| 2002年11月26日(火) |
人は自分の考えているような人間になる。 |
人は自分の考えているような人間になる。
ヒンズー人の古い文書より
うーん、 人は、自分のなりたいような人間になるのではなくて、 どうも「考えているような人間」になるらしい。 「考えている」というところが難しい… 無意識に「考えている」人間になるとでもいうような ことなのだろうか…
いまの私は、私が考えているような人間に なってきてるのだろうか… だとしたら…どうもちょっと切ない気がする。 まだまだ物足りないし、 なりたい自分の人間像はと違っているからだ。
やはり、なりたい人間と、無意識に考えている水準が 違っているのだろうか… どちらにしても、人間的にまだまだということには 違いない。 なりたい自分と、考えている自分を一致させるように 考えねば…自分を磨かねば…本気で。
| 2002年11月25日(月) |
為すべき何事もないときには、何事もなすべきではない。 |
為すべき何事もないときには、何事もなすべきではない。 しかるに小心者は、そういうときに限って、何事かして 失敗する。他人の判断に胸を騒がせるからだ。
「決断の人間学」より 伊藤 肇著
まさに私に向けられたようなことばに思える。 私は、全くの小心者だと思う。 じたばたしてはいけないと思いつつも、 じたばたと何かし、言い訳をし、右往左往したりする。 全くの、絵に描いたような小心者だ。
これは、やっぱり自己を守るということや、 存在をアピールしたいというような、気持ちが 強く働くからだろうと思う。 そういうことが必要な時もあろうが、 必要でないときもあると思うのである。 そして、私の場合、だいたいは必要ないことの方が 多いような気がする。
自分のやっていることに本当の意味で自信を持たないと、 じたばたしたり、他人の言うことに過剰に反応したり、 ついつい言い訳をしてしまう。 本当の意味の自信をつけたいものだ…
| 2002年11月24日(日) |
何か有用なことが言えない場合、「貴い沈黙」を守るべきである。 |
何か有用なことが言えない場合、「貴い沈黙」を守るべきである。
「無条件の愛とゆるし」より E・R・スタウファー著
その通りと思う。 有用なことなんて、そう簡単に見つかるものじゃない。 無理してひねり出すより、 沈黙を守った方がいい。 その方が、ずっと暖かい気がする。
こころのこもらないことばは、 仮に有用であっても、伝わらないと思う。
| 2002年11月23日(土) |
「許し」はまったく私たち自身の問題であって、 |
「許し」はまったく私たち自身の問題であって、 相手の態度しだいという条件つきのものではありません。
「愛と許しの心理学」より ジョーン・ボリセンコ著
自分が「許せない」と思うことは、ささやかなことから、 大きなことまで多々あるものだ。 そのたびに「許せない」と思う。
今まで数、数え切れないほど「許せない」ことがあった。 そして、今、振り返ってみると、案外どうでもいいと 思う「許せない」ことが多いことに気がつく。 その時には「許せない」のだ。 時がたつと、冷静に見れたり、自分の心で消化していたりして、 まぁあんなこともあったと思う程度のものになったりしている。
もちろん、どうしても「許せない」こともあるだろう。 そう思い続けるには、それだけのパワーがいるので、 きっと何か大きな「許せない」なのだろう。 幸いにして、私は今大きな「許せない」と思うことがない。 誰かに復讐しようというような「許せない」もない。
もちろん、日常のささやかな「許せない」はたくさんある。 時間のかかる「許せない」もある。 時々自分も「許せない」こともある。 しかし、そんな「許せない」という気持ちも持ちながら、 どっかで許して、許しあって、自然に生きていけたらいいと 思っている。
| 2002年11月22日(金) |
あなたの夢が何であれ、それを実現する方法は、 |
あなたの夢が何であれ、 それを実現する方法は、 ほんの小さなことを実行することです。 目に見えないほど小さなことでもよいのです。
「ソース」より マイク・マクマナス著
少し前から、 自分のささやかな夢を実現したいと思うようになった。 そのための小さな一歩を踏み出さねばと思って… …そうだ、3ヶ月以上たっている。いかん…
どうも毎日の生活に流され過ぎている。 目の前のすることに振り回されている。 一歩を踏み出す機会を避けている気もする。
こんなことでは夢が逃げてしまうぞ、 いつまでも夢を実現出来ないぞと 自分に言い聞かせるが、 そう言い聞かせてもなかなか動けない。 小さな一歩も踏み出せない。
きっとだから、夢に向かって一歩を踏み出せる人は 夢をつかめるチャンスが巡ってくるのだろう。 すでにそこに違いがある気がする。
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