Kuragegawa Riv.
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某小学校教師@11年目の日記。


2004年11月01日(月) ビクビク



本日とある先生(エライ)に、「海月ちゃん、宴会は行った方がいいよ!なんならお金出してあげるから!」と言われ、多いにびびった海月さんです。まままままさかココを読んでるワケじゃないですよね!?読んでいたら・・・・・黙っててください。お願いです、私の心の平穏のために!



とか書いておきながら、その先生は基本的にネットをやらない人間の筈なので大丈夫かと思ってます。思い込みます。私の心の平穏のために。



2004年10月31日(日) 二学期の真ん中で、笑顔と叫ぶ




「先生の趣味は怒ることでしょー!」と言われて愕然。・・・確かに最近怒りボルテージが上がりっぱなしで反省。ああ、運動会前までは「先生っていっつもニコニコしてるよね♪」とか言われたのにこの体たらく。・・・まぁ、他のクラスの子のハナシなので(「いつも笑顔」ね)あんまり信用ならないんですが(笑)・・・が、ガンバルよ!ヨン様スマイル一丁!冬ソナ見てないけど!おかげでしばらく前、職員室の流行についていけなかったけど!




時に、「本当の自分探しの旅」の続きについて。前回それを得るための手段として「考える契機と人」というのを挙げましたが、昨日他の友達と話していて「人ってこんなに受け止め方が違うんだなぁ〜。」と逆に感心しました。私は単純なので、結構人の話を(すっごく落ち込んでいて、ナニ言ってんだこのヤロウなどと時に・・・イヤ頻繁に?思いつつも)聞いて、覚えている方。逆に言うと執念深い。・・・結局、この「差」が秘訣なのかな、と思ってみたりするワケです。





で、私が考えた契機というのは諸事情が込み合ってて前フリは省略するんですが、「自分の魅力とは何か、というのを真剣に考えなさい。」という言葉でした。で、心情的にも状況的にも「真剣に」考えねばなるまい、と思っていたので、それこそ真剣に考えたワケです。心の中で。イラクに行ったり変わったことは一切しなかった。今の私のままで、家の中で車の中で学校の中であらゆるとところで、私に関わる全ての場所と時と人の間で、真剣に。




・・・でも、そう考えたからといって直ぐに「ハイ、これが私の魅力ですぅ☆」なんて言えるワケがなくて。幾ら考えてもわからなかったワケです。だから逆・・・自分がキライなトコロ、というのを考えたら、まーこれがぽこぽこぽこぽこ溢れる溢れる。「可愛いモノ好きなのに、それらが悉く似合わない身長」とか、「平凡すぎる本名」とか、「身長に比例してデカイ足」とか「教員やっててますますデカくなった地声」とか・・・沢山書き連ねられるけどこれ以上は自分が落ち込むのでヤメときます。





私もね、見かけはアレだし中身もコレなのですが、一応(まだ)23歳の乙女(って言えるのか?)なワケです。そんな乙女として、やっぱり一番哀しいのは身長。だって皆より頭一つ飛びぬけてるんだよ〜男子と並んでも私の方がデカイわけだよ〜イヤなワケだよ〜おまけに「デカイ」ってわかってるっちゅーのそんなこと!でもどーにもならねーんだよ!!!・・・えー、ここを読んでいる男子の皆さんは、自分より背が高いレディに対して間違っても「デカイ」とか言わないように。言われ慣れてるっちゅーのそんなん!




はあはあ。私怨私恨が今飛び交いましたけど(笑)海月さん本人としては、そんなワケで高い身長はイヤでイヤでイヤで仕方無かったのです。・・・でもさ、どう嘆こうとイヤに思おうと身長は変わらないのです。文字通り一ミリたりとも!ええ、去年と今年の健康診断で一ミリも変わってませんでしたからね!




