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2002年11月29日(金) |
かくかくしかじか、今は何者でもなし。 |
●ああ、またしても朝まで起きていてしまった。今日は午前中の仕事があるし、あさっては朝から遠出してマチネの芝居を観るというのに……。
作戦としては、今日はまた徹夜明けのまま頑張って1日過ごし、そして早く寝て観劇時間にベストコンディションを……なんて、いつもわたしはこんなことばっかりやってるな。
●ここのところ、仕事で外に出ていない時は、1日中机の前に坐っている。仕事であったり、勉強だったり、読書だったり。昨日なんて、次の芝居で使うダンス曲を楽譜に起こす作業に熱中してしまって、これはもう仕事の必要の範囲を超えていたな。何しろ、採譜作業というものが好きなものだから。
父も母もまったく音楽に関係のない人だというのに、わたしは物心つく前から、音感がいたってよろしい人だった。保育園に通う頃には、自分の歌える曲は楽譜に書けたし、小学校にあがるとあらゆる歌謡曲をハ長調になおして縦笛で吹き、あらゆる歌を3度と5度を交えたハモリで歌い、これはクラスの人気者になる一助となった。主メロを音にして歌い、ハモリのメロを頭の中で想像して歌い、独りでデュエットを楽しむという特技も早くから会得していた。
でもその能力も、ちーっとも開拓しないで生きてきたもんだから、わたしは今のところ、音楽的には普通に分かっている人ってなところ。
●久しぶりに語学学習なんてしてても思うけれど、まったくわたしは演劇にのめりこむことで、あらゆる可能性を潔く捨ててしまったのだなあ。なにせ中学の時から取り憑かれていたことであるし、いまだにそこに暮らしているのだから、仕方ないと言えば仕方ない。
ああ、いつか捨ててしまったものの分も、この道で結実するのか? などと問うても空しいので、「何者でもない、何者でもない」と呟きながら、この道を行くしかない。
2002年11月28日(木) |
なんにもない毎日でも、いろいろと思うことはあったりする。 |
●昨夜は20年来の芝居仲間と久しぶりに食事。今夜は恋人と食事。フランス料理に続き韓国料理。金もないのに、外食続き。なぜ、と問われれば、そこに人がいて、食べることを共にするときの空気と、具体的に言ってしまえば、そこで交わされる会話が好きだからと答えよう。金銭のことのみならず、後先考えないで行動する資質は、きっと一生変わらない。そこにわたしの時間を美味しくしてくれそうな匂いがある限り。
●ひたすらに本を読んでいる。かつてのように日記のタイトルに記していけば、よい記録になりそうものだが、記録を越える勢いで読み飛ばしている。
アンリ・トロワイヤのチェーホフ伝、これは実に面白かった。サハリンに行ってみる、編集者とつきあう、女に惚れられる、自己弁護をする、自己に懐疑心を持つ、そういったあらゆる人間的なことは、小説だけ読んでいただけでは味わえない。もちろん他者の手になるフィクションに過ぎないのだが、それを承知していても楽しめる。
久しぶりに読み返すグリム童話。幼かった頃、あまりに理不尽な話が多いので、つまりは心の曲がったものがハッピーエンドの物語の主人公になるとか、心の美しいものが幸福になれないとか、そういうことが解せなくて、えんえん泣いて母を心配させたことがある。
今読み返しても、基本は変わらない。なぜこんな物語が生まれたかと探る心の底には、人間の善悪に関して人生は公平であってほしいという、単純な理屈がある。
現実がままならないのなら、せめて物語は、などと思うのは、嘘。
実際わたしは、グリム兄弟の集めた物語たちの解せなさが好きだ。当たり前な勧善懲悪の童話集など大人になって誰が読むだろう。
じゃあどんな物語を求めてるんだ?
