうちに、頭ばっかり使ってたのかもしれない。
考えることに縛られていたのかもしれない。

頭で探す答え、でも、考えても考えてもみつからない。
そして、疲れ果てて。
うまくいかないことが多いと感じる日々だからこそ、
焦って、もがいて、頭がフル回転してしまう。

うん、そうだね。
そうだ、頭使い過ぎて疲れてたよ。
くたくただ。

わかってたつもりだった。
感じることがいちばん大切、って。
そして、それができてるつもりだった。
感覚で大切なものをつかむということが。
でも、道をそれていたようだ。

今日はメッセージがいっぱい。

なんだかんだ言って、私達は、
常に大いなる存在から必要なものを受け取ってる。


2009年09月08日(火) 一筋の光

私は、恩師中島勇一先生の無料ニュースレター「H・E・A・R・T通信」を読んでいる。
いわゆるメルマガだね。
それはいつも絶妙なタイミングで配信される。

つらいと思っていること、
うまくいかないと思っていること、
それをどうにかしたいのに、どうしたらいいかわからない、
そんなものへの答えが、はい、どうぞ、という感じで書かれているのだ。

今日も「H・E・A・R・T通信」が届いた。
読んだら、目の前に一筋の光が差した気がした。
先生はすべての人に向けて毎回色々なテーマで書いていらっしゃるんだろうけど、
私や私の周りの問題のことが書いてある!?と思ってしまうくらいドンピシャで、
そうそう、それそれ、そうなの、それなの!と言いたくなる。

私はかつて、セラピストをしながら、
先生のワークショップのアシスタントもしていた。
そこで、学んだこと、体験した癒し、それが私の財産になっている。
ああして癒しを積み重ねてきたからこそ、
不思議な流れで家族のメンバーチェンジが起こったり、
次々と人生に変化が起こってきたのだと思う。

今ではすっかり癒しの世界から遠ざかってしまってはいるけれど、
私の中ではそれはとても大切なもので、
精神世界とは切っても切り離すことができない自分を改めて感じるのだった。

って、言うか、毎日のすべてが実はとてもスピリチュアルで、
そうは見えないものの中で、それを感じ、体験していくことが、
今の私にはとても大切なことなんだと思ってる。
ひとつの大きな学びの機会なのだろうと。

今はゆうゆう窓口で働いているけれど、
いつか、何かの形で、そんなものに触れる仕事ができたらな…
なんて思ったりもするのだった。
未来のことなどさっぱりわからんが。

中島勇一先生のワークショップ「H・E・A・R・T」のサイトはこちら。
トップページから無料ニュースレターの申し込みができるので、
よかったらみなさんもぜひ読んでみてくださいね。

読んでいると、自分の現実、目の前の出来事、あらゆるものが、
ちゃんとした理由があってそうなっているということがホントよくわかって、
それは自分を苦しめるためのものではなく、
心の奥底から発せられるSOSであると同時に、
それに向き合うことによって、人生をよりよくしていくことができる、
そんなことを私はいつも感じる。

そんな一筋の光が差すのを感じた時、
私達は希望という言葉を思い出すことができるのかもしれない。
そして、それが明日への活力になるのだと確信している。

ああ、セラピストってよかったな。
ああいう言葉を読んでいると、
ちょっとやめたことを悔いたりしながら、
セラピスト時代を懐かしく思い出すのだった(笑)
何かが心の奥でざわめいて熱くなるんだよなー。
ま、やめたからそう思えるのだろうし。
続けていたら息切れして倒れていたのだろうし。
手放したものを思い出して、
それが素晴らしかったと思えることが、とてもうれしい。

また、何かを見つけよう、何かに出会おう。
毎日を積み重ねながら。
自分なりのやり方で、一筋の光を放てるようになるように。
平均寿命から考えれば(笑)人生はまだあと半分くらい残ってる。


