| 2004年02月03日(火) |
傷つきやすい人間ほど、複雑な鎧帷子(よろいかたびら)を身につけているものだ。 |
傷つきやすい人間ほど、複雑な鎧帷子(よろいかたびら)を 身につけているものだ。 そして、往々この鎧帷子が、 自分の肌を傷つけてしまう。
三島 由起夫
身の守り方はいろいろとあるし、 その身の守り方ひとつで、回りとの関係や、環境が 大きく違ってくるように思える。
下手な守り方は、決して守ることにならず、 下手に守るなら、守らない方がまだいいように思えるのだが、 下手な人は下手に守る…ように見える。 (何が下手なのかは、実はよくわからないのだが…)
時々、 「この人はこれで身を守っていると思っているのか…」とか、 「こんな守り方をしたら、かえって反発をかうだろう」とか、 「固い(守りだ)なぁ」などと、感じてしまう人がいる。 本人は、恐らく自分を守っているつもりなんだと思う。 しかし、横から見ていると、 どう見ても、損をしてるように見えたり、 決して、その人のためにはならないように見えたりする。 けれど、そう言う人は、 損でも、自分のためにならないとわかっていても、 自分のやり方に執着している…ように思える。
逆に、とても守りがうまい人がいる。 上手に自分を守っているように見える。 「うまいなぁ…」と感心する。 自然な人もいる。 全然守ってなんかいないような感じの人もいる。 何となく自分を守っている…そんな感じがする。
自分の身を守る思いは同じなのに、 その守る方法が、こんなに違うのはどうしてなんだろう… 何かが、どっかが違うと思う。
私はどうかなぁ…
| 2004年02月02日(月) |
うまくやりたい気持ちの人一倍強い人は、失敗することを極度に怖れます。 |
あきらめ癖があり、何事に関してもほどほどのところで 撤退してしまう人がいます。 ちょっとみると無気力でやる気のない人のようですが、 実は「うまくやりたい」という気持ちが すごく強い人が多いのです。
うまくやりたい気持ちの人一倍強い人は、 失敗することを極度に怖れます。 だからこそ、 失敗したときのダメージを軽くすることに腐心するのです。
「あなたの魅力をひきだす心理学」より 榎本 博明著
昨日から、この「失敗」ということについて考えていて、 「そうか、私には失うものがあまりないんだ」と気がついた。 そうだ、私にはあまり失うものがないのだ…
もちろん失いたくないものはある。 けれど、それは絶対に失いたくないものではない。 失いたくはない…けれど、失うこともあるかもしれないと 思っている「失いたくないもの」なのだ。 失うものがあまりないってことも、強みなのだと 今日、はたと気がついた。 (もちろん、絶対に失いたくものを持っている人は それはそれで強みだと思う)
自慢にならないが… 私には失うものがあまりないのだ…なぁ。
そうそう、 「うまくやりたい」という気持ちもあまりない。 うまくやれたらいいが、うまくやれなくても、 ともかくやれたらいいかと思っている。 ともかくやってみることが大事なのだからと思っている。
…というか、理屈抜きで、 やってみたいのだな…失敗しても。
| 2004年02月01日(日) |
失敗したら何を失うのでしょうか? |
例えば、社内で奨励されている資格取得をめざつつ、 試験で落ちたらみっともないという不安があるとします。
試験勉強に真剣に取り組んでいる人を冷やかしつつ、 自分もやらなくてはとの焦りはどこかで感じています。 でも、試験に落ちたときのことを考えると、 ムキになって、勉強できないのです。 仕事でも恋愛でも、同様のことがあるはずです。
失敗したら何を失うのでしょうか? 資格はもともとないのですから、失うことはできません。 うまくいけば得られるというだけです。 自信は失うかも知れません。 しかし、初めから逃げて失敗を免れることで保てる自信とは どれほどのものなのでしょう。(略)
落ちたことを同僚に知られたら、体面を失うという人が いるかもしれません。 でも、逃げて虚勢をとりつづけて失敗を避けている人が、 もともと尊敬されていると思っているとしたら それは虫がよすぎます。 つきあっていれば、そのくらいのことは見抜けるものです。
そうしてみると、何事によらず、全力を尽くして失敗することで 失うものはほとんどないことになります。 うまくいけば一段と飛躍でき、 失敗してもやる前の状態に戻るだけです。