でも、と「真剣に」考えていた私は思い出したワケです。この身長って、役立つ時も多くて、褒められる時も多いよな、と。私が子どもをおんぶすると、「これが先生の高さなんだ〜、スゴイっ!」と感動されるし、忘れもしない去年の4月1日、6年生の子どもが日記で「カッコイイ先生が来たな、と思いました」と書いてくれたし。他にも他にも。・・・・・・・・・・自分が嫌いなところが褒められる=折角掛けてくれた褒め言葉を聞いちゃいない(どころか反発する)=私って何にもイイ所ないやんけ、と変換されてしまっていたのです。身長にしろ、何にしろね。




だから。立ち止まって、自分の嫌いな所をあえて直視してみる。するとそれが、思いも掛けない「利点」だったりする。だから私は4月1日に褒められたスーツを着る時、私ってカッコイイ!と自分に言い聞かせる。これを着てカッコよく映るのは、この身長があるからや!と。




自分を好きになることはとても難しくて。本当の自分だなんて、今でも私にはわからない。(寧ろ、そんなの無いだろう、というのが最近の結論)でもさ、これだけは言えるよ。ダメな自分まで本当に愛せるのは自分だけ。この世にこんなに人が溢れていても、これからどんどん増えていっても。哀しくも辛くも、苦しくも。






















2004年10月29日(金) 隣のあなたの鏡の私




本日は研究授業の打ち上げです。イエ、打ち上げでした。私は行ってないけど。・・・・。





だって、だって、だって!!!!!「デェトなの?」とか言われるの承知で休んだのには、やっぱりそれなりの立派なワケがあるんですよ!お金がない!お金がないのよ!マジでないんだよ!!!!!!ホントにないんだってば〜〜〜〜〜!!!





Q:さて、本来なら命令に等しい筈の打ち上げを断った海月さんの昨日の銀行残高は幾らでしょう?



A:あのね、先月は800円ぐらいで、「あと200円あれば1000円となって引き出せたのに!」とか思ってたんだけど、今月はそんなことすら言えないほどなかったの!聞いて驚け、54円だ54円。504円じゃないぞ、54円と書いて「ごじゅうよえん」と読むんだぞ☆








・・・・・・・こんな人間失格状態の私が言うのもアレですが、イラクで今人質になっている人がいます。なんでも「自分探しの旅にでる」と言ってイラクに単身乗り込み、危機管理が甘いったら!的な報道されているあの人。母はプリプリ怒ってたけど、私は正直・・・そんなに怒れなかった。




同じ年齢(誕生日まであと半月あるけど)の者として。家族の者たちに言い残していた断片を繋ぎ合わせると、まるで私とほとんど一緒。自分の場所はココじゃない、ホントの自分はココじゃない、他なら自分はこんなに・・・弱くない。クスぶってもいないんじゃないか、と。




イラクに行こうと思い立った時、人質だった彼の心にあったのは、危険を超えて変われる筈の自分だったのじゃないか。他の人間とは違う自分。他の人はしない、特殊な体験。だって、私たちそう言われたのだもの。キミたちは幸せだ、こんなにいろいろ選べるんだ・・・さあ、どのくらい変わった人生を送れる?学歴すら頼りにならないんだ、個性が勝負だ、って。




個性・個性・個性。・・・でも、個性を派生する「本当の自分」ってなんやねん?いろいろ最もらしいことを言われたりするけど、職業の私や趣味の私やネットの私やその他諸々の私がいるわけやん。どうすればいいの?どれを本当の自分と思えばいい?こんなに弱っちいし、輝いてないし、とても特別な一人とは思えない自分なのに。そしたら自分は何もかもに負けているのだと。






そう思う時代はずっとずっとずっと続いて。私がその迷路から抜け出せたのは実は最近。けれど、彼のようにイラクに行くことではなくて、考える契機とそれをくれた人々と出会えたから。偶然のような奇跡が続かなければ、私はもしかしたらずっとその泥沼にハマってたのかもしれない。そしてそれはとても・・・怖いことだ。





だから、私は彼を責めようと思わない。探したかったんだろうから。さびしかったん、だろうから。



















2004年10月27日(水) エマージェンシー



なんとか指導案は出来上がりそうです。私のパーフェクトな計画によればいまごろウッホウッホ状態だった筈だということは置いといてです。






さて、そんなワタクシのパーフェクトっぽい日常に来た一本の電話。相手は・・・母から。どうした母!?3時に電話だなんて、私が絶対に電話出られない時刻だというのに・・・!





もしもし、母?


「あら〜海月、ちょうどよかったわ〜。」


何が?っていうか、3時に電話ってどうしたん!?


「シャンプーと焼酎25度のと、トイレットペーパー買ってきて!トイレットペーパーは安いから2つ!」





・・・・・・・・・・。

















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