あらゆる物語。
と、わたしは答えるしかない。
英語で読む、愛するレイモンド・カーヴァー。村上春樹氏独自の翻訳文体でしか知らなかった物語が、違った顔を見せ始める。平易な平易なことばの中に、人と人の、人と社会の、間に存するおかしみ哀しみが埋もれている。翻訳された日本語より英語で読む方が平易だと言ってもおかしくないくらいのことばたちの中に、わたしの求めている物語が埋まっている。こういうのはもちろん、先ず日本語で熟読させてもらえた恩恵の上に成り立っているのだが、それにしても。
生きていくのがいかに簡単で、いかに難しいかということが、そこに現れている。ことばという、いちばん大切なツールの中に。
●来年の仕事のための英語学習は細々と続いているが、若い頃の学習に比べるとかなり楽しめる。ことばあっての人間、人間あってのことば、ってなことを分かってきたからだろうか。
●恋人がフランスに行ったとき仕入れてきた、日本語を学ぶフランス人にまつわる笑い話。
「どんより」ということばを使って文章を作りなさい。
→「うどんよりそば。」
いいなあ。これはおかしい。相当おかしい。「饂飩より蕎麦。」
「どんより」に呑み込まれてしまった「飩」に悲哀さえ感じる。
そう言えばテレビ番組で、海外で日本語を学ぶ学生が、日本語を使って寸劇を演じているという場面があって、オーストラリアの学生がプラスティックのかつらをかぶって時代劇を演じていた。
待ち娘に「よいではないか、よいではないか」とせまるお代官さま。待ち娘は懸命に助けを求め逃げまどう「そーれー!」
ほんとに、なんでそういう時、「あーれー!」って逃げまどう決まりになっているんだろうね。いやあ、おかしかった。
わたしも、英語学習ロシア語学習の中で同じような間違いを犯す自信は、たっぷりとある。けっこう楽しいんだ。知らないことば。よその国の人たちが、それによって暮らしている、ことばたち。
今夜、韓国料理の店にいて、どこぞのCS放送なのか、韓国のTVドラマが日本語の字幕つきで放送されていた。
家を飛び出してしまった女房を、自分でちゃんと探し出し連れ帰りなさいと、夫である息子に父親が説得している。夫である息子は答える。
「彼女は自分の足で出ていったんだから、ぼくには連れ戻せませんよ」
これって、きっと直訳なんだろうな。なんだかわたしは、このことば、ぐっときた。
時間と能力があれば、世界中の言語を学びたい、なんて思ったりもする。
●昨日は打ち合わせばっかりの1日で疲労することしきり。おまけに帰り道、空きっ腹で日本酒を飲んだものだから、帰宅と同時にベッドに入りたい気分。で、まだ日付が変わったばかりなのに珍しく早寝しようとベッドへ。
●ベッドの友に選んだのは、久しぶりに宮部みゆき。ずいぶん前に読んだ「火車」。もう発刊から10年もたっている。
読みはじめると止まらず、結局ベッドの中で朝まで読書。昼前に起きだしてすぐに続きを読み、終えたのが午後3時。まったく、仕事が休みだとわたしはすぐにこういうことを自分に許してしまう。休みだと言っても、家でやる仕事をたくさん抱えているというのに!
●それにしても、「火車」は心に響いた。10年前読んだときにはカードによる借金に翻弄される人々へのシンパシーと物語自体の牽引力で一気に読んだ記憶があるが、この度は違った。
人々を疲労させ、生きる意味を見失わせ、間違った道を選ばせる、この世に蔓延する「不公平」と呼ばれるもの。
生まれた場所、生まれる家庭。そんな自分で選び取れないものから、人生の様々な転機における選び間違い、出会いの不幸。または、生まれた国の政治や経済の仕組み自体。
●今年のはじめ、わたしは4ヶ月間仕事をせず、日々読んだり考えたり書いたりの暮らしをした。忙殺され本質を見失っていると感じていた劇場の仕事を休んでみた。
最後の1ヶ月、すっかり貧乏になったこともあって、1ヶ月デパートのジューススタンドでアルバイトをしてみた。現在の仕事では絶対出会えない出会いがあった。理不尽に間違っている雇用者。学歴がない職能がないというだけでただひたすらに働く被雇用者。親しくなってみると、そんな女の子たちが如何に一生懸命生きているかが痛いほど見えてきた。自分の人生を輝かせたいと強く強く願うのに、その方法が分からず、何か道を提示されても怖くて後込みしてしまう女の子たち。夢見る女の子たち。
まず彼女たちのことを思いだし。
