Kuragegawa Riv.
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某小学校教師@11年目の日記。


2004年06月24日(木) あと18日





少し、そうめんが食べたかっただけなの。




少し、食欲がなかったの。



少し、調子にのって寝不足だったの。





ついでにいうなら、毎月、恒例行事なの。








ホントに、それだけなのに。








・・・あろうことか、貧血で倒れる寸前までいってしまいました。皆も自分の体の過信には気をつけましょう。この時期は何故か出張が多いので、補欠授業はイヤがられるぞ☆



2004年06月21日(月) 新米教員にもわかる年金の話




やたら仕事熱心な社会保険庁の手先その1によって、私の二重年金番号説が確定されました。日曜日に来た手先に話を聞いた母からの情報によると(要するにまた聞き)、教員は共済年金というものに変わるので、国民年金の廃止手続きを自分(もしくは代理人)がお役所に自ら出向き行わねばならないとのこと。国民年金と共済年金はシステムがぜーんぜん違うので横のつながりなんてまったくなくて、放置プレイしちゃったらしっぱなしなんだってさ。




・・・聞いたこと無いよ、ソレ????




保険証が来た時にも聞いたことなかったし、


手続きした時に事務の人から聞いたこともなかったし、


あまつさえ私が二つ年金番号を持ってるんじゃねえかと声高に叫んでも誰も相手にしてくれなかったよ????





ただある日突然「あなたの基礎年金番号はこうです♪これからはこの番号で問い合わせしてね☆」ってお便りが社会保険庁から来たんだよ。「あーこれで自動的に切り替わったんだぁ。さすがは社会保険庁、そして年金番号!」って思うじゃん!!!だって20歳になったら年金ってよっぽどのことが無い限り支払い義務は発生するよね?税金みたいに就職したら発生するんじゃないよね??20歳から22歳まで無年金番号で過ごすヤツなんか、居ない筈だよね?????じゃあなんで、22歳で突然発生した新・年金番号の持ち主の過去の年金番号を調べないのさ?我がS県の教員に絞ったって、対象者は一年につき何百人かの割合で増えるぞ???





とまぁ疑問をかなりもちながらも、国民総番号制に通ずる年金番号制度を過信した私が悪いとそれなりに納得しましたよ。なにせ相手は社会保険庁。学生特例を2年間申請したのに、2年間とも確認の電話が何回も来たという素晴らしい仕事っぷりですもの。就職するときの書類に混ぜちゃえばいーのにー、とか根本的な解決策を私ですら思いつくけれどまだ実行してないお役所ですもの。そもそも年金番号って各年金システムの乗り換えをスムーズにするために導入されたと記憶しているんだけどこんな仕事っぷりですもの。





と考え、今朝事務の人に聞いてみました。なんか小さい書類を組合証(健康保険証)と共に出さなきゃ行けないらしいんですけど、K先生。



「えっ!?まだ国民年金に入ってたんですか!?」

「ウッソー!」

「信じられなーーーい!」






・・・


・・・


・・・


もう誰も信じない。












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2004年06月18日(金) たくさんの瞳


そういや読んだことなかったぞ二つとも・・・ということで「西遊記」及び、「青い鳥」を読みました。職場に蔵書が沢山あるっていいコトですね。




さて、「青い鳥」・・・こんなに有名なのにどうして読まなかったのか、と思うほど素晴らしく面白いお話でした。西原さん、あーんど伊倉さんでそれぞれ面白いと感じたところが違ったように、私もまた読んでて感じるところが違ってびっくり。そんなに長くないお話ですのにね。ちなみに私の特に強く心に残った一つ目は、夜の森で困難に出会ったチルチルが思わず「誰か助けて!」と叫んだことに対して、導き役の光の妖精が「どんなにつらいことでも、自分一人で解決しなければならないの。」と言われるところがまず心に残りました。




「どんなにつらいことでも、自分一人で解決しなければならない。」・・・現代の教育って、もしかしたらこの事を忘れてるのかもしれないって。現在の教育・・・というか、取り巻く世界そのものが、合言葉みたいに「一人一人の個性を生かしつつ協力し合おう!」ってなってません?「イイトコロを集めて協力しあおう、そうすればより素晴らしきものが生まれる筈!」という脅迫観念にも似た世界構造が構築されていると思う。特に顕著なのが、他ならぬこのインターネットだと思いますが。




例えば長崎の小学生が起こした事件。最近某新聞の記事では、「二人はアニメやマンガが好きないわゆる「オタク」と呼ばれる子たちで、HPを持って殺した子は殺された子のHPで「師匠」と崇められていた」と書かれておりました。・・・それを読んだ途端、自分の経験を鑑みても、ますます小学生で、ましてやそれが身近な人物によって「私の世界」が批判されたら、ああ・・・・殺してしまうかも、と思ってしまう。




現在学んでいる教科書は同じ文字ばかりが並ぶ。お話を聞いて仕上げよう、グループで活動しよう、エトセトラエトセトラ。でも、「協力」って、ホントはすっごい難しいが故に素晴らしいことなのだと思う。だって、自分がきちんと立っていなければ相手はいつか倒れちゃうじゃない。自分一人で悲しみを、出来事を消化して、それに提案するってことがイイことじゃない?






この痛み

この悲しみ

私を私たらしめる『想い』というもの




自分で責任をとるということを、矜持によって支えることを置き忘れてきているのではないか・・・と。








2004年06月16日(水) 自然と遊ぼう。




図工で、自然の材料(要するに木の枝)と自然っぽい布や糸で芸術作品を作ろう!という勉強がありました。結んだり繋いだりする技能を高めるための時間ですね。




しかしさすがお子様。外に行くとなるとはりきって芸術作品を作り、私のことなど何処吹く風。ウロウロしてても邪魔だし、話しかけても邪魔だ。私の仕事なんてヒモ切ったり布あげたりするぐらいだし、その仕事もそんなにあるわけじゃないし・・・。






ヒマだ。




ヒマだ。




・・・・ちろ。ああ、材料がある。




ヒマだ。





・・・ヒマだね私。なにかやること・・・でもここ外だから、何にも仕事できないしねー。あるものなんて、木の枝と葉っぱと布とヒモくらいだし。




・・・・・。




というワケで。











工夫したところは、サッカーゴールと対比させて最先端と最古端(?)っぷりを表したところです!










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