不信のとき
2006年09月23日(土)
最終回を見た。有吉佐和子氏原作の小説がドラマ化されていたのを知ったのもつい最近のことで、テレビドラマはほとんど見ないので、何をやっているのかすら知らなかったのだが、物語の終盤にさしかかった頃に友人から聞いていたからだ。
もっとも友人も、まず初めの二回だけ見る。米倉涼子が演じる主人公がとても可哀想な役回りで登場するも、そこは米倉涼子だけに、きっと何かあるのだろうとふんでしばらく見ずに、頃合いを見計らってまた見始めると、ドラマは佳境にさしかかり、案の定期待通りとなっていて、そこから本腰を入れて見るという、小説で言えば斜め読みの味わい方である。毎回テレビの前に鎮座して見るほどの余裕もない私にとっては、類友な彼女のこの話を聞いて、では見てみようかなという気まぐれだった。
だから私が見たのは最終回だけ。最終回はもうマトメの部分なので、そこまで行くと斜め読みどころか解説を読んでいるような気分がなきにしもあらず、イマイチ緊迫感には欠けたらしい。もう一話前の週は見られなかった。
この小説のことは、このサイトの読書感想文にも載せているのだが、友人から聞いたドラマの方の筋書きとはかなり違う。テレビ的に膨らませたり、時代背景が違うのだから無理もないが、有吉さんの言わんとするテーマは、私が見た限りは家政婦役(?)の杉田かおるが一番近い状態で言っていた。
彼女の役は、ふと、小説の中にあの登場人物がいたのかな?と思ったのだが、狂言回しが必要なドラマの進行だったのかも知れない。かなり無理があるストーリー作りだったようだ。と言っても、演じているのがあの杉田かおるなのだから、全くもって、ああ、杉田かおるが演っているという印象の方が強くて説得力はなかった。
結局のところ、既婚の男があちこちの女に手を出して、最後はその報いのように、様々な不信感に埋もれて一体何が真実なのか解らないまま、実にセツナクも哀れな死に方をして行くわけだが、(小説では確か死なない・読み返したわけではないけれど)そうして簡単に殺してしまうのも何だか面白みがない。小道具が子どもである以上は、死以外の罪と罰が欲しかった。それは、誰の上にもである。
ドラマのキャッチが、あなたは妻と一緒に見られますか?というのだったらしいが、そもそも一市民が、退職金の前借り(らしい)で、愛人には二千万円あげてしまうことが出来たりとか、更にそれを黙認する太っ腹な妻の方は、いくらだか知らないが多額の保険金を手にして、遺族年金など貰いながら一見優雅にやって行くわけで、どちらも幼さな子を抱えて路頭にも迷わず小綺麗なその後があったりすると、正妻と愛人の女の意地など見えてはこないし、金銭面で大抵の男は甲斐性なしで関係ないから、誰とだって見れるでしょうと思う。この辺りが、原作と現代の違いかも知れない。
その上で、妻と愛人の分はどちらも譲らない自らの存在価値と幸せを主張し合って、最後は何だか平行線のハッピーエンド模様。あたしはあたしでアナタはアナタよと双方納得自己満足の世界なので、子供は無心、大人は不信というお終いのナレーションが胡散臭くしか聞こえなかった。
時間とお金かけて名作をドラマ化した割には、面白くなかったような気がした。(最終回だけしか見ていないけれど)
ああ、それにしても、米倉涼子も松下由紀も、涙が流れるところでは後から後からほろほろと、あるいはぼうぼうと自然に流れるかと思えば、抑えるところではきっちりこらえているような演技には関心の極み・・・。
ところで、ストーリーの初めの方では、高岡早紀が浅井(ヒロインの夫)の子を産んだという元愛人の役で出ていて、それが実に意地悪で残酷な女なのだそうである。個人的に高岡早紀を好きなわけではないが、そういう女の役がとても似合いそうで、見てもいないのに多分役者の中では最も適役ではなかったかと思う。表面的に汚れたり自堕落になりながらも、内面の奥の方に、汚れきれず自堕落になりきれない葛藤が垣間見えて、崩れきれない綺麗さには彼女ならではの迫力があると思う。彼女はプライベートで離婚して以来、そんな役どころが増えた気がするが、それは天性なのかしら。
主役の米倉涼子は、友人が言うようにどんなに清楚にしても、何かあるに違いないと思わせてしまうところでもう相応しくはないと思う。素顔のようなメークに飾り気のない井出達をしてあたかも貞淑そうに目力を少し引いた表情はおかしくはないのに何かが違う。そうした役なら山口智子ではないかと思う。
外見的に粋でない愛人役の松下由紀は、愛人に相応しくない。(と、どんどん辛口に・笑)徹底的に粋ではないのだもの。