「あなたの魅力をひきだす心理学」より 榎本 博明著
私は、失敗してもいいから挑戦したいと思っている。 しかしやっぱり失敗は痛い。 なにかどっか…自分の中で痛い。 自分の力のなさをまざまざと感じるからかも知れない。 回りに対する恥ずかしさも確かにある。 自分で自分に言い訳しないと、いたたまれない 気持ちになってしまう…そんな痛さがある。
そして、やっぱり怖い。 やれるかどうか…ことの大小にもよるが、 自分の力の限界を知るようで怖い…
けれど、それでも、失敗してもいいから、 挑戦してみたい気持ちの方が大きい。 出来ないことを知るのもいいと思えるし、 自分の限界に挑戦してみるのも悪くないと思えるからだ。 それに、やってみないとわからないことが 世の中には多いと…最近しみじみ思うからだ。
失敗したっていいじゃないか… 失敗したってたかが知れている。 失敗してわかることもある。 そう思うなぁ。
| 2004年01月31日(土) |
周囲の人を「よくもここまで」と思うほど不幸にして生きている人がいる。 |
周囲の人を「よくもここまで」と思うほど不幸にして生きている人がいる。 自分が心理的に楽になるために周囲の人を平気で苦しめながら、 本人は「辛い、辛い」と騒いで生きている。 人を不幸に突き落とした加害者でありながら、 自分の辛さを訴えて、被害者になりすましている人がいる。(略)
これは、神経症の特徴であろう。 神経症になると、この世の中に自分の悩みしかないから、 周囲の人の悲しさや、辛さがわからなくなる。 この世の中から他者の気持ちが消えてしまう。 他者は関係なくなる。 もう自分が心理的に楽なること以外にこの世には何も 存在しなくなってしまう。(略)
彼らの言うことは「あの人はこうしてくれない」 「この人はあーしてくれない」と他人への欲求ばかりなのである。 自分をもっと大切にしてほしい、自分をもっと理解して欲しい、 自分にもっと尽くしてほしい、 彼らは周囲の人をむさぼる対象としてしか考えていない。 自分と同じ人間とは考えていない。
「なぜこの人は、自分のことしか考えないのか」より 加藤 諦三著
私の近くにもこれに近い人たちがいる。 本当に、どう付き合っていけばいいのかわからない。 ともかく「辛い」と「不満」ばかりである。 「辛い」と「不満」しか見えないらしい。 他人を思いやるなんて「辛すぎて」無理らしい。 それほどに、「辛い」ことでいっぱいらしいのだ。 (彼らの言う「辛い」ことはだいたい 些細でつまらないことが多いと私は思っている) 彼らの要求には終わりがなく、 「辛い」と「不満」はいつまでたってもなくならない。
話しを聞かされるこっちだって「辛い」し、 彼らの「辛そう」で「不満そう」な顔を見てるだけで 「むかむか」してくるっていうのに… 我慢して聞いていて、そんな気持ちを押さえているのに、 すこしはこちらの気持ちを察してほしいと思うが、 察するなどという気持ちはほとんどない(らしい)
話しを聞いてもらって「ありがとう」どころか、 話しを聞くのは当然で、聞いたら何とかして欲しい(らしい) 自分のことを理解して、わかって欲しい(らしい) 優しい言葉をかけてほしい(らしい)
無理だって。 だって、わかりたくないもん。 考え方が違うし…不愉快だもん。 優しい言葉なんてかけたくないもん。 何もしてあげたくないもん。 (やや、大人げないが…)
そう思うので、距離を置いているが… 家族ということになると…扱いがとても難しい。 ああ、何とかしてほしい…こっちが。
| 2004年01月30日(金) |
人は何事かを成すために生きてるんじゃない。何もなさなくてもいいのだ。 |
人は何事かを成すために生きてるんじゃない。 何もなさなくてもいいのだ。 自分の一生なんて好きに使えばいいのだ。
「かなえられない恋のために」より 山本 文緒著
こんなふうに、 すっきりと思えたら楽だろうか…?
自分の人生が好きに使えたら… 私など、ちょっと寂しさを感じるかも知れないなぁ。 私は、何かをしたいと思っている人間だし、 他人と交わりたいし、 他人のためには多少でも役に立ちたいと思う人間だから、 とてもこんな風には思えないなあ。
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