さらにさらに、たくさんの人の顔を思い浮かべた。モスクワでわたしを威したくさんのドルを巻き上げた白タク兄ちゃん。
一度は「身ぐるみ剥がされる!」と心臓が止まりそうになるほどわたしをすくませた男も、結局はドルをなんとか手に入れたい、一生懸命生きる人にすぎない。
最悪の手段でドルを巻き上げた後はすっかりフレンドリーなお兄ちゃんに早変わりし、「今日は最初の出会いだからこんなことになったけど、次にモスクワに来るときは最高のドライバー、最高のツアーガイドになってあげるから、絶対電話してね」といったようなことをまくしたて、わたしの手帖に自分の住所と携帯ナンバーを残した。
襲われた劇場にいた人。襲った劇場で死んだテロリスト。
拉致という信じられない運命に巻き込まれた人。彼らを待つことが人生になった人。
新聞を広げると、そこは不公平の吹き溜まりだ。大事にしている海に油が突然流れてきたり。税金を払いすぎていたり逃れていたり。病気の人がいたり健康な人がいたり。愛する人が亡くなったり、人を殺したいという欲求を持つ人がそこここで生まれていたり。
なんだか書き始めるときりがない。
●宮部みゆきの小説は、カード地獄のことだけを書いていながら、わたしに世のあらゆる「不公平」を思い起こさせた。小説の力。
でも、こういう読書のあとは、もっともっと超越した目を持つ作家の本を読みたくなる。自分が生きている時代の刹那的な不幸を通り越して、「人として生きている」ことの根元的な喜びや哀しみを見る眼差しを持った作家たち。
さて、わたしは今日どんな作家の本を手にするのでしょう?
でもその前に、仕事をしなきゃなあ。
●演出家が別カンパニーの海外公演に行くため、しばらく稽古は自主的なことのみ。わたしもいくらかのんびり過ごせる。とは言え、打ち合わせ続きで、相変わらず家での仕事は続くけれど。
●久しぶりに家にいてゆっくり出来たので、読まずにたまっていた新聞を一気読み。大体読むのは、天声人語を含む1面と(朝日をとっているので)、国際面、文化面、社会面だけ。隅から隅まで読むのも思いがけない拾いものがあったりして好きなんだけど、いつもそんな時間はとれない、残念ながら。
●わたしがモスクワに行ったと思ったら、あのテロ事件が起こり。日本ではずいぶん色んな人があれこれと心配してくれていた。業界の人は「あいつはミュージカルは観に行かないだろう」というアバウトな理由でさほど心配しなかったらしいが、恋人はそうもいかなかった。
手に入る新聞をすべて買ってきて読んだのに、肝心の、一番知りたかった劇場の名前を、なかなか知ることができなかったらしい。結局、劇場の名前を正確に載せていたのは、日経だけだったそうだ。
情報は同等につかんでいるはずなのに、何を伝えるかは新聞社にかかっている。日本人が被害者にふくまれていないということで、詳しく伝える必要なしと判断されたのか?
彼はそれから新聞というものとのつきあい方が変わったと言う。
モスクワで事件の推移をテレビにかじりついて見ていた時。わたしの中にはどんどん疑問符がたまっていった。
解毒剤を用意しないままに毒ガスを使用した突入劇。そのせいで、被害者の多くが命を落とし、また多くが病院で生命の危機に瀕していた。そんな中、プーチン氏が病院を見舞う。誰も彼もが笑顔を作って彼に接する。「救ってくれてありがとう」と。誰も彼も。その映像が一日中繰り返し放送される。悲惨な死に様を晒しているテロリストの死体のアップ映像と共に。
作為を感じざるをえない。見る者を何処に導こうとしているかが分かりすぎるほどに分かる報道だった。
個として正しく判断する前に、正しく情報を受け取りたい、と、つくづく願う。他者に勝手に色づけされていない、無垢の情報を。
●朝方恋人から、ヨーロッパより無事戻るの電話がかかってくる。夜は一緒に食事を、という話だったのに、なかなか連絡がない。電話してみるとすっかり寝込んでしまったようで、うだうだと寝ぼけている。
でも、近い空の下にいるというだけで嬉しい。
ものすごーく緊張して、ものすごーく期待して、稽古初日を迎えた。開けてみると、「おい、おい……」って言いたくなるような、悲惨な出来。
さて、ここからどこまで行けるか。
ここから仕事が始まる。