では、少しも良いところがなかったのかというと、一つあった。石田純一である。彼のことは以前、固ゆで卵の中身というのに書いたのだが、相変わらずつるんとのっぺりと何のとっかかりもない固ゆで卵の中身のようである。(外見がという意味で、断じてハードボイルドという意味ではなくて) 結婚生活、浮気ばかりしてきた男の役で、結婚式の仲人をやる時に(私はこれだけで噴きだした)、妻に徹底的にコケにされている場面を見るに、あれほど適役はないかと思えたのは、彼は極めて健康的にわが役者道を精進したのであろう。 有吉佐和子さんには不本意に違いないと思うが、彼さえいれば、不信のとき そのもののドラマであった。
着物
2006年09月15日(金)
友人の着物はものすごく素敵だった。 生地でみたときはそれほど感じなかったのだが、出来上がって友人が羽織ってみるとすっごくいい。 粋という言葉がよくにあう。友人の顔立ちもあるのだろうがあの柄をなかなか着こなせるものではないと思う。また胴裏もあつらえてもらったので、表の着物の色で作られている。そしてワンポイントの模様。裏を見せながら歩いてほしいかんじ。
着物はチラッと見えるところに気を配ると粋になる。 胴裏の色は着物をいかに引き立てるか重要なポイントだ。
もう一人の友人は胴裏にワンポイントでウサギが飛び跳ねている絵が描かれている。 一瞬見えるか見えないかの世界にちょっとばかり遊び心をおく。
なんか好きなんだよね、こういう遊び心。 8/4
2006年09月23日 色 先日友人が染めに出していた反物が染め上がったということで、一緒につれていってもらった。
染める前の白無地の時も何色に染めるかということで一緒についていってしまった。 其のとき友人がこの色がいいと手にした色は私としては・・ちょっと地味ではないかしらんとひそかに思っていたが、お店のご主人がいい色と太鼓判をおしていた。 数センチの色見本では反物全体が染め上がった感じが私では想像できなかった。
数センチの色見本はかなり濃い目にみえるから出来上がったらもうちょっとくすむのでは思っていたが・・・
出来上がった反物をみて驚いた。
な、なんと美しい。無地をそめたので地模様が白のときは目立たなかったが、染めることによって地模様が浮かび上がり、微妙な凹凸が光の反射で光沢をだしたりけしたり。
ああ、こういう色になるんだといい勉強になった。
反物を染める人もすごいな、普通は色見本で何番とか打ってあるものを見本につけて出すけれど、この時はたしか、お店の人がはぎれのような色見本を箱のなかから取り出して白の反物のうえにおいて、これはどう?あれは??とおいていって、其の中から友人がこれといって選んだと思った。 だから、どうやって染めるのだろうとおもったが、やっぱりプロなんだね。
このいろ、紺系統なのだが、なんという色になるのだろう。深みがあって鮮やかで。
よっぽどこの色が気になったとおもう。其の夜なぜかしら、この色を探している夢をみた。
いろいろなお店や、花を見てこの色じゃないもっと深い色だったとか、もっと紺が強いとか、探し回っているのだ。
結局見つからないで夢は終わったが・・・色をさがす夢なんて見たこともなかった。
たぶん、自分が想像していた色とだいぶ違ったからちょっとしたカルチャーショックだったのかな。
私は鮮やかな色が好きだがあまり着ない。着物でも洋服でもちょっとくすんだ色をどうしても選んでしまう。 顔にあてるとやっぱり鮮やかな色は似合わないのだ。
むかし、結婚するときに色無地を作って其の色がピンクだった。この色はちょっとね、姑が其の色を好んだからだけど、やっぱり私には似合わない。 今、この色無地をどうしようか悩んでいる。 従姉妹の娘がこの色を気に入っていて、とっておいてというけど、この娘はいつ着るんだろう??まだ小学生なのに・・・
とっておいてももう絶対に着ないから染め替えようかな。
この花の色も好き。藪蘭(斑入り)ユリ科。
チビの関節は柔らかい
2006年09月13日(水)
 兄の家のトイプードルの『はな』。この子は一才と四ヶ月くらいでしょうか、成犬です。 ちびっちゃいのでやんちゃなのですが、大人しいワンコです。 このようにして、袋に入って吊り下げられていても大丈夫。 おんぶする袋なんかあって、背中で大人しくもしています。

少し前に、妹『サリー』が出来ました。といってもこちらはスタンダードプードル。 全く同じ色をしているので、散歩をしていると親子と間違われたりもするようですが(まさかね)こちらの方が一才若い。 日本ではスタンダードプードルは珍しいのでひと目を引くようですが、こうして寝ていると、スヌーピーを彷彿とさせます。

これは夏のキャンプの画像。 並んで写すと、大きさの違いがわかりますね。 水が透き通っていて気持ち良さそう。
『はな』がテントの周りをくるくる走り回っていると、お隣の方が「可愛い〜♪」と。 その後テントに戻る『はな』。 次に飛び出して行ったのが大きな『サリー』
