ことば探し
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2003年12月24日(水) 出来ればわたしも完璧なバカとして生きたかった、と少しだけ思う。

出来ればわたしも完璧なバカとして生きたかった、と少しだけ思う。
もしそうできたらなら、どれほど楽だったことか。
なにしろバカは自分を疑うということがない。
したがって相克も葛藤もない。
「自分」はあくまで正しい。
悪いのは全部「他人」だ。
あとは、「だって好きなんだもん」とか、
「だって欲しいんだもん」といっていればいいのだから。
「できません」「やりたくありません」「無理です」と
いっていればいいし、なにがあっても
「ま、いっか」とか「関係ねぇよ」とか
「やっべ」などといっていればいいのだ。


  「まれにみるバカ」より  勢古 浩爾著



ふふふ、なるほどなぁ…
そうか…バカだったのか、彼らは…。
そう思えば気持ちも楽になるかな。

いるんだよなぁ、「自分だけが絶対に正しい人」
どこにその自信があるのかと思うほどに、「正しい人」
自分の行動を棚にあげまくって「正しい人」
本当は、きっと彼らなりに悩みがあると思うが、
その前にちゃんと自分の足元見て見ようね、と言いたくなる。
でも、その勇気はないように見える。

私は自分が大まぬけだと思っている。
バカと大まぬけがどう違うのか…全然よくわからないが…
あっ…今、「まぬけ」の方がちょっとだけかわいいって気がした。
……ってバカだな。






 


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2003年12月23日(火) 「もうバカばっかしやっていますよ」という男がきらいである。

「もうバカばっかしやっていますよ」という男がきらいである。
ほんとに「バカばっかしやって」るからである。
本人は、こんなに不真面目なんだぞ、器がでかいだろう、と
誇らしげなのだが、私は額面どおりにしか受け止めてやらない。
まちがっても気持ちなんか察してやらずに、
「うん、おまえは文句のつけようがないバカだな」と思うのである。


         「まれに見るバカ」より  勢古 浩爾著



またまた、にやりと笑った本である(好き嫌いはあるだろうが)
ともかく、著者の読んでいる本の量に驚かされる。
本を読んでバカ探しをしている姿もおかしい。
(本だけでなく、あちこちでだと思うが)

「もうバカばっかしやっていますよ」についてだが、
私ならこう言う。
男「もうバカばっかしやっていますよ」
私「えーっ、そうなんだ、相変わらずなんだね」
そして、こう思う。
「この人、相変わらずバカやってんだ、成長しないね。
でも、まっいいか、関係ないもん」
私にはいささかの哀愁を感じる言葉でもある。
自分が思って欲しいように、
人は思ってくれないということでもあるかな。


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2003年12月22日(月) きっと、誰にも2度目のチャンスが訪れる。

きっと、誰にも2度目のチャンスが訪れる。
その時は、希望を持って夢を追いませんか?


    朝日新聞 「ひと」欄より
    映画オールドルーキーの実在モデル
              ジム・モリス


2度目のチャンス…何だかワクワクする。
来たらしっかり掴もう。
きっと来る、そう信じて。
いや、実は今がそのチャンスのはじまりかもしれない…

ジム・モリスさんは、こうも言ってる。
「夢を信じること。そして追い続けることが尊いのだと思う」と。
うん、夢は信じたい。


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2003年12月21日(日) 大切なのは批評家ではないし、

大切なのは批評家ではないし、
強い人物がどうつまずいたかを指摘する人でもないし、
いいことをした人に、どこをもっとうまくすればよかったかを
指摘するする人でもない。

賞賛は、実際にリングに立っている人のものだ。
その顔は血と汗と埃にまみれ、雄々しく戦い、
何度も何度も間違い、
力不足に終わっても、
すばらしい熱意を知り、強い献身の心を持ち、
価値あることのために自分を費やす。
それが最善の結果になると信じ、高いものを成し遂げる。
たとえ、最悪の結果になって失敗したとしても、
少なくても思い切ってやったのだから、
勝利も敗北も知らない冷たく臆病なたましいと
同じ場所にいることは決してないだろう。


             セオドア・ルーズベルト



批判するのは簡単だ…
実際にやってみるより、はるかに簡単だ。
そのことを無視して、或いは忘れて、
批判したり、文句を言ったりする。

やった人より、やらない人の方が言葉は多い。
そして、その言葉が力を持ったり、
正しいかのような錯覚を与えたりする…
だから…「やったもの損」という言葉が生まれる。
(私の回りだけかも知れないが…)

「実際にやってみろ」と言いたいが、
やらない人はいつもやらない。
批評家は、いつまでも批評家でいたいようだ。
そんな人は、批評家としてしか認知されない。
批評家がそんなに価値あるか、立派かどうかは、
回りがみんな知っている。







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2003年12月20日(土) 百知って何もしないより、

百知って何もしないより、
三知って、その三つを実践するほうがいい。


          師友塾塾長  大越 俊夫




実践すれば、初めは三の知ってることが、
いつしか十にもなり、
その十が、いつか百を超えることが出来るかもしれない。
そして、それは、生きた知恵となるのだと思う。





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