2009年09月07日(月) 秘すれば花なり、秘さずは花なるべからず

「秘すれば花なり、秘さずは花なるべからず」

友達が好きだって言ってた言葉。
教えてもらって私も大好きになった。
年齢を重ねるごとに、どんどん好きになる。

最近、特に、多くを語らないということの美徳を感じる。
周りの人とおしゃべりをしないっていう意味じゃない。
楽しいおしゃべりは別にいいんだと思う。

私が言うところの「多くを語らない」っていうのは、
口数が少ないって意味じゃなく、余計なことを言わないってこと。
口数が少ないことがそうなら、私なんて絶対に違うもんね(笑)

私が美しいと思う人は、みんな多くを語らない。
言わなくていいことを言わない。
必要なことだけを話す。

その美しさがわかったのは、私が年齢を重ねたからだ。
だから、年齢を重ねるって好きだ。
美しいものが、素敵なものが、どんどん見えるようになる。

言えないから言わないんじゃなく、
言えるけど言う必要がないから言わない、
そんな強さを持てる人でありたいな。

誰も咲いているとは気づかない花でもいい、
ひっそりと、でも、力強く、咲いていたい。


2009年09月06日(日) ちゃんとカビるパン

ウチの家族は近所にあるパン屋さんクレッセントが大好き。
ちょっとお財布にゆとりができると必ず買いに行く。

先日、クレッセントで食パンを買った。
買って4日目の今日、戸棚からパンを出すと、


あ、カビてる…


それを見てすっごく安心した。
だって、そのパンには防腐剤が入ってないってことだもの。
うれしくなった。
普段口にしているあのお店のパンは、
添加物の入っていない安心して食べられるパンなんだ、って。
素晴らしい!

だからスーパーで買うより値段は高いけど、
パンはなるべくあのお店で買いたい。
お財布がさびしい時は、ついついスーパーで買っちゃうけど;

以前、○マ○キのダ○ルソフトを買った時、
うっかり2週間以上戸棚に入れっぱなしにしてしまったことがあった。
しまった!と思って慌てて取り出してみたら、
カビひとつなくきれいなまま。

それを見て「こわい!」と思った。
ソッコー捨てた。
一度口も開けたのに、湿気の多い時期に2週間以上放置して、
何も起こらないほど添加物がもりもりなのかよ、この食パンは、って思って。
それ以来二度と買わなくなった。

私とアンナは、ありがとうとごめんなさいを言って、
カビてしまったパンをゴミ箱にポイした。

カビるってイヤなこと。
でも、当然のこと。
そして、自然の流れ。
手を加えて(添加物)そうならないようにすることもできるけど、
体には決してよくない。

なんか、人生もそうよねぇ、なんて思った。

当然のことが自然の流れで起こった時、問題が起こることがあるけど、
それは、なんらかの原因があって、その結果でそうなる。
それをしっかり認めて、受け入れて、
じゃあ、うまくいくにはどうしたらいいのかな、って考えることが大切。
そうやって人は成長していく。
成長することで、成功し、幸せになっていく。

問題が起こってもそれを見なかったり、
それが起こらないように何かで無理に押さえ込んだりすると、
パンはカビないけど体に悪い、みたいに、どこかで必ず歪みが生じる。
表向きはうまくいってるように見えても、
水面下ではどんどんヘンな方向に行ってしまう。

全部つながってるなぁ。

イヤなことが起こったら、それはお知らせ。

パンのカビであれば、ほら、放置したからだよ、
保存方法がよくなかったよ、もう食べられないよ、って。

生きることに置き換えると、
つらい、苦しいことであれば、ほら、何かが違ってるよ、
よく考えてごらん、感じてごらん、もっとよくなれるよ、って。

私もちゃんとカビるパンのようでありたい。


2009年09月05日(土) リセット

この前のお休みに、約5キロ離れた実家まで歩いて帰ってみた。
そんな気分だったので。
実家の近くのお店で友達とランチの約束をしていたのだ。

カメラバッグをかついで、てくてく歩いた。
通っていた小学校、裏路地の通学路、遠い記憶がたくさんよみがえってきた。
今見るととても狭い懐かしい道を、写真に撮ったり。