●明日から新作の稽古。準備に忙しい。いくら準備しても、何か欠け落ちているのではないかと不安になる。もっと勉強しておくことがあるはずだとあせる。現場が始まってみなければ分からないことばかりだと知っていても、何か落ち着かない。稽古初日前はいつもそうだ。
●キャスティングをする。台本が出来上がる。稽古初日を迎える。通し稽古をはじめる。劇場に入る。初日を迎える。千穐楽を迎える。
だいたいそんなサイクルを、何度も何度も繰り返す暮らし。
わたしはこの生活が、とても気にいっている。
ずっと劇場に暮らしたい。
モスクワから帰ってきて、今まで当たり前だと思っていた暮らしを、実に新鮮に喜べる。
2002年11月18日(月) |
書き写すっていう作業。 |
●この歳になっても、時々、自分にびっくりすることってある。
このところチェーホフの「黒衣の僧」という短篇にいれこんでいて、何度も読み返して研究していた。でも、ただ読んでいるだけでは、研究行為としては物足りないというかパンチに欠けるので、思いついて全文書写してみることにした。
写すという行為は、読むことと全然違う。やってみて発見した。これはもう蕎麦とスパゲティくらい違う。右脳で生きてるわたしと左脳で生きてるわたしが混じりあっていくみたいでもある。
一語一語を、文節文節を、キーボードに打ち込んでいくうち、ただ読んでいた時とまったく違う世界が構築されていく。同じ物語なのに、自分の中に堆積していくモチーフが、思わぬ呼応をしあったり、なんでもなさそうな細部が大きな意味を持ち始めたりする。今まで当たり前のように読に流していた描写が、特別なものとして鮮やかに像を結んだりする。
寝食を忘れて没頭。最後まで写し終えると、なんと朝10時になっていた。12時に最初の現場に行く予定だったから、一睡もせずに外出。二つの現場で8時までたっぷりと働いた。でも、すっごい元気だし、集中力もある。
わたし、どうしちゃったんだろう……。今もまだ、興奮状態。
書写という行為には、何かあるな。今度は手書きで、何か写してみようか。
●しあさってから、これから3ヶ月つきあっていくことになる新作の現場に入る。初日の読み合わせにメインキャストのNGが入っており、アンサンブルで入っている若い女優に、「代役お願いね」の電話をいれる。
「本当ですか? ありがとうございます!」と、浮き立つ彼女の心が、びんびん伝わってくる。
たった1日の代役でも、彼女には大きなラッキーチャンスであり、喜びだ。
俳優って、本当に大変な仕事だけれど、こういう時、いいよなって思う。人生をたくさん生きることの出来る、稀有な商売だ。うーん、いいよな。
●今は次の仕事の準備期間。まだ現場に入るまでには時間があると思っていたら、なんだ、もう1週間もないんじゃない。時間のある内にやっておくべきことが山積みだったので、やおらあせり、机の上に本を積み上げる。
●もういい歳だから、そろそろ自分の作品を創る時期にきているわけで、その種を見つけたり水をやったり、という作業が必用。気になっていたものを読み直しながら、自分の見たいものを夢想する。
●来年はロンドンで大きな仕事がある。自分のあまりもの英語力低下に愕然としているわたしは、久しぶりに英語の参考書を開いている。18歳の頃、あの頃、これでもかと言うほど覚えていた単語は(もともとわたしはがむしゃらな作業に向いていたので)、何処へいってしまったのやら、忘却の彼方。空しい。
それでも、外国語の勉強が、コミュニケーションへの熱き欲望から始まるというのは、日本語以外に興味のなかったわたしにとっては嬉しいことだ。まあ、どこまで取り戻せるか、それも、英語を話す機会のまったくない生活で。
●なんだ、旅行を回想してる暇なんてないじゃない。うーん、まだ先へ先へと急ぐことしか叶わない、発展途上のわたくし、といったところか。
●それにしても。恋人不在の時間を、ひたすら勉強して過ごすなんて、わたしも面白みのない女だな。
とも思えるし。
こんな時に、時間を忘れてやることがあるわたしは幸せ。
とも思えるし。
まあ、何にしろ時間がない。少しでも、先へ先へと進んでいこう。
●恋人が、ヨーロッパに向けて飛び立った。別居をしている奥さんが、病気になってしまい、看病にいくというのだ。今日発つのだということはすでに一昨日から知らされてはいたが、発ってしまったのだと思うと、意味なく胸が痛む。
