Kuragegawa Riv.
>>>http://www.enpitu.ne.jp/usr5/50979/

某小学校教師@11年目の日記。


2005年02月01日(火) 退職記念

ここのところ校長先生がハイテンションです。退職を控え、とってもとってもハイテンションです。


「ハイ、じゃあ今週は人権週間ということで、今から3人のお友達に劇をやってもらいまーす!劇に出てくるのは、カッツン(仮名)、マッチ(仮名)、それからタッキー(仮名)といいます。」


・・・・はあ、劇?誰も聞いてないぞそんなん・・・ってか、カッツンは教務主任先生の名前で、マッチはとても愉快な未来の管理職候補先生の名前、そしてタッキーは・・・・え、タッキーなんて名前の先生いたっけ???


「じゃ、笑わないで見てくださいね〜。」



笑わないで・・・って、え、ステージで子どもの通学帽にランドセルを背負ってるのは・・・教務主任先生に愉快な管理職候補先生、それに、こ、校長先生っ!?


〜劇始まり〜


タッキー(校長先生):「わあ、いいな〜カッツン!その本おもしろそー!見せてーーー!」




カッツン(教務主任先生):「いやだよっ!お前なんかに見せてやるもんか!あっ、マッチ!」



マッチ(愉快な管理職候補先生):「わあ、カッツン、その本見せて!」



カッツン:「うん、いいよー!」




〜劇の1・終了〜(早ッ!)


〜劇の2・開始〜


マッチ:「うわあ、やべえ!宿題忘れちまった!A先生に怒られちゃうよー!」


カッツン:「俺が見せてあげようか?」


タッキー改め校長先生:「さて、皆さん、他の人の宿題見せる事はいいんですか?」



〜劇の2・終了〜(えっ!?)



劇の2の一体何が人権に関係あるのかとかいう疑問はさておいておくとして、一番ショックだったのはタッキーが誰か幾ら考えてもわからなかった事だなんて。





校長先生の前では絶対に言えませんね。だって明日校長先生に掲示の関係でいろいろと買って頂くべく・・・・・。





・・・・・・・・・・・・。





















2005年01月31日(月) 明日から二月

二月を感じさせるものとしてはまずもって指導要録記入参考書ですね(きっぱり)・・・でも驚いたことに世間はそうではないらしく(ダメ女)、バレンタインデーなるものがあるのですよ。ああ思い出すわ私の二度目の初恋、それは小学4年生。さて、そんな今日の教室の囁きに耳を傾けてみましょうか。

〜教室の囁き〜

「ねえ、○○の好きな人知ってるー?」
「ええーっ、教えてよう!」
「好きなんかじゃねえよ、あんなヤツ!」
「何言ってるんだよ、言ってたじゃねえか!」



・・・あの時の先生もきっとご苦労なさってたのですね。いえ、バレンタインなんだから寛大に、寛大に・・・。


〜教室のざわめき〜


「うるせーなっ!だから俺はあんなヤツ好きじゃねえ!」
「うっそー!だって言ってたじゃんねえ!」
「そうだよー!」
「ってかそー言ってる○×だって・・・」


・・・ぷち。


「授業中にうるさいですよっ!好きなら好きと本人が言えばいいでしょう!他の人は黙らっしゃい!!!!!!」





ああ、とっととバレンタインが終わりますように(別の意味で)






2005年01月30日(日) 何時だって現代は現代

体育の研究授業がありまして、指導者として他の学校の校長先生のお話を聞く機会に恵まれました。やっぱり大物は違うな〜、と感じる事が大きい話になりました。「子どもが何故わかってもいないのに返事をするかって、返事をしないと先生に怒られるからです」「だいたい先生は時間を守らない。三分書く時間をあげる、などと言っておいて、一分半くらいたったところで『まだ出来ないの!?早く書きなさい!」とか言うんですよ」と、思い当たるところを次々と。うぅ、精進します。




ところで、ここ数日(でもないか)取り上げられている漢字読み書き能力。奇しくも先日「アンタが何やりたいんだかさっぱり伝わってこないのよ!」と罵倒…じゃなかった忠告された私の、誰にも言ってないけど本年度のテーマ。でもやってみて思うんですけど、難しいですねっ(大泣)





私が思うに、子どもたちって本来絶対漢字が好きなのだと思うのですよ。漢字をメインに扱った授業は、ゲーム感覚という事もあってか盛り上がって押さえるのに苦労しますし、作文でも辞書を使って漢字を調べて書く習慣をつけさせると、大抵の子どもは習っていない漢字、たまに習っていない漢字ばっかり(笑)狙って書いてくるようになります。



で、それは何でかと言うと、漢字を知る喜びっていうのは即新しく使える知識が増える、知的好奇心を一番簡単な形で満たせるからではないかと思うのです。子どもたちは「三日月」は読めないかもしれないですが、「薔薇」は読める子多いんじゃないかと密かに思っています。




当初書きたい事とどんどんズレてきたのでいったん終わりにしますが、要するに三日月が読めない原因の一つは、明らかに空を見上げない現代の生活習慣があるのではないでしょうか。そういう背景や時代を無視して一律に学力つけるべし、学力とは即ち知識の量なりという強い流れには違和感を覚えます。反発ではなく違和感を。だって私、教師の仕事はどう考えたって学力をつける事は外せないと思ってます。なのに違和感を覚えてしまうのは、きっとあまりにも状況を無視しすぎてる事にあると思うのです。



試行錯誤しつつ、これからどう変わればいいのかを考えていきたいと思います。

2005年01月29日(土) 彷徨

おはようございます。朝から飲み会大嫌いを公言したい海月さんです。もし昨日隣に居た先生がフォローしてくれなかったら、その場で泣きはじめた事間違いなしです。




言ってる事の半分は当たっているので言い返せませんが、もう半分は…。やっぱり私教員向いてないんじゃないかと通帳からカチャカチャ引き算をはじめる始末です。でもって食欲もわかない。…弱すぎるのはわかっていますが、じゃあどういう事が強いって事なのか。ぐるぐるぐるぐる巡ります。





救いは、私の中で形が固まった事やもしれません。算数は大好きです。数学の免許ももっています。でも、来年論文を出す教科は、これから持っていく武器にしたい教科は、私は国語なのだろうと。





私は本当に言いたい事はいつも誰に言うでなく書くことで解決してきて。もどかしさも嬉しさも悲しさもあらゆる感情の一部を言葉で浮かべる事でやっとやっと生きている。





私と同じような生き難さを感じている人に贈りたい気持ちもあっての本づくりのように。未来の大人たちに、その術を少しでも身につけてもらえたのなら。そうならば。

カコ ミライ メール