そんな時、ひとりのおじいさんが道を尋ねてきた。

「あの、○○はどこですか?」

「その交差点を右に曲がってまっすぐ行くと右に見えますよ」

「ありがとう。
 ところで、あなた、プロのカメラマンでしょう?」

「え?
 いや、まあ、趣味も兼ねて…」

意味不明な回答をした。

「僕は画家になりたくて若い頃にフランスに行ったんですよ。
 芸術はいい、僕は才能ないからあきらめたけど、あはははは」

おじいさんは手を振りながら去っていった。



約束より早く行って写真を撮ろうと思っていたので、
実家の裏のお寺に寄ってみた。

そこでカメラを構えたら、後ろから声がした。

「あのー」

振り返ると、コンデジ(コンパクトデジタルカメラ)を持ったおじいさんが立っていた。

「はい?」

「プロのカメラマンだよね」

「え?」

「あのね、教えてほしいの。
 このカメラね、息子に買ってもらったんだけど、使い方がわからなくて」

あら、同じこと言う人がふたり目。
面白い。
さっきのおじいさんと言い、このおじいさんと言い、
カメラ持ってるだけでプロに見えるのかな。

コンデジの使い方説明したけど、
わからないからもういいと言い出した。

「適当に撮ってカメラ屋に持って行ってプリントしてもらうべ」

うーん、いいなぁ、アバウトで(笑)

待ち合わせの時間になった。
ランチするお店に向かった。
結局、写真撮れなかった(爆)



友達とは数年ぶり。
お店の前で彼女は待っていた。
ふたりしてわぁーっと駆け寄った。

開口一番、彼女が言った。

「郵便局で働いてるってメールに書いてあったけど、
 見えないよね、カメラマンって感じだよね」

あれあれあれ、同じようなことを言う人が3人目(笑)
面白いなぁ。

私達は上げ膳据え膳で和食を楽しみ、おしゃべりで大いに盛り上がり、
また絶対ランチしようね、って約束して別れた。



ほんのわずかの間に、全く接点のない3人から同じようなことを言われた。

これは私を見守る存在からのメッセージで、
写真の道に進むように言われてるんだ…とは思わなかった。

でも、偶然だとも、意味がないとも、思わなかった。
それは、私にとって、ひとつのスイッチだったから。

3人からの言葉は、まあ、私の受け取り方なんだけど、
ただ生活のために毎日をなんとなく過ごしている自分を、
きっぱりと否定してくれたように思えたのだ。
それ、仮の姿だよ、あなたはこう見えるよ、って。
都合のいい解釈かもしれないけど、すごく励まされた。
まだ行く場所があるよ、まだやることがあるよ、って言われたみたいで。

そして、それは私のセルフイメージを変えてくれた。
今の自分から、いつかここではないどこかにいる自分へと。

自分の中で、自分が誰であるかという部分において、
郵便局のおばちゃんが定着しそうになっていたし、
すっかり自分の世界すべてが郵便局になりつつあったけど、
それはプロセスであって最終的には違うことしたいんだよな…
たとえ今はそれが何かわからなくても、どこかに向かって行きたいんだよな…

そんな大切なことをハッと思い出すこともできた。

セルフイメージが自分を作っていくという大切なことも忘れたまま、
望まない自分をセルフイメージとして持って、
いつの間にかそれが自分だと信じて、
信じたからそれが事実となって、
私は混沌の中にいたような気がする。

3人の言葉が他愛のない言葉遊びのようなものであったとしても、
私の内側の世界を大きく揺るがすには十分だった。

そういう意味では光の存在から与えられたギフトだと思っている。

帰り道は、来る時よりもうんと清々しかった。



それからも私の毎日はいつもと変わらず過ぎてゆく。
でも、私の内側は以前とはちょっと違っている。
自分がどうあるか、どうありたいかを、選び直せたような気がしたから。

