欠陥と完成
自己が空虚でありながら、 空虚と知らぬ憐れさ さざえのように蓋をしめて なんにも入れぬあわれさ 他の欠陥だけせめて 自己を充たそうとしない憐れさ 徳の目はうちにかがやき 愛の手は外に伸ぶ 欠陥を悟ったとき 完成への歩みが始まる
「権威」 後藤静香の詩より
自分がおごってると思うとき、 力を失いかけているとき、 後藤さんの詩を何度も読み返す。 声を出して読んでみる。
読むと落ち着く、 力がわく。頑張ろうと言う気になる。 ありがたいなぁと思う。
| 2002年10月25日(金) |
「正しくありたい」と思うあまり、その目標を達するために、 |
「正しくありたい」と思うあまり、その目標を達するために、 他人を悪者にしたがる傾向を私達は持っています。 人生の困難を、他人のせいにして相手を攻撃することをよくやります。 「非難」「罪悪感」「正当化した怒り」を使って、 「まちがっているのは相手で、自分は正しい」ことを 証明しようと懸命に戦うのです。
「正しくありたい」と執着しているかぎり、 幸福や心のやすらぎや愛を体験するのは無理です。
「愛はすべてを癒す」から ジェラルド・G・ジャンポルスキー
自分を正当化するために、嘘もつくし、言い訳もする。 人を責めたり、悪者にしたりする… やたらに持論をぶち、相手を言い負かそうとしたりする。
そこまでして、自分を正当化したい、正しくありたいという 気持ちは何なのだろう。 どうして正当化したがるのだろう… なぜ、自分が正しいと思いたがるのだろう… 正しいと、何がいいんだろう。
確かに、 正しいと思うと言いやすい。何でも言える。 正当化すると、非難しやすい… 人は何か言うときに自分自身にお墨付きが必要なのかもしれない。 自分は正しいのだから、言っても良いと。 それほどに、弱いものなのかもしれない。
| 2002年10月24日(木) |
愛はお互いを見つめ合うことでなく、 |
愛はお互いを見つめ合うことでなく、 ともに同じ方向を見つめることである。
サンテクジュペリ
同じ方向を見つめている自信はないなぁ…
同じ方向を見つめられたら、もっと強く、 もっと確実な何かをつかめそうな気がするが…
| 2002年10月23日(水) |
目には愛を語る能力がある。 |
目には愛を語る能力がある。
「人をいかに愛し、生きるか」より ロバート・シュラー
口で語ることばかりに重きを置いていて、 目で語ることを忘れている。 目をそらすことも多い…
いろいろな意味で、目の力、まなざしを もっと大事にしてもいいと思う。 暖かいまなざしは、百のことばより、力が あるかもしれない。
| 2002年10月22日(火) |
みっともなく生きて、みっともなく死ぬ。 |
みっともなく生きて、みっともなく死ぬ。
深作 欣二
死ぬときには、感謝して死にたい、 死ぬときに後悔したくないと、そう思って生きてきた。 そのために、どう生きたらいいのか…そんな思いが、 私の生き方の基本になってきた。
しかし、深作さんの 「みっともなく生きて、みっともなく死ぬ」のことばを見つけて、 そんな生き方、死に方もありだなと思った。 それも自然だなと。 肩肘張らずに、自然に生きて、 みっともないかもしれないが、 それはそれでいいのかもと。
どちらにしても、自分の人生は、まぁまぁだったなと ちょっと笑って死ねたらいいなと思う。
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