Kuragegawa Riv.
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某小学校教師@11年目の日記。


2004年05月24日(月) 何より伝えるべきこと(前編)

昨日今日と嬉しい便りが届き、ひさかたぶりに郵便Γテストが好きになれそうな海月さんです。だって普段縁がある便りと言えばJCBだのNICOSだのロクなモンじゃないんですよ。心当たりありまくりなところがまた悲惨なのですが。



さて。昨日来た一通は4月始めに書いた、去年担任だった子に書いた手紙のお返事でした。不登校のRちゃんと、そのお母さまからの。





…「まだまだ人生の途中の私だけれど、それでも痛感した一つのことは、この世に居る人へは思いを伝えられるという嬉しさと、この世に居ない人には決して思いを伝えられない悲しさです。」



このような主治テの手紙を、ボンヤリしている私は昨日返事が来るまではRちゃんに書いたものだと思っていたのです。

2004年05月20日(木) テスト




テストですテストです私はテストさせる立場なので大好きですが。でもイヤなのは、テストの採点ですテストの採点です私が最も嫌いな作業ですよテストの採点。去年は「日記の返事書き」がトップだったのですが、日記を本気で「日記」にし(つまり毎日日記が宿題なのさ。もちろんお返事書きますよ私。エライと自分で思ふ)たところ、そう苦ではなくなりました。でもテストの採点はイヤです。なぜって落ち込むんですよ!




具体的に言うと


☆次の漢字にふりがなをふりましょう


「気象台」→「きぞうだい」

「健康な体」→「じょうぶなからだ」(主旨はあってると思うが)


☆つぎの文を漢字になおしましょう

「むしをころす」→「虫を投す」(投げて殺す気か)「虫を親す」(親を殺す気かーっ!)






・・・ね?落ち込むなってほうがムリでしょ?











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2004年05月18日(火) 真実の会話。

本日はお代官=事務員さん、越後屋=私、と読み替えると親切かもしれません。







「あ、お代官さま、これ、今月の集金でげす。」




「おや越後屋、そなたまだ今月の給金を受け取ってはおらぬはず。なのに壱万八百円も本日納めでよろしいのか?給金の支給まで待ってやるぞ?」




「いえいえ、どうせ給金を貰おうと貰うまいと世知辛い世の中では生き辛い故、本日納めに致し申す。」



「越後屋、一寸聞くが社会科見学の代金は納め済みであるか?」




「観光組合(仮名)は二十五日に集金との由、それまでには間に合います故。」





「うむ、そなたは配慮も万全であるな。では失礼致し申す。」




「はっ、お代官様もお元気で。それから手前どもの奉公人から連絡があり申し、給食費などを来週まで据え置いて頂ければこれ幸いにと。」




「はっはっは、そのくらいは待とう。越後屋、大儀であった。」





「それでは来月もよしなに、お代官様。」







・・・というような会話を現代語訳(?)すればいいかと。













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2004年05月15日(土) シンパシィ





某北陸の某小学校事務員さん、ちなみにGWに我が家へ来訪した酒豪さんで・・・とこれ以上書いたら怒られそうなので書きません。それほど命知らずじゃありません。って書くと「怖い人だと誤解される」とか何とか言われそうなのでここまでで(以下省略)・・・要するに何がいいたいかというと、その人に「日記のタイトルが直球じゃない(のがいいよ、私は)」と言われたので、GWからモロ直球なタイトルばかりにしてきたものの、もういいじゃねえか!もうガマンできねぇ!と悟ったので本日の日記のタイトルです。(前フリ長すぎ)





ところで、ワタクシ中村うさぎさんには常日頃より非常なシンパシィを感じているのです。ビンボーなトコとか、寂しがりのトコとか、でもそれを全てひっくるめて「中村うさぎ」に仕立てあげているところとか。銀行の残高105円にもシンパシィです。ちなみにワタクシ、今現在22円しかないのですが。




そういう私が、本日「パリのトイレでシルブプレ〜!」(角川文庫:もちろん中村うさぎさんの著作ですな)を読んだところ、これまたひっじょーにシンパシィを覚える文を発見しました。中学生の息子が成績が悪いと憂えるオヤジに対しての一文。



『私は「ダメなのは、てめーだ、オヤジ」と、心の中で思ってた。自分の息子をダメだなんて思う親は、ダメだ。たかが勉強ニガテなくらいで、ひとりの成長過程の人間を、「ありゃダメだ」なんて決めつける感受性が、コイツの人生の限界を示している。」





私の何度目かの初恋(笑)の相手は、今思えばまったくこのオヤジと一緒だった。誰だって、自分ですら100パーセント信じきれる!人生ってのはないワケで、それが教え子となると、グラグラと揺れる。私だってそうだよ。特に去年は、始めての担任で、責任転換したこともいっぱいあった。自分の指導力不足を棚に上げて、心の中で申し訳なさのブレーキかけながら怒った(叱った、ではなくて)こともいっぱいあった。最後までついてきてくれたのは、ただ単に若さだけだった。勢いですら消沈してた時があったのだもの、年齢以外に何があろう。





そんな当時の私にとって、その相手が発する言葉には魅力、というか魔力があった。でもそんなのは結局自分を誤魔化しているだけなんだ、とこの間その相手の言葉を聞いて思った。彼は相変わらず自信をもって、「もうどうにもならないから。」と言っていた。親のセイ、社会のセイ、時代のセイ、セイセイセイ。理由くっつけるならばいくらだってくっつけられるんだよ。私の人生だって、理由くっつけようと思えばくっつけられるさ。でも、理由をくっつけるってことは、テメエの人生を他人に任せてます〜、ってコトに他ならないと思う。何がどうあろうと、自分で選んだ人生だ!という確信を持つことこそが、もしかしたら私たちがいつもいる真っ暗闇の穴の底から時々青空が見える理由なんじゃなかろうか。







残高22円だろうとオモロキャラだろうと時々ウッツーになる自分がイヤでも。私は現在の私に納得しない。人生、死ぬまで勉強よっ!









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