それだけでこんなにも気分が違うんだね。
ここから始まる何か、感じていこう、体験していこう。

時々人生をリセットする時ってある。
まさに、今も。


2009年09月04日(金) それでも何度も戻ってくるのだろう

自分の言動が恐れや不安に基づいている時、
たとえ、目の前の何かがうまくいったとしても、
恐れていたことを回避できてほっとしたとしても、
心は重苦しいまま。

自分の言動が自分の真実に基づいている時、
たとえ、目の前の何かがうまくいかなかったとしても、
それによって恐くなったりつらくなったりしたとしても、
心は澄んで凛としている。

外の世界からやってくる痛みよりもっと痛いのは、
自分で自分を欺く痛み。

心穏やかでない時、私はいつも本当の私じゃない。
恐れのために、不安のために、どこかでねじれてしまっている。

弱い私だから、何度も離れて、
それでも何度も戻ってくるのだろう。
この場所に。
自分に。
私は私以外の人間にはなれない。


2009年09月02日(水) プライド

人は生きている限り、必ず誰かと関わる。
外に出れば複数のコミュニティで生きることになる。
私もそうだ。

そして、そこでは色々ある。

周りが自分をどう見ようと、どう言おうと、どう扱おうと、
それが、胸に刺さって傷つくものであっても、
なんでもないふうに笑って受け流すことがある。

悲しくて、物陰にしゃがんで泣くことがあっても、
悔しくて、壁をげんこつでドン!とたたくことがあっても、
また何事もなかったかのように振る舞う自分がいる。

そうする人達は、私が傷ついていることは知らないと思う。
彼等のしていることは冗談やからかいだろうし、悪気がないのはわかる。

私は、周りがそうしたくなるようなタイプなのかもしれない。
少なくとも、そうする人達にとってはそうなのかもしれない。

けれど、私にもプライドがある。
そういう人達から見たら笑っちゃうようなプライドかもしれない。
でも、あるんだ。

だから、やっぱり、胸にズキッ…と来る。

今の私にとって、プライドとは、
虚勢を張るためでもなく、自分を大きく見せるためでもなく、
今を強く生きるための杖なのだと思う。
自分が自分を認めるための大切な原動力。
オッケー、それでいいんだよ、って。
誰もほめなくても認めなくても、私がほめて認めるよ、って。

でも、やっぱり弱いね。
時々、くじけそうになる。
ほめてもらう、認めてもらう、そういうものが欲しくなる。

見下されるように感じること、
バカにされるように感じること、
軽んじられるように感じること、
そういう中にい続けることは、結構、キツい。

でも、もちろん気にかけてよくしてくれる人達がいて、
その人達のちょっとした思いやりや言葉が私に力をくれる。

そんなすべては、私の中だけで起こっている出来事。
誰のせいでもない。

ひょっとしたら、自分が身を置く場所を作るために、
自分でそうなるような状態を作ってしまったのかもしれない。
太宰治の「人間失格」の主人公のような、そんな自分になったのかもしれない。
そして、ひょっとしたら、それこそが私の弱さなのかもしれない。

攻殻機動隊の草��素子のこのセリフが大好きなんだよね。
映画の「Ghost In The Shell」の中のセリフ。

「世の中に不満があるなら自分を変えろ。
 それがイヤなら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ」

すべては自分。
人を変えることはできないし、人を替えることもできない。
それなら。
私が変わろう。
周りから見たら全然変わらないかもしれない。
でも、自分の中で起こった変化は、きっと連鎖反応を呼んで、
新しい何かを連れてくる。

それでも、耐え難いほどのものになったら、限界を迎えたら…
その時初めて違う選択をしよう。
私は自分の意思でいつでも自分の居場所を決めることができるんだ。


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