●自分に巣喰うマイナーな感情の中で、わたしは、嫉妬という感情が最も嫌いだ。それに襲われそうになると、バランスが崩れる。襲われまいと拒否反応が出て、心が乱れる。今日も、「かつてともに暮らした人の面倒も見れないなんて、人として駄目でしょう?」と自分に呼びかけ続けた。
●昼間は仕事の合間を縫って、一緒にランチをとり、しばしのお別れを。場所がふだん寄らない場所だったので、飛び込みのイタリアン。
食べること飲むことに、時間とお金を惜しまないわたくしたちであるからか、これが実に当たって、彼などは「今年食べた中でいちばん美味しい料理かもしれない」と頬をゆるませていた。仕事の合間であるものの、白ワインをデキャンタで。昼間飲むとまたこれがよろしい。お互いに好もしく思う人と食事を囲むことほど幸せなことがあるだろうか、と、こんな瞬間に、わたしはいつも思う。
これは絶対、仕事で得る喜びと等価だ。つまり、このささやかな人生に於ける、最上級。
●彼が旅に出る時、わたしはいつも本をプレゼントする。読んだって読まなくったって、旅に連れていく本というのは、大事なものだ。
今日のチョイスは、わたしの生涯の愛読書、ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」と、トルストイの「クロイツェル・ソナタ」
後者は、奥さんを訪ねていく恋人に読ませるような本では、決してない。そしてまた、わたしは当てつけにその類の物語を読ませようとする人間でもない。なんだか、手にとってしまったのだ。本というのは、いつも向こうから呼びかけてくるものだから。
●理由がないわけではないな。昨日からわたしは未読だった、トルストイの「戦争と平和」を読み始めているから。
モスクワでは見れなかった、話題の演出家フォメンコの作品が静岡に来るというので、近々見に行くことになっているのだ。その演目が「戦争と平和」。これはやはり、読んでおかないと。
それにしても、こんな作品を一度きりの人生の内に書き上げてしまう人がいる。かつていた。その事実が、わたしをへこませもし勇気づけもする。自分の過去を思えばへこみ、未来を思えば勇気が湧くわけだ。
「カラマゾフの兄弟」体験を果たして越えるかしら? それにしても、わたしはこうやって、いつもいつも物語に救われて暮らしているな。
●今日から少しずつモスクワでの体験をことばにしていくつもりだったが、どうこう言っても、やはり胸にぽっかり穴が空いていて、とても無理。
そのかわりに、ロシアの朝夕の空を回想し、Etceteraにアップした。
2002年11月13日(水) |
モスクワ滞在の記録。 |
●10月22日から11月2日まで、予定通り、ロシアを訪れた。モスクワに9日間、ペテルブルグに3日間。
22日、モスクワに到着しホテルの部屋に落ち着いたのは22時過ぎ。モスクワの街を歩き始めたのは23日のことで、この23日に、チチェン人による劇場占拠事件が起こった。そしてわたしは、この夜、事件現場のすぐ近くにあるタガンカ劇場で芝居を観ていた。
モスクワを訪れようとした理由はただ一つ。毎夜劇場を訪れるためだ。毎日50本くらいのストレートプレイが上演される、世界でも稀な劇場の街、モスクワ。その街で、1日目にあの事件に出会ってしまったのだ。
滞在中はずっとあの事件に心を占められて暮らした。
プロになってから数えても、劇場を自分の居場所として暮らし始めて、もう22年になるわたしであるから、何か自分の生きている足場がぐらぐらと音を立てて崩れてしまうような、あって当然の地面が柔らかな殻のようなものに変貌してしまったような、不安な気持ちでモスクワを歩き続けた。
●帰国してからすぐに仕事に追われ、ここにきてようやくゆっくりと自分の時間を持てるようになった。記憶の鮮明なうちに、あのモスクワでの時間をことばにしながら追想し、自分のうちに留めておきたい。少しずつ、ゆっくりと。
警官の詰めた劇場で観る芝居。事件の悲しみを吹き飛ばすかのように、笑いと喜びに溢れた劇場。上演中止の貼り紙を見て、劇場をあとにする夜。悲劇に巻き込まれてしまった人々の顔、テロリストたちの顔。どうしても不幸へ不幸へと道を選んでしまう世界。
上演中の劇場が、襲われるということ。
●●HPの写真雑記ページEtceteraを復活。旅行でほとんで写真を撮ることをしないわたしが撮ってきたわずかな写真をアップしながら、こちらではテロ事件を離れ、楽な気持ちで旅行を書きとどめようと思っています。