お隣の方、「あらっ!大きくなっちゃった!!」
ぎょっとしていらしたとか。 って、その話を何度聞いても笑えて笑えて。(笑)

身内の犬馬鹿ですみません。(笑)
夕べがあり、朝があった。第一の日である。
2006年09月11日(月)
ひとは誰でも幸せになる権利がある。今更なことだが、そう思う。 若い頃は、これが幸せだと思える方向に向かって、がむしゃらに突き進むことが出来たように思う。自分の中の何かを信じて、失敗というものもそれほど恐れず、回りのことより自分のことを最初に考えていられた時期というものがあって。
ふと気がつくと、色んなものが身の回りには付随するようになっている。付随というのは御幣があるけれど、自分自身の生み出したものや、立場だとか責任だとか、おいそれとは放り出せないようなものたち。動くことによって、影響を与えてしまうものたち。
そんな中でも、何が幸せか、何が不幸か。自分を悩ませるものや苦しめるもの、そうしたものと対峙する中で、どんどん自分を見失い、ある時取り戻そうとすると、はるか遠くへ来てしまっていたりすることに気がついて愕然とする。
岐路に立ち、いくつかの選択肢の中から何かを選んで決めて行く。選ぶということは、すなわち他の何かを諦める、あるいは捨てることだと気がつく。理性をひとつに絞ることは出来ても、感情は決してひとつではないし、意図的に生まれるものでもなく、殺せるものでもなく。自分の中に生まれるさまざまな感情を自分だけは絶対に見逃さないし、そこから逃れることも出来ない。
割りきるということは、実は見逃してはいないけれど、突如現れては苦しめる感情を封じ込めることでもあると思う。自分だけが知っている、出来れば芽生えさせたくはない気持ち。でも芽生えてしまうから、その影におびえる。それを割りきるという形で先に封じ込めて蓋をする。
そこにあるものは、本来はあるのだけど、なかったことにしてしまう。封印。そんな風にして、それ以外の心で進んで行かないとどうにもならないことがある。守るためには捨て去らなければならないものもあるのだ。 ようやくその場所へ到達するまでがとても長くて、心の揺れ巾が大きければ大きいほど、苦しくて辛い感情が真っ黒な雲のように心を覆う。その時その時、前の見えない霧の中で、蔦や蔓に絡まれているような感覚。ともすれば、そのまま出ては来られないような、何ものかの誘惑。抗えば抗うほど、苦しさが増して、眠りについたら二度と目覚めたくはないようなそんな心境。
長い長いトンネルの中で、光りの見えない真っ暗な道を何とか生きていく。ある日ある時、何らかの地点に辿り着き、ようやく少しだけ楽になる。その時には、芽生えさせたくないものには、しっかりと封印をしていて。
そんな風に過ごす日々は、永遠に時が止まったかと思えるほどに長くて、それでもまだ時計の針は動き、少しずつ前へ向かって歩き出している。狡猾に、あるいは頑なさを増して。
ぴかぴかモードのだるだるくん
2006年09月10日(日)
素足に白いデッキシューズが大好きで、私にとっては夏の定番ともいえたのですが、最近はとんと見かけなくなりましたね。今まで履き古していたデッキシューズは、洗いすぎて内側がぼろぼろに傷んでいたのですが、これは、ある日ある時ある所でみつけた物をある大切な人が買ってくれた大切な夏の贈り物。
白いキャンバス地は、漂白剤をかけるとかえって黄ばんでしまうので、汚さないように履くのは難しいところがありますが、真っ白なものを真っ白なままに身につけている時のちょっと気を使った感じがとても好きです。
9月初めの公園には、もうちらほらと葉が落ちていて、こうしてみると秋そのものですね。びぃーん!っびぃぃーん!!と集団で喧嘩を売っているような蝉の声は聞こえなくなり、つくつく・・・もういいやーもういいやー。という鳴き声がしています。真っ白なデッキシューズを、日差しがとても強くて、おまけに逆行になっているので、日傘で遮って写してみましたら、思いのほか綺麗に撮れたので載せてみました。
昨日の午後はリビングのワックスがけをしました。家というのは住む人間の心の在りようを如実に語るような気がします。心に憂いのあるときは、日頃の家事がついなおざりになってしまい、細かなことまでは気が回りません。気が回らないというより、気がついているのに気にしなくなってしまう。その積み重ねがだんだんと部屋を汚していくようで、悲しいかな、知っていながら目をそらしているような日々。リビングは、一日のうちで一番いる時間が長くて一番寛げる部屋にしておきたいのに、その場所が荒んでいると気持ちはより休まらないのに、表面的な掃除はするものの、床を磨くことまではやる気になれないし、とても出来ないと思えてしまう。
