| 2003年05月20日(火) |
自由というのは、したいことをすることではない。 |
「自由というのは、したいことをすることではない。 するべきことをすることです」(インド人の神父のことば)
したいことをしているのは、子供の生活の姿なのである。
「魂の自由人」より 曾野綾子著
自由をはき違えている人たちを、最近よく見かける。 自由なのだから、なんでもしていいのだと思ってる人たちだ。 そういう人たちを見ていると、 自分たちだけの狭い世界の、さらに勝手な枠の中の自由と 言う気がする。
| 2003年05月19日(月) |
人は皆、謎である。しかし、 |
人は皆、謎である。しかし、 男であれ、女であれ、その人を知るカギとなるものを 言葉やおこないの中に見つけたとたん その人の過去の言葉やおこないの意味が わかるようになる。
「日記」より エマソン
本当に謎だなぁと思う人と、 何となく分かる人がいる。
謎の人は全く理解出来ない。 分かる人は、素直に分かる。 きっと分かる人は、カギが見つけやすいのだろう。 また、そのカギに理解もしやすいのかも知れない。
謎の人は、とても魅力的なこともあるが、 あまりの分からなさに、呆れることもある。 きっと、向こうもそう思っているのだろうな。
| 2003年05月18日(日) |
いい評判を取ろうと努力せず、万事とぼとぼやる。 |
いい評判を取ろうと努力せず、万事とぼとぼやる。
「ないものを数えず、あるものを数えて生きていく」より 曾野綾子著
月曜日は…どうも憂鬱である。 仕事が楽しくないからだ。 こんなことをやっていていいのかと 正直思うことが多い。 何かどこかで、ボタンを掛け違ったような とりあえずの、場当たり的な仕事が多い。 仕方ないからやろうか、と重い体を引きずって 仕事をする、効率がいいはずないなぁ。 まぁとぼとぼ行きますか…
今は本当に耐える時期なのか… 本当にこれでいいのか… いつも自分に問うている。
| 2003年05月17日(土) |
社会の変化が激しくないときは、そして、物があまり |
社会の変化が激しくないときは、 そして、物があまり豊かでないときは、 「人生いかに生きるか」などと言うことは、 今ほど深刻ではなかったであろう。 ともかく「食っていく」ことに忙しくて 「人生」などということを考える暇などなかった。
しかし、現在はそうではない。 多くの人たちが「いかに生きるか」そして 「いかに死ぬか」について考えざるを得ないのではないだろうか。 これは、大変なことである。 しかし反面、各人が自由にこんなことが考えられるというのは、 随分と素晴らしいことだとも思う。 与えられたコースを進むのではなくて、 自分のコースを進めるのだ。 この人生の面白さを味わわないのは、損だともいえる。
「こころと人生」より 河合隼雄著
なるほど、こんなふうに考えることも出来るんだな。 しかし…やっぱり大変なことであるなぁ。 「いかに生きるか」 「いかに死ぬか」か…うーん。
| 2003年05月16日(金) |
友に対する買い被り、過度の信頼こそ、 |
友に対する買い被り、過度の信頼こそ、 かえって友を見捨てることになります。
聖書より
昨日書いたことにも通じるが、 過度の信頼も、期待も… 裏返してみれば、自分の勝手な思いとも言える。 こちら側のこうあって欲しいという勝手な思いが 知らない間に(あるいは意図的に)入っているように思う。
信頼してるというと、きれいなことばに聞こえるが、 それで縛ろうとしているとも取れる。 押しつけにも取れる。 少なくても私には、負担になる。 私は信頼してると言われたくない。 「なら、黙ってて見てて」と思うし。
信頼とは… 相手に押しつけず、早急な成果を求めず、 ことばに出さず、その人のことを見守ることでは ないかと私は思っている。
|