そんな床を、あるいは自分を毎日眺めながら、いつか少し落ち着いたら綺麗にしようと思っていました。それが昨日ふと、その気になった。本音を言えば少し逡巡しました。面積が大きい部屋は、それなりの家具もあり、ワックスは塗り残すとムラが跡になってしまうので、家具を全て移動しなくてはならないし、塗るだけなら簡単なことですが、その前にせっせと拭き掃除があります。どちらかというと、家具の移動と拭き掃除の方がメインな作業ですから、体力的にどうかしら?なんて思ったり。
でも、今まで放り出しておいたのを詫びるような気持ちで体を使うことを自分に課して、洗剤で丁寧に拭きはじめると少しずつ、体の中から何かが落ちて行くようでした。だんだんと、腕が笑い膝が笑い、日頃使わない筋肉が驚いたように反応しているのもおかしかったです。結局、どこもかしこも4度塗りという、いまだかつてないほどの丁寧さで終わったのは午後7時。
日にちを見てそのつもりでいたわけではないのですが、一回ごとにワックスが乾くのを待つ時間に、この部屋も模様替えを。昨日という日はそんな日だったようです。すぐにはどなたもお気付きになられないかな、と思っていたら、早速、柊さんと ellie さんとからメッセージが!やはり、こんな時、女は女同士の視点で見てくださっていたことがとても嬉しく、そして心強く、この部屋を続けていて良かったな、と心から思いました。本当にありがとうございます。
今日は全身が痛くて(笑)起きた時からすでに疲れているような感じのだるだるモードですが、女は構わなくなっている自分を見るのはとても嫌なものですから、少し取り戻せたかなと嬉しく思っています。 今は、光る床に自分が映っています。
石焼きもも
2006年09月08日(金)
秋の一日、元町の岩盤浴へ行ってまいりました。 ホテルの1フロアーを使った贅沢な空間で、天然の45度〜50度に温められた鉱石(貴宝石)はベッドの形をしていて、その上にバスタオルを敷き、うつ伏せで5分、仰向けで10分。 ベッドサイドにある時計とにらめっこをしながら、たらりたらりと汗を流します。
その後、10分休憩。 涼しいところで、たっぷりと水分(貴宝水)を補給して、再び中へ。同じ事を全部で三回繰り返します。石から放出される遠赤外線は、体の芯にまで届いて高温サウナのような息苦しさもなく、マイナスイオン効果満点。
ただし、うっかりバスタオルから足が少しはみ出したら熱いのなんの。人間石焼きビビンバになりそうなくらい。
最初にかく汗は、体の老廃物だとか。 これが相当な量なのです。 私は、もともと夏場でも体には滝のような汗が流れているのに、顔には汗をかかず、涼しい顔と言われるのですが、今回は違いました。
と言っても、顔にかく汗はとても細かくて、仰向けで寝ていると流れてきたりはしないのに、触ってみるとまるで霧を噴きつけたような細かな汗が顔一面に。びっくりですね。
備えつけのピンクの着衣が、出てみるとものすごーく濡れているので驚くんです。こんなところにもあんなところにも、たっぷり汗なの。
で、問題のこの汗、最初に老廃物が出きってしまうと、最後にはサラサラの汗になって、全くべたつかず、嫌な感じがしないので、そのまま体を拭けば服が着られます。頭の中も沢山の汗をかくのに、髪はサラサラ、ドライヤーで乾かすだけでしっとりといつものヘアスタイルに。
それがもう!全身のお肌がツルツルのピカピカ!お顔なんか血色が良くなっちゃって、ほんのりピンク色の、艶々の・・・。もうお見せしたいくらいで、もったいないからそのままノーメイクで表に出てしまうほど。
体にあれほど汗をかくので、ちょっと疲れます。(笑)二回目までは何とか自信満々なのですが、その次は?いけるかしら?みたいな。後から友人に聞いたら、同じ事を思っていたそうな。
全部終わってみると、そうですね、ちょうど温泉で朝風呂に入った後のような疲労感がありました。ジーンズはウェストの辺りが一回り細くなり・・・。 あっ!足に来ました。大腿部が脱力感。(笑) ちょっとよろけそうになりながら帰ってまいりました。(嘘)
少し歩いたのですが、汗かかないんですよ、その後。これは本当。 予約制の女性専用のサロンなので、綺麗だし、時間に無駄がなくて、病み付きになりそうです。
というわけで、ひと月ぶりに更新しました。 秋の気配が、日ごとに色濃く、日中も過ごしやすくなりましたね。 皆さまお変わりありませんでしたか? 秋の夜長、これから何をしましょうか??
何だか、しばらく書いていなかったら、かきかたを忘れている模様デス・・・。 ^^;
Copyright©*momo* 2001-2006 (Prison Hotel)
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